E100超重戦車
パーダーボルン近郊ハウステンベック・ヘンシェル社工場
(プライマー塗装) 1945年5月
(パンツァーコープNo.3 GERMAN SUPER TANK E100 クラフト)

 ドイツ軍がポーランドに侵攻して、しばらくたった頃。兵器局第6課の参事官であった、クニープカンプ博士を中心とした技術者グループによって、新世代の戦闘車両に関する研究が開始されました。これまでの戦闘車両とは根本的に異なるコンセプトやメーカーを採用し、革新的な戦闘車両を開発することが、その目的でした。それらは1943年に"Eシリーズ"の呼称でまとめられ、重量ごとに分類された各車両の開発が決定しました。"E"とは"統制型車両"の頭文字から採ったもので、基本コンセプトは車内容積拡大を図り、トーションバーを用いない外装式サスペンションと機関室内に変速機や操向装置、最終減速機、ブレーキといった機関系を収めることにありました。しかしEシリーズ中唯一、形になったのが、何故かこのE100超重戦車のシャーシ部分のみで、ヒトラーの超重戦車開発中止命令が出た事もあり、結局は"Eシリーズ"もペーパープランのみで終わり、唯一E100の車体のみが、未完成のまま終戦を迎える事になります。未完成のE100を捕獲した米英軍でしたが、ドイツ人技術者の協力を得て、ひとまずシャーシ部分が完成した後、イギリス本土に送られ、履帯が付けられて一応車体は完成したものの、その後の写真や資料が無いので、どうやらそのままスクラップとして処理されたようです。モデルは完成図面を元に、E100を仮想ながらも具現化したもので、砲塔にはマウス2用のものが搭載されています。

 

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