超重戦車マウス タイプ205/2号車
ボープリンゲン車両試験場 (ドュンケルゲルプ塗装) 1944年7月
(パンツァーコープNo.2 GERMAN HEAVY TANK MAUS クラフト)

 フランスが降伏して、しばらく経った1941年11月29日に開かれた会議の席で、ヒトラーがポルシェ博士に、超重戦車に関する可能性を打診した事が、この車両誕生のルーツであったと言われています。結局、第2次世界大戦中に試作車体2両、試作砲塔1つが完成し、各種試験が実施されました。内、1号車は車体にダミー砲塔(砲身の無い実戦用砲塔と同重量の砲塔)を搭載し、主に試験走行などが行われ、また2号車は実戦用砲塔を搭載し、より実戦に近い試験が行われました。初期の計画では、ソ連軍の脅威に対抗するべく、量産されるはずでしたが、度重なる故障やトラブル等で開発が遅れ、また戦況の悪化から実現はされませんでした。終戦間際、1号車はクンマースドルフ車両試験場にてソ連軍に捕獲され、2号車はソ連軍を迎え撃つべく、1号車と同じクンマースドルフ車両試験場から出撃したものの、ツオッセン市内のシュタンプラーガ広場にて行動不能となり、やむなく自爆処分されてしまいました。しかし2号車の車体部分は大きく破損したものの、砲塔部分は原型を留めていた為、その後はソ連軍によって1号車の車体に2号車の砲塔を載せて復元され、本国へ輸送、クビンカ車両試験場にて各種試験を実施した後、クビンカ戦車博物館にて、現在でも保存・展示されています。

 

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