野岩鉄道・会津鉄道
〜首都圏−会津路への連絡線〜

<はじめに>

野岩鉄道会津鬼怒川線は、新藤原−会津高原尾瀬口間の30.7Kmの第三セクター鉄道であり、会津鉄道会津線は西若松−会津高原尾瀬口間の57.4Kmの第三セクター鉄道であり、東武線の浅草から会津鉄道の会津田島まで直通する快速・区間快速列車が日中時間帯、1時間に約1本の割合で運転されています。また、会津鉄道は西若松−会津若松間、JR只見線に直通運転を行っています。
野岩鉄道は全線、単線電化であり、会津鉄道は全線単線であり、会津高原尾瀬口−会津田島間は直流電化されています。両線とも日中時間帯は1時間に約1本の割合で運転されています。野岩鉄道と会津鉄道の全区間を走る列車は快速「AIZUマウントエクスプレス」号2往復と快速「AIZU尾瀬エクスプレス」の1往復の計3往復であり、それぞれ鬼怒川温泉−会津若松間(AIZUマウントエクスプレス号の1往復は土休日、喜多方まで延長運転)で運転され、両鉄道の他、JR東日本、東武鉄道の4線を直通する形で運転されています。また、浅草方面からの快速・区間快速列車は会津田島まで直通運転が行われています。
野岩鉄道は全列車2両編成での運転、会津鉄道は会津高原尾瀬口−会津田島間は2両での運転、会津田島−会津若松間は1両〜2両の気動車での運転となっています。

鬼怒川温泉駅に乗り入れた会津鉄道キハ8500形AIZUマウントエクスプレス(左)と南は浅草、北は会津田島まで顔を出す東武6050系との並び。また、2006年3月18日より、JR線新宿から鬼怒川温泉の直通特急(スペーシアきぬがわ、きぬがわ)号も運転されるようになり、ますます便利になった。

<歴史>

野岩鉄道は国鉄野岩線として、会津線会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)から日光線今市を結ぶ新線計画として建設されていました。しかし当時、国鉄の負債が多かった事から工事は中断となり、栃木県と福島県、および沿線の民間企業が出資して運営を行う第三セクター方式が採用され、1981年に野岩鉄道株式会社が設立され工事は再開されました。また、工事再開に合わせて、会津滝ノ原−今市までの建設計画を見直し、会津滝ノ原−東武鬼怒川線新藤原までに変更しました。その後、野岩鉄道は東武鉄道と相互直通運転を行う事が決定した事によって、全線直流電化される事になりました。そして、1986年10月9日に新藤原−会津高原間(開業日に会津滝ノ原から改称)が開通し、東武伊勢崎線の浅草からの直通列車も運転を開始しました。約1年間は国鉄会津線と接続する形となっており、東武6050系とキハ58系列・キハ40系列の並びが会津高原駅で見られました。2005年には会津鉄道保有のキハ8500形AIZUマウントエクスプレスが会津鬼怒川線を経由して鬼怒川温泉へ直通運転を開始し、さらに2006年3月18日には会津鉄道保有のAT−600形・650形快速「AIZU尾瀬エクスプレス」号が新たに、鬼怒川温泉へ直通運転を開始し、それぞれ、鬼怒川温泉で特急「スペーシアきぬ・スペーシアきぬがわ、きぬがわ」号に接続し、浅草・新宿−会津若松間を鬼怒川温泉での乗り換えのみで結んでいます。
会津鉄道はJR会津線を1987年7月16日に引き継ぎ開業しました。国鉄会津線は1927年に会津若松−上三寄(現在の芦ノ牧温泉)間が開通し、1934年に会津田島まで開通、1953年に西若松−会津滝ノ原間が全通し、西若松−会津若松間は只見線に直通運転を行っていました。しかし、国鉄会津線は首都圏と接続していなかった事もあり会津滝ノ原駅へ乗り入れる列車は数本のみであり、また利用客が少ない事もあり1984年には第二次地方交通特定線に選定されてしまいました。このため、沿線では鉄道存続をするために第三セクター方式で存続させる事を決定し、1986年に福島県と沿線の民間企業が出資した第三セクターの会津鉄道株式会社が設立されました。
1987年4月1日に国鉄はJRに民営化され会津線は3ヶ月程、JR東日本によって運営されました。1987年7月16日にJR東日本から会津鉄道へ経営が移管されました。1990年10月12日には沿線の要望によって直流電化工事が進められてきた、会津高原−会津田島間が電化開業し、浅草−会津田島間が直通運転が開始されました。2006年3月18日には、会津高原駅が会津高原尾瀬口に改称され、現在に至っています。

会津高原尾瀬口に停車中の東武6050系。野岩鉄道開業時は写真の2番線ホームが会津鬼怒川線専用、隣の1番線が会津線専用であったが会津田島電化によって現在は、両方の番線を使用する事が可能である。

<沿線の見所>

塔のへつり   交通案内:会津鉄道会津線塔のへつり駅下車徒歩約5分。

阿賀野川の支流大川沿いにある塔のへつりは、1937年8月24日に国の天然記念物に指定された観光地です。“へつり”とは会津地方の方言であり、言い換えると“川に沿った断壁”という意味です。近くにはつり橋があり、つり橋を渡ると独特な奇岩を通る事が出来、手すりが無いため、一歩間違えれば大川に転落する危険もある事からスリルが味わえます。

つり橋と塔のへつり。特に、紅葉の時期は大勢の観光客で賑わうとか。

塔のへつりは危険な崖が多いのも特徴である。

へつり内は、ゆっくり歩かないと隣に流れる大川に転落する危険がある。

塔のへつり駅。無人駅であるが日中時間帯は快速「AIZUマウントエクスプレス」号も停車する。

湯野上温泉駅の茅葺き駅舎

湯野上温泉駅は1987年12月に、茅葺き屋根の駅舎に建て替えられました。これは、茅葺き屋根の民家が建て並ぶ大内宿への最寄り駅である事がきっかけでした。日本全国の鉄道で茅葺き屋根の駅舎は湯野上温泉駅のみです。

茅葺き駅舎とAT−500形。

茅葺き屋根の駅舎の湯野上温泉駅。丸型ポストと茅葺き駅舎は良く似合う!

駅舎内は昔ながらの囲炉裏があり、駅舎と同じく残しておきたい風景である。

大内宿   交通案内:会津鉄道会津線湯野上温泉駅からタクシー利用。

茅葺き屋根の建物の集落となっている大内宿は国の重要文化財に指定され、現在では民宿や商店として営んでいる所が多い特徴があります。昔ながらの風景が残っているので、全国各地から観光客が訪れています。

鶴が城   交通案内:JR会津若松駅からバス利用。
          入館料:大人400円、こども200円。休館日:7月第1月曜〜4日間、12月第1火曜〜3日間。

鶴が城は1384年に建立された東黒川館が始まりといわれています。1593年に七層の天守閣が完成し、黒川を若松に改め、城名も鶴が城と命名されました。しかし、1874年の廃城令によって取り壊されました。現在の鶴が城は1965年9月に復元されました。城内には江戸時代の会津藩の紹介などが展示されています。特に、教育関係者は一度は行ってみる価値があるでしょう。

現在の鶴が城は1965年に復元され、会津若松市のシンボルとして多くの観光客が訪れる。

<車両>

1.電車編

野岩鉄道は開業に合わせて、東武6050系と同一車両を2両3編成導入しました。会津鉄道も会津田島電化開業に合わせ、2両1編成を導入しました。いずれも東武鉄道車と共通運用となっており、新栃木の車両基地に所属しています。
東武鉄道は野岩鉄道会津鬼怒川線開業に合わせて、1985年から1986年にかけて、6000系の足回りを流用して車体を新造した6050系を2両22編成を導入しました。(6151F〜6172F)
6050系はクハ6250+クモハ6150の1M1Tで構成されていて、野岩鉄道と会津鉄道所有車は、東武6000系の更新車では無く、新造車となっているため、台車や一部部品が異なっています。また、車番が61101F〜61103Fが野岩鉄道車、61201Fが会津鉄道車となっています。その後、東武鉄道は2両7編成(6173F〜6179F)を新造しました。
車内は出入り口付近を除き、ボックスシートとなっていて、会津田島方の先頭車のクハ6250にはトイレが設置されています。運用区間は浅草−会津田島間と下今市−東武日光間となっています。

会津鉄道会津線・会津荒海駅に入線する東武6050系6178F。

2.気動車編

非電化区間の会津鉄道・会津田島−西若松間では気動車が用いられ会津鉄道が保有する気動車は現在、AT−500形2両、トイレ付きのAT−550形2両、AT−600形1両、トイレ付きのAT−650形2両、キハ8500形5両、イベント列車に用いられるAT−100形、AT−400形、AT−100形103号がそれぞれ1両ずつあり、計15両所有しています。キハ8500形を除いて両運転台となっているため1両での運転も可能となっています。

AT−500形・550形

AT−500形・550形は2004年に開業時より使用してきたAT−100形・150形を置き換えるために新潟トランシスにて4両が製造されました。エンジンは350馬力で最高速度は95Km/hとなっていて、車内はセミクロスシートとなっています。また、車体は会津地方にゆかりのある野口英世のイラストが用いられ、AT−501、AT−551は車体に野口英世が母親であるシカにあてたメッセージがそれぞれイラストされており「ふるさと列車」の愛称があります。
AT−500形・550形は会津高原尾瀬口・会津田島−会津若松間の普通列車に用いられます。

車体に野口英世が母親であるシカにあてたメッセージがイラストされているAT−501。

こちらはAT−552+AT−502。

AT−600形・AT−650形

AT−600形とAT−650形は2005年に、開業時から使用してきたAT−100形・150形、AT−200形を置き換えるため新潟トランシスにてAT−600形1両、AT−650形2両の3両が製造されました。AT−500・550形と異なる点は、エンジンが420馬力に出力アップして最高速度が100Km/hへ向上した点と、野岩鉄道・東武鉄道への直通運転に備えて東武ATSを搭載している点、車内が転換クロスシートになっている点です。その他はAT−500形・550形とほぼ同じです。
2006年3月18日のダイヤ改正より会津若松−鬼怒川温泉間を直通する快速「AIZU尾瀬エクスプレス」号としても用いられるようになり、野岩鉄道・東武鉄道への乗り入れも開始しました。(検査時等はAIZUマウントエクスプレスでの代走も考えられる)
 AT−600形・AT−650形は、快速「AIZU尾瀬エクスプレス」号の他にも会津高原尾瀬口・会津田島−会津若松間の普通列車にも用いられます。

AT−600形+AT−650形。AT−652号は財団法人日本宝くじ協会からの補助金で製造された。

鬼怒川温泉まで運転されるようになったAT−600形・650形。

キハ8500系(AIZUマウントエクスプレス)

キハ8500系は1991年に名古屋鉄道(名鉄)がJR高山線乗り入れの特急北アルプス号用として5両が日本車輌製造にて製造されました。しかし、2001年9月に北アルプス号が廃止され、活躍の場を失いましたが会津鉄道が購入する事になり、2001年に会津鉄道に入線し2002年3月22日より会津鉄道での運転が開始されました。
キハ8500系は、8501+8504と8502+8503の2両2編成と中間車1両のキハ8555の計5両ですがキハ8555は繁忙期のみ増結されます。また、350馬力エンジンを2基搭載していて最高速度は120Km/hとなっています。高性能車である事と、名鉄時代にJR線に乗り入れていた事から2003年10月から土休日に限り、快速「AIZUマウントエクスプレス」号の1往復が喜多方まで乗り入れを開始し、2005年には野岩鉄道を経由して東武鬼怒川線・鬼怒川温泉まで1往復のみ乗り入れを開始しました。2006年3月18日のダイヤ改正では、快速「AIZUマウントエクスプレス」号の鬼怒川温泉乗り入れが2往復に増発されました。車内は有料特急車として製造された事から、リクライニングシートとなっており、特急列車として十分、活躍出来ます。
キハ8500系は鬼怒川温泉−会津若松・喜多方間の快速「AIZUマウントエクスプレス」号のほか、会津高原尾瀬口・会津田島−会津若松間の快速・普通列車にも用いられます。

会津鉄道で活躍するキハ8500系「AIZUマウントエクスプレス」号。

イベント車両(会津浪漫号)

会津鉄道では1999年より、会津田島−会津若松間にてキハ30−18を改造した自走式トロッコ列車「会津浪漫号」の運転を繁忙期を中心に運転を開始しました。キハ30−18はAT−301に改番され塗色変更されたAT−150形と2両で運転していました。当時、全国初の自走式トロッコとして注目を集めました。トロッコ列車が好調な事から2000年にはAT−100形103号車をお座敷車両に改造しAT−301と2両で「お座トロ列車」として運転されました。2003年にはキハ40−511を展望車に改造し、AT−401形として「風覧望」の愛称で運転を開始し、会津浪漫号は3両編成となりました。

AIZUマウントエクスプレスと並ぶAT−401「風覧望」。AT−301とAT−401は財団法人日本宝くじ協会からの助成金で改造された。

お座敷車両に改造されたAT−103。奥に見える車両がAT−301トロッコ車両。

過去の車両

会津鉄道発足時から活躍してきたAT−100形・150形、AT−200形車両ですが老朽化が進み2005年12月までに、お座敷車両に改造されたAT−103号を除き、全車両が廃車となりました。AT−100・150形は1987年に新潟鐵工所(現在の新潟トランシス)にて5両ずつ製造されました。250馬力で最高速度は85Km/hでした。

現在はAT−103号を除き消滅したAT−100形・150形。

<終わりに>

東武電車が会津地方を走っている事は、昔まで考えられなかった話でしたが1987年の野岩鉄道会津鬼怒川線開業と1990年の会津鉄道会津田島電化開業によって、直通運転が開始されるようになり首都圏と会津は近くなりました。塔のへつりや大内宿が観光客に注目されるようになったのは、浅草からの直通運転が開始された事もひとつの理由として考えられるでしょう。魅力ある南会津の観光地と首都圏が1本で結ばれた事は、便利になったと思います。

野岩鉄道会津鬼怒川線の開業時は利用客が現在と比べて多く、4両編成の列車や臨時列車も運転される事がありましたが現在では利用客が落ち込み全列車2両編成での運転となっています。かつて、浅草−会津田島間には東武350系4両を用いた急行「南会津」号が走っていましたが2005年で廃止となりました。間合い運用で350系を用いた普通列車も運転されていました。

個性的な車両が多い会津鉄道ですが、2002年より運転を開始したキハ8500形「AIZUマウントエクスプレス」号の入線により、気動車の野岩鉄道・東武鉄道への乗り入れが行われていますがキハ8500形が入線する前までは、会津鉄道の気動車が鬼怒川温泉へ乗り入れることは考えられなかった事でしょう。

2006年3月18日のダイヤ改正から東武線の快速列車が大幅に削減され、東武動物公園−東武日光・会津田島間各駅停車の区間快速が新設され、新栃木−東武動物公園間の沿線利用客からは歓迎する声が出た反面、首都圏からの観光客からは不満の声が多く出てしまう結果となりました。首都圏と会津が1本で繋がっている以上、快速列車の大幅削減は利便性を損ねた事は言うまでも無く、次回のダイヤ改正で快速列車の増発を行う事が望ましいでしょう。

浅草・新宿−東武日光・鬼怒川温泉・新藤原間に運転されている特急「スペーシア」号は電化設備や両数の問題上、野岩鉄道と会津鉄道には電化されているものの入線する事が出来ず、首都圏から会津方面へ特急を利用した場合でも、未だに鬼怒川温泉での乗り換えが余儀なくされます。2006年3月18日のダイヤ改正で鬼怒川温泉駅で特急「スペーシア」号と快速「AIZUマウントエクスプレス」号の乗り継ぎが便利になりましたが、会津鉄道や会津地方の沿線住民からは、首都圏と乗り換えなしで直通する列車の運行を望む声も少なくないのが現状であることから、AIZUマウントエクスプレス号が将来、浅草か新宿まで直通運転を行えば、利便性が大きく向上するものと思います。2両編成で1日1往復、有料特急として乗り入れを行って欲しいものです。

リンク

会津鉄道ホームページ