[cooking]




「…ナミさん…、想像以上です…。やっぱり俺には刺激が強すぎました…」
 天井を仰いだかと思うと、その胸を掻きむしり、そう言い残してサンジは倒れてしまった。
 しかしその顔は苦痛では無く、幸せに満ちた表情であった…。






 事件の始まりは、ごくごく平穏な航海を進めていたとある一日であった。

「…退屈だわ…」
 ナミは先日大量に買った本も全て読み終わり、毎日天候も良く、仕事も特に無いために退屈なのだ。
 今手にしている本も、話題の本とのことであったが、内容はたいしたことが無かった。
 この船には好奇心旺盛な船長と船員の為、船をいざ下りると様々な揉め事に巻き込まれ、その度に静かで平穏な日を送りたいと思うのだが、いざそのような日が続くと退屈で仕方無いのだ。
 しかしあたりを見渡しても、三百六十度水平線の海の上。
 よっぽどのことが無いかぎり、何かが起こるわけがなかった。
 天候も良く、航海も順調。
 航海士として天候はもちろん波の様子、風を見るのを仕事としているナミは、デッキチェアに腰をかけこの時間に出されるサンジ特製スイーツに舌鼓し、のんびりとした昼下がりを過ごしていた。
 その様子からとてもではないが、航海士としての仕事をしているとは思えないが、これが彼女のスタイルだということは一緒に船に乗る仲間は皆知っているため誰も文句を言う者は居ない。遊んでいるようでいて、きちんと船の様子を見ているのだ。
 そんな信頼が、この船の中にはある。

「何か面白いこと無いかなぁ〜…」
 ぽかぽかとした日差しが、よけいにこの退屈にさせるようだった。
「あぁ〜もうっ!よけいに、退屈だわ!」
 突然に立ち上がると、先程からつつましくナミの為にアイスティーをいれたりと給仕しているサンジへと振り返った。
「サンジ君、キッチンを貸して!」
 その言葉に、サンジも驚いたようだった。
 キッチンはコックにとっての聖域であり戦場。サンジは決して誰もキッチンに触れさせようとはしないのだ。
 だが、ここは愛するナミのお願いだった。

 普段立ち入ることの無い船内のキッチン。
 料理人のくせにいつもタバコを吸い、素行も悪いサンジだが、料理にこだわりを持って生きているだけはある。キッチンは綺麗に片付けられていた。
「サンジ君、さすがよね〜…」
 いつも美味しい料理を作ってくれる現場に入り、気分が高揚してくるようだった。
 ここは料理人の聖域なのである。
 以前は自分で料理をすることはあったが、サンジが料理人として一緒の船に乗り込んでからというもの、キッチンに立つことは全く無くなっていたのだ。 何せ自分よりも美味しく、最高の料理を出してくれるのだ。自分が作る必要も無い。
「さて、久しぶりに張り切りますかね♪」
 大量のみかんを取り出し、気合を入れた。




 さて。
 気合を入れてキッチンに立ってみたが、その横にはサンジが先程からずっと心配そうに立っていた。
「ナミさん、何か手伝いましょうか?」
「あ、必要な物があったら言ってください」
「キッチンに立つナミさんも素敵すぎて、輝いています!」
 このように、先程からずっと声をかけてくる為に集中ができないのだ。
 サンジはナミの為に言っているのだろうが、ナミにとってみれば見張られているような感じだ。
「…サンジ君、手伝ってくれたりしなくても大丈夫だから」
 そう言うのだが、なかなか離れてくれそうにも無い。第一、そんな大それたものを作るつもりも無いのだ。
 自分が大切に育ててきたみかんの木は、毎年沢山のみかんを実らせてくれる。むろん今年も大切に育てたかいもあり豊作だった。だからこのみかんを使って、懐かしい思い出のおやつを久しぶりに作ろう持っただけなのだ。
 なので簡単に作ってしまおうと思うのだが、これはもう諦めて放っておくしかないだろう。サンジを退散させるために使う時間が無駄でしかない。
 適当に流そう。
 …そう思うのだがやはり存在自体が鬱陶しいのだ。
 そんな時だった。
「あ…」
 みかんを絞って出た果汁が、ナミの着ているキャミソールに掛かってしまう。
「あぁ!ナミさんの大切な服が!」
 そう大きな声を出したのは、むろんサンジだ。
 あぁ、もうっ!
 だから、そんな大きな声出さなくたって…。
 もう、呆れてため息しか出ないし。
 そんなナミを見て、サンジはどう思ったのだろうか?
「ナミさん、そんなに悲しまないで下さい…」
 サンジ君って…。
 普段は本当にいい子なんだけど、本当にお馬鹿なのよね〜…。
 そんな風に思われているサンジは、「そうだ」と急に何かを思い出したかと思うと、キッチンの下の棚より袋を取り出した。
「ナミさん、これ使って下さい」
 そう言われて受け取った袋の中から出てきたのは、白いレースの付いたエプロンであった。
 大体、誰もキッチンには入れないと言っているのに、何故エプロンが用意されているのだろうか?
 突っ込み所満載である。
「………」
 やっぱり、この子はお馬鹿だわ…。
 もう、言葉にすることも面倒なくらいに呆れてしまうのであった
 しかしサンジの趣味は横に置き、エプロンは有難かった。洋服をこの調子で汚してしまよりは、恥ずかしくてもこのエプロンを付けた方が効率も上がるだろうと考えるからだ。
「…サンジ君、ありがとう」
「いえいえ、以前ナミさんに似合いそうだと思って買ってみたのですが、実際にお役に立てて光栄です♪」
 そうデレっとサンジは嬉しそうに返事をする。
「素敵なナミさんと白いレース!さながらウェディングドレスのようですね!」
 どう転んでも、馬鹿としか言いようのないサンジであった。



 だが、このエプロンに問題があった。

 普段キャミソールにショートパンツなどの動きやすさにこだわった服装を好んでまとっているナミである。
 今日も、普段と変わらないキャミソールにジーンズ地のミニスカート姿だ。
 そしてサンジから渡されたエプロンは、それらの洋服をちょうど良い具合に隠してくれたのであった。

 エプロンからは、自慢の細く綺麗な足と腕が出ている。
 白いエプロンが、その腕に彫られたタトゥーを際立たせているようであった。
 エプロンの隙間から見える、胸の谷間。
「はだか…エプロン…」
 サンジはそう呟くと、その顔を慌てて抑えた。
 ちゃんとエプロンの下には洋服を着ているのに、まさかそんな風に見えるだなんて!
 馬鹿なことを言うのでは無いと叱ろうとサンジに振り向くと、その顔を抑えた指の間から、鮮血がたれていたのだった。
 ぎょっとして、ナミは反射的に、容赦ないパンチをその顔へと繰り出していた。
 数メートルほど吹き飛ばされながらも、サンジは負けていなかった。
「ナミさん、最高です!」
 そう、飛びついてくる。
「ちょ、さ、サンジ君、駄目だって!」
「ナミさん、あぁ俺の女神!貴方は俺の全てです!」
 両目をハートにさせながら、しつこく迫ってくるのである。
 こうなってしまったサンジを、力ずくで押しのけようとしても無駄なのは経験上ナミは知っていた。
 押して駄目なら…。

「サンジ君…」
 ナミは右手で今にも抱きついてきそうなサンジの胸を片手で押しのけながら、鳥肌が立ちそうになるのをぐっと堪えてそのもう片方の手でその頬へと優しく触れた。
 ポイントは、ちょっと見上げながら困った表情で見つめることだ。
「…お願い、もうちょっと待っていてくれないかな?」
 そして、一瞬見つめて、恥じらいを持ったように視線を外すこと。

 今サンジにはナミの恥ずかしそうな表情と、その表情と共にエプロンの隙間から見える胸の谷間しか見えていなかった。



「…ナミさん…、想像以上です…。やっぱり俺には刺激が強すぎました…」



 こうして、サンジは幸せいっぱいに昇天していくのであった。








「みんなー、出来たわよぉ〜!」
 今年収穫したみかんを使って作ったゼリーを器に盛り付けてナミはキッチンを出ると、船中に散った仲間に聞こえるように大きな声で呼んだ。
 この声にイチ早く反応してやってきたのは、むろんルフィである。
 化け物のようによく食べるルフィには、普通の器では足りない為に大きなボウルで作ってあげていて、さっそく出してやる。
 他の仲間も、その後に集まってくる。
「あら、すごくシンプルだけど美味しいわね」
 そう感想を言ってくれたのはロビンだった。
「ね?小さいころ、家族と一緒によく作ったんだ〜」
 毎日のサンジ特製スイーツもいいが、こういった家庭的な素朴なものもたまには悪くないだろう。
「じゃあ、これはあなたの思い出のおやつってわけね」
「そ、これはこのみかんで作らないと、意味が無いの♪」
 今年収穫したみかんを手に取り、ナミは嬉しそうに答えるのであった。


 そんな和やかな空気の中、ルフィが我慢ができないといった顔で声をかけてきた。
「なぁ、ナミ。これも食べていいか?」
 ルフィ用に準備したゼリーは、一瞬でそのお腹に収められてしまったらしい。
 まだ一つだけ残る器に盛られたゼリーに、ルフィは言うのと同時に手が伸びていた。
「あ。それは、サンジ君の…」
 だから食べちゃだめと口にする前に、最後の一個のゼリーはルフィの喉を通ってしまうのであった。
「あらら」
「…まぁ、いつもならまっさきに来そうなのに、この場に居ないサンジが悪いよな」
「ルフィが、我慢できるわけねぇしな」
 この船の船長は、無邪気で子どものような、食べることを我慢することのできない人物だということは、皆熟知しているのだろう。
 むろんサンジもそれが分かっているはずなのだ。
 だから、すぐに来なかったサンジが悪いというルールだ。

 そのサンジだが、一体何をしていたかといえば…。
「ナミさーん!」
 ちょうどナミの作ったおやつを皆食べ終わり落ち着いた頃に勢いよくやってきた。
「ナミさん、今度は是非コレを!」
 そう手に持ってきたのは、一体どこで調達したのか…。スカートが短く、胸元が強調されるエプロンの付いたメイド服であった。
「先ほどのエプロン姿もすばらしく美しかったです。しかし、このような服装も、きっと美しい貴女に似合うはずです!」
 お馬鹿なサンジは幸せ気分いっぱいに、ナミの前へと現れた。
 手に持ったメイド服を見て、その場に居る人間は皆絶句である。
「ナミさんのキッチン立つその姿は、本当に輝いていました!料理人にとっては戦場である場所でも、貴女にかかればそこはエデンの園のようでした!エデンの園に立つあなたはイブ。それならば、俺はアダムとなりましょう!」
 聞いているだけで、頭が痛くなりそうな言葉をスラスラと並べる。
「もう、俺は今感動でいっぱいです!」
 興奮して止まることを知らないのだ。
 なので、サンジは自分の分のゼリーがすでに無くなっていることに、すぐには気づくことは無かった。
「はいはい、分かったから。また、来年ね…」
 来年になれば、お馬鹿な子だから、きっと忘れてしまうだろう。
 またみかんが収穫される来年まで、おそらまたキッチンに立つことは無いだろうから。
 ナミは、徹底的に流すことにすた。
「はい!是非来年はこの服を着て、また俺の為に…」
 そして、ようやくサンジはテーブルに並んだ器を見て気がつくのである。

「…って、あー!俺の分は?」

 そんなことは聞かなくても、サンジの分を誰が食べたすぐに理解したらしい。
「ルフィ、てめぇはいくら何でもやっていいことと悪いことがあるってことを、今日という今日こそは教えてやらねぇといけねぇな!」
 だがそんなことを言われて、ルフィは全く気にすることがないのだ。
「だって、すぐに来なかったお前が悪い」
 そんなルフィの言葉に、周りの人間も皆同意する。
 この子どものような船長は何を言っても無駄なのは、サンジも良く分かっているのだろう。
「ナミさん、…俺の分は?」
 一抹の望みを込めてそう泣きつくが、ナミの返事はあっさりしたものだった。
「あら、すぐに来なかったサンジ君が悪いのよ」
 一瞬にしてサンジの周りだけ空気の温度が下がった。
「…ルフィ、やっぱりてめぇは愛の鉄拳ってやつを見舞ってやらねぇとな…」
「なんだよ、すぐに来ないほうが悪いんじゃないか」
 サンジの繰り出すキックを素早く避けると、ルフィは自分は悪くはないと主張しながら笑って部屋の外へと逃げて行くのであった。
「ルフィ、待ちやがれ!今日という今日こそは!」
 そして、サンジはそのルフィを鬼のような形相で追いかけていった…。



「ほんと、うちの子たちはみんな元気よね」
 そんな様子を見ながら、食後の紅茶をのんびりと飲みロビンは楽しそうに笑った。
 フランキーとウソップは慌てて二人の後を追いかけて行ってしまった。
 早く止めないと、過大な被害を受けるのは今航海中の船なのだ。修理をする身にもなってもらいたいといったところだろう。
 おだやかだった時間も、本当に一瞬で賑やかになってしまうのだがこのルフィ海賊団なのだ。
 ナミも小さくため息を吐きながら呆れ顔で呟いた。
「…やっぱり、平穏が一番だわ…」
 しかしそうは言いながらも今日も元気で賑やかなルフィ海賊団の仲間へ送る視線は温かく、困った顔では無くて笑顔であった。




木村育美