第653重戦車駆逐大隊 アムシュテッテン近郊 1945年5月
(ワールドタンクミュージアム 第5弾 No.89 ヤクトティーガー(ヘンシェル転輪) 冬季迷彩 リペイント)

 このモデルも、また例によって、某A氏よりshenye.xiuming氏経由でいただいたものです。このモデルは前作同様、どこにも欠損・破損等はなかったのですが、塗装状態がひどく、特に車体上部のモールド(表面の凹凸)が潰れかかっており、今回のリペイントもどうしようかと思ったのですが、上面以外の箇所のモールドは、まだ生きていた為、リペイントしホームページに側面のみ掲載するだけなら大丈夫だろうと思い、リペイントを実施しました(下のモデルの部隊番号及び迷彩パターンやキルマークは、自分の妄想から派生したものですので、まったくのフィクションです)。元々この車両は、第512重戦車駆逐大隊第3中隊向けに、鉄道輸送されたものの、途中連合軍による空襲で破損してしまい、工場に戻されてしまった2両の内の1両で、結局オステローデ防衛戦には参加出来ませんでした。そして終戦間際、第653重戦車駆逐大隊に配属された同車両は、SS第1装甲師団"LAH"の指揮下に入り行軍を開始しますが、オーストリアのアムシュテッテンにて、すでにソ連・アメリカ両軍が市場を占領し、道路を封鎖してしまっていました。ところがうまい具合に市場の迂回に成功し、なおも行軍を続けるものの、ついにアムシュテッテン近郊、シュトレンベルクにて、ソ連軍戦車2両に遭遇してしまいましたが、主だった戦闘をすることはなく、降伏しました(戦闘をしなかったのは、同車両には西へ逃れられると信じていた市民が、数多く乗車していた為)。同地区に残存した、少なくとも3両のヤークトティーガーが、ソ連・アメリカ両軍に捕獲され、その内の1両がロシアのクビンカ博物館に現存しています。皮肉な事に、ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの生家が、このオーストリアの都市ザルツブルグの北60kmにある、ブラウナウ・アム・インにあります。

 

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