盤州干潟への案内


                               

この堤防の突き当たりが川と海の境である。右に曲がるとクリークの入り口である。 道無き道を歩くといたるところ水溜りがある。まるで人をさえぎるようである。 1kmも歩くとついに完全な盤州干潟が現れる。これは誰が見ても海である。

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          子供の頃から当たり前のように 干潟が存在し 庭の延長で 遊び場であり 探検の場であった。
         干潟を 守ろうという 心は 誰しも持っている。太古の昔より、小櫃川が 運んでくれた砂で できて
         いる。私の家も いわば三角州の上に建っているようなものです。
         ただ クリークと干潟 どちらも 自然派にとっては 必要ですが 区別を願いたい。クリークは海の中
         の丘で、干潟は完全たる海です。たまたま 潮の満ち引きで 干潮時はクリークと干潟が 区別をつ
         けられないような 場面がある。ただ どちらも この東京湾で唯一残された文明の手がつけられな
         い貴重なものです。

ちょうど 小櫃川と東京湾の境が クリークを形成し、川のような海があったり ぬかるみで人を寄せ付けないようなところでもある。その昔松を植林した場所がそのまた向こう側に存在し、私どもが子供の頃は そこに到着するのが不可能に思えたころもある。しかしそこは 春にはひばりが巣を作り、秋にはハツタケが一杯とれる 冒険心をくすぐる魅力的な場所であった。がき大将を先頭にいろいろな方法でそこにたどり着くことを検討し、チャレンジしたものです。そのうち浸透実験湖を千葉県が始め、クリークに重機や、工事の人々が入りこんだ。ボーリングの穴や、コンクリートの水路、そして巨大な、池が出現。葦ガ原が大きく変わった。そして 実験が終わり、たぶん小櫃川の河口堰の目的だったと推測されるのだが、実用は困難との結論だったのでしょう。そのまま構造物は自然に溶け込むように放置された。我々子供達にとってはこれ幸におおきな支川は残されたトロッコのレールで簡単に渡れるようになり松林が簡単に行けるようになったり、ラッキーであった。池は2重構造で橋が架けられていたが橋は惜しむらく、木製ですぐに壊れ 中心部へは人も獣もたどりつくことができなくなり 野鳥の楽園と化してしまって、いまではいたるところ鵜の巣で埋め尽くされてしまっている。この鵜は東京湾の魚を食べ尽くすかのごとく増加を繰り返している。人を再び寄せ付けないようになり、こんどは不法投棄が始まった。『あんでんかんでん』捨てていく人があとを立たなくなった。しかしまた川がとうりをせき止めたり、葦が繁殖し、車を寄せ付けなくなった今では粗大なゴミをすてることもできなくなった。いまひっそりとタコ漁の為のカニを採る人を見る程度であった。今「あった」と過去形を使ったのは理由がある。自然を守ろうと云う人々、野鳥を守ろうと主張する人々が数多く入りこんでいる。私達漁師が捕まえようとするカニの巣を無残にも無神経に踏み潰し、一歩踏み出すとアサリの稚貝が一体幾つ死んでしまうのか彼らに理解できるのだろうか。彼らの役割は己の住んでいる場所で東京湾に流れ出す排水、ゴミを極力慎むのが自然を守ろうということなのではないのかな。我々は必死に海を守っているのだが