古代の捕鯨がどのように発達し、どのように広がっていったのかは定かでありません。
しかし、産業として、いわゆる商業捕鯨として初めてクジラを狩り出したのは、スペインとフランスとの国境にまたがるピレネー山脈西部に暮らすバスク人達でありました。
当時、バスク地方の目前に広がるビスケー湾には、多数のセミクジラが姿を現していました。
バスク人たちはすでに9世紀頃からこのクジラを追い求めて海へと船を漕ぎ出していたといわれています。
道具や技術の発達とともに捕獲数も増加し、12世紀頃には捕鯨はバスク人の生活に欠かせない産業となりました。沿岸には専門の取引所がつくられ、鯨肉や鯨油、鯨ヒゲなどが取り引きされ、スペインやフランス各地の市場へと送られていきました。
やがてビスケー湾の捕鯨も乱獲のために衰退し、15世紀頃になると、バスク人たちはより大型の帆船に乗り込み、ポルトガルやイギリスの沖合いまで進出すようになっていきました。バスク人の捕鯨は16世紀末に終焉を迎えますが、セミクジラの捕鯨は、ほかの国々によって20世紀になるまで続けられました。
17世紀に入ると、ヨーロッパ捕鯨の主役はイギリスやオランダの国々となり、その対象も北極海沿岸のホッキョククジラに移っていきました。こうした捕鯨船には銛(もり)打ちや解体人としてバスク人たちが乗り込んでおり、彼らのノウハウが継承されていったのでした。
当時、鯨ヒゲはきわめて高価な素材として取り引きされ、さらに鯨油などの価値も加わり、捕鯨は莫大な利益を生み出しました。ホッキョククジラ一頭を獲れば一回の航海の費用が賄えたといわれるが、このホッキョククジラを1シーズンに75頭も捕獲した船があったとの記録もあります。オランダ捕鯨の最前線基地となった北極海のスピッツベルゲン島(スバールバル諸島)には、最盛期には一万数千もの人が留まり、クジラ産業に従事していたといいます。
こうした北極海の捕鯨も、18世紀をピークに、やがて衰退の一途をたどるようになります。その理由はいうまでもありません、ホッキョククジラの減少でした。
ヨーロッパで捕鯨の対象となったセミクジラ、ホッキョククジラは、ともに同じセミクジラ科の仲間である。この二つのクジラが捕鯨の対象になったのは沿岸に多く姿を現すためばかりでなく、それなりの理由がありました。泳ぎが遅いうえ、脂皮が厚いために死んでも海面に浮かぶなど、技術が未熟な初期の捕鯨には、うってつけのクジラだったのでした。
こうしてセミクジラとホッキョククジラは激減してしまい、次の時代の近代捕鯨では対象にすらされませんでした。セミクジラは1937年から全世界で捕鯨禁止となっています。ヨーロッパ近海のセミクジラはほぼ絶滅状態であり、いまだ復活の兆しはみられないようです。
(河出書房新社「クジラの謎 イルカの秘密」より)・・・・・続く
捕鯨はどの国から始まったか