戸山アメリカンフットボール部の哲学・戦略・戦術

  1979年卒、小野  宏(1988〜92年コーチ)

 1988年頃から、時折OBとして戸山高校のグラウンドに顔を出すようになっていたが、自分の中で責任をもって「コーチ」を始めたのは89年になってからだった。 戸山高校、関西学院大学での選手およびコーチ(大学5年生時)としての経験から、戸山高校アメリカンフットボール部が進むべき方向性は、最初からある程度、頭の中に描けていた。

アメフトの魅力を伝えよう

 何よりもアメリカンフットボールの面白さ、楽しさ、その魅力の全体像を現役の後輩に伝えたかった。それが「勝つ」ことへの一番の近道だと信じていた。「好きこそものの上手なれ」である。「哲学」というにはあまりに陳腐なのだが、それこそが私にとっての戸山の本質であった。また、それを伝えられるのは、東京から関学まで行ってフットボールをした自分しかいないという身勝手な使命感があった。

人が心の底から夢中になれるものを持つようになるということは感動的なことである。自分でも理解不能な「こころ」が、化学反応を起こすように、瞬間的に、時にはゆっくりと、何かを好きになっていく。そして、いつしかそれへの愛情を胸に宿すようになる。異性に恋い焦がれるというのならわかるが、痛くて辛くて汚くてなんの得にもならないアメリカンフットボールに夢中になることがあるとしたら、それは人として崇高なことですらある――というのは自己弁護に過ぎないのだが……。

勝つことで選手は夢中になる

 話が少しそれてしまったが、そうした哲学の上に立って、いくつかの基本方針を固めた。それは、当然ながら「勝つ」ことを強く意識したものだった。勝つことで選手はフットボールに夢中になる。夢中になるから強くなる。その好循環の輪に入る必要があった。

 部の運営にかかわる大きな基本方針こそが「戦略」である。

 まず、かつて私たちが高校生の時に経験してきたような、現役生徒による完全な自主運営をやめた。戸山の良き伝統をできる限り維持しつつも、コーチがある程度リーダーシップをとり、部員と話し合いながら活動を進めていく形態に徐々に変えていった。時代とともにフットボールも進歩していた。他校の環境も進んでいる。戸山だけがかつての牧歌的で原始的な組織形態のままでは勝つことは到底望めなかった。

同時にコーチングスタッフの充実を図った。この競技の特性の一つは、コーチが試合の当事者になることである。コーチによるプレイコールはゲームの重要な一部である。そのコールは当然のことながら、ゲームまでのチーム作りや練習、プラン作りと連なって一つの流れを形成していなければならない。だから、勝つためにはコーチの質と量を向上させ、継続的に指導することが一番である。そこで、京都大学の同期で守備バックやキッカーとして活躍した和田晋典氏を守備コーチとして招聘した。そのつながりから、和田氏の後輩で日本一のラインと言われた泉信爾氏も頻繁に指導を買って出てくれた。

部員の増加はチームを強くする

 また、部員数の増加を決定的に重要なことと考えた。フットボールというスポーツの特性のもう一点は、選手の交代がほとんど無制限に認められていることだ。このルールが選手の分業制を可能にしている。異なる能力がそれぞれのスペシャリストとしての役割を担い、有機的に結びつくことで総合力が増すスポーツである。つまり、原理的に、部員の人数が多くなることが、チームとしての戦力の拡大に直接結びつくのである。

ところが、実際には部員数は毎年、ある時期が来ると予定調和的に一定の数に収束していった。新入生の入部者が多い時でも最終的には1学年で10人前後に減少してしまうのだ。この点をどうしても改善する必要があった。

1年生を大事にせよ

部員たちは新入生の勧誘をそれまで以上の労力をかけて工夫しながら行った。これによって89年の入部者は20人を超えた。同時に入部した部員がくじけることなく部活動を続けていけるように細心の注意を払った。まず、練習を1年生のレベルに合わせた。それまでは2年生が自分達のレベルに合わせて練習を組んでおり、実戦的な練習が多かった。そのため、基本が十分にできないまま行き詰まってしまう1年生が少なくなかった。2年生にしても基本ができていないために、すぐに壁にぶつかってしまっていた。そこで、練習は1年生を基準にして基礎的な技術を習得することに時間をかけた。特に基本と言われる技術の中でも、強い当たりを身につけること、ブロックとタックルのレベルを上げることに重点をおいた。コーチもその部分を丁寧に教えることに時間をかけた。遠回りのように見えて、それが勝つことへの最短距離だと考えていた。

「根性練習」は一掃せよ

 練習においては、「バック」など懲罰的な要素は極力減らした。いわゆる「根性練習」も一掃し、夏の練習では暑さで気分が悪くなれば自由に木陰で休めるようにした。また、2年生を説得し、1年生に思慮のない厳しい態度をとることを戒めた。1年生がクラブをやめる大きな理由の一つが、2年生からの心理的な圧迫と分かっていたからだ。1年生はフットボールの面白さを十分に知る前に、2年生の見下したようなささいな言動でクラブへの情熱を失ってしまう。コーチも1年生に対してはより一層丁寧にコーチし、少しでも上達が認められれば逐一ほめた。

当然、かつてと比べれば生ぬるく厳しさに欠けるように見える練習だが、それまでの運営ならやめていたと思われる1年生たちも「ちんたら」しながら最初の1年間を乗り切るようになった。そのいわば"自然淘汰"されるはずだった1年生が、2年生になって突然やる気を出してコーチもびっくりするような成長を遂げた。決して1人や2人ではない。逆にやる気の出てきた選手には、もう一段上を目指すために厳しく妥協せずに接した。

部員がやめなくなった

こうした改革によってこの年から毎年20人強が入部し、ほとんどやめずにそのまま最後までクラブ活動をやり通し、100%に近い部員が3年生の春の大会に先発で出場するようになった。このことは私にとっては驚きだった。入部してきた時は到底フットボールができるようにはならないと思っていた選手が、こつこつと努力する間に試合に出場して堂々と活躍するようになった。この世代の潜在的な成長力には驚かされる。

部員の増加は、練習環境を飛躍的に向上させた。何よりも実戦的なスクリメージの練習を両面でできるようになった。それまでは片面でするのが当たり前だったため、リバースなどミスディレクションのプレーに不慣れでよく試合でロングゲインを奪われていた。そうしたマイナス部分が解消されたことに加え、チーム内での各ポジションごとに選手間競争が生まれ、それが選手の成長にとって触媒のような役割を果たした。

トレーニングは身体発達のバランスに配慮せよ

筋力トレーニングにも時間を割いた。スポーツ界にウエートトレーニングの重要性が浸透してきた時期だったが、あえて器具を使わずに、選手同士による組み体操形式のトレーニングに取り組んだ。器具がほとんどなかったということもあるが、ウエートトレーニングは局部的な筋肥大、筋力増加を生むものの、それがそのままフットボールのパフォーマンスには結びつかない例を数多く見て疑問に感じていたからだった。一部位を鍛えるトレーニングでも、できるだけ身体全体のバランスをとらなければならないメニューにした。最大筋力の向上という点だけをとれば効率は落ちるかもしれないが、バランスや調整力など神経系も同時に養っていく方法をとった。結果についての科学的な評論はできないが、私自身の印象としては、このトレーニングで総合的に基礎体力を上げるとともに、最大筋力値はそれほど高くないにしてもパフォーマンスに結びつく形での筋力の増強が図られたと感じている。

攻撃はシンプルに徹せよ

 フットボールの戦術的な面についても記しておきたい。攻撃は、「シンプル化」を最大の眼目とした。もともと戦術は単純で分かりやすいことが大切である。戸山の短い練習時間の中で消化するにはなおさらである。また、単純にすることで、選手達が自分で考えることができるようになる利点があり、フットボールの面白さも伝わると考えた。

 まず、プレーのシリーズをダイブ・オプションとパワー・オフ・タックル(実際にはGブロックのアサイメント)だけに絞った。ダイブ(とスマッシュ)、ダイブ・オプション、ダイブ・フェイク・QBカウンター、ダイブ・フェイク・Zフライ、ダイブ・フェイク・Yクイック。パワー・オフ・タックルとそのフェイクのカール・フラット。基本的にはこれだけである。これにリード・オプションを加えただけで、ドロップバックもロールもブーツもやめ、スイープもドロウもトラップもカウンターもほとんどやらなかった。大学のレベルですら、プレーの数が増えると消化不良のプレーでミスが起きたり、ミスとは言えないものの熟練度の低さが結果的に失敗を招くなどして自滅することが多かった。プレー数を減らしてシンプルにすることが、ミスを減らす簡単な方法であり、自滅しないことがそのまま勝つことに結びつく確率が高いというのが大学時代の敗北から得た教訓だった。

シンプル化と言えば、体型も「ワイド」と呼ばれるダブルタイトのIフォーメーションに絞った。この体型であれば、ランプレーに関しては左右対称で、プロ・フォーメーションのようにTEサイドとSEサイドで異なるアサイメントを選手が覚える必要がなく、1プレーにつきアサイメントは一つで済む。また、パスよりもランニングプレー、特にオプションプレーの確立に基盤をおいた。パスはQBの才能に左右される。練習してもうまくなるとは限らない。しかし、オプションは、練習すれば誰でもうまくなる。ある程度のレベルまでくれば、これほど戦術的要素の高いプレーはない。シリーズの中に自動的にSEQUENCEが組み込まれていて、繰り返していれば自然に中央からオープンまでプレーが分散される。

基本的な枠組みを継続せよ

 また、こうした枠組みは中期的には変化させるべきではないと考えていた。攻撃のスタイルを選手の資質に合わせるべきか、チームのスタイルに選手を合わせていくかというテーマは一般論としてよく論議されるが、日本のようにコーチがフルタイムで教えることができず、上級生が補助的にコーチの役割を担うことが必要な場合、できるだけ攻撃の基本的な枠組は変えずに継続していくことが非常に重要であると考える。毎年の成功・失敗の積み重ねがそのままチーム内部に蓄積され「伝統」になることで、先輩から後輩へと自然に受け継がれていく仕組みができてくる。教育機能の内部化が進むのだ。

プレーの成否は、各プレーヤーが細部(detail)を正確に遂行(execution)できるかどうかにかかっている。細かい部分にこそ成功へのカギがある。「神は細部に宿る」である。チーム内での、そうした細部の積み重ねこそが「伝統」なのだ。

秋は翌春のためにある

 戦略という点で付け加えるとすれば、タッチフットボールからアメリカンフットボールへの転換以降、戸山は春の大会に照準を合わせることを伝統としてきた。戸山高校では、大学受験のためにほとんどのクラブが3年生の春に引退することを慣例としており、アメリカンフットボールも例外ではない。関東大会の上位まで勝ち進んだ時などには高校選手権につながる秋の大会までクラブ活動を続けたいと申し出てきた選手もいたが、田淵監督と相談して最終的にはプレーすることは認めなかった。戸山は春の大会を最大の目標とすることで、強豪私立高校とは違うサイクルでチーム作りをしてきた。秋の大会では一学年上の選手と戦うという圧倒的な不利と引き替えに、春は新チーム結成からの期間が相対的に長いという有利な条件を確保している。そのことが、勝利を味わう機会を増やしていることは否定できない事実であり、目標に掲げる「関東大会制覇」に現実味を与えている。

私立高校が本腰を入れてくる秋の大会で勝利を得るということは、客観的に見て、並大抵のことではない。強いチームに成長したある一学年だけが秋の大会に3年生も含めた陣容で特例的に出場すれば勝てる可能性がないわけではない。しかし、そのことでそれ以後の学年は強豪の私立高校と常に同じ条件下で戦わなければならなくなる。それが、結果的にチームが勝利を経験する機会を減らし、長期的にみると、勝てないことでチームのモラルが下がり、さらに勝つことが難しくなるという悪循環に陥ることを恐れた。

フットボールは安全を考慮せよ

 最後に、戦略よりも前の段階として考えるべき「安全にフットボールをする」ということに触れておきたい。日本アメリカンフットボール協会の医事委員会は1991年、加盟する社会人、大学、高校のチームへの初めてのアンケート調査をもとに、過去の重篤な事故についての報告をまとめた。それによって、日本での死亡事故発生率は米国の10倍以上と推測されるという驚愕すべき事実が判明した(現在はフットボール界全体の安全対策が飛躍的に進み、大きく改善されている)。

 調査報告を見ると、重篤な事故は、頭部、頸部の傷害と熱中症の三つに絞られる。いずれも試合より練習での事故発生が圧倒的に多く、時期は4、5月と夏の合宿に集中している。死亡したり重い後遺症が残るなどの重篤な事故を防ぐには、予防と事故直後の処置がきわめて重要である。逆にいえば、それが最低限できていれば簡単には発生しないものであることも分かった。

 熱中症は、夏の暑い時期の練習において指導者が十分に注意しておかなければならない。フットボールは防具をつけるため身体の熱を逃がしにくくなる。緊急の処置も頭に入れておく必要があるが、何よりも熱中症は予防がすべてである。いったんあるレベルを越えると症状の進行を止めることは難しく、生命にかかわる事態を招く。初夏の練習で行っていたマネージャーやコーチによる緊急措置のデモンストレーションは続いているだろうか。

 フットボールの頭部の事故は交通事故などとは違い、ヘルメットをかぶっているため1回のコンタクトだけで致命傷になることはない。脳内出血が手術の必要なレベルに達するまでには、なんらかのコンタクトがきっかけで静脈から滲み出た出血が、その後もコンタクトを繰り返すことによって頭部内で進行してしまう場合がほとんどである。1日以上かかって症状が進行する場合が多く、その間には通常とは異なる頭の痛みが必ず現れる。その前兆をつかんで練習を休ませ、病院で検査をして異常を発見する以外に方法はない。

 また、万が一、練習中に倒れ、意識が混濁するなどの最悪の事態に進んだ場合でも、脳外科のある病院へ迅速に移動し、適切な処置をすれば現在の医学では死に至るような重大な結果にまで進む可能性はきわめて低い。それだけにコーチ、マネージャー、チームドクターによる日常的な連携が欠かせないし、合宿など通常の環境を離れて練習する場合は消防署や病院との事前の打ち合わせが不可欠である。

 頸部の事故は当たるフォームを正しい形に矯正することが必要である。頭が下がって頭頂部で当たる癖を持ってしまうとヒットの衝撃がそのまま脊椎にかかってしまう。また、首と僧帽筋のトレーニングは選手の自主性に任せるのではなく、強制してでも日常化させることが必須である。

 戸山でも1980年に合宿中に頭部の事故が起きた。部員が安全にフットボールをすることは基本中の基本である。この点についての注意を指導者は忘れてはならない。50年史のどこかには入れておきたかったので、少し長くなったが最後に挿入した。