玲奈の四十九日が近いのでお墓参りに行ってきた。
玲奈が眠っているのは、動物だけのお寺。
いつ行ってもキレイなお花が絶えない。必ず他の参拝客に会う。人間のお墓参りではあまり会わないのに何故だろう。

お日様が当たって静かだ。ここならゆっくり眠れるだろう・・・また来るよ!と言って帰ってきた。もうすぐ天国に行くはずだ。


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2003年


2003年12月31日



今日で今年も終わり。
このシクラメンはクリスマスプレゼントもなかったからと夫が買ってくれたもの。
サンランジェリーピンクという色で、品のいいピンクで気に入っている。

毎年大晦日になると、遣り残したことがたくさんで後悔ばかり。
来年こそは!と毎年思いつつ・・・また一年が過ぎてしまうということの繰り返し。
でも何も考えないよりはマシ。諦めてしまっては何も始まらない。
そう自分に言い聞かせ、また来年にむけ志を新たにする。

家族みんなが健康で、無事に一年を送れることが何よりだ。
来年は少し自分に厳しくしてみようと・・・今は思っている。
良い年になりますように!

2003年12月24日



クリスマスイブ。
ウチはクリスチャンじゃないから関係ないさ!と言いつつ・・・

昨年までサンタさンからのプレゼントを貰っていた息子は、今年は大きくなったからと(基準はいくつなのだろう)プレゼントもなくなり、なんだか可愛そうだった。本当は買ってあげると言ったのに、欲しいものがないと言って墓穴を掘った。
でもそれでは淋しいから、少しはクリスマスらしい夕飯をと、過保護母は息子の好物の茄子のグラタンを作った。
これにケーキも加わり、私はカロリーオーバー。
今月は温泉に行って、ご馳走も食べたし、これからお正月はやってくるし・・・
今日から暮れまで粗食にしなければいけない。

2月の健康診断まで頑張らないと!


2003年12月22日



今日は冬至。
私は出来るだけ日本の伝統行事(それほど大袈裟なものではないが)を息子に伝えたいと思っている。だから、冬至は毎年柚子湯にしている。

今年は実家でたくさん柚子を貰ってきたので、ちょっと豪華に6個も入れてみた。
実家の柚子の木は大きくなって、高いところに実が生るので母だと取る事ができない。
今年は息子が行ったので、棒を使って(手作りの通販の高枝切挟みのようなもの)たくさん取った。

柚子の香り・・・この冬は風をひきませんように!と、誰よりもよく風邪を引く私は、願いながらお湯に浸かる。それでも風邪をひく私って何?

2003年12月21日

2003年12月18日



コンサートに行ってきた。
昨日まで38度以上の熱を出していたので、3ヶ月前から手配して取ったチケットだったけど、無理かもしれないと一度は諦めた。でもDVDを見て、マインドコントロール?行きたい気持ちを思い出し(笑)意地で?熱を下げた。

1時間前に着いた国際フォーラムは長蛇の列。チケット持っているのにどうして?と思い、並ばずに列がなくなるのを待っていたら、ギリギリになってしまった。開演まであと5分。グッズを買う時間もないじゃない!

膝が悪く早く歩けない母にチケット渡し、私は走った。昨日まで熱があったのでフラフラしたけど、それどころじゃない。人をかきわけ必死で走った。
それでゲットしたのがこのハートのペンライト。コンサートで初めてペンライトを振ってしまった。母にも振らしてあげた(迷惑だったかも)。でも母も大喜びで親孝行できたみたい。
「来年もチケット取ってね」という母の言葉がなによりの証拠。

2003年12月15日



千葉の鴨川に行ってきた。
我が家は、猫を置いていくので1泊か・・・せいぜい2泊の旅行しかできない。
近場の温泉に一年に2回くらいは行く事にしている。
今回は初めての千葉。アクアラインを通って2時間足らずで行く事が出来た。
伊豆などは渋滞がひどく、熱川まで6時間かかったことがあるから、近いものだ。

海を見に行ったのだから、何もなくてもいいのだが・・・本当に鴨川は何もない。
鴨川館という宿に泊まった。
海の見える部屋と予約したら、最上階の角部屋に案内してくれた。
和室が12畳と8畳ほどの洋室のある和洋室だった。
部屋にトイレが二つある。部屋のお風呂はユニットバスで普段は入ろうとは思わないが、ここは木のお風呂。おまけに窓が付いていて、海が一望できる。大きなお風呂もキレイで良かったが思わず朝は部屋風呂に入ってしまった。

夕飯は部屋食にしてもらった。量も多すぎず・・・美味しかった。
仲居さんの前で「一日早いけれど・・・かんぱーい!」と言ったら、食後のデザートの時、「おめでとうございます」と言ってフルーツの盛り合わせを持ってきてくれた。この心遣いは嬉しかった。
館内もきれいだったし、是非また行きたいと思った。
また、あの海の見える部屋に。

2003年12月10日

私の朝は、息子のお弁当作りから始まる。(今年のお弁当作りは、すでに終わっているが)
出来るだけ布団の中にいたいので、布団の中でお弁当箱を頭に思い浮かべ、入れるおかずと配置を考える。イメージトレーニングだ。これが結構大事で、何もしないで作り始めるとひとつ入れ忘れたり、思ったより時間がかかったりすることになる。お弁当は、20分以内で作ることにしている。

お弁当を作り、息子を送り出すと猫のトイレ掃除(夫がやることが多いが)をし、掃除機をかける。
猫の朝ごはんは、前は台所であげていたので私が用意して猫達は階段を降りてきていたが、今は3階であげているので夫が用意してくれる。

その後、PCのスイッチを入れる。メールのチェックをし、お気に入りのHPをいくつか見る。次に、もう何年も毎朝続けているフリーセルをする。このフリーセルはどこのPCにも最初から入っているカードゲームだか、私にとっては一種の運勢占いみたいなところがある。一度で成功するとその日はいい日になるような気がする。これはどんな用事があっても必ずやるので、急いでいる時は頭が回らず、いい日になって欲しい日に限ってうまくいかない。

最近、そのフリーセルにギャラリーが現れた。PCの矢印を見つめるのが趣味のの薬研だ。PCの前にどっと座り込み、カードを移動していくのを見つめている。私は思う・・・薬研がフリーセルを覚える日は近い。「お母さん、それは違う!」と注意される日が来るのではないかと思うとちょっと怖い。(笑)


2003年11月29日



東京の初冬・・・
浜松町でのキャットショーに行こうと、内堀通りを走っていた。信号待ちでふっと見ると和田倉門の近くの噴水が見えた。向こうに見えるビルは丸ビル。
私はこのあたりで何年かOLをしていた。バブルの頃でそれはいい?時代だった。今は建て替わって観光地と化した丸ビルも、昔は古いけれど重厚な趣のあるビルだった。昼休みはランチをしに行ったものだ。この噴水公園も天気のいい日にはお弁当を持って行った。
息子がやっと歩けるようになった頃も、鳩を追いかけた懐かしい場所。
東京は思っているより緑が多い。先週の神宮に引き続き、東京でつかの間の紅葉を楽しんだ。

2003年11月24日

 

この時期、いつも行ってみたいと思っていた神宮外苑の銀杏並木に行ってきた。
ドラマでよく使われる場所。青山通りから入ったところにある。
前住んでいたマンションは、大きな通りに面していて銀杏があった。この時期、色付いていく木々を見るのが楽しみだった。

神宮外苑の銀杏並木は人がたくさんだった。銀杏祭りの最中で各地の名産の露天もあった。
昔好きだった、岸田智史(今は字を変えた)の「黄昏」、「枯葉散る季節になって、靴音さえも消えました・・・」、この歌を歌いながら歩きたかった・・・私は、何年経ってもこの時期はこの歌を歌う事にしている。枯葉を踏みながら、ややうつむき加減で、その頃の自分に戻って・・・何となく感傷的な気分に浸りたかった。でもそれには人が多すぎた。恥かしくて歌えないのが残念だった。

2003年11月23日

今日は勤労感謝の日。我が家で唯一現金収入のある夫は、今日も出かけている。仕事ではないが、ある意味今日も働いている。ご苦労様。私はというと・・・今日は休憩日。

いつものように、何気なくTVを見ていたら、行商のオバサンの話をやっていた。47Kgの体重のオバサンは80歳。50Kg以上の荷を背負って、千葉から東京へ行商に行くという。その行商先が我が家の近くだったから、番組を最後まで見てしまった。
そういえば駅前に行商のオバサンが店開きをしているのを見たことがある。今日のオバサンはお馴染みさんを回っているらしいが。
私が高校生の時、用事があって少し早い電車に乗ると、車両のほとんどが大きな荷物と行商のオバサンだったことがある。オバサンたちは顔見知りらしく、楽しそうに話していて、学生の私は肩身が狭かった。

オバサンにはそれぞれ事情がある。始めた頃は、戦後で現金が欲しい農家と、モノのない東京とで需要と供給という図があったようだ。行商列車が出るほど、行商の方々がたくさんいたそうだ。今のオバサンはお金に困っているわけではない。50年も行商を続けているお陰で、足も腰も痛い所だらけだ。家族も家にいて欲しいと思っている。それでもオバサンは出かけていく。何故なんだろう・・・お茶を飲んで、家でゆっくり過ごせばいいのに・・・行商先でのお馴染みさんが待っていてくれるからだと言う。無農薬の野菜を喜んでくれるからだと言う。オバサンにとっては生きがいなのだ。

生きがいを持てた人生って、周りから見て大変だと思っても、きっと幸せなんじゃないかと思う。働き詰めの人生は、私にとっては尊敬以外のなにものでもないけれど・・・それを何気なくやってしまう人生の先輩はすごい。一体私は何をやっているんだ!・・・そう反省させられた勤労感謝の日だった。


2003年11月18日

私はTVが好き。家にいる時は、見ていようといまいとだいたい付いている。
お風呂の残り湯を捨てられないくらいのケチならば、見ていないTVは消すべきだが、これだけは別。

当然ドラマも好き。でも気に入ったものしか見ない。
昼ドラというと、専業主婦の象徴のように思われる方もいるかもしれない。私も最初は軽蔑していた。昼ドラを毎日見ているなんて、暇なオバサン!と。
そんな私も1時からのドラマを見るようになった。1時と言ったら中途半端な時間だ。出かけるにも気になる時間。だから毎日録画することにした。

今週、残り3回で最終回になる「ピュア・ラブV」というドラマが今のお気に入り。
これは好評でシリーズになったもの。今回は3シリーズ目。
簡単に言うと、白血病になった木里子という小学校の教師と、その木里子の骨髄移植のドナーとなった、陽春という禅宗の僧侶との純愛物語。
こういうと、今風でない古典的なあらすじのドラマのようだが、その通り。今時のドラマではない。私が何より好きなのは陽春の所作が美しい事。禅寺の風習というのには全く不案内だが、凛としていて、見終わった後清清しい気持ちになる。
・・・もう3回しかないのが残念だが、一度見たら分かってもらえると思う。
浮世離れしているが、本当に自分を反省したくなるような・・・自分に厳しくて、相手に優しくて、そんな二人を見ていると、気持ちが暖かくなる。そんなドラマなのだ。
シッポをお股に挟んで、可愛い寝んね。
2003年11月14日

ソマリの玲奈は、瑠偉と同じ日に我が家にやって来た。1994年2月末のことだった。
瑠偉と玲奈は、違うブリーダーさんからやってきた。最初は子供が欲しいと思ったからだ。でも子供を生ませるということは、思ったより大変なことがあり、二匹とも虚勢・避妊手術をしてしまった。
キャリーからいつまで経っても出てこなかった瑠偉と、すぐ猫じゃらしで遊んだ玲奈は、性格も対照的だった。

我が家は引越しを何度もしたから、この子達は4軒家を変わった。でもすぐ馴染んでくれたし、引越しの最中もケージの中で大人しくてイイ子だった。
この家に来てから、次々と猫が増えていき・・・6年間二匹で暮らしてきたから、この子達なりに大変だったかもしれない。

玲奈は、私にとって特別な子だった。
息子もお世話になった。小さい頃、私が息子を叱ると玲奈が間に入って来て「にゃお〜ん」と小さな可愛い声で鳴いた。「お母さん、怒っちゃ駄目」と言っているようだった。それを聞くと私は「分かったよ、玲奈」と言うしかなかった。玲奈ちゃんは優しい子。

そんな玲奈が9月に腫瘍があることが分かり、9月10日に手術をした。開腹してみたら腫瘍は取ることが出来ないくらい胃の90%におよんでいて、リンパにも転移していた。ガンだった。
獣医さんが大嫌いで、術後もかなり抵抗したらしい。最初は5日間の入院の予定だったが、2日で帰ってきた。
それから家での闘病が始まった。空腹になると吐くので6時間おきにa/dという猫缶をあげた。9月一杯もたないかもしれないと言われていたが、ご飯をよく食べてくれた。お昼寝することが多かったけれど、だんだん痩せていったけれど・・・今月の初めまでは、少しずつでも食べた。

玲奈はお誕生日の1月まで頑張れるんじゃないか、と私達は思った。願った。本当に頑張れそうに思えた。
・・・でも11月7日朝、9才で天国へ旅立った。みんなが起きてくるのを待って、息子が学校に遅刻せずに出かけられる時間に逝った。玲奈は最後まで私達のことを考えてくれていたのかな。本当にいい子だった。よく頑張ったよ!


玲奈が逝って、今日で1週間。玲奈のことはずっと忘れない。だから、ここに記しておこうと思った。


2003年11月10日

土・日曜と、浅草でのキャットショーに久しぶりに倶利を連れて行った。我が家に来て、まだ一月も経たない薬研もキツンで出場した。何回かしかショーに出たことがないのだから、今回もバタバタしたけれど、猫を通してお知り会いになった方々と楽しい時間を過ごすことが出来た。

浅草は、私にとって馴染みの深い場所だ。子供の頃「花やしき」で遊んだ。「花やしき」は今もある。ディズニーランドだ後楽園だと大きなテーマパークがある中、頑張っている。下町の小さな小さな遊園地だ。息子も小さい時お世話になった。

私が子供の頃は、デパートの屋上は何より魅力のある場所だった。今考えると、よくあんな狭い場所にあれだけの乗り物があったと思う。浅草の松屋には確か観覧車があった。デパートの食堂でお子様ランチを食べ、たまには奮発してバナナパフェを食べさせてもらった。でも私はお腹の弱い子で、外では滅多にアイスクリームは食べさせて貰えなかったけれど。

日本舞踊を習っていたから、浅草の仲見世にある舞踊用具屋でも買い物をした。踊り用のレコード屋もあった。発表会が近くなると、地方(じかた)さんとのリハーサルのため検番にも行った。

浅草はどこか独特の雰囲気のある街だ。雷門の大きな赤い提灯を見るとワクワクする。梅園で粟ぜんざいとところてんを食べ、人形焼をお土産に買う。天ぷらは三定、蕎麦は尾張屋・・・好物もたくさんある。
入谷の鬼子母神の朝顔市の後は、浅草寺のほおずき市。・・・思い出したらキリがない・・・

ショーの合間に抜け出して浅草寺を歩いたら、色々なことが走馬灯のように思い出された。
本当に懐かしい・・・私の子供の時の思い出にはなくてはならない、大切な街だった。


2003年10月27日

トシをとると、涙もろくなると聞いたことがある。
はなまるマーケットの薬丸くんも「子供が出来ると涙もろくなりますよね」と言っていた。その時もウンウン・・・本当にと思った。

私は強い人間のハズだった。人前で泣くなんてみっともない!と思っていた。交通事故を目の前で見たとしても、決して貧血を起こしたりはしない。・・・そんな人間のはずだった。
今は、すぐ涙ぐむ・・・貧血を起こすかもしれない・・・情けない奴になってしまった。

今日も新聞で「15歳の息子が、父親と海釣りをしていて高波にさらわれたが、父親がとっさに投げたビニール製のエサ入れにしがみつき、2時間後無事救助された」という記事を読んで、思わず涙ぐんでしまった。波浪注意報が出ている中、釣りをするなんて無謀な話なのだが、助かってよかった。「父さんが投げてくれた命のバッグ」という見出しがまた泣かせる・・・

こんな調子だからテレビを見て、可愛そうに・・・、あ〜ヨカッタ!と、しょっちゅう泣いている。でもこれは家族は知らない。一人の時だけの私。猫だけが知っている。

2003年10月26日

昼、具合の悪い玲奈と新入りの薬研に会いに、実家の両親が来た。
両親揃って来ることは最近では珍しい。息子が生まれた頃は、初孫ということもあり本当によく来た。
こちらも初めての子育てで、随分心強かったものだ。
昼食に寿司を取り、2時頃、美術館に寄ると言って帰って行った。

その後、デパートでも絵を見たらしく「猫の可愛い絵があるから見てみたら」と電話があった。白黒の猫だと言う。有名な画家の版画だというので、夕方見に行った。白黒というから薬研のような白黒を想像していったら、シールポイントの猫だった。手の先は白くないからヒマラヤンのようだ。和猫だとばかり思っていたので、毛の長い猫で驚いた。でもさすがにいい絵だ・・・
最初見つからないので店員に尋ねたら「先程、お母様がいらした方ですか?」と聞かれ「はい・・・」と曖昧な返事をしたら、奥から出してきてくれた。

その後、買い物をしてデパートを出た。
外はすっかり暗くなっている。途中「コーヒーが飲みたいね」とスターバックスに寄った。平日はサラリーマン達で一杯だろうが、日曜とあって空いている。シナモンロールと共にテイクアウトして、ほんの少し歩いた。私は人の少ない東京のビルの間を歩くのが好きだ。歩くことは嫌いだが、こういうときは別。
たくさん人のいるところは好きではないから、休日の夜はもってこいだ。これが渋谷だとそうはいかないだろうが・・・。

車で遠出をして、東京のビルが見え始めるとなんだかホッとする。帰ってきたな・・・と思う。
どこに行っても、夜遅くても、必ず人が居る東京は、私には合わないと何度も思った。でもやっぱり好きなのかもしれない。


2003年10月19日

今日の東京は抜けるような青い空。

息子が英検を受けるため出かけたので、帰り一緒に外で昼食をと思い、迎えに行った。
9時半集合ということしか分からなかったので、終わるのは11時過ぎかな・・・と思い、会場となっている私立高校に11時過ぎに着いた。
この学校には中学もあるが、初めてだった。校門の前には川があり、桜並木が続いている。桜は大きく、川の中にまで枝垂れていて、桜の季節はさぞ見事だろうと思った。葉は茶色になって今にも落ちそうだ。

学校というのは、独特の雰囲気がある。息子の中学受験のために、学校見学にはずいぶん行った。学校案内を貰って学校の様子を見てくる。でも、今考えると何を見てきたのかと疑問だ。行ったということで満足していたような気がする。

今日のように、空を見上げた記憶がない。同じように抜けるような青い空の日もあったハズなのに。

私は忙しい日々を送っているわけではない。ゆっくり空を見上げる時間はたくさんある。立ち止まって季節を感じることだって出来るはずだ。私はせっかちで、出かける時は目的地に向かって急ぐ。大急ぎで自転車を漕ぐ。
何をそんなに急いでいるのだろう・・・たまには立ち止まってみようと思う。立ち止まって深呼吸をしようと思う。

そんなことを、考えていたら息子から携帯電話が鳴った。11時半だった。

2003年10月17日

 
朝の空気が冷たくなった。

窓から顔を出すと、頬に冷たい風が気持ちいい。
あ・・・この風、どこかで会ったことがある・・・そう思うことはないだろうか。私はフッと思うことがある。
それは駅の階段を上っている時であったり、自転車で坂道をくだっている時だったりする。

いつだったかな・・・と考える。私は父の転勤で何度か引越しをしている。
結婚してからもここで5軒目なので、思い出の景色がそれぞれ違う。だから、その風の景色を思い出そうとすると、色々な景色が浮かんでくる。そんな時間も楽しいものだ。


我が家がここに越してきてから、この界隈の景色は変わった。偶然だろうが次々と家が建った。
隣が建て替えし・・・宗教団体のあとに4軒、その隣に4軒の建売りが建ち・・・ウチを入れてナント11軒が新しくなった。
その宗教団体は反対側の道まで土地があり、そちらにも2軒家が建った。
そしてこの写真は最後の1軒。3階建ての家を建築中。
最初この辺りは、大きな区画で売り出したらしい。それが切り売り切り売りし、大きな家は少なくなった。ウチの並びも然り。

思い出の中の景色は変わらないけれど、世の中はどんどん変わって行く。


2003年10月13日

今日の東京は、10月としては観測史上2番目の記録的豪雨だったとか。

その時間、私は夫の運転で首都高速を走っていた。前がほとんど見えない。隣にバスでも走っていようものなら、しぶきを受けて前が全く見えなくなった。こんなにすごい雨の中走ったのは初めてだ。
たまにあるトンネルのなんと有難かったことか!首都高速を走った事がある方はご存知だろうが、首都高はカーブが多い。右から左から入路があり、車が入ってくる。分岐が多い。分岐のところに屋根となる道があったりするとよく見えるのだが、本当に怖かった。

何故、高速道路を走っていたかというと、羽田空港にニューフェイスの薬研(やげん)を迎えに行った帰りだったのだ。
薬研は金沢のキャッテリーから来て、小松空港から飛行機に一人で乗ってやって来た。4ヶ月の子が一人(一匹)で飛行機に乗ってくるなんて、心配性の私が心配しないわけがない。
でも元気にやって来た!小松空港でも横殴りの雨だったらしいが、薬研を引き取る頃、羽田も雨が降り出した。羽田からの帰り道、50分間土砂降りだった。金沢から嵐とともにやって来た。車の中でも雨の音が煩かったけれど動じることもなく、鳴きもしなかった。かなりの大物かも・・・。助手席の私のほうが疲れてしまった。

嵐とともにやって来た、嵐を呼ぶ男?「嵐」という名が急浮上したけれど、予定通り「薬研」と命名した。
オチビが来ると、慣れるまで生活が変わる。それも楽しみのひとつだ。

2003年10月10日

今日は10月10日。私の中では体育の日。誰がなんと言っても今日は体育の日。
休日が増えるのは歓迎だが、馴染んだ祝日を変えられるのは許せない!誰に文句を言ったらいいんだろう・・・

過保護で超心配性の私。
ここだけの話・・・息子が出かける時は角を曲がって見えなくなるまで、窓から見送ることにしている。
息子はそれを知っているが絶対に振り返らない・・・意地でも振り向かない。
こんな暇なことをするのは私だけかと思いきや・・・すぐ近所にも居た。
彼は息子と同じ年だ。これは間違いない。ウチがここに越してきて3年過ぎたが、彼はその後に建った建売住宅に住んでいる。ウチの息子も1年ちょっと、引っ越す前から通っていた小学校に越境して、二駅電車通学していた。彼もそうだったらしい・・・ランドセルを背負って歩く姿を何度か見た。

そして息子が中学生になり、彼も学生服になった。彼も電車通学だ。ほとんど同じ時間に出かけていく。
息子を窓から見送っていると、我が家の前を彼が通っていく。振り返り何度も手を振る。その先を見ると門扉のところから母と思われる女性が手を振っている。最初に気付いたのは入学間もない頃だったが、彼は今でも手を振る。中2になって可笑しいと思うかもしれない。でも私はちょっと羨ましい・・・完全にバカ母だ。でもやっぱり羨ましい。


2003年10月9日

私はアイロンがけが嫌いだ。
でも息子のシャツだけは洗濯してすぐ・・・濡れているうちにアイロンをかける。そうすると簡単にシワが伸びて気持ちがいい。
夫のシャツは嫌い・・・背中のタックがあるからだ。
縞々のシャツの時は、「アイロン掛けてると、目が回りそうだから」と言ってパスすることにしている。
ではその後、そのシャツはどうなる?・・・夫がかけることになる。夫は器用でおまけに超マメなのだ。
いつもお世話になっている。お世話になりすぎて、私はこんなグータラになった!と言ったら流石に怒られた。

夫の会社にはカジュアルフライデーというものがある。
つまり毎週金曜日は背広を着ていかなくてもいい。営業職など、外部の人と接する部門にはないらしい。
それが7月から9月までは、カジュアルエブリデー(カタカナで書くのは情けない)になる。
夫は暑がりで、電車に乗っても必ず空調の下に立つくらいだから、かなりのものだ。
だから夏のカジュアルエブリデーは大いに助かる。
それが10月になって、また背広になった。つまり毎日Yシャツを着ていくのだ。ということは、アイロンがけが毎日ある。・・・私にとっても有難いカジュアルエブリデーなのだ。


2003年9月27日

           

コレは何?・・・
今日、後楽園のラクーアに行った。ラクーアは温泉施設を売り物にしているが、温泉には入ったことがない。遊園地あり、ショッピングあり、レストランあり・・・複合施設で結構楽しい。
近いのでたまに行くが、今日はゲームセンターで遊んだ。これは戦利品。呆れるほどの量・・・アメは250個以上あった。アメが欲しいわけではないが、息子に呆れられるほど取ってしまった(^^;)。たまにはこんな日があってもいいかな。



2003年9月23日

       


お彼岸でお墓参りに行ってきた。昨日まで台風の影響でお天気が悪かったが、今日は晴れたので皆考えることは同じ。お墓も道も混んでいた。それでも高速道路で1時間ほどで行けた。
実家に行った時には、出来るだけお墓参りをするようにしているが、忙しくて用事だけすませて帰ることも多く、久しぶりの墓参りだった。この秋のお彼岸だけは、必ず行くようにしている。

このお花は、墓参り用の花だ。お気に入りの花屋さんに「お墓参り用だけど、可愛い花にして下さい」とお願いする。今日も同じように頼んでから「お墓参り用に、可愛い花ってオーダーするのって珍しい?」と聞いてみた。「あんまりいないけど・・・飾りたい花にすればいいんだよ」という答えが返ってきた。だからこの花屋さんは好き。写真を撮っておくと言ったら、ラッピングまでしてくれた。

墓参りにバラはいけないとか聞いたことがある。和風の墓に、この花は合わないかもしれない。海の見える外人墓地には合うかもしれないが・・・。でもいいの・・・可愛いお花を飾ってあげたいから。

話は変わって、新米の季節。我が家はお米を買ったことがほとんどない。実家に行った時、30Kgの玄米を袋ごと貰ってくる。そして家で精米して食べている。30Kgもの米を一度に精米してしまうと食べるのに時間がかかって、虫がでてしまうからだ。精米するのは面倒だか、精米したてのご飯は美味しい。田舎道にはこんなセルフサービスの精米屋があった。10Kg100円。実家の母は、よく叔母達にお米を送ったりするから、そんな時はこの精米機が便利だ。


2003年9月18日

   

9月10月はあまり好きではない。昔、辛い思い出があるから・・・
夏休みが終わる頃から、なんとなく気持ちが重くなる。ここ数年はそれも少しづつ薄れていたけれど。
今年の9月は、その思いがまた蘇ってきた。玲奈の具合が悪くなったから・・・。
10日に手術をし、12日に退院。今日は術後着ていたベストを脱ぐことが出来た。少し自由になったようで、ゆっくりゆっくり部屋を散歩しだした。玲奈ガンバ!

今日、小石川植物園にアモルフォファス ギガスなる植物を見に行ってきた。温室で咲いていた。なんでも日本で初めて咲いたとかで、TVでも紹介され、たくさんの人が見に来ていた。小石川植物園は近いのに初めてだった。捨てられてしまったんだろうか・・・猫が何匹か居た。長毛のノルウェージャンに似た子も居た。広い野原を自由に動ける猫は一見幸せそうにも見えるが、毛はボサボサで、怪我をしている子もいたし・・・人間の身勝手。最後まで責任を持って欲しいと思った。

2003年9月4日

夏休みは、最後まで息子の大量の宿題を気にしながらアッと言う間に終ってしまった。
夏休みって、毎年宿題が気になっているのだけれど、いつになったらこの呪縛から開放されるのだろう。
人の宿題まで気にする自分が悪いのは分かっているのだが、悲しいかな・・・因果な性格だから仕方ない。

夏休みが終わったということは、お弁当作りが始まるということだ。2ヶ月近く作らなかったら忘れてしまった。
この四角いお弁当箱を如何にして埋めるか・・・でも大丈夫!私には写真がある。・・・そう毎日のお弁当をデジカメで撮っているのだ。この話をするとかなりのお母さんは驚く。でもそういう人がいると聞いて(秋野陽子だったかな)始めたことだから。
今年は2学期が月曜日から始まったからキツイ!お弁当を4回も作らなければならないから。お弁当を作るということは、早起きをしなければならないから、それが大変。・・・と言っても、人様にはいえないような時間に起きているのだが。

そろそろ疲れが出てきて眠い・・・何の疲れ?夏休みのグータラ生活のツケがまわってきたらしい。
2003年8月11日

世の中はお盆休みで東京の人口は少なくなっている。新幹線も飛行機も満員、高速道路は渋滞のニュースが流れているけれど、我が家は何も変わらない。

毎年この時期は電車も道も空いている東京に居る。いつもより静かで結構この時期が好きだ。お盆は実家に行くけれど、猫がいるから日帰りだし(昨年までは猫を連れていったけれど、今年は5匹になって無理)夫はいつも通り出社しているので特にいつもと変わりない。おまけに今年は息子がクラブの合宿でいない。私は一人ノンビリ自由気儘に過ごしている。一人ってこんなに自由なんだと思う。

一人暮らしをしたことがない私。つかの間の一人暮らしごっこを楽しみたい・・・・
2003年8月6日

今年の梅雨明けは遅かったから、暑さが身体に堪える今日この頃。

痩せなきゃいけない!本当に成人病だ!と思いつつ早○年。意思の弱い私・・・体重計に乗るのも気が重い。
そんな折、夫が何を思ったか、突然夕飯を抜くと言い出した。貴方は食べないと言ったらそれで済むでしょうが、私は作らないワケにはいかない。私まで食べなかったら一人分作るのは返って不経済だし、大変・・・

もう8年も会費を払い続けて、絶対元がとれていないスポーツクラブにも週3回は行くと宣言して、さっさと出かけてしまった。家族が痩せて健康な身体を作るのを応援しなければいいけないのはわかっているけれど、夫だけ痩せて私がデブのままというのはどうにも許せない!さてどうしたものか・・・
2003年8月1日

猫が暑そうに寝そべっているので気温計を見たら34度!慌ててエアコンうを付けました。
家の前の道は水道管交換工事中。17時まで断水のはずが、今蛇口をひねったら水が出た(^^)手も洗えないんじゃ・・・と何もしないつもりだったのに・・・
関東の梅雨明けは今日もお預け!暑いのは嫌いだけれど「暑中お見舞い」のハガキを今年は出せそうにないのはなんだか淋しい。
これから粉糖を買って来てクッキーを焼こうかな。
何もこんな暑い日に・・・でもなんだか焼きたい気分。
    2003年7月29日

今日からHPをリニューアルし、掲示板、日記、自己紹介、リンクのページなどを作りました。日記もまめに書いていこうと思います。
先週行った北茨城市の磯原温泉。山海館は良かったな・・・夕食は美味しくて量も食べきれない位。まだ考えただけでお腹が一杯のような気がしてくるから不思議です。部屋からの景色・・・海の中にいるような錯覚に陥ります。是非また行きたいところです。