205系の活躍路線

JR205系は、1985年に山手線に初めて投入されました。デビュー当初は「国電初のステンレスカーだ」や「都営新宿線がやってきた」などと言われました。山手線に初めて205系が投入された時は、他の国電車両とは比べ物にならないほど性能が良くて、特に、ブレーキ時に余った電力を架線に戻す回生ブレーキ性能は、国鉄初ということで注目されていたと思います。このこともあってJRに民営化されても205系の増備はJR東日本、西日本で製造が進められました。205系の製造がストップしたのは横浜線8両化のために製造されたサハ204−100番台で、1994年まで続いた。1985年から実に9年間に渡って製造された。ちなみに205系の次の新造車はJR東日本が209系、JR西日本は207系となっている。JR東日本は209系の製造も終わり、現在はE231系が製造されている。

それでは、205系が活躍している線区を山手線から、投入された順に紹介していきます。

 ※両数は11月現在の数値です。

☆山手線   1985年デビュー。  全車山手電車区所属

205系が初めて投入された山手線は、1985年に老朽化していた103系を置き換えるために1985年に10両4編成の量産先行車が品川電車区に投入されて、最初にデビューした。記念すべき運転開始日は1985年3月25日で外回りの運用に入った。この運用に当てられたのは、クハ205−4以下の第4編成(デビュー当時は第16編成)でした。翌日にはクハ205−3以下の第3編成(デビュー時は第8編成)も運用に入った。同年4月1日にはクハ205−2以下の第2編成が運用に入り、同年4月22日にはクハ205−1他の第1編成が入り、量産先行車はすべて営業運転を始めた。同年7月には、当時の国鉄首脳陣が東急車輌製造(株)を訪れた時に205系の近くで製造されていた東急9000系が下降1段窓を採用していたので、下降1段式窓に関心を持ち、量産先行車で採用された二重サッシ窓(通称:田の字)から下降1段窓に変更した量産車が営業運転を始めた。その他に先行量産車と異なる点は、運行番号表示機が先行量産車の幕式からマグサイン方式となっているところです。この量産車は、クハ205−5以下の第5編成からなる車両で、当時山手線で活躍していた103系を同年9月30日に開通する埼京線の川越電車区に10両18編成を転属させる必要があったため同年7月〜9月第5編成〜第22編成までの10両18編成が製造され、103系10両18編成は川越電車区に転属していった。埼京線は1985年9月30日に、川越線の電化開業と合せて開通して、池袋−川越間を直通運転を開始した。また、同年11月1日に組織改正を行い、品川電車区は、検修部門が現在の山手電車区となった。その後も205系の増備は続き1986年までに第23編成〜第34編成までが製造された。この205系の増備によって103系は京浜東北線や中央・総武緩行線、武蔵野線、南武線に転属された。国鉄がJR民営化となった1987年4月1日以降、山手線に引き続き205系を投入し第41編成〜第60編成までが製造され、1988年まで製造された。1988年6月25日に営業運転を終了し翌日には貸し切り電車 として山手線1周を走って運転を終了した。なお第39編成と第40編成は国鉄時代に製造された車両とJR化後に製造された車両と区別するために欠番となっている。1990年には第41編成が埼京線用として転属した。1991年には混雑緩和のため1両増結されることになり6扉車の試作車であるサハ204−900番台(901・902)が2両製造されて山手電車区第42編成の2号車と9号車に取り付けられ、サハ205−83、84は一時的に取り外された。試作車のデータを元に量産車51両を製造して1991年12月のダイヤ改正には山手線の205系は11両化した。2度目の転属は1996年3月ダイヤ改正の時に埼京線の新宿−恵比寿間の延長開業のため第42編成が川越電車区に転属された。このためサハ204−902は保留車となった。数年前に、マグサインや幕式の運行番号表示機がLEDに改造されて、見やすくなった。2001年6月に保留車となっていたサハ204−902が川越電車区に転属された。しかし、2002年、山手線205系についに変革期が訪れ、2006年までにE231系500番台に置き換わることになり、武蔵野線を中心に京葉線、川越・八高線、埼京線、鶴見線、南武線、南武支線、仙石線、横浜線に転属することになった。このためサハ205の先頭車化改造が行われたり、主電動装置をIGBT・VVVFインバータ制御に取り替える車両も出るようになる。E231系500番台は4月21日からデビューしました。

山手線の205系。

 

☆東海道・山陽緩行線   1986年デビュー。7両4編成在籍   全車網干総合車両所所属

1986年11月1日のダイヤ改正時に福知山線の電化開業延長用として1986年に7両4編成(クハ205−35以下A1編成〜クハ205−38以下A4編成)が製造され、明石電車区に投入され10月から運転を開始した。基本的に山手線の量産車と同じだか、運行番号を見やすいようにするために幕式に戻された他、保安装置がATSなのでATCは未搭載である。現在は網干総合車両所に7両4編成(4M3T)が活躍している。

東海道・山陽緩行線用。写真提供:PIUKA様

☆阪和線  1988年デビュー 。4両5編成在籍  全車日根野電車区在籍

国鉄がJRに民営化されてから約1年後に1988年に阪和線用として4両5編成が日根野電車区に投入された。この205系は仕様が山手線の量産車と異なることから、1000番台に区分され、マイナーチェンジを行い、前面が変更され、車外スピーカーの設置、補助電源装置がSIVに変更された。さらに最高速度120Km/hで高速運転をするため、台車がWTD50に変更された。205系1000番台は同年2月22日から営業運転を開始して、120Km/h対応なため、他車とは独立して運用に組み込まれている。現在、4両5編成が日根野電車区に在籍している。こうして見ると、JR西日本が所有する205系は少数派であることが分かる。

205系1000番台。写真提供:PIUKA様

☆横浜線  1988年デビュー。8両27編成在籍  全車鎌倉総合車両所所属

山手線205系置き換え完了後の1988年9月に、横浜線にも205系が投入されることになった。同年9月〜10月にかけて7両7編成が蒲田電車区に投入され、9月22日より営業運転を開始した。横浜線に205系が投入された理由は、京葉線の延伸開業として103系が必要だったため、横浜線用の103系を京葉線の京葉電車区に転属させるために横浜線にも205系が投入された。この205系は山手線からの番号の続番でクハ205−61以下〜クハ205−67以下です。横浜線に投入された205系より、ドア窓が大きくなった。その後も増備が続き、同年11月〜翌年2月まで、7両18編成が製造された。またこの車両のうちクハ205−85以下に連結されているモハ205−230、モハ204−230、サハ205−145は、大船工場(現鎌倉総合車両所)で製造され、205系で初めてJRの工場で製造された。その後、103系は横浜線から運用を離脱した。1993年に横浜線の増発に合わせて、京浜東北線用(浦和電車区)だったクハ205−136以下を編成解体して、クハ205−136、モハ205・204−367、モハ205・204−369、クハ204−136(合計6両)を蒲田電車区に転属して、不足分のサハ205−232は新造した。このサハ205−232は従来の4扉車で製造された最後の205系である。1994年12月改正に合せて、横浜線の8両化に合せて、6扉車のサハ204−100番台を26両製造した。これが205系最後の車両である。山手線の0番台と異なる点は、車内の液晶モニターの未設置と台車がこの時すでに作られていた209系の台車と同じTR246Eに変更されている。これで横浜線は8両化が完了して4M4T編成となった。ただ反面、加速度が1.8程度に落ちてしまった。1996年12月1日付けでに横浜線用の205系は蒲田電車区から大船電車区に全車転属となった。大船電車区は2000年4月に大船工場と大船電車区の合併によって鎌倉総合車両所に名称変更が行われた
2003年には山手電車区から8両1編成が増発用として転属された。

横浜線の205系。

現在では緑色の方向幕に取り替えられた。

☆南武線  1989年デビュー 。   全車中原電車区在籍

1989年3月の南武線ダイヤ改正に合せて、増発用として1989年2月〜3月にかけて6両3編成(クハ205−86以下〜クハ205−88以下)が南武線用として中原電車区に投入された。同年9月には6両3編成(クハ205−100以下〜クハ205−103以下)が投入された。1990年8月〜9月にかけて6両9編成(クハ205−129以下〜クハ205−139以下、136、137を除くとする。)が製造され、103系の一部を置き換えている。1992年らクハ205−103以下が三鷹電車区に、浦和区で横浜線用として蒲田区に転属しなかった4両の中間車と合せて転属した。その後、南武線の205系は中央・総武緩行線1編成転属しました。ここ最近では山手電車区からの転属車も南武線に入線するようになり、最終的に山手電車区からの転属車は6両17編成になる見込みです。

南武線205系

山手線から転属した車両は運行番号がLEDになっていることやドアの窓が小さい所が特徴である。

☆埼京線  1989年デビュー 。10両31編成在籍   全車川越電車区所属

埼京線は1985年9月30日に開通してばかりの路線で山手線から転用された103系が活躍してきたが1989年3月のダイヤ改正で205系が入るようになった。これは、103系が老朽化が進んできた事と、埼京線は高速運転をする区間が多いため、103系の場合、騒音が予想以上に大きかったことから乗客などから苦情の声が出たため、埼京線にも205系を投入することになった。1988年6月〜9月に10両9編成(クハ205−89以下〜クハ205−94以下、クハ205−96以下、クハ205−98以下、クハ205−99以下)が製造され、1989年7月1日より営業運転を開始した。その後1990年5月〜7月にかけて10両9編成(クハ205−120以下〜クハ205−128以下)が製造された。この頃に山手電車区から10両1編成(元ヤテ41編成、クハ205−41以下)と中央・総武緩行線の三鷹電車区から10両1編成(クハ205−97以下)が転入された。1996年3月の恵比寿開通時には10両4編成が必要となり、京浜東北線の浦和電車区から10両2編成(クハ205−106以下、クハ205−107以下)と三鷹電車区から10両1編成(クハ205−95以下)と検査周期の見直しで余裕が出来た山手電車区からサハ204−902を脱車して10両1編成(クハ205−42以下)が転入された。この時、京浜東北線から205系が引退した。その不足分は209系を新造した。2001年8月から休車中だったサハ204−902がハエ8編成(クハ205−96以下)に組み込まれ、モハ205・204とサハ205の連結位置を変更してサハ204−902は2号車に連結された。この時、サハ205−161が抜きとられ、現在、鎌倉総合車両所にて先頭車化改造を行っている。川越区には山手線のE231系500番台投入に伴い、現在52両が山手電車区に在籍する2006年までにサハ204のうち51両を川越区に転属させ、サハ205を抜き出し、先頭車化改造を実施する。最終的には26編成に1編成あたりにサハ204が2両組み込まれ、残りの5編成(ハエ26〜30)は現在のままとなる模様です。
山手電車区から1編成(元ヤテ17編成)が転入し現在では10両31編成が在籍しています。また、りんかい線との乗り入れに合わせ、行き先幕は方向幕からLEDとなりました。

埼京線の205系

2002年12月からは、りんかい線との乗り入れも開始し、初めて他社線へも顔を出すようになった。

現在では行き先幕がLEDとなっている。

2003年10月〜11月まで、ハエ8編成が鉄道模型の「KATO」の車体広告電車「KATOトレイン」として埼京・川越線、りんかい線で運転された。

☆京葉線   1989年デビュー 。10両15編成在籍   全車京葉電車区在籍

京葉線は1990年3月の東京開業に合せて、205系12編成(クハ205−108以下〜クハ205−119以下)を1989年11月〜1990年2月まで製造された。前面が大幅に変更されたが性能は従来通り同じです。また、2002年3月に、元三鷹電車区所属の205系が10両1編成が転入してきました。この205系は3月24日より営業運転を開始した。現在では山手電車区から2編成(元ヤテ11、15)が転入してきて10両15編成となりました。山手区からの転入車は、方向幕に103系で使用していた物を流用したため、205系で初めて前面が白幕となりました。

京葉線の205系。従来の205系と前面が違う。

三鷹電車区から転属された205系。この顔は初めてである。

こちらは山手区から転属してきた205系。写真はADトレインとなったケヨ22編成。方向幕に注目!

☆相模線  1991年デビュー。4両13編成在籍  国府津電車区在籍

相模線には、1991年3月の電化開業に合せて、4両13編成が製造された。相模線に投入されたのは、押しボタン付き、運転台にはモニター付きとなったため500番台に区分された。この車両も車体が従来と大きく異なっていて205系とは思わせないデザインをしている。

相模線205系500番台

☆武蔵野線   1991年デビュー。8両9編成在籍   豊田電車区在籍

1991年12月の武蔵野線8両化のダイヤ改正に合せて、8両5編成(クハ205−145以下〜クハ205−149以下)が豊田電車区に投入された。武蔵野線に投入された205系も前面が異なっている。1991年10月に最初の1本が暫定的に6両としてデビューして、12月のダイヤ改正で8両となった。現在も8両5編成(6M2T)が豊田電車区に在籍している。豊田電車区には三鷹電車区と山手電車区からIGBT・VVVFインバータ制御に改造された5000番台車が年内から運転を開始する。車体はそのままだが、4M4Tの構成にするためVVVFインバータ制御に改造された。このうちの三鷹電車区から転属された元ミツ15編成と16編成が改造工事を終え、大宮。大井工場から出場して豊田電車区に回送された。この車両はモハ205・204をそれぞれ1ユニットずつ抜いた編成となっている。抜かれたモハ205・204は南武支線用としてクモハ205・204となって再登場する。2006年までにVVVFインバータ制御に改造された205系が主力車となり103系は撤退するものだと考えられます。
また、2002年11月には、VVVFインバータ制御に改造された5000番台が営業運転を開始しました。さらに2003年には山手電車区から8両2編成(元ヤテ44、46編成)が転属しました。

武蔵野線205系

 

205系5000番台。南船橋にて

山手電車区から転属してきた205系5000番台。(写真は元ヤテ44編成のトタE6編成)

☆205系が新たに入線した路線を紹介いたします。

☆仙石線  2002年11月〜

103系だけで運転されてきた仙石線ですが、山手線にE231系の増備が進み、仙石にも205系が入線することになりました。仙石線で活躍している205系は3100番台として改造されました。改造内容はドアの半自動化改造や石巻方先頭車にトイレの設置、耐寒工事などが行われました。仙石線で活躍している205系の先頭車は、山手線・埼京線時代では付随車であったサハ205からの改造車となっていて、前面も従来の205系と異なっています。このうち4編成は石巻方先頭車のみロングシートとクロスシートの切り替えが可能な「2WAYシート車」として活躍しています。これらの編成は従来車と異なるカラーリングをしています。2003年3月現在では4両6編成が宮城野電車区に所属していますが、最終的には15編成がそろう予定であり、103系を淘汰する予定です。

仙石線に転属・改造された205系。

仙石線用に改造された車両のうち4編成は、「2WAYシート車」としてカラーリングが異なっている。

2WAYシート車の室内。写真はクロスシートになっている状態。

☆南武支線  2002年8月〜

101系が活躍していた南武支線にも、205系が入線することになり、2002年8月から、運転を開始しました。
南武支線に入線した205系は中央・総武緩行線で活躍していた205系を改造し、1000番台と改番されました。
205系1000番台は、2002年3月に、鎌倉総合車両所で改造工事を終え、配属先である中原電車区に回送された。この205系1000番台は、元総武線の205系のミツ15、16編成に組み込まれていたモハ205−279、282とモハ204−279、282の4両を先頭車化改造しモハ205−279がクモハ205−1001に、モハ204−279がクモハ204−1001に、モハ205−282がクモハ205−1002に、モハ204−282がクモハ204−1002にそれぞれ改造、改番されました。現在は2両2編成が在籍していて101系は1編成が予備車となっています。

南武支線用に改造された205系1000番台。クモハ205+クモハ204の強力編成。

☆八高・川越線  2003年11月〜

2003年に、山手電車区からヤテ8編成とヤテ28編成の中間車を八高・川越線用に改造の上、川越電車区に転属されました。サハ205の先頭車化改造や半自動ドア対応になった事が主な改造内容です。改造後3000番台として活躍しています。最終的に4両7編成が出そろう予定です。

八高・川越線用の205系3000番台。同線で活躍する103系を置き換える。

☆現在、205系が活躍しているのは今まで紹介してきた路線ですがかつて、活躍していた路線もありました。

☆中央・総武緩行線  1989年8月〜2001年11月

中央・総武緩行線に初めて205系が投入されたのは、1989年でした。東中野事故で廃車となった201系と103系を補充するために、埼京線用として発注していたものを急遽中央・総武緩行線に投入されることになり10両2編成(クハ205−95以下、クハ205−97以下)が三鷹電車区に投入され、1989年8月1日にデビューしました。しかし1990年にクハ205−97以下の編成が川越電車区に転属となり、1編成のみの在籍でした。1992年に浦和区と中原区から転属してきた車両を連結した。(第14編成)さらに京浜東北線用の205系も浦和区から三鷹区へ10両2編成(クハ205−104以下・クハ205−105以下)を転属させた。その後は1996年12月の埼京線恵比寿開業に合せて川越区にクハ205−95以下の編成を転属させた。しかし2001年に改造工事を受けるため第15編成と第16編成は運用を離脱して、15編成は8月に離脱して大井工場で改造工事を受け、16編成は大宮工場で改造工事を受けた。改造工事は、IGBT・VVVFインバータ制御改造でモハ205・204−279・282はなんと、先頭車化改造を行い、クモハ205、204となる。VVVFインバータ制御に改造された編成は5000番台となる。そして最後まで残った14編成も11月下旬に運用を離脱して、運転を終了した。14編成は2002年1月に京葉区に転属するためにラインカラーを取り替える軽い工事を行い、3月に出場した。

今はなき中央・総武緩行線の205系。

205系元ミツ14編成。写真提供:PIUKA様

☆京浜東北線   1989年10月〜1996年1月

京浜東北線には1989年10月〜11月にかけて10両4編成(クハ205−104以下〜クハ205−107以下)が製造された。しかし1992年に6両(クハ205−106以下)が蒲田電車区(横浜線用)に転属して残りの4両が、中原区から転属されたクハ205−103以下と一緒に三鷹電車区に転属された、その他にもクハ205−104以下とクハ205−105以下も三鷹電車区に転属した。そして1996年1月28日に最後まで残ったクハ205−107編成以下が川越電車区に転属するため運用を離脱した。

以上、205系の活躍路線について紹介しました。今、205系は今後の動向が気になる時期なので予断を許せない状況です。2006年までには山手線から205系が撤退してしまいます。