春の嵐
【はじめに】 図1 低気圧の動き
春は全国的に強い風の吹く日が多い。これは日本付近で暖かい空気と冬の冷たい空気
がぶつかり、低気圧が発達しやすいことと関係がある。2003年は天気予報で春の初日に
あたる3月1日に本州付近を低気圧が急速に発達しながら通過、栃木県矢板市で住宅が
倒壊するなど、関東地方や東海地方では2日にかけて大雨や強風による被害が出た。
以下は神奈川県で大雨となったのに対し、東京都・千葉県で比較的雨の量がまとまら
なかった要因などを低気圧の動きなどから推測したものである。
【低気圧の進路・中心気圧】
低気圧の動きは図1の通りである。2月28日に中国大陸東岸で発生した低気圧は
1日から2日未明にかけて本州付近を発達しながら通過した。中心気圧は1日午前9時
から2日午前9時までの24時間の間に28hPaも下降するという猛烈な発達であった。
【「沿岸前線」による先行降雨】 図2 3月1日12時の局地天気図
低気圧は1日昼過ぎにかけて九州北部を通過した。図2は12時の局地天気図で、
低気圧は福岡〜佐賀県付近に解析され、温暖前線が宮崎県に延びている。低気圧や
前線に向かう南西からの暖湿流が強く、鹿児島県や宮崎県南部では朝の内から昼前に
かけて激しい雨となった。特に、鹿児島県枕崎市では8時アメダスで3月としては
1時間雨量極値となる62.5ミリの雨を観測した。
一方、この時間には低気圧や前線に伴う雲がかかっていない紀伊半島〜東海地方でも
既に雨が降り出していた。
これは南東海上の高気圧から吹き出す湿った空気による雨雲のためである。静岡県の
沿岸部では12時アメダスから10ミリ前後の雨を観測している。その静岡県〜関東
南部では内陸の相対的に冷たい空気と海からの暖かな空気との間にできる「沿岸前線」
と呼ばれる局地的な前線が形成されていた。特に房総半島では朝の内、早い段階から
形成されていて、前線をはさんで南北の気温・風向差が明瞭であった。
この沿岸前線は相模湾〜千葉県南部ではあまり南北へ移動せず、アメダスポイントで 図3
いうと「三浦」「館山」と「横浜」「木更津」の間に停滞した。神奈川県内では昼前から
雨が降り出し、17時アメダスから10ミリ前後の雨を観測し出した。一方、千葉県
北東部では沿岸前線は徐々に北上し、そのラインは図4のように北東から南西へ延びる
形になった。
また、静岡県ではわずかながら北上し、沿岸前線による強い雨の範囲は沿岸部から
山沿いへと移っていった。
【低気圧接近 強雨のピーク】
18時に大阪湾に進んだ低気圧は沿岸前線の上を進み、21時に渥美半島、24時に
伊豆半島付近に達した。低気圧の東進とともに静岡県、神奈川県では暖気移流がさらに
強まり、雨雲が発達、低気圧の通過、もしくはその直前で強雨のピークを迎えた。
沿岸前線が同じような位置に停滞したため、20〜30ミリ前後の雨が4〜5時間
続いた所が多く、総雨量は天城山で240.5ミリ、辻堂で190ミリ、横浜で156ミリを 図4 3月1日18時の局地天気図
記録したのを始め、静岡県、神奈川県の広い範囲、房総の一部で100ミリ前後に達した。
(関東・静岡のアメダス1時間雨量でもっとも強かったのは23時辻堂の42ミリ)
これに対し、東京都、千葉県北西部、埼玉県南部は50-60ミリ前後、千葉県北東部〜
茨城県鹿行地域は30ミリ前後の所が多かった。時間20ミリ前後を記録した地点も
あったが、継続時間は1時間程度で、神奈川県と比較し、雨量はまとまらなかった。
【低気圧は関東南部を通過したか?】
気象庁の解析では低気圧の位置は1日21時に知多半島付近、2日3時に銚子沖で、
関東南部を通ったことは自明のように思える。総観スケールで見ればそれで問題ないが、
局地解析を行ってみるとそうとは言い切れないようである。
図4は21時の地上天気図。沿岸前線上、千葉県北東部から茨城県南部に低圧部が
認められるが、閉じた等圧線は描けない。沿岸前線南側の風向は南でほぼそろっていて、
地上風の循環の中心は知多半島の低気圧で疑いない。 図5 3月1日21時の局地天気図
3時間後の2日0時になると様相が異なってくる。(図5)もっとも気圧が低いのは
静岡県東部に進んだ低気圧だが、沿岸前線南側・伊豆半島〜伊豆諸島北部の風向は南西
に傾き、低気圧へ吹き込む流れではない。気圧こそ低いが、循環は不明瞭となっている。
一方、茨城県南部では新たな低気圧が解析される。後面の風向は北西に変わり、この後、
房総の風向も南よりから西よりに変化することになる。気圧は静岡県東部のものに比べ
高いが、循環は強まっている。
2日3時になると低気圧は銚子沖にのみ解析され、ここから低圧部が三浦半島、伊豆
半島へと延びている。風の循環の推移などから考えると、銚子沖の低気圧は0時に茨城県
南部にあったもので、静岡県東部の低気圧は不明瞭となったと推測される。
これを裏付けるのが地上気象観測地点の気圧変化である。
色をつけているのはもっとも気圧が低い時刻だが、静岡・石廊崎・網代・三島では2日
0時なのに対し、千葉・銚子・水戸は1時である。もっとも気圧が低い時刻を低気圧通過と
考えると1時間で静岡県から千葉・茨城県へ進んだことになるが、これまでの経過からは 図6 3月2日0時の局地天気図
考えにくい。
また、地点ごとの最低気圧を見ると、静岡・網代・三島で985hPaを切っているのに
対し、東京や横浜・千葉ではこれを上回っている。低気圧は発達しながら通過したので、
気圧は進路の前方にあたる東京湾周辺のほうが低くなるのが自然である。
(1時間ごとの値から求めた最低気圧で、地点数を限られているので、断定はできないが)
最低気圧の出現時刻、値からも銚子沖の低気圧は西から進んできた低気圧とは同一では
ないと推測できるのである。
【大雨にならなかった理由】
東京都や千葉県北西部が神奈川県と比較して強い雨が降らなかったのは「(結果的に)
低気圧が通過しなかったから」という言い方は可能かもしれないが、より直感的に言えば、
暖湿流の走向がそれまでの南よりから新たに発生した低気圧に向かうように南西から
西南西へと変化したこと、この低気圧後面の風向も西成分が大きくなり、東京都や千葉県 図7 3月2日3時の局地天気図
北西部が、相対的な発散場になったこと、などが考えられる。
また、千葉県北西部の場合、沿岸前線の構造と下層の風向にも関連があると思われる。
21時の館野のエマグラムには980hPa付近に顕著な逆転層がある。すなわち200メート
ル前後の高さの冷気層の上に暖気が乗り上げて雲を作るという構造だった。このくらいの
高さだと風上にある300〜400メートル前後の高さである房総丘陵の存在は無視できない。
南からの湿った空気は房総丘陵で雨をいったん落とすため、沿岸前線の付近では強雨を
もたらさなかったのではないだろうか(神奈川県の風上にはこのような障害物はない)
南の風が房総丘陵に遮られない千葉県北東部〜茨城県南部の場合、沿岸前線の走行が
南西〜北東だったため、下層の南風となす角度がそれほど大きくなかったことも関連して
いるかもしれないが、これは推測の域を出るものではない。
雨の降り方だけでなく、東京湾央の風の吹き方も予想に反するものであった。予想では
低気圧の接近に伴い、弱い北よりの風が夜遅くには南よりに変わって強く吹くとみていた
が、実際に風が強まった時の風向は北よりだった。これも東側の茨城県南部付近で新たに 図8
低気圧が明瞭になったことを示唆していると思う。
【強風をもたらしたもの・強風がもたらしたもの】
沿岸前線の北と南では気温・風向だけでなく、風速の差も明瞭となる。沿岸前線の南側
では南よりの風がやや強く、今回のように低気圧が発達するなどして気圧傾度が大きく
なる場合は強く吹く。一方、北側では北よりの風で弱い。地表付近に安定層が形成される
ため、上空の強い南よりの風は地表付近には侵入しない。
今回の低気圧による強風の特徴は沿岸前線南側の南よりの風だけでなく、低気圧が通過
後の北よりの風も強かったことだ。これは後面の下降流が強烈で、上空の強風が安定層を
やぶり地上に達したためと考えられる。興味深いのは強い風が吹き出すのと同じくらいの
タイミングで地上気温が上昇していることである。強い下降流は安定層をやぶることに
よって、強風だけでなく、断熱昇温による地上気温の上昇ももたらしたのである。
館野の1日21時と2日9時のエマグラムを比較すると成層状態がまったく変わって 図9 館野のエマグラム(1日21時・2日9時)
いることが分かる。上空には冷たい空気が入っているのに、その冷たい空気とかきまぜ
られることにより地上気温は上がるのである。
【おわりに】
春の嵐はこの低気圧によるものだけにとどまらなかった。
3日は日本海を前線を伴った低気圧が進んだ。低気圧や前線に向かう南よりの風が
強まり、関東地方と北陸地方で春一番が発表された。
4日は低気圧が東へ抜け、一転して冬型の気圧配置に変わった。日本海側は大雪で、
晴れた太平洋側でも季節風が強く、寒い一日になった。
6日から7日にかけては再び南岸を低気圧が発達しながら通過。低気圧は三陸沖で
台風並みに発達し、8日から9日は冬型の気圧配置が強まった。
風の多い季節とはいえ、ことのほか強風が吹き荒れた3月上旬であった。