2009年8月初旬 取材
ナシ(納西)族の故郷、麗江は現存する最後の象形文字のトンパ文字をはじめとする伝統文化遺産と町の美しさが1997年に世界遺産に認められた。ヒマラヤ山脈の麓、雲南省北部の海抜2,400mに位置する麗江は雲南とチベットを結ぶ茶馬古道の交易路の要衝として栄えてきたナシ族の町である。 ナシ族はイ族と並んでカム高原から南下して雲南に住み着いた鳥蕃系の子孫であるといわれ、宗王朝時代に木氏一族が麗江を本拠地にした。明王朝時代以降、木天王が積極的に漢文化を取り入れ学習意欲の旺盛な民族として、また官吏登用試験の科挙合格者を輩出したことも知られている。 宗教は独特で固有の東巴教がトンパと呼ばれるシャーマン(ふげき)によって伝えられ、トンパが祭天や葬式を仕切る。現在トンパ文字は日常用いられず一部観光用に使われ、字を駆使できる老トンバは10名しかいないという。農業は棚田を中心に水稲、トウモロコシ、ジャガイモ、ナスを栽培し羊、豚などを飼育しており農村部の風景は日本の田園風景とよく似ている。 現在市の人口約120万人、周辺も含め約30万人のナシ族が暮らしている。 滞在中天気が悪く見えなかったが名峰玉龍雪山を代表する美しい自然が町と一体となっている。豊かで清らかな水、その水路、水路にかけられた多くの石橋、石畳の道、日本各地の小京都と言われる所を連想するような美しい町並みを造りだしている。緑と水、物静かなナシ人、実に気持ちの落ち着くところである。 しかし年間500万人を越える観光客、漢民族により古い町並みは残るもののどんどん観光地化している。麗江の伝統の良さはいつまで保てるだろうか。古城内は祭りの夜みたいな遅くまでの賑わい。夕食に入った店は漢民族経営の店、値段は高く、従業員の態度は非常識で最低、不快感で怒りを抑えられず店を飛び出す。 口直しに城外の20席ぐらいのナシ族経営の店・(麗江風味店)に入る。経営者でシフの和英福さんは歳より若く見える40歳のナシ人、奥さんも20歳代のナシ人、店員も礼儀正しい。地元麗江の雪山魚、きのこ、山菜を使った おいしい料理を作ってくれる。仕事の合間にナシ族の文化、習慣、子供時代の思い出を話してくれる。彼の人柄は巨体と相まって優しさが滲み出ている。将来の目標は店を数十店と増やし多店舗展開し利益で地域への奉仕をする事だという。店が看板になっても麗江を語る、ナシ族を誇りに思い頑張っている熱い人である。帰りに玉龍雪山の珍味で高価な“乾燥きのこ”を記念とお土産に頂く。“きのこ”は今も彼のエネルギーのように我が家で良い香りを放っている。 翌早朝に自由市場を見学する。活気に溢れている。魚を除いて日本の市場と変わらない産物が所狭しと並んでいる。店の主役は女性だ。値段は彼女達が決める。土産物をはじめ商店の値段も同じだ。麗江も母系社会の流れを汲んでいるからのだろう。 麗江市博物館トンパ文字を見に行く。トンパ司教にお会いし記念に一筆お願い話を伺う。トンパ文字は一千年以前から使われ1,400字の単字からなり宗教、人文、地理、天文、行動など生活のすべての領域が網羅されている。中では宗教にからむ表現が難しいとのことである。トンパ文字の「女」は同時に「大きい」という意味を持ち、「男」は同時に「小さい」の意味を持つという。紙は玉龍雪山の消毒機能を持つ木の皮を手漉きしているので1000年は保存できるのも大きな特長である。 館内は巨大なトンパ文字の展示にはじまりトンパの経典、伝統的な葬儀、文化に関するものが充実している。 翌日トンパ文字の事を知りたくてもう一度トンバ司教にお目にかかりに行く。入場料の支払いに迷っていると中庭からトンバ司教は私を見つけるとすぐチータン先生(齊藤さん)と大きな声で古い友人を迎え入れるように招き入れてくれた。美しい名前のリージャン、優しいナシ族に人達に巡り合えた旅でもあった。 手元にトンバの格言がある。 ○ 手先が器用なら食べきらず お喋りなら禍が絶えず ○ スタイル美は容貌の美に及ばない 容貌の美は目配せの美に及ばない 目配せ美は心の美に及ばない 1000年の格言はいつまでも生き続ける。 本シリーズは、次回"雲南消えた美人村"を予定しています。 |