あの日に帰りたい
                                紫音(しおん)

プロローグ

あの日に帰りたい・・・
だれもが一度は思うことがあるでしょう。

ギラギラと照りつける太陽。
校舎に挟まれたテニスコートから、ボールを打ち合う音が響いてくる。
ネットに絡まるボール。
「休憩しようか」
そう言って、コートの隅にあるベンチへ向かう少年がいた。

入れ替わりにコートでは、後輩達がボールを打ち始めている。
ベンチで汗を拭きながら談笑する少年達。
その後ろの通路を歩いて行く一人の少女の視線に、少年はまだ気付いていなかった・・・


Boy's Side 1

高校2年の1学期の終わる頃だった。
僕の通うN高校は、地区では常に代表権を獲得している強豪校だ。
僕も個人戦では1年生の時から地区予選大会では常にベスト8に進出していた。
校内ではもちろん、他校にも名前が売れているテニスプレーヤーだった。

そんな僕にも悩みがあった。
テニス漬けの毎日。これが災いしたのか、彼女がいないのである。
もてない訳ではなかった。
駅で他校の女生徒からラブレターをもらったり、通学途中の電車の中で写真を撮られる事もしばしばあった。
しかし、そういう子達の中には、僕が惹き付けられる子はいなかった。
自分から好きになった子でなければ、嫌だったんだ・・・

そんなある日・・・
期末テストが始まり部活は休みなので、いつもより早い時間の電車で帰る事が出来る。
いつもと違う人達で賑わう車内。僕は見慣れない光景に戸惑いながら辺りを見回していた時、一人の少女と目が合ってしまった。
恥ずかしそうに目をそらす彼女・・・
まだ幼さの残る顔立ち、時折僕の方をチラッと見る仕草が可愛らしい。
僕は彼女から目が離せなくなっていた。いつの間にか、周りの雑音が聞こえなくなり、僕の鼓動だけが響いている感じだ。
制服から僕と同じ高校だということ、小さな胸の膨らみの近くにあるバッチで、1年生だということも直ぐに分かった。

僕は近くにいた部活の後輩を呼び、後輩に彼女のことを聞いてみることにした。
彼女の名前は、磯野明美。1年生の中では人気のある子らしい。出身中学は僕と同じだった。
部活はやっていないので、いつもこの時間帯の電車に乗っているそうだ。
そして、一番重要なこと・・・彼氏がいると言う話しは聞いたことがないらしい。
こんな可愛い子の存在を何で今まで気が付かなかったんだろう?
そんな事を考えながら、僕はまた彼女を見つめていた・・・


Girl's Side 1

明美15歳です! この春、県立N高校に入学しました。
うちの高校は進学校だけど、運動も盛んなんですよ。
でも、大人しい性格なので目立つことはちょっと苦手かな・・・
だから、部活もやってないんです。

高校生になって、勉強はもちろんだけど、素敵な恋愛もしたいなぁって・・・
友達とお話ししてても、結構そんな話題になっちゃったりするんです。
ビックリしちゃったんだけど、同級生からラブレターも何度かもらいました。デートもしましたよぉ。
でも同級生の男の子って、まだ子供って感じがしちゃいます。話題もゲームの事や漫画の事ばっかり。
喫茶店に入っても、慣れてないせいか落ち着かないみたい。私のために背伸びしてくれてるのは嬉しいんだけどね。
やっぱり、自分を引っ張ってくれる年上の人に憧れちゃいます。いつか白馬に乗った王子様が現れて私を連れ去ってくれるって夢見てるのは、私だけかなぁ?

早いもので1学期もあと少し。今は期末テスト真っ最中です。
試験期間中は、普段部活やってる人達も早く帰るので、帰りの電車はいつもより混んでます。
いつもと違う人達が大勢いるのでまるで違う感じがして、別の場所に行く電車みたいで、ついつい周りを見回しちゃいます。
運動部の先輩達は背も高くて、日焼けしてて、格好いいなぁ・・・ なぁんて隣りに座ってる友達の貴子と話してた時、

あっ! 目が合っちゃった。
慌てて視線を外しちゃった・・・
あれは、テニス部の紫原先輩。同じ中学出身の一つ上の先輩です。先輩の隣にいるのは、やっぱり同じ中学出身でテニス部に入った同級生の小山君です。
同じクラスの陽子が憧れてるだけあって、紫原先輩はちょっと格好いいかも。
「明日、陽子に報告しなきゃ」って思いながら先輩の方を見たら、小山君と何か話してるみたい。
えっ? 私の方をチラチラ見ながら話してるの? それってもしかして・・・

先輩に見つめらている時間が、すごく長く感じちゃった。ドキドキして顔も赤くなっちゃたもん。貴子との会話も不自然になっちゃった。
あー、もうすぐ駅に着いちゃう。これからどうなっちゃうんだろう・・・

少年達と少女達を乗せた電車は、減速しながらゆっくりと駅のホームに滑り込んでいった。
プシュー・・・ ドアが開き、学生達がホームに降り、改札の方へ向かって人の流れが出来る。その中に明美と貴子、そしてそのちょっと後ろを紫原と小山が歩いていた。
改札を抜け、駅を出た所で明美と貴子は家が別方向なので別れた。

「じゃぁね。また明日ね。」 挨拶を交わし、別方向に歩き出す少女達。
一人になった明美の胸は、またドキドキと鼓動を高めていった。その時
「明美ちゃん!」
後ろから声をかける少年がいた・・・・・


Boy's Side 2

電車がもうすぐ駅に着いてしまう。
僕は慌てて頭の中でどうしようかと考えたが、焦れば焦るほど良い考えは浮かんでこないものだ。
もう、この少女と逢えないかも知れない・・・そう思った瞬間、僕は一つの答えを出した。
そして、後輩の小山に彼女を駅前の喫茶店まで呼び出して欲しいと頼んだ。
小山は少し戸惑った顔をしたが、僕の真剣な表情を見て了承してくれた。断れば、後でしごかれるのかと思ったのだろうか? いや・・・彼も彼女のことが好きだったのかも知れない。

電車から降りた僕たちは、彼女の少し後ろを歩いていた。
彼女の身長はあまり高くなかった。抱きしめれば僕の胸の中に彼女の顔が埋もれてしまうくらいの高さだ。
不思議なもので、彼女の後ろ姿までもが可愛く見えてしまう。昨日までの僕だったら気にも止めなかった筈なのに・・・

駅を出た所で小山に「頼むぞ!」と伝え、僕は喫茶店に向かった。
喫茶店に入ると、店のお姉さんがいつものように、「いらっしゃい!」と明るく迎え入れてくれた。週に1、2度は利用しているので、ちょっとした常連客だ。僕は店の奥の方のボックスシートに入り口が見えるように座った。

お姉さんが水の入ったコップを持って来て、「紫原君、今日は早いわねぇ。そっかテスト期間中だ。こんな所で時間潰ししてていいの?」と、笑顔で話しかけてきた。
いつもなら、冗談の一つでも言ってお姉さんと談笑するのだが、今の僕にそんな余裕は無かった。
「い、いや、今日はちょっと・・・」
お姉さんが僕の態度に怪訝な表情を見せた時、店のドアが開き小山と少女が入って来た。
お姉さんはパッと振り返り、「いらっしゃい!」と明るく叫んだ。その声で小山がこっちの方を向いたので、僕は小山に「こっちだよ」と合図をした。
小山は僕に気づき、少女を先導してこちらに向かって歩いてくる。
その時、お姉さんが僕の方を振り向き、「はぁん。そう言うことか。頑張ってね!」と僕にウィンクしてカウンターに戻って行った。

少女が僕の前までやって来た。僕は立ち上がり、
「ごめんね。急に呼び出しちゃったりして。ちょっとだけ話しに付き合ってね!」
と、緊張しているのを悟られないように精一杯の笑顔を作り彼女に話しかけた。
「はい・・・」と答えた彼女に、小山は僕の正面の席に座るように手で合図しながら、「先輩、僕はこれで失礼します」と言って、帰って行った。

初対面の男性と二人きりになったせいだろうか、彼女はうつむいたままだ。僕は、小山を帰してしまったのは失敗だったかなとちょっと反省したが、思い切って話し始めた。
「俺、2年の紫原です。テニス部なんだ。小山と同級生なんだよね。あいつ、いい奴だから中学の時から可愛がってるんだよ。」彼女との共通の話題は、小山の事しかないので、彼の話しで彼女の緊張を解こうと思った。
その時、お姉さんがオーダーを取りに来た。
そんな事を考える余裕なんて二人とも全く無かったが、慣れた店なのが幸いした。
「俺、いつものね!」
「私は、えーっと・・・」彼女は迷ってしまったが、
「お姉さん、女の子にお薦めは何?」と、僕はお姉さんに任せた。
「アイスミルクティーがお薦めよ。略して<アイミティー>って言うの。可愛いでしょ!」
「じゃあ、それにします・・・」 彼女の顔に安堵の表情が浮かんだ。
それからは彼女は次第に打ち解けていった。僕も話しをしていくうちに、緊張がほぐれていった。

明るくなっていく彼女の顔を見つめながら、僕は彼女の可愛さを再認識していた。そして、告白する決心をしたんだ。
「今日は、お話し出来て楽しかったよ。こんな時期なのに付き合ってくれてありがとう。」
「いいえ。私も先輩と話せて楽しかったです。」
「あのさぁ、明美ちゃんは彼氏とか好きな子はいるの?」
「・・・いません。」
「俺、今までテニスばっかりに夢中だったけど、今日は違うことに夢中になっちゃった。明美ちゃんともっと話しをしたいんだ。俺と付き合って欲しい・・・」
「えっ!・・・」
彼女は、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「突然言われても困るよね。今夜9時に電話しもいい? その時に返事を聞かせてくれる?」
「分かりました・・・」
「じゃ、今夜9時に電話するからね!」
ちょっと強引だったけど、僕は彼女と約束をして店を出た。
帰る方向が違うので、今は店の前で見送ることにした。
途中、何度も振り返る彼女の愛らしい姿に心躍らせながら、僕は彼女が見えなくなるまで、そこに立ちつくしていた・・・・・


Girl's Side 2

「明美ちゃん!」
後ろから急に声を掛けられ、心臓が止まるかと思うくらいビックリしちゃった。
だって、さっきまで電車の中で素敵な先輩に見つめられていたんだもん!
期待と不安の気持ちでゆっくりと振り返ると、そこには同級生の小山君がいたんだ。
でも、一緒だった紫原先輩の姿は何処にもなかったの。
なぁんだ・・・ ちょっとがっかりしたのと、変な期待をしていた自分が恥ずかしくなっちゃったので変な感じ。
「小山君 何かよう?」
動揺してるのがバレないように、ゆっくりと答えたの。
「あ、あのさ・・・ 今、暇?・・・」
あれ? 小山君の方が様子がおかしいみたい。
「テニス部の紫原先輩って知ってるだろ。先輩が明美ちゃんと話しがしたいから呼んで来てくれないかって頼まれちゃって・・・」
「えっ!」
心臓がまた高鳴り始めちゃった。
何て答えて良いんだろう・・・ どうしたらいいんだろう・・・
「ダメかな・・・」
小山君が、問い詰めてくる。
「ちょっとだけなら良いよ。」
言っちゃった。自分でも分からないけど、そう答えちゃったの。

小山君の後ろを喫茶店まで歩いてついて行く間に、どんどん緊張していくんだよ。
喫茶店に着いて、小山君がドアを開けた時は、私は恥ずかしくて顔を上げることができなかったんだ。小山君が店の奥に向かって歩き出した時、小山君の背中の向こうに紫原先輩の顔が見えたの。
ドキッってしちゃって、このまま逃げ出したくなっちゃった・・・

紫原先輩の正面に座った時に、小山君は先輩に挨拶して帰っちゃった。
えーっ! 私を一人にしないで!
心の中で、そう叫んだけど聞こえる筈もないかぁ・・・
どうしよう・・・ 顔は真っ赤だし、胸はドキドキしちゃって。
顔を上げることもできないんだよ。周りが真っ暗になっちゃって何も見えないって感じ。
「・・・紫原です・・・・・」
先輩が何か話してる。
ゆっくりとした心地の良い声。年上の人ってこんな感じなんだ。

そんな事考えてたら、お店のお姉さんが注文を取りに来た。
あーん、全然考えてなかった。またしても困っちゃったよぉ・・・
そしたら、先輩がお姉さんに頼んで、お薦めを教えてくれたんだ。
『アイミティー』 アイスミルクティーのことをこんな風に言うのね。可愛い名前が気に入っちゃった。
すごくホッとしたんだよ。私が困った時にサッと助けてくれた。
この瞬間から、先輩のことを好きになっちゃったのかも・・・

それからは、とっても楽しくおしゃべりできたんだ。
1時間くらいだったけど、あっという間に時間が過ぎちゃった。
そろそろ帰ろうかって時に、先輩が彼氏がいるか聞いてきたの。
私が、いないって答えると、付き合って欲しいって・・・
嬉しかったけど、ビックリしちゃったのと恥ずかしかったので、直ぐには答えられなかったの。
(先輩ご免なさい・・・)
でもね、先輩は返事を今夜まで待ってくれたの。
付き合うって事もドキドキだけど、今夜また話しが出来るって思うとドキドキするね。
お店を出た後も、私が見えなくなるまで見送ってくれた。

家に帰ってから、今日のことばっかり考えちゃって、勉強なんか手につかなかったんだ。
嬉しいんだけど、何で私なの?って・・・
私で良いのかなぁ? 2年の女子にいじめられないかなぁ?
不安なことばかり考えちゃう。
今日に限って、時間が経つのが遅いよぉ。早く9時にならないかなぁ。
でも、電話が来なかったらどうしよう。うちの電話が故障してたらどうしよう・・・
また、不安なことを考えちゃう。
こういう時間ってのは、胸が締め付けられそうなくらい切ない・・・

もうすぐ9時・・・
いつもなら自分の部屋にいるんだけど、家族が電話に出たら困っちゃうから台所をウロウロしてたんだ。
その時、電話のベルが鳴ったの。急いで受話器を取ると、
「もしもし。磯野さんのお宅ですか?」
あっ、先輩の声だ・・・


Boy's Side 3

喫茶店の前で彼女を見送った僕は、そのまま帰宅した。
部屋に入って制服を脱いだ僕は、ベッドに転がり今日のことを思い返してみる。
「俺と付き合って欲しい・・・」
その言葉には、自分でも驚いていた。

昨日までは全然気が付きもしなかった女の子に、さっき告白したんだ。
一目惚れには違いないけれど、こんなに早い事態の展開に先行きが不安だった。
知らない奴に声掛けられて、はいそうですかってついて来る様な子じゃないよなぁ。
焦りすぎたかなぁ・・・ 思いっ切り、後悔の念にかられてしまう。
でも、僕の事知ってたよなぁ。それに喫茶店まで来てくれたし、期待してもいいのかなぁ・・・
僕の頭の中は、彼女一色に染まり、試験の事などすっかり忘れてしまっていた。

夕食を済ませ、自分の部屋に戻る。
果報は寝て待て・・・ そんな事を言う人は、きっと余程の大物か、感性の鈍感な奴だろう。
どういった答えが返ってくるかが気になり、全く落ち着けないうちに約束の時間が迫ってくる。

トレーニングウェアに着替え、小銭を持って1階に降りて行く。
「ちょっと気分転換にロードワークに行って来る。」
そう母親に告げ、僕は外に出て行った。
僕の家の電話は玄関からちょっと入った所にあるのだけれど、そのすぐ脇は両親の部屋なんだ。
今の様にコードレスや携帯の無い時代だったから、自分の部屋からって訳にはいかないんだ。
家からちょっと離れた所で公衆電話を見つけ、僕は電話ボックスの中に入った。

時計を見ると、9時ちょっと前だった。
走ったせいもあり、かなりドキドキしているので、呼吸を整えるために深く深呼吸を繰り返す。
そして、落ち着いたところで彼女の家の電話番号をダイヤルする。
<トゥルルルル・・・>
<ガチャ!>
呼び出し音の後に、直ぐ電話が取られた。
「もしもし」
若い女性の声がした。
彼女だ!と直感したが、失礼の無いように話す。
「もしもし、磯野さんのお宅ですか?」
と、言った瞬間に、
「先輩! 明美です。」
と返事が返ってきた。
「さっきは、どうもありがとう。俺、帰ってからも明美ちゃんの事ばっかり考えちゃって、試験勉強どころじゃなかったんだ。」
素直に自分の行動を言ってしまったんだ。そうしたら、彼女が
「私もです。」
と答えてくれ、僕の不安は一気に解消された。
ちょっとの間お喋りをして、そして・・・
「俺と付き合ってくれるかの答えを聞かせて欲しい。」
と、一番聞きたい事を尋ねたんだ。
「私なんかでよければ・・・」
と、彼女は答えてくれた。
「俺は、明美ちゃんがいいんだよ!」
そう言った僕に、明美ちゃんは素直に、「はい」と答えてくれたんだ。

やったー! 飛び回って、叫びたいほどの気持ち!
「じゃ、明日もあの喫茶店で逢おうよ。大丈夫だよね?」
「はい。」
「じゃあ、また明日! おやすみ!」
「おやすみなさい」

それから僕は、1時間くらい走っていた。どんなに走っても、全然苦しくないから不思議だよね。
家に帰り、風呂で汗を流して部屋に戻った後も、僕の興奮は冷めなかった。
今日の昼下がりまで試験期間で憂鬱だった僕の気持ちは、世界で一番幸せな気持ちに一気に転換したんだ。

翌朝、快適な目覚め。
一分でも早く、あの子に逢いたい。
昨日の電話で彼女の乗る電車の時間を聞いたから、今日は僕もその時間に合わせる。
駅の近くから、僕は彼女の姿を探しながら歩いていた。改札を抜けホームへ降りた時に、僕は彼女を見つけた。
彼女は友達とお喋りをしていた。流石にそこに割り込むことは出来なかったので、遠目に彼女を見つめていたんだ。

その時・・・
「あれぇ? 紫原! 珍しいじゃん。」
と、大声で友人が話しかけてきた。僕が普段はこの電車には乗らないからだろう。
僕の名前が大声で呼ばれたことに、彼女も気付いたようだった。
彼女の方を見ると、彼女もこっちを見つめていた。
ペコリと軽く会釈した彼女の可愛らしい仕草に対し、
僕も「お早う!」と、爽やかに挨拶を返した。
しかし、このちょっとした事が大騒ぎになるとは、その時は全然思いもしなかった・・・


Girl's Side 3

電話の向こうから、紫原先輩の声が・・・
「先輩、明美です。」
私は、直ぐに答えちゃった。
今日初めて話した人なのに、直ぐに先輩の声と分かったの。

私もそうだけど、先輩も試験勉強が手につかなかったみたい。電話だと、積極的に話せちゃうから不思議だよね。
色々なお話しをしちゃった。そして・・・
「俺と付き合ってくれるかの答えを聞かせて欲しい。」
と、先輩が言ってきたの。
とうとうこの瞬間が来ちゃった。答えは決まってたんだけど、何て言えばいいのか分からなかったから、
「私なんかでよければ・・・」
と、答えちゃった。そしたら・・・
「俺は、明美ちゃんがいいんだよ!」
先輩の言葉に、思わず涙が出て来ちゃった。明日も逢う約束して、電話を切ったんだ。

これで、私にも彼氏が出来たんだぁ!
あのテニス部の紫原先輩! 友達に自慢できるなぁ。そう言えば、友達の陽子は紫原先輩に憧れてたんだ。陽子怒るかなぁ・・・
2年の女子もちょっと怖いなぁ。でも、先輩がきっと守ってくれるよね。
そんな事ばっかり考えてたら遅くなっちゃった。あーん!勉強もしなきゃ・・・

今日は寝不足。
昨夜は、あまり眠れなかったの。
突然の出来事だったんで、夢じゃないかなぁって。もし、目が覚めたら夢だったんだぁじゃ悲しいでしょ・・・
さて、学校に行かなきゃ。今日も試験だけど、早く学校に行きたいな。

朝のホームは、いつもと変わらないのね。
先輩いるかなって思ったけど、いつもはこの電車じゃないみたいだから。
でも、ちょっと安心したかなぁ。だって、どんな顔して逢えばいいんだろうと思うと恥ずかしかったからね。
「おっはよう!」
先にホームにいた貴子に明るく声を掛ける。
「あれぇ? 今日はばかに明るいねぇ。何か良いことでもあったの?」
「別にぃ〜・・・」
えへっ! ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかな。

貴子と今日のテストのこと話ししてたら、男子の声が・・・
「あれぇ? 紫原! 珍しいじゃん。」
えっ! 先輩来たんだ。私の乗る電車に合わせてくれたんだね。
驚いて声のした方を振り返ると、向こうに紫原先輩が立ってて、そしてこっちを見てくれた。
私は、恥ずかしくって会釈だけしたんだ。
「おはよう!」
先輩の爽やかな声が返ってきたの。

私以上に貴子がビックリしたみたい。
「何で、紫原先輩が明美に挨拶するの?」
「うん。ちょっとね・・・」
私はちゃんと答えられなかった。まだ彼氏って言葉を出すのは、恥ずかしかったんだ。

電車の中では、先輩は友達に捕まって隣の車両に乗ってる。でも、時々こっちを見てくれるんだ。
私も先輩の方ばっかり気にしちゃうから、貴子に気付かれちゃった。
さっきの挨拶の事もあったし、色々質問責めが・・・
「明美、紫原先輩と何かあったでしょ。さっきから先輩の方ばっかり見てるし、先輩も明美のこと見てるよ。」
私は、何も言えないでいると、冗談半分に
「もしかして、紫原先輩と付き合ってるの?」
ちょっと貴子・・・ 周りには他の人がいるのに・・・
2年の女子がこっち見てるよぉ・・・
先輩助けて〜!!!

「もう! 貴子ったら。何であんな大きな声で言うのよ。」
学校のある駅から、学校まで歩く道で貴子に怒っちゃった。
「2年の女子が睨んでたじゃない。いじめられちゃったらどうするのよ。」
「先輩に守ってもらえばいいじゃない。」貴子は冗談混じりで言うの。
「ねぇ明美。ホントは付き合ってるの? 親友じゃない教えてよぉ。」
「うん。昨日告白されちゃった。」
「えー!すごーい! テニス部のヒーロー紫原先輩と1年のアイドル明美ちゃんが付き合ってるなんて。」
「冷やかさないでよぉ・・・」
私は、とうとう貴子に白状しちゃった。でも、誰かに聞いてもらいたいって気持ちもあったんだ。

こういう噂って広まるのが早いの。
今日のテストが終わって帰り支度してる時には、友達が集まって来て紫原先輩のこと言われちゃった。
もうっ!貴子はお喋りなんだから・・・
でも、悪い事してる訳じゃないしね。
あっ!陽子・・・ 陽子は紫原先輩の事好きだったんだ。
そう言えば、今日は陽子と全然話ししてないなぁ。私を避けてるの? ちょっと心が痛い・・・


Boy's Side 4

せっかく明美ちゃんの乗る電車に合わせたんだけど、こいつに捕まるとは誤算だった。
小学校からの友人の鈴木弘だ。彼は、いつもこの電車に乗ってるらしい。
僕は、いつもこれより15分早い電車に乗っている。
運動部ってのは部室に溜まる癖があるらしく、早めの電車で通学し部室で朝のコミュニケーションを計るのが習わしになっているみたいだ。
隠れてタバコを吸っているだけだとも言われているらしいが・・・

弘のお陰で、明美ちゃんの乗った車両には乗れなかった。
「紫原、今日は寝坊か? この時間に乗るなんて珍しいな。」
大きなお世話だ! 明美ちゃん側に行くチャンスを潰され少し腹立たしかった。
まぁ、こいつがいなくても明美ちゃんと電車の中で話すことは出来なかっただろうが・・・

「良いこと教えてやるよ。体育会系のお前らは知らないと思うけど、この時間は女子が多いんだよ。可愛い子もいるぜぇ!」
あのなぁ・・・ 俺には一人しか見えてないの! と言いたいが、こいつに言ってもしょうがないだろう。
「ほらっ!隣りの車両の左側手前に座ってるあの子可愛いだろ。1年の磯野さんって言うんだ。うちらの中学の後輩だぞ。1年の中じゃ可愛いって人気があるんだよ。」えっ・・・ 明美ちゃんの事を褒められて、嬉しくなってしまった。
そして、弘に気遣う事なく明美ちゃんを見ることも出来た。明美ちゃんも時々僕の方を見てくれる。
がっ!、何か視線が多いなぁ。隣の車両を見ている僕に対して、向こうからも複数の視線が浴びせられていたんだ。
同級生の女子も、ずいぶんと乗っているようだった。そっか・・・弘と同じように僕がこの時間に乗ってるので珍しいんだな。
その視線の意味も分からず、僕は勝手に納得してしまった。

学校に着き部室に顔を出すと、いつもの顔ぶれの中に小山もいた。
小山に礼を言いたかったが、他の仲間もいたので口には出来なかったが、僕の仕草で分かって貰えたようだった。
教室に戻り、クラスメートと雑談を交わしていると、何か今日は視線を強く感じる。僕のことをチラチラ見ている女子が多いんだ。
あまりに気になるので、仲の良い女子の一人に疑問を投げかけた。
「なぁ、俺なんかしたかぁ?今日はみんな変じゃない?」
「紫原君、1年の女子と付き合ってるんだって。その噂が今日広がったからだよ。」
「えぇ! もうバレてんの?」
僕は、あまりに早い噂話の広がりに驚いたんだ。

「でも、紫原君が女の子と付き合うなんて珍しいね。特定の彼女作らず、みんなと仲良くって感じだったもんね。ちょっとショックだった子もいるんじゃない。」
「お前も泣いてくれるかぁ?」
「ば〜か!」 僕のジョークは、軽く流されてしまった。
確かに、僕は彼女イナイ歴が1年位あった。
部活で忙しかったのもあるが、1年前の出来事が彼女を作ることを避けさせていた。


<紫原君の回想>

僕が1年の時だった。
学校にも慣れ、部活動でも頭角を顕わしてきたある日曜日・・・
珍しく練習が休みだったんだけど、僕はテニスをしたくって市営のコートまでラケットを持って出掛けたんだ。
そこに行けば、多分どこかのテニスクラブの人達が練習しているだろうから、そこに混ぜてもらおうと思ってね。

コートでは思惑通り、あるサークルの人達が練習してたんだ。
知らない人に声掛けるのは、ちょっと恥ずかしいなぁって思ってたら、その中に同じ高校の女子テニス部の3年生の真由美先輩がいたんだ。
向こうも僕に気が付いて、コートの中に呼んでくれた。お陰で気兼ねなく練習出来たんだ。

練習が終わり、帰りはその先輩と一緒に帰ったんだ。
真由美先輩は、顔も体つきも18歳の女性って感じで、並んで歩く僕はまだ子供っぽさが残ってるから不釣り合いだったと思う。
真由美先輩の家の近くまで来ると、もうちょっとお話ししようかって言うので、近くの公園に行ったんだ。
夕暮れ迫る公園のベンチに座って、色々な話しをしたよ。
僕は薄暗くなってきた公園で、しかも年上の女性とこんな風に話すのは初めてだったから緊張しちゃった。

「私、紫原君の事 中学の頃から知ってるよ。可愛い子だなって思ってた。うちの高校に入学して来た時は嬉しかったんだぞ!」
えーっ! 全然思いも寄らない真由美先輩の言葉にビックリしちゃった。
「今、彼女いるの?」
「いませんよ。」と答えると・・・
「Kissした事ある?」って聞かれちゃって、純情だった僕は正直に、
「無いですよ。」と言うと、
「私としよっか!」
・・・冗談? かと思ってるうちに、真由美先輩の顔が近づいてきて、奪われちゃった。
そして、真由美先輩と付き合うようになったんだ。

しかし、二人の交際は順調には行かなかった。周りの中傷が凄かったんだ。
同級生からの冷やかしぐらいは許せたんだけど、3年の男子は酷かった。
部室にテニス部以外の3年が来て、休み時間や練習中までも呼び出されて、真由美先輩との事を聞こうとする。
エッチな事を聞き出そうとしてるのが見え見えで、嫌になっちゃった。
あまりに毎日の様にしつこいので、流石に僕も切れちゃって、
「先輩達には関係ないでしょ。もういい加減にして下さい!」って怒鳴ったら、こいつ生意気だって言われ、数人掛かりでボコボコにされた。
「3年の女に手ぇ出すから、こんな事になるんだ。」って言われて・・・
後で知ったんだけど、その中の一人が彼女に交際を申し込んで、振られた事があったんだって。

この事件がきっかけで、真由美先輩は僕に迷惑が掛からないようにって離れて行った。
僕は大丈夫だよって言ったんだけど、彼女のショックは大きかったらしい。
殴られることも嫌だけど、彼女の辛そうな顔を見るのはもっと嫌だった。
そして、僕は彼女を作る事は避けるようになった。


Girl's Side 4

高校からの友達の陽子は積極的な子。
陽子はテニス部の紫原先輩が好きって、みんなに堂々と宣言してたわ。
私や貴子は先輩と中学が一緒だったから、陽子に先輩の事聞かれたりしたけど、私は男の子に興味はあまり無かったから、先輩の事良く知らなかったの。

陽子は、朝や放課後に廊下の窓からテニス部の練習をよく見ていたな。私も陽子に誘われて一緒に見たこともあったよ。
やっぱり、友達の好きな人ってどんな人か気になっちゃうじゃない。コートを走り回るテニスウェア姿の先輩は、確かに格好良かったな。

陽子は、テニス部のマネージャーをやろうって考えたんだって。でも、女子部もあるから男子部のマネージャーって訳にはいかなかったらしいんだ。
それで、女子部に入ろうとも思ったらしいけど、先輩が怖くってそれこそ余計に紫原先輩に近づけなくなっちゃうんじゃないかってことで諦めたんだって。

紫原先輩は、同学年の女子にも人気があるんだって。陽子が仲の良い先輩に紫原先輩の事聞き出したみたいなんだ。
でも、特定の彼女はいないんだって。私達が入学する前に酷い事があって、それ以来彼女を作るのは避けてるみたいなんだって。陽子は自分が先輩の心を開いてみせるって張り切ってたなぁ。

そんな先輩が選んだのは、この私・・・
ホントに、いいのかなぁ・・・ 先輩の事、そんなに知らなかったのに・・・
でも・・・ 今は先輩の事が好き・・・
ゴメンね・・・ 陽子・・・ 陽子に謝らなくちゃね・・・


Boy's Side 5

あの事件から、もう1年か・・・ 時は嫌な記憶を薄れさせてくれる。
僕は一目惚れした子に、変な意識をせずに素直に自分の気持ちを打ち明けることが出来たんだ。

「ふぅ。今日のテストも終わったー。あと1日だぜぇ!」
帰り支度をしている所に、弘がやって来た。
「紫原ちゃ〜ん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどぉ。」
弘のにやけた顔から、聞きたい事というのは察しがついた。
「お前、1年の磯野ちゃんと付き合ってるんだって。今朝は何も言ってなかったじゃんかよぉ。 ホントなのかぁ?」
「あぁそうだよ。羨ましいだろ!」 つい、本音を言ってしまった。
「でさぁ、どこまでいったの?」
「あのなぁ、俺がそう言ったこと聞かれるの嫌なのは知ってるだろ!」
「悪い!悪い!」 弘はバツが悪そうにそう言うと行ってしまった。女子だけじゃなく、もう男子にも噂は広がっているみたいだなぁ。

帰る前に部室に顔を出したら、テニス部の仲間達も既に何人か来ていた。
「紫原、聞いたよ。良かったなぁ。」
流石に去年の出来事を詳しく知っているだけあって、好意的な態度に僕は嬉しくなった。
「でも、明日から部活始まるから、しばらく逢えないのが辛いなぁ・・・」
期末テストが終われば、普通の生徒は夏休みを待つだけの気楽な身分であるが、僕等は、秋の大会に向けて練習の日々が待っているんだ。
夏休みも、練習や合宿、そして遠征とスケジュールはビッシリで、ちょっと憂鬱な気持ちになった。
でも、今日はこれから彼女と待ち合わせだ。そう思うと憂鬱な気持ちも吹き飛んでしまう。時計を見ると電車の発車時間が迫っていたので、僕は慌てて部室を後にした。

「ふぅ・・ 間に合った。」
発車ギリギリで電車に飛び乗った。この電車に乗り遅れると、彼女を待ち合わせの喫茶店で待たせてしまうことになるから慌ててしまった。
車内を歩いて、いつも乗り込む一番前の車両まで移動する。彼女も乗っている筈なので、胸がドキドキしてくる。
移動の途中で友人に会う度に二言、三言会話を交わしながら進んで行き、2両目まで来た時、隣の車両に彼女の姿を見つけた。
あれ? 彼女の前にいるのは・・・

彼女の前には2年の女子が数人立って、何かを話しかけているようだった。
彼女の隣には彼女の友達がいたが、彼女は下を向いて怯えたような表情をしている様に見えた。
僕は、急いで彼女の所まで走った。
「何してるんだ?」 僕が声を掛けると、
「あっ、紫原君・・・ 何でもないよ。」と驚いた様子で、女子達は慌てて行ってしまった。
「大丈夫?」
彼女に声を掛けると、彼女は顔を上げ無言で僕を見つめてきた。その瞳は微かに潤んでいた。
「紫原先輩と付き合ってるのか?」って問い詰めてきたんです。
隣にいた彼女の友人が僕に訴えた。
「ゴメンね。もうこんな事しないように言っとくから。」
「明美が可哀想です。絶対にもうさせないで・・・」
彼女の友達が、なおも訴えてくる言葉を、彼女が遮った。
「貴子、いいの。 もう・・・大丈夫です。先輩が来てくれたから・・・ 先輩が悪い訳じゃないから・・・」
彼女が安堵の表情を浮かべそう言った時、彼女の瞳から一滴の涙がこぼれ落ちた。
僕は、今直ぐ抱きしめたくなるほど、彼女が愛おしかった。

「あの・・・ 私、向こうに行きますね。」
貴子ちゃんが気を利かせて、そう言ったが、僕は、そんなに気を遣うなよって笑いながら答え、三人で駅に着くまで一緒に話しをした。
駅前で貴子ちゃんと別れ、二人で昨日の喫茶店に向かった。

昨日と同じ席に座り、彼女と話し始めた時、お姉さんがオーダーを取りに来た。
「紫原君はいつものでいい? 彼女は?」
「ア、アイミティーをお願いします。」
彼女の照れながらの仕草は、ホントに可愛かった!
「アイミティー気に入ってくれたんだ。 紫原君可愛い彼女見つけたね!」
嬉しそうにそう言うと、お姉さんはカウンターに戻って行った。
「先輩は、よくここに来るんですね。」
「うん。1年前位からかなぁ? 部活の先輩とかに連れてきて貰ったんだ。いつの間にか常連さんになっちゃった。」
部活の先輩・・・ それは、男子の先輩もいたけど、真由美先輩もいた。
あの事件の後は、男子の先輩も溜まってるから真由美先輩は来なくなっちゃったんだけど・・・

「明日でテスト終わりだね。あぁ、毎日部活地獄が始まるよぉ。」
「大変ですねぇ。私なんか何もすること無いから・・・」
明日からはこうして逢うことも出来ないんだ。朝練もあるから朝早い電車になっちゃうし、帰りの電車も遅くなるんだ。
「しばらく逢えないけど、毎晩9時に電話するよ。大丈夫かな?」
「私は大丈夫ですけど、先輩の方が大変じゃないですか?」
彼女はちょっと淋しそうな表情をしたが、毎晩電話することを逆に心配してくれた。

しばらくして、一人の女性客が入って来た。
「いらっしゃい。 あら? 真由美さん久しぶりねぇ。」
えっ!? その声に驚いた僕が入口を見ると、間違いなく真由美先輩だった。
真由美先輩は、僕達から離れた席に座ったので、僕には気が付かなかったようだ。
僕と真由美先輩は1年前に終わっている。だから僕は悪いことをしている訳じゃないんだけど、妙な気持ちになってしまう。

お姉さんと真由美先輩の会話が聞こえてくる。
「久しぶりねぇ。元気だったの? 今はOLしてるんだっけ・・・」
「ねぇ、紫原君はたまには来るの?」
「えっ!」お姉さんが狼狽した・・・
一番驚いたのは、当然ながら僕だ!
そして、その言葉は明美ちゃんの耳にも入っていた・・・

Girl's Side 5

ふぅぅぅ・・・ 今日は大変な一日だったなぁ。
テストなのに、みんな恋愛にはそれ以上に興味があるみたいね。
紫原先輩との事を色々聞かれちゃったけど、今日も逢うことは誰にも言ってないんだ。そろそろ帰らなくちゃ・・・ 「貴子、帰ろう〜!」

電車の中で貴子も色々聞いてくる。
でもねぇ、昨日告白されたばっかりだから、まだ先輩の事あまり知らないんだよ。
これから、もっともっと先輩の事知りたいなぁ・・・
そんな時に、向こうから2年の女子が数人やって来たの。
「ねぇ、あなた紫原君と付き合ってるの?」
「一体、いつから付き合ってるの? 紫原君が告白したの?」
えっ、何! 何? ちょっと待ってよぉ・・・ 
友達にも上手く答えられないのに、先輩達に囲まれちゃったら、怖くて何も言えないよぉ。
「あのぉ・・・」 貴子が何か言おうとしたら、あなたには聞いていないわよって・・・ 貴子も先輩達に圧倒されちゃってる。
「ねぇ、黙ってないで何か言いなさいよ!」 先輩の一人が、きつい口調で言ってくる。
怖いよぉ・・・ 私、何も悪い事してないのに・・・

「何してるんだ?」
紫原先輩の声だった。
女子の先輩達は、紫原先輩が突然現れたので、慌てて行っちゃった。
「大丈夫?」
先輩の優しい声に私はやっと顔を上げることが出来たの。
貴子が、今までの事情を先輩に話し始めた。貴子も怖かったんだね。一生懸命先輩に訴えてくれる。
「貴子、いいの。 もう・・・大丈夫です。先輩が来てくれたから・・・ 先輩が悪い訳じゃないから・・・」
私は、そう言った途端に涙が溢れちゃった。先輩が目の前にいるだけで、こんなに安心できるんだね。

貴子が気を遣って、先輩と二人にしてくれようとしたけど、先輩が引き留めたんだ。
二人で話しもしたいけど、貴子がいた方が安心もするし、ちょっと複雑。
貴子は照れながら先輩と話ししてる。そうだよね。昨日までは、「あの先輩カッコイイねぇ」なぁんて言ってた人が目の前にいて、お話までしちゃってるんだもん。
でもね、先輩は私の彼氏なんだよ。分かってる? 貴子くん!

駅前で、貴子と別れて先輩と一緒に昨日のお店に行ったの。喫茶店に二日続けて行くなんて始めての事。何か、ちょっと大人になったって感じ?
先輩といると私、大人になれるのかなぁ。これから先も知らないこと経験しちゃうのかなぁ。ファーストキスとか・・・ きゃっ! 恥ずかしい・・・

今日は、自分で注文出来たんだ。ちょっと照れちゃったけど、
「アイミティをお願いします。」って言えたんだ。
きっと、<アイミティ> 一生忘れないだろうね。それと一緒に紫原先輩の笑顔も!

先輩は、明日から部活がまた始まるんだって。
朝練もあるから朝は早い電車だし、帰りも遅くなるんだって。
しばらくは、こんな風に逢えないんだって思うと、淋しくなっちゃった。もっと先輩の事知りたいのにね。
でも、毎晩電話してくれるって言ってくれたの。部活で疲れてるの筈なのに毎晩だよぉ。そんな先輩がもっと好きになっちゃった。

カラ〜ン・・・ お店のドアが開いた音。誰かお客さんが入ってきたみたい。
先輩との話しに夢中で、あまり気にもしなかったんだけど、しばらくして先輩の顔が一瞬変わったの。
あれ? っと思って、様子を見てたら、さっき入って来た女性客とお姉さんの会話の中に紫原先輩の名前が・・・
「今、紫原先輩の事言ってませんでした?」
「えっ? そう? 何だろうねぇ?」
先輩が慌ててる。私が後ろを振り返ると、そこには大人っぽい綺麗な女性がいたんだ。
誰? 先輩の知ってる人なんだ。 あの女性も先輩を知っている・・・
不安な気持ちが湧き上がってくる。

「テニス部の先輩だよ。今年の春卒業した人なんだ。」
先輩が説明してくれたけど、さっき慌ててたよ。どうして?
「綺麗な人ですね。先輩も好きだったとかぁ?」
私、何言ってるんだろう・・・。ちょっと意地悪な事言っちゃった。自己嫌悪・・・。これってジェラシーなんだろうなぁ。
でも、先輩はもっと慌てちゃったみたい。もしかして図星だったの?
「はははっ、俺の彼女は明美ちゃんだろ。」
先輩、笑い方が引きつってるよぉ! なんか怪しいなぁ・・・
あんなに綺麗な人だったら、憧れてても不思議じゃないって思うけど、やっぱり嫌だなぁ。子供っぽい私より、あの女性の方が先輩に似合いそうだもん・・・

先輩は、話題を変えて色々なお話しをしてくれたんだ。あの女性はいつの間にか帰っちゃったみたい。
先輩の過去の事は気になるけど、気にしてもしょうがないよね。今目の前にいる先輩が好きなんだからね。

「今日は、家の近くまで送らせてよ。」
家までは15分くらいの距離だけど、先輩の家とは別方向なの。先輩は遠回りになっちゃうけど送ってくれたんだ。
途中で、私の手が先輩の手とぶつかっちゃって・・・
私は、ビクッとして手を引っ込めちゃったんだけど、その手を先輩が握ってくれたんだ。それからは、手を繋いで歩いたんだよ。
ちょっと恥ずかしかったけど、とっても嬉しかったんだ。それに、好きな人と手を繋いで歩くのは、始めての事だったからドキドキしちゃった。
いつも見慣れた街並みが、違ったように見えちゃうから不思議だよね。

長いようで短い時間だったなぁ。先輩には悪いけど、家がもっと遠かったらって思っちゃった。
そこの角を曲がると、直ぐに私の家・・・
「先輩ありがとう。もうそこが家なんです。」
「そっか・・・ じゃあここで・・・」
私の手を握る先輩の手にちょっと力がこもった。そして、先輩の手が私の手からスッと離れたんだ。
「楽しかったよ。今度はいつ送れるか分からないけど・・・ 今夜電話するよ。じゃあ、勉強頑張ってね。」
手が離れた時って淋しいね。ずっと繋いでいたかったのになぁ。
先輩は、私が角を曲がるまで見送ってくれた。今度は私が駅まで先輩を送りたくなっちゃった。そしたら、お互い帰れなくなっちゃうんだけどね・・・

部屋に飛び込んで、自分で自分の手を握ってみる。先輩の手はもっと大きくて、硬かったなぁ・・・ なぁんて思い出しながらね。


Boy's Side 6

びっくりしたぁ・・・
真由美先輩が来たのもビックリだけど、まさか僕の名前が出てくるなんて。
明美ちゃんにも気付かれちゃったみたいだ。
「綺麗な人ですね。先輩も好きだったとかぁ?」
返事に困っちゃったよ。正直に付き合ってたとは言えなくてゴメンね。
でも、騙すつもりは無いんだよ。明美ちゃんを不安にさせたくないだけ・・・
「はははっ、俺の彼女は明美ちゃんだろ。」
こう言うのが、精一杯だった。でも、本心だからね!

お姉さんが真由美先輩に何か伝えてる。きっと僕と明美ちゃんの事だね。ほら、真由美先輩がこっちをチラッと見た。
しばらくして、真由美先輩は店から出ていった。
その後ろ姿が淋しそうだったのは、何故?

それから僕は、明美ちゃんと一時間くらいお喋りして席を立った。会計の時にお姉さんが、真由美先輩からの伝言を伝えてくれた。
「彼女出来たんだね。彼女をしっかり守ってあげるんだぞ!」
その言葉を聞いた時、僕は1年前の先輩の気持ちが分かったような気がした・・・

今日は、明美ちゃんの家の近くまで送るつもりでいたんだ。少しでも長く一緒にいたいからね。
途中で彼女の手と僕の手がぶつかった時、彼女はビクッとして手を引っ込めちゃったんだけど、僕は思い切って彼女の手を握っちゃった。そして、そのまま手を繋いで歩いたんだ。
彼女の手は小さくて柔らかかった。ちょっと力を入れると壊れてしまいそうなくらい・・・
並んで歩く彼女の横顔は、少女っぽさの中にも時折見せる女性を意識させる表情が魅力的だった。

あっという間に彼女の家の近くまで着いちゃった。
握っていた手を離すのは淋しかったよ。いつまでも彼女を僕の手で繋ぎ止めていたかった。
そんな思いを込めて、手にちょっと力を入れてから離すと、彼女の手はスッと離れていったんだ。
今夜また電話する約束をして彼女を見送った。さっきまで繋がっていた彼女が遠ざかっていく後ろ姿が、とても愛おしかった。

彼女の姿が消えてからも、僕はその場に立ちつくしていた。ふと我に返り、さっきまで二人で歩いて来た道程を一人で引き返す。所々で彼女との会話や、笑顔を思い浮かべながらね。

しばらく歩いていると、1台の赤い車が近づいてきて僕の脇に止まった。
「紫原君。乗っていかない。」
えっ!? 車の運転席を覗き込むと、そこには真由美先輩の姿があった。
「ほら、早く乗って。」
僕は、言われるがままに助手席に乗り込んだ。
この事態が呑み込めない僕に、先輩は車を発進させると話しかけてきた。
「さっきはどうも。あの子が新しい彼女なんだね。あれから彼女いないって話し聞いてたから、責任感じてたんだぞ!」
「あの・・・ 車の免許取ったんですね。」
「そうよ。紫原君も早く取れると良いね。でも、2月生まれだから卒業してからだね。」
先輩は、僕の誕生日をまだ憶えていてくれたんだね。僕だって忘れてないけど・・・
車って速いね。すぐに僕の家まで着いちゃった。
「彼女と仲良くね! 紫原君の事いつまでも応援してるよ。」
そう言うと、先輩は僕を降ろして走り去ってしまった。
先輩の言葉の意味は、その時の僕には分からなかった・・・

家に帰った僕は、今日一日の目まぐるしい出来事を思い返していた。
明美ちゃんの事が学校でバレて、帰りの電車で彼女の涙を見ることに・・・
彼女の手の感触、そして真由美先輩との再会・・・
明日がテスト最終日なんてのは、すっかり忘れてね。

夜になって、昨日と同じように外に出掛ける。もちろん、明美ちゃんに電話するためにね。
しばらく走り、昨日の電話ボックス迄行って時間調整。9時丁度にダイヤルする。
「もしもし。紫原ですけど・・・」
「はい。明美です・・・」
あれ? 声のトーンが低い。明美ちゃんの様子がおかしいぞ。
「どうしたの?」
「・・・・・」
「明美ちゃん。何かあったの?」
「・・・先輩、さっきの赤い車誰ですか?」
「えっ!?・・・」
「私、見ちゃったんです。あの後、買い物があって出掛けたら、先輩が女の人の車に乗るところを・・・」
驚いた。まさかこんな事って・・・ でも、彼女を裏切るような事はしていない。
僕は、電話口で必死に説明したが、明美ちゃんには上手く通じない・・・
彼女の声は、涙声に変わっていた。
「10分だ、10分後に家の外に出てくれないか。今直ぐ君の所に行くから。」
そう言うと、彼女の返事も待たずに僕は電話を切って走り出した。


Girl's Side 6

さっきまで先輩と手を繋いでいたから、緊張しちゃったのね。ノドがからからになっちゃった。
着替えて台所へ行くとお母さんが慌てた様子で何か探してたの。
「私って、ドジねぇ。お醤油買い忘れちゃったわ。」
「私、買ってきて上げるよ。」
「だって、明美は今試験中でしょ。勉強大丈夫なの?」
「平気!平気!」
私は出掛ける口実が出来たのが、とっても嬉しかったんだ。今だったら、自転車で行けば先輩に追いつけるもん。
「行ってきまーす。」

急いで玄関を出て、自転車に飛び乗っちゃった。先輩の家は知らないけど、まだ駅までの道の途中を歩いてるはずだもん。
公園の角を曲がった所で、先輩の後ろ姿が見えたんだ。遠くから呼ぶのは恥ずかしいから、先輩の近くまで行こうっと。
あれ? 一台の赤い車が私を追い越して先輩の脇で止まったよ。身を乗り出して、何か先輩と話してる。
髪の長い女の人だ。 えっ?あの人は、さっき喫茶店にいた人?
あっ、先輩が車に乗っちゃう・・・・・

何? どうして?
私には、何が起きたのか全然分からないよぉ。
さっきまで私の手を握って隣で微笑んでいた先輩が、違う女性の車に乗って行っちゃうなんて。悲しくて、涙が止まらない・・・

家に帰るまで、いろいろ考えたけど、やっぱり分からない。
泣きながら家に入ると、お母さんが心配するといけないから、涙を拭いてから入ったの。
「お帰り・・・ あれ? 明美どうしたの?」
お母さんには、直ぐに泣いてたのがバレちゃった。
「うん。ちょっと転んじゃって・・・でも、大丈夫だから・・・」
そう言って部屋に戻ってから、また泣いちゃった。

人を好きになるって苦しい・・・
昨日までは、先輩が誰と一緒にいたって気にもしなかったのに。
私、先輩の事を何も知らないんだ。これから、いっぱい知りたいけど、こんな悲しい思いもするの?
先輩が他の女の人と一緒にいるのは、もう見たくない・・・

もうすぐ、先輩からの電話が来る時間。
私は、全然気持ちの整理なんかつかなかった。何を話していいのかなんてわからないよ・・・
電話のベルが鳴る。
「もしもし・・・」
いつもと変わらない先輩の声が聞こえる。
私は、何も言えなかった。
「どうしたの? 明美ちゃん。何かあったの?」
その瞬間、涙がまた溢れてきて思っていたことを全部ぶつけたの。
「先輩、さっきの赤い車誰ですか? 私、見ちゃったんです。あの後、買い物があって出掛けたら、先輩が女の人の車に乗るところを・・・」
先輩は、一生懸命説明してたけど、そんな事言われたって分かんないよ・・・
その時、
「10分だ、10分後に家の外に出てくれないか。今直ぐ君の所に行くから。」
って先輩が言ったの。
えっ!?って思った時には、電話はもう切れていたんだ。

先輩が来るの? 今から? 走って来るの?
どうしよう・・・ どうすればいいの・・・
時間だけが過ぎて行く。
先輩が来ちゃう。でも、先輩が分からない。でも、逢いたい・・・

「お母さん、貴子に明日のテストのノート借りたままだったから困ってるみたいなの。今から返しに行ってくるね。すぐ帰るから。」
私はお母さんに嘘を付いて、家の外に飛び出して行った。
角を曲がり駅の方に向かって行くと、向こうからトレーニングウェア姿の人が走ってくるのが見えた。
だんだん近づいてくるその姿は、紫原先輩だった。

「ハァハァハァ・・・ 明美ちゃん。出て来てくれたんだね。」
両肩を上下させ、息を切らしながら先輩は言ったの。きっと私の所までずっと走り続けて来てくれたんだね。
近くの公園に行き、先輩はあの女性の事を説明してくれた。
ベンチに座り、まだ呼吸が整っていない先輩の横顔を見ながら聞いていたの。
先輩の顎から、汗が滴り落ちるのを見ていたら、私のために一生懸命な先輩を信じようって思ったんだ。
「ゴメンね。変な勘違いさせちゃって・・・」
「私の方こそ、ごめんなさい。先輩を信じなくて・・・。私、先輩の彼女なんですよね?」
「そうだよ。俺が好きなのは、明美ちゃんだよ。」
私、また泣いちゃった。今度のは嬉し涙だったけど。

「もう泣かないで・・・」
そう言うと、先輩の指が私の頬の涙を拭ってくれた。
先輩の指が頬から顎に優しく動き、私の顔は軽く持ち上げられ、下から先輩の顔を見上げている。
先輩の顔が近づいて来て、唇が「す・き・だ・よ」と動いたの。
私が瞳を閉じると同時に、先輩の唇と私の唇が重なった・・・

ファーストキスはレモンの味がするって誰かが言ってたなぁ。
そんなのは嘘! 先輩の汗の香りだったよ。
それも、私のために流してくれた汗。
先輩の香りは一生忘れない・・・


Boy's Side 7

受話器の向こうで、彼女は泣いていた。
僕は、今直ぐに彼女を抱きしめたくって、走り出していた。
10分?どっからそんな数字が出たなんて考えてない。でも、全力で走るだけだ。

彼女の家は、今日の昼間に送っていたから憶えている。駅前の道を抜けて、彼女の家を目指す。
もし、彼女が家から出てこなかったら?・・・ その時は、その時で考えよう。
彼女に何て言う?・・・ 本当の事を話すさ。
分かってくれなかったら?・・・ 分かってもらうまで話す。
自問自答を繰り返しながら走る。いつものロードワークとは全く違うハイペースなので、全身から汗が噴き出してくる。

もうすぐ彼女の家だな・・・
その時、道路に人影が立っているのが見えた。近づいていくと明美ちゃんだった。
流石に、ここまで走り通しだったので、息が切れて上手く話せない。ちょっと手前に公園があったので、そこまで移動してベンチに座って話すことにしたんだ。
真由美先輩との過去には触れなかったけど、今日偶然逢っだけって事をね。

明美ちゃんも落ち着いてきたようで、僕の言うことを分かってくれたみたい。
「ゴメンね。変な勘違いさせちゃって・・・」
「私の方こそ、ごめんなさい。先輩を信じなくて・・・。私、先輩の彼女なんですよね?」
恥ずかしそうに、そう彼女は言ったんだ。
「そうだよ。俺が好きなのは、明美ちゃんだよ。」
僕は、堂々と彼女にそう宣言したよ。

彼女の瞳から、涙が流れ落ちる。
「もう泣かないで・・・」
そう言うと、僕は彼女の頬の涙を拭ったんだ。
彼女の頬に触れ、愛おしさと涙の温もりが伝わってくる。
僕は彼女の顎を持ち上げ、彼女を見つめていた。
「す・き・だ・よ」
そう呟いて、僕の唇を彼女の唇に重ねた。

彼女の体は、微かに震えていた・・・・・


あの日に帰りたい 第1章 完