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自閉症論 2章

刷り込み

前書き
1.鳥類の刷り込み
  刷り込みの特徴
2.哺乳類の刷り込み
  早成種
  晩成種
3.ヒトの刷り込み
  未熟児の例
  新生児の例


前書き

動物行動学者のローレンツによって報告された、鳥類の刷り込みは有名です。
問題は、ヒトも刷り込みをおこなっているのかどうかということです。
ヒトの刷り込みを認めている学者もいますが、ヒトの刷り込みを認めていない学者もいます。

ローレンツが鳥類の刷り込みという現象を発表すると、多くの学者がヒトも刷り込みを行っているかどうか新生児を観察しました。
そして、「刷り込みのような現象は観察できない」と、ヒトの刷り込みは否定されました。
アメリカの心理学者のスピッツも、「赤ちゃんを観察しても刷り込みのような現象は観察できなかった」と、ヒトの刷り込みを否定しました。

それから長い間、ヒトの刷り込みは否定されたままでした。
しかし、最近になって、多くの学者がヒトの刷り込みを認めるようになってきました。


デズモンド・モリス

アメリカの小児科医であるデズモンド・モリスは、ヒトの刷り込みを認めています。『赤ん坊はなぜかわいい?』という本から引用します。

新生児をつぶさに追った最近の研究で、赤ん坊はお産の衝撃から回復すると、深い眠りに落ちる前に、1時間ほど母親の顔を一心に見つめることがわかった。もちろん、母親から離さずにおけばの話である。病院によっては、この「母子の最初の見つめ合い」を取り上げるところがある。母子ともにお産で疲れているのだから「休ませてやるべきだ」との配慮だろう。
ヒトの赤ん坊は、生れ落ちてすぐにではなく1時間ほど経ってから、長く深い眠りに入る。これもまた、偶然のことではない。この1時間、赤ん坊は、その後の数日間より周囲に対して敏感だ。赤ん坊が際立って活発な、人生最初の1時間は、両親と絆を結ぶ時間として、進化の過程で獲得されたものかもしれない。・・・この何十分かに、母と子は強い絆を結び合う。この何十分かは、母と子が、穏やかに寄り添って、見つめ合い、触れ合い、声に耳を傾け合い、そしてにおいを嗅ぎ合いながら、愛する者への刻印づけを始める時であるのだ。
(刻印はインプリンティングの日本語の訳です。刷り込みもインプリンティングの訳なので、刻印と刷り込みは同じ意味です。)

デズモンド・モリスが書いているように、生まれたばかりの赤ちゃんが1時間ほど母親の顔を一心に見つめるという現象は、最近の研究で解ったことです。
これは、新生児覚醒状態と呼ばれています。

それまでは、分娩室が明るすぎて、新生児はほとんど目を開けていられませんでした。
また、新生児はほとんど見えないと考えられていました。

今も、新生児はほとんど見えないという説があります。
その一方で、20〜30センチの距離には焦点が合うので、近くは見えるという説があります。
しかし、新生児が人の顔を見分けたという報告(クラウス著、『新生児の世界』、86p)もあるので、かなり見えていると考えて間違いなさそうです。

新生児覚醒状態が知られるようになってから、ヒトの刷り込みを認める学者が出てくるようになりました。


小林登

日本の小児科の最高権威とも言える小林登先生は、小林登文庫でヒトの赤ちゃんの刷り込みに言及しています。

 安産ならば、産声のあと頭が非常にさえていると考えられる時間は45分から1時間程です。赤ちゃんは、目をあけてなにかをみようとし、きこうとしている、そういう姿がみられます。これを新生児覚醒状態とよびます。その姿が、母親に強い影響力を与えるのはたしかですが、赤ちゃんは赤ちゃんで、自分が頼るべき人間はどの人かをさがしているのかもしれません。鳥と比較すれば、それによってその人をインプリンティング(刻印づけ)しようとしているのではないか、と言えばいいすぎでしょうか。
 鳥、たとえばニワトリの雛などは、卵の殻からでてきて最初に接触したものを母親と思いこみ、もしそれが人間であっても、その人間を親鳥として後追いするといわれています。いわゆるインプリンティングです。こういう実験行動学で証明されたことが、もちろんそっくりそのまま哺乳動物の人間にもあてはまるとはいえません。・・・・
 とはいえ、誕生直後の、頭のさえた状態で、もっとも近くにいる人の顔を目を開いてみつめている真剣な表情をみると、なにかを脳裏に焼きつけようとしていることには間違いありません。

小林登先生は
「もっとも近くにいる人の顔を目を開いてみつめている真剣な表情をみると、なにかを脳裏に焼きつけようとしていることには間違いありません。」、と刷り込みを認めています。

ただし、「そっくりそのまま哺乳動物の人間にもあてはまるとはいえません。」という但し書きがついています。
しかし、どこがどのようにあてはまらないのかといった具体的な記述はありません。
非常に曖昧な表現になっています。


小西行朗

赤ちゃん学会の理事長の小西行郎先生も、ヒトの刷り込みを認めています。
小西先生は小児科医ですが、赤ちゃんを専門に研究しておられて、日本では赤ちゃん研究の第一人者です。

いつも看護師と一緒にいる未熟児が、面会に来た母親を見たとたん、泣き出してしまったのです。赤ちゃんに会うことを心から楽しみにしていた母親はショックを受けました。そこで私は、看護師と同じように、母親にもマスクをつけてもらうことにしました。すると赤ちゃんはピタリと泣きやみました。(『赤ちゃんと脳科学』、p38)

小西先生は、未熟児のこの例をあげて、ヒトの刷り込みを認めています。
未熟児はマスクをつけた看護婦さんを母親とみなしていて、実の母親のことは母親とみなしませんでした。

出産後の養育で、母親の像(イメージ)が決まっていました。
この現象は、鳥類の刷り込みと同じです。
このように、具体的な例をあげて刷り込みを認めている先生は、私の知る限りでは小西先生ただひとりです。

ただし、小西先生は、ヒトの刷り込みは鳥類とは異なり、たいした意味を持っていないと解釈しています。

それは、未熟児が看護婦さんを刷り込んでも、母親に愛着を形成するし、母親を刷り込んでも、父親にも愛着を形成するし、養子になっても、養い親に愛着を形成できるからというのです。

しかしこれは、鳥類でも同じです。
母鳥だけではなく、父鳥も親とみなします。

また、ハイイロガンを刷り込んだハイイロガンのヒナに、人の後を追うように学習させることはとても難しく不可能だそうです。
ところが、人を刷り込んだハイイロガンのヒナであれば、他の人の後を追うように学習させることは簡単だそうです。
これは、養子にあたります。
ハイイロガンでも養子が可能です。

したがって、ヒトの刷り込みは鳥類とは異なり、たいした意味を持っていないというのは誤解です。


堀内勁(たけし)

聖マリアンナ医科大学の堀内先生もヒトの刷り込みを認めています。
堀内先生はカンガルー抱っこを日本にはじめて導入した周産期医療にたずさわっておられる医師です。

出産の際には、母体をその生理的な大変さに耐えさせるために大量のアドレナリンが分泌されます。アドレナリンが分泌されると心身が興奮状態になりますから、出産で疲れてはいてもお母さんは特有の高揚状態にあり、6時間ほどは眠れません。一方の赤ちゃんも、誕生後2時間ぐらいははっきりと目覚めています。双方が起きているこの最初の2時間の間に、一緒にいることでお母さんの脳にも赤ちゃんの脳にも刷り込みが起こるのではないでしょうか。私はそう考えています。(『サイレントベイビーからの警告』)

新生児は、誕生後の2時間ぐらいは、はっきりと目覚めているそうです。
この、新生児覚醒状態というのが知られるようになってからは、ヒトの赤ちゃんの刷り込みが、認められる傾向になってきています。

しかし、ヒトの赤ちゃんが刷り込みをおこなっているかどうかは、学問的には決着はついていません。
この問題は議論されないで放置されている状態です。
たいした問題ではないと考えられているからです。

ヒトの赤ちゃんの場合は実験が限られているので、実験で証明するというのは難しく、推論にならざるを得ないというのも議論されない原因かもしれません。

資料に乏しいのですが、これからヒトの刷り込みを考察します。
はじめに、鳥類の刷り込みを考察します。
それから哺乳類の刷り込みを考察し、最後にヒトの刷り込みを考察します。


1.鳥類の刷り込み

隔離飼育することによって、すべての刷り込み過程を可能な限り妨げると、臆病で、一緒に行動をしようとはしないハイイロガンになる。そのような障害をもった二羽のハイイロガンを飼育用の囲い地に一緒にしておくと、しばしば向かい合った二つの隅にできるだけ互いに遠く離れて坐るようになる。同種の仲間に対する彼らの反応は奇妙にメチャクチャである。この障害の現われ方は、人間において『自閉児』と記載されているものに似ている。(ローレンツ著、『ハイイロガンの動物行動学』、p145)

私は、刷り込みのことを知りたくて、ローレンツの本を読みました。
しばらく読みすすめていると、この文章がでてきました。
この文章を読んで、刷り込みを妨げられたことが母親への愛が生まれなかった原因で、自閉症の原因だと確信するようになりました。

しかし、人が刷り込みをおこなっているという証拠を探す必要がありました。
それと、刷り込みとは一体なんなのか、刷り込みのことを、もっとくわしく知る必要がありました。


刷り込みの特徴

ローレンツが刷り込みという現象を発見したエピソードを、『ソロモンの指環』、から要約しました。
そして、ローレンツの本から読み取れる刷り込みの特徴をまとめました。

ローレンツは、ハイイロガンのヒナが孵化器で生まれる様子を見にいきました。
ヒナが孵化して、頭をしゃんと支えることができるようになったとき、大きな黒い目をあげてローレンツをじっと見つめました。

長い間、じつに長い間、ガンの子は私をみつめていた。私がちょっと動いてなにかしゃべったとたん、この緊張は瞬時にしてくずれ、ちっぽけなガンは私にあいさつを始めた。(p129)

孵化して間もなくの、たったこれだけのことで、ヒナはローレンツを刷り込みました。
ローレンツがそのヒナを乳母の役の鳥の下に入れて立ち去ろうとすると、ヒナは鳴きながら必死にローレンツの後を追いかけてきました。

あわれなヒナが死に物狂いで私を追って走ってきていた。ヒナはまだ立っていることさえできない。しゃがむことができるだけだ。ゆっくり歩いても不安定でよろよろする。だが今は、のっぴきならぬ必要にせまられているので、必死で突進してくることができるのだ。・・・あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまずいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。(p130〜1)

ヒナは必死になってローレンツを追いかけました。
状況はあきらかでした。
ヒナはローレンツを母親とみなしていたのです。
ローレンツはしかたなく、このヒナを養子にしました。

離れると、「心もはりさけそうに泣きわめく」ので、小さなカゴを作って持ち歩けるようにしました。
「彼女は一瞬たりともひとりぽっちではいられなかった」、のです。

寝るときも、部屋のすみでは泣き叫ぶので、ヒナのゆりかごは枕もとの手のとどくところに置くようにしました。
ヒナはローレンツと一緒にいるときにはじめて、安心して幸福でいられるのでした。

孵化したあとのほんのちょっとしたことで、ローレンツはハイイロガンのヒナに母親とみなされてしまいました。
ハイイロガンでもなく、まして鳥でもなく、まったく似ても似つかない人間を、孵化した後のちょっとしたことで母親とみなしたという、この不思議な現象を、ローレンツは刷り込みと名付けました。

ハイイロガンの場合は、後を追ったということで、刷り込みがおこなわれたということが確認できました。

日本でも鴨の子育ての様子がテレビなどでよく放映されますが、母鳥を刷り込むことによって、ヒナは母鳥の後を追いかけるようになります。
母鳥の刷り込みが妨げられると、母鳥の後を追いかけないのです。

刷り込みには、さまざまな特徴があります。
ローレンツの本から刷り込みの特徴をまとめました。

(刷り込みの研究はあまり行われていません。刷り込みの働きはこれがすべてではありません。次の3章で考察しますが、人の場合は刷り込みの働きはまだあります。)

1.刷り込みによって、後を追うようになります。
2.刷り込みは秒単位という短い時間で成立します。しかも、単に受身で接するだけで十分です。
3.ガンの場合は、数時間しか継続しないきわめて狭い発達の早期段階に限定されます。
4.いったん獲得すると決定的な力を持ち、取り消すことはできません。
5.刷り込みは、広がりや転移が可能で、養子が可能です。
6.はじめは種を刷り込みます。個が特定されるのは、しばらくたってからです。
7.刷り込みは恋愛や繁殖にもかかわります。
8.刷り込みは、仲間の感情の読み取りにもかかわります。
9.高等な種ほど多くの機能が刷り込みによって生まれ、原始的な種ほど多くの機能が本能に組み込まれています。


1.後を追う

刷り込みをおこなうと、後を追うようになります。
なぜでしょうか?
それは、そばにいると安心がうまれるからです。
そばにいると安心がうまれ、離れると不安になるので、後を追うようになります。

母親のそばにいれば安心がうまれるという脳の機能が、刷り込みによってうまれた、ということを意味しています。
この現象を言葉を変えて表現すると、母親への愛と信頼が生まれたと表現することができます。


2.秒単位で成立

刷り込みは秒単位という非常に短い時間でうまれます。
一目ぼれに似ています。
母親らしく世話をするといった特別なことをしなくても、単に受身で接するだけで、刷り込みはうまれます。

刷り込みに必要な条件はごくわずかですが、その条件は種によって異なります。
刷り込む対象が、一定の大きさであることが必要な種があったり、ヒナの鳴き声に答える鳴き声が必要な種があったりします。
そのごくわずかな、その種に特有の一定の条件が整えば、刷り込みがおこなわれます。


3.早期に限定

刷り込みには、発達の早期段階に限定される、という時間の制約があります。
孵化後、一定の時間が過ぎてしまうと、刷り込みはできなくなります。
これは、臨界期と呼ばれています。

ガチョウの場合の臨界期は36時間ほどですが、18時間をすぎると、刷り込みは不十分になり、よそよそしさが残ってしまうそうです。(ティンバーゲン著、『動物のことば』、p154)


4.取り消せない

いったん刷り込みがおこなわれると、取り消すのはきわめてむずかしく決定的な力を持ちます。
ハイイロガンのヒナが母鳥とはぐれると、人が育てようとしても、食べることも眠ることもできなくなり、泣き続けて死んでしまうそうです。
ハイイロガンのヒナの場合、母鳥を求める欲求は、睡眠や食欲さえ上回ります。


5.広がりや転移

母鳥を刷り込んだハイイロガンのヒナに、人の後を追うように訓練するのは難しいそうです。
しかし、人を刷り込んだハイイロガンのヒナであれば、他の人の後を追うように訓練することは難しくないそうです。

同種であれば、刷り込みの広がりや転移が可能で、養子が可能です。
また、種によっては(コクマルガラスなど)、早期であれば種が異なる人でも親代わりになることができます。


6.はじめは種を刷り込む

視覚による刷り込みは、はじめは種を刷り込みます。
母親を特定するにはしばらくかかります。

隔離されて刷り込みを妨げられたハイイロガンのヒナは、母鳥の認知が妨げられただけではなく、通常は群れを作るはずの同種の仲間さえ避けて、仲間とは認知しませんでした。

視覚による刷り込みはそれほど厳密ではありません。
はじめて見た個体を、同種の中から特定するのは不可能です。
視覚による刷り込みは、はじめは種を特定し、その後で個を特定します。

ハイイロガンのヒナは、巣立ちをしたはじめの日は、ハイイロガンであれば、となりのおばさん鳥でも前を歩くとついていってしまうそうです。
母鳥を特定するのに2〜3日かかります。

ローレンツを刷り込んだヒナが、ローレンツを母親とみなして追いかけたという逸話は有名です。
しかし、実際は、人であれば誰の後でも追いかけたのです。
髭の生えた大男のローレンツと金髪の中背の女性と区別するのに3週間以上もかかったそうです。


7.恋愛や繁殖にかかわる

ハイイロガンは、人を刷り込んでも、ハイイロガンに恋をし繁殖することができました。
しかし、種によっては、刷り込んだ種に恋をします。
ローレンツが育てたコクマルガラス嬢は、2年後に性成熟すると、隣の家の少女に恋をしました。

かつて、動物園で天然記念物の丹頂鶴の繁殖計画を立てて、人工飼育をしたそうです。
産んだ卵をすぐに取り上げて孵化器に入れると、丹頂鶴はまた卵を産むそうです。
これを繰り返すと、1回の繁殖期に10個も卵を産ませることができるそうです。
そうやって、1回の繁殖期で多くのヒナを産ませることができました。

繁殖計画は大成功したかに思えました。
しかし、孵化器で生まれて人に育てられた丹頂鶴は、成熟するとヒトにディスプレイをして、丹頂鶴とつがいになることができませんでした。

人に育てられた2世は、子どもを産めなくて、繁殖計画は大失敗してしまったのです。
恋や繁殖といった、本能と考えられていた現象も、刷り込みの影響を受けていました。


8.感情の読み取り

刷り込みを妨げられたハイイロガンのメスが、怒って突進してきたオスを、求愛と勘違いしたそうです。
通常なら読みまちがえることのない、同種の仲間の感情を読みまちがえました。

刷り込みは、同種の仲間の感情の読み取りにもかかわっています。
ローレンツは、感情を読み取れるのが同種の証だと書いています。


9.原始的な種と高等な種

一部の原始的な種は、人が孵化したときから育てても人を親とみなさず、人になつかないそうです。
親と種の図式が本能として生得的に組み込まれています。
それに対して、高等な種は多くの脳の機能が刷り込みによってうまれます。


2.哺乳類の刷り込み

ほとんどの鳥類は刷り込みをおこなっていますが、一部の鳥は人が育てても人を親として認知しません。

ローレンツは、タイシャクシギのヒナを孵化したときから育てましたが、人に対して後追いをしないし、人に馴れなかったそうです。
刷り込みによって親や種の図式が形成されるのではなく、親や種の図式は本能として生得的に組み込まれていました。(『動物行動学』)

鳥類の中では、刷り込みの余地のない種は、より原始的なものであると言ってもまず間違いなかろう。
種仲間を生得的に認知しているのはごくわずかの鳥だけである。(『動物行動学』)

鳥類の場合は、親や種の図式が生得的に組み込まれているのは、原始的な種に限られます。
高等な種はみな、親や種の図式の形成に刷り込みが関与しています。

では、哺乳類はどうなのでしょうか?
刷り込みをおこなっているのでしょうか?


哺乳類の早成種

牛や、馬や、象などは、早成種です。
草原で出産するので、すみやかにその場を移動する必要があります。
お産の匂いを嗅ぎつけて、肉食動物が集まってくるからです。

その移動のときに、生まれてまもない赤ちゃんが、自分で歩いて母親の後を追います。
出産後早期に母親の後を追うのは、ハイイロガンのヒナとおなじですが、刷り込みなのでしょうか?
それとも、本能なのでしょうか?

牛科の動物では、人工哺育したオスの子は要注意だというのが、動物園関係者のあいだでは定説だそうです。
人間を同種とみなして、成長すると、順位を争って角で向かって来るスパーリングをするようになり、危険になるそうです。

本能として種が決定されているのなら、人間を同種とはみなさないはずです。
出産後早期に自分が属する種を特定するというのは刷り込みの特徴です。

したがって、牛科の動物は刷り込みをおこなっていると考えることができます。
そうであれば、牛や馬などの早成種が出産後早期に母親の後を追うというのも、本能ではなく刷り込みの働きだと考えることができます。

カバは水中で出産します。
神戸の王子動物園でのことですが、

カバのお母さん、茶目子は、オスと同居のまま、同じプールに子を産み落としました。その子が出生直後、はじめて触れたのが、オス親の腹だったのです。オス親をすぐに分離しましたが、子カバは茶目子から離れるばかり、生後2日で死亡してしまいました。野生では、メスは出産が近づくと群れから離れるといいます。以来、妊娠末期には、必ず茶目子1頭にしてやったのです。(亀井一成著、『動物の赤ちゃんを育てる』、p32)

生まれたばかりのカバの子が、はじめにオス親の腹に触れたばかりに、母親を避けて死んでしまいました。
水中で父親の匂いを刷り込んでしまったので、母親を拒否して受け付けなかったと解釈できます。

このことも、哺乳類の早成種が母親の後を追うのは、本能ではなく、母親を刷り込んだからだということを物語っています。

刷り込みには、後追い行動がうまれるだけではなく、異なる者への拒否反応がうまれるという性質があります。
しかし、通常、視覚による刷り込みはこれほど厳密ではなく、はじめは同種であれば区別できません。
しかし、カバの嗅覚による匂いの刷り込みは厳密で個を特定しています。

(嗅覚で個を特定するというのは、私の嗅覚では無理ですが、例えば、犬は匂いで特定の人を追跡することができます。ということは、犬はひとりひとりの匂いの違いを嗅ぎ分けることができるということです。種によっては、嗅覚による個体識別能力は、視覚による個体識別能力より高いです。)

生まれて間もない牛の赤ちゃんが母親の後を追ったり、人工哺育した牛科のオスの子が人間を同種とみなして向かってきたり、はじめにオスに触れたカバの子がメスから逃げたりしたのは、刷り込みの働きだと考えることができます。

したがって、哺乳類の早成種も刷り込みをおこなっていると考えることができます。


哺乳類の晩成種

では、哺乳類の晩成種はどうでしょうか?
哺乳類の晩成種は、犬、ネコ、サル、そしてヒトなどです。

生まれたときは走ることも歩くこともできません。
自力で、すみやかに移動できるようになるには、かなりの日数がかかります。

出産後早期に刷り込みがおこなわれていたとしても、母親の後を追うことはできません。
したがって、後追い行動という刷り込みに代表的な現象が現われません。

こういった哺乳類の晩成種が刷り込みをおこなっているのか?いないのか?
それをどうやって確認するのかということが問題です。

子ネコは生後1週間前後に目が開きます。
私がネコの巣箱をのぞいて、(ダンボール箱の横を丸くくりぬいたもの)、目が開いた子ネコとはじめて目が合うと、「目が開いた!かわいい!」、と私は思うのですが、子ネコは私を見て怒ります。
視線をそらせることなくじっと私を見て、口を大きく開けて、まだはえていない牙をむき出すしぐさをして私を威嚇します。

はじめは、そのしぐさがかわいいので、私を見つめて口を開けている姿を見ても、怒っているとは気がつきませんでした。しかし、何回か経験しているうちに、怒って威嚇しているということに気がつきました。
この威嚇には恐怖感や怯えは読み取れません。
「近づくとかみつくぞ!」といった、怒りだけが感じられます。

はじめて私と子ネコと目が合ったときは、ほとんどの子ネコが怒ります。
しかし怒るのはほとんど1回目だけです。
2回目からはもう怒らないで、視線をそらすぐらいです。

2回目には怒らないということは、もう敵とはみなしていないということです。
1回目に危険なことはなにも起きなかったので、敵ではないと学習したのでしょう。

子ネコは相手が安全だということを、ほぼ1回で学習します。
赤ちゃん子ネコは非常に学習能力が高いです。

その後、夏に子ネコが生まれたときですが、出産後3時間ほどで、母ネコが巣箱から出てきて水を飲みにいきました。
そのときに、私は、何匹生まれたのか見ようと、ダンボール箱の穴からのぞきこみました。

すると、手前にいた2匹の子ネコが怒ったのです。
まだ歯ははえていないのですが、口を開けて牙をむき出すしぐさをしました。

まだ目は開いていないので、私の匂いにたいして拒否反応をしたはずです。
これは、カバの赤ちゃんと同じように、すでに母ネコの匂いを刷り込んでいるということを示しています。

母ネコの匂いを刷り込んでいるからこそ、その匂いと異なる私の匂いにたいして、拒否反応があらわれて怒ったのです。
ということは、私の顔を見て怒ったのも、母ネコの顔を刷り込んでいたので、私の顔を見て怒ったと解釈することができます。

それから1年ほど経ってから、また出産後3時間ほどで、母ネコが巣箱から出ていきました。
そこで、今度は実験をしました。

子ネコを1匹、巣箱の入り口から10センチほどのところに出しました。
すると、はじめに1回小さな声で泣いて、途中でもう1回泣いて、30秒ほどで巣箱へ戻りました。
つづいて、もう1匹出しました。
この子ネコは1回も泣かないで、やはり30秒ほどで巣箱に戻りました。

さらに、もう1匹出しました。
ちょっと経ってから小さな声で泣いて、巣箱を探しているとひっくり返って横向きになってしまい、今度は大声で泣き出しました。

すると、餌を食べていた母ネコが急いで戻ってきて、子ネコをくわえて巣箱に連れ帰りました。
実験は、全部で5分ほどで終わってしまいました。
でも、収穫の多い実験でした。

まだ目が開いていない子ネコが、巣箱へ戻ったというのは、巣箱の匂いを嗅いで戻ったはずです。
母ネコがいなくても、巣の中は母ネコの匂いで充満しています。
その巣へ、30秒と時間はかかりましたが、匂いを嗅いで戻ることができました。

巣へ戻ったというのは、巣の匂いへの後追い行動だと解釈することができます。
母ネコの匂いで充満している巣への後追い行動があったということは、母ネコへの後追い行動をしたとみなすことができます。

まだ目は開いていないし、歩けないので、母ネコの後を追うことはできません。
しかし、生後3時間で、匂いで母ネコへの後追い行動をしたと解釈することができます。
また、外へ出したら小さな声で泣いたということは、軽い分離抵抗があったということです。

子ネコは、出産後早期に匂いによる人見知りがうまれ、母親の匂いにたいしての後追い行動もうまれ、軽い分離抵抗もうまれていました。
また、目が開いて見えるようになると、すぐに視覚による人見知りがはじまりました。

したがって、子ネコは出産後早期に母ネコの匂いを刷り込み、目が開いて見えるようになると、すぐに母ネコの顔を刷り込む、と解釈できます。

嗅覚の刷り込みと、視覚の刷り込みとが、別々におこなわれていますが、哺乳類の晩成種も、刷り込みをおこなっているということが解りました。

子ネコの場合は、怒るといった一種の人見知りがあらわれた時点で、刷り込みがおこなわれていると判断することができます。
生まれて最初に嗅いだ母ネコの匂いを刷り込んでいたので、異なる匂いが近づいてきたときに拒否反応をしめしたのです。

同じように、私の顔を見たときも怒りましたが、それは母ネコの顔を刷り込んでいたので、その顔と異なる私の顔を見て拒否反応がうまれたと解釈できます。

この拒否反応は、人間の赤ちゃんに生後6ヶ月頃からあらわれる人見知りと似ています。
しかし、刷り込みによってうまれる出産後早期の人見知りなので、新生児人見知りと名づけました。

哺乳類の晩成種は、生まれてすぐは母親の後を追うことはできません。
したがって、母親への後追い行動では刷り込みを確認できません。
しかし、新生児人見知りが現れることによって、刷り込みを確認することができました。
また、軽い分離の抵抗があり、匂いでの後追い行動も確認できました。

(ただし、匂いでの後追い行動は本能としての要素もあります。子ネコはうまれてしばらくすると、自分で這って乳房にたどり着き、乳を飲みます。これは、ヒトの赤ちゃんも同じで、自分で乳房まで這っていくそうです。したがって、乳房の匂いに引かれるのは、哺乳類の赤ちゃんに本能として組み込まれていると考えられます。しかし、カバの赤ちゃんが母親の匂いを拒否したのは刷り込みの作用です。したがって、乳房の匂いに引かれるという本能の作用よりも、刷り込みの作用の方が、カバの場合は強いと考えられます。)

では、ヒトはどうなのでしょうか?


3.ヒトの刷り込み

未熟児の例

いつも看護師と一緒にいる未熟児が、面会に来た母親を見たとたん、泣き出してしまったのです。赤ちゃんに会うことを心から楽しみにしていた母親はショックを受けました。そこで私は、看護師と同じように、母親にもマスクをつけてもらうことにしました。すると赤ちゃんはピタリと泣きやみました。(小西行郎著、『赤ちゃんと脳科学』、p38)

これは、子ネコが私を見て怒った新生児人見知りと同じです。
新生児人見知りが現われたので、未熟児がマスクをつけた看護師さんを刷り込んでいたと解釈することができます。
それで、マスクをつけていないお母さんを見て泣いてしまったのです。

口のない顔を刷り込んでいたので、口がある顔を見て泣いてしまったのです。
顔の特徴が異なるからです。
でも、お母さんがマスクをつけると泣きやみました。
顔の特徴が同じになったので、受け入れたのです。

もうひとつ、未熟児の例があります。

多くの親が報告することであるが、受胎後週数33週を過ぎる頃、20〜30センチの距離で視線を合わせようとすると子どもが視線を避ける傾向が観察される。同時期に眼球運動が開始され、おそらく見つめられる刺激はかなり強いという理由から、実際に子どもが視線を避ける現象が現われるのだろう。それを「子どもが嫌がっている」と読み取る親は多い。(『母子臨床』、こころの科学、日本評論社、p30)

筆者は、未熟児が親の視線を避けるのは、見つめられる刺激が強いからだと解釈しています。
しかし、通常は赤ちゃんは母親の視線を避けません。

生まれたばかりの赤ちゃんは、長いあいだ母親の顔を見つめます。
母親の視線を避けたのは、看護婦さんの顔を刷り込んでいたので面会に来た親の顔を避けたと解釈できます。

誰の視線でも避けるのであれば、いつも接している看護婦さんが気がついて、この現象を報告するはずです。
ところが、この現象を報告するのは、看護婦さんではなく面会に来た親です。
看護婦さんは、視線を避けるという現象を経験していないはずです。

おそらく、この病院でも看護婦さんはマスクをしているのではないでしょうか?
したがって、親が読み取っているように、「子どもが親を嫌がっている」、と解釈する方が正解です。


新生児の例

日本でただ一人自宅出産をおこなっている産婦人科医の大野明子先生は、次のように書いています。

(出産直後から母親に抱かれていた赤ちゃんは)体重を測り、洋服を着せるだけの間の、ごくわずかな時間、お母さんからほんの少し、30センチほど離れただけなのに、さっきまで静かだった赤ちゃんが泣いたりします。お母さんにもう一度抱っこされると、すぐ泣きやみます。うまれたときから赤ちゃんは、お母さんがこんなに好きです。(『分娩台よ、さようなら』)

大野先生は、赤ちゃんはうまれたときからお母さんが好きです、と解釈しています。
しかし、母親はうまれた赤ちゃんが我が子だとわかりますが、うまれたばかりの赤ちゃんは誰が母親かわかりません。

誰が母親かわからなければ、うまれたときから母親が好きです、というのは成立しません。
母親として認知する課程が必要です。
したがって、母親への愛はうまれたときからあるのではなく、出産後早期に形成されたはずです。

そして、母親から30センチほど離されると、赤ちゃんは泣きました。
巣から10センチほど出した子ネコが泣いたのとおなじです。
赤ちゃんも、子ネコとおなじように、母親の匂いを刷り込んでいたのだと考えられます。

ヒトは歩けるようになるまで時間がかかるので身体的には晩成種ですが、視覚も、聴覚も、嗅覚も、非常に優れた状態でうまれてきます。
母親のブラジャーと違う母親のブラジャーと、匂いを嗅ぎわけることができます。

感覚は発達していて早成種なみです。
したがって、出産後早期に、視覚でも、聴覚でも、嗅覚でも、刷り込みをおこなうと考えられます。

小西先生の例では、未熟児が人見知りをして泣きました。
大野先生の例では、新生児が母子分離で泣きました。
ともに、ヒトが刷り込みをおこなっている証拠です。

ヒトも刷り込みをおこなっていると考えて間違いありません。
ということは、自閉症は刷り込みの障害だと考えて、間違いないということです。

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