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イスタンプール(トルコ)~アンカラ~トラブソン~タブリーズ(イラン)~ イスファン~シラーズ~マシュハド~アシガバード(トルクメニスタン)~ ブハラ(ウズベキスタン)~タシケント~ビシケク(キルギスタン)~ アルマトイ(カザフスタン)~ウルムチ(中国)~西安 |
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関西空港からソウルを経由し、深夜トルコ最大の都市イスタンプールに着いた。この旅はイスタンプールから中国西安までのシルクロードを辿る旅だ。 欧亜の接点として古の時代からビサンチウム、コンスタンティノーブル、イスタンプールと名前を変えながら繁栄を極めた。ボスポラス海峡で隔てられたヨーロピアンサイドには、その繁栄の歴史を生んだ建築物を見ることが出来る。世界一美しいと言われるスルタン・アフメット・ジャミイ(ブルーモスク)、オスマン帝国時代のスルタンの宮殿であったトプカプ宮殿、ピサンチン時代の聖堂のアヤ・ソフィアなどが立ち並ぶ歴史地区はユネスコの世界遺産にも指定されている。 |
トルコ イスタンプール ブルーモスク |
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パムカッレとは「絹の城」を意味する。石灰分を多く含んだ水が山肌を流れ落ち、長い年月をかけ白い鍾乳石の棚を作り出している。そして、この段丘上には、「ヒエラポリス」と呼ばれる古代都市の遺跡がひろがっており、ともに世界遺産に指定されている。 パムカッレからヴィザ取得のため一旦、アンカラに向かった。旧ソビエト諸国のヴィザ取得には手間がかかる。先方からのインビテーションがないと、まず発給されない。しかし、キルギスタンのヴィザ取得にはインビテーションは必要がない。そこで、まずキルギスタン・ツーリストヴィザを取得し、トルクメニスタン、イランのトランジットヴィザと取得することが出来た。 |
パムカッレ |
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アンカラから奇岩が乱立するカッパドキアに向かった。火山活動によって、降り積もった火山灰や溶岩が長い年月をかけ岩となり、さらに風雨により、やわらかい火山灰層が浸食され、硬い溶岩層が残った結果、このような自然景観を作り出している。そして、この地には、この奇岩をくりぬいて住居にしていたのである。特に、キリスト教修道士達が多くの聖堂や修行所を作った。カイマクルにある地下都市は地下8階にもおよぶ。 カッパドキアを後にし、黒海沿海の町トラブソンに向かった。旧ソビエト諸国からの出稼ぎで賑わう町だった。エルズルムを経由し、ドゥバヤジットの国境を越えイランに入国した。 |
カッパドキア |
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町を流れるザーヤンデ川をはじめ、豊かな水と緑に恵まれたイスファンは、イランで最も美しい町だろう。イスファンはかつて、「世界の半分」と言われ、その繁栄を極めた。町の中心イマーム広場は、南北510メートル、東西163メートルの長方形で、その周囲は2層構造の回廊に囲まれている。広場のはしに立つマスジット・イ・シャー(王のモスク)が往時を忍ばせてくれる。 イランにはトランジットヴィザで入国したので5日間しか滞在期間がない。ヴィザの延長手続きを行い、少しの猶予が出来た。 |
イラン イスファン イマーム広場 |
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紀元前6世紀に建国されたアケメネス朝ペルシャは、東はインド、西はエーゲ海、北は中央アジア、南はアフリカにまで領土を拡げていった。その王国の王宮がペルセポリスである。 イランでの食事は辛いものがある。アルコールが禁止されていることもあるが、外食でのメニューの少なささによるところが大きい。昼はサンドウィッチ、夜はカバブという生活が続いた。 |
ペルセポリス |
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城壁都市「アルゲバム」は百数十年前、人がいなくなった。原因については、疫病説などがあるが、真相は未だにわかっていない。 バムからケルマンを訪れた。バザールで有名なこの町は、様々な商店が軒を傘ね人々の活気に満ち溢れていた。ケルマンからイスラム教シーア派の本山であるマシュハドに向かった。イマームレザーに入ることが出来た。しかし、無宗教徒の私が訪れる場所では無いように思えた。遥か長い道のりを歩いてこの聖地を巡礼してくるイスラム教徒に対して、物見遊山でいるのが無礼のように思えた。 |
アルゲバム |
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マシュハドからトルクメニスタンへの国際バスはロンリープラネットでは運行されていないようになっていたが、マシュハドのバスターミナルに行ってみると運行されているようだ。昼過ぎに出発した貿易商チャーターのバスで国境を越えた。トルクメニスタン入国は時間がかかりそうだったが、ウズベキスタン人貿易商が職員に何か言うとすぐ通してくれた。アシガバードには深夜にやっと着いた。その日はすぐ宿をとり、翌朝インツーリストホテルに行き食事をしようとするが、店員はいっこうに動こうともしない。共産時代の影響は彼女らに深く根付いている。 |
トルクメニスタン チャルジョー |
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トルクメニスタン、アシガバードでのウズベキスタン・ヴィザ取得はならなかった。しかし、旧ソビエト諸国間にはCISルールというものがあり、第三国に抜けるために、その国をとおるのであれば、72時間に限りヴィザを持たないでトランジット出来る規定があり、ウズベキスタンはこの規定に加盟している。国境の町チャルジョーから乗り合いタクシーでウズベキスタンへ向かった。しかし、入国には時間がかかった。ヴィザを持っていないために入国は出来ないと言う、CISルールを持ち出すと3日間でキルギスタンまでは行けないと言い出す始末だ。たまたま、一緒になったロシア語が堪能な韓国人の助けで何とか入国することが出来た。シルクロードの重要拠点として繁栄していたブハラは往時の面影が残っている世界遺産の町だ。 |
ウズベキスタン ブハラ |
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ブハラから乗り合いタクシーでサマルカンドに向かった。乗り合いタクシーとは、タクシーに4人の客を乗せ目的地に運ぶ交通手段で、この中央アジアでは一般的だ。鉄道がソビエト崩壊とともに、その機能を果たさなくなり、バスの運行本数が少ないため、有益な方法だ。 サマルカンドの町は、モンゴル帝国に滅ぼされたが、後のチミール帝国により再興された美しい町並みが拡がる。 サマルカンドから乗り合いタクシーで首都タシケントに向かい、タシケントからはキルギスタンの首都ビシケクへの国際バスに乗った。悪名高いビシケクバスターミナルでは、おきまりどおり、警察官が待ちかまえていた。しかし、バス車内で当地のドイツ領事館職員と仲良くなっていたので、「政治」を口にすると態度が急変した。権力で悪態をつく人間は権力には弱い。 |
ウズベキスタン サマルカンド |
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ビシケクからカザフスタン、アルマトイに向かった。首都は移転されたが、実際には、「りんごの町」と称される、アルマトイが中心都市であることには変わりがない。 アルマトイから中国ウルムチまで国際列車が走っている。ソビエトは敵国からの侵入を防ぐために線路のレール幅を変えていた。国境の町ドルジバで車輪を交換し、中国との緩衝地帯へと入っていった。 ウルムチから敦煌を訪れ、西安に向かいシルクロードを辿る旅は終わった。 |
カザフスタン アルマトイ |
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