大黄河 壷口瀑布

巨大な黄龍が壷口瀑布を怒涛の勢いで駆け下る


 青海省の海抜4400mを源に発した黄河は四川省、甘粛省、寧夏回族自治区から内モンゴルのオルドスの大地を東進する。トクトからカーブを切って一気に南下し黄土高原地帯の断崖絶壁の晋峡渓谷を流れる。

ここに黄河の心臓とも呼ばれている最大の壷口瀑布がある。壷口は世界一の黄色い滝で黄果樹瀑布に次ぐ中国第二の瀑布である。黄河文明の魂はここにありと云われ、中国の50元紙幣の裏面にもデザインされている、古くは(山海経,水経 注)の古代書に書かれ敦煌書に紹介されている。
この地黄河の河沿いには80万年前から原始人が住んでいたという。そして黄河文明が華開いた、まさに悠久の歴史を刻む大河で母なる河である。

“黄河の水天上より来たり”と詠まれたというこの滝を7月の黄河源流域に続いて10月に訪れたのでご紹介いたしましょう。
写真(1) 写真(2)

 壷口瀑布は西安から約400キロ陝西省の宣川県にある。陝西省と山西省の間の晋峡渓谷を切り開き黄土高原の黄色い土砂を巻き込んで南下して行く。黄河はこの地から大量の黄土が流れ込み黄土色になる。正に黄色い黄河の本格的な誕生である。

瀑布は700キロもある晋峡渓谷の2/3を下ったところにあり、黄河は源流から約3850km全長5464kmの2/3強を既に流れてきている。
写真(2)

滝の入口が茶壷、滝の深い溝も、壷の形に似ているから壷口と名前が付けられたが、まさに黄河の喉仏であろう。河幅約400mの黄河の流れは、われ先に壷口に押し寄せ、幅30m位の滝壷に怒涛の勢いで落ちて行く。写真(1)

断崖は約150m、滝の高さは30m位だが凄まじい水量で一瞬に落下した黄土の濁流は、物凄い飛沫と轟音をとどろかせている。
この轟音は5キロ先からも聞こえると云われるほどスケールが大きい。

瀑布の流水量は毎秒700立方メートル。増水時には大量の水で瀑布は没して見えなくなるという。滝の溝の河幅は約30m、深さ40mで駆け下りた水は弾丸列車の如く先を急ぐ。凄い迫力である。
写真(6) 上流から流れの都合で壷口から下れなかった黄爆も途中から側爆激流となって駆け下りる。写真(5) 

黄色い飛沫にぬれ、轟音に耳を塞がれ、滑る足場と濁流を気にしながら壷口の横下側からカメラを構える。まるで天上より淘淘と流れてきた黄河が怒っているように降り注いでくる。
写真(3)
カメラはすぐに黄河の飛沫の洗礼を受ける。

観光客の誰もが瀑布を見て両手を広げ喚声を上げている。それぞれ人はどんな思いで悠久の黄河と対峙しているのだろうか。瀑布から訴えられるように心象風景が迫ってくる。

下流から見る壷口からの流れ
写真(4) 滝に暇つぶしに来ている86歳の土地の老人によると、昨今は水量が少なくなり土砂の量が増加してきているので、流の勢いや壷口の広さや落差が小さくなっているという。今日の水量は多いほうで黄土が少ないらしい。

「壷口に大きな羊を落としたら溝の下流では羊は跡形もなく骨だけが浮いていた。多分龍に食われたんだよと」と楽しげに話してくれた。ここの魚は鯉科の漣魚(れんぎょ。中国では黄河花漣魚と呼び香辛料をきかした醤油煮で食べる)で全長1メートル以上のものが良く取れるし、黄土の裸地化対策で進めた“りんご栽培”は効果があらわれ生活が豊かになってきているようだ。


写真(4)

写真(3) 写真(5)

写真(6)

 統計資料によると、黄河の毎年運ぶ土砂の量は平均16億トン、河口で堆積する土砂は4億トンという天文学的な数字である。中国人の荒唐無稽の話の中にいつの世にか黄河の土砂は朝鮮半島に連ながるとある。

この笑い話は別にして北魏の時代の壷口瀑布はこの下流3000m先の「孟門山」にありこの1600年の間に3000mも移動している。“水滴は石を彫る”の言のように、岩石が削られ黄土も堆積し上流に移ってきている。ある調査では今も毎年に5ミリ位は上流に移動しているという。

毛沢東が1952年この地を視察し、暴れ黄河の治水を漢民族千年の夢と決断して治水指示宣言したのは有名な話である。1999年より「母なる河を保護する行動」が全国的に展開され、黄河流域の緑化、土壌流失、生態系の保護が進められている。

この流域の農業は“富士りんご”“東紅りんご”を特産化し成果を上げてきているが、雨が降れば山から黄土が流失黄河に流入、道路も泥んこの悪路となり悩みは尽きないようである。

黄河壷口瀑布の景観維持に、黄河流域の発展のためにも確実に上流の土砂を保ち、断流化を防ぐことが大きな課題である。

 ところで本年7月私が青海省の源流、オリン湖で手に触れたあの冷たく、澄んだ清き流の水たちはいつこの瀑布を通過して行ったのだろうか。感慨にふけり濁流を見つめる。源流から3850キロを旅した清水の妖精達はどんな姿と想いを持ったのだろうか、厳しい流れ、激変する気候、黄土との交わり、少数民族との出会い、様々な環境は壮大な旅に違いないだろう。

唐の詩人李白の “君見ずや  黄河の水天上より来たり  奔流し海に到りて復た回らざるを・・・・”を口ずさむ。しばし李白の黄河を人生になぞらえた詩に没入し自分の人生を振り返りながら壷口瀑布を去った。

龍 門

写真(7)
 壷口瀑布から60キロ先に登龍門で知られる龍門がある。黄河はこの門を通り抜けると一気に広がり大黄河になる。

登龍門は黄河の狭き門で何年に一度しか開けられない。激流を上がってきた鯉たちは門の前で待ち続け、門が開いた時 に先を競って飛び込み、登れた鯉だけが龍になるという話である。不撓不屈の精神 が成果を得るとの比喩である。

手前は湖のような黄色い大河になっている。泥んこ道の遠くから龍門の狭い河口を見る。夕暮れ時で河面は一陣の風もなくひっそりと流れている。写真(7)

龍門に集まる鯉を連想しながら自分にとって不撓不屈精神や成功らしきものは何だったろうかと想いを巡らしながらシャッターを切り出したが、夕暮れの龍門はあっという間に山間に姿を消してしまった。彼方には上流からの黄河石炭を運ぶトラックが泥んこの山坂を回る度にヘッドライトを河面に光らせていた。
2007年10月

* 黄河のテーマは2008年に写真展等で発表する予定です。