『涙』
「お姉さん、よかったら俺たちと飲まない?」
おそらく自分ではイケてると思っているのだろう。
その声を掛けるときの仕草も、一昔前のナンパな男のように少し長い前髪をかき上げながらいかにも自分に酔っています風だ。
「お姉さんみたいに綺麗な人、今まで見たことがないよ」
こっちの男は、タンクトップの下より自慢のムキムキな筋肉を自己主張させている。
くだらない…。
何でこんなに広い世の中なのに、ロクな男が居ないのかしら。
けど、こんなろくでもない男なんかが居るから、私も稼げるんだけどね。
だから、遊んであげるの。
どうせ、飲ませて酔わせようって魂胆が簡単に見える男だし。
私に飲み勝とうなんて、百年早いってことを教えてやらなきゃね。
「ノジコー!居る〜?」
久しぶりの、帰宅だった。
家の周りからは収穫前のみかんのさわやかなか柑橘の香りで満ちている。
「ノジコー!居ないの〜?」
家の中に入ってみるが、人が居る気配は全く無かった。無論、家を取り囲むみかん畑にもそれらしい気配は感じられない。
「…せっかく私が帰ってきたのに、居ないなんて…!沢山お土産持ってきたのに!」
昨晩ナミをナンパしてきた男どもより巻き上げた品々をお土産として、テーブルの上に置いた。
「ったく、あの不良娘は一体どこに行ったんだかね…」
ダイニングのイスへと腰を下ろして、ナミは愚痴ってみるが、それに対して誰も返事がくるわけではなかった。
「大体、私の方が絶対にいい女な上に、強くて、賢くて、真面目よね〜。でなきゃ、海図だってこんなに正確に書けないし!それに比べてノジコはいい気なもんよ。こんな田舎の村でみかん作って、のほほ〜んと生きていけるんだもんね!」
テーブルの上に置かれているみかんに手を伸ばすが、ナミは食べようとはせずに、ただ手に持っているだけだった。
「…ったく、冗談じゃないわよ。私が帰ってくる時くらい、家族のあんたが居ないでどうするのよ…」
今日か明日のどちらかに顔を出すとノジコには連絡してあったのだ。
それなのに、いつだってノジコは私が帰ってくる時間には居ないのだ。
ただ、いつもダイニングテーブルには、何で私の好きな物が置いてあるんだろうね?
…もしかして、私のために我慢してるけど、本当は…私を許せないとか思ってるんじゃいんだろうかと、不安になる時があるの。
もしかし私はノジコに無理をさせてるんじゃないかって。
そう考えると、辛くて仕方なくて…。
自分で選んだことだから、我慢しなくちゃいけないと思うのに…。
…泣いちゃ、ダメ…。
目を赤くしてたら、ノジコに私の嘘がばれちゃうから。それは、絶対にバレちゃいけない嘘だから…。
裏切り者な私の、何も聞かずに傍に居てくれる、大切な義姉さんだから。
涙がこぼれてしまうと、弱くなってしまうから…。
「うっし!みかん、食べるわよ!」
そうナミは顔を上げると、テーブルの上に置いてあったみかんを一気に全部食べてしまうのであった。
「あれ?ナミもう帰ってきたの?」
陽も傾き、空がみかんと同じオレンジ色をしたころに、ノジコはようやく帰って来たかと思うと、開口一番そんな風に言うのだ。
普通は『おかえり』とかじゃないの?とか文句を言ってしまいたいところだけど、ノジコらしいっていちゃ、らしいかな。
優しく『おかえり』と言われる方が、今は辛いから。
それに窓から差し込むオレンジ色の西日が、私の赤く腫れた目を上手に隠してくれているから、大丈夫。
「ちょっと、久しぶりに帰ってきた妹に言う言葉がそれ?そんなこと言うと、お土産あげないわよ!せっかくこないだノジコが欲しがってたから、イーストブルーの最南端にちょうど行ったから、入手してきたのしさ!」
「え?本当に?ヤッター!」
「ちょっと、タダじゃあげないわよ!3000ベリーね。普通に買うと1万ベリーはくだらないんだから、安いもんでしょ?」
「はぁ?お土産なのに、金取るのかよ!そんな金あるわけないでしょうが!」
「もちろん!姉妹とはいえ、これだけは譲れないからね!」
「…この、守銭奴…」
はいはい。褒め言葉として、とっておきますよ。
…良かった、目が赤いの、気がついてないみたいで。
***
「あ。ナミ、起きたのか?お前泣いてるけど、ロビンは起こすなって言うし、俺困ってたんだぞ」
あれ?ルフィ?
「何だ?もしかしてどこか痛いのか?それなら、すぐにチョッパー呼んでくるぞ!」
そっか…。
そうだよね、夢か…。
ノジコが、グランドラインに居るわけないもんね。
今彼女とココヤシ村のみんなは、何の心配も無く生活しているハズで、私が我慢する必要もないんだもんね。
私は、もうこっそりと泣く必要もないんだから…。
…それよりも…。
「ルフィ、またあんた私のベッドにもぐりこんできたのね…」
以前より子どもじゃないんだから、勝手にベッドに潜り込むなと言っているのだが、このサルは何度言っても聞かずに勝手に入ってくるのよ!
「だって、腹減ったから、一緒に朝飯食いに行こうと思ったら、お前泣いてるんだもん」
そう言うと、ルフィはそのまま少し背伸びをして、私の目元をまるで猫のように舐めてきた。
「ほら、しょっぱいじゃんか。これ、水じゃないだろ?涙だろ?」
再度確認してくるように、そのままルフィは私の顔全体を万遍なく舐めてきて…。
「ちょ、ちょっと!ルフィ、朝っぱらから何やってるのよ!」
便乗して抱きついてきたその体を無理矢理に引き剥がしてやろうと思うんだけど、私がルフィの力で敵うわけないし!
けど、ルフィはあっさりと私を抱きついてきた腕の力を緩めると、お互いの息が触れてしまうくらいに顔を近づけたままに、私を困らせてくれるのよ。
「俺は、お前が泣いてるのを見るには、絶対に嫌なんだ」
バカね。
それは、私だけじゃないでしょ?
あんたは、この船に乗っている全員の涙を見たくないだけのくせに。
そんなのがルフィだって、知ってるから大丈夫だよ。
…だけど、ちょっとくらい意地悪してもいいよね?
「けど、泣くのを我慢するのも、ダメなのよね?」
「・・・うっ…」
たったそんな一言で、真剣に困った顔をしてしまう私達の何よりも信頼の船長を、頼もしいとか思っちゃうあたりで私も終わったと思うわけよね。
けど、ちょっとした言葉でも疑うことを知らないルフィだからこそ、私は本当の自分に戻れたんだけどね。
「大丈夫よ。昔と違って、私は本当に泣きたいときに泣けるようになったのし、本当に楽しいときに笑えるようになったの」
それは、私だけじゃなく、ルフィと出会った人間皆そう思ってると思うんだ。
「だから、泣いても心配しなくて大丈夫だから。泣いても、私は強く居られるから」
ルフィのおかげで、信じられる仲間が居るから!
泣いちゃダメとは、もう言わないよ。
泣きたいときは、泣いていいって教えてもらったから。
涙って、悔しかったり悲しかったりした時に流れるものだと思ったたけど、嬉しくても流れるって知ったから。
だから、私はもう泣くのを我慢しなくていいって分かったから。
「さ、ルフィお腹空いてるんでしょ?こんな所でまったりしてないで、サンジくんの美味しいブレックファーストでも食べに行きましょうかね?」
私は二人でかぶっていた毛布を勢いよくはだけさせると、体を起こしてルフィを朝食に誘ってあげるの。
ルフィが心配してくれて、このまま二人でまったりするのも悪くは無いけど、もったいないじゃない。
きっと、みんな私達が起きてくるまで朝食食べないで待ってるだろうし!
みんなで食べた方が、絶対に美味しいもん!
「そうだな!腹減った!」
ほら、ルフィだってご飯を我慢できるわけがないしね!
木村育美