多度津幼稚園

 今にして思えば、小さな町にしては、多度津町の教育施設は整っていたと思う。昭和20年4月に、4才で幼稚園に入った。今でいう年少組であろうか。当時は、一年が普通であったが、私は2年間通った。幼稚園は、小学校の隣にあって桜川に近く、2階建ての校舎で、大きな砂場、たくさんのブランコや鉄棒があった。クラスの名前は、あか組とかしろ組とかいったと思うが、はっきりしない。子供にはものすごく幅広く感じられた階段を登ると、年長組のクラスがあってき組といっていた。いつも、向かいに住んでいた四宮のエミちゃんと通ったが、幼稚園までは、子供の足で30分はかかったと思うけれど、親に連れて行ってもらった記憶はないので、多分、子供たちだけで通っていたのだと思う。

 昭和20年に幼稚園に入園したということは、終戦の年であり、戦時中の話である。幼稚園の入り口には兵隊さんが立っていたことだけを鮮明に記憶している。戦争の記憶としては、夜になると、おばあちゃんに連れられて、堀江の田圃までいって寝ていたこと、そこで、高松の空襲で夜空が赤かったのを見たような気がするだけである。

 私が通った幼稚園は、その後、統合して移転した中学校の跡に移転したため、建物は残っていません。古い頃の写真も見あたらないようです。