旅のエピソード
スリ(強盗)
横にいる男に膝を叩かれた セネガル
セネガル ダカールでは、旅仲間3人と街(独立広場近辺の中心地)を散策中、少しみんなより前を一人で歩いていると、現地人3人に回りを囲まれスリにあいかけた。実際の手口を説明すると、私の両サイドを2人が挟み込み、背後に残りの一人が回りこみ、周囲から見えないようにする。そこで、私の膝を左にいる仲間の一人が叩き、注意をそちらに払っているうちに残りの二人がスリを働くというものである。周囲からは何が起きているのかは解らないみたいで、実際に後ろにいた仲間は何が起きたかは理解していなかった。この時は、叩かれた瞬間にポケットを押さえ前に逃げたので何ら被害は無かったが、被害に遭っている人も多数いると聞く。
ポリスチェック? トーゴ
これは私本人ではなくツアー仲間があったものだ。トーゴ ロメでアフリカ縦断エクスペディションはコースの入れ替わりがあり、日本に帰国する者を見送りに行った。その帰り、タクシーで私達が滞在しているキャンプ場に戻る時、ポリスチェックにあい、被害にあった。パスポートをチェックする警察官は、持っていない同行者に対し、ショットガンを抱えながら賄賂を要求してきたというものだ。(ゲルバでは、パスポートは一括管理している)
警察との闘い
悪徳警察 キルギスタン
ウズベキスタン タシケントからキルギスタン ビシケクへの国際バスに乗っているとき、キルギスに入国し、町の名前は忘れてしまったが、その町で休憩している時、警察官がやってきて荷物を持って詰め所に来いと言う。そこに待っていたのは4人の悪徳警察官だった。麻薬密輸のチェックだといいボディチェックをはじめ、貴重品袋、財布からすべての現金を抜きだしチェックしつつ、抜き取っていく。4人も相手がいるとなかなかその抜き取っている瞬間というものは確認できないが、すべての現金の種別事の枚数はチェックしていたので抜き取られている事実を発見できた。しかし、ここからがまた、大変だった。約200ドル程が抜き取られていた。200ドルをとり返す為に、非常に激高していた私は大阪弁まるだしでまくし立て、何とか取り戻す事が出来た。運は良かった。彼らが懐にしまう前に気づき机に隠している間に処理できた事と、私以外の外国人が入室してきて、その場の雰囲気を察したため、彼らもそれ以上のことはしなかった。もし他の外国人が来ていなかったら逮捕・監禁という事態も考えられる。実際にこの国では珍しいことではないみたいだ。その時も賄賂を払うと出所できると言う。ソビエト崩壊で治安悪化が進んでいる。このトラブルのあとビシケクのバスターミナルで再び警察官が待ち構えていた。この悪名高いバスターミナルは旅行者のなかでは有名で国際バスが着くとすぐ警察官が来て、外国人を見つけると、詰め所に引っ張り込み前記のようなことをする。ここでは、本文WORLD TRAVEL シルクロードの中で記述しているように、バス車中で知り合ったドイツ領事館職員と知り合い、警察官の尋問に対し、政治を持ちだし難を逃れた。彼らはまず、職業を尋ねてくるので、「政府で働いている。領事が今、迎えに向かっている。何か問題があるのか領事に相談してみたらどうか」こう言うと、すぐに謝り解放してくれた。
街中警察だらけ カザフスタン
カザフスタン アルマトイも警察官が多い街だった。街を歩いているとすぐに寄ってきてパスポートを見せろと言う。実際には持っていたが、ホテルに置いてあるから、ホテルに行こうとするとそれ以上のことは求めてこなかった。パスポートチェック及びヴィザの確認がメインである。ヴィザ未取得のため拘留された報告もある。CISルールは末端の警察官には浸透していないためトラブルは後を絶たない。カザフスタンでも外国人旅行者を狙った警察官の犯罪は噂には聞いている。
チケット購入は警察官の手から ウズベキスタン
ウズベキスタン タシケントのバスターミナルで外国人がチケットを購入するには、何故か、ターミナル2階にある事務所を訪れ,警察官を通してしかチケットを買えない。窓口で購入しようとすると係官が2階にある警察詰所を訪れ許可を求めてこないと売れないと言う。仕方なく詰所に行き、チケットを購入したい旨を告げると、何故か彼が購入窓口までついてきて手続きが進む。しかし、1ドル相当分の手数料がとられてしまう。
出入国でのトラブル
EU同士でスタンプが何故いるの? スペイン
1997年アフリカ縦断でのトラブル。イギリス領ジブラルダルからスペインへの入国が拒否された。植民地返還を要求するスペインはEU加盟国以外の人間がこの国境を通過するには、イギリスの出国スタンプが必要だと言ってきた。イギリスにはそんなものは無く、両国大使館を巻きこみ8時間かけ、イギリス側の譲歩によりジブラルダルの入国スタンプをもらい何とか通過することができた。
名前ぐらいしっかり読めよ モーリタニア
モロッコとモーリタニアには正式な国境は開かれていないがコンボイで両国を通過できる。私達もコンボイで通過したが、モーリタニア入国でのトラブルは笑えるものだった。コンボイ参加者の総人数をチェックしている係官が私達兄弟の判読が出来ず1人としてしか数えられず、人数があわないと言い出した。結局は通過できたが何ともとぼけた話だ。
脳髄膜炎?どんな病気なの? ブルキナファソ
ブルキナファソ入国でもトラブルが発生した。西アフリカでは、入国に関してイエローカード(黄熱病)の携帯が必要になっていっる。入国後のポリスチェックでそのチェックがあった。当然私達は全員持っていたので問題はないはずだが、ここから悪質な尋問が始まった。サッカーのアフリカン・カップ開催間近だというので、外国から病気を持ち込ませないためという理由で様々な書類の提出を求めてきた。しかし、ゲルバ社は、よく対応し、処理していけた。そして、最後に「脳髄膜炎の予防接種をしているのか?」ときた。幸いなことにツアー参加者の中に接種者がおり、残りの者は後で接種するということで何とか通過できた。
札束を投げ飛ばし走り去る地元車 ナイジェリア
ナイジェリアでの出入国にも時間がかかった。ゲルバからは「英語を理解できないようにふるまえ」という指示が出された。英語を理解できると何かしらリクエストされるみたいだ。実際にこの国では、国境付近では地元の車が札束を投げ飛ばし通過していく様を幾度となく目撃した。カメルーンへの国境近くでブッシュキャンプの翌日、出発しようと幹線道路に出て行った私達を待っていたのは警察だった。おそらく前日から目を付けていたのだろう。長時間にわたる尋問がなされたがなんとか通過することができた。
荷物満載の貿易商バス イラン~トルクメニスタン
イラン マシュハドからトルクメニスタン アシカバードへのバスはロンリープラネットでは運行されていないことになっていたが、マシュハドのバスターミナルに行ってみると運行はされているみたいだ。しかし、運航日などははっきりしなかった。私の場合も1日遅れで、しかもバスターミナルからではなく郊外にあるホテルで待機し、何とか貿易商チャーター便に乗ることができた。このバスはすさまじく前列2列のみ客席を残し後はすべてイランからの輸入品で占められていた。衣料品・食料品などが比較的豊富にあるイランからトルクメニスタンを経由しウズベキスタンへ運ぶものだった。また、トルクメニスタンのヴィザは経由地が記入されるのでルート選択が難しい。マシュハドからアシカバード、マリブへのがバスあるが、トルクメニスタン入出国では、その経由地が問題にされる。入国がその経由地でないと当然入国できない。また、出国の場合はアシカバードにある外務省に行き経由地変更の手続きを取らなければならない。ウズベキスタンへの移動はチャルジョーから国際列車、バスまたは乗合タクシーでの移動になる。
CISルールが通用しない ウズベキスタン
ウズベキスタン入国も苦労した。ウズベキスタンヴィザの取得が出来なかった私は、CISルールでの入国をしようとした。CISルールというのは旧ソビエトを母体とする独立国家共同体では第三国に向かうために自国を通過するだけならば72時間に限りヴィザなしで通過できる協定であり、中央アジア諸国ではトルクメニスタンを除く4カ国は加盟している。キルギルスタンヴィザを取得していた私はキルギスへのトランジットとしてCISルールでの通過をはかった。しかし、係官は、ヴィザが無いと入国できないと言う。CISルールを持ち出すと、乗合タクシーでは行けないとケチをつけてくる。それならば、ブハラまで乗合タクシーで行き、飛行機で飛べば良いだろうと言っても無駄だった。結局、賄賂を欲しているだけに過ぎないのだが・・・。アシガバードから一緒になった韓国人留学生達と相談し、マネーコミュニュケーションをとることになった。後々のためにはしたくはなかったが仕方がなかった。10US$で態度は急変した。「君はキルギスのヴィザを持ってるので72時間は、我が国を通過できる。何かあったら私に連絡してくれ。」と言い、笑顔で握手を求めてくる始末だ。
これが本来のポリスチェック ボリビア~パラグアイ
ボリビア サンタクルスからパラグアイ アスンシオンへの国際バスもポリスチェックの非常に多い路線だった。この両国は過去に戦争をしている事もある。また、緩衝地帯が非常に広いこと、ボリビアのコカイン密輸対策もあり致し方ない。そして、このチェックは決して悪質なものではなかった。係官も事務的に乗車名簿とパスポート人物のチェックを行っていた。荷物のチェックにしても密輸品とコカインのチェックで何らあやしい行動は見とれなかった。
出国スタンプをもらわずに次の国に入国 ブラジル~アルゼンチン
イグアスの滝周辺3カ国(パラグアイ・ブラジル・アルゼンチン)は往来が自由である。しかし、そのまま旅を続ける者は出入国管理が不可欠になる。パラグアイ出入国管理事務所はパラナ川「友情の橋」にあり何ら問題はない。ブラジルは、パラナ川「友情の橋」ととイグアス川にかかる橋にあり、前者は問題ないが、後者については、バスは停車しないので、パラグアイからブラジル経由アルゼンチンを目指す者にとってはやっかいだ。アルゼンチンはイグアス川にあり問題はない。
病気
予防接種
アフリカ縦断エクスペディション参加のために数種の予防接種を受けた。西アフリカを旅するので、まず黄熱病を必ず接種し、イエローカードを所持しなければならなかった(入国に際してイエローカードの所持を求めてくる国も多い)。黄熱病以外はリクエストされるものはなく、自分自身が必要だと感じたものを接種していった。結局、A型肝炎・狂犬病・破傷風・コレラの4種類の予防接種を受けた。これらはいずれも2回~3回の接種が必要になる(この時はすべて2回接種)。また、接種の間隔(2~3週間)が必要になるので、最初に接種した黄熱病から最後に接種したコレラまでに、約2ヶ月で9回の接種をした。特にA型肝炎・狂犬病・破傷風は同時に接種してもらった。さすがに3種類の予防接種をするとキツイ。
悪夢マラリア マリ
マリ バマコに到着した翌日、街を散策し、昼食にレバノン料理を食べ、キャンプサイトに戻り、プールサイドで涼んでいると、頭が割れるように痛みだした。テントで寝ていると熱も出てきて動けないくらいになっていた。その日の午後、すでに旅仲間一人が病院に担ぎ込まれていた。夕方、更にもう一人が病院に行く時に便乗させてもらった。血液検査の後、点滴がされた。しかし、針は3日間抜かれる事は無かった。その夜は高熱と強烈な下痢に悩まされた。トイレに駈け込み、戻ろうとするともう行きたくなる。というそんな状況が続いた。翌日からは点滴のおかげで熱はひきはじめある程度体力は戻ってきた。3日間入院したが、その間の食事は充実していた。また、キャンプサイトとは異なり,冷房が効いており快適に過ごせた。退院の日、久々のトラックでの移動は体にこたえた。移動中はほとんど横になっていた。また、食事も喉を通らなかった。そんな状況が数日続いた。自力での完治にはかなりの時間がかかってしまった。
高山病 ペルー ボリビア
夜行バスでクスコに着いたが坂道の多いこの町での移動は体にこたえた。標高が約3、400メートルもあり、平地に比べ空気が薄く、体を動かすだけで息切れがする。クスコをはじめティティカカ湖畔のプーノ、ボリビアのラパス、ポトシでも標高が富士山並にあるので次第に慣れてはくるが高山病にはかかった。
交通手段
ヘリコプターで対岸に ヴィクトリアリバー オーストラリア
1991年オーストラリア一周ツーリングでは北部地域をまわっている時、雨季にあたってしまった。その為幹線道路でさえ所々川が増水して氾濫している場所があった。ノーザンテリトリー、ヴィクトリアHWYを走っていると突然大型のトラックがかなりの数停車しているのが見えてきた。しばらく進むと雨水を集めたヴィクトリアリバーが大氾濫していた。そのため通行できなくなったトラック、車が立ち往生していた。幸いなことに川辺りにロードハウスがあり、食料・飲料水はなんとかなった。足止め2日目この地に遊びに来ていたオージーが対岸にヘリで渡してやると言ってきた。朝渡ったイギリス人は150AS$払ったと聞いている。交渉してみると80AS$になり渡してもらうことになった。そのヘリには扉もなく吹きさらしだった荷物を抱え踏ん張りの利かない状態で急旋回されたので恐怖を感じた。
ダートの滑走路 ポカラ ネパール
カトマンドゥからの飛行機は14人乗り小型飛行機だった。ヒマラヤの山々を眺めながら40分間のフライトだった。ポカラに降り立つ寸前に急旋回から滑走路が見えた時愕然とした。滑走路がダートだった。飛行機は強い衝撃の後、ダートの衝撃を伝えている。旅客ターミナルなる立派な建物は無く掘建て小屋があるだけの空港だった。
地元民と共に イスタンブール~デニズリ(列車) トルコ
イスタンブールからパムッカレの観光基点デニズリへは列車を利用した。当初は1等を利用する予定だったが、満席のため2等での利用になった。料金が安いので地元民で車両は一杯になった。トルコでは観光地を除いて英語はあまり通用しないので、彼らとはなかなかコミュニケーションはとれないが、それでいて結構楽しいものだった。トルコ国鉄でもあるこの鉄道は遅れることも珍しいことではなく、この時も夜半に故障のため1時間程停車し、結局2時間遅れでデニズリに着いた。
ジャンピング列車 クスコ~プーノ ペルー
クスコからプーノまではペルー国鉄が運行している。ダイヤ上では10時間かけて走るが遅れることもしばしばある。狭軌の上路盤がきっちりしていないため列車はすごく揺れる。飛び跳ねることもある。列車は1等・2等にクラスが分けられている。昼食は各クラスにより異なり注文を取りにくるので頼むも頼まないも各自次第。
日本食レストラン
赤坂 ケニア ナイロビ
アフリカ縦断エクスペディションで訪れた。コース入れ替えがあり一週間の休養が充てられた。西アフリカでの食料状況は決して良いものではなく、また、キャンプでの食事はシチュー系統がどうしても多くなってしまうので私にはきつかった。そんな中で着いたのがナイロビだった。街中がものであふれ食事に関しても各国の料理が楽しめる。そこで、私達は滞在しているホテルから比較的近い「赤坂」に通った。日本を出てすでに100日を越えていた私達は一度その味を口にしたとたん溜息がでた。やっぱり日本人なんだ痛感した。やや濃い味付けではあるが美味しく感じた。決して安い値段ではないが通ってしまった。ナイロビ滞在最終日にホテルで休んでいると来客があった。赤坂の御主人だった。これからも旅を続ける私達に米を揚げたお菓子を持ってきてくれた。心暖まるお土産だった。
居酒屋「忠治」 オーストラリア メルボルン
日本にある洋風居酒屋的感じだった。肉ジャガを食べながらVBを飲む。アサヒやキリンのビールも置いてあった。しかし、オーストラリアの乾いた空気にはVBが一番だと思うのは私だけだろうか?
よりみち ボリビア サンタクルス
ここで食べたカツカレーはまさしく純粋な日本風カレーだった。添え物として冷奴・漬物がついいてきた。ボリビアに入植した彼らは日本文化をこの地に根付かせている。ジャポニカ米の栽培・豆腐・醤油の醸造などである。
スキヤキ パラグアイ アスンシオン
ホテル内山田に併設するレストラン。日本の定食屋に並ぶメニューがそのままにある。
??? USA ラスベガス
名前は伏せとくがストリップ地区にある豪華ホテル一階にあるレストラン。味付けだけが濃く味のない煮物・重曹臭い天婦羅・ひからびた刺身・ばさばさの米。食べるのに値しない。アメリカ滞在中で一番まずく高い食事代になった。日本からの団体客もたくさん訪れているのであまり味など関係ないんだろう、所詮は一見さんだから。
飲物
乾いた空気にはVB オーストラリア
極度に乾燥しているこの地ではビールがよくあう。数あるビールの中でもビクトリアビター(VB)が私の好みにあった。ロードハウスに辿り着くとまずきんきんに冷えたVBを飲んだ。乾いた体が瞬く間にビールを飲み干していく。モーテルに着きその日の行動を終えると2本3本と立てつづけに飲むことも珍しくなかった。
ビールを求めて モーリタニア ヌアディブ
モーリタニアは厳格なイスラム教国家であり飲酒を禁止している。そのため町には酒屋などは無くアルコール飲料取得に苦労した。市場や商店を探しても見つけられない。アフリカ大陸縦断エクスペディション参加者のクールさんと私はスペイン領事館に入り込みアルコールがゲットできる場所がないかを尋ねた。すると「ホテル マグレブ」でゲットできると言う。私達2人は急ぎ足でホテルに向かった。場所が解らず現地の少年に聞こうとすると恥ずかしがり逃げて行くが何とかホテルに着き冷えたビールにありついた。モロッコ・マラケシュ以来、久々のビールだった。よく冷えたビールをたて続けに飲んだ。
標高3400メートルでの飲酒 ペルー クスコ
クスコは標高が3400メートルもあり空気が薄い。程度の差はあるが皆高山病になる。クスコには、クスケーニャという名前のビールがあり結構旨い。また、ピスコと呼ばれる蒸留酒があり食前酒にピスコサワーとして出されることも多い。しかし、これが結構きつく後でこたえる。マチュピチュへの観光列車アウトバゴンではビールの販売も行われているので、よく団体客が飲んでいる姿を見かけるが標高が高く酔いが早く進むので注意が必要だ。
イラン製コーラ ザムザム
イランではコカコーラ以上に庶民に浸透しているのがザムザムだ。イラン製コーラとも言うべきザムザムはコーラ味とオレンジ味がありそれなりに飲める。コカコーラより少し安い。しかし、イランの街中では飲料水に苦労する事はない。街中にウオタークーラーが用意されており誰でも利用が出来る。
インカコーラ ペルー
その黄色い色が特徴なインカコーラはペルーでは一般的な飲物だ。味については人それぞれだが私は好みではなかった。以前日本にあった(現在も?)みかん水の味をきつく甘くし炭酸をたしたような感じ。このインカコーラもコカコーラに合併されたので、いつの日か日本でも発売される可能性はある。
高山病にはコカ茶で ペルー ボリビア
言わずと知れたコカインの原料にもなるコカの葉。しかし、ペルー・ボリビア両国ではお茶として庶民には親しまれている。高山病に効用があるように言われている。コカの葉をある程度の大きさに切りお茶として飲む。そのまま飲むよりも少量の砂糖を入れたほうが私には美味しく感じられた。コカの葉をそのまましがむのもおつなものだ。
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