ボート部創設までの歩み
 
                                  2001年度のページへ    

「ボート部創設までの歩み」は6月6日をもって終了させていただきます。今後は「初めての大会に向けて」をぜひご覧下さい。
01年6月6日  高郷村教育委員会との調整が終わりました。土曜日(6月9日)に艇を輸送します。6月3日に決めた候補の艇とは違う艇になりました。かなり古く、生徒の年齢に近い古さです。でもぜいたくは言えません。どんなに古い艇でも乗れれば練習はできるからです。昭和56年に荻野漕艇場から水の漏る艇を湖南に運んで私が修理しました。その艇で練習し昭和57年に世界ジュニア選手権に選手を送り、昭和58年にはインターハイで優勝したことを思い出しました。厳しい条件であっても、与えられた条件を最大限に活用し、最善を尽くせば何とかなるものです。生徒たちは今、厳しい体力トレーニングに励んでいます。まだ一度も艇に乗ったことがないのに意識がかなり高く、練習に取り組む姿勢がまるで麻薬に中毒しているようです。あと3日で待ちに待った艇がさくら湖に浮かびます。
01年6月3日  荻野漕艇場に県高校体育大会を見学に行ってきました。もちろん大会を見学するだけでなく、トレーニングもやったし、レースの進め方を学習したり、実際に艇に触ってリギングの練習もしました。一番の収穫は実際のレースを見て自分も漕ぎたくなったことだと思います。その気持ちを大切にして、艇がくるまで頑張ろう。輸送する艇の候補が決まりました。あとはゴーサインを待つだけです。1週間後には輸送したいと思っているのですがどうなるでしょうか。生徒たちは荻野漕艇場でかなりの視線を感じたそうです。体つきだけは間違いなく一流選手と同じですから注目を集めるのは当たり前です。体つきだけでなく強い漕ぎをして注目されたいものです。
01年5月31日  リギング(艇の調整)のテキストができあがりました。また、L板アッセンブリも届きました。これでいつでも艇の調整ができます。でも艇の輸送の見通しが立たないのです。こんなことが続くと入部した生徒も嫌気がさすと思います。ボートを漕ぐ楽しさが全然わからないまま、毎日毎日、体力トレーニングを続けるのは精神的に大変辛いからです。日曜日には荻野漕艇場に生徒を連れて行きます。ボートの高校体育大会が開かれているからです。向こうで色々勉強させます。そして、意欲も充電させます。9月初めの新人戦の足音が聞こえてくるようです。まだ艇に触ったこともないのに間に合うのでしょうか。もう90日しかないのです。
01年5月26日  まだ艇の見通しはつきません。しかたなくエルゴメーターで技術練習と持久力のトレーニングをしています。エルゴメーターでのトレーニングは辛く、気分が悪くなった者もいました。そんな中で元気なのは勝裕君です。勝裕君のエルゴメーターのデータは間違いなく県のトップレベルです。オールが届きました。ブレードを赤に塗りましたが、スリーブの部分の色も目立ち、このオールで負けたら恥ずかしい思いをするでしょう。
01年5月23日  5人がそろって初めての練習です。練習に先立って約1時間、トレーニングに取り組む注意事項について話しました。部長を決めてから1人ずつ抱負を言わせましたが、全員が「目標は全国で活躍すること」でした。大きな目標に向かってスタートを切ったわけです。部長は2年生の勝裕君になりました。
01年5月21日  朝、県教委スポーツ健康課から荻野漕艇場の艇の輸送について電話がありました。「今後早急に高郷村教育委員会との調整を進める」とのことでした。放課後、三春町役場で町長にお会いし、今後の支援をお願いしてきました。「さくら湖レガッタ」以来久しぶりにお会いしましたが、お元気そうでした。三春町教育委員会にもあいさつをしてきました。23日から本格的な練習が始まりますが、艇の輸送の見通しが立たないと練習計画も作れません。
01年5月20日  艇の調整用の工具を一式(4クルー分)購入し、加工も終わりました。L板アッセンブリは外傾を調整できるものを発注し、オールはオーストラリア製のものを発注しました。あとは荻野漕艇場からダブルスカルとシングルスカルを運ぶだけです。県教委スポーツ健康課と高郷村教育委員会との調整がまだ終わってなく、5月18日の時点で艇を輸送できるのはいつになるか未定です。艇の輸送が遅れるようだと荻野漕艇場まで行って練習しなければなりません。
01年5月17日  昼休み、新たに2名が入部しました。私が生物を教えているクラス(2年生)の生徒、弘之君と聡君です。弘之君は185cmの身長があります。少し細身ですが体重をあと10kgくらい増やせば理想的な体になります。聡君は身長が174cmでボート選手向きの体型をしています。これで部員は5名になりました。男子は2年生が3名、女子は1年生が2名です。男子はダブルスカルとシングルスカル、女子はダブルスカルで練習することになります。
01年5月16日  ボートのテキストができあがりました。世界選手権で好成績をあげたカナダの女子シングルスカルの選手がモデルになっている技術解説書をもとに作成しました。できるだけわかりやすく写真を入れてつくりました。自分でも上出来だと思います。テキストは「漕法」と「ボートのスピードを上げる要素」の2つです。今後「リギング(艇の調整)」のテキストも作らなければなりません。「ボート部員心得」も作りました。これらの資料を4人の部員に渡しました。
01年5月13日  荻野漕艇場で会津地区大会が行われたので見に行ってきました。(湖南がオープンで参加しているので県大会とほぼ同じメンバー)男子シングルスカルは3年生が抜ければ今のところ空き巣の状態です。女子ダブルスカルは湖南と喜多方東がある程度のレベルにあり、これを3ヶ月で負かすのはかなりきついと思いました。でも新人戦では何としても男子シングルスカルと女子ダブルスカルは2位までに入り、東北大会の出場権を取らなければなりません。そして、9月の生徒総会で部に昇格する予定なのです。西会津高校から古いオールを4人分(8本)借りてきました。2ヶ月の借用です。三春町で新しいオールを購入するまでこれで練習します。新人戦(9月2日決勝)まで100日位しかありません。その間に、全くの初心者をレースで勝負できるまでに仕上げるのは針の穴に目をつぶって糸を通すようなものです。でも絶対にやり遂げなければならないのです。平成6年に喜多方女子に赴任した時は2ヶ月で絶対不可能だと言われた女子舵手付きフォアで奇跡的な逆転優勝を遂げましたが、それ以上に大変かもしれません。
01年5月11日  朝から、1年生の勧誘です。女子がほしいので、前から目をつけていた生徒2人に声をかけました。女子のダブルスカルを組みたかったからです。女子は1人では不安だが、友達がいれば頑張れることを今までの経験でわかっているからです。最初は「ボートはやらない」という返事でしたが、断られるのは覚悟していました。朝の打ち合わせまでの20分間説得して、さらに1校時がその生徒の授業でしたので、授業が終わってから、さらに昼休みもと何度も説得を続けました。そしてついに、放課後漕艇場を見学する約束をもらいました。昨日、声をかけた勝裕君からOKの返事が来ました。放課後は勝裕君と由里子さん香苗さんの3人を連れて漕艇場に行きました。漕艇場の施設を見学して(まだ入れ物だけで艇はありません)今後ボート部をどんなふうにしていきたいか1時間話しました。そして、最後に、由里子さん、香苗さんにもOKをもらったのです。由里子さん香苗さんともに身長は168cmくらいあり、間違いなく私より大きいのです。こんな大きな女子生徒(しかも1年生)を指導できるなんて、こんな幸せなことはありません。2日前の地獄から一気に天国に上った気分です。
01年5月10日  1年生が入学して約1ヶ月、高体連の地区大会を前にして、部に所属している生徒は現在の部で頑張っているだろうし、部に入っていない生徒は別な目的(たぶん、遊びやアルバイト)に精を出してボートにはあまり興味を示さないのではないかと思います。もう、1人ひとり口説くしかありません。2年生の生物の時間が終わってから、前から目をつけていた生徒を呼んで勧誘しました。勝裕君はもと野球部で現在は、どの部にも所属していません。177cmの身長と80kgを超える体が魅力的です。ピッチャーだったと言うのでたぶん運動神経も良いと思います。「明日まで考えてきます」という言葉に少しホッとしました。三春町役場の志賀さんに会って今後のことを話し合いました。県教委スポーツ健康課からは「ダブルスカルの輸送も認める」旨のFAXが届いていましたので、とりあえず、シングルスカルとダブルスカルだけでも早めに輸送できるようにお願いしてきました。(クオドルプルを漕げるだけの人数が集まりそうもないからです)
01年5月9日  いよいよ生徒総会の日が来ました。昨日から昇降口にポスターを貼りだしてあるので少しはPRされていると思いますが、正式なPRは生徒総会です。約5分の時間をもらってPRしましたが、どの程度理解してもらったでしょうか。放課後、説明会を開きましたが、そこに出席したのはなんと2年生の男子生徒1人だけでした。彼は三春中出身で漕艇場にも行ったことがあると話していました。生徒が1000人以上いるのに1人しか集まらなかったことに大きなショックを受けました。ここ数年で最大のショックです。地獄にたたき落とされた気分です。でも生徒総会が終わったことで正式に勧誘ができると割り切ることにしました。
01年5月4日  荻野漕艇場で輸送する艇のチェックをしました。シングルスカルは5艇しかありません。2艇は湖南高校に運んであるそうです。備品帳簿に載っていないダブルスカルが1艇ありました。このダブルスカルは私が喜多方女子高でボートの専門委員長をしていたときに只見高校にあったものを荻野に運んでもらったものです。帳簿上は廃棄されているので、これを輸送の対象にできれば、全種目の練習が可能になります。

ボート愛好会PR用のポスターを作りました。
01年5月1日  三春町教育委員会で荻野漕艇場から輸送する艇についての打ち合わせをしました。県教委スポーツ健康課から主幹と副主査が参加しました。スポーツ健康課の原案では平成4年以前製造のシングルスカル7艇と舵手付きフォア8艇でした。舵手付きフォアはクオドルプルに改造しなければなりません。これにはかなりの費用がかかります。三春町の艇庫に新しいエルゴメーターが2台入りました。これも利用させてもらいます。5月4日荻野漕艇場で輸送する艇のチェックをすることになりました。
01年4月27日  喜多方商業の菅野先生にお願いしていた資料が届きました。今年度のボート競技の日程等です。新人戦は8月31日〜9月2日に行われます。あと4ヶ月の勝負ですね。この4ヶ月間に部員を募集し、ボートを準備し、デビューに備えます。今日の職員会議でボート愛好会の創設について私が説明し、先生方の了解をもらいました。多くの先生方から励ましの言葉をいただき、まずは順調なスタートを切ったと思います。生徒の代議員会でも了承をもらいました。
01年4月21日  教頭から、4月の職員会議で先生方の了解を得て、生徒には代議員会で承認をもらい、生徒総会で報告する手はずで進んでいることを聞きました。ただし、愛好会でのスタートになるということでした。最初は愛好会であっても実績を上げれば部に昇格できるはずです。大至急、今年度のボートの競技日程を調査し、愛好会発足後すぐに加盟を申請し、夏休み明けの新人戦デビューを目標に部員募集をするつもりです。
01年4月19日  教頭に写真入りのボート部創設のための説明資料と、生徒PR用の資料を渡して、4月の職員会、5月初めの生徒総会でボート部創設が認められるよう、校長と話を進めてほしい旨、お願いしました。
01年4月14日  荻野漕艇場に行ってみました。西会津と喜多方東、喜多方、喜多方工業が練習していました。男子は特に目立ったクルーはありませんでしたが、喜多方東の女子シングルは良い漕ぎをしていました。(3月の全国高校選抜大会に出場した生徒のようです。)喜多方東のユニフォームは替わったはずですが、私が喜多方女子にいたときのユニフォームを着ていたのには驚きました。昔はあのユニフォームを着た生徒はみんな全国大会に出場したものでした。ボートのPRのためにデジカメで写真を撮り、漕艇場にあったダブルスカルのポスターをもらってきました。
01年4月12日  着任式も終わったので、校長にボート部創設についてどんな考えでいるかを打診しました。お金がかかることが大きな問題なので、町がどの程度面倒を見てくれるかがカギだという話でした。校長は近々、町長に会うので、町の考えを聞いてみるとのことでした。

桟橋を出て春田大橋に向かう
01年4月6日  三春町役場の志賀さんとさくら湖をモーターボートで見て回りました。2月に見たときよりもかなり水位が上昇していました。初めて春田大橋より上流まで行ってみました。さくら湖は複雑な形をしているので、風が出ても波の立たないところがあることがわかりました。
01年4月2日  田村高校に赴任しました。校務分掌は教務部、1年の副担任、情報部、水泳部と大変な仕事はありません。たぶん、将来ボート部が創設されることを見越しての分掌だろうと思います。校長からは、「そのうち、落ち着いたらボートの話もしなければ」と言われました。