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海話TALES OF SEA

文化とDNA

文化とDNA

水中で出会う生き物は、下等で原始的である。文化的で進化した僕たちとは大違いだ。

しかも、水中で出会う生き物何百年前から今と大差なく暮らしていたのだろうし環境変化がなければ何百年後も今と変わりなく暮らしていくのだろう。
10年もたてば激変してしまう僕らの生活様式から見れば、何の変化もないに等しい。


変化に乏しい環境の中で、自らもさほど変化せず大昔のまま、そのまま生きてきているんだ。

にもかかわらず、彼らの行動は、僕らと同じだ。

男の子は女の子を好きになり、かっこよく見せようとしドキドキしながらデートに誘い、恋が実れば、愛をはぐくみ、お互いのDNAをシャッフルした次の世代を作る。

やっぱり同じだ(^O^)


海の生き物は、海が変わらずある限り、ただそこで何も変わらず同じことを繰り返す。
僕らは、火星のエアドームの中でも同じことを繰り返すのだろう。
縄文の竪穴式住居の中と同じように・・・。
どんどん変わり続けながらも同じことを繰り返す。

僕らと海の生き物は余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。何がそうさせるのだろう?僕らが持つもので海の生き物が持たないもの?


その答えは『文化』じゃないかと思って考えてみた・・・

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「文化の定義」が曖昧なので、この話での定義をしておきましょう。
ここではとても広義です。

生物がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。学習によって伝習されるとともに、世代を超えて伝達されるもの。DNAの指令のように先天的に備わるものではなく、ある世代の個体または個体群が後天的に取得した性質でありかつ次の世代へ世代を超えて伝達されるもの。

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文化を持つための条件 についても考えてみた。下記の3つが必要ではないだろうか?

***条件1***
後天的に取得する能力がある事。文化になる元の性質をある個体が後天的に取得しなけらば何も始まらない。
(文化を作る能力)

***条件2***
他者への情報伝達手段を持つこと。コミュニーケーション能力がなけれ
ば機会があっても伝えられない。
(文化の伝達能力)

***条件3***
文化を伝達する機会がある事、異なる世代間、親子間で一緒に暮らす時間がないとそもそも伝える機会がない。機会がないと何も生まれない
(文化の伝達機会)

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文化の凡例
音楽・哲学・数学・パソコン・高層ビル・飛行機・戦車・トンカツ・呪い・宗教・ミッキーマウス・・・

imoというメスのサルが、芋を海水で洗いだし、それが世代を超え、グループの習慣となる。新たなる文化の発生。あまりにも有名な幸島のサルの話。

猛禽類では、親が半殺しの獲物を巣に連れ帰り子供に狩猟の練習をさせることが知られている。これは、狩猟の方法やその地域に住む餌の種類生態などを伝えていると考えられる、文化だ。しかし、同じ鳥類でも他の鳥の巣に卵を産むという托卵をするカッコウなどは、伝達機会さえ持たないわけで文化を持たない。鳥類から一部の種は文化を持ち始めるのだろう。

少し解り難いものでは・・・すっぱいものや苦い物が食べられるのも文化。本来、酸味は腐敗、苦味は有毒を意味する。食べてはいけない物を避けるために先天的に備わっている味覚である。が、幼児期親がこれは食べてもOK!という情報とともに食べさせると子供は食べても大丈夫と学習する。そして自らの子供にもそれを引き継ぐ、まさに文化である。文化がDNAの指令を上書きする訳である。

文化の方がDNAの指令よりも優先順位が上という訳である。

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海の生き物の魚は文化を持ち得るのかと考えてみよう〜


魚は、脳も小さく思考に適しているとは思えない。後天的に取得するこ
とは少ないだろう。限定的に後天的に取得する性質や行動などはあると思う。同じ魚でも環境により行動などは変わることがあるわけでそれは後天的に習得した性質。条件1の文化を作る能力は非常に限定的だと考えるべきだろう。

たとえ後天的に取得した性質があったとしても条件2の文化の伝達能力があるのだろうか?
体を使ったシグナル(婚姻色・威嚇行動・まいったのサイン)や音声(威嚇音)などは魚でもコミュニケーション出来てはいる。しかし、これも後天的に取得した何かを伝達するにはかなり難しそうだ。

しかし条件1と2にかかわらず・・・習得した後天的な性質は残念ながら文化に発展しない。何故ならば彼らにはその性質を次の世代に条件3の伝達する機会を持たないからだ。

ある個体が後天的に取得したすべての事は、世代が変わると、その個体が死ぬとご破算になってしまう。消え去るのだ。まぁ、卵から生まれた子供と親は会うことがないから伝えようがない。
ベラやハナダイのように産みっぱなしの種ではもちろん、クマノミのように卵を守る魚でも生まれた子供を合うのはハッチアウトの瞬間だけ・・・

魚には文化を伝達する機会自体がない。


一部子どもを口の中で保育する種などは、子供と親という違う世代が、一緒にいる時間が確保されているのだから条件3の伝達機会を持つと言えなくはないだろうが・・・3つの条件を考えるとやはり無理があるとしか言いようがない。

魚は文化を持たない。持ち得ない。
先天的なDNAの指令のみで動いている。まさに遺伝子の乗り物でしかないのである。

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海の生き物も僕らも生物学的な存在意義は等しく同じである。
遺伝子を次世代へ伝えるための乗り物として存在する。
ただ遺伝子に書き込まれた仕様書どおりに設計され、動いている。
DNAが生物の主体であり僕らも含めて個体はその世代だけDNAを運ぶ乗物にすぎない。
DNAが運転手で車が僕らなのだ。(注1)


その車たる個体が勝手に文化を創り出し、世代を超えて引き継ぎ,運転手たるDNAの指令をさえ上書きし変える。
よく考えるととても妙な話に思える。

文化とは乗り物が進化して運転手に反乱をおこしているのか?
文化は生物学的な存在意義をも変化させようとしているのであろうか?

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生き物は、進化し、環境に適応し、世代を超えてDNAをつないでいく。DNAの戦略は、自然淘汰(自然選択)である。次の世代を作る時様々な変異体を作る。今の環境などに決していい性質を持たない物、ある意味不良品も作る。その不良品は生き残れず子孫を残せず自然淘汰され消える。それでもまた不良品を作り続ける。ある時環境が変わりその不良品と思われた性質が役に立つ時がくるかも知れない。その時は不良品が適正品になり、より多く生き残りたくさん次の世代を残し、新たなる主流となるのだ。ゆるやかな変化にはこれで対応可能だし、そうやって生物は何千年もの間命をつないできた、いや、DNAをつないできたのである。


文化はそこに劇的な変化をもたらしたのかも知れない。


たった1世代が後天的に会得したものを丸々次の世代に伝えられる訳である。
例えば生存を脅かすような寒波が襲来したとしよう。
自然淘汰では、寒さに強い形質をもった者が多く生き残り、寒さに弱い形質をもった者は死にまくる。皮下脂肪が厚い者・毛深い者・大きくまるい体の者の子供が増えるのだ。しかしその寒波に対応したニューバージョンの人類が出来上がるまでに、人口が激減し、壊滅の危機を迎え、数世代経過してやっとこさだ。
でも文化なら・・・火をおこす方法・毛皮を服にする方法・靴の発明・風を防ぐ壁・・・それを見つけ伝えれば即次の世代から対応可能だ。劇的な変化にも対応可能である。



自然淘汰では生存率に差をもたらす自然環境の力(選択圧)が次の世代を徐々に変えていくわけであるが、文化では生存率には差をつけない物も伝える事が出来る。DNAに書けない液晶ワイドテレビの設計図や哲学・宗教なども伝達できる訳である。次の世代は前の世代の後天的に取得したものをフル活用できる。
自然淘汰などの何百倍のスピードでいや自然淘汰では永遠に会得できない物を手に入れる事が出来る。その結果、実に様々な事を、無駄なことも含めて、膨大な情報を、次世代へ伝えることができるわけである。


自然淘汰を利用してDNAは乗り物である生物を進化させてきた。
より良い車は運転手をより良く運ぶからだ。
DNAは車をデザインし、変異させ、自然淘汰で長い年月をかけより良い車を作り上げてきた。(キリンがほんとにいい車かどうかは?だけどまぁかっこいい、キリンの4mの首を作るには600万年かけているそうだ。)

ある時点で車の性能は非常に良くなり、自ら思考する能力ももった。基本デザインは(体の構造など)DNAの指令で作るが、そのオプション機能や運用などを車自身に(生物に)与えたのである。それが文化なのである。DNA自らの指令をも上書きする許可を出したのである。知能をもった車は、うまく生き残るすべを次々考えつきそれを伝えた。道具を使い、武器を作り、狩猟道具を作り、農耕をはじめ、家畜を飼い、強固な家を造り、水路を作り、トラクターを作り、医学を作り、病気を治し、なかなか死なない、環境に変化にもすぐに対応するDNAにとっては非常に優秀な車になったのである。


これは進化した乗り物が文化でDNAに反乱をおこしている訳ではない。

実はDNAが自らををより良く運ぶ乗り物を文化で作っているのだ!!!。
文化もDNAの産物なのである!!!
DNAが頭のよくなった車に与えた白紙の設計図が文化なのである。

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文化がDNAの戦略ならば・・・
変化した僕らは文化という戦略が必要であり、変化しない魚は文化という戦略を必要としなかっただけなのではないか???

陸上という変わり続ける環境下では、DNAも自分を運ぶ車を素早く的確にデザインチェンジしなければならなかった。自然淘汰以外の方法でのデザインチェンジを模索したら、文化があったのじゃないだろうか?

水中という変化に乏しい環境では、自然淘汰という緩やかなモデルチェンジだけで十分だったのだろうか?


僕らと海の生き物は余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。
しかし・・・
手押し車とプリウスも余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。

彼らと共に僕らが持つもの。
僕らだけが持つもの。

文化とDNA

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(注1)ダーウィンが僕らが神の子ではないことを見つけてしまったのであれば、ドーキンスは、僕ら自身が主体ではなくDNAの乗り物でしかない悲しい現実を突き付けたのである。読んでいないのであれば、『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンスは、必読である。悲しいほどにちっぽけな生物学的な存在意義の現実を突き付けられ、自らの社会学的な存在意義の再構築を可能にしてくれる。

生物学の本であり哲学書でもある。昔、哲学や神学が科学であったように・・・。