龍 門 石 窟


龍門は中国の九朝の古都といわれた洛陽の南13キロ、黄河の支流伊水河の両岸に1キロにわたり彫られている国の重要文化財、世界文化遺産である。

北魏が平城から遷都した494年から唐代にかけ約400年にわたって造営された仏教遺跡である。
洛陽の郊外には中国で最初の仏教寺院の白馬寺があるが、北魏の時代洛陽には仏教寺院が1367もあったという。鮮卑族の拓跋部の王朝が民族間の融和を図るため仏教を奨励し石窟を開鑿していったという。


石窟や石がんは2100以上大小約10万体の仏像が安置され3600以上の碑刻題記があるという、そのうち約3割が北魏、約7割が唐時代に造営されたものである。龍門の両岸の山の石質は玄武石で適当に固く彫刻にむいているが、莫高窟は鳴沙山の砂が脆いので石窟は彫れないので壁画を中心に塑像を別に造ってから持ち込んでいる。極彩色の絢爛壁画の莫高窟、彫刻美の龍門はその性格、表現を異にしている。

川沿いに整備されている龍門石窟 対岸から眺める奉先寺と石窟群

奉先寺 端正な菩薩 奉先寺 力強い金剛力士 奉先寺 力士に踏まれる夜叉

奉先寺の磨崖仏は龍門を代表するもので、本尊の蘆舎那仏は高さ17mの大仏座像である。

唐の高宋の勅願で3年9ヶ月をかけ完成した。気宇壮大、美貌ながら中国史上陰謀、非情の悪女として名高い女帝の則天武后も2万貫の化粧料を奉捨して造営を助けたが自分の姿に似せてつくれと強要したという。

仏様は大きい、そしてなんと端正、引き締まった唇、穏やかな眉目秀麗の仏像である。どの角度で拝顔しても精密、その美しさは比類なく美しく私の大好きな仏様である。丸みのあるふくよかな顔立ち、清楚にして仏様にしては艶やかな姿も見せる。陽の光の変化でその時の表情がそれぞれに耀く姿は仏教石像の至宝だろう。

工匠、石工達が則天武皇に慈悲の心を求めたものがこの仏様にその姿を変えたのではと思わずにいられない。

計算器もないこの時代の彫刻技術の精密さに驚く。奈良の東大寺の大仏は遣唐使達がこの仏像を模写して造営されたという。こちらは16mと1mだけ高さが異なる。奉先寺が完成して77年後のことである。

奉先寺洞は大仏坐像を中心に左右に仏弟子、菩薩、天王、力士の巨像がそれぞれの役割で優しく、荒々しく迫ってくる。菩薩は気品高く優雅、力士は両足で夜叉を踏みつけている。ここは間口50m、かつては木造の堂宇があり大仏は全身に金箔が張られ光り耀いていたとある。

 
龍門の石窟の大半は文化大革命の時、仏教否定で破壊されてしまった。この無残さは強烈に残り、痛々しさは言語を絶するがこの奉先寺の大仏群像の大半は難を逃れている。その大きさ、美しさの気迫が仏の世界と同化し、破壊者の胸に迫ったのかもしれない。

奉先寺は伊河の対岸からも眺められ、私も川面を渡る涼風をうけながら、のんびりと遣唐使の活躍や古代に想いを馳らせたことは今でも強く心に残っている。

次に代表的な石窟を紹介していこう


龍門石窟を代表する、眉目秀麗あでやかさも見せる大仏 古陽洞 見事な題字 飛天 古陽洞 拓本墨に塗られた礼仏図

龍門石窟の最古のものが古陽洞である。北魏の貴族達が造らせたもので洞内に無数の仏がんがびっしりと彫られている。
古陽洞には書道史上有名な題記がある。洞の内外に刻まれた文字が題記といわれるがその名筆を「龍門20品」として後世の人が選んでいる。そのうち19品がこの洞にある。

「さすが名筆」と門外漢ながらただただ感嘆する。本尊は釈迦牟尼と二菩薩が彫られており、釈迦は襟のたれた袈裟をかけ二菩薩は宝冠と瓔珞を身に付けている。両側の仏がんは3段に彫られそれぞれがいききと表現されている。

北壁には「礼仏図」がある。天蓋をさしかけられた3人の貴人のあとを7人の侍女が従う、祭礼に向かうご一行様はしずしずと行くが拓本に使用した墨色で力強い歩みを見せている。洞の外には観音菩薩像がある。お顔は削られているが浄瓶をさげた手や優雅な姿が素晴らしい。
古陽洞 外側 優雅な観音菩薩



万仏洞 本尊 阿弥陀如来 万仏洞 本尊阿弥陀如来 万仏洞 15000体の小仏
万仏洞は唐の680年完工といわれご本尊は阿弥陀如来、南北壁に1万5千体もの小さな仏がぎっしりと刻まれこの石窟の名称になっている。よくぞこれほどまでに小さな仏像を彫りこんだものと感嘆の声をあげる。
真上の万仏を代表する仏様は鋭利なもので削がれてしまっている。龍門石窟はいたるところで石工達の悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。


蓮華洞は北魏末期の石窟で天井には大きな蓮の花が彫られていることから名前がつけられた。本尊釈迦牟尼仏をはじめこの窟は殆どが無残に破壊されている。

残るのは立体的に彫られた見事な蓮の花とその外側に彫られた飛天である。
見上げる蓮の花は仏教と最もかかわりが強いが実に大きくダイナミックだ。

浮き彫りの飛天は大きくしなやかに舞っている。残念ながらお顔は削られている。
蓮華洞 天井

薬方洞の薬方は処方箋で入口の南北の壁に刻まれている、130もの処方があり、今も沢山のものが農村では使われているという。

洞の天井は蓮華の図案で飛天が舞っている。
本尊は丸顔で北斉の頃(550〜570年頃)彫られたらしい。
薬方洞 天井 飛天

賓陽中洞は北魏の皇帝の指示で彫られた窟である。本尊は釈迦牟尼仏で典型的な北魏仏で法隆寺の釈迦三尊に似ているといわれている。
お顔は鮮卑族の特徴を表現したといわれるが、目が優しく親しみやすい。



龍門石窟の前を伊川が淘淘と流れる。1500年前の古代先人が築いた素晴らしい仏教芸術の開鑿の槌音に伊川も胸躍ったことだろう。その後仏の身心として仏像はあまたの苦難、悲しみを救い伊川に流してくれたのかもしれない。不幸にも無残に破壊された現在のお姿は、人間の過ちをきつく戒めているだろう。
いつの世も人間の性は変わらず過ちは無くならないのか・・
破壊された龍門石窟の仏像たちは、今も活き活きとした姿で強烈なメッセージを発している。