トップページへもどる

自閉症論 6章

恐怖症の治療

この章では、自閉症の子どもの恐怖症の治療を論じています。
主に、カナータイプの子どもが対象になります。
高機能の子どもの場合は、恐怖症が無い場合もあるので、参考程度にお読みください。


前書き
1.恐怖症の治療
  1.3つの恐怖症
  2.回避と直面(エキスポージャー)
  3.スモールステップ法とフラッディング法
  4.介助者
  5.対症療法
2.単一恐怖症
  肩車を恐がる子
  トランポリンを恐がる子
  恐いものがいっぱいあった子
  ローナ・ウィングの誤解
  抵抗
3.同一性のこだわり
  問題行動の原因
  進歩や学習を妨げる
  治療法
  偏食の治療
4.行動療法の誤解
  2種類の行動療法
  イルカのトレーニング法
5.自傷の治療(new)
6.多動の治療(new)
まとめ 


前書き

自閉症のトーマス・A・マッキーン君の
『ぼくとクマと自閉症の仲間たち』、という本から引用します。

ぼくの考えでは、自閉症の人の感情で主流をしめるのは恐怖なんだと思う。自分は何を恐がっているのか、本人にはわかっていないことが多いのだが、ぼくは、この恐怖は感覚のオーバーロードのせいだと思う。誰のことも信用できない状態だ。(p96)

マッキーン君は
自閉症の人の感情で主流をしめるのは恐怖なんだと思う、と書いています。

泉流星さんも
『地球生まれの異星人』、という本で書いています。

私にとって、「世の中」のすべては「不安や恐怖をもたらすもの」と「辛うじて不安を感じさせないもの」の二種類しかないように感じられ、心は常にその間で不安定に揺れ動いている。(p8)

安心の世界がまったくといっていいほどありません。
こういった世界で生きていくのはとても大変なことです。

ドナ・ウィリアムズさんは
『自閉症だったわたしへ』、という自伝を書いています。
283ページの本文のなかに、恐怖や怖れといった単語が196回出てきます。
3ページに2回は出てくるという頻度です。

私たちが自伝を書いたとして、恐怖といった単語をどれほど使うでしょうか?
私の場合は、おそらく1回も使わないと思います。

みなさんはいかがでしょうか?
ほとんど使わないのではないでしょうか?

定型の子どもは、安心の世界で生きているので、喜怒哀楽といった感情が主になります。
自閉症の子どもは、恐怖の世界で生きているので、恐怖という感情が主になります。

恐怖は圧倒的な感情なので、逆らうことはとても難しいし、ほとんどの場合は逆らうことはできません。
恐怖は、必ずと言ってよいほど、回避反応や逃走反応を生みます。
世界から回避したり逃避したりして、恐怖を感じないようにして生きていくことになります。


1.恐怖症の治療

1.3つの恐怖症

自閉症の人が抱える恐怖症は、3種類に分けることができます。

1.単一恐怖症

掃除機や三輪車を恐がるといった物への恐怖症です。
乳幼児期からあらわれます。
治療は簡単です。

2.同一性のこだわり

こだわりと言われていますが恐怖症です。
おもに幼児期になって、記憶力がついてからあらわれます。
治療しやすいです。

3.社会恐怖症

思春期になって、他の人のことを強く意識するようになってからあらわれます。
やや治療しにくいです。


1.単一恐怖症

通常は、犬恐怖症やクモ恐怖症などです。
カナー博士が報告した最初の11人の自閉症の子どもでは、掃除機を恐がる子どもや、三輪車を恐がる子どもがいました。

自閉症の子どもは、はたからは気がつかなくても、さまざまな物を恐れています。
私が知っている自閉症の小学生たちは、てるてる坊主、肩車、滑り台、トランポリン、ブランコ、三輪車、ぬいぐるみなどを恐がっていました。

ある3歳の子どもは
花、植木、シャボン玉、スリッパ、ぬいぐるみ、風船、虫など、次から次へと恐がっている物が見つかりました。
その都度、「こんな物まで恐がっている!」と、お母さんはびくっりしていました。


2.同一性のこだわり

同一性のこだわりには、根底に恐れがあります。
数回安全が確認できた事柄が、そのまま同じであることを求め、変化や新しいことを恐れます。

家具の配置がちょっとでも変わると元に戻したり、同じ道を歩いたり、同じ物を食べたり、といった強迫行動となって現われます。

それができないと、パニックになり、激しく狼狽し、自傷や他害などの問題行動の原因にもなります。

先ほどあげた3歳の子どもは、おじいさんに混ぜご飯をスプーンで食べさせてもらうというこだわりがありました。
おじいさんが3日間留守にしたときは、お母さんが食べさせようとしても、激しく抵抗して泣き叫び、3日間何も食べませんでした。


3.社会恐怖症

他人の目を気にする恐怖症です。
主に、小学校高学年以降に現われてきます。

人前でスピーチをするときなど、ほとんど誰でも緊張するし、上手に話せるかどうか不安になります。
普通は、多少不安があっても、なんとかスピーチをこなすことができます。

しかし、不安を通り越して、恐いというレベルになると、スピーチができなくなってしまいます。
会場にさえ行けなくなってしまうこともあります。

社会恐怖症については、私は治療した経験がないので、このホームページでは取り上げていません。
多くの本があるので、そちらを参照ください。。


カナー博士が自閉症の研究をしていた当時は、恐怖症の治療法はありませんでした。
カナー博士がはじめに報告した11人の自閉症の子どもの中には、三輪車や掃除機を恐がる子どもがいましたが、それをどうしたら良いか解りませんでした。

ジュディス・ラパポート著、『手を洗うのが止められない』、1989年
リー・ベア―著、『強迫性障害からの脱出』、1991年

恐怖症の治療は、これらの本が参考になります。
1989年や1991年という発行年は、アメリカでの原書の発行年です。
恐怖症の治療ができるようになったのが、最近だということがお解りいただけると思います。


2.直面(エクスポージャー)

恐怖症治療の原則を、ドナ・ウィリアムズさんが的確に書いていました。
『こころという名の贈り物』、という本から引用します(p297〜8)。
(赤字での強調は私です)

誘うことがうまくいかないなら、励ますのがいいと、わたしは思います。でもその場合は、自閉症者を断崖の上にひっぱってゆくのだと、覚悟してほしいのです。そしてその断崖の光景を、充分に想像してほしいのです。目のくらむような谷底は、たとえあなたには見えなくても、自閉症者には、はっきりと見えているのですから。だからもしあなたが、ただやさしく「・・・・してね(please)」と言うだけなら、自閉症者は決してあなたにはついていかないでしょう。

わたしが言う励ましとは、粘り強い、断固とした励ましです。たとえ自分には見えなくても、そこに谷底が口を開けていることを知っていると、自閉症者に伝えることです。

強制という手段は、断固とした励ましを繰り返しても、なおどうしても自閉症者に通じなかった時だけに、とられるべきものだと、わたしは思います。

恐怖症の治療の原則は、恐怖の対象から回避しないで、直面(エクスポージャー)させるということです。

回避していると、恐怖症はなかなか治りません。
しかし、直面できれば恐怖症は治ります。

犬が恐いといった犬恐怖症の場合は、さわることによって直面できます。
しかし、対象がはっきりしないものには直面できません。

対象に直面できる恐怖症は治療しやすいです。
対象に直面できない恐怖症は治療しにくいです。

犬恐怖症は、犬にさわることで直面できるので治療しやすいです。
犬をなでさせれば、犬恐怖症を治療できます。

音にたいしての恐怖症は、さわるといったことができないので治療しにくいです。
手間と時間がかかります。

単一恐怖症は、対象に直面させやすいので治療が簡単です。
同一性のこだわりも、直面さっせやすいので治療しやすいです。
社会恐怖症は、対象が漠然としていて、直面できないので、治療が比較的むずかしいです。


3.スモールステップ法とフラッディング法

直面の仕方には、スモールステップ法と、フラッディング法のふたつがあります。

スモールステップ法は、恐い対象に少しずつ近づいていくという方法です。
あまり恐怖を感じないレベルからはじめて、少しずつ対象に近づいていきます。
時間をかけて、ステップごとに自信をつけていきます。

犬恐怖症の人なら、おとなしい子犬を、遠くから見ることからはじめます。

遠くの子犬を、まったく恐怖感がなく平気で見れるようになったら、次は、少し近づいて見ます。
その次は、もっと近づいて見ます。

次は、ほんのちょっと触ります。
はじめは、しっぽでも良いし、耳でも良いし、お尻でも良いです。
そうやって子犬に触ることを繰り返せば、もう子犬は平気になります。

次は、大きな犬で同じことを繰り返します。
そうやって、徐々にステップを上げて、最後は、大きな犬をひざに乗せて撫でます。

もちろん、人に馴れたおとなしい犬を使います。
大きな犬をひざに乗せても恐怖を感じなくなって、大丈夫だという自信が生まれたら、犬恐怖症の治療は終わりです。


フラッディング法は、恐い対象そのものにいっぺんに直面します。

治療は極めて簡単である。恐怖症は1回のセッションで治療するが、普通は数回のセッションがなされる。その秘訣は、恐怖症の人を最大級のパニック状態に置き、パニックが和らぐまで、その状態を維持することである。もし、パニックが和らぐ前に、恐怖状況から逃げるとすれば、彼はより悪い体験をしたことになってしまう。(『恐怖症の事実』)

犬恐怖症であれば、大きな犬に触ることからはじめます。

プールの10メートルの高飛び込みに、芸能人が挑戦するテレビ番組がありました。
ほとんどの人が、「恐い、恐い!」と言いながらも、2時間以内に飛び込みました。
飛び込めなかった人は1人しかいなかったと記憶しています。
これは、フラッディング法です。

私ならとても無理です。
はじめは低い台で練習して、それから中くらいの台で練習して、最後に高い台に挑戦します。
10メートルの高さから飛び込めるようになるには、毎日練習しても、1ヶ月ぐらいかかるでしょう。

これは、スモールステップ法です。
抵抗が少ない方法ですが、手間ひまがかかり根気が必要です。

ただし、この高飛び込みの例は、正確には恐怖症の治療には当たりません。
高いところから飛び込むのを恐がるのはあたり前なので、恐怖症とは言えません。
プールとはいえ、10メートルの高さから飛び込むのは、多少の危険がともないます。

恐怖症の治療は、恐怖の対象に直面しても、恐れているようなことはなにごともおきない、というのが前提です。

恐怖症というのは、恐れる合理的な理由がないことに恐怖を感じることを指します。
ですから、直面しても恐れているようなことはなにもおきません。

恐れているようなことはなにもおきなかった!大丈夫だった!
これを身体が実感し、自信がつけば、恐怖症の治療は終わりです。
(以上は、グッドウィン著、『恐怖症の事実』からの要約です。)


4.介助者

恐怖症の治療には、現実生活エクスポージャーと、模範としての参与者や、実践の強化との併用が特に有効のようである。
と、グッドウィンは書いています。

現実生活エクスポージャーというのは、実際の恐い物にさらすということです。

それにたいして、恐い物や恐い場面を思い浮かべて直面するという方法があります。
精神科医の治療室などで使われる方法です。
治療者に高度なテクニックが必要とされ、患者には想像力が必要とされます。

したがって、現実の生活のなかで治療する方が簡単です。

模範としての参与者というのは、信頼できる人に、そばにいてもらう、手をつないでもらう、手本を示してもらう、『大丈夫!頑張って!』、と励ましてもらうことなどです。

恐い物にひとりで直面するのは、なかなかできません。
誰か信頼できる人が一緒にいてくれると、ずっとやりやすくなります。
そして、手本を示してくれて、励ましてくれると、もっとやりやすくなります。
ひとりではできなくても、誰か信頼できる人に手伝ってもらうと、恐怖症を克服しやすくなります。

実践の強化というのは、『できた!できた!すごい!』と、できたことを強調してもらって、褒めてもらって、自信をつけるという意味です。

頑張って恐いものに直面しても、『恐かった!もう二度とやりたくない!』、と考えてしまうと、せっかく勇気をだして恐い物に直面した意味がなくなってしまいます。

否定的な解釈がうまれたり、否定的な解釈が定着したりしないように、肯定的な解釈を強調するということに意味があります。
『やったァー!できたァー!すごーい!』、と前向きに考えることができれば、もう1回トライする意欲が生まれます。

恐怖症を克服しようという意欲さえ持続できれば、途中で何度か挫折しても、恐怖症の治療は必ず成功します。
これは、恐怖症を抱えている本人だけでなく、介助者にも言えます。
介助者の意欲さえ持続できれば、かならず恐怖症を克服させることができます。


5.対症療法

『愛の奇跡』という本の主人公
アン・ホッジスは1952年にイギリスで生まれました。

7歳まで、泣き叫ぶだけで言葉はまったくなかったという重度の自閉症の少女でした。
食事も自分ではできなくて、母親に食べさせてもらっていました。
アンがすることといえば、自分の椅子に坐って身体をゆすっているだけでした。

6歳のときに、精神分裂病で性格異常と診断され、医者には施設へ入れることをすすめられました。
しかし、両親はそれを拒否しました。

アンの一家が引っ越したとき、アンの泣き叫びは激しくなりました。
しばらくして、お母さんが、窓の外にはえている大きな木が恐いのではないかと気がつきました。
カーテンを閉めると、泣き叫びが減るからでした。

それを聞いて、お父さんはその木を切り倒しました。
そうすると、アンの泣き叫びは減ったのでした。

実際その日以後、アンはずっと落ち着き、少なくとも自分の新しい家を受け入れたようにみえた。ジャック(父)とアイヴィー(母)はすっかり興奮した。注意深い観察によって、自分たちで娘の恐怖の一つを発見し、それを取り除いてやったのだった。そこで二人は注意して観察すれば、他の恐怖も取り除いてやることが出来るかも知れないと判断した。それは途方もない大変な仕事かもしれないが、とにかくやってみる値打ちはあるだろう。どんなことでもやってみる値打ちはあるというのが二人の考えだった。(p39)

この例では
窓の外にはえていた大きな木を切り倒して、環境を整備しました。

このように、恐いものを環境から取り除くのは、恐怖症の対症療法として有効です。
対症療法は、応急処置的に一時的に間に合わせでおこなうのには便利です。


トイレに行くのを嫌がっていた子どもに対して、トイレに置いてある芳香剤が原因ではないかと考えて、その芳香剤を取り除いたら、喜んでトイレに行くようになった、という報告があります。
(杉山登志郎著、『発達障害の豊かな世界』、p235)

杉山先生は著明な自閉症の研究者です。
しかし、トイレに行くのを嫌がっていたと解釈しています。
恐がっていたとは解釈していません。

定型児の場合は、芳香剤を嫌がる子どもはいても、芳香剤を恐がる子どもはいないからです。

嫌がっていたと解釈すると治療法がありません。
しかし、恐がっていたと解釈すれば、恐怖症の治療法が使えます。
嫌なのか恐いのか、解釈が重要です。


『見えない病』、という本の主人公テッド君は
トイレとおフロのしきりに使われているシャワーカーテンを恐がっていました。

西洋式のトイレでは、トイレとフロが一緒で、しきりにカーテンがあります。
自宅のトイレのカーテンは恐くないものにしてありました。

しかし、父親と一緒に、あるお宅を訪問したときのことです。
テッド君はその家の子どもと、子ども部屋へ行ったりして遊んでいました。
そのうち父親は、居間に来たテッド君の異様な匂いに気がつきました。
すぐに、その訳がわかりました。

テッド君がそのお宅のトイレが恐くて使えずに、ウンコをパンツにしていたのです。
気づかれぬうちに、早々にそのお宅を辞しました。

カーテンが恐くて入れないトイレがあるということは、はじめから解っていました。
自宅のトイレのカーテンを恐くないものにするのではなく、トイレのカーテンが恐いという恐怖症の治療をしていれば、問題はなかったのです。
テッド君だって、パンツにウンコをしなくてすんだし、自尊心だって傷つかなくてすんだのです。

アンの父親が窓の外の大きな木を切ったように、応急処置として、恐いものを取り除くといった対症療法が必要になるケースもあります。
しかし、恐怖症の治療をするほうが、はるかにベターです。

家庭の環境を変えることはできますが、暮らしていく社会全体の環境を変えることはできません。

大きな木をみんな切り倒すこともできません。
訪問したお宅のトイレに、おなじ芳香剤が置いてないともかぎりません。
たとえ環境から恐いものを取り除いたとしても、効果はその環境に限定されます。

恐怖症の治療は簡単です。
親でもほんの少しの知識と覚悟があればできます。

治療すべき恐怖症の数はそれほど多くはありません。
ひとつひとつ治療をしていっても
小さい子どもなら3ヶ月もかからず、恐怖症の治療はすべて終わるでしょう。


2.単一恐怖症

私は、1年ほど週に2回、障害児専門の学童保育所でボランティアをしていました。

小児麻痺の子どもやダウン症の子どももいましたが、自閉症の子どもが半数以上でした。
障害児専門の学童ということで、ほとんどの子どもが重度の自閉症でした。

自閉症の子どもは多くの恐怖症を抱えていました。
肩車、トランポリン、滑り台、てるてる坊主、三輪車、ぬいぐるみなど。

小児麻痺やダウン症の子どもには、学童にあるような物を恐がるという恐怖症はありませんでした。

職員は滑り台を恐がる子どものことを、あの子は滑り台が嫌いです、と解釈していました。
嫌いだと解釈すると、物事の好き嫌いには個人差がありますから、個性を尊重する必要があります。

無理にやらせても、よけいに嫌いになるかもしれません。
この学童の方針は、無理強いはしないというものでした。

しかし、恐がっていると解釈すると、恐怖症として治療することができます。
また、恐怖症は早期発見、早期治療が原則です。
放置していると拡大したり、慢性化したりする傾向があるからです。


肩車を恐がる子

学童には自閉症の子どもが10数人いました。
私は、その自閉症の子ども全員に肩車をしました。
3人が恐がりました。

その3人を、1日1回、肩車しました。
肩車が好きだった子どもたちが何回も肩車をせがむので、肩車は1人1日1回と決めました。
肩車を恐がっていた3人も、すぐに肩車が好きになりました。


トランポリンが恐い子

みんなで、順番でトランポリンをしていたときです。
自閉症の子どもは、ほとんどみんなトランポリンが好きでした。

M君は、自分の番が来ると立ち上がって1歩、前へでました。
でも、立ち止まってしまいました。
トランポリンをしたいという気持ちはあるのですが、恐くてできないのです。

そこで、私がM君の背中を押してトランポリンまで連れて行きました。
そして、職員が上から引っ張り上げて、職員と一緒にトランポリンを飛びました。

M君は、恐くて職員にしがみついていました。
終わると、『できたね!頑張ったね!すごい!』、と一杯褒めました。

2回目も、自分の番が来ると立ち上がりました。
でも、はじめと同じように、行けませんでした。

職員はM君の順番を抜かそうとしました。
でも、私は背中を押してトランポリンまで連れて行きました。
そして、はじめと同じように、職員にしがみついて飛びました。

次にトランポリンをやった日は、M君の抵抗はかなり減っていました。
3日目には、自分の順番が来る前にトランポリンに乗ろうとしました。
トランポリンが大好きになっていました。

無理強いはしないという方針の学童だったのですが、このことがきっかけとなって、恐怖症の治療に職員の理解が得られるようになりました。

こんなこともできないようでは、世の中では生きていけない。
世の中にはもっと大変なことが一杯ある。
やらせれば出来るようになる。
と変わりました。

少し解釈が違うのですが、当時はまだ、私にもそれ以上の確信はありませんでした。

こういった強制してやらせることができる恐怖症の治療は難しくはありません。
みんなで順番にトランポリンをしているときに
順番が来たら
強制してやらせて
『できたね!頑張ったね!すごい!』、と褒めます。

これを、1日に2回やって、3日で6回もやれば、ほとんどの単一恐怖症の治療は終わります。
特別なことをする必要はありません。
強制してですが、みんなと同じ事をやらせるだけです。


恐いものがいっぱいあった子

T君は小学校3年生でした。
プレイルームの窓際で、しゃがんで両手で両耳を押さえ、窓の外を見ている子どもでした。
オムツをしていて、「象さん、ぼうし」など、単語を少し話すだけでした。

ひざに乗せて、絵本を読んでいるときでした。
どうしても、最後のページを開けさせません。
やっと開けると、てるてる坊主の絵が書いてありました。

逃げようとしたので、足を掴まえました。
そのまま足を持って、てるてる坊主の絵を、「エイ、エイ!」と叩かせました。

次は、ひざの上に戻して、手で叩かせました。
最後に、てるてる坊主を、「いい子、いい子」と撫でさせました。

それまで、お集まりの部屋になかなか入ろうとしなかったのですが、この後からは、入れるようになりました。
お集まりの部屋には、梅雨時だったので、てるてる坊主がぶら下がっていました。

T君は滑り台も恐がっていました。
小学校3年生で太っていたのと、抵抗が強かったので、滑らせるまでに10分以上かかりました。

階段の所まで連れて行くだけで大変でした。
次に、階段を1歩登らせるまでが大変でした。

階段を1歩登らせるには、私が片足づつ持ち上げました。
階段を1歩登ってからは、少し勇気がうまれたのか、あきらめたのか、抵抗が少し減りました。

滑り台の上まで登ったら
『すべります!』、と指示し
『だいじょうぶ!』、とはげまし
私が背中に着いて、一緒に滑りました。
そして、『すごい!出来たね!』、といっぱい褒めました。

強制されてでも、それまで恐くて出来なかったことが出来たのですから、十分に褒めるに値します。
また、私に強制されただけではなく、本人も少しは強制を受け入れたという要素もありました。

1日目に3回滑らせて
2日目に3回滑らせて
3日目に3回滑らせたら
次はもう、自分で喜んで滑るようになりました。

初めの抵抗を10だとすると2回目の抵抗は5ぐらいになり3回目は3ぐらいになりました。
2日目の初めの抵抗は5、2回目は3、3回目は1
3日目の初めの抵抗は2、2回目は1、3回目は0
といった感じで抵抗はどんどん弱くなっていきました。

その滑り台を滑れるようになったので、違う滑り台を滑らせようとしたら、また抵抗がありました。

でも、その抵抗ははじめの抵抗よりも弱いものでした。
違う滑り台は、すぐに滑れるようになりました。

T君は肩車も恐がっていた子どもでした。

そうやって単一恐怖症の治療を幾つかすると、それまで入れなかったトイレにも入れるようになって、オムツが必要なくなりました。
オムツが必要だったのは、トイレが怖かったからでした。
トイレトレーニングというのは特にしなかったのですが、トイレに入れるようになりました。
両手での耳ふさぎもなくなって、両手を使って遊べるようになり、言葉も増えてきました。


恐怖症の治療は抵抗がまったくなくなるまで繰り返しやらせる必要があります。
10メートルの高飛び込みも、1回できても、恐怖感が完全になくなるまで繰り返しやらないと、本当に克服したことにはなりません。
1ヶ月も経つと、恐さはほとんど元に戻っているはずです。

そうならない為にも、1回やらせたらなるべく日にちを開けずに繰り返しやらせる必要があります。
まったく抵抗がなくなると、後戻りしない本当の恐怖症の治療ができたことになります。

中途半端で治療を終わらせない。
抵抗がなくなるまで続ける。
これが原則です。

また、恐怖症との戦いは勝つつもりがないのなら始めてはいけない、というのも原則です。
抵抗が強いからといって止めるということはしないでください。

抵抗されて止めると、子どもは恐い経験をしただけです。
恐い経験をしたことになってしまって、恐怖症を強化してしまいます。

あまり抵抗が強いときは、ハードルを下げることもあります。
手でさわれないようであれば、足でさわらせます。

続けて、手でさわらせても良いし、次の日に回しても良いです。
なんらかの成果を出して、褒めて終わるというのが原則です。

1.恐怖症の治療は勝つつもりがないのなら、始めない。
2.なんらかの成果を出して、褒めて終わる。
3.抵抗が完全になくなるまで、治療を続ける。

恐怖症の治療には以上の原則があります。

結果を出さない中途半端な強制は逆効果になります。
はじめにしっかりとした治療計画を立ててください。
(もちろん、うまくいかないときは計画を変更する必要があります。)


ローナ・ウィングの誤解

イギリスの自閉症の研究者で、自閉症の娘を持つローナ・ウィングも、はじめはことばで教えるのではなく、手や足をとって教えるほうがよいでしょう、と書いています。

六歳になるある少女は、これまで自分がいじったことのないおもちゃをみると、きまって泣きわめき、「いや!」と叫びました。しかし静かになるのをまって、あまりことばでは説明せず、おもちゃを実際に動かしてやると、たいていうまくいくものです。この子ははじめ二分間ぐらい抵抗していましたが、そのあとすぐにおもちゃの使い方を学びました。そして六歳半までには、新しいことを自信をもってできるようになりました。(『自閉症児との接し方』、p63)

少女は、なぜおもちゃを見て泣きわめいたのでしょうか。
これまで触ったことのない新しいおもちゃが恐かったからです。

子どもがおもちゃを恐がるとは誰も考えません。
ウィングも、おもちゃを恐がっているとは考えていません。
しかしこれは、私たち定型者の先入観です。

この少女は、ヘビを恐がるのと同じように、おもちゃを恐がって泣きわめき、「いや!」と叫んだのです。

少女が2分間ぐらい抵抗していたのは、ウィングが少女の手をとっておもちゃをさわらせていたからです。
そのときに、2分間ぐらいは恐かったので抵抗していたのです。

しかし、さわっていても恐れていたようなことはなにも起きませんでした。
そのうちに恐怖感が消えたのです。
なにごとも起きなければ、恐怖感は持続しません。

はじめは恐くて泣きわめいていたのですが、手をとって一緒にさわらせることによって、さわっても恐くないということが解ったのです。
強制してさわらせることによって、恐怖症の治療がおこなわれたのです。

ウィングは、恐怖症の治療がおこなわれたとは解釈していません。
はじめてのおもちゃの使い方を、手をとって教えたと解釈しています。

確かに、はじめてのおもちゃの使い方を教えたという意味もあるかもしれません。
しかし、教育という解釈だけでは、泣きわめいて叫んで2分間ほど抵抗したという、激しい情動が説明できません。
この情動は恐怖にほかなりません。

はじめてのおもちゃが恐かったからこそ泣きわめいたのです。
そのおもちゃにさわって、恐怖感が解消されたからこそ、おもちゃの使い方を学習できたのです。

さわるのも恐いとしたら、そのおもちゃの使い方を言葉や手本を示していくら教えたとしても、そのおもちゃの使い方を学ぶことはできません。

このおもちゃのケースでは少女は抵抗しています。
少女は抵抗しているので、あまり恐くないレベルからはじめるスモールステップ法ではなく、恐怖に直面させるフラッディング法になっています。

フラッディング法の長所は、簡単で技術がいらず、効果が早くあらわれて、時間がかからないという点です。
ウィングの場合は2分でした。

泣き叫んで抵抗している子どもに強制するというのは、定型の子どもの場合であれば虐待にあたる可能性があります。

しかし、恐怖症の治療には抵抗はつきもので、強制は必要不可欠です。
まったく抵抗がなければ、恐怖症の治療とは言えません。


抵抗

アン・ホッジスは強度の犬恐怖症でした。
アンは以前、突然でてきた犬におびえ、16時間泣き続け、その後しばらくは家に閉じこもって外出できなくなったことがありました。

外に出られるようになったときも、長い間、乳母車のなかで、乳母車からは一歩も出ることができませんでした。

そんなアンも、赤い色などいろいろな恐怖を克服していました。
けれど、「それらはみな、アンが犬に対して抱いている恐怖心に比べれば、小さなものばかりだった。」のです。

そこで、アンの一家は、犬を飼うことを考えました。

もし家の中へ犬を連れて来れば、その結果は悲惨なものになるかもしれないし、あるいは逆にそれが、正常になるために、夢のような飛躍的前進をするきっかけになるかも知れなかった。とにかく、やってみることに決めた。
(犬を連れて)彼らがもどったとき、アンは自分の小さな椅子に座り、ずっと前に休暇のとき集めた貝がらで遊んでいた。犬を見ると、やはり目を覆って階段の方へ行こうとした。しかし今度は、ジャック(父親)が押さえてしまった。犬は尾を振って、二人を見ていた。アイヴィー(母親)が娘の手をそっと目からはなさせると、目は固く閉じられていた。男の子たちが犬をアンのところへ連れて行き、アイヴィーが優しくアンの手を取り、犬の背をそっとなでさせた。アンは犬の粗い毛をなで続けた。利口な犬は首を持ち上げ、アンの顔をなめた。アンは目を開け、犬を見た。それから耳を引っ張り、次ぎに尾を引っ張った。足を触ってみて、犬が手をなめたとき、うれしそうに笑った。このようにして、以後十二年間続くことになる美しい友情がスタートした。奇跡が起こったのだった。アンの犬に対する強い恐怖は永久に消えた。(『愛の奇跡』、p58)

はじめは、アンは逃げようとしました。
次には、犬を見ないように手で目をおおい、目を固く閉じていました。
しかし、アンはたったこれだけで犬と仲良しになりました。


滝口豊一著、『ボクノコト、ワカッテホシイナ』に
小学校1年生の自閉症の男の子の掃除機への恐怖症を治療したエピソードが載っていました。
はじめ、滝口先生が掃除機のスイッチを入れたら、その子は一目散に逃げ出してしまいました。

次の日に、掃除機を分解してその仕組みを教えてから、逃げないように後ろから抱えて手をとって、一緒に掃除をしました。
はじめは、恐がって抵抗しましたが、数日後にはひとりで掃除ができるようになりました。

『自閉症を克服する』、という本では
掃除機にたいしての脱感作プログラムには14の段階がある、と書いてあります。
スモールステップ法です。
スモールステップ法なので抵抗は少ないですが、知識や技術が必要で、手間や時間がかかります。

掃除機にたいしての恐怖症の治療に、14もの段階をふむというのはナンセンスです。
滝口先生がおこなったのはフラッディング法なので
はじめの抵抗は強かったと思いますが、手間暇がかかりません。

数日後には、ひとりで掃除ができるようになっています。
フラッディング法は、簡単な知識は必要ですが、技術は必要ありません。

滝口先生が、初めてその子を抱いてプールに入ったときは、脅えて震えてしがみつき、先生の身体をよじ登りました。
しかし、ひと月もすると、喜んでプールに飛び込むようになりました。


『我が子よ、声を聞かせて』、の母親は
それまで毎日毎日、長女のアン-マリーに決まりきった服しか着せませんでした。
ほかの違う服を着せようとすると、泣いて嫌がったからです。

しかし今度は、いくら泣いても平気な顔で、違う服を着せはじめました。
数週間たつと、アン-マリーは何を着せても平気になりました。

また、アン-マリーは散歩のとき、乳母車から降りようとはしませんでした。
歩こうとしなかったのです。
母親は行動療法のセラピストに相談しました。

セラピストは、強制的に歩かせたらどうか、と言いました。
「そうねえ、私ならかまわず手を引いて歩きますわ。もし、歩道に坐り込んだら、引っ張って立たせます。少しでも自分で前へ進めば、いっぱいほめてあげて、泣いてもわめいてもいっさい無視するんです。ずっと泣きやまなくても少なくとも1ブロックは一緒に歩いてから、家に帰りますわ」

母親は実行しました。
「まさに地獄だった。道でしゃくりあげるアン-マリー、何度でもアン-マリーを引っ張って立たせ、きっぱりと言い渡す私。『あんよしましょう。さあ、あんよの時間よ』」。
おかげで、良い母親という近所の評判はだいなしになってしまったそうです。

アン-マリーは1週間のうちに、喜んで歩くようになりました。
アン-マリーにはセラピストによる通常の行動療法や言語療法もおこなわれています。
しかしそれだけではなく、強制しての恐怖症の治療がおこなわれました。

自閉症の幼い子どもにたいしては、恐怖症の治療に強制は必要不可欠です。
恐怖症の治療に、子どもが泣き叫んではげしく抵抗しても、道徳に反するということはありません。
また、強制した人を、子どもが嫌うようになるということもありません。

私は、日々、自閉症の子どもと格闘してきました。
顔を引っかかれたり、腕を噛みつかれたりもしました。

でも、子どもたちは私のことが嫌いになりませんでした。
私に抱き止められて、暴れて噛みついた子どもが、すぐ後に、私の膝に乗ってきました。


強制することにためらいがあって、中途半端な強制を繰り返すと、逆効果になってしまいます。
抱きかかえてプールへ入ろうとして、抵抗が激しいので止めたとすると、かえって恐怖症を強化してしまいます。

床屋さんに連れて行ったけど、ものすごく暴れて、みんなで押さえつけて散髪したので、かわいそうだから1回で止めた、というケースもあります。
大きくなった今も、床屋さんに行けないのはそのときのトラウマです、ということになってしまいます。

そういう経験をした人たちは、「無理をさせるとよけいに悪くなるので、無理をさせるのはやめましょう。」、と言います。

それは、理論もなく思いつきでやったからです。
恐怖症の治療は、思いつきでおこなうのではなく、方針を決めて、見通しを持っておこなう必要があります。

恐怖症の治療には抵抗がつきものなので、必ず勝つという強い決意が必要です。
必ず勝つという強い決意がなければ、対決してはなりません。
なんらかの成果を出して終わるのが、恐怖症の治療の原則です。


3.同一性のこだわり

問題行動の原因

カナー博士は自閉症の診断に不可欠なものとして、孤立と同一性への固執、のふたつをあげました。

同じ道順を歩く
同じ服を着る
同じものを食べる
家具の配置が同じであることを求めるなど
同じであることを求めます。

こだわりと呼ばれていますが、はたからは、恐怖感はうかがえません。
しかし、同じであることを強迫的に求める背後には恐れがあります。

背後に恐れという強力な情動があるので、こだわりが妨げられるとパニックやかんしゃくがうまれ、自傷や他害といった問題行動がうまれてしまいます。

同一性のこだわりは、通常使われる、こだわりという言葉とは内容がことなります。

通常使われる、こだわり、という言葉には、ふたつの意味があります。
ひとつは、料理人が素材にこだわる、というように良い意味で使われます。
もうひとつは、いつまでもこまかいことにくよくよとこだわる、というように少し困ったこと、という意味で使われます。

しかし、自閉症のこだわりは、同一性(sameness)への固執を指しています。
固執をこだわりと訳したのですが、この訳が誤解をまねく原因になっています。

自閉症の子どもが、家庭生活や学校生活が困難となって、入院治療が必要となるのは、ほとんど同一性のこだわりが原因です。
(高田博行著、『障害児の問題行動』)

同一性のこだわりは、自閉症の症状のなかでも、もっとも深刻な問題となる症状です。

それにもかかわらず、同一性のこだわりは自閉症の特徴とみなされ、治療の対象とはみなされてきませんでした。

自閉症の特徴だから、しょうがないとみなされ、こだわりから生まれる二次障害が、問題行動として治療の対象とみなされてきました。

問題行動は、同一性のこだわりから生まれている場合が多いです。
こだわりを認めていて、そのリアクションをなくすというのは無理があります。

同一性のこだわりという恐怖症を治療すれば、問題行動の多くがおのずとなくなります。


進歩や学習を妨げる

同一性のこだわりの問題はそれだけではありません。
もっと大きな問題があります。
フランスのブローネは書いています。

反復や恒常性への要求に屈したり、常同運動や無変化への執着を認めれば、いかなる進歩ももはや不可能となる。(『自閉症の表現』)

同じであることに執着するというこだわりのもっと大きな問題は、進歩や学習を妨げるという点にあります。
同一性のこだわりを容認していると、新しいものを吸収していくという学習が阻害されてしまいます。

ブローネも、音楽の才能があった子どもが、お決まりのひとつの歌しか歌わなくなり、その歌もだんだんと呪文のようになってしまい、音楽の才能が失われてしまったという経験をしています。

同一性のこだわりは問題行動の原因になるだけではなく、進歩や学習を妨げ、ときには退行の原因にもなってしまいます。

変化への恐れを容認していては、新たなことを学習するという意欲が阻害されてしまいます。
成長にブレーキがかかっています。

定型の子どもは、同じだと退屈し、変化を求め、新しいものに目を輝かせます。
定型の子どもは、みずから新しい物事を学び、成長するという必然性を持っています。

変化を恐れず、新しいものを恐れないというのは、学習や成長のためには必要不可欠です。
自閉症の子どもの成長のためには、同一性のこだわりを治療する必要があります。


治療法

同一性のこだわりの治療法は、手を洗い出したら止められないといった、強迫性障害とおなじ治療法が使えます。

手を洗おうとする強迫行動を阻止して、手を洗わせません。
そうすると、手を洗うという強迫行動が治まっていきます。

ある男の子は、ドアを閉めることにこだわっていました。
家のドアはもちろん、電子レンジを開けると、飛んできて、自分で閉めないと気がすまなかったそうです。
保育園でも、ドアを閉めることにこだわっていました。

お母さんは、私のホームページを見て、抱き止めるようにしたそうです。
3日ぐらいは泣いていたそうですが、1週間で平気になったそうです。

こだわってやっている行動は、それを阻止していれば治療できます。


もうひとつは、同じ道を歩くなど、ひとつのことにこだわって、変化を受け入れないというこだわりです。

3歳になったばかりの男の子ですが
まったく言葉がなく
おじいちゃんに、混ぜご飯を、食べさせてもらうというこだわりがありました。

以前、おじいちゃんが3日間、家を留守にしたそうです。
お母さんが食べさせようとしても、激しく抵抗して、3日間何も食べなかったそうです。
お医者さんからは、「3日ぐらい、何も食べなくてもだいじょうぶ。」と、言われたそうです。

おじいちゃんは中国籍で
ビザの関係で、もうすぐ中国へ帰らなければいけないということで
「このままでは子どもが死んでしまいます。なんとかしてください。」と、私にメールが来ました。

土曜日に家に伺いました。
いろいろな話をしているうちに、お昼になりました。

そこで、おじいちゃんにはベランダに出てもらい
お母さんにお昼ご飯を食べさせてもらうことにしました。

お母さんが、横抱きで抱きかかえて、スプーンでご飯を口に入れました。
泣き叫んで暴れているので、口が開いています。
それで、ご飯を口へ入れることができました。

2回に1回ぐらいは、手や足で払いのけられてしまいましたが
10回ぐらいは食べさせることができました。

10分ぐらいで終わりにしました。
「夕方は、お腹が減っているから、もっと食べると思います。」
そう話をしました。

はじめは、私も手や足を押さえて少し手伝いましたが
途中からは、お母さんひとりで頑張りました。
「すごいですね!」、と私が言うと
以前にも1回、同じように食べさせたことがあったそうです。
でも、あまりにも激しく泣き叫んで暴れるので、1回で止めたということでした。

「なるべくお母さんが食べさせるようにしてください。
4回ぐらいで、なんとかなくなるはずです。
まだ小さいので、もっと早いかもしれません。」
そう話をして、帰りました。

2日後の、月曜日にメールがきました。
私が帰ったあと、おじいちゃんの提案で、すぐにまた食べさせたそうです。

すると、途中で泣き止んで
自分で口を開けるようになった、ということでした。

日曜日の夕食は、自分からイスをお母さんに近づけて
ニコニコして、いっぱい食べたそうです。

その夜のお風呂は
永らく途絶えていた遊びが復活し
楽しそうに遊んで
歯磨きもおとなしくさせてくれたそうです。

お母さんもおじいちゃんも、俄然やる気が出て、このあと
スプーンなどの食器変え
自分で食べること
偏食など
さまざまなこだわりの治療をしました。

そして、恐怖症の治療もいっぱいしました。
お母さんも、おじいちゃんも、恐怖症の治療のベテランになりました。

半年後には
オムツが外れ
2語文が出るようになり
「今、サイゼリアでお昼を食べています!」
と、喜びの電話がかかってきました。


アン-マリーのお母さんは
毎日、二、三通りの同じ服を着せ続けていました。

しかし今度は、いくら泣いても平気な顔で、違う服を着せ始めました。
数週間たつと、アン-マリーは何を着せても平気になりました。
(『わが子よ、声を聞かせて』)

この本では、恐怖症の治療ではなく、行動変容がおこなわれたと解釈しています。
やらせれば、新しい行動を身につけさせることができるという解釈です。

しかし、アン-マリーは泣いて抵抗していました。
犬に、「お手!」を訓練して教えたのとは、内容が異なります。

犬に、「お手!」を訓練するときは、犬ははげしく抵抗などしません。
どうしてよいのか解らないだけです。
恐怖症の治療と、犬の「お手!」の訓練とは、内容が異なります。

アン-マリーの場合は、毎日、違う服を着せたので
違う服を着ても恐いことは起きない、大丈夫だということがわかったのです。

違う服を着ても大丈夫だということがわかったので
違う服を着ることへの恐れがなくなり
変化を受け入れることができるようになったのです。


部屋の中の物の配置がいつも同じであることを求める、というこだわりがあります。
部屋の模様替えをひんぱんにやることによって、克服させることができます。

はじめは、部屋の模様替えに耐えられずに逃げていたアクセル君も
両親がたびたび部屋の模様替えをするので
「うちの両親は部屋の模様替えが好きという、困った趣味を持っている。」という程度になり
あきらめることができるようになりました。
(アクセル著、『鮮やかな影とコウモリ』)

あきらめて容認できるぐらいのこだわりになれば、もう恐怖症ではありません。
変化してもパニックにならないし
かんしゃくも自傷も他害もうまれないので、もう障害ではありません。

家族に支障がないからといって、こだわりを放置していると
生活に支障をきたすようなこだわりになることがあります。

ある女性は、作業所から家に帰ってくると
ふすまをこれくらい開けておくというようなことをも含めて
家中を自分のこだわりの配置に戻す為に、くまなく点検して回るそうです。
好きにさせてあげないと泣き叫ぶので、母親は好きにさせていました。
そうやっていつのまにか、家に君臨する怒りっぽい女王様のようになってしまいました。

子どもが小さいうちは、同一性保持の治療を、むりに行うことができます。
ベッドの位置を変えるといった部屋の模様替えも、子どもが小さいうちならできます。
子どもが大きくなると、親がベッドを動かしても、子どもが自分で元に戻してしまいます。

なるべく小さいうちに、こだわりの治療を行う必要があります。
ささいなこだわりも、本人に問題のないこだわりも
家族に実害の無いこだわりも
なるべく早期に発見し、早期に治療して一掃する必要があります。

服ぐらい毎日同じ服を着せても良いではないか、と考えることもできます。
自分だって、気に入ったジーパンを毎日はいていた、という人もいるでしょう。
泣いて嫌がるのに、なぜそこまでやる必要があるのか、という批判もあると思います。

しかし、自閉症の子どもが違う服を着ないのは、好みの問題ではありません。
夏の半そでを、真冬になっても長袖に衣替えできない子どもがいます。
逆に、真冬の長袖を、真夏になっても半そでに衣替えできない子どもがいます。


『自閉症児イアンの物語』の、両親はとても優しい人でした。

パニックにならないように、イアンの同一性のこだわりに配慮していました。
ビデオテープは、切れたときのためにおなじものを用意していました。
ビデオデッキも、壊れたときのために予備を用意していました。

イアンはいつも同じビデオを見ていました。
あるとき介助コミュニケーションによって
「飽きたからちがうビデオが見たい」、とキーボードを打ちました。

気持ちは、「ちがうビデオが見たい」のですが
変化を恐れているので、同じビデオしか見れないのです。

問題はビデオだけに留まりませんでした。
イアンは、ある月曜日の朝
「おうち、いる!びょうき!」、とパニックになり叫んでいました。
週末に学校へ行かなかったので、月曜日に学校へ行けなくなったのです。

「ぼくは がっこうへ いきたい」
イアンはキーボードを打ちました。

それならなぜ、「おうち、いる!」って言うのと
お母さんがたずねました。
「なぜなら ぜんぶ おなじでなければ ぼくは おちつくことが できないから」
と、キーボードを打ちました。

そして、「たすけて。がっこうへ いけるようにして」、と打ちました。
お母さんはどうしたらいいか解らず、困ってしまいました。

学童でのことです。
A君は、言葉も少し話せて、簡単な宿題もやる5年生の子どもでした。
おやつの時間にお茶もお菓子も食べられないという
同一性のこだわりが強い子どもでした。

トランポリンを順番でしているとき、自分の番が終わると、トランポリンのそばで寝転がっていました。
「危ないよ!椅子に座りなさい。」と
職員に指示されました。
でも、みんなと同じように部屋のはじでイスに座って待つということができませんでした。

指示をしたらその指示には従わせる。
これは、自閉症の療育の基本です。
そこで、私が部屋のはじへ連れて行って、抱きかかえました。

A君は逃げようとしました。
それを、私がシャツを引っ張ったり、足を捕まえたり、ベルトをつかんだりして
『順番!』、『待ちます!』、と言って掴まえていました。
自分の順番が来るとトランポリンをして、また私が掴まえて、ということを繰り返していました。

彼はひたすら逃げようとし、私はひたすら逃げられないように掴まえていました。
5年生の男の子なので大変でした。
その時、「離さないで!」、と言ったのです。

はじめは、聞き間違えだと思いました。
しかし、その後にも、2回言ったのです。

聞き間違えではありませんでした。
身体は逃げようとしているのですが
気持ちはみんなと同じように待っていたかったのです。

この子には、面白いことがありました。
プレイルームから出て行こうとしている自分を
片手を背中に回して
後ろからシャツを引っ張っていたのです!


自閉症の少年、東田直樹君が書いています。

自分がこだわっていることをやると、少しだけ落ち着きます。こだわりをみんなに注意されたり、やめさせられたりするたび、僕はとても情けなくなります。こだわりなんてやりたくないのに、やってしまう自分がいやなのです。
もし、人に迷惑をかけるこだわりをやっているのなら、何とかしてすぐにやめさせて下さい。人に迷惑をかけて一番悩んでいるのは、自閉症の本人自身なのですから。
自分の気持ちとは関係なく、いつも脳はいろんなことを僕に要求します。
僕がそれに従わないならば、まるで地獄に突き落とされそうな恐怖と戦わなければならないのです。
(『自閉症の僕が跳びはねる理由』)

偏食の治療

自閉症の子どもの偏食は、定型児の好き嫌いの偏食とは異なります。
レストランで何も食べられるメニューがなかったりします。

新しい物は恐くて、一定の同じ物しか食べられないのです。
同一性のこだわりの一種です。

藤家寛子さんは書いています。

食べたことのないものは怖いです。色とか形とか、味以前の部分で、見るだけで気持ち悪かったり怖かったりして食べられないものも多いです。(『自閉っ子、こういう風にできてます!』、p84)

子どもは通常、お菓子が大好きです。
しかし、自閉症の子どもは、おやつの時間にお菓子をまったく食べられない子どもがいます。

自閉症の子どもの偏食を放置していると
だんだんと食べられる物が少なくなっていって
まったく何も食べられないという拒食になってしまうことがあります。
拒食になると、入院して点滴をしなければなりません。

ある病院では、入院治療で頑固な拒食を治療するばあい
口を無理やりこじ開けて入れるそうです。
指を噛まれないようにするには熟練がいるそうです。
出そうとしたら、口を押さえて出させません。
1ヶ月ほどで何でも食べられるようになるそうです。
(『自閉症児への架橋』、208p)

これほどの強制をしますが、強制をしたお医者さんをうらむ子どもはいません。
盲腸でお腹を切られても、誰もお医者さんをうらまないのと同じだと思います。

おやつを食べない子どもも、本当はおやつを食べたいのだと思います。
食べたくても、恐くて食べられないのです。

偏食の治療は
それまで、ほかの恐怖症の治療をしてきた子どもだと
抵抗はしますが、こちらがあきらめなければそのうちに口へ入れることができます。
はじめは、ゴマ粒ぐらいの大きさにします。
ゴマ粒ぐらいの大きさなら、それ程怖くはないからです。

そうやって、1回口へ入れることができれば
その後は、口へ入れるのはそれほど大変ではなくなり
そのうちに、自分で食べるようになります。

ところが、恐怖症の治療をまったくしていない子どもだと
拒否反応が強くて、口へ入れるのが大変です。

私としては、偏食の治療をする前に
ほとんどの子どもに単一恐怖症があるはずなので
治療しやすい単一恐怖症を先に治療することをお勧めします。

また、同じ道を通るとか
家具の配置にこだわるといった、同一性へのこだわりもあるはずなので
治療しやすいこだわりを先に治療することをお勧めします。

強制して食べさせるというと
かわいそうだと考えてしまいますが
そんなことはありません。

たとえば、自閉症の子どもが車が一杯走っている道で赤信号を渡ろうとしたら
たとえ泣き叫んでも、羽交い絞めしてでも止めるはずです。

羽交い絞めして止めるのはかわいそうでしょうか?
虐待でしょうか?
そんなことはありません。

止めないほうがかわいそうです。
大怪我をするか、死んでしまうからです。
恐怖症の治療も、治療しない方がかわいそうです。

偏食の治療も、他の恐怖症の治療と同じで、はじめが一番大変です。
どうやってはじめのひと口を食べさせるかというのが問題です。

はじめのひと口を食べさせることができれば
後は同じことをやれば
抵抗は少しずつ減っていきます。

はじめは、食べられない物(チョコレートとか、たいていの子どもが好きな物)をゴマ粒ぐらいにします。

そして、『これを食べたらいつも食べている○○をあげる』、と
これから行うことのルールを説明します。

そして、自分で食べて見せて
『おいしい!だいじょうぶ!』
と、大丈夫だという手本をしめします。

そして、恐いという子どもの気持ちに共感し、励まします。
『恐いねー』
『恐くても大丈夫!』
『頑張れ!』
そして、口へ入れようとします。

口へ入れようとしても、はじめは抵抗して横を向いてしまうはずです。
泣き叫んで、激しく抵抗することもあります。

そうやってひとしきり暴れれば
暴れた分だけ、恐怖が薄らぎ
抵抗が減ります。

こちらが先にあきらめなければ
そのうちに子どもが、自分から口へ入れます。

こちらが先にあきらめなければ、だいじょうぶです。
そして食べたら、『頑張ったねー』、『すごいねー』と、褒めます。
そして、いつも食べている物をあげます。

怒鳴る必要はありません。
叱る必要もありません。
あきらめなければ、だいじょうぶです。

1回目は、ゴマ粒ぐらいを食べたら、いっぱい褒めて、いつもの食べ物をあげて終わります。
2回目も、ゴマ粒ぐらいを食べさせて
いっぱい褒めていつもの食べ物を1口あげて
またゴマ粒ぐらい食べさせて、いっぱい褒めていつもの食べ物をあげます。

2日目は、はじめはゴマ粒ぐらい食べさせて
いっぱい褒めていつもの食べ物を1口あげて
次は少し大きくして食べさせて
いっぱい褒めていつもの食べ物を1口あげます。
スモールステップで大きくしていけば、その後はほとんど抵抗がなくなるはずです。

励まして→食べさせて→褒める、という流れを作ります。
ほとんどの物は、2〜3日で平気になります。
これを、1ヶ月ほど行えば、なんでも食べられるようになり偏食はなくなります。

ある程度の数を克服できれば
食べ物全体への恐怖感が消えて
新しい物も恐がらなくなります。
新しい物も恐がらなくなれば、偏食の治療は終わりです。


『自閉症なんか怖くない』の著者
片倉信夫先生は、大きな子どもの偏食も治療しています。
自閉症の子どもの療育のプロの先生の技です。

・ ごく微量から始める。極端な場合、ご飯粒半粒ぐらいから。
・ 寝椅子のようなものに座らせ、身体の力をぬかせて、口に食べ物を1口ずつ運ぶ。
と書いています。

通常の恐怖症の治療法にも、身体をリラックスさせるという手法があります。
身体がリラックスしていると、緊張がやわらぎ恐怖感が軽くなります。
恐怖症を治療する理にかなっています。


4.行動療法の誤解

2種類の行動療法

行動療法と呼ばれているものには、2種類あります。

ひとつは、恐怖症を治療するための行動療法です。
もうひとつは、ロヴァースが自閉症児の療育に採用した、「賞と罰」で訓練するという行動療法です。
このふたつは、まったく内容が異なります。

心理療法にも、精神分析、カウンセリング、遊戯療法などさまざまあります。
それぞれ名称が違うので混同されません。
しかし、行動療法は名称が同じなので、まったく異なる2つが混同されやすいです。

これから、このふたつの行動療法のことを論じますが
名称がおなじでは混乱してしまいます。

そこでとりあえず、恐怖症の治療に使われるものを、行動療法と書くことにし
ロヴァースが採用した行動療法を、ABA(応用行動分析)と書くことにします。

『わが子ノア』の主人公、ノア君はロヴァースのもとでABAを受けました。
はじめは、目覚しく進歩しました。
しかしやがて、なかなか進歩しなくなってしまいました。

お父さんは、「犬が訓練学校にふた晩行っただけでも、ぼくの息子が何年もかかって進歩するくらいのことをやってしまうだろうと思った。」と、書いています。

ABAを単に教育、訓練として考えると、ノア君の父親のように訳が解らなくなってしまいます。
人間の子どもが、犬よりも学習能力が低いはずがないからです。
それなのになぜ、ノア君は訓練が身に付かなかったのでしょうか?

たとえば、私がハングライダーの訓練学校に3日間、通わせられたとします。
私は知識を学ぶことはできます。
しかし、飛べるようになるでしょうか?
飛べるようにはならないと思うのです。

なぜかというと、恐いからです。
恐ければ、教えても飛べるようにはなりません。

もしも私が訓練学校で
ハングライダーで飛ぶのがが恐くなくなっていたとしたら
飛べるようになっているはずです。

ということは、ハングライダーの訓練学校でやるべきことは
ハングライダーで飛ぶことの恐怖感を取り除くことと
ハングライダーの飛び方を教えること
このふたつが必要だということになります。

恐怖症の治療と教育のふたつが必要だということです。
どちらかひとつだけでは飛べるようにはならないのです。

(私がハングライダーを飛べるようにならない理由は、恐いだけではなく、必要がないし、楽しくないし、結局のところ、やる気がないということも含まれます。ABAでは、やる気を引き出し、維持するために、褒美と賞賛を使います。そうやって褒美と賞賛を使っても、できるようにならないというのは、抵抗の強さを物語っています。強い抵抗を生み出すものは、恐怖にほかなりません。)

自閉症の治療には、ロヴァースの早期集中行動療法が効果的だとされています。
それを、ふたりの我が子に実践した記録が
『我が子よ声を聞かせて』、という本に書かれています。

自閉症と診断された2歳のアン‐マリーに
はじめにおこなわれたABAのメニューは
「目を見て!」、というものでした。

「目を見て!」と言って
セラピストはあごをつかんで顔を上げさせ
目を見させました。
そして誉めて、お菓子のかけらを口の中に入れました。

ところが、アン-マリーは1時間のあいだ泣き続けています。
このとき、なにがおこなわれていたのでしょうか?

2つの解釈が可能です。
1つは、「目を見る」という行動を
その都度お菓子を褒美としてあげることによって学習させていた、という解釈です。
犬に「お手」を教えるのと同じです。

もう1つは、目を見るのは恐かったけれど
目を見てもなにも恐いことは起きないし
それどころかお菓子がもらえるという経験を繰り返すことによって
恐怖症にたいしてのフラッディング法による治療がおこなわれていた、という解釈です。

もしも、彼女が泣くといった抵抗をしめしていなかったのなら
学習がおこなわれていたという解釈が正しいでしょう。

しかし、彼女は泣き続けていました。
母親とも目を合わせなくなっていた彼女にとって、セラピストの目を見るのは恐かったはずです。
多くの自閉症の人が、目を見るのは恐いと書いています。

目は多くの小動物が恐れます。
蛇の目蝶は目の模様で身を守っています。

目を合わせないというのは、恐怖からくる回避行動です。
したがって、目を合わせないという回避行動を妨害して直面させ
恐れているようなことはなにも起きないばかりか
お菓子がもらえたという経験を積ませていた、と解釈するのが正解です。

はじめは、「目を見て!」と言われても、恐くて目を見ることができませんでした。
そこで、セラピストが強制して目を見させました。
フラッディング法です。

それを何度も繰り返すことによって
次の段階になると、恐さが徐々にうすらいでくるので
お菓子がほしくて、自分で相手の目を見るようになります。

その次ぎの段階になると、恐怖感が消えて抵抗がなくなるので
「目を見て!」という呼びかけだけで
目を見ることができるようになります。
この段階までくると、もうご褒美のお菓子は必要ではなくなります。

このように考えると
はじめに、目を見るのは恐い、という恐怖症の治療がおこなわれ
次に、目を見てと言われたら目を見る、という学習がおこなわれたと解釈することができます。

あるいは、「目を見て!」という呼びかけの意味ははじめから解っていたけど
恐くて見れなかっただけ、と考えることもできます。

アン-マリーは、折れ線タイプの自閉症です。
1歳頃までは、ほぼ正常に成長し、言葉も少し出ていました。
「目を見て」という言葉の意味は解っていたのではないでしょうか?
そうであれば、教育は行われていないで
恐怖症の治療だけがおこなわれた、と考える方が適切かもしれません。

ロヴァースも
この本の著者も
恐怖症の治療をおこなっていたとは気づいていません。

ABAがおこなわれていたと勘違いしています。
犬に「お手」を教えたのと同じように
アン-マリーに、「目を見て」と言われたら目を見る、ということを教えたと勘違いしたのです。

勘違いをしていた、というだけであれば問題はありませんでした。
勘違いしながらも、恐怖症の治療が適切におこなわれていて
セラピーの基本メニューに含まれていたからです。

しかし、この勘違いが、その後、重大な結果をまねきました。
泣いても強制してやらせるというロヴァースのABAが、人道的に好ましくないという理由で批判されるようになりました。

かつて、犬や馬の訓練は、賞と罰をつかうという訓練がされてきました。
「アメとムチ」による訓練です。
アメという褒美で意欲を生み出して学ばせるだけでなく
ムチという罰も使って強制的に学ばせていました。
そういった、動物に使われているような強制による訓練を、人間の子どもに使うのはけしからんという意見です。

それでもはじめは、自閉症の子どもの療育に劇的な効果があるので
たとえ泣いても、強制するのは仕方がないと考えられていました。


イルカのトレーニング法

ところが、カレン・プライアという女性がイルカのトレーニング法を開発しました。
大きなプールの中を自由に泳ぎまわっているイルカの訓練では、罰も強制も使えませんでした。

彼女はバケツに入っている魚だけでイルカの訓練をはじめました。
ところが、罰を使わず強制もせず、魚という賞だけを使って訓練したのですが
イルカはすばらしいショーをやれるようになりました。

このイルカの訓練法は、たちまち世界中に広がりましrた。
今では、どこの水族館でもおこなわれるようになりました。
どこへ行っても、見事なイルカのショーを見ることができます。
そのようなわけで、訓練には賞は必要だけど罰は必要ではないということが解ったのです。

「賞と罰」で訓練するという理論が崩れ
賞だけで訓練するという理論に変わりました。
このあたらしい理論は、多くの人に歓迎され採用されるようになりました。

強制してやらせるといった、非人道的な訓練をしなくてもすむからです。
犬の訓練にも取り入れられるようになり
自閉症の子どもの療育にも取り入れられるようになりました。

ABAから強制が取り除かれ、褒めることが主体のABAへと変わりました。
抵抗しても泣いても、強制してやらせて褒めるという恐怖症の治療がおこなわれなくなってしまいました。
そうやって、ABAから恐怖症の治療という要素がなくなってしまったのです。

ABAから、自閉症の恐怖症を治療するための強力な武器が放棄されてしまいました。
その結果、それまで知らないうちに恐怖症の治療と教育という両輪が機能していたのですが
その両輪から、恐怖症の治療という片輪が欠落してしまいました。

強制を使わないABAは歓迎されて普及しましたが
自閉症が劇的に改善したという報告は、ほとんど聞かれなくなってしまいました。

ABAは、「賞と罰」を使った訓練法としてのみ考えられてきました。
恐怖症の治療法としての行動療法が含まれていたことに、誰も気が付いていなかったのです。

ABAが自閉症児に劇的な効果があったのは
教育のプログラムだけでなく
恐怖症の治療のプログラムが含まれていたからです。

現在おこなわれているABAのプログラムを、見直す必要があります。

ABAのプログラムに
恐怖症の治療としての行動療法を組み込めば
現在よりもっと効果的な治療プログラムを作ることができます。
関係者の方はぜひ検討してください。


5.自傷の治療

小学校3年生のS君は、言葉がまったくなく重度の自閉症の子どもでした。
パニックになると、おでこを壁や柱や床にぶつけます。
おでこには自傷のタコができていました。

職員は、なるべくS君を刺激しないように、自由にさせていました。
お集まりの時間に、違う部屋で絵本を見ていても、心配ないからと放置されていました。

ある日、隣の子のおやつを取ろうとしたのを注意されて
パニックになっておでこを床にぶつけはじめました。
私は、後ろから抱き止めました。
それしか出来なかったのです。

そして、「恐いね!恐くてもだいじょうぶ!」と、共感して励ましました。
はじめは、暴れました。
手を噛もうとしたり、頭突きをしようとしました。

腕は噛みつかれないように、しっかりとS君の身体を抱きしめていました。
頭はS君の肩に乗せて、頭と頭をくっつけました。

するとそのうち、落ち着いてきました。
落ち着いてきたときに、抱きとめていた私の手の力をゆるめると
S君は私の手を上から押さえました。

「強く抱いていて欲しい」、というメッセージでした。
それで、しっかりと抱きしめました。
抱きしめてもらうことで、安心感がうまれているようでした。
このことがあって、パニックになったときに抱き止めるのは正解だと感じました。

2回目に抱き止めたときは、もっと激しく暴れました。
身体を後ろに弓なりに反らしたり
腕に噛み付こうとしたり、頭突きをしようとしました。

最後、静かになったときは、お風呂あがりのように、ゆったりとしていました。
その日の夕方、お母さんが迎えにくると、甘えておんぶされて帰りました。
それまで見たことのない微笑ましい姿でした。

3回目は、もっと激しく暴れました。
自分の頭を叩こうとしたS君の手を押さえた瞬間
ついに腕を噛まれてしまいました。
冬で、厚手の長袖シャツを着ていたので、助かりました。
良くなっていると感じていたので、これは意外でした。

パニックというのはそもそも恐怖が原因です。
恐怖を感じて、逃げ惑うのがパニックです。
おぼれる者藁をも掴む、という諺にもあるように
恐怖から逃れるためにはありとあらゆることをします。

自傷もそのうちの1つです。
おでこをぶつけて痛みを感じることによって、恐怖を感じないようにしています。

ことなる感情を同時に感じることはできません。
痛みを感じることによって、恐怖を感じないようにして
恐怖から逃げているのです。

内から湧き上がってくる恐怖は、表に出てこないように抑え込まれます。
秘められた悲しみも抑え込まれますが、恐怖は悲しみ以上に抑え込まれます。
悲しみも耐えがたいですが、恐怖はもっと耐えがたいからです。

秘められた悲しみは、思い出して泣いて表現できれば放出されて軽減されます。
それと同じで、秘められた恐怖も表現できれば放出されて軽減されます。

4回目にパニックを抱き止めた時が、一番暴れ方が激しかったです。
回をおうごとに暴れ方が激しくなるので
はじめは、「良くなっていない。かえって悪くなっている。良くなってきているはずなのにどうしたんだろう。おかしい。」
と感じました。

しかし、抱かれていれば大丈夫だということで
恐怖を感じやすくなり
恐怖を表現しやすくなっているのではないかと推測しています。

恐怖症の治療は、恐怖を感じなければ治療にはなりません。
恐怖を感じて、でも大丈夫だという経験をすることによって恐怖症は治療されます。
ですから、恐怖を感じることが恐怖症の治療には必要です。

激しく暴れているのは、恐怖を感じているからです。
そして、『恐いよー!』と身体で恐怖を表現しているのです。
これまでの経験で、しっかりと抱かれていれば恐怖を感じても大丈夫だという安心感がうまれているので
恐怖を感じることができるようになったのです。

肉親を失ったときのような大きな悲しみは泣くことによって癒されます。
泣かないで悲しみが抑え込まれると、悲しみは癒されません。
それと同じで、恐怖も感じて表現しなければ癒されません。
感じないように逃げていては癒されないのです。

感じて表現した恐怖感が大きければ大きいほど
その後にうまれる癒しも大きくなります。
激しく暴れるようになっているというのは、それだけ恐怖を感じることができるようになっているということです。
恐怖を表現できるようになっているということなのです。

その後のS君は、ほとんどパニックを起こさなくなり、おでこをぶつけるという自傷もなくなりました。
そして、だいぶ落ち着いてきて、指示に従えるようになってきました。
このことがあって、
自傷は、「恐くても大丈夫!」と抱きとめると効果があるということが解ったのでした。

激しく暴れるので注意してください。
大きい子を抱き止めるのは1人では無理です。

激しく暴れることができる程度に抱き止めます。
激しく暴れた分だけ、抱えている恐怖が軽減します。
そして、その後の落ち着きが生まれます。
頑張って抱き止めてください。


6.多動の治療

E君は多動で、ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいに、いつも動き回っている子どもでした。
ニコニコしていて、パニックもなく、他傷も自傷もなく、ほっといても問題のない子どもでした。
しかし、教育的な働きかけはほとんどできないし、言葉もまったくない子どもでした。

ハンモック形式のブランコを順番にしていたときでした。
ハンモック形式のブランコというのは
畳1畳よりちょっと大きいぐらいのアルミのパイプでできた枠に、ネットが張ってあって
天井からぶら下げて、子どもを乗せてブランコのようにゆらしてあげる遊具です。

枠がアルミのパイプでできているので、多動のE君が走り回ると危ないのです。
職員から、近づかないように注意されました。

そこで私が、E君が走り回らないように捕まえました。
E君はひたすら逃げようとしました。
それを私が、ひたすら逃げないように掴まえていました。

私が逃げないように掴まえていたのは
「勝つつもりがないのなら、戦いを始めるなという原則」があるからでした。
この原則は、『自閉症児 ドゥースクロフト校の試み』、という本から学んだものです。

対決して、子どもが勝って終わると
子どもは余計に手に負えなくなってしまいます。
対決した場合は、勝つのは必ず指導者でなければなりません。

E君は小学校1年生だったので
逃がさないように掴まえているのは、それほど大変ではありませんでした。
しかし、E君はそのプログラムのあいだ、ずっと逃げようとして暴れていました。

次の日も、また私が掴まえていました。
しかし、暴れ方も、暴れる時間も、半分ぐらいになっていました。
半分の時間は、私の膝の上に座っていました。

膝の上に座っているときは
両足を持って、「いち、にー、さん、しー、ごー、・・・じゅう」と
数に合わせて手を叩くように、足を叩いたり、足裏マッサージをしました。

両足を持っていれば逃げられないからです。
また、規則的な刺激は安心を生み出すようです。
これはドナさんの本から学びました。
また、足裏マッサージも落ち着くようで、自閉症の子どものほとんどが好きでした。

次の日は、ほとんど逃げようとしないで、私の膝の上に座っていました。
次の日は、イスに座らせて、私がその前に座って両足を抱えました。
そして、足を打って数を数えたり、足裏マッサージをしました。

そういったことを繰り返しながら
立とうとするのを制止したり
座っているのを褒めたりしていました。

私が学会へ行って、学童を休んでいた日でした。
E君が自分でイスに座って、自分の番を待っていたそうです。

私が学童へ行くと、職員が「E君がひとりで座っていた!」と、びっくりして報告してくれました。
私もびっくりしました。

私は、自閉症の子どもの多動が、改善するとは考えていませんでした。
そのときそのときに、できる限りのことをしていただけでした。

このひとつの例だけで、多動は治療できると結論することはできません。
しかし、偏食の治療をしたら多動が治まって、手をつないで普通に散歩ができるようになった子どもがいます。

北畠道之著、『心のパズルが解けた』という本では(p118)

暴れる子をアバレルナとはいわずに静かになるまでつかまえているとかを、指導する。私たちの診療システムにとっては、これらの要領のおかげで、多動性を静めるのは、いまややさしい問題になってきた。

とあります。
多動は、叱らずに、抱き止めることで治療できるのです。

なぜ多動が改善したのでしょうか?

それは、多動も一種の恐怖症だからだと思います。
恐いから、じっとしていられなかったのだと思います。

じっとしていられない
動き回らずにはいられないというのは
強迫行動の一種と考えることができます。

動き回るのが強迫行動であれば、強迫性障害の治療法がそのまま使えます。
動き回るという強迫行動を阻止すれば良いのです。

動き回るという強迫行動が阻止されたので
動き回らなくても大丈夫になった、と考えることができます。

ただし、同一性のこだわりを変更させるときのような
泣き叫んで暴れるというような、激しい抵抗は現われませんでした。

そういった意味では、恐怖症の治療とは少し違うような気もします。
依存症の治療に近いのかもしれません。
それで、多動の治療を恐怖症の治療の最後に持ってきました。


まとめ

たとえ重度の自閉症であっても
恐怖症を片っ端からすべて治療すれば、自閉症特有の問題行動はなくなります。

また、言葉の障害や学習障害も改善されます。
ぜひ、恐怖症の治療をおこなってください。

問題行動によって社会に適応できないと、自閉症は障害ということになります。
しかし、社会に適応できれば障害ではなくなり個性になります。

自閉症における恐怖症の治療が効果的に行われれば
自閉症は障害ではなくなり個性になります。

個性として残るのは、刷り込みの障害からうまれる自閉症の一次障害だけです。

○ 手を貸してと言われて、自分の手は貸せないと困惑するといった、認知の問題。
○ みんなの感情を共有できないで、場の雰囲気にそぐわないといった、共感の障害。
○ 恋愛感情がないといった、人への愛着が弱いこと。

こういった、刷り込みの障害からくる脳の機能障害が個性として残ります。

○ 認知の問題は、知識でおぎなうことができます。

若干は問題が残りますが、恐怖症がなければ、本人が悩み苦しむ対象ではなくなります。
また、認知の障害があっても、こだわりがなければ
周りの人も対応に苦労しないので、周りの人からも個性として受け入れられやすくなります。

○ 共感の障害も、知識でなんとかなります。

場の雰囲気にそぐわないことを指摘されても
それで切れたり、落ち込んだり、むきになったりしなければ
回りの人が困らないし、本人もそれで傷つくことはありません。
逆に、個性として認められることもあります。

○ 恋愛感情がなければ愛がまったくないのかというと、そんなことはありません。

テンプルさんは、自閉症の人たちのために尽くしています。
また、牛の恐怖感に共感し、牛の恐怖感を軽減するための屠殺場の設計などをしています。

屠殺場を人道的な設計にするという、テンプルさんの発想は多くの人に歓迎されました。
この問題を、それまでは誰も考えなかったのです。
多くの施設で、テンプルさんの設計が採用されるようになりました。
テンプルさんには、男女の恋愛という愛はなくても、人類愛や動物愛といった博愛があります。

男女の恋愛とは異なり、博愛は刷り込みがベースにはなっていないようです。
恋愛の愛と、博愛の愛とでは、成立する仕組みが異なるようです。
恋愛には刷り込みがかかわっていますが
人類愛や動物愛や博愛といった広い愛は、もっと本質的なものによって生まれるようです。

自閉症の人には共感に障害があると言われていますが
お腹が減っていて飢え死にしそうな人と、満腹の人とでは
食べ物を目の前にしたときの感情が異なります。
それぐらい、自閉症の人と定型の人とは感情が異なります。

しかし、安心や不安や恐怖などの生存に関わるような感情はおなじです。
その共感が博愛の原点ではないかと推測します。

幼い頃にカナータイプの自閉症だった人で、結婚している人はほとんどいません。
しかし自閉症の人は、恋愛などの濃厚な人間関係が欠落していることを
苦痛に感じて不幸になるということはありません。

もっと淡白な人間関係で十分満足しています。
これは、妻帯をしない宗教家の姿に近いものです。

また、恋愛感情がないので、さいなまれるような強い嫉妬心という敵対感情もありません。
また、他人の成功をねたんで不幸になるということもありません。

自閉症の人は、恐怖症の治療さえ十分におこなわれれば
定型者よりも、穏やかで、満たされた人生を送れる可能性があります。


トップページへもどる        次のページへ