第六章 「知者の掟」

あらすじ

 バラビアの状況は、アギライとネマスが捕らえられた今、MISMの作戦部と諜報部にとって、悪夢とも言うべき状態になった。「バラビアネスの真実を知るもの、帰還せず」と、昔から言い伝えられ、その別名を「殺人病棟」という、その存在自体が謎のベールでつつまれたバラビアネス環状病院。しかし、バラビアの現場では意外な展開が起こるのだった。協力者の出現である。

女看護士の目的

 暗闇から、カラカラと乾いた音をたてる、医療器具を載せたワゴンが、アギライのいる監獄へと近づいてきた。
例の女看護士である。

 監獄担当の看守係官も、普段でさえ何事も起こらないこの空間では、唯一居眠りが出来るところであった。今日も真夜中をむかえ、当然のように何事もなく、人影もない。そしていつものように看守も、椅子に座りながら居眠りをしていた。

 その横を静かに、女看護士が通りすぎる。
「もう少し、寝ていてね・・・お馬鹿なおじさま」
 と、女看護士はつぶやいた。そして思った。
「やっとこの時がきたわ、アギライ。あなたは私の獲物」

 女看護士の持ってきた、目前のワゴンには、医療器具。そして毒薬がある。
「私がこの手で、本当の恐怖と死を教えてあげる」

女看護士の目的 その2

 女看護士が、アギライのいる監獄扉の前に来た。

 医療用ワゴン見つめながら、彼女の脳裏には、過去のおぞましい記憶と想いが、衝動的によみがえってきた。そして女看護士は過去の記憶をたどる。

「昔、ここはとても豊かで良い所だった、だけどあの戦争・・・宇宙移住者どもが、この地上に落とした、たった1つの小惑星が、全てを・・・私の家族もろとも、消し去ってしまった。それから地上の人間は、他の弱い人間を生贄にして、生きていかなければならなくなった」

 女看護士は理性的で、冷静であったが、この時ばかりは衝動を抑えられない。

「アギライ・・・私はあなたに個人的な恨みはない、けれど貴方達、宇宙移住者どもにも、同じ血を流して、償ってもらわなければ気がすまないのよ」

 彼女の目は、だんだんと冷静から冷酷へと、変化しつつあった。
「過去ここへ来た、何百人もの宇宙移住者どもを、私は殺してきた・・・こうして、心を鬼にしてね」

女看護士の見たもの

「!?」

 監獄の鍵を解錠し、扉を開け、中の照明をつけた女看護士だったが、目の前にある光景を見て、驚嘆した。確かに、アギライはベットの上に横になり、眠っている格好であった。しかし、そのアギライの体に掛けてある白い毛布、そしてシーツ、床は、真っ赤に染まっていたのである。

「・・・どうやら、同志達に先を越されたようね」
 女看護士は、動揺を抑えた。

 目の前にある、以前はアギライという人間だったもの。その髪は乱れ、赤く血で染まった毛布は、無惨にも切り刻まれている。

 女看護士は、ベッドから床にたれつつある赤い液体を、指につけると、その匂いから血液である事を確かめた。また女看護士は床一面に広がっている血液の量から、出血多量で、既にアギライが死亡している事を悟った。

「まあ・・・いいわ、さようなら、アギライさん」

 そう女看護士は心の中でつぶやくと、何事もなかったかのように、監獄から出、扉を施錠すると、またもと来た通路をワゴンを押しながら歩き、暗闇の中へと去っていった。

意外なる協力者

 女看護士が去ると、監獄内外は、ふたたび深夜の静寂につつまれた。

 それから5分位たっただろうか。監獄内にいた、居眠りをしていた看守係官が咳払いをした。そして顔を上げると、用心深く、周囲を慎重に見回す。すると、その看守係官は、椅子から立ち上がり、おもむろにアギライのいる監獄の扉へ近づき、扉の鍵を解錠した。そして、また今までいた椅子に戻り、腰をおろすと言った。

「さっき言ったとうり、やっぱり来ただろう、あの女」

 すると、今解錠した監獄からアギライが出てきた。

「まっ・・・あんたを殺りに来たんだろうな」
 と看守係官は言った。

「・・・・・」
 アギライの着ていた灰色の監獄服、約三分の二が、看守係官が用意した、本物の血で赤く染まっている。

 看守はポケットのシガレットケースから、タバコを取り出すと口にくわえ、ライターで火をつけながら言った。
「まあ・・・早くここから出ていく事だ、でないと、今度は本当に殺られちまうからな・・・」

 すると、今まで黙っていたアギライが、口を開いた。
「おじさん、助けてもらってありがとう・・・、でも私にはやらなければならないことがあるのです」

 タバコの煙が、湿気た監獄の空気と混ざる。
看守係官はアギライに尋ねた。
「あんた、一体何をやる気なんだね」

アギライと看守係官

 監獄通路のまわりを照らしていた裸電球が、風で少し揺れ、アギライと看守係官の影もそれにともなってゆらぐ。
しばらく間があった。

 アギライは言った。
「・・・人を助けに来たのです」

「なるほど・・・まぁ・・・気持ちはわかるが」
 と、看守係官は言うと、灰皿にタバコ置き、灰を捨てた。
「ここに来たこと自体、死にに来たようなもんだよ、・・・今さらだがね」

 アギライは看守係官に顔を向けた。その目の奥には、何かの決意に満ちている。
「危ない事は知っています、しかしその人は私にとって大切な人なのです」

「恋人かい?」と、看守係官は言うと、少し微笑んだ。

「私にとっては、それ以上の人なのです・・・」
 アギライが、そう言った瞬間、暗闇を切り裂くような声が、通路の奥から聞こえた。

「二人共、そこを動かないで!!」

 アギライと看守係官が振り向くと、そこには、さっき消えたはずの女看護士が立ち、そして、その手には銃が握られていた。

女看護士とアギライ

 女看護士の顔に笑みが浮かぶ。
「そうゆう理由だったの・・・ここがなぜ殺人病棟と言われているかわかる?」

 そして彼女のもっている銃が、アギライの頭部に狙いをつける。
「あんたのような宇宙人やゴミのような人間を処分する為の施設だからよ」

 女看護士の脳裏には、過去の忌々しい記憶がよみがえる。青空を切り裂く巨大な火の球。それが落下する時の轟音と衝撃。そして、思い出したくもない、隕石落下後の苦しい日々・・・。

 彼女は続けた。
「あの日から、物事の価値観が180度変わってしまった・・・人の事を案ずるより、自分の身の上を心配する事ね、アギライ」

 薄暗い監獄の通路。銃口は鈍く光り、その照準は冷静にアギライの頭部急所を捕らえた。

ハンスの十字架

 監獄でのアギライに、唯一携帯を許された物・・・、それはハンスからもらった、例の十字架だった。しかしそれが武器になろうとは、アギライ自身も考えていなかった。女看護士の目に殺気を感じたアギライは無意識に、その十字架を握りしめた、そしてほぼ同時に、女看護士も銃の引き金をひいた。

 全ては一瞬の出来事だった。女看護士の右腕が、発砲の反動で少し上がった瞬間、アギライはアンダースローで、その右手に握りしめていたハンスの十字架を、女看護士の顔めがけて投げつけた。

 幸い女看護士の撃った弾は、アギライの頭部脇をかすめ外れた。だがハンスの十字架は、正確に女看護士の顔面を直撃した。

「ウッ!!」

 女看護士は一瞬、何が顔に当たったのかわからず、銃を持っているのとは反対側の腕で、顔をふさいだ。その間、女看護士は2発、アギライに向けて発砲したが、目がふさがれていたためターゲットを目視できず、2発とも外れた。

 アギライはとっさに、女看護士の足元へ滑り込み、足技を使って女看護士の動きを封じた。すると女看護士はバランスを崩して倒れ、通路壁面に頭を打ち気絶して、倒れてしまった。

 看守係官は、一瞬何が起こったのかわからなかった。気絶し、通路に横たわる女看護士と、息荒げなアギライを見て、しばし呆然としていた。

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