マウントアイザ〜タウンズビル〜ブリスベン〜
シドニー〜キャンベラ〜メルボルン



自動車文化の発達したオーストラリアでは、案内標識も分かりやすくなっている。ノーザンテリトリーでの標識はロードハウスを出るとすぐにある。左の写真の場合だと、次のサービスは260キロ先にあり、警察・モーテル・ガス・食事・キャンプ場・病院・電話のサービスがあることを示している。他の地域では、逆にロードハウスに入る前に必ず立っていた。
マウントアイザを過ぎると今までの荒涼とした景色から緑が増えだした。所々洪水の跡があるが問題なく通ることが出来、東海岸の町タウンズビルに着いた。タウンズビルからブルースハイウェーと名前を変えた1号線を南下していく。南回帰線の町ロックハンプトンを越え、サンシャインコーストと呼ばれる美しい海岸線が続いていた
バークレーハイウェー


クイーンズランド州都ブリスベーンを駆け抜けゴールドコーストを目指した。オーストラリア国内はもちろん、世界中からの観光客でごったがえすゴールドコースト、街は人と車であふれかえっていた。この旅初めての渋滞を経験した。太平洋の荒波を楽しむには、その名のとおりサーファーズパラダイスなのだろうが、砂浜の背後に建つ高層ホテル群を見ていると興ざめてしまう。アウトバックを回ってきた私には、無縁の所だ。雑踏を足早に過ぎ去った。
ゴールドコースト


サーファーズパラダイスから約100キロ南にバイロン岬がある。岬にはオーストラリア最大の灯台が建っている。この岬はオーストラリア大陸最東端にあたる。旅人は最○端という言葉を好む傾向があり、私も、この岬を訪れた。灯台から見える砂浜は美しい曲線を描いて続いていた。
シドニー北部の町ゴスフォードを訪れた。ここには、200年前のシドニーを再現した「オールドシドニータウン」がある。いわばオーストラリア版明治村だ。
バイロンベイ


オーストラリア最大の都市シドニーに着いた。シドニーではノースシドニーと呼ばれる地区のホテルに泊まった。シドニー湾越しにオペラハウスが美しい姿を見せる。デンマーク人建築家ヨルン・ウッツオンにより建設された独創的なオペラハウスはまさしくシドニーのタウンシンボルになった。
シドニーから首都キャンベラに向かった。イギリスからの独立時シドニーとメルボルンとの首都争奪戦の結果として生まれた人口都市で殺風景な街だった。
シドニー オペラハウス


ニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州との州境付近には、エデン、レイクエントランス、90マイルビーチなどの美しい海岸が続く。そんな中で、現地で調達した地図にエクセレント・ビュー・ポイントと示されていたのが、左の写真のウィルソン国立公園だ。オベロン山からのぞむ海岸線は、日本人が好む多島美が拡がり見事だ。
メルボルンを目指し進路を西に向けた。途中、ペンギンで有名なフィリップアイランドを観光し、その翌日にメルボルンに到着した。
オベロン山から ウィルソン


メルボルンは街中にトラムが走り、イギリス情緒が色濃く残っている。サザンクロススポーツにオートバイを返しに行く、走行距離は21,746キロだった。初めての海外旅行でもあり、実際に日本を発つまでは不安ばかりだった。しかし、実際に来てみると何とかなった。この地でも、旅人に対して現地の人は優しく接してくれた。オーストラリア大陸一周ツーリングは終わった。シンガポールを経由し帰国の途についた。
メルボルン









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