南米紀行


パタゴニア
ブエノスアイレス~カラファテ~プエルトナタレス(チリ)~プンタアレナス~
ウシュアイア(アルゼンチン)~プエルトナタレス(チリ)~プエルトモン~
バリローチェ(アルゼンチン)~メンドーサ~サンチアゴ(チリ)

ペリトモレノ氷河
イグアスの滝を後にしアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを目指した。ヨーロッパ的な町並みを数日楽しみ、パタゴニアへの道を急いだ。
ブエノスアイレスから36時間バスを乗りリオカジェゴスに、さらに4時間かけてロス・グラシアレス(氷河)国立公園観光基点の町カラファテに着いた。
南緯40度以南のくさび形の地域のことを「パタゴニア」と呼ぶ。マゼランが先住民族をみてパタ(大きな)、ゴン(足)と言ったのが語源になったらしい。「風の大地」と呼ばれるパタゴニアは、西からの湿った風がアンデスにぶつかり、膨大な雪を降らせ氷河を形成している。
ペリトモレノ氷河

ペリトモレノ氷河
ロス・グラシアレスでの最大のハイライトはペリトモレノ氷河であろう。冬の最低気温が比較的高いため、氷の溶解、再氷結が短いサイクルで行われいる。そのため、先端部分では、時折、轟音とともに氷塊が崩れ落ちていくのを見ることが出来る。透明度の高い氷は、青い光だけを反射する。この青い氷の崩落見たさに世界中から多くの観光客が訪れる。
ペリトモレノ氷河

ペリトモレノ氷河
クルーズ船で氷河を見上げるツアーに参加した.クルーズが氷河の断崖に近づくとその大きさに圧倒される。氷河の反対側にある展望台からは、雄大な氷河を見ることが出来る。時のたつのも忘れ崩落していく氷河をじっと見つめていた。
ペリトモレノ氷河

ウプサラ氷河
ペリトモレノ氷河が有名なこの国立公園だが、最大の氷河はウプサラ氷河だ。その長さは60キロにも及ぶ。クルーズ船で行くツアーは午前中、エスタンシア(牧場)を訪れ、BBQに似たアルゼンチン名物料理「アサード」を楽しむ。4WDのトラックでアルヘンティーノ湖に流れ込むウプサラ氷河を目指す。氷河が動くとき岩盤を切り取りモレーン(左の写真)を形成するが、ここでは、それをはっきりと見ることが出来る。
ウプサラ氷河 モレーン

ウプサラ氷河
カラファテの町の名前は、この一帯に黄色い花を咲かせているメギ科の小灌木「カラファテ」に由来している。この町では、6部屋しかない小さな宿に泊まった。昨年末に出来たばかりでまだ木の香りがした。宿の主人は、ツアーの手配・送迎と親切にしてくれた。ある夜、他の宿泊客と一緒にBBQをした。同じ旅人同士いろんな話で盛り上がった。人との出会いも旅の楽しみの一つでもある。
ウプサラ氷河

ウプサラ氷河
カラファテからプエルトナタレスに向かった。
パタゴニアはアルゼンチンとチリの国境が複雑に入り組んでいる。そのためいくどとなく国境を越えなくてはならない。チリに入国する時は、植物、食物の持ち込みが禁止されているため荷物検査があるが、簡単に入国することが出来た。町に着くとすぐ宿を探す。ロンリープラネットに載っている安宿に宿をとった、部屋で少しくつろいだ後、ロビーに出てみるとバスで見た顔がそこにはあった。皆泊まる宿は同じだ。
ウプサラ氷河

グアナゴ
南米には独自の動物が生息している。グアナゴもそれらのひとつである。ラクダ科でアンデスに生息しているリャマやアルバカの仲間にあたる。
インカの神として崇められているコンドルは、アンデス山中では、ほとんど見ることが出来なかった。しかし、パタゴニアで多く見ることが出来た。
グアナゴ

パイネ グレー湖
プエルトナタレスからパイネ国立公園へのトレッキングを予定していたが、あいにく天気が悪く、一日だけのツアーに参加した。パイネの象徴とも言うべき三本の岩峰「トーレス・デル・パイネ」も曇り空で見ることが出来なかった。しかし、氷山の浮かぶグレイ湖は素晴らしいものだった。
プエルトナタレスからさらにプンタアレナスを目指した。
パイネ グレイ湖

マゼラン海峡
1500年代大航海時代、大西洋と太平洋とをつなぐ海峡の発見はその後の世界を変えたと言ってもいいだろう。この海峡の発見により大型船の往来も始まり、スペインによる南米諸国の植民地政策がなされ、インカ文明など多くの文明が破壊されていった。
マゼラン海峡に面したプンタアレナスはスペイン語で「岬の先」を意味するように大陸先端部にあたる。しかし、海の向こうには「ティエラ・デル・フェゴ(火の国)」と呼ばれるフェゴ島がある。30分ほど波に揺られながらマゼラン海峡をフェリーで越えた。
マゼラン海峡

ウシュアイア 標識
フェゴ島世界最南端の町ウシュアイアに着いた。しかし何の感激もない。南米の旅では最終目的地がはっきりとしないのが原因かもしれない。大陸最南端はプンタアレナスであり、ウシュアイアはさらに南極へつながる島の一つにしかすぎない。いつの日か南極へ・・・。
南緯55度の世界では4月下旬はもう冬だ。季節はずれのためツアーも施行されていない。フェゴ島は僻地産業振興のため無税なので、物価の高いアルゼンチンにあって長期滞在者が多い町になっている。
ウシュアイア


ビーグル水道の遊覧クルーズに乗った。太平洋と大西洋をつなぐこの水路は、狭いところで幅1キロしかない。そのためか、海流が速いように感じた。「ロス・ロポス島」というアザラシのコロニー・「ロス・パハロス」というウミウのコロニーを訪れ、太陽エネルギーで発電している「エクレール灯台」(左の写真)を周遊するものだった。
今回旅するにあたって、米$のT/Cをメインに持ってきたが、ここで一苦労することになってしまった。イースターにかちあったため、4連休で、銀行や両替商が休業になってしまい、現金化出来なかった。しかし、アルゼンチンでは、アルゼンチン・ペソと米$が1:1で固定されており、米$キャッシュがそのまま使え、予備として持っていた米$キャッシュを使い事なきを得た。
エクレルール灯台

フェゴ島公園
ティエラ・デル・フェゴ国立公園には鉄道が走っている。鉄道といっても旅客用ではなく観光用、そして、ナローゲージではあるが、立派な世界最南端の鉄道だ。
ウシュアイアの町は夜になると、昼間以上に賑やかになる。カジノの明るいイルミネーションと免税店を訪れる車と人の列が絶え間なく続いていた。
ティエラ・デル・フェゴ公園

マゼラン像
ウシュアイアから再びプンタアレナスに戻った。
この一帯は魚介類が豊富にとれる。そこで、シーフードレストランにくり出し牡蠣料理を楽しんだ。日本のものの倍はあろうかと言うほど大きい、大味だがうまい。
町の中心アルマス広場にマゼラン像が建つ。彼の足下には、この地の先住民族の姿を見ることが出来る。船乗りの間にその足に触れると無事航海を終えるという言い伝えがあり、多くの人に撫でられてかっていた。
今回の目的の一つに、プエルトナタレスからプエルトモンへのフェリーに乗るというものがあった。このフェリーはパタゴニアのチリ側フィーヨルド地形を楽しむのに最適のものだ。
プンタアレナス マゼラン像

チリ フィーヨルド
プエルトナタレスはこの10日間で冬景色になっていた。
夜10時冷たい雨の中乗船が始まった。日本のフェリーとは異なり小さい、ベットにはカーテンもない。この水域は非常に揺れることで有名だ。少し不安はあるが「まあ、大丈夫だろう」とたかをくくっていた。4人部屋でアメリカ人3人と同部屋になった。各自の紹介が終わると夜も遅いので眠りについた。翌朝、目が覚め窓の外を覗くとまだ港に停泊していた。12時間遅れてやっと出港した。この日、朝の海は凪いでいた。フィーヨルドの中を進んでいく。昼過ぎになると船は大きく揺れだし普通には立っていられない。航海中にプエルトエデンという港に停泊した。この地の先住民族カワシモ族11人が暮らす小さな村だ。スペインは文化を破壊するのみならず、民族の血をも絶えさせた。
チリ フィーヨルド

チロエ島
プエルトモンまでは約80時間もかかった。港にきていた客引きの中で人の良さそうなおばさんがやっているホステル(民宿)に宿を決め、町を散策した。久々の都会という感じだ。夜、船で一緒になったフランス人と会い、アンヘルモと呼ばれる漁港に行き、数種類の貝、ソーセージ、ジャガイモなどを煮込んだクラントという料理を食べた。ボリュームも味も申し分なかった。
プエルトモンでは天気に恵まれなかった。富士山に似たオソルノ山や町の北部に広がる湖沼群は堪能出来なかった。滞在した3日間で唯一晴れた日に、プエルトモン沖に浮かぶチロエ島にくり出した。
チロエ島 サンアントニオ要塞

バリローチェ
プエルトモンからアンデスを越え再びアルゼンチンへ入った。美しい森林と湖沼群が広がるこの一帯は「南米のスイス」と呼ばれている。確かに町中もシャレー風のホテルや商店があり、チョコレート屋が目についたり、スイスを意識した町作りにいなっている。
今回の旅に出るまで名前さえも知らない町だったが、旅の途中で会った人たちに薦められきてみた。その風景は期待にそうものだった。湖を見下ろすことが出来る丘にリフトで登ると大パノラマを楽しむことが出来た。バリローチェを含むアルゼンチン最大のナウエル・ウアビ国立公園では、様々なアウトドアスポーツが楽しめ、リゾート客で賑わっていた。
バリローチェ

バリローチェ
今回の旅では、現地発のツアーによく参加した。バリローチェでも、「Circuito Chico」に参加し、湖を見下ろす丘やレークサイド、教会などを訪れた。
第三世界を旅すると大抵価格は交渉になるのが常だが、アルゼンチンとチリに関しては全くそれがなかった。コースにより料金は決められており、誰に対しても同じであった。
バリローチェを後にし、ワインの産地として有名なメンドーサを目指した。19時間かかる長い移動だが、アルゼンチンのバスは乗り心地は非常に良い、その上食事のサービスもある。
今回ほとんどの移動はバスでやったが、アルゼンチンとチリ、パラグアイのバスは非常に良かった、道路の整備状況もあるが、ペルーは悪く、ボリビアは最悪だろう。
バリローチェ

サンチアゴ
メンドーサから再びアンデスを越え、サンチアゴの街へ一気に坂を下っていった。サンチアゴの街はスモッグに霞んでいた。
南米の旅は終わった。思い返せば、7.8年前、戸井十月氏による「南米大陸一周30,000キロ~エル・ドラドの道~」を見て、「行ってみたい」と思ってから長い時間がかかった。戸井氏も泊まったサンタルシアの丘に面した「ホテル フォレスタ」に宿をとった。その後、夜の街へくり出し、一人でこの旅の成功に対し祝杯を上げた
サンチアゴ モネダ宮殿









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