韓国 〜世界遺産を訪ねて〜



関西〜プサン〜キョンジュ〜テグ〜
スウォン〜ソウル〜カンファド〜ソウル〜関西




ポモサ
梵魚寺 ポモサ

古の時代から日本との関わりが深く、文化的にも交流が盛んな韓国。その韓国に2001年11月末現在ユネスコ世界文化遺産に七つの地域及び建築物が登録されている。それらの世界遺産を訪ねる旅に出た.
釜山(プサン)近海空港でタラップから降りると肌寒さを感じた。12月の韓国は大阪より寒い。空港からのリムジンバスに乗りプサン市内へと向かった。車窓からは近代的な町並みが広がる。プサン駅近くの安宿にその日の宿を決めると新羅時代に創建されたいう梵魚寺(ポモサ)に向かった。プサン市内には地下鉄が2路線走っており、観光客にとっても利用しやすくなっている。地下鉄ポモサ駅からバスを乗り継ぎ山門前に着いた。国宝に指定されている本堂をはじめ歴史的謙造物が立ち並んでいる。ポモサ拝観後,街の中心地である西面(ソミョン)に向かう。ロッテホテル・百貨店がある賑やかな繁華街だ。ハングル語の看板が無ければ何ら日本と変わらない町並みが広がっている。


プルグクサ
仏国寺 プルグクサ

明けて翌日は古都慶州(キョンジュ)に向かう。プサンからは鉄道もあるがバスの方が便利だ。新しくなったバスターミナルが地下鉄と接続している(注 地球の歩き方などのガイドブックでは以前の高速BTと市外BTに分けられているままのものが掲載されている)。
プサン〜キョンジュ間は頻繁にバスが出ている。バスターミナルを出たバスは高速道路を走り1時間でキョンジュのバスターミナルに着いた。バスを降りるとすぐに日本語を話すタクシー運転手がやってきて「観光しないか」と言ってきた。タクシーを使うつもりなど毛頭ない私は目の前のバス停から市内バスに乗り、世界文化遺産に登録されている仏国寺(プルグクサ)に向かった。30分程でプルグクサ山門に着いた。ここも新羅時代に創建されたものであり、後の文禄・慶長の役(韓国名 壬申倭乱)で焼失したものを再建したものだ。1767年建立された大雄殿には釈迦牟尼仏が安置されている。また、伽藍配置は奈良・薬師寺と同じく双塔式と呼ばれるものである。古代日本との関係の深さを物語る文化財でもある。


ソッグラム
石窟庵 ソッグラム

プルグクサ山門前から再びバスに乗り石窟庵(ソッグラム)を目指した。自然石をドーム型に築いた上に土を被せる事によって、まるで天然の洞窟のように見せかけたものである。
新羅時代に造られたこのソッグラムは、韓国における国宝の中でも最高のものの一つとされているだけではなく世界的名作として1995年に世界文化遺産に登録された。本堂にまつられている如来像は、純白の花崗岩を彫り上げた仏教美術の傑作でもある。残念だがソッグラム内部の撮影は禁止されている。
キョンジュには数多くの宿泊施設がある。普門観光団地(ポムン クァングァン ダンジ)には、ヒルトンに代表される一流ホテルが立ち並んでいる。また、バスターミナル近辺には韓国式モーテルがたくさんある。私もこの日の宿をそのモーテルの一つに決めた。 


チョムサンテ
瞻星台 チョムソンデ

キョンジュの町は四方を山に囲まれ市中は碁盤の目のように整備されており京都と何かしら似通っている。そして、京都と変わらぬ古都でもある。
キョンジュは紀元前57年から935年まで新羅王朝の都として繁栄してきた。市内至るところに古墳や遺跡を見ることができる。市内地区・南山地区・山城地区をはじめとする「キョンジュ歴史地区」が2000年新たに世界文化遺産に登録された。
市の中心部にある大陵苑(テヌンウォン)は、新羅時代の古墳23基が散在している。天に飛びあがっている馬が描かれている天馬図が発見された「天魔塚」が内部が一般に公開されている。
更に進むと大陵苑(テヌンウォン)が見えてくる。高さ約9メートルの塔は天文観測に使われたものだと言う。テヌンウォンに積み上げられてる石の数は旧暦の日数と等しい。
鶏林(ケリム)、雁鴨池(アナプチ)など市内エリアは徒歩で観光できる範囲にある。


ポソッジョン
鮑石亭 ポソッジョン

市内の散策を終え新羅の歴史と仏教精神がとけあっている南山地区へと向かった。新羅で一番美しい離宮とされ、鮑の形をした石の溝に水を流し曲水宴モ催されていた鮑石亭(ポソッジョン)は新羅滅亡の悲話が残る場所でもある。この地で宴会を開いている最中に55代王が殺され、その後の滅亡へとつながった。



海印寺 ヘインサ

早朝キョンジュバスターミナルから大邸(テグ)へのバスに乗った。この日は韓国滞在中で最もハードな日程になった。
テグバスターミナルから海印寺(ヘインサ)に向かうバスが発着する西部市外バスターミナルまで地下鉄で向かう。在韓米軍基地があるテグでは車内放送でも英語が流れておりハングル文字を理解できない私には助かる。
西部市外BTから1時間30分程でヘインサの麓に到着した。ヘインサは802年に創建された。仏教の経典・論書などを総集したもである大蔵経の中でヘインサの所蔵する「高麗八万大蔵経」は現存するものの中では最高峰のものの一つとされている。その経板は13世紀時の高麗が仏教を国教とし、モンゴルの侵入という困難を仏の加護のもとで国を守ろうとして作成した。その数が約8万あると言われ名がつけられている。世界的な文化財として1995年世界文化遺産に登録された。
再びテグの街へ戻り次の目的地である水原(スウォン)を目指す。韓国国鉄の東テグからは列車を利用した。急行であるムグンファ号で約3時間、スウォンに着いた頃には日はどっぷりと暮れていた。


スウォンファソン
水原華城 スウォンファソン

駅前にある旅館街で宿をとったがあまりいいものとは言えなかった。韓国ではホテルのランクが国花であるむくげの花でつけられているが、個人旅行者はこれらのホテルよりは韓国式モーテルや旅人宿を利用する事の方が多い。この手の宿になると連れ込み宿との区別はほとんど無く、昨晩は寝つきが悪くなってしまった。
華城(ファソン)は朝鮮王朝第22代正祖(チョンジョ)が、父荘献世子(チャンホンセジャ)の若い死を弔いスウォン郊外の華山(ファサン)に改葬し、遷都しようとして造られたものだという。周囲5.5q、48ヶ所の建築物は1796年に完成した。写真は建築時の原型がそのまま残り美しい姿を見ることができる華西門(ファソムン)。このファソンは1997年世界文化遺産に登録された。


カンファド支石墓
江華 支石墓 カンファ ドルメン

スウォンからソウルへと向かう。韓国内では米軍統治の影響か車は右側通行になっており、プサン・テグの地下鉄でも同様に右側であったが、国鉄に関しては左側通行になっていた。旧日本軍の影響であろう。ソウルまでは地下鉄1号線が乗り入れているので1時間でソウルに着いた。
2000年に韓国で世界文化遺産に登録されたものは2つあり、一つは先のキョンジュ歴史地区であり、もう一つが江華島(カンファド)にある巨石遺跡群である。ソウル・新村(シンチョン)バスターミナルから1時間40分かけて江華島(カンファド)に向かった。カンファドは日韓関係に深い関わりがある。江華島事件の舞台になった場所であり、その後の不幸な歴史の始まりになった場所でもある。
カンファにある支石墓(ドルメン)は国内最大の規模を持っている。


昌徳宮
昌徳宮 チャンドックン

ソウルでは鐘閣(チョンガク)に宿をとった。王宮を巡るにも明洞(ミョンドン)へも近く観光・買物にうってつけだった。
市内中心部にある昌徳宮(チャンドックン)は朝鮮王朝3代太宗の時代に離宮として創建されたものある。正宮として創建された景福宮(キョンボックン)が壬申倭乱で焼失したため使用されていた。
宮の北側には飛苑(ピウオン)という庭園が広がっている。面積45000u。四季折々異なった趣を見せる。また、小さな楼閣が散在し、彩りに華を添えている。
チャンドックン南側に朝鮮王朝歴代の王と王妃をまつった宗廟(チョンミョ)がある。
これら二つの建築物はそれぞれ1997年・1995年世界文化遺産に登録された。


東大門
東大門 トムデムン

昨今日本では韓国ブームでもあるが、そんななかで中心的になっているのが東大門市場(トンデムンシジャン)でのショッピングであろう。トムデムン付近にあり衣料品卸市場として韓国最大規模を誇り、店舗数は27000を数える。韓国各地からくるバイヤーのために夜に営業開始する店舗もあり、24時間営業も珍しくない。
ソウル駅近く南大門(ナンデムン)近くにもナンデムンシジャンがあり、多くの人で賑わっている。この市場は様々な品物が売られており、各区画毎にその商品が分けられており買物はしやすくなっている。観光客も多数訪れるらしく店先を通りすぎようとすると日本語で呼びとめられることもしばしばあった。


ソウル市内
ソウル市内 明洞 ミョンドン

ソウル繁華街の中核をなすのがミョンドンだ。歩行者天国となっている道路を中心にしてブティックや「STARBUCKS COFFEE」に代表される外資系飲食店も数多く立ち並び、常に若者達で賑わっている。
翌朝新しく作られたインチョン国際空港から帰国の途についた。
個人的に韓国は今まで遠い国に感じていた。地理的には一番近い国であり、大阪からだと2時間の距離しかない。しかし、大陸における風景「地の果て景色」を求めて旅をしてきたことが多く、ショッピングやエステを中心とする韓国旅行はどうしても旅の対象としてとらえてこなかった。そんななか、飛行機会社のマイレージサービス特典で韓国を旅することとなった。普通に旅するには面白味がないので世界遺産に登録されている7ヶ所を巡るというテーマを決めた旅としてみた。実際に旅してみると、やはりと言うべきか日本との繋がりの深さを感じた。天皇誕生日での明仁天皇の発言にもあるように古代大和朝廷時代からの関係を再認識した。また、植民地支配という不幸な歴史をも直視せざるを得ないものとなった。折りしも来年(2002年)はサッカーW杯が両国で共同開催される。日韓両国に新たな歴史が刻みこまれるであろう。







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