昭和22年4月に小学校に入学した。多度津町史によると、戦前は(昭和16年から)国民学校と呼ばれており、多度津小学校と改称されたのがこの年であった。ということは、1年上の人は、国民学校に入学したということで、昭和28年卒業というのは、小学校としての第一期卒業生ということになる。今までこのことには全く気づかなかった。まさに、「大発見」であった。 左の写真は、大正15年に作られた鉄筋3階建ての正面玄関の部分で、両翼に2階建て木造校舎が続いていた。昭和43年には、新校舎が建設されたので、現在はない。 |
1000人を超える全児童が一度に入れた大講堂は、下が雨天体操場の鉄筋2階建てであった。入学式、卒業式、始業式、終業式と、学校行事に使われることは当然だが、映画上映会や音楽会なども行われた。30メートルはあったろうか、たくさんの長椅子を片づけて床の雑巾がけをしたものだ。写真の両側の建物は後で付いたものである。 |