紫音(しおん)
プロローグ
あの日に帰りたい・・・
だれもが一度は思うことがあるでしょう。
< 優 美 >
夏休みのある日、僕は友人から届いた一通の暑中見舞いを手にしていた。
差出人は、滋賀県に住んでいる大学時代にバイク仲間だった友人だ。
久しぶりに逢いたいなぁ・・・
僕は、京都という街が好きだった。
特に寺社に興味がある訳では無いのだけど、あの街の落ち着いた雰囲気が好きだったんだ。
大学時代は、結構まとまって暇な時間が取れたこともあり、時折遊びに行くことがあったが、就職した今はなかなか遠出は出来なかったんだ。
会社の夏期休暇は今日を含めて残り3日ある。今日出発すれば、2泊しても余裕で帰って来ることが出来る。
早速、友人の所に電話をしたんだ。
「もしもし、紫原だけど。久しぶり。暑中見舞いありがとう。でさぁ、今からそっち行っても大丈夫? 2日ぐらい泊めてくれる? OK! じゃあ、これから出発するから。」
昔から、こんな物である。思い立ったら直ぐに行動しなければ気が済まない性分は変わっていない。
大きめのスポーツバッグに着替えを詰め込み、あっという間に支度を終えてしまった。
バッグを肩に担ぎ、ヘルメットとバイクのキーを持って部屋を後にした。
首都高速に乗って、東名高速を目指す。首都高は結構渋滞していたが、バイクには関係なかった。
東名を順調に走って行き、厚木を過ぎる。この辺りは大学時代に住んでいた所だ。もう卒業して1年以上経つのが信じられないくらい、時は慌ただしく過ぎていたんだね。
足柄パーキングエリアで休憩を取る。そう言えば突然の出発だったんで、今日はまだ何も口にしていなかった。軽く昼食を取り先を急いだ。
東名から名神高速をひたすら走り、大津ICを降りて友人宅に到着したのは5時過ぎだった。
「お前、相変わらず無茶やなぁ。午前中に電話よこして、もう来よるもんなぁ。」
友人は呆れていたが、久しぶりの再会を喜んでくれた。その晩は、二人で酒を飲み交わした。
明日の予定を聞かれたが、大学時代に何度も来ているので特に目新しい物は無く、彼の会社は休みじゃ無いので、一人で京都方面に出掛けることにして、夜はまた一緒に飲もうと言う話しになったんだ。
翌日、僕は一人で京都へ出掛けた。きちんと区画整理された街並みを走り、紅葉にはまだ早いが嵐山方面へ向かった。
古の風情に酔いしれながら、僕は懐かしい時間を過ごしたんだ。
午後になり雲行きが怪しくなってきた。大津から京都までなので、雨具は友人宅に置いてきてしまっていたんだ。
早めに戻ろうと思い出発したが、雨は直ぐに降り出した。僕は、仕方なく近くにあったマンションの前で雨宿りをしたんだ。
マンションの玄関前の一段高くなった所に座り、ぼーっと雨垂れを眺めていると、通りを走ってくる女性がいた。
きっと買い物帰りに雨に降られ、傘が無いので慌てて走っているのだろう。両手に買い物袋を下げた女性は、このマンションへ駆け込んできた。
ドテッ!
彼女は僕の目の前で見事に転び、買い物袋から中身が散乱した。
「大丈夫ですか。」
僕は慌てて彼女に声を掛けると、
「えへっ、またやっちゃった。私ってドジねぇ。」
あまりにも屈託の無い彼女の笑顔に、失礼だが僕も笑ってしまった。
荷物を拾い集めるのを手伝いながら、彼女に話しかけた。
「さっきは笑っちゃってゴメン。君の笑顔につられちゃって・・・ でも、こんな事よくやるの?」
「うん。私ってドジだから、しょっちゅう転ぶんだ。それとぶつかっちゃったりねぇ。」
彼女は怒っている様子もなく、とても楽しそうにしている。明るい性格な子なんだなぁって思ったよ。
荷物を全部拾い集め、彼女に手渡した。
「ありがとう。でも、あなたは此処で何してるの?」
「雨宿りしてるんだ。バイクで来たから困っちゃって。」
彼女に事情を説明すると、彼女は更に質問してきたんだ。
「ねぇ、あなた地元の人じゃないわね。言葉が違うもん。東京の人?」
「そうだよ。東京から来たんだ。大津に友人がいるんで、そこに来たついでにね。」
「私も半年前までは東京に住んでたんだよ。旦那さんの転勤でこっちに来たの。」
「えーっ! 結婚してるの?」
僕は驚いた。 彼女は見た目は20代前半くらいだったからね。
名前は、優美。小柄で、ちょっとポッチャリ系のとっても可愛い子だったんだ。
彼女は懐かしい友人に逢ったかの様に、楽しそうに話してきた。
「久しぶりにたくさんお話ししちゃった。」
彼女は知らない土地に来て、知らない人に囲まれて話し相手に飢えていたんだろ。彼女との会話に夢中になっている間に雨は上がっていた。
「ねぇ、あなたは京都に詳しいの? 私こっちに来て間もないし、あまり出歩かないからよく知らないんだ。」
「細かい所までは分からないけど、観光スポットなら大体行ったよ。良かったら明日案内しようか?」
僕は彼女が喜ぶのならと思い誘ったんだ。不倫とか言う意識は全く無く、純粋に友達として言ったんだ。
「ホントに! バイクに乗せてくれるの? 嬉しいな!」
彼女は、少女の様に無邪気に喜んでいたんだ。 本当に人妻なの?
明日の待ち合わせを約束して、僕は友人宅へ戻った。夕食を食べた後、今日も二人で飲みに行ったんだ。
「明日、ヘルメット一つ貸してくれる。」
「何で? 誰か乗せるんかい。お前、今日ナンパして来たんかぁ?」
「そんなんじゃ無いよ。友達になった人を案内するんだ。」
友人は僕から色々と聞き出そうとしたが、適当にあしらって何とかヘルメットを貸してもらえることになった。
その翌日、僕は待ち合わせ場所に約束の時間のちょっと前に着いたんだけど、彼女は既に待っていたんだ。
「早過ぎちゃったけど、嬉しくて部屋でジッとしていられなかったの。」
長袖のシャツにジーンズ姿の彼女を見て、バイクに乗るのを楽しみにしていたのが分かる。
「じゃあ今日はいっぱい楽しまなくちゃね。はいこれ!」
と言って、僕は彼女にヘルメットを渡した。
彼女はヘルメットを被ることは出来たけど、顎紐の部分が上手く止められないようだったので、僕は彼女の顎を軽く持ち上げ顎紐を止めてあげたんだ。
僕は、その時の彼女の変化には全く気が付かなかった・・・・・
「じゃあ乗って。しっかりと掴まってね。」
僕がそう言うと、彼女は後ろに乗ってきて、僕の腰に両手を廻してギュッと掴まってきた。
走り出して直ぐに僕は背中の感触に戸惑っちゃった。彼女はとっても胸が大きかったんだ。暑かったので皮ツナギの上半身部分を脱いで腰に巻き付けている僕はTシャツ1枚なので、彼女の胸の柔らかさを間近に感じてしまった。
嵐山から大覚寺、そして金閣寺へと有名な場所を廻る。平日なんだけど、何処に行っても観光客でごったがえしていた。
「人がすごいね。もっと静かだと思ってたわ。」
「有名な所は、しょうがないよ。山科の方へ行ってみようか。静かな所だよ。」
山科へ向かい、ちょっと走ると落ち着いた静かな景色に変わった。でも、昨日と同じように突然雨が降り出したんだ。
小さな神社を見つけると僕はバイクを止めて、二人は屋根の下に駆け込んだ。
「参ったなぁ、また雨かよ。直ぐに止むと思うから、ちょっと雨宿りしよう。」
そう言って彼女の方を見ると、僕の目にドキッとする光景が飛び込んできた。
彼女の濡れたシャツに下着が透けていて、背中越しに感じていた彼女の胸の大きさがはっきりと確認出来ちゃったんだ。
「キャッ! 何見てるのよ〜。」
僕の視線に気が付き、彼女は咄嗟に両腕で胸を隠した。
バツが悪くなった僕は、何とか誤魔化そうとした。
「優美ちゃんて胸が大きいんだね。僕が初めて遭遇する大きさだもん。ビックリしちゃったんだよ。」
「そんなこと無いでしょ。ただのDカップよ・・・ きゃっ!余計なこと言っちゃった。」
彼女の言葉で、二人の雰囲気は和んだんだ。
静かな境内で、二人の時間はゆっくりと過ぎていった。
「あー、やっと雨が止んできたね。」
僕は立ち上がり、手を上に伸ばし大きく背伸びをしながら言った。
「紫原さんて背が高いのねぇ。」
彼女は羨ましそうに呟いたんだ。
僕は、女の子だから身長が低いのは気にしなくて大丈夫だよって言ったんだけど、彼女の言葉の意味は違ったんだ。
「私も背が低いけど、旦那さんも低いの。今朝ね、ヘルメット上手く出来なくて、やってくれたでしょ。背伸びしてKissするのってあんな感じかなぁって思ったんだぁ・・・」
「試してみようか。」
彼女の真剣な眼差しに、僕はそう答えていた。
彼女の両肩を抱き寄せると、彼女は背伸びをして瞳を閉じて上を向いた。
僕は、上から彼女に唇を重ねた・・・・・
しばらくして、彼女は唇を離すと、
「今だけ・・・」
と言って、もう一度、そして求めるように唇を重ねてきた。
僕は彼女を抱きしめると、彼女は僕の腕の中にすっぽりと包まれた・・・
マンションの前に1台のバイクが止まり、女性がタンデムシートから降りた。
女性はヘルメットを脱ぐと、それを男性に渡した。
「ありがとう。素敵な想い出が出来たわ。」
そう言うと、女性はマンションへ向かって歩いて行く・・・
ドテッ!
「きゃっ! またやっちゃった〜。」
その表情は、さっきまでとは違い、昨日出逢った少女の様な彼女だった。
「はははっ! 大丈夫? じゃあ元気でね!」
僕も昨日の少年の笑顔に戻り、アクセルを開けて走り始めた・・・
少女と女性・・・
優美・・・ 不思議な人だった。
でも、僕の中にも少年と男性がいるんだね。
もし、もう一度出逢えるのなら、どっちの彼女と・・・・・
あの日に帰りたい <優美> 完 ![]()