親にとっても、色あせることない最高の思い出
子供とともにアメフトに染まった3年間

  1991年卒41期生の母、村山渥子

 戸山アメリカンフットボール部50周年おめでとうございます。

 息子、元が戸山高校に入学したのは昭和63(1988年)ですから、アメフト部とのお付き合いももう13年目に入りました。おかげさまで毎年新しい選手達と会う機会が出来、息子の代からの主将の名前はそらんじられるほどです。

 皆さわやかで礼儀正しく、好感の持てる子供達でした。これが戸山アメフトの生徒達に綿々と受け継がれているものかと思います。

 元が入部したときにはアメフトについての知識などもちろんなく、防具を着けてただ取っ組み合いをするだけのスポーツと思っていました。息子もその頃はそれほど部活動に熱心ではなく、練習のない雨の日は親子でほっとしたりしておりました。

 様子が変わってきたのは2年生になってからです。秋になると試合の前後にミーティングと称して、生徒さん達が我が家に集まるようになり、それと共に親同士の交流も始まりました。「一度、息子達が熱中しているスポーツはどんなものなのか見てみましょう」ということで、練習試合をみんなで応援に行ったことを覚えています。最初の感想は、選手同士がぶつかり合う音にぞっとして、息子が帰宅するなり、相手がぶつかってきたら、逃げるようにと言ったものです。そんないろいろな心配事などを話そうと、親同士でお正月に集まり、思うことは同じと安心いたしました。その会もそれから毎年コーチも含めて現在まで開かれていると聞いております。

 それから10年、毎年秋、春になりますと、大勢の選手が家に集まるようになり、コーチの方々ともお会いする機会が多くなりました。田淵さんが、「戸山のアメフトはコーチ、生徒が一体となり、それぞれ考え、行動し、成長していくものだ」とおっしゃっていました。息子達が3年生の春季大会のときも確かにその通りで、試合が進むにつれ一つにまとまっていくのが判りました。

 そんな結束力のお陰か、息子達は予想に反して、1回戦、2回戦と勝ち進んでいきました。親もそれに従って次第に興奮し、父親達までもが応援に駆けつけ、毎週日曜日はアメフトデーでした。強豪の日大鶴ヶ丘との試合の前日、いつもミーティングで大騒ぎな子供達がほとんど無言だったことも印象に残っています。不安や緊張でいっぱいだったのかもしれません。私も声をかけることが出来ませんでした。しかし、結果はというと、20−0の完封勝利でした。そしてそのまま勢いに乗り、都大会では優勝、あのときの感激と興奮は親子共々、忘れられません。

 関東大会では親たちの声援に対して、他校の選手に「戸山高校のアメフトはまるでママフトだな」と言われ、勇敢に戦っている子供達に申し訳ないなあと思っていたら、「いやいや、若い人たちの黄色い声援に負けず、茶色い声援、よろしくお願いします」と選手達から言ってもらえ、ほっとしました。結果は準優勝で、子供達は悔しがっておりましたが、あの時の悔しさを社会に出てからのバネとしてくれたのではと思っています。

 アメフトに染まった3年間を終え、卒業式が終わって息子が持ってきた卒業アルバムのみんなの顔はちょうど、大会の時期に撮ったもので、みんな目つきの鋭い、恐ろしい顔に写っていました。

 卒業後、息子はコーチとしてアメフトに関わっていましたが、関西に行った仲間やコーチも様々な形で協力して下さっていました。日大三高の強固なディフェンスを破る作戦が書かれた20枚近くのファックスが送られてきたときには、「遠くにいてもこんなにも戸山のアメフトのことを思ってくれている人達がいるのだなあ」と涙が出てきたのを覚えています。

 夜遅くにビデオを選手に持っていったり、自宅に送ったり、やぐらやテレビを運んだり、残業の合間をぬって来てくれたコーチもいました。夜遅くまで人が出入りし、体格の良い、坊主頭の日に焼けた人達がトラックに乗ってやってきていたので、千代田区の社宅に住んでいた時には、彼らがご近所の方から土木作業員に間違われたり、クリントン大統領が来日した折には警備員さんにトラックの荷物は何に使うのか尋ねられたりしました。

 この社宅から迎賓館は射程距離内にありましたので、不審な荷物を積んだトラックや多くの異様な格好の若者が集まるのは、まるで何かのアジトではないかと間違えられたこともあるようです。狭い部屋に大きな体の子供達が窮屈そうに座り、居場所がない私達は夜の散歩に出かけたことも度々ありました。

 マネージャーも連絡や選手達の世話など大変なようでした。毎月発行される「みつばち便り」には、栄養管理、けがの手当など、きめ細かい配慮がされており、きっと戸山のマネージャーさんは将来は良い奥さんになることだろうと思っていました。

 10年前と比べて、選手達も年々お洒落になり、スマートな子達が増え、連絡も携帯電話へと変化したこともありますが、上下の差無く、皆で考え、一緒にやっていくという姿はいつになっても変わっていないようです。

 こう思いだしてみると、アメフトのいろいろなエピソードは際限なく出てくるものです。

 最後に、本当に嬉しく思えることは、この10年、子供達の青春時代を一緒に過ごし、それを共有できたことです。胸をときめかせ、涙した感激は子ども達だけでなく、私達、親達にとっても色褪せることのない、最高の思い出です。本当にありがとう。

 これからもグリーンホーネッツのますますのご活躍をお祈りしております。