各検査(生検入院含む)から確定
  
  平成12年8月5日(土) 治療がこんな遅い対応で良いのか??


  7月29日の入院申込時に「入院日が決まれば、1週間ぐらい前に連絡します」と聞いていたが、今
  日になっても連絡が無い。

  仮に、近日中に連絡が来ても検査入院は1週間後で、検査結果が解るのは2週間後だとすると、早
  くて今月末になる。
  7月12日に癌の疑いが解りながら、全く癌の治療もせず放置している様なものだ・・・。
  (前立腺肥大薬は飲んではいるが・・)

  インターネットで調べてみても、生体検査の結果は2週間後が普通のようだが、そのこと自体は仕方
  ないとしても、幾つもの検査が必要なら、何も間隔を置いて一つひとつ検査せず、一度にすれば幾つ
  もの結果が一度に解る事と思うのだが・・・。

  妻も「こんな間が空けば、癌がどんどん進行してしまうのでは・・・」と毎日の様に言う。
  「そう思うが、でもこれが普通らしい」と言って慰めているが、正直私自身も心配で仕方が無い。

  どう考えても遅いのでは・・・


  平成12年8月7日(月) CT検査

  病院も初めて、勿論検査も初めてで戸惑う事ばかりだが、医師、看護婦さんが丁寧に説明してくれ安
  心する。

  指定された検査服に着替え、狭い診察台状のベッドに上向きに寝て、頭の上に両手を組む。
  手に造影の為の点滴をしながら、ベッドがトンネル状の中に入って行き、私はじっとしているだけだっ
  た。

  骨盤中心らしく検査前、2時間以内は小便をしないよう注意書きがあった。
  検査時間約20分。

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  CT検査のついでに、前立腺肥大の薬が切れそうなので、泌尿科に行き薬を貰おうと思ったが、「一
  応診察をしないと渡せない」と言われ、主治医のK先生では無かったが、薬を出して頂くため診察室
  に入った。

  知らない先生だったが、泌尿科の先生なのでと思い一番心配していた事を聞いた。
  「7月15日に癌の疑いを聞たが、今の予定では生体検査の結果がわかるのは今月末か来月になる。
  こんなに時間が掛かっては、どんどん進行する様で心配ですが・・」と聞いた。

  先生は「確かに時間が掛かっているが、どこの病院でもこれが普通です。厳密に言えば一日一日と
  進行しているのですが、前立腺癌の進行は遅く、週単位はおろか月単位でも実際の症状には全く問
  題ありません・・・」との事。

  妻に話すとそのまま全ては納得できない様だったが、それでも安心した様だった。
  今日の収穫は大きかった・・・・(^_^)


  平成12年8月15日(火) 身内への告知

  私達はお互いに既に両親はいないので、毎年お盆にはお互いの実家にお参りにしているので、今
  年も13日,14日の2日間で両家のお参りに行った。

  お互いの兄弟には、前もって「ちょっと話があるので、この日に合わしてお参りして欲しい」と連絡し
  ておいた。
  多分皆んなは「娘のおめでた・・」と思っていたようだ・・。

  一応落ち着いた所で、実は・・・と、「まだはっきりした訳でないが、私が前立腺癌の疑うが強い」と、
  今までの一連の状況を伝え、「すべては、この17日からの生体検査ではっきりする予定ですが、
  万一癌の時の大体の治療や、手術の件を話した。

  ずば抜けて健康だった私が、まさか癌とは皆んな信じられなかった様だった。

  やがて「良く話してくれた、頑張って下さい・・・」と、皆んな泣いてくれた・・・。
  私も初めて泣いた。
  
  皆んなは「泣いたら余計心配させるからと思っても、泣いてしまい悪かった・・・」と言ってくれたが、
  私には皆んなの涙が嬉しかった。

  特に一番若い義弟は「兄さんは、こんな事を良く落ち着いて話せる。自分なら本や、HPは恐ろしく
  て、とても見られない」と言って感心していたが、私には本や、HPを見る事で少しづつ、実状が解る
  事によって、不安が解消できたのは紛れも無い事実でした。

  これで今日からは、身内間ではお互いに本心での話が出来、慰め合え不安も和らぐだろう・・・。
  (今はまだ、会社や近所には話していない)
  
  今まで、特に一番落ち込み不安だった最初の頃にも、妻は兄弟にも言えず合った時も電話でも
  「・・・こちらも皆んな元気よ・・・」と、泣きたい気持ちを笑って、ごまかしている事しか出来なかったん
  だから・・・・。

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  15日、私の実家に帰る前に、昔お世話になった叔母さんの初盆だったのでお参りに行った。
  身体も声も大きく元気な人だったからか、98歳での大往生だった。

  晩年の10年ぐらい、足が悪く不自由な生活だったのですが、最後は文字通りあっという間に亡くな
  ったそうです。
  
  お仏壇の前で叔母さんを偲び、いろいろお話していた中で、従兄弟のご主人が「・・・だけどお母さん
  はずっと元気で何でも話していたが、最後まで”お礼らしい事は一言も、云ってくれなかったな・・・”」
  と、寂しそうに云った言葉が忘れられない。

  考えてみれば死ぬのと、眠りにつくのと同じ様なものではないか?
  違いは、眠った場合は後で目が覚めるが、死んだ時にはそのまま永遠に目が覚めないだけの事で
  はないか・・・。
  
  早い話が、どの時が最後か否かは、本人にも解らないのだと思う。

  だから私は手遅れにならないように、早い目に何回もお礼を言っておこうと思う・・・マジ!!
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  後に残った人には、「無くなった人からの、お礼が、感謝が、一番の慰めになる」と思うのです。

  
  平成12年8月17日(木) 生体検査入院・MR検査


  待ちに待った? 生体検査の入院が7月17〜19日の3日間決まった。
  しかし17日はMRの検査日になっていたので、入院はそれに間に合う様AM9:30に病院に来るよ
  うに言われる。

  初めての入院で、本入院の為のリハーサルと思っていたが、部屋が空いていなかったのでと、泌
  尿科では無く、同じ階での棟違いの「眼科」病棟で、しかも個室だった。
  
  これでは余りリハーサルには成らないが、冷暖房完備、テレビ、電話付きで別荘に来たようだと、
  妻と笑い合った。

  実際快適だった。特に嬉しかったのは、窓を開けると見慣れた六甲山の山並みと、その少し東側
  に我家のマンションの赤い塔屋が正面に見える事だった。


  MR検査


  AM10:45、指定の時間に、随分離れた棟でのMRの検査に行く。
  CTの時と同じように台に寝るのだが、耳には遮音の為のヘッドホーンが掛けられ、静かな音楽が
  聞こえていた。
  
  途中でガンガン、ゴンゴンと大きな音がしていたが、ヘッドホーンからの音楽で快適だった。
  ただ寝ているだけで造影点滴は無し、検査時間約25分。


  生体検査


  MR検査から病室に戻ると、すぐに先生が点滴を始めた。
  中身は単なる生理液で「万一のときに対処する為・・・」との事でした。
  11時半ごろから点滴をしたまま、処置室に行く。

  茶色のビニール製の今まで見た事のない、ベッドと幾つかのモニターが有った。
  そのベッドは、下半身部が2つ分かれ内側が外されていて、両足を開いて持ち上げるように出来る
  物だった。
  
  テレビで見た、出産の時の物に似ていた。

  こんな物を見ると何となく不安、2泊3日の検査なので、今までの検査の様に簡単なものではない
  と思っていたが・・・。

  ここでペニスにカテーテルを入れられる。(これは先日経験済み・・)
  その後、ベッドにうつ伏せになり、尾蹄骨のあたりに、局部麻酔を打つ。
  最初の2本目位までは痛かったが、その後の何回かは何とも無かった。

  その後、まるでテレビで見たお産の時の様に、両足を持ち上げた状態で開き、足台に固定される。
  腰のあたりに白い布が張られ、前が見えなくなる。

  先生は3人で一人はモニターを見、一人は肛門からエコーの機械を入れ組織採取用の針を刺し、
  あとの一人は採取組織の確認、記録係の様だった。
 
  やがて麻酔の効きを確認の後で、会陰部(睾丸と肛門の間)から、15cmは有りそうな針を刺す。
  モニターを見ながら「そこを取って」と言われると、「ちょっとガクンとしますよ」と言って、パチンと言う
  ショックと共に一本採取した。

  最初モニターを見た先生は、独り言の様に「顕著な所が無いなー・・」と言った。
  たぶん先生同士の会話だったと思うが、私は、「大きなのは有りませんか?」と聞くと、「ええ!、え
  え・・」と答えてくれた。余り患者から話しかけられた事は無く、戸惑ったのだろう、今後は慎もう・・・。

  モニターはこちらからも良く見えた、白黒だったが小さな黒い部分を狙って、採取している様だった。
  何回か折角針を刺したが、「そこではない、もう少し上・・」と訂正されると、一度抜いて小刻みに刺し
  直していた。

  痛くないので全く他人事みたいにモニターを見ていたが、本当は怖い絵だ・・・。
  8個取った所で、記録の先生がチェックしていたが、「・・何番目?が少なすぎるので、取り直し」と言
  われ、そこを再度とって終了。

  午後1時頃、さっきのカテーテルを左腰に固定して、長いチューブで繋がった尿袋?を持ち、点滴をし
  たまま車椅子に乗せられ病室に帰る。
  
  初めての車椅子体験だった・・・。

  点滴付で車椅子の私を見て妻は大笑いする。
  
  どう考えても真っ黒に日焼けした今までの私に、車椅子は似合わない・・。
  所要時間約1時間15分。

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  その後初めての病院食の昼食を取る。トレイには「常食A」と書いていた。
  美味しかったが、ご飯がとても多く半分残した。
  食後は配膳室にトレイを持っていくのだが、何事も練習なのでと「右手にトレイを持ち、左手で点滴台
  と尿袋を持って行った。

  夕方より麻酔が切れてきた為か、会陰部に鈍痛。
  特に座るとどうしても感じるので、座る時は片尻を上げるように?していた。
  またペニスにカテーテルが入っており、尿が自然に出ている筈だが、パジャマで擦れたりする為か、
  いつも小便がしたいような変な感じがする。

  看護婦さんや先生が何回も様子を見に来てくれる。
  「熱や化膿が無ければ、明日にはカテーテルを外し、明後日には退院です」と言われた。
  
  妻が「カテーテルの状態を見たい」と言うので、自分も一緒に見て驚いた。
  
  この前(尿が出なかった時)の時とは大違いで、太さ5mmも有るようなゴム製で、色も茶色のゴツイ
  奴が入れられていた・・・痛そう(^_^;

  6時の夕食後、帰る妻をエレベーターまで見送って、後は一人。
  点滴も終わり左手が楽になる。
  寝る前フト尿袋を見ると、もう一杯になっていた。確か2350ccだったと思う。
  看護婦さんすぐ来てくれ「ほんとに良く出ている、このままだったら朝までには溢れていたかも・・」と
  笑っていた。

  TVや本を見て、最後に可愛そうなオチンチンを確認し寝た。


  平成12年8月18日(金) 生体検査入院2日目


  朝、6時半ごろ目覚める。何時もより早い。
  やはりいつも尿意を感じるが、今日にもカテーテルを外してもらえるだろうと思い、パンツをずらしオ
  チンチンを見てびっくり!!!

  カテーテルの挿し口、ペニスの先から黄色の膿のようなものが出て、パンツも汚れているではない
  か!!
  これが昨日先生の云われていた化膿だろうか?

  退院が遅れるような事があっては困る・・・。
   
  病気の事は会社に云っていないし、この入院もちょうど盆休みを使っている。
  特に我社は8月は20日より本格的に活動し、21日には早速に会議もある。
  
  少しでも早い目に処置をと思い、看護婦さんを呼ぶ。
  綿棒のようなもので、膿みを採取してから「大丈夫だと思いますが、先生が来次第連絡します」と
  の事。

  する事も無いので食事をしたが、上記の「膿」の件も有り、病室での一人食事は寂しい・・・
  一夜経ったが、まだベッドに座ると会陰部に圧迫感が有るので、椅子で食事した。

  9時過ぎやっと先生が来られ、私は心配しながら見て貰った。
  「これは心配要りません、異物が尿道、膀胱に入っているので、誰でもこんなになります。
  全く心配要りません・・・」と嬉しい言葉。
  その上「すぐにカテーテルを抜きます」と言ってくれた。

  やがて看護婦さんがピンセットや脱脂綿等の乗ったステンレスの皿状の物を持ってきた。
  「痛いんですか?」と聞くと「痛くは無いですが気持ちが悪いそうです・・」との事。
  ピンセットでカテーテルの根元を挟みゆっくりと抜いていく。
  
  痛みでは無い何ともいえない気持ちの悪さに、「あぁーー」と情けない声が出てしまった・・。
  これで、点滴も尿袋も無く、普段の身体に戻った。

  とは云っても、前立腺に8針も刺し、その上組織をムシリ取っているんだから、刺激がきつすぎ、い
  つかの様に閉尿になっているかも知れない。
  又、肛門にあんな物を入れたのだから、大便も上手く出来るのか、確認するまで簡単には安心は
  出来ない・・・。

  11時ごろ心配していた小便、大便ともごく自然にする事が出来た。
  これで明日の退院を待つばかり・・・・(^_^)


  所がどうもペニスがパンツにくっ付くような気がして、見てみると薄い血がパンツに付いているでは
  ないか・・・。

  先生がすぐ来てくれ、「これも心配は有りません、だんだん薄くなり夕方には無くなるでしょう」と言
  ってくれた。

  昼食前に、妻と娘が来てくれ、一緒に食事した。
  日頃私は病気知らずので、この時とばかり娘にからかわれ通しだった。

  先生のお言葉通り、夕方には血のにじみも消え、会陰部の違和感も無くなっていた・・・・(^_^)


  平成12年8月19日(土) 退院日


  昨夜は身体に何も付いてなかったせいか、ぐっすり眠れた。

  9時過ぎ先生が来られ、診察の後「経過は良好です、退院の手続きをして下さい」と言われる。
  心から「どうもいろいろ有難うございました」とお礼を述べる。

  10時半退院。 初めての入院生活の終わり。
  次回の手術入院はこんなに快適なものではないだろう・・・・


  平成12年8月26日(土) あれー チョコレート色に・・


  7月12日に初めて癌の疑いを知ってから、それどころではなかったが、今後は多分ホルモン注射が
  始まり、その後に前立腺癌全摘出手術をすると、射精が出来なくなる筈。
  ある意味で今回が最後かもと知れないとの気持ちで合体。
  
  その後で異変に気付く。
  事の後のティッシュペーパーが薄いチョコレート色になっていたのだ。
  どう見ても私の方から出ている。
  
  妻は「癌が悪化したのでは・・」と心配するが、多分前立腺に8針も組織を取った後だからと思う。
  その内に消えて聞くだろうと思う事にした。
  それにしても、これまではこんな事は一度も無かった・・・。


  平成12年8月30日(水) 確定


  盆明けの生体検査入院の結果出る、いわば確定日である。

  当然妻と同行。
  病気が病気だけに診察室に行くと緊張してしまい、聞きたい事も聞けぬ事があったので、今回から
  10年以上使い続けて、表皮の変色した愛用のファイロファックス持参で入室する。

  結果は、8針の内4針に癌が見つかる。両葉にあり一つが皮膜を越えかけている状態。
  顔は「中の上。良、中、悪に分けると悪になる・・」 との事。
  
  先生に「俗に言う、ステージ、グレードで言えば何処でしょうか?」と聞くと、「勉強しているな・・」と
  言いながら、「今の所は”B-2”です」、との事でした。

  「えっ、B-2ですか?」と、意外に軽い評価に、驚いた・・・。
  先生は「このまま手術でも皮膜を越えていない事がはっきりすれば、全摘出手術で根治も十分あ
  る」との事でとりあえず安心した。

  今日から早速、前立腺癌の治療に入る。
  まず、今から2週間、ホルモン薬「オダイン」を服薬し、その後で「リュープリン」を、月一度約3ヶ月
  間打ち、癌自体を小さくして全摘出手術が一番良い方法との事。

  「オダイン」はリュープリンをいきなり打つと、人によって逆効果に成る場合が有るので、これで確
  認する為に、使うとの事。

  リュープリンとは聞いた事も無いし、きっとホルモン注射はLH-RHだと思っていたのだが・・・・。
  
  「あのー先生、LH-RHと云う薬は、どんな物なのでしょうか?」と躊躇しがちに聞くと、「この薬が
  LH-RHアナログ剤です。」との答えでした。

  今までの、前立腺肥大の為の2種類の薬は、今日から中止になりました。
  
  最終的には手術後の結果を見ないと解らない事で有るが、今の所想像していたより軽かった事に
  感謝して置こう・・・。