?Greatest Come Backは

  1978年卒、岸 宏一(78〜80年、91〜97年コーチ)

フットボールの楽しみ方のひとつに「数字遊び」があると思います。アメリカ人は国民性だと思いますが、何でも数値化して記録を残すことに非常に熱心です。ですから毎年ありとあらゆる記録がまとめられています。NFLを例に取れば「The sports encyclopedia PRO FOOTBALL」に過去30年くらいの記録が載っていますし、より細かい記録も掲載された書籍が毎年発行されていて、フットボールファンであれば数字をながめるだけでも楽しめるようになっています。

我々の記録というと、部誌やHome Pageに載っているアメリカンフットボール転換後の成績が今のところすべてです。NFLと違いここには試合の日時と対戦相手、得点しか載っていませんが、その数字のなかに様々な思い出や思い入れが詰まっています。ここで少しその数字を引っ張り出してみたいと思います。

98−0 82年春の正則学園戦

まず景気良く大量得点差をつけて勝った試合からいきましょう。
@ 1982・4・18 春季都大会1回戦 正則学園 98−0
A 1993・4・18 春季都大会1回戦 正則高 78−0
B 1993・4・25 春季都大会2回戦 佼成学園 62−0
C 1990・4・15 春季都大会1回戦 都富士 68−6(62点差)
がベスト3となります。いずれも公式戦ですが、正式計時でない1回戦あるいは2回戦で記録したものです。1982年は残念ながら翌週の2回戦で日大桜丘に敗れていますが、1993年と1990年は東京都大会で優勝しています。

6−77 82年春の日大桜丘戦

逆に差をつけられた方のワースト3は、
@ 1982・4・25 春季都大会2回戦 日大桜丘 6−77(71点差)
A 1976・9・19 秋季都大会2回戦 東海大付0−60
B 1982・4・7 都富士0−58
になります。困ったことに私が主将をしていた時の東海大付との試合が堂々の2位に入っています。

少し言い訳をしておくと、この試合の我々は1、2年生だけの新チーム、対する東海大付は当然秋に焦点を合わせた3年生中心のチーム。後に日大、レナウンで活躍し日本を代表するQBとなった鈴木さんを筆頭に、前年度関学高校の公式戦連勝記録をストップさせたそうそうたる面々が並んでいました。東海大付,最初のプレーはTからクロスバックのオフタックル、戸山ディフェンスのサインはLBとDTのクロスで見事にLBにHBが鉢合わせでノーゲインに抑えました。これはいけるかもと思ったのもつかの間、あとのプレーは全く止まらず、あっという間に3TD取られて1Q終了時には0−24。2Q以降は多少得点ペースが鈍ったおかげで、なんとか最悪の3ケタ失点は免れましたが(3ケタに届いたらダントツのワースト1でした)追加TDを取られ続け、最後にはスクリーンパスをDEにインターセプトされ、そのままリターンTDされるというおまけまでついて試合が終わったときは60点の大差がついていました。

1点差勝利、1点差敗北

逆に差の少ない方,最小得点差、1点差での勝利は 、
@ 1996・4・21 春季都大会2回戦 日大桜丘 14−13
A 1996・5・12 春季都大会3位決定戦 麻布学園 12−11
の2試合です。どちらも1996年の 都大会3位になったチームが記録しています。特に日大桜丘との試合は実力的には数段上の相手に対して見事な逆転勝ち。リクルートを兼ねて関西から出張してきた小野君(1979年卒、現関学コーチ)が感動のあまり涙ぐむほどの試合でした。

くやしい最小得点差負けは
@ 1992・6・14 関東大会準決勝 法政二 14−15
A 1999・2・21 日大鶴ヶ丘 20−21
の2試合。1992年の試合は、その2年前の関東決勝で敗れた法政二に試合終了間際ゴール前1ヤードまで迫りながら痛恨のファンブルをしてしまいました。PAT用に用意したスペシャルプレーを使ったのが裏目に出てしまったが悔やまれます。

引き分けも2試合あり、
@ 1981・2・14東海大高輪台 16−16
B 1993・6・6 関東大会1回戦 三島 28−28
1993年の試合は関東大会1回戦での抽選負け。勝ち進んだ三島高校が優勝していることを考えると痛恨のコイントスとなりました。

部誌の記録から直接は読み取れませんが,最高何点差を逆転したことがあるのでしょうか?NFLでは15 Great Come BackというVideoが出ています.これによるとNFLで最も点差をつけられた試合を逆転したのは、1993年のAFCワイルドカードプレーオフ バッファロー・ビルズ vs ヒューストン・オイラーズ。ビルズが32点差を逆転しています。戸山の場合はどうでしょう。先行逃げ切りが戸山のスタイルですが、これには技術面ではオプションを軸にしたラン中心のオフェンスでパスを中心としたキャッチアップオフェンスが出来ない▽肉体面では体力がなくて後半へばる(近年は数の勝負で多少改善されているようですが)▽精神面ではリードすると調子付くが、ちょっとリードされるとしゅんとする―――といった(残念な)必然があってのことです.したがってNFLのような大逆転は記憶にありません。

14点差をひっくり返した96年春の日大鶴ヶ丘戦

そんな中で私の(かなり怪しい)記憶をたどると、1996・4・28 春季都大会準々決勝 日大鶴ケ丘 24−14で14点差を逆転したのが最高ではないでしょうか。この試合は戸山が最初のシリーズ、ゴール前まで攻めながら反則でチャンスを逃してしまい、その後は鶴ヶ丘のペースとなりました。前半を終了した時点で14−0と日大鶴ケ丘がリード。3Qに入っても鶴ケ丘が調子良く攻め、戸山ゴール前1ヤードへ。ここでTDすれば、おそらくダメ押しとなって試合は決まったものと思われます。ところが4thダウンの攻撃でRBがファンブル、ころがったボールを鶴ケ丘のラインの選手がエンドゾーンでリカバー。従来ですといわゆるチョンボゲインでTDだったのですが、ルール改正があったためゲインは認められず1ヤードから戸山の攻撃となりました。このあと99ヤードをドライブしてTDを取って試合の流れが変わり、さらに2TDを追加して24−14と逆転勝ちすることが出来ました。ほんの僅かのことで試合の流れが変わり、勝敗を決めてしまうというフットボールの面白さと恐ろしさを痛感させられた試合です。この代はこの試合以外にも戸山らしからぬ粘り強い試合をしていて重要な試合はすべて逆転勝ち。点差の方も14−13、12−11と前出の最小得点差勝利試合を2試合とも記録しています。

これを上回る可能性のある試合、つまり14点以上の失点があっても勝っている試合は24試合あります。このうち私が得点経過を知っていて、今回の逆転勝ちには該当しない試合を除くと残りは下記の8試合となります。このうち5試合はこの試合を上回る逆転劇の可能性はありますが、試合の内容とこの勝利によって関東大会への道が開けたことを考えると、この準々決勝の試合を戸山のGreatest Come Back Gameと呼んでも良いのではないかと思います(下記の試合の試合経過を覚えていらっしゃる方はお知らせいただければ幸いです)。

1982年12月4日 戸山20−14都富士
1985年4月6日 戸山38−36都三田
1986年1月18日 戸山56−18聖学院
1986年4月13日 戸山44−26東海大高輪台(春季都大会1回戦)
1988年1月16日 戸山22−20都三田
1988年9月11日 戸山16−14都千歳(秋季都大会2回戦)
1989月2月19日 戸山24−14都千歳
1990年11月11日 戸山30−22早大学院

無責任に好きなことを書いてきましたが、昔を思い出すきっかけのひとつにでもなってくれれば幸いです。また現役諸君には先行逃げ切りの必然を一つでも克服し、粘り強いチームを作るようお願いします。最後に田淵監督はじめマネージャーの皆さんの努力によりHome pageに載る試合の記録が年々充実してきていることも報告しておきます。