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「至急、韓国の道場まで来て下さい。大事な話があるので…」
 そう言われて、久々に母国の地に降り立ったのは、ジョン・
フーンその人であった。
 ジョンは、韓国の英雄と呼ばれるテコンドーの達人、キム・
カッファンと同門だった男。彼の実力もまた、韓国の至宝と呼
ぶに相応しいものであった。
「あのキム君が、あそこまで私に頼み込むとは…。よほど、大
切な理由に違いない…」
 この日の為に、わざわざファンをしている麻宮アテナのライ
ブを蹴ってまで、キムの依頼を優先した。KOFか何かの話だ
ろうか? と、気を引き締めて、ジョンはキムの道場まで向か
っていった。
 だが、道場に着いた途端、ジョンはその緊張が全く無駄な事
であったのを思い知らされるのであった。

「やあやあ、ジョンさん。よく来てくれました。あなたがいる
と非常に助かります」
 キムが快くジョンを迎える。
「やはり、KOFの件ですか? そろそろ、招待状が来ても、
おかしくはないですからね。あの2人の普通よりもさらにゲン
ナリした表情を見れば、容易に想像できる事です」
 ジョンは、キムの弟子のチャンとチョイの沈んだ表情を見て、
そう確信した。
 しかし、キムは直後、意外な事を口走った。
「いや、話というのはKOFではないんですよ」
「何ですって!?」
 キムから話が来る時は大抵、KOF絡みだった為、これには
ジョンも驚かざるを得ない。
「KOFじゃないって、じゃあ何で私を呼び寄せたんです!?」
 ジョンは冷や汗をかいていた。
 本当なら、今頃は麻宮アテナのライブを特等席で、同じファ
ン達と共に盛り上がっている最中だ。
 同門という仲もあり、悩みに悩み抜いてこちらを選んだとい
うのに…。
「実は、ジョンさんにも是非、参加していただこうと思って…」
「参加?」
「はい。缶蹴りです」
「か、缶蹴り!!?」
 ジョンはその瞬間、思考が完全に止まった。
 楽しみにしていたライブも行かず、飛行機に乗って同門の道
場に訪れたと思いきや、いきなり、缶蹴りに参加してくれ、で
ある。
 ジョンが怒らない道理はなかった。
「私をそんな事の為に、日本から呼び寄せたんですか!? こ
こに来る為に、私がどれだけ多くの犠牲を払ってきたか、あな
たご存知なんですか!? 私にとって、アテナさんがどういう
存在か、ご存知なんですか!?」
 ジョンの目に涙が浮かぶ。
 彼が失ったものは、あまりにも大きすぎた。
「全く馬鹿馬鹿しい! ふざけるのにも程があります! 本当
に用がそれだけなら、私は帰らせてもらいますよ!!」
 ジョンが踵を返し、道場から出て行こうとした時、それを止
めようとする者がいた。
「ま、待ってくれや! ジョンさんよ!!」
「あなたがいなくちゃ、本当に困るんですよ!!」
 キムの息子、ドンファンとジェイフンだ。
「君達、一体どういう事だね?」
 キムの道場は普段、テコンドーの厳しい練習漬けのスケジュ
ールだが、年に一回、親睦会というのが存在する。
 それが、この缶蹴りイベントなのだ。
 元々は、キムが2人の息子と遊ぶ時に、よくやっていたのだ
が、これが思いの外、親子の絆を深めるのに一役買ってくれた。
 というわけで、キムが道場を開いた時にも、弟子達との距離
を縮める為、そして、トレーニングの一環として、缶蹴りイベ
ントが採用されたのだ。

「なかなかにいい話だと思うが、何故、君達が困るんだね?」
「強すぎるんだよ、親父が…」
 ドンファンの一言が、さらに場の空気を重くする。
「父さん、この缶蹴りイベントでは毎回、鬼の役を担当するん
ですけど、実は発足以来、全戦全勝なんですよ…」
 ジェイフンが溜息をつく。
「僕達と遊んでいた時には、少しは手加減していたみたいなん
ですけど、こうやって門下生達と戦うや、本気の本気でかかっ
てくるんです。まさか、父さんにこんな才能があるなんて、思
いも寄らなかったし、もう参りましたよ…」
 あの少々の事では折れないジェイフンをして、こんな心境に
追い込むキムの実力に、ジョンは興味を持った。
 よくよく見ると、参ってる表情をしているのは、チャンやチ
ョイ、キムの息子達だけではない。練習をしている他の門下生
達も、厳しい練習で汗を流す中、どこか不安そうな表情をして
いた。
「ところで、鬼というのは、キム君一人だけなのですか?」
 ジョンが尋ねた。
「そうでヤンス。うちの門下生は軽く100人以上いるのに、
次々と捕まえるんでヤンス。まるで、数の力は無力だ…とでも
言ってるかのように」
「本当、デケェ声じゃ言えねぇけど、ハマリ役すぎるんだよな。
キムの旦那は…」
 チャンの言う通り、キムは確かに色んな意味で『鬼』はハマ
リ役かもしれない。
 そして、彼らの置かれてる状況も理解できた。

 今のキムと門下生達とでは、あまりに基本能力の差がありす
ぎる。そして、何事に於いても全力を尽くすキムは、それを如
何なく発揮してくる。
 最初は数の面で門下生チームが有利でも、捕まれば捕まる程、
戦力は激減していく。1対1になれば、もうキムに勝てる道理
はない。

「キムの旦那に勝てるのはおそらく、ジョンの旦那、あんただ
けでヤンス!!」
「もし、あんたが入ってくれれば、俺達もきっといい勝負がで
きると思うぜ!!」
「俺もそう思うぜ、ジョンさん…」
「僕からも、お願いします!!」
 4人から頭を下げられては、断ろうにも断れない。
 それに、今から帰っても、もうアテナのライブには間に合う
はずもない。

 だが、この状況はかえって、ジョンの闘争心に火をつけた。
(なるほど、面白い。遊びとはいえ、キム君と真剣勝負をする
のは、もうずっとやっていない。それに、こっちも色々あって
ストレスが溜まっちゃいましたからね。いい捌け口にはなって
くれるでしょう…)
 ジョンが口元に笑みを浮かべる。
「いいでしょう。あなた達の話、のってあげましょう…」
 その話を聞いた門下生達は一斉に光明が差したかのような感
じを覚えた。
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