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自閉症論 2章 刷り込み前書き 前書き動物行動学者のローレンツによって報告された、鳥類の刷り込みは有名です。 ローレンツが鳥類の刷り込みという現象を発表すると、多くの学者がヒトも刷り込みを行っているかどうか新生児を観察しました。 それから長い間、ヒトの刷り込みは否定されたままでした。 デズモンド・モリスアメリカの小児科医であるデズモンド・モリスは、ヒトの刷り込みを認めています。『赤ん坊はなぜかわいい?』という本から引用します。 新生児をつぶさに追った最近の研究で、赤ん坊はお産の衝撃から回復すると、深い眠りに落ちる前に、1時間ほど母親の顔を一心に見つめることがわかった。もちろん、母親から離さずにおけばの話である。病院によっては、この「母子の最初の見つめ合い」を取り上げるところがある。母子ともにお産で疲れているのだから「休ませてやるべきだ」との配慮だろう。 ヒトの赤ん坊は、生れ落ちてすぐにではなく1時間ほど経ってから、長く深い眠りに入る。これもまた、偶然のことではない。この1時間、赤ん坊は、その後の数日間より周囲に対して敏感だ。赤ん坊が際立って活発な、人生最初の1時間は、両親と絆を結ぶ時間として、進化の過程で獲得されたものかもしれない。・・・この何十分かに、母と子は強い絆を結び合う。この何十分かは、母と子が、穏やかに寄り添って、見つめ合い、触れ合い、声に耳を傾け合い、そしてにおいを嗅ぎ合いながら、愛する者への刻印づけを始める時であるのだ。 デズモンド・モリスが書いているように、生まれたばかりの赤ちゃんが1時間ほど母親の顔を一心に見つめるという現象は、最近の研究で解ったことです。 それまでは、分娩室が明るすぎて、新生児はほとんど目を開けていられませんでした。 今も、新生児はほとんど見えないという説があります。 新生児覚醒状態が知られるようになってから、ヒトの刷り込みを認める学者が出てくるようになりました。 小林登日本の小児科の最高権威とも言える小林登先生は、小林登文庫でヒトの赤ちゃんの刷り込みに言及しています。 安産ならば、産声のあと頭が非常にさえていると考えられる時間は45分から1時間程です。赤ちゃんは、目をあけてなにかをみようとし、きこうとしている、そういう姿がみられます。これを新生児覚醒状態とよびます。その姿が、母親に強い影響力を与えるのはたしかですが、赤ちゃんは赤ちゃんで、自分が頼るべき人間はどの人かをさがしているのかもしれません。鳥と比較すれば、それによってその人をインプリンティング(刻印づけ)しようとしているのではないか、と言えばいいすぎでしょうか。 小林登先生は ただし、「そっくりそのまま哺乳動物の人間にもあてはまるとはいえません。」という但し書きがついています。 小西行朗赤ちゃん学会の理事長の小西行郎先生も、ヒトの刷り込みを認めています。 いつも看護師と一緒にいる未熟児が、面会に来た母親を見たとたん、泣き出してしまったのです。赤ちゃんに会うことを心から楽しみにしていた母親はショックを受けました。そこで私は、看護師と同じように、母親にもマスクをつけてもらうことにしました。すると赤ちゃんはピタリと泣きやみました。(『赤ちゃんと脳科学』、p38) 小西先生は、未熟児のこの例をあげて、ヒトの刷り込みを認めています。 出産後の養育で、母親の像(イメージ)が決まっていました。 ただし、小西先生は、ヒトの刷り込みは鳥類とは異なり、たいした意味を持っていないと解釈しています。 それは、未熟児が看護婦さんを刷り込んでも、母親に愛着を形成するし、母親を刷り込んでも、父親にも愛着を形成するし、養子になっても、養い親に愛着を形成できるからというのです。 しかしこれは、鳥類でも同じです。 また、ハイイロガンを刷り込んだハイイロガンのヒナに、人の後を追うように学習させることはとても難しく不可能だそうです。 したがって、ヒトの刷り込みは鳥類とは異なり、たいした意味を持っていないというのは誤解です。 堀内勁(たけし)聖マリアンナ医科大学の堀内先生もヒトの刷り込みを認めています。 出産の際には、母体をその生理的な大変さに耐えさせるために大量のアドレナリンが分泌されます。アドレナリンが分泌されると心身が興奮状態になりますから、出産で疲れてはいてもお母さんは特有の高揚状態にあり、6時間ほどは眠れません。一方の赤ちゃんも、誕生後2時間ぐらいははっきりと目覚めています。双方が起きているこの最初の2時間の間に、一緒にいることでお母さんの脳にも赤ちゃんの脳にも刷り込みが起こるのではないでしょうか。私はそう考えています。(『サイレントベイビーからの警告』) 新生児は、誕生後の2時間ぐらいは、はっきりと目覚めているそうです。 しかし、ヒトの赤ちゃんが刷り込みをおこなっているかどうかは、学問的には決着はついていません。 ヒトの赤ちゃんの場合は実験が限られているので、実験で証明するというのは難しく、推論にならざるを得ないというのも議論されない原因かもしれません。 資料に乏しいのですが、これからヒトの刷り込みを考察します。 1.鳥類の刷り込み隔離飼育することによって、すべての刷り込み過程を可能な限り妨げると、臆病で、一緒に行動をしようとはしないハイイロガンになる。そのような障害をもった二羽のハイイロガンを飼育用の囲い地に一緒にしておくと、しばしば向かい合った二つの隅にできるだけ互いに遠く離れて坐るようになる。同種の仲間に対する彼らの反応は奇妙にメチャクチャである。この障害の現われ方は、人間において『自閉児』と記載されているものに似ている。(ローレンツ著、『ハイイロガンの動物行動学』、p145) 私は、刷り込みのことを知りたくて、ローレンツの本を読みました。 しかし、人が刷り込みをおこなっているという証拠を探す必要がありました。 刷り込みの特徴ローレンツが刷り込みという現象を発見したエピソードを、『ソロモンの指環』、から要約しました。 ローレンツは、ハイイロガンのヒナが孵化器で生まれる様子を見にいきました。 長い間、じつに長い間、ガンの子は私をみつめていた。私がちょっと動いてなにかしゃべったとたん、この緊張は瞬時にしてくずれ、ちっぽけなガンは私にあいさつを始めた。(p129) 孵化して間もなくの、たったこれだけのことで、ヒナはローレンツを刷り込みました。 あわれなヒナが死に物狂いで私を追って走ってきていた。ヒナはまだ立っていることさえできない。しゃがむことができるだけだ。ゆっくり歩いても不安定でよろよろする。だが今は、のっぴきならぬ必要にせまられているので、必死で突進してくることができるのだ。・・・あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまずいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。(p130〜1) ヒナは必死になってローレンツを追いかけました。 離れると、「心もはりさけそうに泣きわめく」ので、小さなカゴを作って持ち歩けるようにしました。 寝るときも、部屋のすみでは泣き叫ぶので、ヒナのゆりかごは枕もとの手のとどくところに置くようにしました。 孵化したあとのほんのちょっとしたことで、ローレンツはハイイロガンのヒナに母親とみなされてしまいました。 ハイイロガンの場合は、後を追ったということで、刷り込みがおこなわれたということが確認できました。 日本でも鴨の子育ての様子がテレビなどでよく放映されますが、母鳥を刷り込むことによって、ヒナは母鳥の後を追いかけるようになります。 刷り込みには、さまざまな特徴があります。 (刷り込みの研究はあまり行われていません。刷り込みの働きはこれがすべてではありません。次の3章で考察しますが、人の場合は刷り込みの働きはまだあります。) 1.刷り込みによって、後を追うようになります。 1.後を追う 刷り込みをおこなうと、後を追うようになります。 母親のそばにいれば安心がうまれるという脳の機能が、刷り込みによってうまれた、ということを意味しています。 2.秒単位で成立 刷り込みは秒単位という非常に短い時間でうまれます。 刷り込みに必要な条件はごくわずかですが、その条件は種によって異なります。 3.早期に限定 刷り込みには、発達の早期段階に限定される、という時間の制約があります。 ガチョウの場合の臨界期は36時間ほどですが、18時間をすぎると、刷り込みは不十分になり、よそよそしさが残ってしまうそうです。(ティンバーゲン著、『動物のことば』、p154) 4.取り消せない いったん刷り込みがおこなわれると、取り消すのはきわめてむずかしく決定的な力を持ちます。 5.広がりや転移 母鳥を刷り込んだハイイロガンのヒナに、人の後を追うように訓練するのは難しいそうです。 同種であれば、刷り込みの広がりや転移が可能で、養子が可能です。 6.はじめは種を刷り込む 視覚による刷り込みは、はじめは種を刷り込みます。 隔離されて刷り込みを妨げられたハイイロガンのヒナは、母鳥の認知が妨げられただけではなく、通常は群れを作るはずの同種の仲間さえ避けて、仲間とは認知しませんでした。 視覚による刷り込みはそれほど厳密ではありません。 ハイイロガンのヒナは、巣立ちをしたはじめの日は、ハイイロガンであれば、となりのおばさん鳥でも前を歩くとついていってしまうそうです。 ローレンツを刷り込んだヒナが、ローレンツを母親とみなして追いかけたという逸話は有名です。 7.恋愛や繁殖にかかわる ハイイロガンは、人を刷り込んでも、ハイイロガンに恋をし繁殖することができました。 かつて、動物園で天然記念物の丹頂鶴の繁殖計画を立てて、人工飼育をしたそうです。 繁殖計画は大成功したかに思えました。 人に育てられた2世は、子どもを産めなくて、繁殖計画は大失敗してしまったのです。 8.感情の読み取り 刷り込みを妨げられたハイイロガンのメスが、怒って突進してきたオスを、求愛と勘違いしたそうです。 刷り込みは、同種の仲間の感情の読み取りにもかかわっています。 9.原始的な種と高等な種 一部の原始的な種は、人が孵化したときから育てても人を親とみなさず、人になつかないそうです。 2.哺乳類の刷り込みほとんどの鳥類は刷り込みをおこなっていますが、一部の鳥は人が育てても人を親として認知しません。 ローレンツは、タイシャクシギのヒナを孵化したときから育てましたが、人に対して後追いをしないし、人に馴れなかったそうです。 鳥類の中では、刷り込みの余地のない種は、より原始的なものであると言ってもまず間違いなかろう。 鳥類の場合は、親や種の図式が生得的に組み込まれているのは、原始的な種に限られます。 では、哺乳類はどうなのでしょうか? 哺乳類の早成種牛や、馬や、象などは、早成種です。 その移動のときに、生まれてまもない赤ちゃんが、自分で歩いて母親の後を追います。 牛科の動物では、人工哺育したオスの子は要注意だというのが、動物園関係者のあいだでは定説だそうです。 本能として種が決定されているのなら、人間を同種とはみなさないはずです。 したがって、牛科の動物は刷り込みをおこなっていると考えることができます。 カバは水中で出産します。 カバのお母さん、茶目子は、オスと同居のまま、同じプールに子を産み落としました。その子が出生直後、はじめて触れたのが、オス親の腹だったのです。オス親をすぐに分離しましたが、子カバは茶目子から離れるばかり、生後2日で死亡してしまいました。野生では、メスは出産が近づくと群れから離れるといいます。以来、妊娠末期には、必ず茶目子1頭にしてやったのです。(亀井一成著、『動物の赤ちゃんを育てる』、p32) 生まれたばかりのカバの子が、はじめにオス親の腹に触れたばかりに、母親を避けて死んでしまいました。 このことも、哺乳類の早成種が母親の後を追うのは、本能ではなく、母親を刷り込んだからだということを物語っています。 刷り込みには、後追い行動がうまれるだけではなく、異なる者への拒否反応がうまれるという性質があります。 (嗅覚で個を特定するというのは、私の嗅覚では無理ですが、例えば、犬は匂いで特定の人を追跡することができます。ということは、犬はひとりひとりの匂いの違いを嗅ぎ分けることができるということです。種によっては、嗅覚による個体識別能力は、視覚による個体識別能力より高いです。) 生まれて間もない牛の赤ちゃんが母親の後を追ったり、人工哺育した牛科のオスの子が人間を同種とみなして向かってきたり、はじめにオスに触れたカバの子がメスから逃げたりしたのは、刷り込みの働きだと考えることができます。 したがって、哺乳類の早成種も刷り込みをおこなっていると考えることができます。 哺乳類の晩成種では、哺乳類の晩成種はどうでしょうか? 生まれたときは走ることも歩くこともできません。 出産後早期に刷り込みがおこなわれていたとしても、母親の後を追うことはできません。 こういった哺乳類の晩成種が刷り込みをおこなっているのか?いないのか? 子ネコは生後1週間前後に目が開きます。 はじめは、そのしぐさがかわいいので、私を見つめて口を開けている姿を見ても、怒っているとは気がつきませんでした。しかし、何回か経験しているうちに、怒って威嚇しているということに気がつきました。 はじめて私と子ネコと目が合ったときは、ほとんどの子ネコが怒ります。 2回目には怒らないということは、もう敵とはみなしていないということです。 子ネコは相手が安全だということを、ほぼ1回で学習します。 その後、夏に子ネコが生まれたときですが、出産後3時間ほどで、母ネコが巣箱から出てきて水を飲みにいきました。 すると、手前にいた2匹の子ネコが怒ったのです。 まだ目は開いていないので、私の匂いにたいして拒否反応をしたはずです。 母ネコの匂いを刷り込んでいるからこそ、その匂いと異なる私の匂いにたいして、拒否反応があらわれて怒ったのです。 それから1年ほど経ってから、また出産後3時間ほどで、母ネコが巣箱から出ていきました。 子ネコを1匹、巣箱の入り口から10センチほどのところに出しました。 さらに、もう1匹出しました。 すると、餌を食べていた母ネコが急いで戻ってきて、子ネコをくわえて巣箱に連れ帰りました。 まだ目が開いていない子ネコが、巣箱へ戻ったというのは、巣箱の匂いを嗅いで戻ったはずです。 巣へ戻ったというのは、巣の匂いへの後追い行動だと解釈することができます。 まだ目は開いていないし、歩けないので、母ネコの後を追うことはできません。 子ネコは、出産後早期に匂いによる人見知りがうまれ、母親の匂いにたいしての後追い行動もうまれ、軽い分離抵抗もうまれていました。 したがって、子ネコは出産後早期に母ネコの匂いを刷り込み、目が開いて見えるようになると、すぐに母ネコの顔を刷り込む、と解釈できます。 嗅覚の刷り込みと、視覚の刷り込みとが、別々におこなわれていますが、哺乳類の晩成種も、刷り込みをおこなっているということが解りました。 子ネコの場合は、怒るといった一種の人見知りがあらわれた時点で、刷り込みがおこなわれていると判断することができます。 同じように、私の顔を見たときも怒りましたが、それは母ネコの顔を刷り込んでいたので、その顔と異なる私の顔を見て拒否反応がうまれたと解釈できます。 この拒否反応は、人間の赤ちゃんに生後6ヶ月頃からあらわれる人見知りと似ています。 哺乳類の晩成種は、生まれてすぐは母親の後を追うことはできません。 (ただし、匂いでの後追い行動は本能としての要素もあります。子ネコはうまれてしばらくすると、自分で這って乳房にたどり着き、乳を飲みます。これは、ヒトの赤ちゃんも同じで、自分で乳房まで這っていくそうです。したがって、乳房の匂いに引かれるのは、哺乳類の赤ちゃんに本能として組み込まれていると考えられます。しかし、カバの赤ちゃんが母親の匂いを拒否したのは刷り込みの作用です。したがって、乳房の匂いに引かれるという本能の作用よりも、刷り込みの作用の方が、カバの場合は強いと考えられます。) では、ヒトはどうなのでしょうか? 3.ヒトの刷り込み未熟児の例いつも看護師と一緒にいる未熟児が、面会に来た母親を見たとたん、泣き出してしまったのです。赤ちゃんに会うことを心から楽しみにしていた母親はショックを受けました。そこで私は、看護師と同じように、母親にもマスクをつけてもらうことにしました。すると赤ちゃんはピタリと泣きやみました。(小西行郎著、『赤ちゃんと脳科学』、p38) これは、子ネコが私を見て怒った新生児人見知りと同じです。 口のない顔を刷り込んでいたので、口がある顔を見て泣いてしまったのです。 もうひとつ、未熟児の例があります。 多くの親が報告することであるが、受胎後週数33週を過ぎる頃、20〜30センチの距離で視線を合わせようとすると子どもが視線を避ける傾向が観察される。同時期に眼球運動が開始され、おそらく見つめられる刺激はかなり強いという理由から、実際に子どもが視線を避ける現象が現われるのだろう。それを「子どもが嫌がっている」と読み取る親は多い。(『母子臨床』、こころの科学、日本評論社、p30) 筆者は、未熟児が親の視線を避けるのは、見つめられる刺激が強いからだと解釈しています。 生まれたばかりの赤ちゃんは、長いあいだ母親の顔を見つめます。 誰の視線でも避けるのであれば、いつも接している看護婦さんが気がついて、この現象を報告するはずです。 おそらく、この病院でも看護婦さんはマスクをしているのではないでしょうか? 新生児の例日本でただ一人自宅出産をおこなっている産婦人科医の大野明子先生は、次のように書いています。 (出産直後から母親に抱かれていた赤ちゃんは)体重を測り、洋服を着せるだけの間の、ごくわずかな時間、お母さんからほんの少し、30センチほど離れただけなのに、さっきまで静かだった赤ちゃんが泣いたりします。お母さんにもう一度抱っこされると、すぐ泣きやみます。うまれたときから赤ちゃんは、お母さんがこんなに好きです。(『分娩台よ、さようなら』) 大野先生は、赤ちゃんはうまれたときからお母さんが好きです、と解釈しています。 誰が母親かわからなければ、うまれたときから母親が好きです、というのは成立しません。 そして、母親から30センチほど離されると、赤ちゃんは泣きました。 ヒトは歩けるようになるまで時間がかかるので身体的には晩成種ですが、視覚も、聴覚も、嗅覚も、非常に優れた状態でうまれてきます。 感覚は発達していて早成種なみです。 小西先生の例では、未熟児が人見知りをして泣きました。 ヒトも刷り込みをおこなっていると考えて間違いありません。 |