1999年12月28日(火) |
仕事納めなり、明日にゃ郷に帰らせていただきます。 早い時間から酒、といってもビールなんだけど、を飲んだせいか頭が痛い。今夜はさっさと寝て、明日の朝、というか真夜中の2時に起きて、しつこくネットをうろうろしてから、始発に乗って羽田へ。 今年はかの2000年問題で正月は出勤になる予定だったのに、現場が変わったおかげで出なくてよくなった。で、帰らない場合には剣崎か三浦海岸で初日の出を見る予定だったのだけど、帰るので実家横の堤防の上から。 もしくは生見海岸とか。でも早朝からスクーターで出かけるのも寒いし、生見海岸だと海からでなく山から上がる太陽を見るハメになりそう。やぱし大人しく堤防上から見たほうがよいか、酒でも飲みながらね。 てことで来年もヨロシク。礼も作法もあったもんじゃ無いですな。 |
1999年12月27日(月) |
薄闇の中を駅に向かって歩いてる、見上げた空にはまだ月が残っていた。って書き出すとアレなんだけど、まだまだ夜は長くなっている。寒さも酷くなる一方で、風邪だってまだ治りきってない。だというのに、もうすぐ年が変わる。明日は納会。 明後日にゃ帰省するし、周囲も僕自身も慌ただしくなる。と思ってたのに、なんだか随分とのんびりしている。これほど穏やかな、というか暢気な年末ってのも、記憶に無い。帰省準備だって今日、会社から帰ってきてから10分ほどで済ませちゃったし。 例の2000年問題絡みで、正月には家族全員が揃うかもしれない、もしそうなったら、本当に何年ぶりだろう。もっとも、船には羅針盤も積んであるし、夜空にゃ星も出るだろうとか、そんなことを言って漁に出るかもしれないのだが。ホントにそうなったら、すごいぞ父ちゃん。 せっかくの機会なんだから、たまにゃゆっくりと正月を迎えるのも悪くないぞ。とはいってもこの季節、まさに掻き入れ時、のんびりと正月を迎えてる場合じゃないってのもホンネだったり。 それはともかく、実際のところ大した事件は起きないだろうね、2000年。何か起きたところで、田舎に帰っちまえばこっちのもの。家はプロパンガス使ってるし、風呂は灯油、水は港の給水施設にたんまりと有るし。電気は発電機が有るしね、別に何の準備もしなくても何でも揃ってる、やぱしイナカモンにゃ、そったら騒動なんぞ関係あらへんのだ。 問題なのは田舎からこっちへ帰ってくる交通機関か。でも3日ともなれば、何か起こってても復旧されてるだろうしねえ。ま、僕としては何かが起きて暫くお休みってのが理想。そんなこと言っちゃあ、JRの人とかに怒られちゃうのだが。 あ、でもそんなことになったら、船で帰って来いとか言われたりして。三崎漁港も近いしねえ。 新年会の資料もそろえたし、あとは新年が来るのを待つだけ。相変らず呑むことしか考えてないのがステキ、きっと来年もこの調子。 |
1999年12月26日(日) |
朝見た「サンデーモーニング」での実験、2日間テレビを見れないようにするとどうなるかってヤツ。その内容に退きまくってしまったのだけど、そんなに音の無い空間ってのは怖いかね。ちっちゃい頃からそういった環境に慣れ親しんできた僕としては、どうにも理解できない心理状態。 海上やら山の中やらってのはとにかく静かなのだけど、そんな中に彼らを放置したらどうなるだろう、迷わず発狂ですか?。いまだにそういった空間が好きでその辺をうろつきまわっていたりするので、僕は全然平気なのだが。 耳を澄ませば、まったくの静寂の中に居るようでも、実はさまざまな音に囲まれていることに気付く。風の音、木々の枝や葉の擦れる音、波の音や、そこに生息する全ての生物の息吹まで聞こえるような気にもなってくる。 テレビを見られなかったり音楽が聴けないくらいで退屈するってのは結局、考えるチカラ、というか発想するチカラってものが不足してるからじゃないのか。かつて子牙公が言われたように、やぱしそれってアタマの中がカラッポっていう良い証拠だよねえ。 テレビの中の、居心地の良い場所ばかし求めてるってのは、肉体だけじゃなく精神まで物臭にしてしまうようだ。そんなことにならないためにも、やっぱお外で遊ぶのが良いってことで、三浦海岸までお買物。風邪薬と、ついでに蜜柑と昼食のおかずなど。 行き帰り、僕は面倒なので前から人が来るとさっさと道を譲るのだが、面倒だからって理由もなあ。要するにかなり接近しても相手が道を譲る確率がむちゃくちゃ低いってことからなのだけど、それにしてもテレビもそうだが、結局は受身で自分から動こうって気が無いってことらしい。 道をただ歩くにしたって、いろいろと考えながら歩く必要があると思ってる。危険予測によっていかに危険を避けるかとか、どのように歩けば無駄なく歩けるかとか、すれ違いかたとか。判断力、決断力、そして自発的な行動力が必要とされると思っているのだが、そういったことに欠ける人が多いなあと。偉そうにもそう感じてたりします。 物事を推し進める場合、いかに効率よく実行するかとか、そういったことがよく言われてる昨今ですが。普段からそういった発想でもって生活してない人に、そんなことを求めたって出きるハズ無い。つか、ちっちゃい頃からそういったことを考えてないと、やはり身には付かないと思うのだ。 肉体労働は段取り八分とかいうように、段取り上手にならないとやってけない。段取りのヘタなヤツってすっごく嫌われる、無駄な労働は誰もしたくないからねえ。だから知恵を絞って、効率よく仕事を進めるために周到に準備をし、その為にはどのような苦労も厭わない。某西川氏ではないが、ちっちゃなことからコツコツと、というのは基本。 便利な世の中にはなったけど、それに寄りかかって生きてくのもねえ。余裕を持って生活するってことと、だらしなく日々を送るってのはまったく違うのだし、そろそろ居心地の良い場所から離れるってこともしてみては。 つっても家の外に出てきたら出てきたで、僕にとっちゃ邪魔な存在でしかなかったりするのですが。わがままなヤツ。 めんどくさくなってきたから、週一回、日曜日に表記。昨年の健康診断によると、僕の標準体重は68.4kgだそうな。 今日の体重・・・・・・84.2kg。目標・・・・・・68.5kg、+15.7kg。 |
1999年12月25日(土) |
ちょっと呑みすぎてしまったようだが気分は良いので、10時も近くなってから出かけた。目指すは剣崎だが、ルートはどうしよう。松輪入口から入って、毘沙門へ行き、剣崎から間口港経由で金田に出て、三浦海岸から家に帰るといったルートを設定。とにかく歩き出す。 歩きながら、何故だか20代の総括を始めてしまう。21歳までは学生をしてたから良しとしても、入社後、僅か1年9ヶ月ほどで会社を辞めてしまい、その後、27歳の夏まで、思いっきり遊びほうけていた。途中、ちょっとは労働してたものの、ほとんど遊びと変わらなかったしなあ。 会社を辞めたあと、何をやりたいのだか自分でも判らなくなって、ずいぶんと悩み転げまわったものだけど、そこから得た教訓はサッパリ無く、いったい何してたんだか。 そういう状態に陥ったら、まず自力では浮上できないというのが一番の教訓か。そうならないように普段から心がける、それが大切だってことに気付くまでにずいぶんとかかったものだが、それにしたって情けない。 プログラマとしてのキャリアが4年にも満たないってのも凄いにゃあ、いかに遊んでたかが良くわかる。その遊びにしてもずいぶんと半端なものだったし、結局得たものなんて無かったのかも。いや、無かったね。 僕は運や運命なんてものは全然信じてないが、というか認めたくないのだが、巡り合わせってものは認めざるをえない。それがなけりゃ、いまだに田舎でのた打ち回っていたかもしれないし。 それにしても無駄な人生、送ってる。遠山の金さんの御父上の「人生に無駄な時間てものは無い」といった言葉を信じてはいるものの、だっはーと溜息を漏らすばかりなり。 剣崎は、ものすごい風で、風を背にして海を見ていたのだが、何度も踵が浮いた。海は波が高くて、波頭が白く、荒れていた。99年最後に見た(剣崎からの)海が荒れ放題のものとは、なんともかんとも。 とか思いながらも、見入ってしまって動けなかった。やぱし海は良いなあ。荒れてても、凪いでても。三浦海岸まで、タラーっと歩いて。家へ帰る途中でコンビニに立ち寄って、今月号のアフタヌーンを買った。 偶然にも、アルファさんが歩いた道を、数週間前に僕も歩いている。といっても僕が歩いたのは、もっと海際で、ヨコハマの世界では水没してしまっている。海老名まで行ったのなら厚木は目と鼻の先だが、厚木や相模原といったら、昔やはり仕事でうろついてたことがある。 鎌倉が水没してたのには苦笑したが、船で上陸した地点は稲村ヶ崎の近くか。湘南て呼称は、中国の湘湖の南(南岸だっけ)の風景に似てるから、だったと記憶しているのだが、湘南湖っていうのはそういった意味では、趣深い。それにしても何故、武蔵野(東京)だけムサシノなのだろう。 あれこれ詮索しても詮無いが、暫く柿も食べてないなあ。そう望んでいる以上、いつか僕もどこぞを一人でさまよい歩くことになるのだろうが、それまでにしっかりと体を鍛えておきたいねえ、ってこれ以上鍛えてどうする。 無駄を無駄のままにするか、何かに転化しうるかは僕の手腕にかかってるのだが、現状では努力するだけ無駄だなあ、とか思ってしまったりもする。 今日の体重・・・・・・83.5kg。目標まであと8.5kg。 |
1999年12月24日(金) |
それにしても、クリスマスですな。帰りに上大岡の京急百貨店に立ち寄ったのだけど、そりゃもうすごい人出で、人ごみ嫌いの僕には苦界にも似た状態。そんなこと言いながらも一時間以上居たりなんかして、なかなか楽しかったです。 お目当てはプリンタのフォトインクで、4,620円。あとは欲しいものの下見、デスクとか、アクセサリとか。無論見てるだけで買ったりはしなかったのだけど、なんだか虚しくなってしまった。 今夜は老酒でも飲みながら、隋唐演義を読んで、不貞腐れて寝ようと思います。オイラは道教徒だからクリスマスなんて関係ないやい、とか負け惜しみを言いながら。しかしいつから道教徒になったんだ?。 明日は掃除などした後に、剣崎まで行ってみようかと。 今日の体重・・・・・・84.2kg。目標まであと9.2kg。 |
1999年12月23日(木) |
昨日の朝、うるさく鳴り響く目覚ましのベルをストップさせて、何気に針を見ると、6時25分を指していた。この時間、いつもは部屋を後にするはずなのだが・・・。布団をがばっと跳ね上げた僕は無論慌てまくっていたのだが、こんな時のためにしっかりと取ってあるバッファのおかげで、電車を一本遅らせるだけで何とか事無きを得た。 やはり寒さの影響があるらしい、低血圧は確かにどうしようもないのだが、だからといって毎日このようでは埒があかない。電車の中でも爆睡状態で、とりあえず寒いあいだは睡眠をしっかりとることで解決を図るほかは無いと決心。でも充分な睡眠時間を確保することが最大の難問で、どうしても色々なことで寝る時間を遅めてしまう。 忘年会には体調不良のまま参加。昨夜、都内某所にて行われた某集団(^^;)の忘年会に参加させていただいたのだが、気を使わせてばかりで、どうにもこうにもな状態。しかも俺、自己紹介してないし(^^;)。うあ~、社会人失格、つか元々ロクでもない人間だし、しかたないか(゚▽゚;)。 参加者、俺、前の現場で一緒だったオジさん、今の現場の同じフロアにいるオジさん(ゴメン)、とあと二人。一体どういった繋がりなのか良く解からなかったのだけど、会話の内容からするとラリー関係、というか車好きの人たちの集まりか?。それくらいちゃんと把握しようよ、俺。 さんざん飲み食いして、会話を聞くだけ聞いて、サッパリ参加しない俺に対しても大人の態度で接していただけるのはありがたかったのだけど、心苦しいばかりなり。次に参加する機会があったらもっとしっかりとしなきゃ。 散会したのは午後11時30分を過ぎた頃で、三浦海岸行き最終電車ももう出ていて、久里浜止まりの最終電車に乗って帰ってきた。タクシーで帰ろうかと考えてたのだけど、外に出てみたらそれほど寒さを感じなかったので、歩いて帰ることにした。 どうせ明日は休みだし、前々から夜の海や、対岸の房総半島などを眺めながら歩いてみたいと考えてもいたし。尻摺坂を越えて北下浦海岸通にでると、暗い海を隔てて房総の灯かりと、久里浜の灯かり、そして海岸沿いに続く電灯の灯かりが、それはもう見事だった。空を見上げれば星がたくさん出ていて、寒さなんかすっ飛んでしまった。 どしどしと進んでいくと、三浦市域の道路沿いの灯かりが大きくなってくる。引橋へと上がる134号線、金田から松輪へとカーブを描いて上る215号線。昼間には判らない、さまざまなものが見えてくる。夜の海は真っ暗でほとんど見ることができず、押し寄せる波音だけが大きく響いて聞こえる。 三浦海岸まで来ると、砂浜がぼうっと闇に浮かび上がって、美しいと感じると共に、ちょっと怖かった。その砂浜で、もう2時30分になろうとしているのに、高校生らしき人影が蠢いていて、この寒いのにずいぶんと元気なことで、と自分のことはすっかりと忘れて感心してしまった。 引橋への坂の上り口にたどり着いて、やっとホッとした。あともう一息、一気に坂を上り、家にたどり着いたのが3時前。夜食をとって、ダラダラと本など読んでいたら5時近くになってしまって、慌てて就寝。いろいろあったけど、楽しかった一日。 目が覚めたのは11時頃で、洗濯機をまわしたまま、三浦海岸へ。クリーニングに出してた衣類を受け取り、買物をして帰宅して洗濯物を干して、それから昼食。 正月は帰省するつもりなのに、まだ帰り仕度をしてないことに気付いてちょっと蒼くなって見たりしながら、ボンヤリと過ごす。いや、ボンヤリしてる場合じゃ。大掃除だってしなきゃならないのに。とか考えたのだが、家の中を見回してみて、別段必要としないことに気付いて唖然となりつつも気持ちは良い、普段ちゃんと掃除してるからねえ。換気扇も綺麗だし、水周りも大丈夫。 そんなこんなで帰省仕度以外はやることがないので今週末も遊びに出かけたいのだけど、ずっと家に居るようなことになるかも。帰省するのは来週の水曜日からで、こちらに帰ってくるのは正月三日。今回はバイクで走り回るよりも、歩くことに重点をおこうと考えてます、お節食いすぎて太らないように(^^;)。 今日の体重・・・・・・85.5kg。目標まであと10.5kg。 |
1999年12月21日(火) |
増える増えるよどこまでも。参りましたな。 今朝の冷え込みも半端でなく、起きてから布団を抜け出すまで、身悶えてみたり、四つん這いになってみたり。低血圧も相俟って、一日調子が悪いままに過ごしてしまった。 しかし、冷え込めば冷え込むほど、夜空の星が美しい。帰り道、ずっと上ばっかり見ながら。 明日は帰りが遅くなる、というか帰ってこないかもしれないので。今夜はしっかりと寝ます。 今日の体重・・・・・・86.0kg。目標まであと11.0kg。 |
1999年12月20日(月) |
やはりリバする我が肉体、いったいどうしたものやら。 それはともかくサッパリ気持ちの乗らない一日でした。詳細設計を見てるときも、コーディングしてるときも。おかげで全然捗らず、そそくさと逃げるように後にした職場。夜風が余計に身に沁みたっす。 三浦地方、今朝から風が強くて、風がびゅんびゅん吹かない三浦は、三浦であって三浦でないといった良く解からない信条を持つ僕にとっても、冷たく厳しいほど。おまけに家を出たのはまだ暗くて、東の空がようやく白んできた頃、もはや寒いなんてものでは。 家の中でも息が白いし、ついつい故郷と比較してしまうのだが、実家にしたって海のそばで、近くを黒潮が流れているにもかかわらず、家の中で氷が張ってたくらいだし、海が近いってのと暖かいってのは別物らしい。 今夜の、というかここ暫くのTVタックルはいろんな方言が聞けて良いです。 今日の体重・・・・・・85.2kg。目標まであと10.2kg。 |
1999年12月19日(日) |
城ヶ島へではなく、逗子方面に向かってGO!。干物ではなく靴のインソールが欲しくなったので、11時頃になって外出。やっぱ朝夕の寒い時間帯には屋外で行動したくは無いのだ、めっきり暑さ寒さに弱くなってる昨今。 お目当ての店は佐島交差点のちょっと先にある、靴流通センター西横須賀店。先週もここで買物をしたので、価格帯がどのように設定されているのか知っているから安心なのだ。 で、行って戻って、途中寄り道してウルメイワシの固干しを買って、3時間40分。買物した時間を除いて時速5kmで換算すると、全行程17~18kmほど。靴のインソールを買うためだけにこれだけの労力を割く人間はなかなか居るまい、思い切り自己満足の世界。 夕食後は週一回のお楽しみ、お酒をいただく。つっても缶ビール(350ml)一本だけで、肴は件の固干し。干物を齧り、ビールを流し込む。なんともいい気分、これでまた一週間頑張れる気になるのだから、人間の心なんて簡単なものだ。 今日の体重・・・・・・84.8kg。目標まであと9.8kg。 |
1999年12月18日(土) |
発財の日。 最近の朝食は蜜柑だけで、今日はそれにコーヒーを付けてみた。素晴らしく質素な食事だけど、これだけで満足できてしまう僕の胃袋&脳は更に素晴らしい。そう自讃しながら、クリーニングに出す衣類をバッグに詰め、それを背負って三浦海岸へと下る。 クリーニング屋さんで用事を片付け、本屋さんで、街道をゆく「オホーツク街道」と、ついに出た安能務氏の「隋唐演義」全三巻を買う。そのあと京急スーパーで買物をしたのだけど、食べられるものの少なさに暗澹となり、饂飩と蕎麦を買って早々に退散した。 でもって今度は家に向かって坂を上る。今日は風が冷たくてとても寒いのに、坂を上りきるころには汗をかいていた。コンビニで雑貨と、昼食のサンドイッチとサラダを買って帰宅。昼食をとったあとは、三崎街道沿いにある雑貨屋さんへと向かった。 わざわざ三崎口駅を経由して、引橋へと向かう。雑貨屋さんはその途中にある、ごみ箱とハンガーと、仕事で使うマーカーやポスト・イットなどを購入。こういった消耗品は職場で用意してくれてるのだけど、昔からの習慣で、どうしても自分で買ってしまう。やぱし使い慣れたものが良いのだ。 朝からなんだかんだで九千円ほどを発財、最近は大型消費をしてないので、これだけでもかなり無駄使いしてしまったという気になる。もっとも無駄使いってわけではなく、全て必要なものなのだけど、なぜそのように考えてしまったのだろう、不思議。 それはともかく、隋唐演義、読んでみる。やっぱオモロイです。説明するのは面倒だから、買って読んでみてください。昼寝して起きたらすっかり暗くなってて、見事なまでに疲れ果てている自分を確認。夕食は掛け蕎麦、やはり質素だ。 質素はいいのだが、御飯を食べないために米が余ってしまってる。何とか消費しないと勿体無いし、明日からまた主食を米に戻したいと。 風邪はかなり良くなってきたので、明日は城ヶ島へでも行ってみようかなと考えています。目的は買い出しで、干物の良いのを探してみようかと。カマスか、ウルメイワシが良いなあ。酒が欲しくなるけど、風邪が完治するまでは我慢しよう。 今日の体重・・・・・・85.0kg。目標まであと10.0kg。 |
1999年12月17日(金) |
久し振りの残業、3時間ほど。たったそれだけの時間なのに、すっごい疲れが残ってしまった。ワシも年かのう。 そんなに疲れているくせに、しっかりと三浦海岸から歩いて帰ってくる。明日からの休日は、風邪を治すことに専念することに。どこにも出かけないってことは無いのだけど、長時間歩くことは無いと思います。 では、おやすみなさい。 今日の体重・・・・・・85.3kg。目標まであと10.3kg。 |
1999年12月16日(木) |
今日も今日とて、鼻をズビズバいわせながら労働。まだまだ良くなる気配の無い風邪に、いい加減にしてもらいたいと愚痴をこぼしたいところなんだけど、こぼしたところでどうしようもないしねえ。 でもってとてつもなく久し振りに読んだような気のする「Forget-me-not」。次回2月21日発売号はどうも休載っぽいし、どうしたものだか。とかなんとか言いながらも、ひたすら待ち焦がれるワタシ、なんて健気な。世の中に鶴田謙二ファンほど気の長い生き物はいないと賢察する次第、アホかワシ。 ともかく「嘘つきは泥棒の始まり」とは言いえて妙ですが、最近では泥棒程度では治まりがつかないってのが現実。とりあえず殴ってみたり、刺してみたり、撥ねてみたりとさまざま。ロクなもんじゃ無いですな。 そんな渡世にいるのだから、争いごとは避け、せめて自分ひとりだけの安寧でも。と考え日々精進しているわけですが、さすがのオイラさえも切れさせかける人たちがいることを思うと、夜もおちおち寝てられません。 かといって逃げ出すこともできないし、こうなると、類稀なほどに強靭な我が堪忍袋の皮をさらに厚くし、緒を太く強くするほかは無し。「それにも限度ってものがー!」って叫び声を上げそうになる自我を押さえ込み、のはーっと生きてくってのも悪かないような。 とか思いながらも最近、本能に負けそうなときがある。やぱし食ってないからですかね。 今日の体重・・・・・・86.0kg。目標まであと11.0kg。 |
1999年12月15日(水) |
昨夜は昼にたっぷりと寝すぎたせいか寝つきが悪く、寝られたとしても浅いものだったのでどうなることかと思ってたのだけど。朝起きたら汗をたっぷりとかいていて、気分は良く体調も良さそうだったので久し振りに登城、いや出勤。 外に出て驚いたのは、近所の畑は作物を収穫してて土だけになってるし、道が一本増えていた。駅への道は僅か数日のうちにものすごく変化していて、衝撃を受けつつも悪い気はしなかった。 仕事は、無論切羽詰まってて、残業しようかどうか自分会議にかけた結果満場一致で、つっても僕一人しかいないわけだが、帰ることに決定したので帰ってきました。体調が思わしくなくて無理したくないとの理由からなのだが、そのくせ三浦海岸から歩いて帰ってきている、愚か者の極みですな。 今夜もまたじっくりと寝て明日に備えることにしたのですが、今夜もあまりよく眠れそうにもない。昨夜の場合は寝る間際にコーヒーをブラックで二杯も飲んだのが敗因かもしれないのだが、そんなことは気にしないでおこう。 今日の体重・・・・・・86.5kg。目標まであと11.5kg。 |
1999年12月14日(火) |
咽喉の腫れはひいたものの熱が下がらないのでもう一日、大事をとって。で、現在の状態はというと、夕食を久方ぶりに思いっきり食べて、その後寝て起きたらかなり良くなっていた。もしかして、単なる体力不足だったとか?、だとしたらカッコ悪いなあ。 そういうことで明日は出られそうなのだけど、今やってる作業というかプログラムの納期が明日だったりする。上がるわけ無いので数日の納期遅れになってしまいそう、かなり怖いです。 相変わらずの不景気で新卒者さんも就職難だそうだが、高校卒の就職内定率も過去最低らしい。可哀想といえば可哀想だが、しかし仕事なんて探せばあるものだし、どうも高望みしすぎているような気がする。 新卒のときはともかく、再就職するときにはずいぶんと苦労した。地元徳島で数10社の就職試験を受け、そのことごとくに不採用となり、ついには自棄になって受けたトヨタ自動車の季節労働にすら不採用となってしまった。 そのときの勢いだと、日雇労働ですら勤まらなかったのではないかと思われたのだが、幸いなことに現在の会社に拾われた。今の学生さんたちがどれほどの就職活動をしているかは知らないが、大手企業への志向が強く、もう少し中小へと目を向けても良いのではないかと思う。 つか、大手へ就職できないってことで就職難だなんていってる場合じゃないような。雇用は実際にはあると思うのだ、そういったことは、もちっと痛い目を見てから言うべきものだ。 大卒までに自分に投資された金銭がどれほどのものか、よく考えてみるといい。その1/10程度の金額で追い込まれている会社なんていくらでもある、それだけ投資されておきながら、自分にどれほどの実力をつけられているのか、背任行為も甚だしい。 実社会においてそんなことをしていたら、とてもではないが許されない。投資されたらされただけの結果を出さなくては、間違いなく解雇が待ち受けている。20数年も無償(でもないが)で投資され続けて何も結果が残せてないのであれば、社会に出る段になって篩いにかけられるのも当然なことだと思う。 相変らず何が言いたいのかサッパリですが、ではまた寝ます。 |
1999年12月13日(月) |
行こうっていう意思と気力はあったのだが、どうにも体調が悪くてお休み。風邪をひいてしまったらしい、昨日から調子は悪かったのだけど、たいしたことにはなるまいと高を括っていたのが悪かった。症状は前回と同じで、咽喉が腫れあがって、仰向けに寝ると気管が圧迫されてすっごく苦しい。 去年よりもインフルエンザの流行が早く始まっているらしくて、気をつけるに越したことは無いのだが、それにしても前回と同様な風邪をひいてしまう僕の免疫機能って。どうにも情けないなり~。 テレビをつけりゃ、どこも御懐妊騒動。興味ないからどうでもよいのだが、ずいぶんな加熱ぶりだにゃあ。もうすぐ発表があるらしいのだけど、これまたどうでもいいのでパスしたいのだが、テレビつけてりゃいやでも目にすることに。いや、別にヤでもないのですけどね。 結局何が言いたいんだ、俺。 ちゃくちゃくと増量中、ってダメじゃん(--;)。 今日の体重・・・・・・86.8kg。目標まであと11.8kg。 |
1999年12月12日(日) |
なぜかリバウンドする体重、もしかしてアレか、動いた日の翌日って反動が出るものなのか?。先週の例を見ても、やはりそうなのではないかと思われる、実に不思議なのは人間の肉体なり。 昼過ぎてから家の周囲をとぼとぼと歩いた。南下浦の水神まで出て三浦海岸へと北上したのだけど、念仏塚あたりから高山、大楠狩を挟んで見た国道134号線の下の谷間の紅葉が綺麗だった。金田湾も一望できて、近所にこれほどの場所があるとは思わなかった。 夕食は、念願のブリ照り。美味かったっす。朝食は、ドンブリいっぱいの野菜で、兎年の最後の月に、兎のような食生活を過ごすことになるとは思わなかった。カロリー的にはドンブリいっぱいであっても100キロカロリーも無かったりするのだけど、腹は結構膨れて満足。 カロリーを考えながら食事をとるのって気分は悪いのだけど、たまにゃあ良いかってなもんで。買物をしているときでも値段よりもそんなこと考えてたりして、なかなか楽しかったりします、ヘンですにゃ。 ほんのりとした酔い心地で気分良いです、明日の朝はすっきりと目覚められることでせう。 今日の体重・・・・・・86.2kg。目標まであと11.2kg。 |
1999年12月11日(土) |
目覚めたとき、時計の針が6時20分を指しているのを見て「なんじゃ、こりゃー!」って飛び起きたのだけど。考えてみりゃ今日は土曜日、なにやってんだか。起きてしまったのは仕方が無いので、洗濯をしてからゆっくりと食事。 8時30分近くになってから家を出た。行き先を決めて出なかったのだけど、とりあえず引橋まで上って、駅を目指す。歩きながら三戸入口交差点を左折して、神田、黒崎、初声町入江、和田、長井を経て佐島へ行くという計画を立てた。 最近、写真、というかカメラに対して、自分が眼にしている以上のものが写ることをことを期待して、シャッター・ボタンを押していることに気付いた。家に帰ってそれを見ると、たいしたことは無いと思うのだが、現場で見ているときには、間違いなく対象に対して何かを感じている。 それはきっと対象に対する心理的な距離のとりかた、ポジションによるものだと思うのだが、と同時に、見ているものの一部分を切り取っただけではやはり、全体を知ることはできないし、雰囲気すら違ってしまうということ。それが写真の面白さでもあるのだけど。 神田入口バス停から三戸海岸バス停へ向かって、最初の曲がり角を右に折れて、細い坂道を上ると、そこにも畑が広がっていて、そのむこうに相模湾が見えた。ボンヤリと歩いていると、おじさんに、「そっちは行き止まりだから、いったんそこの坂道を下りるといい」と教えられた。そこが霊川寺へと下る道。 上諏訪神社を経て神田に出て、海岸でしばらく海を見つめた。今日は風が強くて波も高かった、そのせいかサーファーも数人いた。穏やかな海も良いが、荒れた海も、自分の心まで漣立ってくるようで、不思議に好き。 黒崎、初声橋、円徳寺横の坂道を上り、三浦ふれあいの村のやまびこ棟横の坂道を下りて和田城址に出た。ここから長浜海岸に向かい、三浦ふれあいの村のしおさい棟の前の細い道に入れば、そこから横須賀市。 漆山湾へと向かう。漆山から富浦公園まではずっと海沿いを歩く。屋形湾の、長井漁協のあたりは魚を買いに来た人たちで、いつも賑わっている。長井県営住宅から富浦公園までは、路地裏のような道を通ったのだが、生活している人たちの息吹が感じられるようで面白かった。 富浦公園で、堤防に登り、足を休めながら地図を広げる。天神島へはやはり佐島港線でしか行けないらしいので、とりあえず佐島入口へと向かう。佐島トンネルを抜けてすぐの道を左折し、町中を歩く。漁協の付近には魚屋も多く、ここもいつ来ても賑わっている。天神橋を渡り、天神島、臨海自然教育園に入った。 缶コーヒーを飲みながら海を眺めていると、昔の記憶が蘇ってきた、なぜか食べ物のものばかり。夜、漁の手伝いで船上で食べた握り飯。朝、やはり漁の手伝いで、休憩中に食べた、塩味のするコーヒーとパン。延縄漁船に乗っていたとき、一日の作業が終わってから、後甲板で貪り食った菓子パン。 物を食べている記憶には、必ず海があるっていうのもあれだが、懐かしい思い出、当時はそれどころじゃなかったけど。振り返ると、ずいぶんと小さなころから働いてるのな、僕。そろそろ本気で隠居したいところなのだけど、さて。 芦名川を渡って、大楠小学校入口に出た。長坂にある靴屋さんで靴を買って帰りたかったのでそこまで歩くことに、もっともそこでは靴は買わず、サンダルとインソールを買った。林交差点まで歩いて、そこから引橋まで、バスを使う。 夕食はブリ照りでもと考えていたのだけど、結局ウルメイワシの固干しにした。食べてみると、普段食べているよりも塩辛く感じて、このところあまり塩っ気のある食べ物を食べていなかったからなあとしみじみ。冷蔵庫で冷やしておいた豆腐とレタスがとても美味しくて、思わず声に出してしまった。 人生の愉しみは、詰まるところこういったところにあると思うのだが、年寄りじみたことを言うにはまだまだ若い。明日は時間を見つけて、金田に行ってみたい。帰りに三浦海岸で、ブリの切り身を買って、明日こそブリ照りを食べたい。 世界・不思議発見!を見ながら、ジャンヌの奇跡って、情報さえ知っていれば誰だって起こせるものじゃん、って突っ込み。というか、知っていたのだろう。天草での四郎時貞を思い出したが、ああいうことだったのかもしれない。もしくは南宋の岳飛殿。 今日の体重・・・・・・85.8kg。目標まであと10.8kg。 |
1999年12月10日(金) |
四六時中腹を空かせている状態なんて、生まれて此の方無いかもしれないなー。いくら貧乏しているときでもそれなりに食べられてはいたし、食ったそばから腹を空かせているなんてことは、かつて行った減量でも無かった。 飢餓感というものを、減量でもしなければ感じられないということは、やはり幸せではあるのだろうけど。かつて管仲さんは「倉稟実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」と言われたが、日本の現状を見る限りでは誤りのように思われる。 というよりも、その「倉稟実ちて」の前提としてあるものが、日本人の中に無いだけなのかもしれないが。管仲さんがそう考え、実行した当時の中華の人たちがそういったものを持ち合わせていなければ、それは実現しなかったわけで、管仲さんにしたってそんなことを思いもしなかったに違いない。 僕の故郷は、僕からすればもう何も残っていないように感じられるのだが、他の、特に都市部の人間からすればいろんなものが有るらしい。ことごとに思い詰めてみると、しょせん人間なんてものはただの浪費家に過ぎない。車のコマーシャルみたいですが。 ところで「稟」という字は間違っています、正しくは自分で調べてください。 今日の体重・・・・・・87.0kg。目標まであと12.0kg。 |
1999年12月9日(木) |
昨夜、せっかく早く帰ってきたのに結局夜更かしをしてしまい、今日一日、うつらうつらするのを堪えるのに大変でした。ここ数日間の寒さから開放されたのもあるのだろうけど、なんとなく年寄りくさくって嫌。 まだ12月も上旬だってのに、早くも来年のカレンダーを部屋に飾ってある。無論ヨコハマカレンダーなわけだが、表示月がなぜか3月であることにちょっと戦慄しないでもない。それはともかく、つい此間29歳になったと思ってたのに、あと4ヶ月ほどで30歳ですよ、月日の流れるのは早いのう。 最近、ついつい残された時間のことばかり考えてしまう。30歳前にして老後に突入してしまうとは、なんとも立派な年寄りなり。 今日の体重・・・・・・87.0kg。目標まであと12.0kg。 |
1999年12月8日(水) |
勤めている会社ではなく、今居る現場の忘年会。さすがに三浦海岸から歩いてくることは無かったけど、すっかり酔いも覚めかけていい気分。なんだ、そりゃ。 40人以上での飲み会はさすがに壮観ではあったが、今頃になってチームの仲間の名前を初めて知っている僕って、いったい今まで何してたんだか。そんなこんなで有意義でした(゚▽゚;)。 |
1999年12月7日(火) |
昼食の散らし寿司を食べているときに、ふと気付いたのだけど。御飯を食べる速度が遅くなっている、というよりも咀嚼する回数が多くなっている。これは無意識でのことで、一日に口にする食料を効率よく摂取するために、僕の体は涙ぐましいまでの努力をしている。 夕食もそうで、0.5合の御飯と卵焼きという、通常なら数分で食べてしまうような量を、十数分かけて食べた。三浦海岸から、寒い中を長々と歩いてきて、これだけの量ではさすがに体も納得してくれてないようだけど、数日で慣れてしまうだろう。 昨夜のTVタックルを見てて。好きなことをするための時間など、その気になればいくらでも作ることができると最近は思っていて、彼、彼女らの主張に反発してしまったものの、つい此間までそのように考えてあのような生活をしてた自分を、同時に思う。 メシも有り余ってりゃ、ついつい飲み込んでしまって、咀嚼することがどうしても少なくなってしまう。時間も同じようなもので、今の暮らしと数年前の暮らしを比べると、不自由さはあるものの今のほうが間違いなく充実していると感じる。相変わらず仕事は嫌いですけどね。 今日の体重・・・・・・88.2kg。目標まであと13.2kg。 |
1999年12月6日(月) |
寝て起きただけで、なぜだか1kg増量。思いっきり凹んだ状態で駅への道をとぼとぼと。振り返って考えると、やはり食べていないようでも食べている。その食べたものを、僕の体は総力を挙げて吸収しようとしているらしい。 もう現在の食事量でも空腹感を感じることはなくなってきたし、体のダルさもない。そろそろ次の段階へ移行する潮時なのかもしれない、明日から食事量をもっと減らしてみよう。 今日の三浦地方は風が強くて、三浦海岸駅から家まで歩いて帰ってきたのだけど、歩きながら、自分がとんでもなく物好きな人間であることに思い至って、苦笑ってしまった。街灯の無い暗い夜道を、強風に逆らって。 今日の体重・・・・・・89.0kg。目標まであと14.0kg。 |
1999年12月5日(日) |
目覚めたとき、部屋から見上げた東の空は曇っていて、今にも雨が降りそうだった。よって歩け歩け大会、中止。したのにその後、天気は回復してしまい、どうにもこうにもってな感じ。 今日の朝食は絶対御飯!って思ってたので、御飯を炊く、0.5合。炊飯ジャーを覗き込んだとき、その少なさにコナクソ!って思わず声を上げてしまったけど、シラス干しと桃屋の「梅ごのみ」で美味しくいただく。 その僅かなカロリーを消費するために、散歩。三戸、黒崎を巡ってきたのだけど、初声漁港で4匹の黒猫に一斉に見つめられたのが印象的。というか、ちょっと怖かったです、死期も近いですか?。 その帰り道、駅前の農業試験場で、三浦大根、キャベツフェアなるものが開催されていることを知った。こちとら毎日、実地で見続けているために、あまり興味はないのだけど、盛況のようでした。やはり大変なブランドのようで、買物袋にたくさん買い込んでいく姿を数多く見ました。 歩きながら、僕がまだ歩いたことのない道を発見次第記憶。いつかこの三浦の全ての道を歩き、それらを全て繋ぎ合わせて地図を作りたいと考えています。紙に書いたりするのではなく、自分の頭の中に。 やりたいことといえば、やはり歩くことだったりするんですけど、オランダ、というかネーデルランド地方を縦断、そして横断すること。他には万里の長城を東西に歩くとか、モンゴル平原を縦・横断したいとか。ああ、でもゴビ砂漠はパス、本当に死にかねないし。 オランダの場合はボルドーを形成するための大堤防を見たいってのが第一の理由で、モンゴルの場合は海の人間が、草原でもその能力を発揮することができるかどうかを知りたいって欲求。 行ってみたいところは、やはりオランダ、モンゴル。そしてヴェネツィアと上海。モンゴルを除けば全て海絡み、平原もある意味海だったりするのですが。オランダは、やはり北海とボルドーだなあ。ヴェネツィア、上海は運河、モンゴルはもちろん平原。いつかは、と考えているものの、いつのことになるやら。 さて、来週はどこに行きますかね。 今日の体重・・・・・・88.0kg。目標まであと13.0kg。 |
1999年12月4日(土) |
昨夜、気が付いたら午前3時を過ぎていて、慌てて布団にもぐり込んだのだけど、その布団の冷たさにもう一度驚いてしまった。とにかく、朝夕の寒さってものは尋常ではなく、居間を除くと外気温と変わらないような家での生活。 目が覚めたら9時を過ぎていて、もそもそと起きだして、外出の仕度。明日、マザー牧場への歩け歩け大会に参加するため、家事などは今日やってしまわなければならない。まずは横浜駅まで、帰省のためのチケットを買いに。 何事もなく購入を済ませると、次は久里浜WINGの本屋さんで買い物。久里浜から歩いて帰ろうかとも考えたのだけど、時間がもったいないのでパス。三浦海岸の京急ストアでいろいろと買い込み、バスに乗って帰宅。 洗濯機をまわしてから掃除、昼食を作って食べ終わるころに洗濯が終了。それを干してから、昼食分のカロリーを消費するために、散歩。家から三崎口駅、引橋、そしてまた家に向かうルートを選択。約1時間ほど。 横須賀市の、長井あたりのキャベツは、先月の初旬にはもう葉っぱが丸まり始めていたのに、三浦のはそれよりも遅いらしく、先月下旬ころからポツポツと。キャベツの葉、当たり前ですが、初めっから丸まってるわけじゃないです。 カリフラワー(ブロッコリーだったかもしれない)は、葉っぱの形が面白くって思わず見入ってしまった。三浦は、過ごし易さを除けば、冬が最も良いと考えている。食べ物が美味しいからなのだけど、今年はあまり堪能できそうもない。 午後5時を過ぎたころに作業は全て終わって、のんびりと、する暇もなく某所のカスタマイズなど。夕食を食べられたのが7時を過ぎてしまってからで、これでは平日と大して変わらんと、一人ごちてみたり。 ヨコハマカレンダー、受け取りました。相変わらずのオマケ・・・。 今日の体重・・・・・・88.5kg。目標まであと13.5kg。 |
1999年12月3日(金) |
体を動かす機会が少ないのはやはり良くないと、帰り道、三浦海岸駅から歩いてきた。まずは駅から三浦海岸まで下って、そして引橋へと上る。郵便局のあたりで、初めてこの道を歩いたときのことを思い出した。 引橋まで真っ直ぐに歩いていけばいいだけなのに、どこかで道を間違えてしまうんじゃないかって、そんな心配ばかりしていた。その道が、今は家へと続く道になっている。あたりを見まわせば、畑のむこうのほうに、ポツリと家の灯かり。 駆逐戦車、それは最も駆逐される可能性の高い戦車である。とは某氏の名言だが、それはともかく。 僕が納得しようとしまいと、そんなこととも何の関わりも無く。音羽の事件の容疑者の、あの殺害動機は、彼女にとっては正当な理由であるらしい。そのような「仲が良い」というフリを、いったい誰に対して演じつづけなければならなかったのか。 詮索してみたところで解かる筈もなく。しかもその関係を断ち切るために相手の子供を殺すなど、理解できる範疇を飛び越えている。が、そのような理由で殺人を犯す人たちが、この世の中に存在することだけは良く解かった。 微妙にリバウンド・・・。 今日の体重・・・・・・89.0kg。目標まであと14.0kg。 |
1999年12月2日(木) |
くにゃくにゃ体操、今日から取り止め。って昨日だけしかして無いじゃん、へなちょこさ全開なり~。いや、朝から体が不思議なダルさに包まれていて、しかも思考能力まで低下している状態が続いてて、これ以上体力を損なうようなことをしたら倒れてしまいそうなので、かなり切実です。 体がダルいのはともかく思考能力の低下ってのは頭脳労働者にはずいぶんな状態で、これがしばらく続くかと思うと少々憂鬱です。大体が、この仕事してなかったころから「アタマ働かすのだって、栄養は必要なんじゃい!。それも動物性蛋白、それが一番!!。肉じゃ、肉持って来~い!!!」などとほざいてたのに、この体たらくでは。 朝、シャワーを浴びたあと、髪を触ったらパサパサだし、肌はカサカサだし、すっかり脂が抜けきっている模様。これじゃ枯れてしまうのも時間の問題、現在バトルなんぞしようものなら秒殺どころか瞬殺されてしまうに相違ない。 それはともかく帰ってきたらヤマト運輸の不在連絡票が。どうやら「ヨコハマ買いだし紀行」、来年度分のカレンダーが届いたらしい。昨日なら一日中家に居たのに、なんとも間の悪い。日曜日までには受け取りたいです。 日記。きちんとしたものを見たことがあるのだけれど、とてもじゃないけど僕にはあれは書けません。つか、あれほど几帳面には絶対になれないし。そういや鬼平犯科帳で平蔵殿が亡き父上の日記を参照する場面があるけど、そのように資料としての価値も相当なものであるはずなのだ、あくまでもちゃんと書けばの話だが。 ということで日記どころか雑記ですらないものをダラダラと書き続けているわけですが、その当時の精神状態くらいは掴めたりしてるのでまあいいかなと。個人的資料にしかならないですけどね。 今日の体重・・・・・・88.5kg。目標まであと13.5kg。 |
1999年12月1日(水) |
昨日の日記、御察しの通りの理由で無し。ついでに今日の労働もお休み、いったい何のついでなんだか。なんか、飲んでる最中にずいぶんな大言壮語をしていたような記憶もあるのだけど、此の際これも忘れちまおう。 タバコは家以外では吸わないとか、順調な減量とか、それなりの自己管理能力はあると思われるものの、お酒に関してはとてつもなくだらしなくて、最近ちょっと嫌気がさしてたりします。といってもやめる気なんて無い、しかし外で飲むときくらいは酒量を減らすような努力とかはしたい。 でも、酒飲むときにそんなこと考えてること自体相手に対して失礼なような気もするし、やはり飲むときはとことんまで飲みたいという気持ちもある。だからといって仕事を休むまで飲んだりしてはいかんが。 今日からくにゃくにゃ体操を導入。減量。30分間くにゃくにゃと体を動かし続けるというもの。これがなんだかいい感じで、自分の体の動きが面白くて、癖になりそう。現在の体調はすこぶる良くって、全体的にシャープな感じがする。 そのぶん、持続力と瞬発力が落ちている感じ。全力で歩ける時間が10分ほどとか、くにゃくにゃ体操も10分ほどで動き自体が悪くなったとか。瞬発力でいえば、出会い頭に何かにぶつかりそうになったとき、足のタメが利かなくて膝がガクガクするとか。 体全体が脱力気味ってのもあるが、減量当初にこういった症状が出るのはしょうがない。慣れるまでのことなんだろうけど、さっさと慣れていただきたいものですな、僕の肉体。空腹感にはもう慣れてて、こういった時は体より脳のほうが聞き分けが良いらしいことを確認。 まあしかし、食わないと体の動きが悪いって感覚は久し振りなので、なんだか新鮮です。 今日の体重・・・・・・89.0kg。目標まであと14.0kg。 |
1999年11月29日(月) |
ふ・太腿が重い~、別に何もしてないのに~。いや、忘れてはいけない、減量中なのだ。どうも歩いてるぶんの栄養を摂取していないかららしく、スタミナ切れの御様子。僕の体の部位の中で一番動かしているところだから最初に影響が現れるのは理解できるとしても、あまりにも情けない。 できる限りまわりの脂肪を燃焼させて、自分で栄養補給をしてくださいと言いたいところだけど、動かしてるぶんだけ脂肪の付きかたも少なくて、どうにもこうにもって感じらしい。 日中にいろんなことを考えていても、帰ってきて御飯を食べたら綺麗サッパリ忘れてしまってて、記憶力の低下というよりも、ほっとした瞬間に一日の記憶を、よほどのことを除いてリセットしてしまうらしい。 そのくせ、昔のことをふとした拍子に思い出したりする。昨日、洗濯物を干しているときに口を突いて出たのは「青春が遠くなる~」ってフレーズ。まさに「はあ?(゚▽゚;)」ってな感じ。これは、ばんばひろふみ氏の「青春のラストページ」(だっけ?)のサビの部分。 二番だったか三番だったかは忘れたのだけど、「テールランプの明かりが、闇に溶けていった。君が見えなくなった今、まだサヨナラも言えない」ってとこが好きで、よく聞いてた。続きは「青春が遠くなる、思い出が残るだけ。君はラストページ、OF MY LIFE」。 「空をつかまえた男の話」前後のばんば氏の曲はお気に入りだけど、最近はぜんぜん聞いてない。この系統の音楽は、さだまさし氏を除いては、ほとんど聞かれなくなってしまった。氏には気張っていただきたいものなり。 ずっとほっぽってあった八月以前の日記、少しずつ復活させていく予定。 明日は会社の忘年会。飲み過ぎよりも食べ過ぎに気をつけねば。 今日の体重・・・・・・90.0kg。目標まであと15.0kg。 |
1999年11月28日(日) |
洗濯を済ませてから朝食、そして掃除を先延ばしにして片付けを始める。本を整理して、テーブルなどの配置を変えたりしたあと、来月と来年のカレンダー作成。出来上がったものを印刷するために、押入れからプリンターを引っ張り出してきてセッティング。 印刷している合間を利用して、雑貨屋さんに体重計を買いに。体重計と魚焼網と画鋲、〆て989円なり。ついでに食料品店にて蜜柑と、ウルメイワシを購入、〆て680円なり。 雑貨屋さんでスケルトンの万歩計を発見して、つい買いたくなったのだけど、値段は1,980円。体重計が500円だってのに、その約4倍もの支出はちょっと・・・、って断念。消費カロリーも表示してくれるやつだったので、余裕ができれば欲しいなあ。 昨年の五月から通算すると、散歩にいったいどれだけの歩数を費やしてきたのか興味はあるけど、虚しさに押しつぶされてしまう可能性もある。昨年に散歩を始めてから現在まで、5kgも体重は落ちてないから。 あれやこれや考えながら家に向かって歩いているとき、ふと三崎口駅方面を眺めると、その向こうの方に高い山が見える。方角的に富士山ではないはずなのだが、もしかして富士山なのか?。 帰宅すると印刷は済んでいて、画鋲で壁に貼り付けてから、お楽しみの体重測定。メモリを微調整し、ドキドキしながら乗る、針の指した位置は91.5kgの位置。どうやら僕が思っていたよりも体重が増えていたらしい、とにかく目指せ75kg。 ある計算式によると、僕の標準体重は67.1715kgらしい。そこまで落とすかどうかは、まずは目標に達してから。とりあえずしばらくは、お粥と饂飩の日々。ま、某エクセル嬢みたく、マヨネーズとパンの耳と白湯ってのよりはマシかと。 掃除を済ませると、もう午後3時を過ぎていた。 夕食を済ませたあと、ウルメイワシを炙って、酒を飲みながら富士山の位置を確かめたのだけど、やはりちょっと違うみたい。でも形状とか、そういったのは富士山に似てるんだよなあ。方向的には相模湖のほうなんだけど、あの辺に高い山ってあったっけ。 それはともかく酒なんて飲んでる場合か、って突っ込まれそうだけど、とりあえず家に有る酒類はさっさと片付けてしまわないと落ち着かないし。そう言い訳しながら飲み続けるミットモナサはなんとも言えないのだが、ま、いいや。 |
1999年11月27日(土) |
鎌倉から江ノ島まで江ノ電で、稲村ヶ崎駅を過ぎたあたりから海が見える。和田塚という駅名を見ると、この付近で小太郎殿は討ち死にし、その塚でもあるのだろうか、ということを考えてしまう。 江ノ島駅前をぶらぶらと歩き、片瀬橋を渡る。海の動物園付近からプロムナードに入り、海岸沿いを、サーファーの合間を縫いながら、湘南大橋まで。はたしてどれだけのサーファーを見ただろう、数百、いや数千人かもしれない。 湘南大橋を渡っているときに、ウインドサーファーがのんびりと(相模川)河口を横切っていて、それが今日一番印象に残っていること。あと、富士山を見ることができたこと。目標だった花水川まで行くことができなかったのが心残り。 平塚の高浜台交差点から平塚駅に向かったのだが、帰ってから地図を見ると花水川橋まで僅か2kmほど。で、今日の教訓、半島以外に行く場合には地図を持ってでること。心の整理ができたらまたトライする予定、今度は鎌倉から歩きたいです。 来週はひとまず房総へ、歩け歩け大会に参加してきます。 今日は房総半島が、手が届きそうなほど近くに感じられた。それほどくっきりと見ることができたからだが、それでも遠く感じるのは、陸上を移動することを思い浮かべているからだろう。海上を行けば、本当にすぐそこなのにね。 来週は、ずっと乗りたかった東京湾フェリーに乗って行ってきます。片道五百円、海上僅か30分。陸上を行ったら、浜金谷までその何倍かかるのだろう。そういや和田の小太さんも、頼朝挙兵時には東京湾を横切って房総入りしてるんだよな。 減量二日目。朝から粥しか食べてない、いや、他にも食ってはいるが、やはり空腹感が。空腹を紛らわすために、蜜柑を食べてはみたものの、どうにも満たされない。朝食の粥0.5合分で、江ノ島から平塚まで歩けたのだから、燃費はものすごく良いようなのだが。 |
1999年11月26日(金) |
最近聞かなくなってたからすっかり下火だと思っていた、お受験。それが元で殺人事件が起こるなどといったことは、想像すらつかない世界なり。時代、というか時間の先取りなんかどう転んでみたところでできることではないのに、どうしてそこまで血眼になれるかね、ある意味うらやましいが。 突然ですが減量します、何の脈絡もないですが。とりあえず75kgまで落とします、現在我が家には体重計が無いので、明日以降に買いに行こうと思ってます。筋肉まで落としたくないから、無理な食事制限などしないように、二ヶ月くらいを目処にします。 運動も今以上のことはしません、したところで意味はないだろうし、体を壊すかもしれないし。で、現在の体重は、推定90kg、推定ってところがアヤシイですが。わずか15kg程度のことなので、思い切った食事制限をすれば20日~一ヶ月程度で落とせるのだけど、前述の通りの理由からそれは無し。 それにしても昨夜のエクセル・サーガは。それは愛じゃないと切実に思います。 |
1999年11月25日(木) |
うああ、成長しまくってる~。 ヨコハマ世界の交通事情を考えれば免許制度があるとは思えんのだが、13歳でスクーターとは。オイラが初めてバイクに乗ったのは28歳のとき、ってついこの前のことやないかい。 13歳、その年頃には早くもいっぱしの海の男を気取っていた僕は、(小型)船舶の扱いには長けていて、動力付きだろうと人力(主に櫓)だろうと自在に操れていた。動力付きは無論無免許で、いまだに無免許で操船していたりする。 それはともかく。僕には、実家に帰ればいつでも家族に会えると思い込んでいる節があって、のんきに構えているところがある。現在の状況からいえば、そんなことは勿論ありえない。 夏に帰ったときには下の弟がいて、たかだか一年会っていないだけだったのに、ずいぶんと体格が違っていて、すっかり見まちがえてしまった。ここで重要なのは一年って時間を「たかだか」っていう捉え方をしているところで、冷静に考えてみればなんとも空恐ろしい。 ふと気付けば、上の弟とはもう二年以上会ってないし(って昨年会ったような気もするが)、ひどいときには五年近くも会ってなかった。で、その五年ぶりに会ったときに交わした言葉はといえば、「よう、ひさしぶり」。凄まじい話だ。 これまで生きてきた29年のうちの五年間ってずいぶん大きな期間を占めるはずなのに、その会っていない期間に寂しい思いをしたかというとそうでもないし、いったいこの感覚はなんなのだろうと時々思う。 その根源にあるものが、いつでも会える、といったものだとしたら、ずいぶんと時間ってものをなめた考えかたをしてるなあって思う。自分のことながら。 昨年会ったときには金髪で、いったいコイツは何者やねんってなような格好をしてた弟が、一年経てばすっかり漁師体型。たかだか一年ってのはそれほど大きいはずなのだが、二年経っても(プログラマとして)全然成長しない僕がいたりする。 まあ十年前から全然成長していないっていう説もあることだし、ここはひとつ気をおおらかに。って来年にゃ30歳になろうっていうのに、なんてことをオイラは。こんなアンチャンでゴメンね、弟たち~。 |
1999年11月24日(水) |
夜中に汗をダラダラと流し、その汗にびっくりして飛び起きてしまった。朝目覚めたときも汗だくで、一晩に二枚のTシャツを使ってしまうことに。日中もやたらと蒸し暑かったし、いったいどうしたんだろう。札幌の最高気温は17度だったそうだし、暖冬もいいトコなり。 四日も休むとさすがに金曜日に行っていた作業なんか忘れてしまっていて、昨夜は蒼くなっていたのだが、自分のデスクに座っているうちにどんどんと思い出してくる。なんとも便利な体だが、忘れっぽいのは勘弁してもらいたいところ。 仕事、忙しくなる~などと言っていたわりには大したことはなく、デフォルトの僕の割り当て分は今月中にも終わってしまいそう。だからといって暇なわけでもなくそうなることもない、どうせ誰かのサポートの入らなきゃいけないだろうし。 それはともかく、今、天気予報で明日の最高気温は21度だって言ってた。 朝から日記のネタを考えていて、いろいろと思い浮かべてみるのだけど、帰ってくるころにはすっかりと忘れている。どうしたものだか。 |
1999年11月23日(火) |
でえく。昔、実家の建て増しをしたとき、屋根裏に墨壺が置き忘れられていたのだが、あれはまだ屋根裏にあるのだろうか。悪戯をして随分と線を引きまくったものだが、やはり大工って職業は男の子にとっては憧れのものらしい。 ああ、あと。なぜか実家には鋸も曲尺も玄翁も鉋も鑿も有ったりするのだが、あれはいったい何のためなんだろう。前記の墨壺を合わせれば、大工道具一式が揃ってしまう。確かに漁で使う道具などは自分たちで作っていたが、こんなに立派な道具は要らんような気が。 オイラみたいな不器用な男でも組紐や、簡単な大工作業はできるように仕込まれている。これらは漁のための道具を作る技術として必要なもので、考えてみりゃ、漁師に限らず職人ってものは、その職種の技術だけでなく多岐にわたった技術を身に付けなければならないものなんだにゃあ。 足が重い。土曜日と昨日と歩いたことで、筋肉痛ではないのだけど、重く感じる。まあマラソンランナーでも一度走ればしっかりとインターバルは取るんだし、中一日で長距離歩けばそりゃ重くもなるさって自分を慰めてみたり。 ということで、やはり中六日あけなければ、足に負担がかかるらしいので、長距離散歩は週一回に限定するってことで決定。で、次の土曜日は、江ノ島よりさらに西へ。134号線の終わり、平塚は花水川まで行きます。行ければですけど。 134号線を歩いてみたかったっていうのは、ずいぶんと昔のことになるのだけど、配送屋のバイトをしていたときに一度ここを通ったことがあるから、ってだけのこと。そのときは平塚まで行った帰りにこの道を通った、江ノ島が印象に残っていて、またここに、できれば仕事以外で来たいなあって思ったことを記憶している。 念願は叶ったわけだが、まさか歩いてくるとは、そのときは考えもしなかった。そりゃそうなんですけどね。 |
1999年11月22日(月) |
昨夜の残りのシチューで腹を満たし、鎌倉へ。出かけるのが遅くなり、鎌倉に到着したのは10時、とにかく八幡さんに参詣することに。 段葛を進みながら沿道を見渡す。どの店も開店時間を過ぎているので、前に来たときよりも活気があって、見ているだけで楽しい。三の鳥居をくぐり、手水舎で手を洗って、本殿にて参拝。今日はオネガイは無し、五円でそんなことができるほど図々しくはできてないし。 月曜日だから観光客は少ないと考えていたのに、結構な人数だった。考えてみりゃシニアにはそんなこと関係ないだろうし、僕と同様なことを考えて、月曜日に来ている人もいるだろうし。隠れ銀杏に住み着いているリスが大人気だったが、ちらりと見ただけで、銭洗弁天へと向かう。 八幡さんから若宮大路をみて、八幡宮前(交差点)を右へ曲がり、横須賀線の踏み切りを渡ると今小路に入る。八幡宮から踏切までのあいだ、雪ノ下の家並みが良くって、さすがに古都といった雰囲気がある。 佐助トンネルを抜け、源氏山へと向かう道を辿り、途中で左に折れると銭洗弁天がある。本殿(祠)は洞窟の中にあり、そこに笊が置いてあり、それで銭を洗うらしい。どういった御利益があるのかは忘れてしまったが、ともかく商売関係であることは確か。 見ていると、笊に万札を入れて洗っている人もいて、なんとも業の深いことよと心の中で溜息。財布の中から五円玉二枚を取り出し、左手に持ったまま洗い、洞の中にあったふたつの賽銭箱にそれぞれ一枚づつ入れて、片手拝み。これで充分。 あとは境内にあった七福神と水神さまを拝んで、もと来た道を取って返す。次ぎは大仏。 これは佐助で見たのだが、住宅を建てる予定地に、住宅を建てる前に生垣のためと思われる木を植えていた。それが育つのを待って家を建てるのだろうが、なんとも味なことをすると感じ入ってしまった。そういった気分が文化として鎌倉にあるのだとすれば、この街の持つ実力の高さは相当なものと言っていい。 大仏さんは、まあこんなものかという感じ。大仏そのものよりも、境内の小さな森のほうが面白くって、木を眺めて歩いた。楓の紅葉はまだ始まったばかりというふうで、しばらくしたらまた来ようという気になった、が、大仏さんはもういいや。 長谷寺に寄るつもりはなかったけど、見上げた山の中腹の紅葉がいい感じで、ついつい引き込まれてしまった。引き込まれて良かったと思ったのは、その水響装置というか、水を使った効果音を発する装置がいたるところに有ったこと。せせらぎの瀬音、滝の水の流れ落ちる音、そのほか、さまざまな音で耳を楽しませてくれる。 廻り堂と、その傍に配された小さな竹林と水響装置も良かった。なんとも清げで、心洗われる思い。 権五郎さん、もとい御霊神社へ。権五郎さんは、まあ知っての通りの人で、って手抜きも甚だしいけど、剛毅な御方であったらしい。もっとも僕にとってはそんなことはどうでも良く、その隣りに祀られてある海上安全の神様のほうがよほど重要。なんてことを言うとバチが当たるかもしれないが。 本殿の造りが良くって、境内をぶらぶら歩いていた。緑の濃さや、古寂びた雰囲気がなんとも言えない。その木がタブノキであることは、「三浦半島記」で知っていたのだが、想像していたよりも立派で妙に感動してしまった。 江ノ電の線路を渡り、坂ノ下の交差点に向かう途中の家並みも良かった。雪ノ下とはまた違った雰囲気で、なんとなく御霊神社の雰囲気に似通っていた。そういえば、雪ノ下のそれも八幡さんに似ていて、比較してみると面白い。 江ノ島に向かう。由比ガ浜、稲村ヶ崎、七里が浜。稲村ヶ崎の海浜公園のあたりで、江ノ島が見えた。進むにつれ、ずんずんと巨大化していく。この道を歩くのは、前々からの念願で、歩いているだけで気分良かった。 弁天橋を渡る、これで今日の散歩は終わり。だったんだけど、ついつい江ノ島の中をうろついてしまった。辺津宮、中津宮、奥津宮。稚児ヶ淵、海の男の拠りどころである灯台には行かなかったが、なかなかでした。 帰りは江ノ島からバスで、鎌倉駅まで。疲れきってウトウトしながら、無性にコーヒーが飲みたくなったが、帰宅してから四時間も経つのに、まだそれを果たしてない。写真などは、また明日。 |
1999年11月21日(日) |
鶏肉とジャガイモとニンジン、タマネギ。仕上げに牛乳を入れて、クリームシチューの出来上がり~。やぱし冬の寒い日は、シチューに限るねえ。 昨日のことでもうひとつ、逗子駅へ向かうのに開成高校の前を通ったのだけど、生徒の皆さんの品が良くって感心してしまった。司馬さんは、良い女というものは皆でよってたかって作り出すものだといったが、良い男も、そういったふうに作り出されるものらしい。 その逆も然り。かの定説の人もそうして作られたのではないか。それにしてもサイババや定説など、自分以外の権威を借りてでしか自分の意思(というか考え)を主張できないってのは、なんとも情けない。 そういった人間に寄りかかってでしか自己を確立できない人間はそれ以上に情けないのだが、それほどまでに現代の人間ってものはサッパリな生き物なのか。 明日は、いざ鎌倉。鶴岡八幡宮と源氏山、大仏を巡り、最後は江ノ島。鎌倉山の棟方版画美術館にも行ってみたいけど、またの機会に譲ります。 |
1999年11月20日(土) |
歩いてきました、逗子まで。鎌倉へは月曜日に行きます。ルートは134号線を主に、森戸海岸、逗子海岸を経て逗子駅まで。印象深かったのは、真名瀬漁港の付近で釣りをしていた人。潮焼けした顔で、手釣りでもって投げ釣り(というかブッコミ釣り)をしていた、いかにも漁師~って感じのオジさん。すっごく格好良くて、惚れ惚れとして見てた。 「1988 君はここにいる ひとりきり明日を見つめて 1999 君はどこにいる」とはTMNのChildren of the New Century。11年前の10月ごろに、突如としてプログラマへの道を目指し専門学校への進学を決めた、当時18歳。それまでずっと就職する気でいたので、勉強など全然してなかったし、知識だってそれほどあったわけではない。あの年、ドラゴンズが優勝したのに浮かれすぎてしまい、思いっきり暴走しただけなのでは?、という疑惑もある。 小学校をあがる頃までの夢はといえば親父(もしくは祖父)を超える漁師になってやる、といったものだった。進学を決めた当初、そのことを思い出して、もしその頃の僕が今の自分を見たとしたら、間違いなくタコ殴りにされるだろうと思ったものだが、その18歳の僕が今の僕を見たら、やはりそのような目に遭わせるに違いない。 節目節目において以前の自分に謝り倒さなきゃならないってのも難儀なものだけど、今の生活はそれほど悪いものじゃないし、「まあなんだ、人生ってなそんなものさ」などと言ってやりたいところだが、そんなことを言った日にゃ相模湾に沈められてしまうかもしれないので言わない。 漁師になることを諦めてしまったわけではない、機会があれば、ってジイさんになるまで無理だろうけど、また海に出たいって思いは強くある。そうなったとき、12~3歳ころの僕にようやく顔向けできるってものだが、その前に11年前の自分の夢を叶えなければならない。今となっては「本当にそんなことができると思ってんのか、このバカ!」ってな内容なんだけど、努力だけはしてやるさ。 それにしても本当にもう11年経っちゃったんだねえ、長いようで、あっという間だったような。紆余曲折あったけど、今の気持ちを一言で表せば、穴があったら入りたい、それだけですね。 それはともかく、あったかいシチューが食べたい。明日にでも作るべえ。 |
1999年11月19日(金) |
会社の飲み会。久方ぶりに気分よく酔っ払えたような。 昨夜、流星を見ようと室内の電気を全て消して、窓際に座り込み、東の空を眺める。流星、結局ひとつも見ることはできなかったのだけれど、美しい星空を見られただけで満足して、早々に眠りについた。 酔っ払いながら、遠い遠い昔を思い出した。できることならば、あの頃に帰りたいなどと思いながら、あの頃に思うがままに成したことを、今の僕が成せるはずは絶対にないことを思う。やりなおせるハズはなく、やりなおせないからこそ貴重な日々に生きた自身に敬意を払いたい。 明日は鎌倉へ行きます。 |
1999年11月18日(木) |
今夜は晴れてる、月は綺麗だし、星もよく見えている。さあ来い流星~、つって来てくれりゃこれほどラクチンなこともないが、なかなかどうも。それに今日の流星の最盛期(って表現が正しいかどうか)が午前11時だってのも笑える、見えるか、んなモノ。 今夜も昨夜も、また昨年の流星の日(^^;)も、星空のもと、弟たちは延縄漁をおこなっていたはずだ。海上から見る星空は、それはもう結構なもので、それだけでも十分なのに、いくつもの流星が加わる。彼らに星空を堪能できるだけのゆとりがあれば、彼らのために言祝ぎたい気分ではあるのだけど、そうはいくまい。 彼らの乗った船は、この地より2~3昼夜ほどの東の海上に浮かんでいるはずだが、はるか彼方のような気持ちもある。思いを馳せてみたところで、どれほどのこともないが、実際のところ流星を見られることよりも、今夜も無事に漁が終わることを祈るばかりである。 それにしても母上は、父(僕にとっては祖父)が漁師だったせいで、生まれてからずっと、そのような思いを抱いてきたのだろうなあ。いまや息子たちが漁師として生きている、心配のタネはいつまでたっても消えることは無いに違いない。 心配事を少なくしよう、といった努力はしているつもりだけど、海上にいる弟たちよりも僕がより心配をさせているのは何故だ。情けないばかりなり。 |
1999年11月17日(水) |
たのしいこと、たのしいこと。それは獅子座流星群を見ることでございまする~、って東の空は曇ってるさ~。た・たのしく無~い。 今日からコートを着て出勤、代わりにリュックを家に置いてく。もちろんその中に入れてあるデジカメも。おかげで今朝のすばらしい夜明けの風景を撮影しそこねて、すっかり凹んだ気分で職場までのら~りくらり。 こうなりゃ明日の夜明け前に起きて東の空を凝視するまでだが、晴れてなければ無駄足、って部屋の窓から見られるのだから寒い思いはしなくてすむのだけど。 さて、今週末は四連休。三浦半島西海岸側を歩きまわるつもり、鎌倉散策もしたいにゃあ。 |
1999年11月16日(火) |
寝る前には雨漏りが始まっていて、一晩経たらどうなることやらと思っていたのだけど、それほど悲惨なことにはならなかった。外はまだ雨が降り続いていたけど、寒さはそれほどでなく、コートはまだいいだろうってことで着ていかなかった。 それを帰りに三浦海岸駅で後悔するハメになったのだが、とにかく風が強くて、寒さが骨まで染み透るような思い。しかしそこはそれ、海の男らしくどっしりとした面持ちで、悠然とバスを待つ。内実は寒くて寒くて堪らなかったのだけど、そのうち脂肪が燃焼されてきたのか、随分と余裕ができた。 で、周りを見回してみると、僕と同様にベンチに腰掛けているのは女性だけで、男どもは橋脚の陰などに隠れて寒さを凌いでいて、なんともダラシナイ。この光景を見てて、ふと思ったのだが、女性は職場で体が冷えるのを防ぐためにブランケットなどを下半身に引っ掛けている。冷房の寒さと寒風の冷たさとはどう違うのか、彼女らに質問したくなったが、聞く勇気は無い。 昨夜のタックルで田島女史の朗読ぶりに退いてみたり、今夜の万物創世記の象の間引きにショックを受けてみたりと、なかなか大変な状態。人間ってのは神でもなんでもよいが「生かされている」とかいったようなものを自ら感じたりするくせに、まったく筋違いな思想や方法で象を「生かして」みたりするのな。 象に限らず同じ人間に対してもそういったことをしてのけるのだから、まったく人間サマってのは大したものだ。自分以外の生命に対して、いやそれが自分自身であっても、無造作に干渉することのできる人間ってのは、同じ生き物でありながらやはり、ぞっとする。 なんとも凄惨な気分で一日を終えるのも嫌だけど、たのしさは自分で作り出すほか無いからねえ。ふう・・・。 |
1999年11月15日(月) |
いい雨だねえ。この程度の雨では雨漏りしないらしく、どれくらいの雨が降れば雨漏りするのか、見極めが難しいところ。 明日からは晴れるそうな。 って、それだけ?(゚▽゚;)。 |
1999年11月14日(日) |
鮨、食いてえ。でも蜂の子の鮨を食べるにゃ、勇気が要りそう。今夜の鉄腕DASHもなかなか、テンプラ油(で作った燃料)でもあれだけの走行が可能なんだーって感心。見てない人にゃ判らない話ですが。 またしてもほぼ一日中ネットに繋げっぱなし、いろんなサイトをウーロウロ。明日っから仕事だってのに、木曜日に何をしていたかを思い出せずにちょっと焦ってきてたりもしますが、ま、何とかなるでしょ。 やっぱ三連休もすると、記憶がどんどん薄れていきますにゃ。今週末には四連休が控えているってのに、こんなことでは・・・。なんかこう、どうしても記憶しておきたいことだけを記憶させておくことのできる装置ってできないかしら、助けてドラえもーん!。ってメモしろ自分。 そろそろDVD-RAMでも・・・、と考えてるのですけど、安くなったとはいえやぱし高い。購入できるのは年明けになっちゃうだろうな、それまでクラッシュなどしないように、HD。ああ、書くこと何もないから、何がなんだかーな文章しか書けない、って普段からそうじゃんか。 風呂に入ってボンヤリしてたときに気付いたこと、なんだか水が赤くないですか?。気のせいですか?、手で掬って見る・・・、やっぱ赤い(゚▽゚;)。ついつい船に乗ってたころを思い出してしまう、赤い湯なんて、あの頃にゃ珍しくなかったもんなー、たはー。 気のせい(もしくは光線のせい)かもしれないのだけど、いや、気のせいだ。そんなのフツーの水道から出るわけねえじゃん、でも・・・、淹れたお茶が普通よりも早く色が変わるんだよな、うちの水道水。・・・・・・鉄分が多いのかもしれない、んでも健康に良いからいっかー(゚▽゚;)。 ・・・お風呂とアルコールで体が暖まっているうちに寝るべえ・・・。 |
1999年11月13日(土) |
長袖か、半袖か。しばらく悩んだあと、半袖を着て出かけた。朝食を軽く食べて出たのだけど、軽すぎたせいか三浦海岸に着くころには空腹感が。この時期三浦海岸には人出が少ないのだけど、津久井浜には多い。今日も、大会か何かがあるのか、ウィンドサーファーの姿が多い。 国道134号線をひたすら歩き、神明小、神明中の間の道に入り、最初のT字路を右折すれば、そこが久里浜花の国。 入園してまず驚いたことは、花が無い、ということ。そりゃまあ、こんな季節だしねえ、夏のあいだに来りゃ良かったって後悔したところで是非もなし。でもポピーは綺麗に咲きそろってたし、緑も多くて、気分は良かった。 休日なので家族連れが多い、その隙間を抜くように、ふらふらと坂道を登っていく。頂上には冒険ランドっていう遊技場があることだし、そこで休憩でもしようと考えてたのだけど、そこは当然家族連れに占拠されていた。 人気だったのはゴジラ滑り台で、正月に公開されるニューゴジラ。どういった関係でここに設置されたのか、掲示板には書かれているのだろうけど、近寄りがたい雰囲気であったので、遠くから撮影。僕はあまりゴジラシリーズは好きでないのだけど、やっぱこうデカイとかっちょいいって感じてしまう。 久里浜港に向かって降る。途中に県木の公園ってのが在って、面白そうなので立ち寄った。奈良の県木がスギで、京都の県木がキタヤマスギってのが、微笑ましかった。古都の二ヶ国が揃ってスギを県木にしてるってことは、昔っからこの木の需要が高かったってことの表れか。 徳島県の県木はヤマモモ、いや、別に良いんですけどね。なんでスダチとちゃうねんって、どうしても考えてしまうのだが、帰ってから調べてみると、県花がスダチだそうな。ついでながら、県鳥はシラサギ。 次に立ち寄ったのは、ハーブ園。入園料は5百円なり。花の色や、地域によって分けられたハーブ畑の中をそぞろ歩く。いろんな香りが混ざり合った中を歩いていると、不思議な気持ちになってくる。中でも気に入ったのは、ウーリーラベンダー。舌の奥に、刺激的に反応する香りがなんとも。 せっかくだし、ラベンダーアイスを食す、3百円なり。売店の女性の、「この寒いのに、半袖で、アイスを食べようなんて、物好きな人」、とでも言いたげな微笑みを受け止め、展望台に登り久里浜の街並みを眺めながら。マンションのベランダに干された、色とりどりの布団が、見ていて面白かった。 久里浜港線まで出た。電車かバスで帰ろうかとも考えたのだけど、結局歩いた。陽射しがきつくて、へとへとになりながら。近所まで帰ってくると、周りは一面の畑。大根とキャベツばかり、大根はもう丸々と太っているけど、キャベツはまだ葉が丸まってない状態。遠くを眺めると、ちらほらと見える平坦な場所は、全て緑色。 シャワーを浴びて、昼寝。起きたらもう真っ暗で、窓から見える夜空には、宵の明星。 |
1999年11月12日(金) |
10時30分まで寝てたのに、どうにも寝たりない感じ。天気は天気で、すっげえ晴れてるし、いったいあの雨予想はなんだったんだ。こんなことなら早起きして出かけりゃ良かった~、なんてぼやいててもしょうがないので、バスに乗って三浦海岸へ。 下水道料金の支払いと、クリーニングに出してた衣類の受け取り。本屋さんに寄ったら、宇河弘樹さんの「STANDARD BLUE」を発見、テックウインと共に購入。京急ストアで昼食のおかずを買って、両手にいっぱいの荷物を持って帰宅。 このように僕の生活は三浦海岸駅前を中心に成り立っている。もっと南のほうに住んでいれば、三崎が中心になっていたろうし、三崎口駅より北側なら、横須賀市の武・林あたりであったろう。 三崎口駅前がもっと繁華であれば良いのだろうけど、そうなるような要素もないし土地もない。相互交流があるとはいえ、この狭い市内で生活圏が三、乃至四つに分割されてるってのもヘンな気がする。 午後は、またしてもアーゴット嬢。東地中海でしっかりとした基盤を築き上げ、いざアフリカ西海岸。強力な海軍力と豊富な資金にものをいわせ、あっという間に制圧、シルヴァラント商会を解散に追い込んだ。 その遠征中にセルビア海軍に宣戦布告され、地中海にとって返し現在交戦中。西地中海に着々と基盤を築きつつあるものの、戦況は我が方に不利。なんといっても海軍力が違うし、最悪の場合、地中海からの撤退もありうる。どうする、アーゴット嬢。 それはともかく、明日は久里浜花の国へ。もしかしたら鎌倉へ行くかもしれませんが。天気次第ってトコですかね。 |
1999年11月11日(木) |
インターシティへと続く通路、今朝はみんなの歩くのがやたらと早くて、いつもこんなふうだったらイライラせずにすむのになーって暢気なことを考えていた。が、その後、気付くハメになった。皆の歩くのが早いのじゃなくて、自分の歩くスピードがすんごく鈍いってことに。 「いや~ん、みんな、置いてかないで~」ってつまらないことを考えられるだけの余力はあったのだけど、いったいどうしたんだろう。帰宅するときにはすっかりいつもの調子になってて、惚れ惚れするほどの速さで歩くことができたので心配することもないだろうが。 目覚めた後も、15分くらい布団の中で悶えてたのも、ちょっとヤな感じではある。朝には強いはずなんだけどなー、昨日から急激に寒くなった影響かも。寒さで活動が鈍くなるなんて、年寄りもいいトコだって、落ち込んでしまう。 仕事の話。僕の担当分のスケジュールが決まり、その資料を貰った。予想していたよりも担当分の本数が少なかったのだが、これは手のかかるシロモノが僕にまわされた結果で、やはり大変なことには変わりがない。 来週の月曜日から手をつけられそうなので、それに備えて明日からの休暇は思う存分遊びまわろう。って思ってたのに、明日は天気が良くないらしい。一日寝て過ごすってのも悪くはないけど、やぱしお休みの日は外に出たいにゃあ。 最近忘れっぽくて、イヤになってる。そういや、沢田菊司さん(競艇選手)が亡くなられた。池田恵さん(漫画家)は、本気かどうか知らんが廃業しちゃうし。こういった人たちもそのうち忘れちゃうんだろうなあ、斎藤剛さん(競輪選手)みたいに。ってこの名前が正しいかどうかも忘れかけてるのだが。 世の無常を本気で感じる今日此の頃なり。 |
1999年11月10日(水) |
通勤路、といっても三崎口駅への道なのだが、僕んちは丘の上にあるので遠くまで見渡すことができる。よほどの靄や曇りでない限り、武山や砲台山、遠くは大楠山まで見ることができる。今は全山制覇しているのでそうでもないが、それまでの僕は、それらを見るたびに征服欲を掻きたてられていた。 今朝の車両はいつもとは違って、横長のシートではなく、通勤時間帯を除く特別快速でよく見られるタイプ。こんな車両で朝の通勤ラッシュ時の、あのおびただしい数の人を運ぶことができるのかと訝りながらも、最前列の見晴らしのいい席を確保。 黄金色の朝日をバックに浮かび上がった房総半島のシルエット、光を浴びて光り輝く海。まぶしくって、直視するのが大変でした。ただそれだけのことで、一日機嫌よく過ごせるのだから、安上がりといえば安上がりな性格。 職場のビルの9階からは、レインボーブリッジと、その下の海を見ることができて、煮詰まってしまった場合など、そこでボーっとしてたりします。僅か数分のことなんだけど、やはりそれだけで心の平穏を取り戻せたりする。なんとも便利な性分。 そんなこんなで、穏やかーに過ぎていく日々。 これでもう少し、仕事の余裕があったらなあ。って考えるのはゼイタクか。 |
1999年11月9日(火) |
はにゃ~ん、やぱしニャンコは可愛いにゃ~。今日の万物。 猫は家に居つくそうだが、いろんな意味であの気ままさが良い。猫ならではの自律性というかスマートさがその自由の中にあって、なんとも小気味良い。ともかく僕は大の猫好き、犬も好きですけどね。 猫に限らず、生物は飼うな。と小さな頃から言われて育った。子供の頃は、その言葉に反発していたのだが、その意味するところがなんとなく理解できるような気がする今日この頃。 それはともかく、仕事。ホントに忙しくなる模様。今日、今月中旬からのスケジュールの説明があったのだが、来月中旬までに400本以上のプログラムにモディファイをかけるらしい。で、実行部隊はというと、10人。勤務日数が20日として、単純計算で一人あたり40本、1日に2本を上げなきゃならない。 無論テストなど含めたスケジュールで、思わず正気ですか?って考えたほどだが、正気らしい。そんな訳で来週あたりから、また帰りが遅くなり、コンビニ弁当の夕食が多くなり、僕はへこみまくるのだ。修羅場もいいトコなり、ま、そのぶん信頼もされてるってことなのだが。 昨日、今日と電車の中で頭をぶん殴られまくっている。そういう時期なのか?。 |
1999年11月8日(月) |
朝起きると玄関のドア・ノブに、「掃除当番表」と書かれた回覧版が。いったい何処の掃除当番なんだろうという謎を残し、出勤。帰宅して、隣人の吉田さんに伺ったところ、近所のゴミ捨て場のだそうな。 実家じゃあ、ゴミ捨て場の掃除なんて気が付いた人が随時やってるので、こんな当番制など無かった。つか公共の場が汚れてたら掃除するってくらいの自主性(自発性)が無けりゃ、とても海で生きていけないからなのだが、都市部にしろ農村部にしろ、全体で何かを取り決めなきゃ何もしないってのも如何なものか。 京急バス内に設置してあるチラシで知ったのだが、12月5日に歩け歩け大会があるらしい。房総半島のマザー牧場へ、佐貫駅から10kmほどを歩くってものなんだけど、大モンゴル博など催しものもあるそうで、行ってみようかという気になってます。 僅か10kmほどじゃ物足りないとは思うんですけど、やぱしモンゴルの魅力には敵いません。ゲルもモンゴル料理もあるそうで、ちょいと楽しみ。 仕事、最近順調なようなそうでないような。明日から手をつけるプログラムでとりあえず一区切りがつくのだけど、その後もびっちりスケジュールが組まれててボンヤリしている暇もなし。忙しいのは良いことなんだけど、余裕の無いスケジュールぶりもなーって思う毎日。締め切り(納期)がとにかくタイト。 でもまあ、好きだからいっか~。っていったい何が言いたいんだ、俺。 それにしても最近のお子様の自主性の無さときたら、一括りにしちゃ怒られそうなんだけどね~。 |
1999年11月7日(日) |
うあ、鉄腕DASHの内容をぜんぜん覚えてない。 てことで相変わらずアーゴット嬢。北海での荒稼ぎを終え、遂に地中海へ進出。とはいえ新参者だから契約してくれる港町など皆無、しかたないのでジェノバを本拠とする商会に喧嘩を売り、数度の戦闘でこの商会を解散させ、ヴェネツィアとの二点間貿易に励む。 で、今や地中海でもベストスリーに入るほどの勢力に急成長、ここまでなるのに随分と阿漕なことをしたものだ、なんとなく悪代官と越後屋さんの御気持ちが理解できるような。その後調子に乗ってイスタンブール海軍に喧嘩を売ったものの、我が海軍力では抗しきれず、結局停戦。しかし戦闘の合間にしっかりと勢力を広げ、東地中海のイスタンブールを除く全ての港と契約を交わした。 そして、そのイスタンブール海軍とちゃっかりと同盟をし、現在は海賊野郎と戦争中。なんか・・・、ヤなネーデルランド人の典型のような行動ばっかしてる、こんなことでいいのかしら。ねえ、アーゴット嬢。 なんだかんだで今日も外出することは無し、昨日からの食事はラーメンとコンビニ弁当ばっかし。せっかくの休日なのにこんなことしてていいのかしら。次の週末こそはしっかりとお外で遊びたいですね。 金曜日から3連休の予定なので、2日は外に出たいなあ。 |
1999年11月6日(土) |
寝ても覚めてもアーゴット嬢~。 という訳にもいかないので、三浦海岸駅前商店街へ。スポーツバッグにクリーニングに出す衣類を詰め込みバスに乗って。我が家の近くにも有るには有るのだけど、開店(営業)日時が一定しないし、三崎口駅前には何にもないしで、結局三浦海岸まで出向くハメになっている。 さっさと用事を済ませ、本屋さんへ。「カラフルPUREGIRL」と「テックジャイアン」、そして街道をゆく「モンゴル紀行」。モーニング連載中の「天才 柳沢教授の生活」がモンゴル編ってことで、ただそれだけなんだけど。草原や山で生活してる人たち、そしてその環境とは共鳴するものが強い。 バスが来るまで時間があったのと、引橋のほうに用事があったので京急線に乗って三崎口へ。途中、一面に広がる畑の緑が、心地よかった。いろいろと買い物をし、ついでにタマネギと豚バラ肉を買って帰り、帰宅してラーメン作り。 久し振りに徳島ラーメンを食べたくなったのだが、しかし徳島ラーメンには、これが徳島ラーメン!っていう典型的なものは無いのだ。世間では「こってり豚バラ」ってのが徳島ラーメンってことになっているが、あんなの徳島ラーメンの中のほんの一派に過ぎない。とにかく多彩なのだ。 ということで結局我流のものになってしまった、それじゃ徳島ラーメンって何なのだって問われれば、「それは、徳島人が作ったラーメン(中華ソバ)は、全て徳島ラーメンなのだ」って胸を張って言い切りたい。これを戯言だなんて思ってはいけない、徳島に行ってみれば解かるのだが、実際そうなのだ。 で、出来上がったのは、こってりとしたツユの、豚バラ肉入り。ああ、怒っちゃイヤ。 懐かしい味で腹を満たしたあとは、無論、大航海時代。我がアーゴット嬢はアフリカ西海岸のシルヴァラント商会と交戦中、数度戦ったあと、形勢不利と見てスゴスゴと北海へ帰還。心を入れ替え地道に貿易を繰り返し、ついには北海の覇権を握り、覇者の証も手に入れた。 それで気を良くし、再びアフリカへと向かったのだが、再度シルヴァラント商会との戦闘において形勢不利となり北海へ帰還。ああ、みっともないったら。んん~、アフリカへ行くより新大陸のほうが良いかも。地中海の勢力(セルビア)とも交戦状態にあるので地中海には近寄れないし、アーゴット嬢の喧嘩っ早さを恨むばかりなり。 そんなこんなで明日も散歩に行くかどうかは不明、鎌倉か久里浜へ行こうと考えてるんですけど、どうなることやら。 |
1999年11月5日(金) |
「海で働くひとびとは、漁師でもそうだが、食事が出るつど、心得としてきれいに平らげる」と、街道をゆく「オランダ紀行」で司馬さんは書かれているが、そういった人間から見ると、職場の社食の食べ残しの多さは信じられないもの。毎日毎日それを見るたびに、心が深く、深ーく沈んでいく。 それはともかく我がリル・アーゴット嬢の進撃は続く。ホドラム率いるスウェーデン海軍以外の勢力を北海から駆逐し、北海の覇権をほぼ握ってしまった。てことで他の海域への進出を目論んだのだが、地中海の海賊野郎と争うだけの海軍力を持たないのでアフリカで稼ごうとしたのに、いきなりそこでも他の勢力に対し喧嘩を売ってしまうアーゴット嬢(;_;)。 しかし、たかだかそのへんの商会程度の海軍、北海決戦のときのように僅かな戦闘で海の藻屑と化してやるわ!。ぎゃーはっはっはーってな感じで気勢をあげるのは良いのだが、どうにも貿易が捗らない。とにかくアーゴット嬢をどうにかしなくては、なぜ平和を好むネーデルランド人にこのような変わり者が存在しえるのか良く解からんが、独立戦争(八十年戦争)終結のすぐ後の時代のようだから、それもしかたないか。 とにかく僕はオランダ贔屓なのだ、他にもポルトガルやスペインのような海洋王国は多々あるが、ネーデルランド人ほど我がシーマンシップと共鳴する精神の持ち主はいないのだ。ということで今夜も大西洋を南へ北へ~。 |
1999年11月4日(木) |
あー、ホントに何にも無かった一日。 てことで(゚▽゚;)。 |
1999年11月3日(水) |
そんなこんなで京急百貨店上大岡店へ。目指すは9階、ヨドバシカメラのメモリ売り場。そこでI‐O DATA社製のNX-S100-128Mを買うのだ、買ってとっとと帰るのだー。って意気込んでいったら、売り切れて在庫が無いとのこと、ぎゃふん!。 せっかく来たんだからって書籍売り場をうろついていると、なんとCOBOLプログラミングの参考書が発行されていた、新刊。SQL文法まで記載されてる、手にとりパラパラと内容を見たのだが、なかなか使えそう。で価格は4千円近かったが、まあまあの価格。来月あたり、余裕があったら買ってもいいか。 「カラフル萬福星」と「YAHOO!」を購入して、ソフト売り場へ。何を今更って感じだけど「ウィルスバスター2000」と、そしてこれまた今更って感じで「大航海時代Ⅳ」を購入。 「大航海時代Ⅳ」の感想、やはり海はいいですな(゚▽゚;)。 リル・アーゴット嬢でプレイ。おとなしく商売に明け暮れようとする僕の意思を無視し、全てのものに対して喧嘩を吹っかける、この嬢ちゃんの性格には付いてけないものがあるものの概ね順調。オランダには思い入れがあるので何とかエンディングまで持ってきたいものだが、やはり問題はこのお嬢の性格か。 いったい過去に何があったのかは知らないが、そんなんじゃ海に生きる男として失格だぞって意見してやりたいところだけど、そもそも男じゃないし。こうなりゃカミルくんに期待するほか無いけど、なんか不幸っぽい雰囲気。 大航海時代シリーズの男キャラって、やぱしアルくんに尽きるよなーって、今更ながら思うのでした。 あとコナミ主催の東西対抗、楽しみにしてたんだけどぜんぜん面白くなかった。企画自体は良かったんだけど、プレイヤー側に問題ありすぎ。 |
1999年11月2日(火) |
鮨、食いてえ。今年はまだ鮨を味わっていない、故郷に帰ったときに母上が握った鮨は食ったが、鮨屋さんで食べたことはないのだ。近所に三崎港っていう立派な漁港があるのだから、鮨屋さんの発掘に行きゃあいいのに億劫がって行かない。つか外食自体好きではないのだ。 だからして、昔っから馴染みの店のほかは、食事に行ったり飲みに行ったりはしたことがない。そういった店もそうなるまでにはずいぶんと時間をかけてるし、この年になってそれだけの時間をかけて飲食店を開発するのって、やぱし億劫なのだ。 でもそんなことは言ってられないのだ、鮨が食べたいのだ、川口は遠すぎるのだ。だからとりあえず明日は、上大岡にメモリを買いに行くのだ、ってオイ!。メモリでパソコンを腹いっぱいにするか、鮨で僕の腹をいっぱいにするか、悩むところなのだ~。 |
1999年11月1日(月) |
少女A「正味の話、おばさんって幾つくらいからなんだろう?」 少女B「28歳からだと思うんだけどねー」 少女A「私は、若い人をひがむようになったら立派なおばさんだと思う」 少女B「そうかなー」 少女A「アーパーな小娘より、知的な女性になったほうが魅力的だと思うんだけどね」 少女B「肌のしわを笑いじわにするような努力を・・・」 少女A「さよなら、Bとは話が合わないよ」 何とも微笑ましい会話、彼女らはそう言いながらも毎朝一緒。 少女A「私、香水やポマードの匂いは嫌い」 少女A「雨や土の匂いが好き、洞窟や煉瓦でできた建物の中に入るとタマラナイね」 ずいぶんと趣味が合いますねえ、是非ともお近づきになりたいものです。 少女A「電車に乗っている人って、みんな同じ顔に見えるね」 こりゃ手厳しい。彼女らは横浜駅で下車した。繰り返す平穏な日々。 |
1999年10月31日(日) |
だるい・・・、なんだか異様な脱力感(--;)。理由はなんとなく解かるのだ、たぶん気圧と低血圧と、そしてこのところずっと続く微熱のせいだと思うのだ。そんな訳で今夜は早く寝るのだ、ずいぶんと物分かりの宜しいこと、ほほほ。 そんなに調子が悪いくせに、朝からずっとネットに繋いでいる、もはや12時間が経過しようとしておるのだ(゚▽゚;)。来月の電話料金がちょっと心配なのだ、早く定額料金制にならないかにゃあと思っておるのだが、8千円じゃあなあ。もちっと安くならんものかね、これじゃ現在の料金とあまし変わらんのだ。ISDNも安くなったことだし、あましメリットが無いような気もするのだ。 ああ、鉄腕DASHが始まってしまったのだ。このあと元禄繚乱を見終わったらとっとと寝るのだ、もうネットはよいのだ。それにしてもカエルの「におい地図」って、スバラシイ能力なのだ、僕も欲しいのだ、手に入るものなら手に入れたいのだ(ムチャ)。 巨大魚拓もよかった、あのヒコーキを使ったトローリングは馴染みの漁法、僕もよくやったものだ。やっぱ自分で釣り上げた魚を使って欲しかったものだけど、しかたないか。塩釜漁港も紀伊勝浦漁港も銚子漁港も水揚げのために寄港したことがあり、懐かしかったです、また行ってみたいですねぇ。 ウマビキも美味そうだったにゃあ、あ、シイラのことね。白身で、ツクネ状にしてタマネギを入れて椀物にしたものが好物です、干物も美味いですね。「まんだい」ことアカマンボウも美味いらしいのだが、僕は食べたことがない。 それにしても塩釜にしろ勝浦にしろ、やたらと知った顔がいたような。って漁港関係者に知り合いが多いのだから当然か、みんな元気そうで何よりです。 さっさと寝ようとか思ってるくせに、さっきからずっとコーヒーを飲んでる。若い頃はカフェインなどものともせずに眠れたものだが、もはや年寄りと化した僕には辛いのだ。風邪の再発を防ぐためにもアルコール入り飲料は飲めんし、どうしたものか。 |
1999年10月30日(土) |
今日は午前中いっぱいは寝ているつもりだったのに、7時に目が覚めてしまった。天気は良いし、洗濯を済ませ、さっそくお出かけ。目的は砲台山、ルートなどは決めないで、足の向くまま。 朝食を三浦海岸で済ませ、津久井浜駅を目指す。そこから続く三浦富士へのハイキング・ルートから、砲台山へと行くつもり。今日も地図は持って出ず、自分の記憶と感覚だけを頼りに。ここからは、武山への登山道へも行くことができるので、間違えないようにしないとねー、とは考えるのだが風景はどんどん見慣れたものへ。 山々の位置から頭の中へ地図を描き、自分の位置を割り出す。さらに地図を立体的なものにし、どう動けば目的地の辿りつけるか多角的に判断。こういった時、このような技術を持っていると便利。ウロウロとうろつき回り、先々週、三浦富士から降りてきた登山道の入口へと辿りつく。 前回登ったときには、ハイカーの集団がいて周囲をじっくり見渡すことができなかったが、三浦富士からの眺望はなかなか良い。しかしこのあと、こないだの大雨でぬかるんだ山道に苦労することになる。まだ時間が早いので、ハイカーの姿が少ないので、あまり気を使わずに歩けるのが何より。 尾根道の途中にある砲台山への入口から、砲台山山頂へは、わずか4~5分。こんなに近いとは思わなかった。山頂には通信施設が在って、そのそばで小型の無線装置を使用して通信している人がいた、アマチュア無線の様子。砲台山から通研通へと降る道を発見したのだが、最近人が通ったような雰囲気が無かったので、断念。 武山を経由して、山を降りた。このとき、やけに見覚えのあるところに出たものだなーと思ったのだが、よく見りゃ武上宮田線で、三浦海岸駅行きのバスが交差点を曲がってこちらへ向かってきた。その交差点が一騎塚で、どちらに向かうか少し考え込む。南へ向かえば1時間30分ほどで帰りつける、が、久し振りに初声の畑を見まわってみたいという気分もある。結局、西へ向かった。 一騎塚を通る三浦縦貫道路は完成していて、前回ここを通ったときにはまだ工事中だったのになーって、建設技術のすごさに感慨も新た。このあと陸自少年工科学校前を通ったのだが、まだそこまでは完成していなかった。清水バス停付近に入口ができるらしい。 国道134号線を南下しながら、沿道の風景を見ているだけで楽しかった。前に通ったことのある道を遠くから眺めるのも、また良い。畑の中の道をテクテクと歩く自分の姿を想像するのも、悪くない。 この季節、畑にはキャベツと大根が多くなる、ポツポツとネギ。下宮田と三戸も、見渡す限り緑の葉、多くは大根。この様子を見ていると、昨年の野菜不足はなんだったのだろうという疑問がわく。昨年のこの時期、三浦では大根は一本150円で売られていたが、今年は100円。ずいぶん安い。 唐ヶ原一帯をグルグル巡り、三崎口駅を経て帰宅した。 まだ13時過ぎだったので、どっかに行こうかとも考えたのだが、昼寝することに決定。山の紅葉はもう始まってはいたけど、まだポツポツといった感じ。本格的な紅葉が見られるようになるには、まだ先。 NHKの日本映像の20世紀、今日は徳島。なんか、いじましいねえ、徳島人。最近は、往時の風景など見られなくなってきているが、なかなか面白い県かと。保守的な部分と革新的な部分が程好く入り混じっているような気もするが、保守的気分がやはり強い気がする。人間はオモロイです、いろんな意味で。 徳島っつーより、阿波って呼ばれるほうが気分的には良いし、阿波人って言ったほうが、より県民性を表しているような思いもする。いまだに、僕は「阿波の漁師」って気分が抜けないし、誇りもある。ってもう漁師じゃないのだが。 |
1999年10月29日(金) |
「どうしてこんな電気の街で、わたしのHな同人誌が売られているの」 ・・・・・・それはともかく。 ロリ技能検定試験結果です。(Ver 1.04a) ------------------------------------------------------ 試験日Thu Oct 21 23:32:47 UTC+0900 1999 ロリ度84 ポイント 鬼畜度48 ポイント あなたの好みは 10 歳の女の子 ▼評価▼ スバラシイ!あなたは、かなり重度のロリコンだと思われます!あなたは 幼ければ幼いほど萌えるタイプです。小学生以下にしか興味を示しませんね あなたの鬼畜度はやや高めです。 かわいい(&幼い)女の子から告白された~いとか、虫のいいこと考えてませんか? ------------------------------------------------------ わたし、もう生きていけません! こちら |
1999年10月28日(木) |
今週はずっと寝不足で、勤務中に眠くなって困りもの。ただ眠いのではなく、(意識が)落ちそうになるのが怖い、そのうえ目も見えなくなるし。今朝も布団から抜け出すのに苦労して、駅に着くのがいつもよりもずいぶん遅くなった。 シートに座り、ウトウトしだしながら、もし望んでここに住んでるのでなければ、とっくにケツ割ってトンズラぶっこいてんだろうなーって考え、苦笑してしまった。今朝は久し振りに陽射しがきつくて、金田湾の海の色もずいぶんと蒼かったが、夏の色と比べるとやはり黒味がかっていて、冬の到来を感じさせる。 来週になれば少しは寝不足も解消されるだろう、今週は、ま、しょうがないでしょう。これを書いている時点では勝敗はまだついてないけど、今日で終わりっぽいドラゴンズ。いろんな意味で、瀬戸際まできたんだから、最後の悪あがきくらい見せて欲しいものだが。せっかくイチローくんも見に来てくれてんだし。 さて、おいらは戦場から遠く離れた三浦半島の先っちょで、健闘を祈りながら飲んだくれるとしますか。だから寝不足になるんだってば、ってツッコミは無しですよ。 |
1999年10月27日(水) |
品川駅へと続く通路は、降り続く雨の屋根に叩きつける音がひどくて、耳がおかしくなりそうだった。東八ツ山公園で見た、雨と光の織り成す幻想的な風景も忘れてしまいそうなほど。 雨に濡れた金網に、光があたり、光を受けた金網と、その光が雨によって拡散される様がとても美しかった。巧く表現できないが、蜘蛛の巣もまた、同じように見えるのかもしれない。 品川駅構内に入り、ほっと一息。インターシティのスカイウォークも、通路も雨の吹き込みがひどくて、体中濡れそぼっていた。ハンカチで水滴を拭いながら、ここであることを思い出した。そういや、俺んちも雨漏りするんだったっけ・・・。 やはり、漏れてた。 雨漏りがする箇所には念のためにいつもウェスを布いていたのだが、大掃除をしたときに、ウェスを片付けてしまって、そのままにしておいたのが拙かった。バケツに入れておいたウェスを引っ張り出して、雨漏りしたところを拭き、今後の豪雨対策として乾いたウェスをてんこ盛りにしておいた。 明日で終わっちまいそうだな、日本シリーズ・・・。 |
1999年10月26日(火) |
最近飲みに行ってないなあとか言いながら、わりかし頻繁に飲みに行っているような。といっても仕事関係の飲み会ばかりで、今夜も歓送別会。明日も当然仕事だから思いっきり飲むこともできないし、払った金額ぶんだけ飲み食いしただけ。しかし・・・、主賓の欠席の多い歓送別会って、なんだか寂しい。 寂しさついでにドラゴンズも敗けている、これでまた福岡に帰るのか・・・。どうしても11年前を思い出してしまう。あの時も第二戦に勝って、そのあと三連敗して日本一を逃したんだっけ。 イメージがどんどん悪いほうへ~。 今年の大事なところでの敗けゲーム、ことごとく福留くんのエラーがらみのような。あれならゴメスさんのほうがよっぽど守備は良いよ、このさい思い切って守備を入れ替えてみては。 |
1999年10月25日(月) |
「地球の海は僕の海」。おまえはキャプテン・ハーロックか?(゚▽゚;)。 てな具合で何とも大胆(図々しいともいう)なことを考えている僕でも、陸上となれば話は別。金沢・鎌倉以南の三浦半島全域と、東南四国、徳島県全域・高知県東部は僕のものー!。って程度で何とも慎ましやかな縄張り宣言。 しかーし、東南四国は広いのだ、わずか四国の4分の1のクセに、その外周を巡るだけでもスクーターだと一日かかってしまう。だが、三浦半島は、鎌倉まででも金沢まででも、僕んちから6時間も歩けば行けるほどに狭い。まさに遊ぶにゃうってつけ。 最近の歩きは、そのほとんどを縄張り内の巡回のようにしてしまっている感がある。あまし遊んでるって感覚がなくなっていて、何ともへんな気持ち。ヘロッと出かけてヘロッと帰ってきて、憶えていることといえば何かに腹立てたことばかり。 このままじゃダメだーって思いもするが、これで良いって気もする。でも体が健康になっても、どうにも心が鬱屈してしまうようじゃ外に出る意味ってものが。もうちょっとこう、おおらかーな気持ちでいられるといいのだろうけど、その点、僕は人間ってものができてないのか、そうはいかない。 そこにある海や山や空、土地の人たちとは上手くやってけてるのだけど、どうも外来の人たちとは合わない。土地の人の中でも、地生えの人たちとはすぐに打ち解けられるのだけど、都市部から流入してきた人たちとは何とも。 自分も流入者のクセしてそんなことを感じるのだけど、やぱし「俺のシマウチを荒らすヤツラは出てけ!」って何とも心の狭いことを考えてしまう。とても海の男とも思えない、なんてことだ。 そんなこんなで今週末は砲台山へ、ってまだ月曜日なんですけど(゚▽゚;)。 |
1999年10月24日(日) |
うむ、勝った。それにしても、結構余裕のある試合展開だったのに、この疲労感はなんだ。僕は、今日は山本さんの先発だと思っていたので、川上くんとの発表があったときには驚いてしまった。今年の川上くんに対して、僕はそれほどの信頼を持っていない。 今日のゲームもハラハラものだったのだが、8回を投げきって2失点なら上出来。これで火曜日は山本さんが確定、このままのローテーションで第7戦まで戦うのだろう。てことは第5戦、両先発はホークス・工藤さん、ドラゴンズ・野口さんの再戦の可能性が高い、これは見ものだにゃあ。 たとえ第4戦に工藤さんの先発があったとしても、ドラゴンズの先発予想は武田さん。昨年までホークスを引っ張ってきた両投手が投げ合うのも、これまた見もの、楽しみ楽しみ。 昨日の敗戦のショックは無いと自分では思っていたのだけど、やはり朝からソワソワ・ドキドキ。心を静めるために大掃除をしてみたりと何やかやとやっていたのだけど、夕方が近づくにつれ、グレーに染まっていく空と同様な僕の心。 片付けものをしながら、ボーっと窓の外を眺めていたら、お隣りの吉田さん(注:猫)が訪ねてきて、無心に僕に餌をねだる。その吉田さんと、30分ほど戯れているうちに、心の中の不安感が取り除かれ、晴れ晴れとしたものに。ありがとう、吉田さん!。 今日のゲームは、NHKの衛星で見てた。大島さんと森さんが解説で、じっくりと試合内容が堪能できるような放送、やはりスポーツ番組作成は、NHKに一日の長があるなあと感心。 そういや大島さん、来シーズンはファイターズの監督をやるんだっけ。来年のシリーズはドラゴンズとファイターズで行って欲しい、といったような願望がわく、どうしても。でも、ドラゴンズはともかく、ファイターズがリーグ優勝するのは難しそうだなあ(^^;)。 また明日から仕事、ここのところ、毎週3~4日しか働いてないからリズムがとりにくい。風邪も全快したことだし、今週からは全力投球!、するためにも勝って~、ドラゴンズ~。 |
1999年10月23日(土) |
シビレたぜ、工藤さん。なんだか11年前を思い出しちゃったよ、あの時は工藤さん、秋山さんのいるライオンズにケチョンケチョンにやられちゃったんだよにゃあ。・・・・・・、やなこと思い出しちゃったよ。 笑わせてもらったのは、野口さん、4回裏。あんなにボールを握り締めちゃってさ、「ルーキーか、アンタは!」って思いっきり突っ込んでしまった。そのあとのゴメスさんのフォローはなかなか、ま、今日は仕方ないやね。 ゲームの転機は5回裏、城島の、初球のストライクに対しての抗議。アレでなんだか(主審の)判定がフニャッとしてしまいドラゴンズバッテリーがリズムを崩してしまったような。あと6回裏に得点するまでのホークスの城島以下の下位打線、一球ごとに主審にゴチャゴチャ言ってるのにムッとしたのだがいったい何を言ってたのだろう。気になる。 昨日は朝からやることが無くて、しかたないから、扇風機を掃除して押入れに仕舞い込んだり、ヒーターを出してきて試運転をしたり。冬支度をしてました。夕方から横浜に飲みに行き、酔っ払って、帰ってきたのは日付が変わってから。 横浜駅前で大道芸を見たり、バンドの演奏を聞いたりしたのだけど、ヘタな芸人や歌手よりよほど好いことにかなり感動。いやほんと、面白かったです。 おかげで今朝は、起きるのが遅く、足は重いしで出かけるのに躊躇したのだが、9時頃、ともかくも部屋を出た。ルートは決めてないが、馬堀海岸と、観音崎を見てまわることに。今日も地図を持たずに出かけた。 まず三浦海岸に出た。歩いた道は、自宅近くの細い道で、実際どこに繋がっているのかは知らなかったのだが、ほどなく三崎口駅と三浦海岸駅を繋いでいる、線路沿いの道に出た。この道、道路脇を手入れする人がいないのか、いかにもヨコハマっぽい風景が続く。ツタとススキとセイタカアワダチソウ。 三浦海岸、国道を歩くのもちょっと・・・、って考えたので砂浜を行けるところまで。たしか野比海岸近くまで行けたはず、と記憶をたどったのだが甘かった。久し振りに嗅ぐ海の香りはとても心地よく、ニコニコしながら歩いた。海水浴シーズンが過ぎ、釣り人が多い。 ところどころ川によって行くてを阻まれたが、それらを踏み越えて前進あるのみ。意気込んで歩いてたのだが、釣り人の後ろを歩くときは大きく迂回し、及び腰。昔、釣り人の後ろを歩いていて、顔に釣り針が引っ掛かったことを思いだして、無意識に警戒してしまうらしい。 釣り針は目の近くに掛かり、危うく魚伸さん(「釣りキチ三平」参照)のようになってしまうところだったのだけど、投げ釣りをしている人の後ろを無警戒で歩いていた僕も悪いのだが、後ろを確認せずにキャストに入る釣り人も良くない。投げ釣りをするときは、背後に充分注意を払うことは基本。 で、結局、津久井浜のはずれで浜が途切れてしまい国道に上がった。考えてみりゃいつもここまで波の音を聞きに来てるんだよね、そういったことは歩き出す前に気付くべきなのだが。せっかくだからいつもの場所で、少し休憩していこうかと思ったのだけど、僕の指定席ともいうべきポジションで爺ちゃんが読書をしていたので中止。 長沢を過ぎ、野比駅入口の交差点を横須賀葉山線へと。この道を辿れば馬堀海岸まで約10kmで行けるはず。佐原交差点から日産自動車横の道を辿り、湘南橋を経て、国道134号線に突入、ここをひたすら真っ直ぐ歩けば、大津交差点でよこすか海岸通(国道16号線)に出る。 12時、視界にCompMartとイエローハットが飛び込んできた。自宅からここまで3時間、馬堀海岸はもうすぐ。そして馬堀海岸、この道は真っ直ぐ、ズパッといった感じで伸びていて、三浦半島内の大好きな道路のひとつ。 今日も釣り人でいっぱいだった、馬堀海岸。でもここ、今でも釣り禁止のはずなのだが・・・。しかもその釣り人たちが駐車している影響で、2車線のうち、1車線が使えないでいる。こんなブサイクなことをする連中には、ブサイクな釣りしかできないものだが、竿を握る様も不恰好で、見てて嫌になる。 市が大目に見ているようなので何とも言えないが、せめて駐車マナーくらいは・・・、というか歩きか自転車で来れば良いものを。正直なところ、こんなことを平然としてる連中を釣り人なんて言いたくないのだが。 馬堀海岸四丁目のシーハイツ前に広がる空き地一面のススキとセイタカには度肝抜かれてしまった、つか手入れする気は無いのか(^^;)。 走水の風景は良かった。観音崎プロムナードを通り、観音崎外周、観音崎灯台下の道へ。ここは公園になっていて、火気厳禁でバーベキュー禁止なのだが、してる連中がいた。馬掘海岸のこともそうだが、最低限のルールくらいは守っていただきたいもの、いったいどう考えているのだろう。 アウトドアブームの胡散臭さはこのあたりに出てると思うのだけど、どうにも気分が悪い。灯台に登ってみようと考えたのだが、やめた。 自然博物館の休憩施設(ベンチ)で少し休もうかと考えていたのだけど、グンゼのパンツとランニングを着た子供に阻まれてしまった。つかナゼこんなところにそんな子供が、どう見ても2~3歳、下の海岸で遊んでる人たちの子供なのだろうか。 久里浜火電の煙突と、フェリーが行き交うのが見えて、ちょっと得した気分、「はまかなや丸」と「くりはま丸」。洲崎もはっきりと見ることができて、灯台が見えないものかと目を凝らしたのだけど、僕の視力では無理だった。 鴨居港に出た、ここまで来れば浦賀はすぐそこ、14時前には着けるだろう。実際、そうなった。 今から40年ほど昔、浦賀に住む母の叔母の家に、祖母と母が来たことがあるらしい。当時、京急(浦賀駅)はまだ無く、国鉄久里浜駅からバスで浦賀に来たそうで、僕もそのバスに乗ってみようという気になった。 当時の浦賀は寂びれた漁村のようだったそうだが、その当時から軍港じゃなかったのだろうか?。つっても久里浜駅前だって、人家がぽつんぽつんと在る程度だったそうだから、浦賀はそれ以上に寂びれていたのかもしれない。 母が来た頃から比べたら、今の浦賀周辺や久里浜は想像すらできないほどのものなのだろうけど、僕の目からすれば、今でも充分寂れてたりする。浦賀駅から久里浜駅まで10分ほどの行程だったが、やはりその当時の町並みなど想像することができなかった。 母が知る三浦半島は、その40年前の記憶が全てらしい。浦賀のほか、鎌倉や横須賀の親類の家も訪ねたそうだが、三浦半島、我が一族はすっかり根を張っているみたい。てことはアレですか、母が我が家に尋ねてきたら、僕も御供で親類宅を訪問することになるのか・・・、なんだかイヤ(^^;)。 それとは別に、やはり今の三浦半島を母に見せたいという思いはある、どういった反応を示すのかに興味がある。ただ三崎周辺は、漁師という職業をしている関係上、父や弟たちから聞いて結構詳しい。ちょっと口惜しい。 母が昔来た場所を息子が気に入って住みつくなんてのも面白い話だが、僕や僕の一族のような人間を惹きつける何かがこの半島にはあるようで、それが何なのかはハッキリとは解からないが、感覚として理解できるものがある。 |
1999年10月21日(木) |
昨夜、久し振りに五合ほどの酒を飲んだ。朝は少し残っていたが、二日酔いというほどではなく、気だるさがなんともいえず良かった。昨日までと違って今日は気温も上昇し、過ごし良い一日、このくらいの気候がやはり一番良いと思うが、年に数日と無い。 帰り道、三浦海岸からバスに乗って窓の外を眺めていると、対岸の房総半島の灯りが明々と見られた。最初は三崎の灯りかと思ったのだけど、車窓から見えるその方角は海だし、三崎はまた違う方向。オレンジ色に、海の上に浮かんでいるように見えた灯りはすぐに見えなくなってしまったけど、これもまた年に数度しか見られない風景だったのだろう。 バス停から帰る途中、対向車のライトによって少し靄が出ているのが確認できた。家の在る岡の上から見える風景も、いつもは見ることのできない街灯が、闇に浮かび上がるように見えた。今日は特別に空気が澄んでいたのか、それとも急に暖かくなった影響で、水蒸気がそのような風景を作り出しているのか。ともかく今夜は、とても気持ちが良い。 明日は休みだ、わーい。でも家で過ごします、外出するのは土曜日。 |
1999年10月20日(水) |
昨日までの秋物から冬物へと衣替えし、出勤。このとき既に悲劇への幕は切って落とされていたのだが、本人、知る由も無い。さすがに冬物は暖かいねえって、のんきに思っていただけである。 それに気付いたのは午後4時ごろ、職場であるビルの階段を上っていたとき、やけに股のあたりがスースーするのだ。その部位へ手をもっていったとき、その手の感触が、そのまま自分の脳髄へ衝撃として伝わった。 いったいいつから裂けておったのだ!。 定時まで、一歩も動くまい。僕の願いが天に通じたのか、突然召集があり、今日は定時30分前に帰って良いという。喜びを押し殺し、5時20分、そそくさと職場を後にした。この時間、意外と道は空いている。 駅のホームも空いていて、ズボンの裂け目を隠すのに好都合。帰宅するまで、おそらく何人にかは見破られたかもしれないが、とにかく大過なく帰ることができた。これも普段の行いが良いおかげ。 生地がどのようになっているのかを確認せずに履いて出た自分も悪いのだが、みっともないったら。ジーンズですら、半年も履いてたら股下や膝の部分が擦り切れるほど力強く歩くくせにねえ。スーツの生地も強くはあるのだろうけど、まだまだの御様子。 地元(徳島)の馴染みの服屋さんで安売りをしているそうなので、母上に頼んで取り寄せることに。裾上げのためにサイズを測ることになったのだが、股下79cm、裄丈(だっけか?)105cmと見事な短足。身長は177cm。 そんなこんなでしばらくは秋物。再就職してからというもの、スーツは3着しか作ってなく、うち1着しか冬物は持ってなかった。だいたい服自体あまり持ってない、ズボンだってジーンズだけだし。昔買ったスーツはあるのだが、サイズが合わない、着ようと思えば少なくとも10kgの減量を必要とする。 でも筋肉ついちゃってるから容易には体重が落ちないのな、ああ、貧乏って!(違)。 今週は明日で終わり、金曜日は休みです。 |
1999年10月19日(火) |
寒い、というか寒すぎ。今朝は北風、夕方には雨と僕の体温を本気で奪いにかかっている気候に対処する術を持たず、明日からはコートを着ていこうかなあと本気で考え出す。今日は品川も寒かったし、違和感を持たれることは無いと思うのだが、やっぱちょっとばかし早いかにゃ。 昨日と同じく、昨夜飲んだビールがどう作用したのか、体調はさらに良化。う~む、やはり僕の体はアルコールによって稼動しているのか。ってそんなワケない、僕にとってビールは風邪導入剤みたいなもので、体調が落ちてるときにビールを飲むとかなりの確率で風邪をひく。 これはきっと僕の咽喉の粘膜がビールの刺激に弱いからだと思うのだけど、そのくせ風邪が治ってきて体力が回復してくると、適度のアルコールが良い方向に作用するらしい。 サケってやぱし、百薬の長であると同時に、酒毒といわれるように体にとって毒であるものなんだろうなあ。とは思っても、どうにもダラシナクあるんだけどね、サケに対しては。 仕事はのっぴきならない状態になってるのに、さっさと帰ってきてしまった。ちょっと反省、ウソ。明日は遅くなりまする、たぶんね。 |
1999年10月18日(月) |
さみー。最後に着たのがいつだったかも忘れてしまった上着を羽織って出勤、それでも駅への坂を登っている途中は汗をかいてた。 布団から出るのは、勢い良く何の未練も無くできるのだけど、シャワーを浴びてバスルームから出ることの難しさといったら。や~だ~、寒いから今日は出かけな~い!、ってヘタレの本領を発揮しようとする自分のオコサママインドを押さえ込むのに苦労しつつも、部屋を出てしまえばこっちのもの、こどもは風の子なんだい。 ってワケの解からないことでも考えてないと、ホントに嫌んなるくらいの寒さ。そう言いながらもビールを買ってきてしまう自分の酒へのだらしなさを思うとちょっとナサケナイ。 昨夜、ほとんど自棄になって飲んだビールがどう効能を発揮したものやら、今朝はずいぶん調子が良かった、風邪。でも職場で前後左右からゴホゴホとやられているうちに、すっかりぶり返してしまった。家庭持ちの人は、休日でもゆっくりと休めないのか、体調が良化している雰囲気が無い。 寒さも本格化してきたし、今のうちに回復しておかないと、のちのち辛いことになると思うんだけど、どう考えておられるものやら。体調の良くないときくらい、ゆっくりと休んだほうがいいよ、オジサンたち。とは思うのだが、これまたやぱし口には出せない。 明日あたりから、また少しのあいだだけど、帰りが遅くなるかも。 |
1999年10月17日(日) |
もう一週間が経過したのに、熱、まだ下がりません。どうしたもんだか。 朝起きてから14時まで、ずっとネットに繋ぎっぱなし。昨夜テレホタイム、毎度のことながらやたら重いので今朝に持ち越し。いろんなサイトを巡る巡る、ついでに「お気に入り」の整理とかも。 ここで、はたと気付いたのだけど、最近ネスケでの動作確認をしてないな、このサイト。多分ちゃんと見えてるとは思うのだけど、気付いてみるとやはり不安。すぐにでも確認したいところだけど、今使用してるマシンにはインストールされてない。雑誌を買ってくるのもなんだかヤだし、ダウンロードするのも面倒。そのうちにちゃんと確認しよう、と決心はしてもいつのことになるやら。 14時以降は、昼寝、もはや習慣。 サッカーのオリンピック予選を見ながらビールでもと思ったのだが、熱があるとやっぱ躊躇ってしまう。飲みたいんだけどねー、ビールじゃなく日本酒にしとけば良かったか。今日は寒いし。 ああホント、今日は寒かったっすねえ、思い出したように。そろそろヒーターを引っ張り出してこなきゃ、今年は灯油ストーブを買おうかなあ。部屋が広くなったぶんだけ暖まりにくいだろうし、もっとも自分の足元だけを暖かくするぶんには今のままでも充分なんだけど。 奥日光じゃもう楓の紅葉がキレイだそうだし、出かけてみたいなあ。そのためにも風邪をさっさと治さなきゃならないんだけど、今年の風邪はしつこすぎる。葱もサッパリ効き目ないし。 さて、サッカーを堪能(できるレベルだといいけど)して、さっさと寝ませう。 |
1999年10月16日(土) |
休日だというのに早いお目覚め。テレホタイム中はネットをうろつきながら洗濯、8時を過ぎてから朝食を摂り、9時前に外出。三浦海岸まで、髪を切りに。 ずっと切ろう切ろうと思いながらも、風邪をひいてるときに頭をいじりたくない気持ちが強くて、伸ばし伸ばしにしてきたんだけど、ついに切る決心をした。風邪は相変わらず治りそうで治らないんだけど、もうそんなことを言ってられない長さになっちゃったし、いいかげんウザッタイし。 髪を切った理髪店は、いかにも散髪屋さんって雰囲気で、床板は黒く磨きこまれている。後ろと側面は刈り上げてもらい、前髪も短めに切ってもらった。ずいぶん長いあいだ切ってなかったからか、頭がすごく軽い。 理髪店を出て、三崎東岡行きのバスに乗って、三崎まで。銀座通りにある時計屋さんに行って、腕時計の電池を交換してもらう。せっかく来たんだから、お昼を食べて帰ろうかと思ったのだが、なんだかめんどくさくなってパス。もともと外食しないほうなんだけど、最近は輪をかけた状態。 お昼を食べたあと、16時まで昼寝。夏のあいだ強く吹いてた風は最近はサッパリ、季節が変わって風向きも変わったのか、部屋の中に風が吹き込まない。 汗をずいぶんとかいて、寝起きはイマイチだったが、明日やる予定だった掃除を済ませ、夕食の準備をした後、コンビニまで本を買いに。夕食までボサーッと過ごし、夕食作りのための体力を温存。食事を作るのに台所に立つのが、風邪をひいてるせいかとても辛い。 夕食は、蝦のテンプラ(サツマアゲみたいなヤツ)と葱とモヤシの炒め物。風邪をひいたときはネギー!っていう単純な発想からだったんだけど、醤油をちょっと垂らして食すとなかなか美味しかった。 明日も一日、家に居る予定。髪を切りに三浦海岸へ行くのに歩いていったんだけど、わずか20分程度なのにずいぶんと辛かったので、やはり大事をとることに。 |
1999年10月15日(金) |
相変わらず、微熱、咳、鼻水。くうっ。 明日はどこにも行けないかも、つか、ちゃんと治してしまわないと、ずっと後ひきそうだもんな。また一日寝て過ごすか、それともドコゾをほっつき歩くか。んでも山はやめといたほうが良さげ。 ま、いつものように洗濯して、掃除してから、体調をみてのことに。家に居るなら居るでやりたいことはいっぱい有るんだけど、何から手をつけてよいものやら。考えてるうちに時間がどんどん過ぎ去ってしまうってコトが多くて、ちょっとヤになることも。時間の使い方っていうか、マネジメントのヘタさ加減が素晴らしすぎる。 こちらに引き移ってきてからというもの、外で飲むことがなくなった。というか飲む場所が無いのだ、三浦海岸にはあるけど、うちの近所には無い。本八幡時代には、近所にいくらでも飲み屋があって、どこででもご近所さんたちと飲むことがあったのに。だから農村は!。 ってヤツ当たっても仕方ないのだが、三崎港周辺にはソコソコあるところをみると、三崎口駅周辺のいわゆる農村部の飲み屋の需要ってものの無さが恨めしい。つか立地条件の悪さもあるか、でも134号線沿いにはもっとあってもいいと思うのだが。 あたま、ガンガンしてきた。やぱし、ゆっくり寝ることにしよ。 |
1999年10月14日(木) |
道すがら、観察。どの空き地にもススキとセイタカ、路傍にも、コンクリの隙間からでも。本当にスバラシイ生命力、この強烈な生命力で、本来外来種であるはず(だっけ?)のセイタカが日本中に蔓延ってしまった。 僕はセイタカは結構好きなのだが、花粉症の人はやはり嫌なものなんだろうなあ、母上はあの草を親のカタキのように言う。でも、わざわざ刈り取ったりはしないのな、花粉症で、近づくのも嫌だからかもしれないけど。 風邪、相変わらずヒドイもんです。青虫をすりつぶしたような色をした鼻水は出るし、咳はヒドイし。朝は調子良かったのになー、通勤による疲れと職場の風邪患者の氾濫によるものだろうとは思うのだが、自分の体力の無さが恨めしい。 今もちょっとクラクラしているのだけど、ちゃんと睡眠をとってやれば明日の朝には回復するのだろう。 来週末、福岡まで日本シリーズの初戦を見に行こうと思っていたのに、チケットはあっという間に完売。当日売りはあるんだっけ?、あるとしても前日からしか乗り込めないし、ここはスッパリと諦めるべきか。 横浜あたりのスポーツ・バーか、例年のごとく西川口の寿司屋さんで観戦するか。それとも自宅で思いっきりくつろいで、ひっそりと儚く散るか、って散ってどうする。やっぱ、どうせなら外出したいなあ。 いま、ニュースで、さくら銀行と住友銀行が2002年4月までに完全統合するというのが流れた。住銀は知らないが、さくらは以前在籍した会社の親会社。金融システム部門にいたもんだから、さくらのシステムもいじってるので、何だか他人事でない気持ち。 つか、当時、太陽と神戸と三井、それぞれの出資するシステム開発会社、TCSとKCSとMCSが存在していたのだが今はどうなっているのだろう。それぞれ、太陽コンピュータサービス、神戸コンピュータサービス、三井コンピュータサービスの略だったように思うのだが(違ったかもしれない)、僕はKCSの社員だった。 住友がどのような(システム開発の)子会社を持っているのかは知らないが、いろいろあるんだろうなあ、ゼッタイ。前いた現場の興銀の子会社(KSD・興銀・システム・デヴェロップメントだっけか?)だって、かなり人が減らされるようだし、銀行のシステム開発子会社ももう、安泰な存在ではないのだねえ。 ってゆーか、そもそもそんなことで(システム開発を)アウト・ソーシングしているって言い張ってた銀行のほうにも問題があるんだけどね。そういったところも含めて、さくらと住友がどのように統合されるか、興味はあるが、やぱし日本流のやりかたで、落ち着くところに落ち着いちゃうんだろうなあ。 今の現場も、ついに人減らしに入ったらしい。先月末は僕の左斜め前、前、右隣の人が去った。今月末で、左隣の人も去るらしい。新しい人が入るとは聞いていないので、これからは減る一方になることは確実。 来月末で作業は違うフェーズに入るので、それまでがサヴァイヴァル期間、さて生き残るのは誰だっ!。って完全に他人事のように考えてるな、おれ(^^;)。 現状は、しょせん叩き大工だもんな、僕。棟梁になれる日は遠いよ、つってもいくら良い設計をしても職人の腕が悪いと良い建物はできないしねえ。ずっと職人でいるか、棟梁を目指すか、思案どころというか、そういう年頃なんだよねえ、いつの間にか(^^;)。 以上、とりとめもなく。 |
1999年10月13日(水) |
本当に久し振りの三崎口駅までの道路わきの風景は、すっかり秋のものになっていた。街路樹の葉は落ち、空き地にはススキとセイタカアワダチソウ。夏には強烈だった朝の日差しもすっかり和らぎ、爽やかというよりも肌寒いほどなのに、僕はといえば、べっとりと汗をかいている。 起きてから、何度測っても体温は35度ちょっとで、昨日までの反動か、それとも薬が効きすぎてるのか。昨夜は寝てから二時間後には全身汗だくになり、毛布が使い物にならないほど濡れていた。このおかげで熱がひいたのだとは思うのだが、ひきすぎるのもね。 品川駅から職場へ、体温は低いわ、低血圧だわ、そのうえ薬が程好く効いて、素敵な脱力感。僕は「低血圧の人は朝に弱い」という通説を、自身が低血圧なのに朝に強いということを拠りどころとしてバカにしてきたが、確かに低血圧+低体温はキツイわ。身をもって痛感、もうバカにしません、はい。 職場、すっかりカゼが流行ってました。あちこちから咳やくしゃみが聞こえ、みんな辛そう。特に右隣のオジサマ、体力の落ちた僕の横で一日中キツそうな咳を繰り返してて、おかげでこちらまで調子悪くなってしまった。そんなに辛いのなら休みゃいいのにと思うのだが、そうはできない事情でもあるのだろう。 でも横で見てて、あまり仕事は捗ってなさそうだったので、それじゃ出てくる意味が無いじゃんって突っ込みたい衝動に駆られてしまった。身勝手な話だとは思うのだが、こちらがせっかく体調を良くしてから出勤してんのに、また調子を悪くするようじゃリスクを背負ってまで休んだ意味が無くなってしまう。 彼はおそらく今日も残業していることだろうが、無理していたってどれほど仕事を進められるか判らないし、体調は確実に悪くなろうだろうから、悪循環に陥る前にさっさと帰りゃいいのにとは思ってみても、面と向かっては言えないのな(^^;)。 いったい何にそれほど怯えているのかは知らないけど、カラダ壊してまで、やんなきゃならないことってないと思うんだけどな。まあ、僕は(会社の看板以外は)何にも背負ってないから、そう考えるのかもしれないけど。 あ、いちおう自分の(ソフトウェア技術者としての)技術に対してもそれなりの自信と矜持を持ってはいるつもりなんだけど、それが相変わらず漁師としてのソレを上回ることがないためにイマイチ情けなく思ってたりもする。つってもアッチは生まれついてのものだからねえ、比べようとするほうが、おかしいのかもしれない。 昨夜、何をトチ狂ったのか、あちこちの検索エンジンに自分のサイト(ここのコトね)を登録してまわった。僕自身、あまり利用することは無いので、実際どれほど影響があるのか想像すらつかないのだけど、急にアクセス数とか増えてたらそのせいでしょう。 それにしても多種に渡ってあるものだねえ、作業しててびっくりした。参考にさせていただいたサイトはここ。すごいわ、ほんと。 |
1999年10月12日(火) |
風邪、どうにも治りません。 朝起きたとき、体中に嫌な汗をかいていたのですが、体温は平熱まで下がっていた。出勤するかどうか悩んだのですが、鼻水と咳がひどいので、結局は見合わせることにした。やっぱ、ちゃんと直してからにしたい気分が強いし。 で、三浦海岸まで。もう治りかけてることだし、病院で診察してもらうかどうかは別にして、とりあえず薬を貰いに行くことに。バス停まで歩いている途中でも、別に暑いわけじゃないのに、すっごい汗をかいた。あぶら汗みたいな感じで、ベトベトして気持ち悪い。 用事を済ませ帰ってきら、治りかけてたのがすっかり悪くなってた。体温は上がってるし、鼻水はひどくなるし。布団にもぐり込んでおとなしくしてたのだけど、良化する兆しすらない 朝の調子良さはどこにいったのだか、出勤してたらどうなってたかと思うとゾッとしたのだけど、出てたら出てたで、たいしたことは無かったのかもしれない。 なんにしても明日は出なきゃ、納期はタイトだしねえ。最近、作家さんやら漫画家さんやらの気持ちが良く解かるって状態が続いてて、とにかく数日単位で締め切り(納期)が迫り来るのだ。恐ろしい話だ。 一日休んじゃうと当然作業時間は減るし、残業したところで追っつくものでもなくなる。だから少々のことじゃ休みたくないんだけど、体調が悪いのはしょうがない。しょうがないけど休みたくない、って葛藤の繰り返し。 昨日からオカユばっか食べてるものだから、いまいちチカラついてないのもあるのかも。卵を割り入れて、焼き塩ふりかけて、ねぎ味噌と佃煮の昆布で。精はつかんよなー、こんなんじゃ。ちゃんとしたものを作ろうかとも思うのですけど、台所に立つのもツライ。 そういう意味では、明日の昼食が楽しみ。久方ぶりにちゃんとしたものが食べられそうで。でもにゃあ、社食の食事が楽しみだなんて、なさけない食生活だにゃあ。ホント。 |
1999年10月11日(月) |
体温、さらに上昇中。 現在も38度後半を維持中で、起きているのが凄くツライ。明日になれば下がるとは思うんだけど、ちゃんと出勤できるかどうか心配。 今日は一日中寝っぱなしで、朝、ゴミ出しに起きて朝食をとりそのあと寝て、昼食をとりまた寝て、JOMOカップを見るために起きて、終わると同時に寝た。寝ても寝ても寝足りない、体力が落ちるとどうしても寝ちゃうのな~。 今は熱と鼻水だけで、咽喉の痛みはなくなったし、ヤマは越えたんじゃないかな。 で、JOMOカップ。ロベルトさん、日給3千円くらいで、僕に雇われませんか?。雇ってどうすんだって感じですが。なんか、格が違うって言うか、すばらしすぎ~。ほかには、ひさしぶりに小倉さんが見られて嬉しかった。元気そうだったにゃあ。 やぱしニッポンはまだまだ、世界の足元にも及ばないと感じてしまった。同時に中田君はあんな連中と一緒にプレイしてんだねえと今更ながら、感心してしまった。 さて、汗を拭いて、また寝ますかにゃ。 |
1999年10月10日(日) |
風邪、ますます悪化中。 昨日、今日と微熱が下がらず咽喉が痛くてしょうがない、熱のせいで体もだるい。夕食をとって一段落して落ち着いて、今しがた熱を測ったら38度近くある、どうやら熱が上がってきたみたい、昼方まで37度前半だったのになー。 昨夜は咽喉が腫れて、横向きに寝ると気道が圧迫され、「カハッ!」って今にも死にそうな声を上げて悶え起きることがしばしばで、おかげでほとんど寝ることができなかった。今日の昼寝もそうだったのだが、寝て起きたら咽喉に腫れは治まったみたい、つってもまだイガイガしてますが。 せっかくの三連休、それも良く晴れた体育の日にこんな状態でいるなんて、日頃の行いが悪いせいか。昨日、山から降りて、咽喉を乾燥させたまま街中に入ったのが悪かったんだろうなあ。いつもは、必ずどこかで休憩して、しっかりと咽喉を潤してから街中に入るようにしているのに。 「サンデーモーニング」で、山梨県は勝沼のブドウ畑で盗難が相次いでいるというニュースを聞き、やっぱニンゲンってヤツはタチが悪いシロモノなんだねえとか。これを聞きながら、帰省中に母上から聞いた話を思い出した。 我が家の畑、というか実家のある周辺は畑が多く、そこにも出没するらしいのだ。これらの畑、農家さんのものではなく、しかも作物を売却するために作っているものでもなく、近所の人たちが自分ちで食べるぶんだけの野菜を作るための畑。畑の所有者は、全て漁師さんたち。 で、出るんですよ。と言っても、泥棒ではなく、タヌキ。もちろん泥棒もタヌキも、作物を盗むって点においては同じだが、タヌキのほうがまだしも可愛げがある、かつ知恵もある。 母上は、ある種の愛情やら敬意を込め、「タンチ」と言う、個体を指しているのではなく、全てのタヌキに対して。しかしこのタヌキたちによる被害ってのは尋常なものではなく、せっかく育った野菜や果物を、食べごろが来ると母上たちよりも先に察知し、抜群のタイミングで食い荒らしていくらしい。 ほかにも「ハクビシン」という動物も出没して、母上曰く「(畑の)表からハクビシン、裏からタンチに攻められてる」そうな。それでもニコニコしながらそれらの出来事を話し、日々タヌキたちと化かし合いをしているようなものだと語る母上。とか言いながら別段防衛をしているようでもなく、網を張り巡らしたりもしていない。むしろ自分の作った作物を食い荒らしていくタヌキに対して、親近感すら抱いているらしい。 これらの話を聞きながら、「オイラのイナカじゃ、まだまだメルヒェンのような生活を繰り広げてるんだにゃあ」と思い、同時にセカセカとした都会の生活を思い浮かべ、つくづくと「都会っていやよねえ」って考えてしまった。 実際に見るその姿はかなり愛嬌があるらしく、近所の畑を持つ人たちも「タヌキに食べられるんじゃしょうがない」って考えているそうな。僕はその姿を見たことが無いので何とも言えないのだが、人々にそう思わせるくらいだから、そうとう可愛いんだろうなあ。まあ徳島はタヌキの本場だし、みんながタヌキたちに対して親近感を抱くってのは、解かる気はする。 アフタヌーン・シーズン増刊の「PositioN」を読みながら、化かされるものならば化されてみたい、タヌキに。と、メルヒェンなことも考えてしまったのだが、しかし小さい頃から人がタヌキに化かされたという昔話を聞いたり、その体験談(ジイサンの世代には実際に化かされたと思っている人がいる)を聞いたりしていると、実際にタヌキってのは人を化かす生き物なんだと自然に信じ込んでしまった。 熱のせいか何だかヘンなことばかり考えてしまう、さっさと寝ませう。 |
1999年10月9日(土) |
先週とは違った道を通り武上宮田線を目指したはずなのに、気が付いたら工事現場をはさみ先週通った道の対岸にいた。元屋敷といわれる地域の鹿穴台との境あたりなんだけど、おかしいなあ。帰ってから地図で調べると、確かにそのとおりに道を歩いていた、まあ、先週と違った道を通ったのは確かなんだから、気にしないことにしよう。 武上宮田線から武山ハイキングコースの入口へは先週と同じ道、ほかに道が無いわけじゃないのだけど、僕の通るルートが一番便利なように思う。途中のイモ園には家族連れがたくさん、グループで来ている人も多い様子。彼らの会話を漏れ聞いたのだが、なにやらトンチンカンなことを言っている人もいて、ちょっと面白かった。ハイキングコースの入口は解かりづらいところにあるのだが、歩き慣れた人ならすぐに解かると思います。 先週の日記で、入口からすぐに急激な坂があると書いたが、今週はそれほど強烈なものには感じられなかった、少なくとも胸を突くような感じではない。先週、限界近くまで体を追い詰めたせいかしら、やっぱ体は苛めれば苛めるほど強くなるものらしい。 それでもゼーゼー言いながら、坂を登りきる。あとはなだらかな斜面を三浦富士まで行くだけ、武山山頂付近の三叉路を右に曲がる。このルートは先週発見したのだが、それまでこんな道があることを知らなかった。とはいえ、ハイカーのあいだではよく知られているらしい。僕も山はまだまだっていうことか。 途中、砲台山を経る。といってもその山頂付近を通るだけ、来週にでも砲台山に登ってみたい。この尾根道を歩いているときに信じられないものを見ることになった、高校生らしい集団が、もう午後に入っていたから部活だとは思うのだが、全力でこの尾根道を走っていたのだ。 行き交う学生に道を譲り、その姿を眺めながら、若いってホントにいいねえって、オッサンくさいことを考える。位置的にいうと岩戸高校の生徒だろうか。通研横を通り、通研通を横切り、砲台山と三浦富士の中間あたりに通ずる道を登ってきたのだろう。武山で折り返すのか、それとも武山を越え、ひがし武バス停付近で再び通研通に入り、学校へと帰るのか。いずれにしても、ハードな練習をするなあ。さすがは三浦人って、感心してしまう。 砲台山付近の展望台で、金田湾を見た、僕の住む町は、ちょっと見えない。三浦富士山頂には、家族連れのグループが、先週は武山でも大楠山でもハイカーの姿をあまり見かけなかったのだが、今日は多い。 三浦富士山頂からは、断片的にだが、四方を見渡せる。金田湾も、油壺も、通研通方面も。断片的なためにそれほど眺めが良いとは言えないが、気分は良い。 山で挨拶を交わすのは基本中の基本。普段の社会生活において挨拶をすることが少ない僕も、山においては積極的にそうする。お年寄りに「こんにちは~」ってこちらから声を掛けると、とたんに相好が崩れ、言葉を返される。孫のような年齢の人間に挨拶されること自体、嬉しいらしい。 行き交うときには、会釈でもよいので、したほうが良いと思います、ダレカレかまわず、できれば笑顔で。それが礼儀ってもんです、何のかは知らんケド。 通研通を目指して三浦富士を降りたつもりだったのに、津久井浜駅へと向かう道に降りてしまった、どこで道を間違えたのだろう。長者ヶ崎へ行く予定だったのになーと考えながら、ま、駅へ向かう道と反対方向へと歩いて行きゃ、通研通に出るだろうと安易に考え歩き出す。 尻摺坂の通研通入口を目指すのも良いかな、とか思いながら歩いていると、何だか見慣れた風景が。う~ん、ここってどこだったかなーって考えていると、目の端にさらに見慣れたモノが。ありゃ、あれってまさか、京急長沢駅じゃ~(゚▽゚;)。信じたくも無い事実だったが、間違いようも無い、長沢駅だ。どこをどう歩きゃ、こんなところに出るんだ(--;)。ずいぶんと三浦の土地勘も磨かれているはずなのに、なにやってんだか。 帰ってから地図で調べたら、これまた確かにそのように歩いている、今日は地図を持たずに出たのが裏目に出たか、初めて歩く地域はやっぱ地図を持って出たほうがいいな~。長沢駅へ向かわずに進路を北にとれば通研通に出るはずだけど、さすがにやる気を無くした。国道134号線に向かい、三浦海岸まで歩くことにした。 三浦海岸でクリーニングに出してた服をを受け取り、バスで帰る。今日の散歩時間は3時間30分ほど、ちょっと消化不良って感じだが、しかし収穫といえば収穫。このルート、実際に「散歩」用として使える。自宅~武山・三浦富士~津久井浜~134号~自宅、ぐる~っとまわっても、4時間かからないなら、ぶらっと出るにはちょうど良いような。 山も海も堪能できるし、気分も良くなるし、ウム。 で、昼寝して起きたら、体がだるいしノドは痛いわ、しっかり風邪をひいたらしい。どこでうつされたのやら、明日も晴れるから出かけたいのだけど、無理かもしれないな~。 |
1999年10月8日(金) |
セーラー服~って、僕の念があまりに強かったのかもしれんへんけど、朝っぱらから見ることになってしもた。駅へ向かう途中に見かけたんやけど、このへんに制服がセーラーって中・高校は無いはずやから、やっぱ京急か何かで通学しているコなんやろな~、とか考えながら追い抜いた。 三浦市内には中学校は4校、高校は2校あるんやけど、面積のわりには多いような少ないような。つっても徳島南部にだって、高校は4校しかあれへんし、中学校やって、ひとつの町に1校ずつしかないはず。 地域の広さよりやっぱ人口なんやろなー、このへんの基準って。町域が広くて、中学生なんぞ通学が大変やろなーって思うんやけど、考えてみりゃ僕だって中学生や高校生のときは自転車通学してたもんなー。もちろんイナカなもんだから、平坦な道なんぞ無いに等しいんやけど、学校まで約5kmを毎日通ってると、別段なんとも思わへんようになるし、このへん、イナカモンは妙に逞しい。 一番前の車両の三人掛けの席、それも北側に座ると、三浦海岸のあたりで海が見える。ここんところ電車から海を見るってことが無かったもんやから、ワクワクしながらそのときを待った。ベツに一番前の席に座らんでも海を見ることはできるんやけど、運転席の窓、対面の窓、そして電車中央部の窓を通して三面大パノラマを見るのには、この席がいっちゃんエエのだ。 で、電車は三浦海岸駅を出て、金田湾を一望できるポイントへと近づいたとき、三浦海岸から乗ってきたジイサンがいきなり対面の窓をふさぐように立ち、あまつさえ運転席の窓いっぱいにスポーツ新聞を広げやがった。うがー!!!。 狼狽してこのクソジジイ~!、って強烈な殺意を込めた視線を送ると(オトナゲナイ)、ジイサンはびっくりして新聞を窓から離したものの猛烈なスピードで走る電車はもうとっくにポイントを過ぎ去ってる。 慌てて過ぎ去る海を中央のデカイ窓から追おうとしたんやけど、もう遅い、海はポッツーんと見えただけ。ジイサンにゃベツに悪気は無かったんやろけど、朝、海を見れた、見れなかったで、その日の気分ってモノがぜんっぜん変わってしまう僕としては、やはり気ィ悪い出来事でしかない。 そのせいかどうか、今日一日、焦る必要も無いのに妙に心に余裕ってモノが無く、しょうもないミスばっかしてた。ツマランこと繰り返して、へこんで、クタクタになってしまうことほどクダランこともあれへんし、気分転換のために阿波弁(南部訛り)で書いてみようと始めたんやけど、カキコトバとしてこれほど使いにくい言語もあれへんなあって、実感。 ベタベタな阿波弁使いの母上にしたって、手紙なんぞ送って寄越すときは見事な標準語を使いはるし、口語としての阿波弁は地域的な特徴をあらわした綺麗な言葉なんやけど、それを文章にしょうとしたときにゃ、これほどムツカシ言葉もあれへん。 そもそもが和歌山、四国四県、そして淡路島は共通した言語的特長を持った地域なんやけど、その底辺には琉球語ってゆうか、琉球語をも含む海洋民族の言葉があるらしい。おもろいのは、魚をあらわす言葉の「イオ」、「イヨ」。これは沖縄でもそう言うし、徳島でも、うちのジイサンなんかがそう言う。オヤジの世代でもそう言うことがあるんやけど、僕の世代になるとそう言うことはほとんど無い、僕の下の世代になるともうサッパリ言わない。 ジイサンは若い頃、和歌山の秋刀魚漁の船に乗っていたことがあって、その頃に紀州語の影響を受けたものか、秋刀魚の塩漬けにしたものを「サイレ」と言う。和歌山では「サイラ」と言うらしい。秋刀魚を塩漬けにして食べるんは和歌山だけのものらしいから、この言葉を作ったのは紀州人なんやろうけど、その元にいるんは、やっぱ古代海洋民族のモノなんかも知れへん。 だいたいが紀州でアレほど漁法が発達したこと自体あやしいねん、遠州灘、駿河灘沖を突っ切る航路が確立されたんが江戸期以降ってんやから、もしかしたらそれまでのあいだ、無論古代においても、紀州のあたりが太平洋側の日本沿岸における航路の最終点っちゅーか、吹き溜まりみたいなもんやったんちゃうんかーってゆう想像も膨らむ。 だとしたら沖縄(もちろんそれ以南からも)から北上し、太平洋沿岸を航海してきたさまざまな漁法の技術を持った連中が、紀州に辿り着き(行き詰まり)その根をおろし、それぞれの持つ技術を磨り合わせ練磨し、アレほど多様な漁法を編み出したのではないか。 とかとか考えてると寝られへんようになるからこのへんで。明日は武山、三浦富士を越え、長者ヶ崎まで、行けたらエエなーっと。 |
1999年10月7日(木) |
ひさしぶりにセーラー服姿の少女を見た。横浜からだったろうか、彼女が降車する横須賀まで、時折ちらちらと眺めては、心密かに頷いていた。って書くとヘンタイっぽいが、それを否定するつもりはない。 彼女はドア横の、手すりに凭れてウトウトとしていて、時々膝をカックンさせて、危なっかしい。うまく表現できないけど、なんかこう、健全だねえとか。その場で健全な精神を持っていないのは、自分だけだったかもしれない。 でもね、なんていうか、セーラーって、海の男の心を沸き立たせるのだ。だって、もともとオイラたちの制服だし(゚▽゚;)。 底抜けのバカだな、オレ・・・。 ベツにイヤラシイ目で見てたわけじゃないですよ、念のため。 |
1999年10月6日(水) |
やはり弐千円札だった。しかしこんなの使えるのか?、使う人がいるのか?、かなり疑問。少なくとも僕は使わない。テレビや新聞で、エラい人たちの御言葉を聞いたり見たりしても、どうしても弐千円札の必要性ってモノが解からない。解かりませんとも。 こないだの総裁選の遺恨からか、加藤派の人間を爪弾きにしたりと調子に乗り始めたオブチさん。そろそろ凡人の本領発揮ってトコロですかね。 なんだか銀行とか金融関係のシステム開発の人たちは忙しくなりそうだが、2000年ガラミもあって、来年夏以降までカットオーバーはしないってトコロもあるのに、来年春に発行される弐千円札って、正直、迷惑なだけのような気もするのだが。 なんにしても、いたるところで あとミスター?、上原君を泣かせちゃイカンよ。これからのジャイアンツを背負って立とうってー人にそんな仕打ちをするなんて、底が知れてるにゃあ。いくら相手が先にそういった行動にでたとしても、自若として勝負をさせる、それでこそミスターの称号に相応しいもの。それが出来ないくらいなら、サッサとユニフォームを脱いじゃえ。 って数年前、山崎さんにキングを獲らせるために(松井くんを)敬遠しまくったドラゴンズファンとも思えないことを書てみたりしてみた。それにしてもペタジーニってナイスガイだねえ、彼にキングを獲ってもらいたいなあ、奥さんも喜ぶことだろうし。 さらに話は飛びトイレ。今朝、目が覚めてトイレに行ってみると貯水タンク内のポンプがずれて水が出っ放しになっていた。どうやら一晩中水が流れつづけてたみたい、サッサと直し、シャワーを浴びながらふと思ったことは、いったいどれだけの水が流れっぱなしになってたかということ。 水道代なんてたいしたことはないのだが、しかし水の勢いからみて、一晩あれば僕の部屋なんか水没してしまいそうなほど。来月の請求書を見るのがちょっと怖くなってしまった、少しシャワーの量を減らして、あまり意味のない抵抗でも試みてみようか。 ちなみに僕の部屋(ハイツらしい)は、DK8畳・洋間8畳・和室6畳。一人暮らしには広すぎてちょっと寂しかったりします。ぽつん、ぽつんと物が置かれている様子って、すごく侘びしい。というか思わず大海を連想してしまった、水が溜まってれば泳ぐこともできたかも(^^;)。 |
1999年10月5日(火) |
我が家のマシン、ちょっと不安定になってる、かも?。 いきなりディスプレイに砂嵐が映るってのも、ちょいとブキミ。まだ2年経ってないのに、早くも寿命か~?。でも酷使してるからなあ、特に不思議でもなんでもない。 「なんでも鑑定団」を見ながら、なんにでも値段がついちゃうんだねえ、と。あと中嶋誠之助さん、「街道をゆく」でその名前を見つけ、引用されている文章を読み、本当に同一人物かと疑ってみたり。 それはともかく、須田画伯の絵が欲しいなあ。いや、なんとなく(^^;)。実際あのような絵は好きなんだけど、どこで探せばよいのやら、って画廊に行きゃいいような。 今、臨時ニュースが流れたのだが、政府は2000年4月に2千円紙幣を発行するらしい。なに考えてるのやらサッパリ・・・、というか、もしかして2万円紙幣の見間違いか?。 |
1999年10月4日(月) |
体力強化月間、なんてホザいた翌日に風邪でダウン。すばらしいほどのマヌケぶりを発揮、季節の変わり目がなんだかんだと言いながらのことだもんなあ。 落ち込んでいてもしょうがないから、薬を貰いに行き、そしてその行程の何倍もある上大岡に、ついでだからと出て行って、ヨドバシカメラでメモリを購入。128MB、2万円ちょっとだが、ゴールドポイントカードを使用し1万7千円ほどで。数年前のことを考えたら、ほんとに安くなったものだ。 13GBのハードディスクも2万円しないし、思わず買ってしまいそうになったのだが、グッと我慢。昔々はこんなの夢のまた夢だったなあ、って感慨しきり。(FM-new7用の)5インチFDDだって、あんなの今やジャンク扱い、つか骨董品なのだが、当時は購入するのに四苦八苦したものだ。もう10年以上前(15年位前のことか?)のことなんだけど。 三浦海岸駅でバスを待つあいだ、となりの爺ちゃんたちの会話を聞くともなしに。「息子の一人は下関に、もう一人は横須賀にいる」だとか、「うちは二人とも横浜だ」とか。どうやら(元)海の男たちらしい。今はリタイアして悠悠自適のご様子。 夕方、天ぷらうどんを作りながらこのことを思い出して、ふと思い当たったことがあるのだが、もしかして二人の爺ちゃんの四人の息子さんたち、マルハ、もとい、大洋水産の人か?。 熱も下がったし、明日は出勤。最近、スケジュールがタイトなものだから、一日休んじゃうと結構イタイのだが、しょうがないやね。そのわりには上大岡くんだりまで行ってたりするのだが(^^;)。 |
1999年10月3日(日) |
一日、ちょこちょこと動きまわってた。 朝焼けに叩き起こされ、昼寝もできず、オニのように眠い。さっさと寝たいのだけど、まだまだやるこた有るしねえ、これだから季節の変わり目ってヤツは。 昨日の影響が残ってて、筋肉痛ではないのだけど、体が重い。さすがに昨日のようなことはないんだけど、ふと思ったのだが、そういった意味では、昔の旅人さんって偉大だったんだねえ。たぶん、山越えのひとつやふたつで、こんな情けないことにはならなかったろうから。 箱根越えるのだって大変そうだし、こないだ走り回ってきた四国山地なんかを歩って旅してたなんて、なかなか信じられない。僕の婆ちゃん以前の人たちの交通手段はそうだったのだから、それを考えるとわずか二代でこのように軟弱になるなど、いかに今が恵まれた環境であるのかがよく解かる。 こんな軟弱な状態ではどうしようもないので、今月は体力強化月間。可能な限り、体を苛めてみよう。壊れちゃうと元も子もないんだけど、厳しくしないとすぐに鈍っちゃうしねえ。ふう。 |
1999年10月2日(土) |
以前からの願望であった、付近の道を巡りたいというのを少しでもかなえるため、畑の中の道を辿って武上宮田線を目指した。初声中学校の通学路のようになっている道で、学生たちに混じって歩く。実はこの時点ですでに当初の予定であったルートを思いっきりはずしていたのだが、中学校付近まで行けば、何とかなるだろうと思いながら歩いていたのだけど、とりあえず何とかなった。 武山ハイキングコース入口で、農家の婆ちゃんと思われる人に「ゆっくりと登って行きなさいね」って励まされ、にっこり笑って返答とする。武山は200mほどの山で、大楠山よりも登るのは楽だろうと考えていたのだが、いきなりその認識を変えられた。婆ちゃんがそう言うはずだわ、いきなり胸を突くような上り坂。 頂上付近は緩やかで、呼吸を整えながら登ることができた。頂上には武山不動尊。素通りしようと考えていたのだが「海上安全」、「大漁満足」の文字に惹きつけられ、ふらふらと境内に。そして参拝、「うちのムチャしいどもを、よろしくね~」って賽銭も払わずにムチャなお願い。 ここから、横須賀三崎線までは、ずっと下り。楽チン楽チン。 北武から大楠山への登山道へ入れるはずなのだが、今日は敬遠。衣笠インターから入る。登山道の状態が心配だったのだが、風倒木や落石はあるものの、歩けなくはない。途中、万葉公園に立ち寄り、再び登山道へ。 大楠山登山道は、四路あるのだが、この衣笠登山道と、前田口登山道が好き。キツイがそのぶん、楽しみもある。 大楠山頂上にある売店に入り、初めてここの主である婆ちゃんと対面。「こんにちは」って声をかけられたのが、妙に嬉しかった。毎日ここに通っているらしいのだけど、まさか歩いてじゃないよな~。 頂上からの眺望、見事なまでの靄のために良くはない。遠くに連なる山々を見ながら、あれを越えてきたんだよなって、ちょっと信じられない気持ち。 下山して前田口登山道入口に辿り着いたのは、午後1時20分。衣笠登山道に入ったのが11時だったから、2時間20分ほどの行程。前回このルートに要した時間が4時間30分だったから、ほぼ半分の時間。というか武山ハイキングコースに到着してから、ここまでがちょうどそのくらいの時間だから、バカみたいなペース。 そのせいか、下山したときにはもうフラフラだった。立石で休憩し、体力の回復に努めたのだが、立っているのがやっとの状態で、仕方なくバスで逗子まで。久し振りに見た長者ヶ崎が、車窓からというのは屈辱的ではあったが、だからといって下車してみる気にもなれなかった。 前に大楠山に行ったのは春だったので、桜の花のはらはらと散る様子がとても美しかったのだが、今回は落ち葉。木漏れ日の中をぱらり、ぱらりと落ちる枯葉の雰囲気はなかなか良い。 武山ハイキングコースで発見したのだが、三浦富士への登山道があるみたいで、やはり通研通りへ通じているのだろうか。次ぎは三浦富士に登ってみたいな、抱えている懸案もあることだし。 ん~、歩きながら、いろいろと考えていたのだけど、立石では頭の中が真っ白になってたからなあ。あ、立石の海、相変わらず綺麗でした。波の音も良いし、この夏ここへ来るのをすっかりと忘れていたのが悔やまれます。 |
1999年10月1日(金) |
またまた酔っ払ってます。つか、先週の帰省時から、酔っ払ってない日はありません。耐えろ、おれの肝臓!。 明日は、武山を越え、大楠山を越え、長者ヶ崎まで行く予定。行けるかどうかはわかりませんが。山越えしないで行くなら、3時間もあればたどり着けるんだけど、このところ体を甘やかせてたから。久し振りに思いっきりいじめてやろうと思っています。 所要時間は8時間ってところだと思うんだけど、アスファルトやコンクリの上を歩かないぶんだけ疲労は無いと思います。とりあえず、行けるところまでってことで。余裕があれば、逗子まで行ってみたいです。 東海村周辺は大変なことになってますが、ことの是非はともあれ、ホントのトコロを知らせてもらいたいにゃあ。 |
1999年9月30日(木) |
決まった、できればこのまま勝って優勝の喜びを味わいたいものです。 冷蔵庫ではよく冷えた日本酒がその出番を待っている、肴もたっぷりと有るし、スポーツニュース巡りの準備もできている。この幸せをじっくりと噛みしめながら・・・。 ドラゴンズというチームに関わる全ての人に感謝。 |
1999年9月29日(水) |
あとひとつ、の予定。6点リードしているとはいえ、まだまだまだまだ~。明日にも優勝が決定するのだが、ぜひとも勝って胴上げをしてもらいたいものです。ところでTV中継はあるのかな、番組表によると無いのだが、どこか臨時中継してくれないかなあ。スカパーではやるはずなんですけどね、加入してないから。 8月31日放送の「万物創世記」、見ました。テーマは「漁師」、なんともベタなものですが。何度見てもいいです、繰り返し見てます。つってもあの程度のことは漁師にとって一般知識に過ぎないのだが。 休暇中が、ちょうどイセエビの刺し網漁の真っ最中だったので、毎日のように食べることができた。子供の頃は、この時期は漁の手伝いで忙しかった、で、毎日毎日イセエビを食べさせられていたものだから、つい最近までイセエビが大っ嫌いだった、なんともゼイタクな話ですが。 だもんでエビミソの味を美味いと感じられるようになったのも、最近のこと。味噌汁にエビミソを盛大にぶちまけ、すする、もう最高!。帰省中に食べたイセエビ、味噌汁で8尾、刺身で1尾、天ぷらで1尾、湯掻いて2尾。東京でこれだけ食べたらと考えると、往復のチケット代など安いものだ。 マグロはもちろんだが、タカノハの焼き切りが美味かった。焼き切りって、三枚に下ろした魚の身の皮のほうを炙って刺身にしたもの、万物でも紹介されてましたが。タマネギをたっぷりと乗せて、柚子100%の酢を混ぜた醤油で食べると、言葉も出ないほど。タカノハとはタカノハダイのこってすが、ヒダリマキとは違います、ってまた解かり辛いことを。このへんのことは、図鑑で調べてください。 僕は中国、っていうよりも中国人贔屓なものだから、今夜の「ここがヘンだよ外国人」は納得いかなかったのだが、まあどうでもいいハナシ。それにしても最近の人間って、どうしてあんなに戦闘的なんだろう、不思議不思議。あと、論点をすりかえるのは、中国の人たちの昔からのトクイワザなんだから、いまさら目くじら立てることも無いのになあ、とか。 それにしても誰だったか、「民族ごとに国家を成立させたらどうだ」っつーのはバカくさくてヤだったなあ。なんか中国って国の本質が見えてないっつーか、ま、世界の流れがそういった方向に流れているのは確かなことなんですけど、そういったもので中国を推し量ろうとしても、うまくいくとは、とても思えない。 キレイゴトをならべたてる連中よりも、ホンネぶちかます中国の人たちのほうが信用を置けるって思えるのは、どういったことなんだろうな~って考えてみたりもします。 |
1999年9月28日(火) |
休暇中に撮った写真、全て掲載しました。はい、たったこれだけです。だって、ほとんど外出できなかったんだもん。 これは僕の勝手な思い込みだったんですけど、三浦の人たちって、すんごい健脚揃いなんじゃないかって、考えてました。実際に見る三浦人は、そうでもないみたい。駅までの通勤だって、車やバイクを使っている人が多いし。 しかし、昨日、その実力を見せつけられてしまった。朝、駅へ向かう途中、女性が小走りに駈けているのを見ながら、電車に乗り遅れかけてるのかな~ってボーっと考えていたのですが、その足元を見てびっくり。彼女は、厚底サンダルを履いていたのだ。 軽快に下り坂を駈けていく彼女の後姿を見送りながら、三浦人の足腰って、どうなってるんだろうって考え込んでしまった。僕も相当な、しなやかさと強靭さを持ちあわせているのだが、三浦の人たちはそれ以上かもしれない。侮れない人たち。 てなことを、帰りのバスの中で思い出していた。最近は、帰りは三浦海岸からバスに乗るようになった。途中にコンビニとかあるから、便利だってことで。日が落ちるのが早くなったせいで、暗闇も夏の比ではなくなってしまった。 帰省した折、小型のマグライトを買ってきたのだが、これが意外と役に立っている。ほんのわずかな明かりでも、暗闇の中では、とてもありがたい。安心感が、なんとも心地良い。 |
1999年9月27日(月) |
言ってるそばからへべれけ~。休暇明けいきなりの飲み会はキツイよう、ってゆーか9月アタマに参入した人の歓迎会を今ごろやってんじゃねえって言いたい気持ち。 炊飯器は美味しそうな御飯を炊き上げているのだけど、さすがに食べる気は起こらない。明日の朝、御茶漬けでもして食べよう。 う~ん、もう何も思い浮かばない。とにかく本格的な更新は明日からってことで、さっさと寝ます~。 |
1999年9月26日(日) |
ということで、フラフラしてるヒマもなし~。 飛行機は相変わらず大揺れで、飛行機嫌いの僕としては弱ったものでしたが、窓から見る風景は好きだったりします。天空橋で乗り換えて、蒲田経由で帰ってきたのは初めて、と言うか三浦から帰省したのも初めて。 海辺から海辺への移動、どちらも太平洋に面しているのに、やはり徳島のほうが暖かい、つか暑い。こちらでの生活は扇風機だけで暑さを凌いでいるのですが、田舎に帰るとクーラー無しでは生活できなかった。おかげで体がちょっとゼイタクモノになっていて、三浦での扇風機だけの生活に耐えられるのかしらと考えていたのですけど、まったくの杞憂に終わってしまった。 ずいぶんグータラな生活を送ってきたのに何故かとても眠い。いや、グータラな生活を送ってきたからか。午後2時過ぎからネットをウロウロしてて、3時を過ぎた頃から猛烈な睡魔が。無理して起きてたら、頭痛までしてきた、まったくシャレにならない。 写真や休暇中の生活など、明日から更新したいです。ココでのツボは「する」ではなく「したい」ってところ。実際、できるかどうかは判らないっす、もしかしたら週末までずれ込むかも。今日はゆっくり休みます、って何のための休暇なんだか(^^;)、妙な疲れが残ってます。 憎いのは台風18号と、秋雨前線。休暇の前週はずっと晴れ、明日からの一週間もずっと晴れらしい、すっげえ間の悪いときに帰ってしまった。ああ、夏季休暇、取り直させてくれないかなあ。もう、時期的には秋季休暇になっちゃうんだけどね。 まともに走れたのは、昨日の土曜日だけで、あとはずっと雨の合間を縫って。自然に対して愚痴ってみても始まらないけど、台風なんて、秋雨前線なんて、大っ嫌いだ~。 ホークス、優勝しましたな。いいもの見せてもらいました。次ぎはドラゴンズの番、できれば今月中に決めてもらいたいものです。 ああ、あと。今月のヨコハマ、トビラはやぱし大楠山のテッペンなのかしら。背後の施設は、楠山無線送受信所、大楠無線中継所、そしてNTTの通研か。しばらく登ってないから、位置関係がどうなってるか忘れちった、も少し涼しくなったら行ってみようっと。 |
1999年9月19日(日)~9月25日(土) |
ぼちぼち書きます、スミマセン。 |
1999年9月18日(土) |
相変わらずのお子様ぶりで、朝4時に目が覚めてしまった。やることがなく、手持ち無沙汰なものだから、更新していたりします。6時30分には家を出なければならないのですが、ことココに至って、朝食を取るかどうか悩んでいます、のんきなものですな。 今食べたら、空港に着く頃には間違いなくお腹が空いてるもんなあ。羽田空港の一隅にある饂飩屋さんで帰省するたびに朝食を取っているので、今回もそのようにしようか。その店は、麺は良いのだが、ツユがイマイチ。 徳島南部は今日も雨、北部は晴れ間も出るらしいので、飛行機の離着陸には何ら問題は無いと思う、たぶん。飛行機に乗るたびに、ドキッっとさせられるようなメに遭っているものだから、油断はできない。どうも僕は、乗り物のなかで、飛行機運というものは、さっぱり良くないらしい。 9連休といったらなかなかの休暇のようだけど、やはり一ヶ月は欲しいなー。夏期休暇、無茶を承知で。何もかも欧米化しようってんなら、休暇制度もそうしようよー。週休4日制とか、でもこれ、営業とか製造の人間にとっては、ちょっと嫌かもしれない。もっとも漁業や農業にはまったく関係ないんだけど、こういうのって。 本気で遊ぶとなると一ヶ月でも短すぎるのだけど、でもあれかなー、お仕事人間にとっちゃ、一ヶ月も休暇があるのなんて、ただの苦痛でしかないのかなー、やっぱ。でも僕は遊びたいんだ、遊びたいんですったらー。 バカなこと言ってないで、帰ります。 忘れるとこだった、ここ。このサイトのランクは、”C”らしいのだが、とても信じられん。”人気個人・団体サイト”だそうな・・・。評点甘すぎだって、ゼッタイ。 |
1999年9月17日(金) |
寒い。涼しいを通りこして、寒いっす~。いきなり初冬のような気温になられても~、体の準備ができてないよう、ぶるぶる。油断して、半袖で出たのが悪かった、しかも電車内はいつものように冷房ガンガンだし、よく風邪をひかなかったもんだ。 都内より半島のほうが寒いとは思わなかった、風はともかく、気温は都内よりも平均して2~3度は高いと思っていたのだけど、少し考えを改める必要があるかも。 品川駅からインターシティを通り職場に通っている。毎日、人ごみの中を歩いているのに、慣れるどころか、日に日に嫌になっている。せかせかと歩く姿を見ていると、それだけで心が深く沈んでいく思いがする。急いでいるのは別によいのだが、その所作が、とても余裕のない姿に見えて、こちらまで落ち着かなくなる。 涼しくなったら、インターシティを通らずに、別のルートを使用しようと考えていたのだが、そろそろそうしようか。人通りが少なくなるぶんだけ、もしかしたら今のルートより、所要時間は短くなるかもしれない。 先日、台風の準備を万端にしていたのに、結局来なかったために、ずいぶんとがっかりしたのだが、おかげで帰省するのに手間が省けた。帰省中に、ひとつふたつ、台風が来るかもしれない。手抜かりなくその対応をしていると思ってはいるのだが、やはり居ないだけに心配。 帰ってきたら、家が無かったなんてことだけは止してもらいたいのだが、木造だしねえ、雨漏りもするしねえ・・・。そして何より吹きっさらしの高台の上に在るというのが一番の心配のタネ、しかもすぐ横に切り立った崖がある。やだなあ、帰省するの止そうかなあ・・・。 と言ってもそうはいかないので、とにかく帰ってくる。きっとテレビで台風情報を見るたびにソワソワしているのでしょうけど、市川時代にはこのような心配をすることが無かったから、新鮮といえば新鮮。 |
1999年9月16日(木) |
関川サンて、ホンッまにオットコマエやな~。優勝しょうな~、ゼッタイにさ~。 それはさておき、自炊するのは今日が最後、明日はコンビニ弁当か何か。ゴミを出すのが嫌だから外食になるかもしれないが。最後ってわりには手を抜いたものになってしまって、ヤキソバ。具はタマネギとサヤエンドウのテンプラ。テンプラってねりもののヤツのほうね、ころもを付けて揚げたヤツじゃないです。 三浦海岸の京急ストアの営業時間内に帰ることができたから、これを手に入れることができた。せっかくだから、店内の寿司屋さんで盛り合わせを買って、アジフライも買った。お寿司、酢の具合が故郷と同じふうで、イナカってどこもこんな感じなのか、それとも海沿いだけなのか、よく解らない。アジフライともども、美味しくいただきました。 昨夜、ドラゴンズが不甲斐無さ過ぎて、ついつい飲みすぎてしまった。つか禁酒ってハナシはいったいどこに?。おかげで今日一日中ボサーっとしてた。仕事も一段落ついたし、明日もボンヤリと過ごしてしまうかも。帰省してからの予定はまだ立ててないけど、そのほうが良いかもしれない。どうせ雨がちの天候だろうし、行き当たりばったりのほうが面白いかもしれない。 ということで、早く明後日が来ないかなあ。 |
1999年9月15日(水) |
朝、荷物を送ってから、来週の天気予報を調べたのだが、軒並み、来週いっぱい傘のマーク。慌てて母上に連絡したところ、「そんなことないやろ、何ぼなんでも毎日雨ゆうことはないと思うで~」とのことだったので、ちょっと安心。ただ、明日、こちらに台風がくる。またもや母上曰く、「そっちに行く頃には、(熱帯)低気圧になってると思うから、たいしたことはないと思うで~」とのこと、すごく安心、大船に乗った気持ち。 上大岡に行き、用事を済ませ、歩き出す。風が強く、砂が目に入り込んだり剥き出しの足に当たったりで、どうにも歩きづらい。それでも磯子区と金沢区の境にある二本松トンネルにたどり着く。上大岡は港南区にあり、とりあえずの目標の朝比奈町は、金沢区にある。 二本松トンネルのある氷取沢町で神社の祭礼を行っていて、屋台も出ていたのだが、入って行きづらい雰囲気があった。朝比奈インターを右に眺めながら歩き、そして朝比奈峠への入口のたどり着いた。 そして、あっさりと登りきった。実は入口から峠まで、500メートルほどしかないのだが、前にこの峠道を歩いたときの印象が強かったために、ものすごくキツイ坂だと思い込んでいたらしい。実際には、十二所側から登ったほうが、坂道はキツイかもしれない。 明石橋から鎌倉逗子ハイランドに入ったのだが、見るべきところもなかった。森戸海岸まで出ようかと思ったが、ともかくも逗子駅で足を止めた。いろいろと思うところもあったが、帰ってきて「アジア海道物語」を見るうちに、忘れてしまった。 上大岡から逗子駅まで、3時間50分ほど。森戸海岸まで行っても、4時間30分ほどだと思える。予想していた時間よりもずいぶんと短かかったが、歩いた距離とコースは、なかなかのものだった。 その「アジア海道物語」、いまいち狙いがよくわからなかったのだが、まあまあ良かった。田中律子は「素潜りで30メートルは信じられない」といっていたが、素潜りの世界記録はその比ではない。つか、素潜り漁の世界では、あんなの常識的な深さ。 素潜り漁をやらない僕のようなものでも、普通に10メートル以上も潜れるし、そうして貝などを獲っていた。確かに、シロートさんの世界では信じられないようなことではあるのかもしれないけど、海で生きる人間、それも潜り漁師の間では、あんなの不思議でもなんでもない。 常識といえば、世界の海の男たち、それも漁労民の生活や風習は、どこも似たり寄ったり。今日の放送であった、クジラ漁をしている村も、その獲物の分配の仕方や、お祈りの仕方など、故郷の風習によく似ていた。 ちなみに我が氏神さまは女性神、船の船霊さまも女性、もちろん嫁さんも女性。てことで、海の男たちは、基本的に女性によって支配されているといっていい。だから、女性には優しい、少なくとも本物の海の男は。 最近は、放送中にもあったように、台湾船のような、バッタモンの連中が増えてて腹が立つ。金にさえなれば何をしてもいい、というのは、とてもじゃないが本物の海の男とは言えない。 クジラ漁の方法は、後期太地のようなシステマチックなものではなかったが、その原風景のものを見せてもらった。クジラに止めが刺されたとき、思わず「ごめんな~」って言ってしまったのだが、それが漁師の心の底辺に在るものであることは、まぎれもない。 |
1999年9月14日(火) |
帰ってから食事を終え、帰省の準備。明日、実家へ送る荷物をまとめる。そのダンボール箱の中身はといえば、ヘルメットに始まりGジャン、地図、デジカメ用品など遊びまわるためのものでいっぱい。あとは衣類と、忘れちゃいけないファンデーション(笑)。 今年の山中の道の状態は、相変わらず悪いそうだ、林道なんてちゃんと走れるかどうか。毎年、大雨で水害が起こるためなのだが、おかげで土建屋さんは食うに困らないらしい、つか、毎年のことなんだからもっと手際良くやれやって感じ。 工事現場は、おっちゃんとおばちゃんばかりだから、文句は言えないのだが、若い連中は道路の補修工事なんかやりたがらないのかな、その姿をほとんど見かけない。 そういった道ばかりを走り回っているものだから、朝、出かけるときには必ず行き先を言って出る。夕方、暗くなるまでに帰らなけりゃ探してねって意味なのだが、探したところで発見できるかどうかは、残念ながら、ワカラナイ。 帰っちまえば、朝は5時前に目覚め、実家横にある堤防に上がり、朝日と海を眺めながら天気を予想し、風呂に入り朝食を食べ、テレビの天気予報と自分の予想とを突き合わせ、走行ルートを決定し、7時頃に出かける。そして、夕方5時頃に帰宅し、風呂に入り夕食を取り、8時前には寝付く、といった夏休みの小学生のような(^^;)、規則正しい生活を繰り返す。 無理やり眠るのではなく、疲れきって自然に寝てしまう。一日中家にいるのは、一回の帰省につき、一日か二日くらい、それも雨の日。晴れている日はとにかく、バイクで走り回っている。そのせいか、四国東南部で走ったことのない道が少なくなってきた。今回の目玉は、東川千本谷林道なのだが、もしかしたら通行止めかもしれない。剣山スーパー林道の木沢~木頭間も走ってみたいが、こちらは燃料が不安、予備の燃料を積んでいかないと。 明日は上大岡まで行かなきゃならない用事があるので、先々週の計画どおり、上大岡~森戸海岸を歩きます。ただ、明日午後4時から気になる番組がある。日テレで放送される福岡放送の開局記念番組なのだが、「アジア海道物語」。う~ん、う~ん、う~ん。どおしよお~。夕日は諦めちゃうかも~。 |
1999年9月13日(月) |
昨日のココの作業と、今日の仕事での作業で、僕の脳はもはやパンク状態。重く沈んだ頭を抱え、勤務後に本八幡へ。一昨日の続きで、母上のパシリ。長崎屋へレピアスのファンデーションを買いに行く。 鏡・スポンジ付の1個と詰替え用の5個、あとスペアのスポンジ。締めて5,040円なり。こういったモノとは無縁の僕としてはこれが安いのか高いのか判断がつかないのだが、母上がこれがお気に入りだっつーのだからしょうがない、だって買って帰らないとメシ作ってもらえないかもしれないんだもん(^^;)。 週末に帰郷する予定なので、水曜日にでも宅急便で送っとこうっと。 ホームページ開設当初から、フレームだけは使わないでおこうとか考えていたのですが、使ってしまった。写真とかの見せ方で、思う通りのようにしたいとなると、使わないことにはどうしようもないという結論に達したからだが、内心ちょっと忸怩たる思い。ヒマなときにでも、もちっと考えを巡らせてみたい。 水曜日、山にも海にも行ってみたい。いっそのことだから、大楠山経由で秋谷海岸まで行ってみようか。足を伸ばして長者ヶ崎で夕日を眺めて、ずいぶんと欲張った計画だが、さて、どこまで行けるだろう。 |
1999年9月12日(日) |
夜半に起きだしてからあれやこれやとしていたら、5時になってしまった。せっかくだから、朝日を拝みに三浦海岸へ。コンビニでオニギリと鶏の唐揚と缶コーヒーを買い込み、坂を下りだす。白々と明けてきたころは、靄が立ち込めていて凄い湿気、履いていたズボンがべっとりとして重くなる。 空は曇っていて、どうなることかと思ったが、朝日を見ることはできた。朝日を受けながらオニギリをぱくつき、缶コーヒーにほっと一息。海岸には、北から南へ、等間隔に釣り人が並び立っている。僕に見える範囲内はずっとそうで、なかなかの壮観。朝マヅメを狙って来ているのだろうけど、ご苦労なこってと自分のことは棚に上げ、そう思う。僕以外にも朝日を見に来ている人がたくさんいて、物好きな人が多いものだなあって、これまた棚上げ。 帰ってから食事して洗濯して掃除して、ぼんやりと時間を過ごす。午後に入ってここの改装作業をはじめ、今に至る。 お昼は久し振りに焼きそばを作った。タマネギとソーセージしか入ってない質素なものだったが、抜群に美味かった。涼しくなってから強力な火力を要する料理が多くなった、暑い間に食べられなかったものを取り戻すかのように。でも・・・、やっぱ焼きそばなんて、暑いときにフウフウ言いながら食べるのが美味いんだよなあって、なんだか損した気分。 休日だってのに日中にはどこにも行けなかった、水曜日はどこに行こうかなあ。 |
1999年9月11日(土) |
再び、と言うか三度、我が家にデジカメが来た。それを記念して、油壺・諸磯へ。 午前中は買い物、京急百貨店にてデジカメ購入、またもキャノンのパワーショットA50。リュックも購入し、そのあとはファンデーション探し。「レヴィアスのUV-3を買ってきてね~」という母からの命令に逆らえず、いい年してパシリ状態。しかしこれがどこにもなく、それどころかレヴィアスの商品を扱っている店すらない。前回までは本八幡駅前にある長崎屋で購入していたのだが、ヘタすりゃあそこまで行かなければならないかも。 それにしても気恥ずかしい、化粧品売り場でうろうろする男の姿ほどみっともない物はないと実感。 いつものように引橋まで出て、油壺へ向かう道をとる。歩き慣れた道を自分のペースで。諸磯では雨が降り始めたが、バス停で雨宿りし、雨雲をやり過ごす。今日の諸磯、鳶を見ることはなかった。定置網(敷網?)の漁期らしく、堤防の上で網を干す作業をしている。釣り人の姿もまばらで、これはあまり天気が良くないせいか。 家に帰ってきてから、食事をとり仮眠するつもりで布団にもぐり込んだら、目が覚めたのは日付が変わってから。おかげで「街道をゆく」を見逃してしまった。明日はとりあえずの予定は無し、気が向いたら近所を散歩。 |
1999年9月9日(木) |
今週はわりかし早く帰れてる、いい傾向。おかげで毎日手料理が食べられてます、自分の(^^;)。つっても今週はずっとカレーライスがメイン、さすがにちょっと飽きてきてる。でも明日は飲みに行くのだ、だからいろんな料理を食べてこようと思ってます。 飲みに行くのに食べるもないものですけど。メンバーは前の現場の連中、ここ暫く、ロクなことがなかったので思いっきり発散できるといいにゃあ、あ、でも禁酒するってハナシは(゚▽゚;)。とりあえず気にしないことに決定(^^;)、ああ、でもハメはずし過ぎないようにしなくちゃな~。 ドラゴンズ、粘り強いです。さて、今夜もうっちゃれるかなー。 |
1999年9月8日(水) |
今夜もカレー。でも日曜日の作り置きじゃないよ、今夜また作りました。野菜を薄く切って、炒めずにグツグツと煮て、火が通ったらルーを入れ、シーチキン缶をぶち込んで、とろみがでたら出来上がり。煮込むときに水を少なめに入れるのがコツなり、30分とかからずに出来るにしちゃいい味してます。 ということで、明日もカレー。 |
1999年9月7日(火) |
僕の扱い、ついには保育園児並み、なんて書いたら保育園児に失礼かも。 こういったとき、周りに誰もいないってのは便利なもので、だれかれかまわずに当り散らしたりすることもなく、人目を気にせずに涙を流すこともできる。そのぶん寂しかったりもするのだが、家の周りでは森全体が鳴いているかのような錯覚に陥るほどの虫の音。 |
1999年9月6日(月) |
昨夜のNHKスペシャル「心の行・熊野奥駈け」を見ながら、「僕は一生こんなことはしないだろうなー」ってのんびりと思ってたのですが、よく考えてみりゃ普段からあれくらいの歩きはやってるよなーって気付いて愕然。しかもイナカに帰るたびにあんな山奥を原チャリで走り回ってたりもする、むむ~、僕って普段から修行僧のような生活を送っていたのかー、スゲー。 しかし、やぱしアレはしそうにも無いな、大体が高所恐怖症だし。そのわりには高いところは好きなんだよなー、つことはアレですか、やぱし煙と何とやらは高いところが好きってヤツですか。思わず納得してしまう自分が悲しいにゃー、今夜もニャンコが鳴いている。 昨日は昼寝もしたし、夜も早く寝たのに、今日は一日中眠かった。月曜日は毎週こんな感じなんだけど、疲れがたまってきてんのかなーとか。先月から世間一般的にはともかく、僕的にはずいぶんと働いてたもんなー、あくまでも僕的にはだけど。だからこんなにも続けて落し物をしちゃったりしたのか、どうなのか。 来週末にはイナカに帰る、海でも見てのんびりと過ごそうか。もう夏は終わりだけど、徳島のサーフィンはこれからが本番、てことでリンク。宍喰は地元、というかココに掲載されている全ての海岸に原チャリで30分以内に行くことができます。でも僕はやらんのなー、もっぱら釣り専門、考えてみりゃもったいないハナシ。 |
1999年9月5日(日) |
目覚めたときの日差しがとても暑かったので、今日はどれほどの気温になるかと思ったのだが、一日を通して涼しかった。昼近くになって近所の生鮮市場へ買い物に行った、これほどの気温なら煮物を作っても暑くはならないだろうと考え、久し振りにカレーを作ることにした。 ジャガイモ一袋(10個入り)とニンジン三本、タマネギ一袋(7個入り)、豚肉、そしてカレールゥと福神漬けを買って、締めて税込み1,155円。やはり生鮮食品の物価は安い、これで今週いっぱい食い繋ぐことができる。行き帰りとも海を眺めながら、畑や森の向こうに見える海は淡い水色。 一時間ほどでカレーは完成、速成のためにあまり味は沁み込んではいないが、ジャガイモの甘さがなんとも言えなかった。ビールを飲みながら食べたために食後は睡魔が、夕方まで昼寝していたにも関わらず、今もものすごく眠い。 タバコを買いにコンビニまで行った帰り、西の空は夕日を映した雲と、その雲の陰の部分が、淡いオレンジ色と灰色を織り交ぜ、美しかった。ぽつりぽつりと街灯がともりだした道をとぼとぼと歩いていると、秋を肌で感じる。 明日からまた仕事。 |
1999年9月4日(土) |
行けなかった(;_;)。 雨が降るとふんだのだが、結局は日中に降りだすことは無かった。ずっと曇ってたものだから洗濯物の乾きも悪いし、涼しいのはいいんだけど、かなりツマラナイ一日。午後はまるまるゲームに費やした、久し振りに時間を気にせずにプレイすることができたのだけど、やっぱりお外で遊びた~い、って小学生のようなことをぬかしていたのでした。 起きたのが遅かったので、洗濯物を干したらすぐに家を出て三浦海岸へ。今日はいつものクリーニング屋さんの開店が遅く、近くにある別のクリーニング屋さんに衣類を預け、京急線に乗って上大岡へ。京急百貨店の九階に入っている本屋さんで欲しい本を探したのだが発見できず、つかエッチ本は置かないみたい。コミッカーズのバックナンバー全てと後藤圭二さんの画集があったので欲しくなったが、とにかく今回は我慢。 コンピュータ関連の本を見てたら、さすがにココには数種類のCOBOLやFORTRANのテキストがあった。その中の二冊、COBOL、FORTRANのテキストに何か見覚えがあるなーと思ってたら、なんと僕が専門学校時代に使用していたテキストだった。まだ出版され続けてるってことは、もしかしてこのテキストを、全国の専門学校(に限らないが)は使用してるってことなのか。中を見て感じたのは、やっぱこんなの実践じゃ何の役にも立たないぞということ、そろそろ誰か、新たに作り出してくれないかな~、とは思うが、需要を考えるとやはり疑問か。 久里浜まで戻り、ウイング五階の本屋さんで物色、「カラフルピュアガール」の10月号と、「少年エース」の10月号を購入。「萬福星」も欲しいのだが、置いてない。実際のところ、今日は萬福星とテックジャイアンを探しに来たのだが、どこにも置いてない。三浦海岸の本屋さんにも無かった。 久里浜駅前の百円ショップでタッパーと巾着と小物入れを買い、帰宅した。途中コンビニで買い物し、懲りずにマルちゃんの「徳島ラーメン」を購入、これまたイマイチ。カップラーメンに徳島ラーメンを再現させようなんて企画自体がそもそもイカンのだって考えもするのだが、どうか。 もし夕焼けがあるようなら、三戸海岸か黒崎の鼻へ駆けて行こうと考えてたのだが、その様子もなし。とにかく灰色の雲に覆われた空を眺めて、一日を過ごした。たまにゃこんな一日もいいかなー、なんて考えはまったく出なかった。 最近のにゃんこ、メシ時になると我が家の軒下で鳴きやがる、僕をじっと見つめたまま(゚▽゚;)。そ、そのカワイイ泣き声やつぶらな瞳や仕種にゃ負けないぞ~、って耐えに耐えるのですが、そのうち負けてしまいそう。つか、飼い主はなにやっとるんだ、メシくらいちゃんとあげろよ~。そのツケが僕のところに回ってくるんだからさ~、飼い主への仁義として、僕は餌をあげられないんだからさ~。 そのうち、ふらふらと台所に行って御飯に味噌汁をぶっ掛けて出してしまいそうで怖い、つか最近の猫はニャンコマンマを食べるのか、謎だニャア。 |
1999年9月3日(金) |
昨日の朝、四時に目が覚めたとき、東の空がオレンジ色に染まっていた。とびっきりの濃厚なヤツで、こんな色の空は数年に一度見られりゃいいほうだよなー、って考えながらトイレに行ってきて、再び空を眺めるともう色褪せていた。ほんの数分、いや、一分も経たないようなそんな短い時間で、物の姿ってのは変わっちまうんだねえ。 朝焼けも夕焼けも、僕は好きなのだが、最近はあまり見ていない。せめて休日くらいは、と考えたので、明日は森戸海岸まで歩いていってみようと計画しています。問題はどこから歩き始めるかってことなんだけど、さてどうしよう。 朝のうちにクリーニング屋さんに行って、上大岡の本屋さんに行って、上大岡駅前から歩き出そうか。となるとまずは、横浜伊勢原線を南下して、宮ヶ谷の交差点で右折して、朝比奈インターのトコで金沢鎌倉線に乗り換えるといったルートが良いか。んでもって明石橋交差点で左折して、鎌倉逗子ハイランドを突っ切って鎌倉葉山線に出て、国道134号を経由して森戸海岸線に合流すれば、森戸海岸はすぐそこ。 あ、てことはあの朝比奈峠をまた登ることになるのか。前回は鎌倉の十二所側から登ったけど、今度は金沢の朝比奈側から、こちらのほうが登りがキツイんだよにゃあ。しかも人が歩くような道にできてない、歩道どころか、路側帯すらほとんど取られてない、道自体が細いものだから、仕方も無いんだけどね。でも交通量は多い、近くにインターがあるからなのだが、歩いてて怖いのだ、すんごく。そんなところを歩いてるヤツも悪いと言っちゃあ悪いんだけどね(^^;)。 じゃあ明日はこのルートで行ってみますか、推定所要時間は五時間前後ってところか。 こうしてまあ、三浦半島ってところはいとも簡単に東西、南北を横断、縦断することができるのだ。遊び歩くのにはちょうどいい広さと言える、少なくとも僕にとっては。カメラが無いのはちょっと寂しいけど、張り切って行ってきます。 |
1999年9月2日(木) |
COBOLって、なあにぃ~?(゚▽゚;)。って本気で考え悩んだアンニュイな午後、バカ丸出し(^^;)。悩みこんでいてもしかたないってんで、勤務時間内にもかかわらず本屋さんにすっ飛んでいって、COBOL関連の本を物色したのだが、やぱし無い、アタリマエ。 情報処理2種関連のはあるんだけど、プロが使うような解説書はない、困ったものじゃ。それでも一冊だけなんとか使えそうなのがあったのでそれを購入、税込み2,100円なり。しかし、すげえ頼りなさげな内容の本なので、いったいいつ書かれたものなのか巻末を見てみると、なんと’94年もの(゚▽゚;)。かーっ、どうすんだ、そんなの。 最近の本屋さん、コンピュータ関連の本は、ほとんどがLinux。その他は、ポチポチと。Delphiの解説書も数冊あったな、LinuxもDelphiもやってはみたいんだけど、他にやることはいっぱいあるしねえ。ま、手始めにCOBOLの比較演算子の種類やPERFORM、EVALUATE文の文法から憶えますか(゚▽゚;)。とてもプロとは思えないようなことを言ってるにゃあ、でも解らんものは解らんのだ。って開き直ってどうする、基礎の基礎からやり直し~(--;)。 こんなヤツでもプロとしてやってけてるのだ、そこのキミ、悲観することは無いですぞ。今すぐにでもこの世界に、ダイブ・ダイブ・ダイブ! 昔使ってた解説書は、人にあげてしまってもう無い。あの本は良かったのだが、どこかで売ってないかなあ、もっとも2冊セットで1万円以上もするので、現在の貧乏生活ではとても買えそうに無いけど。プロはツールにもこだわるものだが、最近(って昔からのような気もするが)の汎用機用の言語の本って、本当に見なくなったなあ。 それでもCOBOLやFORTRANなんてマシなほうで、RPGやPL/Ⅰ関連の本なんてのは一度として見たことがない。今でも大学や専門学校ではこれらの言語を教えているのだろうか、もし教えているのであればムダだから止しなさいって心から忠告したいような気分。まあ何でも経験しておくことは良いことなんだけどね。 使い覚えたと思っている言語でも、数年使っていなければ、相当なレベルまで忘れてしまうといった良い例(か?)。だからたまには思い出してやることも必要、てことでペーパードライバー歴も長くなってしまったので、今回の帰省ではバイクよりも車により多く乗ってみようと考えています。ペーパー歴も2年ともなれば、立派なものだしね。 |
1999年9月1日(水) |
先月上旬に何もかもを詰め込んだリュックを落としてしまったのは、もう遠い思い出。昨夜、またしても置き忘れてしまった、リュック。買ったばかりのデジカメも一緒に、かは~、こりゃもうどうしようもないね。 あ、でもカードやら社員証やらは身につけていたために無事。リュックとデジカメ、そして現場の入館証だけを無くした。一応、JRと京浜急行には届け出てあるので、発見されれば戻ってくるはず。しかし、今日は連絡がなかった。戻ってくる場合、そのほとんどが翌日に連絡があるので、もう諦めちゃってるけど、やぱし月二回の落とし物ってのはちょいと異常だ。てことで、サケダチ。 で、今日で一周年、ココのことですが。なんか、すんごくなさけないリスタートになちゃったけど、こんごともヨロシク。あと何かやろうとか、そういった気持ちにはなれそうもないので、何にもやりません。ギャラリーの改装でもとか考えていたのですけど、デジカメが悲惨なことになっちゃってるので気力は萎えちゃってます。ダラシナイ。 それにしても、つくづくと思うのだが飽きっぽい僕がよくもまあ、ダラダラとはいえ一年も続けられたものだと。こうなりゃ一人でもお客さんがいる限りは続けていこうなんて考えてたりするのですが、あまりのミットモナサに愛想つかされてしまいそうで怖い(^^;)。 さて、それでは膝を抱えて眠りにつきますか。昨夜はあまりのことにほとんど眠ってない、眠くてミットモナクて、今日も一日中泣きたい気持ちだった。口を突いて出るのは溜息ばかり。グチバッカリデスミマセン。 |
1999年8月30日(月) |
17時頃になるとソワソワ、今日はドラゴンズ対ジャイアンツの試合があるのだ、見るのだ、仕事なんてしている場合じゃないのだー!(゚▽゚;)。てなわけで帰ってきて見ているわけだが、しっかりと負けている。面白くないから酒を飲みだし、もはやへべれけ~。 こうなりゃ全力で燃えよドラゴンズをがなりあげて応援するほかないのだが、今年も山本正行さん、いい味だしてるぜ~。燃えよ~、ド~ラゴ~ンズ!。ああ、取り乱し始めている、意味もよく解らにゃい~。もはや限界、あとは酔いつぶれるだけ~。 ま、勝ち数も負け数も断然こちらが有利だから、心配はしてないんだけどね~。 もう現在の職場に移ってから一ヶ月が経つんだねえ、やけに短く感じるのは、それなりに充実しているせいか。あとは、もうちょっと早く帰れて、メシの盛りさえよけりゃ、言うことないんだけどねえ。って、ちょっとクドイか(^^;)。 |
1999年8月29日(日) |
三崎口駅前まで郵便物を出しに行ったついでに、雑貨屋さんで買い物。ヒノキのすのことカビキラー、ゴキブリキャッチャーを買ってきた。最近、風呂場の排水が良くないものだから、カビは生えるしヌメヌメするしで、とにかくテッテテキに掃除することを決意。 で、排水口を開けて見たら、髪の毛がウジャ。原因はこれだったのだが、いくらなんでも引っ越し後一ヶ月でこれほどの抜け毛があるとは思えない、てことは・・・。もしかして、前居住者の抜け毛も混じっているのか、と考えたら、ウゲーってなった。そりゃそうだ。 気合いを入れなおして毛を全て取り除き、カビキラーをふりかけ、たわしでゴシゴシ。すっかり綺麗になり、排水も良くなって満足満足。でも、やぱし少し気持ち悪い。「万物創世記」を見て、カキ氷を食べ、扇風機をつけて昼寝。 夕方に起きだして、三浦海岸まで買い物。京急ストアで夕食のオカズを買い、百円ショップでソフトキャリアケースとスヌーピーの巾着を買った。これはデジカメを入れるためのもの。CDショップにも立ち寄ったのだが欲しいものがなかったためになにも買わなかった。本屋さんには寄らず。 帰る途中ビールを数本買い、両手は荷物でいっぱい。てくてくと歩いてても、それほど暑いとは感じないほどの気温。9時から15時までの間はまだまだ暑いけど、それ以外の時間は本当に涼しくなった。家に帰ってからタバコが切れかけているのを思い出し、コンビにまでまた買い物に。 そういや、朝、買い物に行くのに財布を家に忘れているのを思い出して急いで引き返してきた。雑貨屋さんに着いてから気付いたのじゃなくて良かった~、ってそのときは思ったのだけど、どうも最近すっかりボケているみたいで、ちょっとヤになる。ま、ベツにええねんけどね。 辰吉くんのガッツを存分に堪能した。同い年で港町出身てだけのことで、ボクシングがあまり好きでないのだが、応援していた。港町特有のルールに縛られ、ワルイヒトになりきれず、敢然と掟破りをするあのアンちゃんが好きなのだが、今後はどうするつもりなんだろう。 どういった人間でも無茶していいのは30歳までだと僕は考えているのだが、彼ももしかしたらそういった考えがあったのかもしれない。すばらしい負けっぷりだった、試合後に負けず嫌いみたいな発言をしていたが、やっぱテレ隠しだよにゃあ、アレって。まだまだ引退しないって雰囲気もあったけど、はてさて。 試合中に僕が考えていたことはといえば、「思う存分、死なない程度に戦って、とっとと帰ってきなさい」ってなものだった。どうにもヤンチャな同級生を見守っているようで、わりかし穏やか~な気持ちで観戦していた。いっこ先輩(生年は同じ)の川島くんもとっくに引退したことだし、心残りは間違いなくあるだろうけど、「そろそろ、ええんちゃうか~」と思う次第。 最近、言葉使いもすっかり雑になってる、これも夏のせい?。 |
1999年8月28日(土) |
洗濯を済ませ、ゆっくりと食事をとってから出発。まずは海岸を目指す、三浦海岸の南の外れ、川向へ。ここへは自宅前の道をまっすぐに歩いていけばたどり着くことができる、はずだったのだが、永楽時のある交差点を右に入ってしまい、国道134号の方面へ行ってしまった。途中で気が付いて引き返し、今度は間違いなく川向へ。 海岸沿いを南へ。今日は曇天で、海も空の色を映し、灰色。金田の海岸でしばらく波の音を聞いた後、再び南へ向かって。今日は曇っているせいか、海水浴に来ている人が少ない。おかげでゆっくりと道路を歩くことができる。沖合いには釣り舟がたくさん出ていて、この時期このあたりでは何が獲れるのかは知らないが、これだけたくさんの船が出ているのならばきっと豊漁なのだろう。 漁港を過ぎてから勝谷原までは上り坂、三菱のガソリンスタンド横で間口湾へと進路を変える。間口には山百合の自生地があるのだが、僕はまだ見たことがない。そして、剣崎灯台へ。どうしても足が向いてしまう、この付近を通るとき、今日は寄る予定じゃないって場合でも。 沖合いに浮かぶ船の群れをひとしきり眺めた後、江奈湾を目指す。剣崎の下、磯伝いに行くことのできるハイキングコースがあるそうだが、今日は止めておくことに。いつものように剣崎バス停近くの交差点へ出て、坂を下りていく。江奈湾は今日も、潮干狩りで賑わっていて、そして入江の湿地にはバードウオッチングの人たち。 そういえば、この剣崎は「つるぎさき」だが、付近の小学校や幼稚園は「けんざきしょうがっこう」であり、「けんざきようちえん」であったりする。国土地理院は、土地の名称を変えることができても、地名変更以前の建物などの名前を変更することはできないのだなー、って当たり前のことだけど、妙に感心。ただ、「けんざきとうだい」であるかどうかは、知らない。 岩堂山へは向かわずに、毘沙門湾へ向かう。ここには児童公園があり、夏の散歩の折には、この公園の水道で顔を洗い汗を拭うのがひとつの楽しみになっている。蛇口をひねれば、いつでも冷たい水が出る、炎天下の下、これ以上の喜びはない。 宮川町へ入れば、三崎港はすぐそこ。向ヶ崎町、諏訪町を経て、三崎へ。今日は最終土曜日なので、夕市が開かれる日、商店街には大漁旗が翻っている。このまま西海岸を歩き、引橋へ出て家へ帰ろうかとも思ったのだが、三崎東岡からバスに乗った。 今日は午前中だけ歩いたのだが、暑いうちはそうしようかと。午後になるとどうしても気温が上がるし、いくら好きでも暑い中を歩くのは、はっきり言って苦痛だ。8時から12時まで、4時間ほど歩いた、散歩としては充分すぎるほどの時間と距離。 明日は買い物。あと、昼寝もしたいなあ。 |
1999年8月27日(金) |
遠い遠いと思い込んでいるものだから、5時前に起きだして、とっととお出かけ。二俣川の運転免許試験場に着いたのが、7時30分。受付開始よりも1時間も早く着いてしまった。で、ぼさーっと周囲を観察。そして気付いたこと、おっちょこちょいってのは世の中には多いものらしい、再交付を受ける人が僕のほかに10数人もいた。ちょっとだけ気分が落ち着く。 免許証を貰えたのは10時、意外と早かった。横浜駅で帰省のための航空機チケットを購入し、そして上大岡にある京急百貨店へ。この中に入っているヨドバシカメラで、デジカメを買うために。 買った。今まで使っていたキャノンのパワーショットA5の後継機、というかグレードアップ版、パワーショットA50。2月から使っていたA5(ZOOM)は80万画素だったのが、A50では130万画素に。ズームレンズに変更はなく、いろいろと変更点はあるはずなのだが、いまいちよく解らない。 手にとった感触は良く、ただA5よりもちょっと重いか。やはり使い慣れたものが良く、こいつのクセはよく掴んでいるつもり。こういったもののクセってのは、いかに世代を重ねても、必ずといっていいほど継承されていく、良いところも悪いところも。 今まで使っていた周辺機器もそのまま使えるし、初期コストも安上がり。早いとこ200万画素クラスの後継機を出していただきたいところ、ただし現在はビンボだから来年の夏あたりに。 明日はコイツを持って三浦市の海岸部を歩く。 |
1999年8月26日(木) |
帰り道に前の現場で一緒だった人たちと会った。偶然だったのだが、相変わらずヒマだそうな。ああ、代わってもらいたいようと考えつつ駅までお喋り。 今日の朝、危うく乗り過ごしかけた。品川駅で慌てて降りたのだが、疲れてるんだねえ、ぐっすりと寝ていた。明日から3連休だから、ゆっくり休もうかとも考えるのだが、いろいろとしなきゃならないこともある。明日は二俣川まで運転免許証の再交付を受けに行く。帰りにはどこかで昼寝でもしてこようか。 土曜日は久し振りに三浦市一周でもしてみようかと考えています。もちろん歩いて。そのぶん日曜日にはしっかりと休もう、とか思いつつもついつい遊びに行っちゃうんだよなあ。 さて、もう寝ますかね。それにしても戦艦大和、ことの是非善悪を除けば、本当にいい船だねえ、惚れ惚れしてしまいます。 |
1999年8月25日(水) |
湘南湖って(゚▽゚;)。 今日も今日とて、メシの盛りの悪い食堂に腹を立ててみたり。なんであんなに盛りが悪いのか、周りをよくよく観察してみると、その盛りの悪いメシを食べ残しているやつらがいる。女性に多いのだが、そんなに残すくらいなら、ここでメシを食う必要なんてないじゃんって心の中で絶叫。 昨日の雷雨の中、たらたらと歩いていたやつらと同様、こいつらって飢えたこととか、メシを腹いっぱい食わなきゃ働けない職業に就いたりだとか、自然の脅威とかを体験したことってないんだろうなあ。それはそれで結構なことなのだが、そういった人たちって総体的に動きがのっそりしていて、どうにも競争ってものをして生きてこないと人間ってのはダラシナイ。 いい年してちゃんとメシを食えないわ、マナーは悪いわってやつをよく見るのだけど、見るたびに腹が立ってくる、あらゆる動作に対して突っ込みたくなるのだ。肘を突くな、張るな、握り箸するな、迷い箸するな、メシ食いながらしゃべってんじゃねえ~って。 いったいどういった躾がなされてきたのやら。うちの母上が見たら、そういったやつらは全員打っ飛ばされることだろう。 そういったわけで(何がだ)、どうやら、どうせ残飯になるくらいなら最初っから盛りを少なくしてしまえ、といったことらしい。大盛りって言っても普通盛りくらいにしかしてくれないし、今後社食で食べつづけるかどうか、大いに悩むところです。 それにしても現在、日本の食糧自給率って、40%くらいじゃなかったっけ。べつに必死こいてダイエットしなくても、食糧の輸入ができなくなったら飢えて痩せるほかないのだから、無理するこたないのにねえ(^^;)。経済封鎖なんか受けたらイチコロだな、日本って・・・、なんだかナサケナイ。 僕が引っ越してからこっち、三浦にはまだ台風が来ていない。もし来ようものなら、朝早くから城ヶ島へ行って、台風中継のむこうっかわで波にさらわれてみたいなどと馬鹿なことを考えていたりするのですが、まだまだそういった機会には恵まれそうもない。 かつて僕は一度波にさらわれたことがあるのですが、そりゃもう、愉快な体験でしたよ。頭の中が真っ白になって、我に返ると同時にジタバタすんのな。それを見ていた連中には思いっきりゲラゲラ笑われたんだけど、見てないで助けろよって、思いつつも苦笑いするほかなくて、みっともないったらありゃしなかったっす。 |
1999年8月24日(火) |
稲光、びかびか。雷鳴、がらがら。突然の雷雨に肝をつぶし、とにかく帰ることに決定!、てなワケで帰ってまいりました。つってもいつもと同じ、20時17分の特快ですが。 ビルを出たときには凄い雨で、こりゃ三浦のほうはどうなっているだろうと思っていたら、上大岡付近では雨は上がっていた。というか、こちらは雨が降っていなかったみたい。 僕はカミナリが嫌い。田舎者だから、カミナリがどれだけの威力を持っているのかっていうのを、身をもって知っているから。いろんなカミナリを見てきたが、今でも鮮明に憶えているのは、20年程前、高知県の生見海岸に落ちたカミナリ。 この海岸はサーファーの間では有名なところで、その落雷事故に遭ったのもサーファー。朝早く、6~7人で海上に出ていたところ、その人たちがまとめて落雷に遭い、そして全員が命を落とした。 僕は、この落雷を、同じ海上で見た。祖父といっしょに釣りに行っていて、ちょうど落雷があったとき、生見海岸のほうを見ていた。そのときは、海上に落ちたのはわかったのだが、その下に人がいたとは思ってもみなくて、家に帰ってからそれを聞いたときはショックだった。 「カミナリがまともに当たったら、人間なんか簡単に死んでしまうんや~」って実感として感じたのはそのときが初めてで、それ以来、カミナリというものがダメになってしまった。 びかびかと光る稲妻を見るたびにそのときのことが思い出されて、怖い思いをする。強い雨の中で、傘を閉じてしまうほど。 |
1999年8月23日(月) |
本当に涼しくなってきました、夜明け頃には肌寒いほど。おかげで夜はぐっすりと眠れます、睡眠時間が短いことを除いては、快適この上ない日々。朝の通勤時間も夏真っ盛りのときとは違い、それほど汗をかくこともなく坂道を登れるようになってます、朝日は相変わらずキツイですけどね。 なにごともない一日。仕事して帰ってきてメシを食って、あとは寝るだけ。 んん、ほんとに何にも思い浮かばない。てなわけで、寝ます。 |
1999年8月22日(日) |
午後から見たい番組があるので、出かけるかどうか悩んだが、小一時間ほど家の近所の寺社を巡ることに。一寺一社、妙音寺と飯森神社。家からわずかな距離にあるので、行き帰りともゆったりと歩こうと考えていた。 坂道を下る、両側が雑木林のようになっていて涼しい。途中に在るお地蔵さんの祠に花などを活けているところを見ると、これから向かう寺社に対して期待が膨らむ。どのような建物で、どのように扱われているのか。 坂を下りきって左に曲がるとすぐそこに飯森神社への入口がある。参道に入って驚いた、道が落ち葉に埋もれていて、クモの巣も張り放題。それでも階段を上っていったのだが、結局途中で引き返した。この神社はそれほど大事に扱われていないのか、とにかく荒れている。 気を取り直して妙音寺へと向かったが、ここも、どうにも商売商売している。真言宗の寺で、三浦の御大師さんと呼ばれているらしいが、好きになれそうもない。とりあえず賽銭を投げ込み拝んできたが、気持ちは萎えてしまっている。 カミサンやホトケサンを信じない僕でも、寺社は大事にする。参道が汚れていれば掃除もするし、建物内を拭いたりもする。どのような神仏にもいわれがあり、その格によって差別したりもしない。 寺社を大事に思わないというのは、その信仰に関わりなく、心の底が窺い知れるようで寂しくなる。 見たかった番組はNHKのさだまさしコンサート。毎年、長崎の稲佐山野外ホールで行われているもの。長崎も不運としか言いようがないが、そもそもの戦争を思い返し反省するほかない。 たしかに人道上許されないことではあるが、戦争が行われていて、広い意味で戦場にいる以上、何をされても文句は言えないとも言えなくはない。それが嫌なら、そういったことをされる危険性があるものを遠ざけるほかはない。 非戦闘員である人間を攻撃するのは許されない行為だとも言うが、しかし戦闘員を生み出す生地が非戦闘員の社会であることを考えると、やはり形はどうあれ戦場であるのには変わりない。軍需工場は武器を生産することによって攻撃対象になるが、戦闘員を生み出す都市も攻撃対象になるのは、あたりまえとも言える。 窓から見える夕暮れの風景が好きで、音を出すものを全てシャットアウトして眺めています。ありきたりなことを好きでいられて、なにも心配することなくそれを楽しんでいられるのは、とても幸せなことだ。 日本人ってヤツは明治の軍事力、’80年代の経済力、ここ最近の情報力と、持ち慣れないチカラを持つと、ロクでもないことしかしてこなかった。どうしてこのような見当違いなことしかできないのか不思議なのだが、やはりここに日本人ってヤツの根本的な病理が潜んでいるような気がする。 この先、幾度の過ちを犯せばそれを改善しようと思う心が芽生えるのかは知らないが、願わくばそれまでに日本の国が滅びていないことを願うのみである。 |
1999年8月21日(土) |
このところ雨に対する警戒心が薄くなっていて、降りそうな雰囲気のときでも、「まあ、帰ってくるまでは降らないんじゃないの」と、洗濯物を干しっぱなしにして外出し、そして思いっきり後悔するといったことが増えています。今日も今日とて。 三崎警察署に向かう途中、空を見上げれば雨雲が浮いているし、引橋のあたりで森の向こうに見える海の色は形容しがたいもので、こりゃあ絶対降るなと思いつつも、引き返すことなく警察署に向かった。結局、警察署付近まで来たときに降りだした。 運転免許証の再交付を申し込みに行ったのだが、「それは行政の仕事だから二俣川の運転免許試験場に行って」と言われ、すごすごと引き返す。27日に休暇を取ってあるから、その日に二俣川まで行ってきます。警察署で申し込むことは可能らしいのだが、それでは日数がかかりすぎるそうな。試験場だと朝イチに行けばお昼までには交付されるらしい。 二俣川といえば、どうしても畠山重忠のことが思い出される。せっかく二俣川まで行くのだから古戦場の跡などを見てみたいものだが、その所在がわからない。付近に万騎が原という地名があるから、もしかしたらそのあたりかもしれない。 重忠最後のとき、率いていた軍勢はわずか百三十数騎だったそうだが、それに対して、もしその地名どおり討手側が一万騎もいたのだとしたら、北条氏もずいぶんなことをしたものだ。頼朝挙兵以来、その配下として働き続けた三浦義明の血筋の中の者で、名の知られた武士の最初の犠牲者なのだが、この後、佐原十郎義連をのぞく全ての義明殿の血脈は、北条氏によって滅ぼされてしまう。 義明殿の子や孫はずいぶんな才覚に恵まれているが(重忠は義明殿の外孫にあたる)、義明殿自身はどう見ても、そのへんにいる漁師の爺さんにしか見えない。彼の最後の地である衣笠城へと至る道を歩いたことがあるのだが、彼を討った重忠のそのときの思いや、孫に討たれる身の自身を義明殿がどう考えたのかは、窺い知ることはできない。 いったん家に帰ったが、空は雨雲が薄れ、青空がのぞいている。再び家を出て、三浦海岸を目指す。途中、郵便局に立ち寄り郵便物を受け取り、三浦海岸駅前の書店「はまゆう」へ。欲しい本が置いていなかったため、そのまま海岸通を歩き、野比駅前の書店「平坂書房」まで行った。が、やはりここにも置いていない。 街道をゆくの「信州佐久平みち、潟のみちほか」、「島原・天草の諸道」を購入し、京急ストアで水を買い、野比海岸へ。シートを敷き本を読み始めたのだが、ほとんど読むことなく寝てしまった。波の音、空の青さ。それだけでここまで歩いてきた甲斐がある。 帰り道は、電車。三浦海岸で降りて、クリーニングに出しておいたものを受け取り、バスに乗る。駅前には、今日はどこかで祭りがあるらしく、ハッピ姿の兄さんたちがいた。帰ってから調べてみたら、諏訪神社の祭礼らしい。なぜかジャズバンドも来ていて、しばらく聞いていたかったのだが、ついバスに乗ってしまった。 シャワーを浴びて砂を洗い落とし、水をいっぱい飲むと、朝に比べてずいぶんと疲れが取れていることに気づいた。外出し、歩き回って、そして疲れが取れるというのも変な話だが、やはり、しょっぱい空気や波の音が僕の体には適っているみたい。 海に浸かり、波に揺られると、夜にはそのリズムがよみがえり、体が律動することがある。結局は、そのような体質らしい。 |
1999年8月20日(金) |
ご飯を食べ、メールのチェックをし、そして一服。早く帰るのって、やぱし良いなあ。心に余裕が感じられます、どうもここのところ、余裕の無い生活をおくっていたものだから、なおさらそう感じる。 しかしながら、今日は別に早く帰りたくはなかったのだ。仕事に行き詰まりを感じてしまったからなのだ。どうにもこう、早く帰りたいときにはすべてが段取り良くいくものだから、ついつい居残ってしまうのに、もう少し仕事を片付けていきたいと思うときにかぎって、その思いが空回りしてしまう。 今日もそんな感じで、だから早目に切り上げて帰ってきてしまった。金曜日だというのに同僚の皆さんは、今夜も22時くらいまで働いているかと思うと、ちょっと後ろめたい気もするけど、うまくいかないときは何をやってもだめだと思い込んでいるものだから、それはそれで仕方ないのだ。って、何が仕方ないんだか。 毎夜毎夜、22時くらいまで居残っているらしい。皆さんは。とても信じられない世界だが、僕もその中にいるんだなあ、これが。同じ日にこの現場に参入した人は、二人ともお昼休みにまで働いている、食事の時間を惜しんで。それを遠くで見守りながら、大変だねえと思いつつも、知らぬ顔で本を読んでいる僕。 同期なんだから少しは手伝ってやれよとか自分に突っ込んだりもするのだが、どうにもその気になれない。やはりそれはそれで仕方ないのだ、冷たいようだけど。仕事っつーのはそうやって苦労しないとおぼえないもん何じゃーい、って心を鬼にしてみたい。でも、二人ともどう見たって僕よりキャリアは長そうなんだけどなー。 朝の楽しみ、電車(京浜急行)の運転手さんの観察。いろんな人がいて面白い。早く来て運転席でチェックをしている人、ホームで体操をしている人、発車時間ぎりぎりに来て、電車に乗り込むと同時に発進してしまう人。ほんとにいろんなタイプの人がいる。 おかげでぜんぜん退屈しないですむ。発車して三浦海岸の付近で海を見て、そして就寝。あとは品川駅まで、ぐっすりと。朝の海もいろんな顔があって、今日はきらきらと光り輝いた海。 明日は警察と郵便局に行ってから、野比海岸を目指します。途中本屋さんを巡りながら。寺社を訪ねるのは日曜日。ずっと歩き詰めになりそうだけど、久し振りに広範囲を歩けそうなので、かなり楽しみ。それにしても僕、いったいいつ休む気なんだろう。平日よりも休日のほうが、活動時間が長いんだもんねえ。てなわけで、倒れるときは前のめりだ!(゚▽゚;)。 |
1999年8月19日(木) |
ぱちぱち・かきかき・ぬりぬり。ああ、仕事ってスバラシイ!(゚▽゚;)。 なかばヤケ気味。今月いっぱいは不慣れなこともあり、とにかく時間は気にせずに仕事に励もうかと考えていたのですが、どうやら見方が甘かったらしい。この現場にいる限りは今のような生活をしなければならない見通し、ぐはー(--;)。 愚痴は言うまい。 帰り道、夜風が涼しかった。ここ数日というもの、就寝する時間にはずいぶんと涼しくなっていたのですが、夕方、といっても22時近いのですが、めっきりと秋というものを意識するような気候になってきました。この時期は気をつけないと、寝冷えなどして「ポンポン痛い~」などと、のたまう羽目になってしまいます。 秋といえば秋刀魚、毎年、日本シリーズの初戦は川口の寿司屋さんで観戦するというのが恒例になっています。そのころには秋刀魚が寿司のネタとして登場していて、この寿司屋さんの秋刀魚の寿司を食べるのが、僕にとっては何よりの楽しみとなっています。 でも・・・、今年は大丈夫かなあ。くそう、こうなりゃ休暇を取って行ってやる~!。って本当にヤケになってどうする(^^;)。 |
1999年8月18日(水) |
ああ、さっさと運転免許証の再交付を受けなくては。とか考えつつも一日伸ばしにしています、バイクだってぜんぜん乗れないし、つか引っ越してからこっち一度も乗ってない。 ナンバープレートは貰ってきてはあるものの、まだ取り付けてない。それどころかガソリンが一滴も入っていない、これは引っ越しのときにタンクを空にする必要があったからなんだけど、ガソリンを買いに行くのが面倒くさくって(^^;)。 三崎口駅近くの駐車場にはいつも僕が乗っているバイクと同じDT50がとめてある。いったいどのような人が乗っているのだろうと思っていたのだが、今朝、その人を見ることができた。しかしどうやらバイクがトラブルを起こして困っている様子、どうしたのかと聞こうか迷ったのだが、「先を急いでいる身、許せ友よ」とかもっともらしい理由をつけて見捨ててしまった。 時間に余裕があれば家に戻って工具などを持ってきてあげられたのだが、なんにしろずいぶんと後味の悪い思いをした。しかしこれが違う車種だったらどうだったろうかと考えると、おそらくなにも感慨を持たなかったに違いない。これは、やぱしムラ意識からくるものだろうかと見当違いなことを考えたりなんかして。 さて、明日にもマジックが点灯するらしい、セ・リーグ。ふふふ~、苦節11年、ついにここまで来たか~って感慨もひとしお。でも、まだまだ半信半疑、ふんどしを締めなおして気張っていただきたいものですな。ただ、パ・リーグの優勝チームがホークスだと日本シリーズを見に行くことは、ほぼ不可能。 というわけで、がんばれライオンズ!。あ、でも所沢も遠いか・・・、マリーンズもファイターズも無理っぽいしなあ・・・、はぁ。 |
1999年8月17日(火) |
は~、ツカレた~。 なんとか20時17分発、三崎口駅行きの特別快速に飛び乗ることができた。これに乗れさえすれば、21時27分に三崎口駅に着くことができる。そこから歩いて10分少々のところに、僕の家は在る。 朝は6時52分発、押上行きの特急に乗っている。品川駅に到着するのが8時17分、駅から職場までは15分ほど。車内ではとにかく寝ている、帰りの電車内では読書が多い。とにかくこんな生活を続けていると、平日に遊んでいる時間が少なくて、ちょっと嫌になる。 なにしろ遊ぶために働いているといった気分でいるものだから、仕事と遊びのバランスが崩れてしまうとたちまち不機嫌になってしまう。まあ、休日には思いっきり遊んでいるから、そのぶんバランスは取れているのだが。 ついつい愚痴っぽくなって自分でも嫌になるのだが、ともかくもこの20時17分の快速に乗ることだけは死守したい。でないと本当に遊んでいる時間が無くなってしまうから。それにしても世の勤め人の方々は、よくもまあ、あんなに遅くまで会社に居られるものだと変に感心してしまう。家に帰ってやりたいことって無いのかしら、どうにも想像しづらい。 帰り道、夜空には星がたくさん浮かんでいる。これを見上げながら風に吹かれて坂道を登っていると、疲れが取れていく思いがする。明日の朝にはまたこの坂道を下っていく、その繰り返しがなんとも心地良い生活のリズムになっている。 |
1999年8月16日(月) |
ここのところ、朝の通勤電車内では寝て過ごしています。おかげで品川駅に着くころには首がものすごく痛くなっています、現在、快眠枕が猛烈に欲しいです。でも朝っぱらからアレを首に付けているのって、とてつもなくミットモナイだろうなあ。 昨日は昼を大きく過ぎてから家を出た。まずは引橋を目指す、国道134号線をゆっくりと上っていく。このあたりには農地の中を縦横に走っている道があって、いつかその全てをたどってみたいと考えているのだが、今のところ果たせずにいる。交差点にたどり着くと民家が在り、その庭の向こうに小網代の配水塔がにょっきりとはえている。 松輪入口の交差点でその配水塔の立つ道へと進路を変え油壺へと向かう、しばらくは配水塔を右手に見ながら歩く。西ノ台の付近で左折し、油壺、諸磯の湾に沿って南下する。この道は三崎港へと続いているのだが、交通量は少ない。木々も多く、歩いていて楽しい。海では子供たちが元気いっぱいに遊んでいる。 ゆっくりと歩いているつもりだったのだが、三崎港に着いたのは1時間30分後。午後3時のこと。花火大会まで4時間もある。せっかくだから屋台でもと見てまわったのだが、数が少なくてしかも似たり寄ったりのもの。商店街はどうやらこの祭りには関わっていないらしく店のほとんどは閉じている。本当に「港」の祭りであるらしい。 海を見ながら時間を過ごす。漁港の雰囲気や匂いなんてのは、そこに育った人間にとっては堪らないほどのもの。ふと見れば、徳島県人会のかたがたが阿波踊りの準備をはじめている。気が付かなかったのだが、僕は県人会の人たちが集う場所の隣に居た。 19時になると、彼、彼女らは踊り始めた。僕の体にもあのリズムが染み付いていたらしく、体がそれにあわせて揺れ動いている。そして花火が始まった。港から見る花火は久し振りで、どうしても故郷の、幼いころに見た花火を思い出してしまう。不意に、帰りたくなった。 花火が終わっても踊りは続く。地面に座り込んでずっと眺めていた。 部屋まで歩いて帰った。今年の花火大会の予定はこれが最後、秋祭りの季節にはまたいろんなところを巡ってみたいです。ふと思いついたのだが、その前段階として三浦市内の神社仏閣を訪ね歩いてみよう。今週末は手始めに三浦市北部を歩いてみたい。 |
1999年8月14日(土) |
雨降り、ざんざか。 昨夜は眠りにつくのが遅かったせいか目が覚めたのは8時過ぎ、急いで身支度を整え洗濯機を回したままバス停へ向かう。三浦海岸駅前のクリーニング店で先週出しておいた衣類を受け取り、バス停でバスを待つ。朝のうちはまだ雨の小降りだろうと考えて急いで出てきたものだから、駅前の京急ストアで買い物をするにもまだ開店していないし、アイスクリームを齧りながら空を眺めていた。 我が家の近所のバス停からは海も森も見ることができるために飽きることはないのだが、さすがに駅前では空くらいしか眺めるものもないのでちょっと退屈。ロータリーを行き交う車と人は雨のために少ない、今日は諸磯の岬へ行ってトンビと戯れるつもりでいたのにこんな天気ではどこにも行けない。 諸磯の港にいるトンビの数は僕が知っている三浦市内の他の地域に比べると格段に多い、港の突堤に座り込んで空を見上げると20~40羽のトンビが群れ舞っている。この港の漁獲高はそれほど多いとは思えないのだが、そこで漁を営んでいる人たちがよほどトンビに優しいのか、それとも舐められているのか。 帰宅したあとはとにかく凄い豪雨、小雨程度なら近所の農道をうろついてみようかとも考えたのだが、さすがにこの雨ではどこにも行く気になれない。午前中は北から南に強く降りつけていたのだが、午後に入って13時30分を過ぎるころには南から北に向かって降りつけるようになった。風向きが変わったせいだろう、風の転換期を捉える(知る)ことは海の男にとっては必須なのだが、この時期このような天候の場合にはこのように風向きが変わるというのが知れたのはちょっと得した気分。 帆船の時代はとっくに過ぎたが、漁をするものにとってはそれによって時刻の移り変わりや潮の上げ下げ、向きなどを知るために、いまだに必要な知識。しかし体験し経験として積み上げていくといった作業を、延々と幼いころから続けていかないとなかなか技術として身に付けることはできないというのは、漁業関係者の一致した意見。 技術といえば「土曜一番!花やしき」で水の事故に遭ったときに、どう対処すべきかっていうのをやっていた。あんなのは水辺の人間にとっては常識なのだが、たしかに学校なんかじゃ教えてくれないもんなあ。いつも思うことなのだが、水に落ちたら、よほど流れが穏やかで岸辺に近くない限り、泳ぐのは止したほうがいい。 泳ぐより浮いているほうが格段に楽で体力を失わないですむ。ズボンを脱ぐ脱がないってのは難しい判断だが、脱いで裾口を縛って空気を入れれば相当浮力のあるフローターになる。しかし脱いでしまえば体温を水に奪われてしまう、長時間漂流するときには、脱がないほうが賢明かもしれない。もっとも漂流することなんて、一般人にはまず無いことだが。 雨がいちだんと強くなった14時ころ、台所に行ったら雨漏りが(゚▽゚;)。普通に降っているぶんには何事もなかったところをみると、どこかの排水機構の許容量を超えてしまったらしい。もしくは雨のせいでどこかが緩んでしまったのか。窓枠の上のあたりから漏れているのでそれほど被害が及ばなくて幸いだった、晴れた日に修復しておこう。 雨漏りって、なんだか家が生命を持っているような感じがしていい。なんだか、どんどん愛着がわいていっている。変に完璧な家より、ひとつふたつ欠点がある家のほうが住んでいて楽しい。雨が小降りになると、雨漏りも止んだ、やはり強く雨が降るときだけ漏るらしい。 夕方になると雨が止みセミが鳴きだした。このようなときには人間の情報よりも生物たちの動向によって判断をしたほうがよい。セミが鳴きだしたということは、しばらくは雨が降らないということ。コンビニへビールを買いに行く、空は一面の灰色。明日の午前中いっぱいはこのような天候らしいのだが、午後にはもちなおすそうだ。 雨上がりの風景は趣がある。空も木々も。ゆったりとした夕暮れと時間。今日一日でずいぶん気分はもちなおした、雨には不思議な優しさがあるらしい。もちろんそれは受け取る側にもよるのだが、もしこれが元気いっぱいな時であれば、ただ鬱陶しいだけだったに違いない。 明日は三崎港祭り、そして花火大会も。それまでに天気が良くなるといいなあ。 |
1999年8月13日(金) |
凹**365。 とにかくヘコミつづけた。夜中にゃ足の筋肉が攣って飛び上がるし、惨憺たる思いを胸に通勤し、帰りは帰りでボロボロ。交番(南八幡)で借りたお金を返済し、23時を過ぎてからの夕食。こんなに毎日夕食が遅いと痩せてるヒマも無い、つか痩せる気すら起こらないのだが。 我が家の周辺の夜は暗い、電灯がポツリポツリとしかないものだから、月や星が隠れた夜はなおいっそう暗い。足元がおぼつかない中を歩いていると、そのまま夜の匂いの中に溶けてしまいそうで心細くなるのだが、そのようなときに見つけた我が家の明かりというものはとにかくありがたい。 そのようなものを心にひとつでも持つことができればどれほど幸せか知れないのだが、どうにもみっともなさが増えていくだけ。 とか愚痴っていてもしょうがないので明日はどこかに歩きに行こうと思います。日曜日は三崎港祭り、花火大会もあるし出かけようと考えています。ゆったりと愉しめればいいのだけれど、どうなることやら。 |
1999年8月12日(木) |
ミットモナイやらナサケナイやら・・・。 日記を書いてるヒマすらないってのはちょっとタマラナイのですが、別に仕事に忙殺されているわけではなく夜遅くまで飲みまわっているから。今週に入って日付が変わる前に帰宅できたのが火曜日だけってのが凄い、でも実際のところそんなコトしてられるような心境ではなかったりする。 その火曜日。鎌倉花火大会。材木座海岸の滑川河口付近、砂浜の最前列に陣取り空を見上げる。そして始まった。開始直後のころには声を上げ拍手などしていたのだが、すっかりと呑まれてしまった。圧倒されっぱなしのまま終焉、筆舌に尽くしがたいとはまさにこのこと。 帰りの電車の中、すっかり魂の抜け殻と化した自分の姿を見て思わず吹き出してしまった。いつか隠居したら鎌倉に住もうと考えているのだが、年一回、この鎌倉花火を見るために住まうことも悪くはないと考えたりもした。 土曜日の江戸川花火大会、おそらく忘れることはできない、いろんな意味で。財布やら自動車免許証やらとともに、カメラも失くしてしまった。もはや出てくることはあるまいと諦めてはいるのだが、カメラに関してだけは諦めることができない。他のものはどうでもいいから、カメラだけでも・・・。 来週になればもう少し落ち着いた生活をおくられるとは思うけど、写真の掲載はしばらく無いと思います。コンパクトカメラがあるのだけれど、短い付き合いではあったがデジカメの感触が忘れられないでいる。やはり何事につけ、触れ合った期間の長短で、その関わりの深さというものは量れないものらしい。 |
1999年8月8日(日) |
デスです。俺ってヤツは・・・。 |
1999年8月6日(金) |
どきどき、わくわく。出勤のためにドアを開けたらそこにクワガタがいた、久し振りのご対面~。確かナマで見たのはもう10年以上も前になる、クワガタがいるってことはやぱしカブトムシもいるんだろうにゃあ、昆虫嫌いなくせして意外とミーハーな僕。 駅までの道、ずっとゴキゲンなまま歩いてた。で、もう少しで駅に到着って時に我に返ることになる。あ、写真に撮っときゃよかったって。うかれすぎてそんなこと、ぜんぜん思いもしなかった、これでカブトムシが現れた日にゃどうなっちゃうんだろう。うかれすぎて出勤することまで忘れちゃったりなんかして、笑い話にゃならないが、しかし有り得ることだにゃあ。 明日は江戸川花火大会、朝から泳ぎに行って昼寝してそれから。なんて言うかこう、遊び人だねえ(違)。 |
1999年8月5日(木) |
「ミーンミーン」、「シャワシャワ」、たまーに「ジージー」。これがここ数日の朝の音。くそ暑い中を汗だくになって駅への坂を上る僕にとってこれは一服の清涼剤、なワケもなく暑さが倍増、もう堪りません。もっとも休日になればこのセミたちの鳴き声も心地よく聞こえる、人間の五感ってやぱしすんごく気分に左右されるものなのね。 気分よく家を出て気分よく家に帰る。途中ヤなこともあったりするのだが、帰宅したときにはそれがトントンになっている、というのはなかなかの生活を送っているからだろう。仕事は環境が変わったばかりで前の現場との比較が面白いし、目新しいことばかりで好奇心が全開中。三浦での生活もまだまだ新鮮味にあふれかえっているし、今が一番楽しい時期なのかもしれない。 のんびりとした土地で生活をしていると、あの都心部の喧騒がわずらわしいと感じるよりも、ものめずらしく感じられるというのは、やはり心の有様が変化するからなんだろうなあ。 |
1999年8月4日(水) |
祝、初残業!。って祝うようなことでもないし、しかも一時間ほどのこと。なんとなくですが残業したときの帰宅時間が体感できて、まあ良かったかなと。それにしてもたかだか残業程度のことを大仰に考える俺って、世の労働者のことを考えるととんでもなくヌルいことを考えているような。なかなかのロクデナシぶりを発揮している自分に乾杯。 食事したあとのシャワーが心地よい。食事といえば今の現場は11時30分に昼休みが始まるので当然その時間に食事をする、が、御飯の盛がよくない。おかげで帰るころには眩暈がして気持ち悪くなるくらい腹が減っています、これは堪らんです。もちろん御飯の大盛りは可能なんだけど、なんだか恥ずかしいじゃないですか。 てなワケで明日からは三時のオヤツをとることに決定。夕食はやぱし家で食べたいしねえ、途中で食事しても帰るころには腹が減っているだろうし。 扇風機がグルグル、あとはビールでも飲んでさっさと寝まする。最近のにゃんこたち、僕にも馴染んだのか警戒心が薄くなっている様子、すっかりのたくっています。そのうち写真も撮ってみたいですね、おとなしくしててくれればいいんだけど。 |
1999年8月3日(火) |
三浦花火。何はともあれ視界いっぱいに花火が広がるなんてのはゼイタクなこと、アルコールの酔いも手伝って、ふうわりとした気分。 花火のあと、歩いて帰ることができるのも、またいい。火照った体をさらに熱くして、坂道を登る。汗だくになった体をシャワーで洗い流し、扇風機と向かい合いながら考えをめぐらす。 以前は酒を飲みながら花火を見るなんてことはなかった。酒の合間に花火を見、酔いを醒まし、そしてまた酒を飲む。そういった、いわば箸休めのような、そのような存在だった。もちろんそれは酒を飲みだしてからの話で、それ以前はただただその迫力(美しさではなく)に惹かれていた。 思い起こすときりがないのだが、花火には悪い思い出がない。と言うか、楽しかった記憶しか残っていない。今年の三浦花火もいろいろとヤなこともあったが、それはもう記憶にない。花火ってものの凄まじさは、実はそのようなところにあるのかもしれない。 残すところ鎌倉花火と三崎港祭り。両方とも参加予定、あ、あとは江戸川花火大会もね。こちらは約束もあるし、是非とも行かなければ。 |
1999年8月2日(月) |
なくてナナフシ、なんてクダラナイことを考えてしまうほどに立派なナナフシを見た。朝、部屋を出たところにいたのですが、これを枯枝と見まちがえないでいきなりナナフシだと判別できるあたり、やぱしオイラもイナカモノだねえって感慨にふけってみたり。 今日は京急線のダイヤ改正後初めての平日だったので、とにかく混んだ。何もこんなにまで混むことはないじゃないかって、シートに座りながら考えていたのですが、立っている人たちはラッシュ時の総武快速さながらで、それが北久里浜駅あたりから続いているものだから、見ていて気の毒になるほど。だからって席を譲ろうって気もなかったりするのですが、ま、明日からはいつもどおり平穏な通勤風景に戻ることを願うばかりです。 でもって今日から職場が変わった、印象、とにかく静か、仕事が捗りそうで何よりです(笑)。 明日は三浦海岸花火大会の日、全力で帰宅あるのみ、だけど出来るかしら。地元の花火大会だからねえ、是非ともねえ、参加したいもんねえ。 |
1999年8月1日(日) |
みなさま、お久し振りでございます。お変わりありませんでしたか、御達者でございましたでしょうか。ん、スバラシク丁寧だ。 この一週間、何をしていたかというと、ただただひたすら遊んでいた、わけもなく、やはり遊びまわってました。って、そのままやん。更新が滞っていたのはマシントラブルのためで、他意はありません、念のため。で、昨夜久し振りに自分のホームページにアクセスしてびっくりしたのは、カウンタが回っているってこと。ありがたい話ですが更新もしてないのにって複雑な気分になってみたり、いや、本当にありがたいコトなんですけどね。 トラブルを起こしたマシンは修理に出さずにほっぽりだしています、もちろん財政難のためですが。だったら何を使ってこの作業をしているかというと、衝動買いしてしまったマシンで(゚▽゚;)。ああっ、どのへんが財政難なんだ、つか、衝動買いなんかしてどうすんだ(T^T)。 三浦での生活は快適この上なく、のびのびと毎日を過ごしています。相変わらずダンゴ虫との格闘は続いていますがトラブルらしいトラブルもなく、やぱし田舎は良いなあと、三浦市民の方々には失礼な話ながらそう考えています。つっても僕も三浦市民なんですが、そのへんの意識がまだまだお客さんって感じで、そういったところも面白くって、楽しい日々。 今日も今日とてお散歩、家の周りをうろうろと。三浦海岸は相変わらずの人出、そこから程近いところに竹林を発見して驚いたり喜んだり。この狭い土地に、よくもまあこれほどに見所が詰まっているなあと思うのだが、思い起こしてみれば故郷もこういったような、つか海辺の町ってこんなもの。 故郷は竹ヶ島(現在甲浦フェリーが座礁中)といって、その名のとおり竹が多かった。竹は用途が豊富で、漁師にとってなくてはならないもの。釣竿とか釣糸を巻いておく用具とか、そういったものを作るためによく竹を刈りにいったものでした。現在では故郷でも竹林は減っていて、勝手な話だがそういったことで竹林を見ると当時の楽しい思い出がよみがえってきて、たまらない気分になります。 帰宅してシマアジの刺身で一杯飲ってお昼寝、ん~ゼイタク。タタミの部屋で大の字になって寝るのって、すごく気分がいい。夜も熱帯夜などとは無縁で、よく眠れます、田舎者の特権だにゃあ。 |
1999年7月17日(土) |
ついに三浦市民、プロフィールの住所も変更。 いろいろと書きたいことがあったんですけど、それ以上に疲れてしまったのでおとなしく休むことにします。それにしても静かだなあ、ここは国道(134号線)からも近いのに。おかげでゆっくりと休むことができます、でも・・・、やっぱ少し寂しい。 テーブルとかはぼちぼちと集めていきます、しばらくはダンボール生活になりそう、貧乏はイヤだねえ。 明日も部屋の片付け、ダンボール箱にしてあと8個。現実逃避して遊びに行っちゃいそうですが、明日は台風の影響でか波が高いそうな、ああ、泳げないんじゃ海水浴に行ってもつまんないよう。せっせと片付けをすることにしますか、それにしても食卓がダンボール箱って・・・、青山いたるところにありって感じですな。 |
1999年7月16日(金) |
酔っ払いのぱ。 今月飲んだ酒。2日、10日、13日、そして昨日。すべてビールだけなのだが、そのすべての日の翌日に二日酔いした。オイラも弱くなったものだと感慨にふけるが、最近はあんまり飲んでないので弱くなるのも当たり前、やぱし酒においても継続はちからなりってことか。 てなワケでしばらくは禁酒、とか考えたのだが明日は飲みたい気分だし、再来週はサヨナラ会。てことでやぱし飲みます、飲むったら飲むのだ。 ワイドショーを見るともなしに見ていたのだが、例のおばはんたちの喧嘩。ついには検察への告発となったのだが、一回目の告発文(告訴状)は却下されたそうな。そりゃそうだろうなーと考えてたのだが昨日、その却下した検察庁および法務省に対して一万件を超える抗議の電話があったそうな。 んで二回目の告発文は受理されたらしい、なんともすさまじい話だ。つか、よくもまあそんなに暇人&バカがいたものだと妙に関心。それにしても検察も弱腰っつ―か、やっぱおばはんのヒステリーには敵わないってことか、しかも今は集団ヒステリーみたくなってるしねえ。 初めてターンA、そして久しぶりにユイを見た。ターンA、オープニングは(西城)秀樹、エンディングは(谷村)新司かと思った。んなわきゃないはずなのだが、実際誰が歌っているのかは知らない、よってもしかしたらホントにこの二人かもしれない。でも・・・、だったら嫌だにゃあ。 本屋さんに行ったらコミックRISEの8月号、表紙は鷹久邦弘さんだったのでソッコー買い。はたと横を見るとそこには堀部秀郎さんが表紙を描いてる本が、さすがに表紙のイラストだけのために二冊も買えんってあきらめたのだけど、やっぱ欲しいっす。 で、ふと思ったのだがいろんな雑誌の表紙だけを掲載する本をどこかが出版してくれないものか、ムチャ?。 市川での生活、今日で終わり。なんか感慨もわくかと思ったがいまいち引っ越すって実感が無い、夜空にゃ三日月。明日から神奈川県民なり、国会にツルネン・マルテイさんを送り込む会に入会(嘘)。 |
1999年7月14日(水) |
朝、部屋を出るときには雨はすっかり上がっていて、駅までの道はちょっと暑かったものの心地よかった。市川駅で総武線快速に乗り換え、いつものように江戸川の下流方面を眺めていたら、なぜかそこに田圃が。 ありゃ、いつの間にこんなところに田圃がとバカにのんびりしたことを思い浮かべてしまったのだが、もちろんそんなところに田圃があるわけはない。それは水没してしまった河川敷のグラウンドだった(゚▽゚;)、ちょっと高くなっている部分が畦道のようで、どこからどう見ても田圃にしか見えない。 それでやっと思い当たった、どうりで乗客が少ないわけだ。市川駅で電車に乗り込んだときにやたらと乗客が少ないことに驚いたのだが別に気にもとめなかった、が、この江戸川の有様を見てナルホドねえと納得。相変わらず都会とそこに住む人たちは自然に対して脆弱だなあと。 インターシティの工事現場はもっと悲惨で、轟々と音をたてて流れ落ちる滝が出現していた(゚▽゚;)。現場は水浸しでユンボは水中に没してしまっているし、こんなことで基礎工事は大丈夫なのかと関係者でもないのに心配してみたり。 帰りの電車も空いていた、朝は電車の遅れもでたみたいなので、そのぶん働いているのか、ずいぶんと真面目だねえ。江戸川の河川敷は相変わらずの田圃状態、どうやら水嵩が増して河川敷も川になってしまっているらしい、今夜また雨が降ったら明日いっぱい水嵩が減ることはないだろう。 今夜のNHK「クローズアップ現代」、なぜ止まる?中央線。なんでそんな重いテーマを(^^;)。しょうがねえじゃん、止まるんだからって開き直りたい気分もあるのだろうなあ、JRの人も。ただ、投身自殺が多いのはねえ、人の迷惑も考えろって思うのだが。 どうやら、どの月のどこの駅のどの時間帯に自殺が集中しているってのは無いらしい、まんべんなくあるのだそうな。ま、昨年は交通事故での死者より自殺者のほうが2.5倍も多かったそうだし、人身事故が増えるのもしかたの無いことなんだろうけども、前述したように人の迷惑も考えていただきたいものだ。 もっとも人に迷惑をかけない死なんてありゃしないんだけどね。 荷造りはほぼ完了、あとはパソコンとテレビだけ。明日の「地球に乾杯」はベネチアのゴンドラ競争、イタリアの海の男たちの勇姿を見れ見れ。 |
1999年7月13日(火) |
久しぶりにまとまった雨、だが館山ではまとまったどころか町が水浸しになっていた。千葉県は、というか房総半島はやはりでかいなあと、いまさらながら思うのでした。それに比べて三浦半島は・・・、小さすぎるぅ~。 今日は力仕事、文字通り。ドキュメント類の引っ越しを手伝わされたのだが、約1時間ほどで汗びっしょり。今週末には自分ちの引っ越しが控えているというのに、病み上がりの残り少ない体力をごっそり削られてしまった。 もっとも引っ越しそのものの作業では僕は力仕事をしなくて良いのだが、それでも片付けなどで体力は必要とする。まだまだ風邪は完治していないし、しっかりとした体調管理をしなければならないというのに、ブツブツ。 今日で缶&瓶の生活は終わり、明日がその不燃物回収の最終日だからなのだが、そんなわけで酒(ビール)を飲みまっくっちゃおうかと。酒瓶は酒屋さんに持っていけばいいのだがメンドクサクて(^^;)、しかも体調管理をしなくちゃとか考えてるくせに(^^;)、しかたのねえ酔っ払い。 さてと、そんなわけでとっとと酔っ払ってさっさと寝ちゃいます、いいですな、こんな生活。いかにも何かに追われているようで、余裕なんか全然なさそうな。まさに天性のルーザー、明日はどっちだってな感じですな。 |
1999年7月12日(月) |
ううう、眠いっす、これは純然たる寝不足。布団に潜り込んでから、ふと頭の中にゴキが思い浮かんだものだからもう大変、次々とおぞましい想像を繰り返すうちに気がつくと眠っていたという感じの睡眠で、眠ったという気がしない。 こういったのってあれですね、想像しだすと妙に興奮して来て、止めど無くなるものですね。布団に潜り込んでから相当長い時間が経過したように思うのだが、自分でも馬鹿らしくなって時計を見る気さえしなかった。ゆえにどれほどの長い時間、この馬鹿らしい想像をしていたのかは分らないが、知らない方が良いこともあるのだって無理矢理自分を納得させることにした。 インターシティの出入り口には回転ドアが採用されている部分がある。そこを通る時によく目にする光景が、ドアの回転を止めている人の姿。回転ドアは、何かが接触したりした場合にはセンサーが感知して回転を止めるようになっている、もちろんフィジカルハンディを負っている人のための配慮。 ところが健常者がそのシステムを作動させている。彼(彼女)らにはドアに表示されている、そういったシステムがある旨の標示や説明書きが目に映らないのだろうか、それともその意味するところが理解できないのだろうか。 急いでいるのだろうか、前面のガラスに張り付くように歩いていたり、そのガラス戸に手を触れて押してみたり、その人達の目線の高さにその表示はあるのだが、その視線は遥か先を見つめている。この光景を見るたびに思うことは、日本という国には真の福祉というものは根付かないだろうということと、その根底にある貧乏人根性といったもののこと。 吉野川第十堰問題も目で見て、そして手で触れてみないと解からないことなのかもしれない。現在の堰は石組みで、川やその風景に溶け込んでいて、しかもその機能の底力は計り知れない。先人達が知恵をうがって川を殺すこと無く造り上げたその堰を、現在の人達はよってたかって破壊し、そして川をも殺してしまうような新堰を造ろうとしている。 そのことでどれほどの農地と安全と、そして土木建設業に利益をもたらすことができるのかは知らないが、ひとつ確かに言えることは、その堰が出来上がってしまえば吉野川の鮎やそのほかの魚、カニ、エビ、貝などが瀕死の状態に陥るほどの打撃を受けるということである。 長良川の河口堰や有明海の水門を見てみるといい、無用で無思慮な土木がどれほど自然に影響を与えるか。かの建築物を取り壊したとしても、そのさまが昔日のものになることはあるまい。戦後これほどまでに日本人が自然に対して無遠慮になったのか、その根底にあるものが何かを探っていくと、その心根の浅ましさというものに行きついてしまうような気がしてならない。 ムツゴロウの蒲焼き、サクラマスや鮎の塩焼きが食べられなくなるということは、土木建設業者にメシを食わせるといったことよりも遥かに重大なことのように思うのだが、その得体の知れない生物の巨大な口と胃袋を塞ぐことはできないものだろうか。 大きくなりすぎて手の付けられなくなった金融や土木建設、それらに寄っ掛かりながら、しかも内包する経済というものの有様を思うとき、その無邪気なまでの貪欲さというものは、腹を空かせた巨大な赤ん坊のようで、より一層不気味さを感じさせる。目をつけたが最後、結果がどのようなことになろうともその腹の中に納めないことには気の済まない、そのような本能すら持っているような思いさえする。 いくら嘆いてみたところで打つべき手を打たないかぎりは、座して呑み込まれるのを待つばかりである。ここが思案のしどころ、もういい加減、その内容すら想像することのできない「豊かさ」などを求めるのは止したほうが良いのではないか。 と、仕事をサボりながら考えるのでありました。 |
1999年7月11日(日) |
ん~、やぱし60分番組にしていただきたいにゃあ、街道をゆく。30分ではどうしても表現しきれない部分が、いい番組なんですけどね。 昨日一番感じたのは、コギャルの人たちには浴衣は似合わないということ。ホントにすんげえ似合わないの、致命的なのはやはりあの真っ黒な顔。あれで浴衣を着る気になるんだから彼女たちの美的感覚ってものはとてつもなく素晴らしいものなのだろう、ネオルネサンスだにゃあ。 十兵衛ちゃんが終了してからというもの、毎週欠かさずに見ている番組はたったふたつになってしまった、しかも両番組ともNHK。ひとつは「街道をゆく」、そしてもうひとつが「四国八十八ヶ所」、そう日曜日の朝6時30分から放送している番組。 現在は山口崇さんが旅している。彼のイメージはといえば「大岡越前」にでてくる暴れん坊将軍吉宗くらいなものだったので、あの穏やかさにはちょっと戸惑ってしまう。そして旅している場所は愛媛県内の札所、彼は小豆島出身だそうなのだが、だったら香川県内の札所でいいじゃないかと思ったりもする。 お大師さんは日本仏教の歴史上最大級の人物だが、四国人にとってはそれ以上に重要な人物。というか人物以上のものなのだが、それでも底辺には人間であるという認識があるためにいまだに人々の心に大きな存在として残っているのではないか。 彼(空海)はその当時の仏教界においてずば抜けて人間くさかったのだが、それでもその人間くささがそれほど鼻につかないのはよっぽど魂の位が高かったのか。なまのお大師さんがどんな人だったのか今となっては想像するほかないのだが、その精神構造はコギャルの人たちとあまり変わらないものだったのかもしれない、もっともその中身は比較にならないほどのものなのだが。 彼が彼のまま現在の日本に生まれ出たらどういった生活を送るのだろう、あんがい仏教など捨てて渋谷の街中で路上に座り込み、上目遣いで過ぎ行く人たちを眺めているかもしれない。 引っ越しの手続きはガス屋さんと水道屋さんへの連絡だけになった、新居はプロパンガス使用。 |
1999年7月10日(土) |
酔っ払って寝ちまおうかとも考えたのだが、思い直してこれを書いています。 5時過ぎに起きて天気予報を見ていると午後から雨になるとのこと、さんざん逡巡したあげく8時を過ぎてから出かけた。久里浜でホウキとチリトリを買いたかったのだが京急ストアではついに見つけることができずに、結局は三崎口駅を引橋のほうに下って行ったところにある馴染みの雑貨屋で買った。 ハウスクリーニングとかで害虫駆除(主にゴキ)をした後に残った虫の死骸を片付けるためなのだが、部屋に累々と横たわる彼らの骸を見ていると暗澹とした気分になる。 僕は虫嫌いである、そのくせこんなに虫の多いところに住みたがる。小さいやつらだけならともかく巨大なゴキの死骸を発見したときには言い知れぬ恐怖が走った、僕はこんなところでずっと住み暮らしていけるのだろうか。 しかし故郷の家はといえばここよりももっと虫が多い、それを考えれば少しは精神的にも落ち着くものである。しかし嫌なものは嫌だ、それでもそれらのマイナス面を差し引いても十二分にこの土地は魅力的、僕は風の吹き渡る三浦半島に居る。 駅から新居まではどのコースをとっても15分は必要、しかも必ず下って上る。こんな土地に住んでいれば嫌でも足腰は鍛えられるだろう、もっとも今のところは自転車で駅まで通うつもりなのだが。 新居の周辺は新興住宅地で新しい家が多い、みなそれぞれに工夫を凝らした家を建てていて、見ていて楽しい。ガーデニングも盛んでさまざまな草木を植えている。 掃除を終え食事をとり休憩してから野比海岸へと向かった、風と日差しが強い。相変わらず三浦海岸ほどの人出はない、潮騒を聞きながら読書をはじめる。体調さえ良ければ泳ぐこともできたのだが今日は大事を取って、海で泳いでいる人はウィンドサーファーの人たちを除けば一人もいなかった。 街道をゆく「陸奥のみち、肥薩のみちほか」、薩摩っぽのやさしさ。僕が戦国武将、というか歴世日本人の中で一番好きなのが島津義弘であることを考えると、原因はそこに行き当たる。薩摩人の薩摩人たる気風は、西南の役のときに新政府軍にコッパミジンに打ち砕かれたのかもしれない。最近はそのような薩摩人に行き会うことがないからだが、しかしどこかに生き続けているだろうと考え、いや、切望したい。 夕方になって久里浜へと歩き出した、幸運なことに開国祭のパレードを見ることができた、が心踊ることはなかった。見ていて感じたのは、やはりこのテの催し物は阿波踊りが一番洗練されているということ。 ここを先途と踊りまくる阿波踊りに比べれば格段におとなしいし、見ていて新鮮さが感じられない。札幌(だっけ)のヨサコイソーランは健闘しているがまだまだのように見うけられる、子々孫々引き継がれた歴史はだてではないといったところか。 屋台がたくさん出ていたが何も買わなかった、花火大会を見て帰ろうと考えたのだが雨が強くなってきたので帰ることにした。 帰りの電車は豪儀にもグリーンを利用した、2階席に座り夜景を眺めながらビールをグビリ。電車内で酒を飲むのは自粛していたのだが今日くらいはとその禁を破った、おそらく2度と利用することはないだろうと。 窓の外の風景はとても穏やかに、やさしく感じられた。ふいに故郷と重なって見えた、なんだかんだと言いながら僕は、常に故郷を肌で感じていたいだけなのではないかと思った。 |
1999年7月9日(金) |
風邪ウィルス絶好調、おいらの鼻はもうズルズル(;_;)。 今日の夕焼けはすごかった、とぼとぼと帰り道。昨日は本八幡駅前で「みぎやひだりのダンナサマ~」のオッサンを見、今日は品川駅の通路にてギターを抱えて歌っているアンちゃんを見た。いや、ただそれだけなんですけどね。 どっちもそうしてお金をいただいているわけなんだけれども、なんだかねえ、おいらにゃ一生関わりのねえ世界だなあと。つか、おいらにゃできねえ、とてもじゃないけど。 職場の定例進捗会議、紛糾。職場が暗いらしい、実際暗いのだが、もっと明るくしようぜって。今月いっぱいでおさらばする僕には関わりねえとか考えながら傍観していたのだが、中間管理職は大変だねえとちょっとだけリーダーに同情。 そんなこんなで現在の職場、もしかしたらもっとたくさんの人が抜けるかもしれない。本当に次の案件、大丈夫なのかなあ、マンパワーがぜんぜん足りてないような気がするのだが。 元相方は現在体調を崩しまくりながら働いているし、現相方は今日も休み。これから忙しくなれば少ない人数で無理をして働いてもっと体調を崩すといったのが目に見えているような、ユーザーさんも金がないのは解るが、現場の大変さをもっと認識してもよいのでは。 とかとか、グチグチ考えてみたり。 ま、苦労するのは僕じゃないからいいや(゚▽゚;)。 そんなことはともかく、梅雨明けは17日~24日の間になるそうな。なんとかはやく明けてくれないかなあ、もう梅雨はいいっす、じゅうぶん堪能しました。明日は新居の掃除に行ってきます、掃除機を持って。そして夜は花火大会だ~。 |
1999年7月8日(木) |
風邪、さっぱりよくなりません、もはや泳ぐのはあきらめてます。 自分ちに居るときにはそれほど調子が悪いとは感じないのだが、職場に居るときはもう最悪、一日中鼻をかんでます。なぜ職場に居るときだけ・・・、それはやはり周囲に病人がたくさん居るからだろう。つか、おまえら体調の悪いときくらい仕事を休めやって突っ込みたくなります。ここは大人の分別、ちゃんと忠告してやるべきか?。 みなさま生真面目って言うか、本当に休まないよな、どうしてなんだろ。だからって休まれっぱなしも困るのだが、僕の隣の席の相方はずっと休んでいる、先月を含めると15~20日は休んでいるのではないか。体調不良だそうだが、はやくよくなっていただきたいものです。 そんなこんなで職場は風邪ひきさんばかりです、これじゃ治るものも治らない。いっそのこと職場全体で休暇を取ればどうだろう、2日くらい、そうすりゃ大抵の風邪は治せると思うのだが。 学級閉鎖の職場版みたいなものか、勤め人たるもの体調管理も万全でなくてはと思うのだが無理しちゃうのな、どうしても。日本人てやぱし、そろいもそろって貧乏人根性の持ち主なんだろうなあ。 もしくは欲しがりません勝つまではってやつですか?、しかしいったい何に勝つつもりなんだろう、謎だにゃあ。 |
1999年7月7日(水) |
エレブレは泳ぎの基本だそうな、ためしてガッテン。僕もこれでクロールができるようになるかな、平泳ぎだけじゃちょっと情けないっす。 平塚七夕祭が始まった、今日から一週間だったような、行ってみたいけどちょっと遠いのな。しかも今週末は雨の予想、これじゃ久里浜ペリー祭の花火大会すら雲行きが怪しくなってきた、まずすぎるよ~ん。 とか書きながらNHKの天気予報を見ていたら、週末は晴れないまでも雨が降ることはないそうな、よしっ。あとは雲が低く垂れ込めないことをお空に祈りながら週末を待つばかりです、お願い、お空のお星さま~。 風邪、まだまだ治りません。週末に泳ぐのは無理っぽいかにゃあ、ガスガス体力が削られていってます、へにょ~ん。そんな僕とは関係なく勝ちつづけるドラゴンズ、一時の沈滞ムードも今やなし、このまままっしぐらに優勝へとひた走っていただきたいものです。そして日本シリーズで松坂君にキリキリ舞いさせられるのだっ!、ってシツコイ。 |
1999年7月6日(火) |
今日から入谷の朝顔市、だからといったわけではないが今日は朝顔の写真を。 朝顔はいいにゃあ、心が和みます。それ以上に今日一日がんばるぞといった意欲がわいてきます、いやホント。朝顔と葦簾と風鈴が見られるようになればもう夏、梅雨明けも間近って風情ですな。 意気込みとは別に今日も一日中鼻水に悩まされつづけ、耳鳴りもひどい。フラフラしながらもなんとか過ごしたものの、こんなことでは週末に遊びまわることができない、そりゃまずい。 さっさと風邪を治さないと、今週末は久里浜ペリー祭&よこすか開国祭。新居の掃除に行ったついでに海水浴をし、そして夜には花火大会を楽しむっていった目論見がパーになっちゃうじゃないですか、まずいったらまずいです。 そんなわけでさっさと寝ます、はい寝ます。 |
1999年7月5日(月) |
今日も今日とて、鼻水タラ~リ。 無駄に休みたかないのに風邪がなおらにゃい、無理してでも出ようかと思ったのだが、フラフラしてそれどころじゃなくやむなくお休み。んで、気づいたんだけど、街道をゆくって月曜日の朝9時30分から再放送されてんのな、まったく知らなかったっす。 テレ朝のネイチャリングスペシャル、チョモランマの渚。一妻多夫か、とてもじゃないが馴染めそうにないっす、さすが神秘の国チベット。って全然チョモランマとは関係のないところで感心しています、よくわからない思考力ですな。 鼻水といっしょに脳漿まで出てきそうでちょっと怖いです、今日だけででっかいビニール袋いっぱいになってしまったティッシュ。この時期の風邪は本当にしぶといですな、明日は何とか出られそうなくらいに回復してきて一安心。 山中の渚ってそりゃ神秘的で感動があるのだろうけど、チベットくんだりまで行ってしかも登山までして見たいとは思わない。そう強がってみてもやぱし行って見たいのな、本心は。そんな暇と金がないだけで、いや、ソレも逃げ口上だなあ。うお~、高山病にかかってみてえ。 |
1999年7月4日(日) |
んん~、ゾクゾクする~。微熱ながらも熱は下がらないし、頭痛いし、鼻血は出そうだし(--;)、やぱし風邪だろうにゃあ、体調は最悪でござる。 調子悪いのに動きまわるから、でもでも、こんなに天気がよいのに動きまわらないわけには。そういったビンボ人根性がいけないんだろうにゃあ、調子悪いならおとなしく寝ている、そういった決断も必要だにゃあ。 元禄繚乱を見たらさっさと寝るベさ、って今までも寝てたんだけど。 引っ越しまで2週間をきった、体調だけには気をつけないとねえ、じゃなきゃ遊びまわれないじゃないですか、って結局ソレかい。 |
1999年7月3日(土) |
漢方は滅法効くなあ、なんてこともなく。 昨日、ビールを飲んでエアコンをドライにしたまま寝たらきっちり風邪をひいた、のどがめちゃくちゃ痛いし微熱がある。横須賀までカギを取りに行き、そこで漢方薬を買い飲んでみたが、かなり効いてはいるようだけどそこは漢方薬、ゆったりとした効き目。 新居に行ってみた、ぼやっとしてたのと迷ったのとで駅から20分を費やしてしまったが普通に歩けば15分ほどか。室内は前に見たときより汚く感じた、なぜだろう、冷静になって見たからかにゃあ。海岸まで歩いてみたがこちらは25分ほどかかった、空を見上げれば青空が顔を覗かせている。 体が熱を持っているためか汗をかきやすくなっている、早々に退散し電車に乗り帰宅した。布団にもぐり込みうとうととしていたらそのまま寝てしまい、おきたら22時30分、相変わらずのどは痛いが熱はひいたようだ。 来週は掃除機を持って行くことにした、室内を一度、ざっと掃除しておきたいから。晴れてればそのまま泳ぎに行くのも良いなあ、海の家いらずだし(^^;)。海岸まで歩いていく途中、右手前方に見えてくる海が良い感じ。 もしかしたら2年を待たずして引っ越してしまうかもしれないが、次はもちっと久里浜よりにするかも、横須賀や横浜って言わないところに本心が表れているなあ。 明日はさらに引っ越し準備、雨の合間をぬって買い物にも行きたい。 |
1999年7月2日(金) |
ハ、ハードディスクが変な音をたてている~(゚▽゚;)。 大丈夫かにゃあ~、元からあるやつだか増設したやつだかは判らんけど、なかなか派手に音をたてているところを見るとちょっとヤバゲか。そろそろしっかりとしたバックアップをと思うのだがどうにもスペース的な余裕はないし、かつ引っ越しによって貧乏になってるものだからバックアップ用のメディアは買えんし。うむむむむ~、どうしたものやら。 つか、引っ越しという荒波に耐えることができるのか、心配だにゃあ。 NTTも無茶だなあ。しっかりとした管理をしていただきたいものだが、金融業も相変わらずデータ漏れがあるところを見るとやぱし無理なのか。個人情報を商売にするのって金にはなるんだろうけど、モラルもなにもあったもんじゃないねえ。 僕は電話帳には名前を載せないようにしているんだけど、大元からダダ漏れじゃさっぱり意味がないなあ。データ漏洩を防ぐにはモラルしかないとNTTのお偉いさんは言っているが、そんなものに頼っているようじゃ無理なような。 それにしてもそんなに金に困っているやつが多いのか、NTTの社員って。僕の従兄弟もNTTに勤務しているが結構な額の給料をもらっている、銀行の行員も給料を減らされブーブー言っているようだがそれでも一般企業からすりゃはるかに高給。 なんつか、それを使うだけの時間も無いほど働いてるくせにそんなに金が欲しいのかと思うのだがやぱし欲しいらしい。自分の価値を計る物差しが金だってのもかなり寂しいなあ、つかツマラン。 優優か、あたしゃこの夏は遊遊になるだよ。 |
1999年7月1日(木) |
うむむむむ~、僕って何者?。 って馴染みの酒屋さんは思っているに違いない。昨日母上から貰ったビール券の裏には塩釜市魚市場サービス株式会社のスタンプが、去年もこの会社から実家にビール券が贈られて、まわりまわって僕の手元まで来た。 でもってそれを使ったわけだがさすがに怪訝な顔をしていた、今年もまた使うわけだが、おそらくもう市川で使うことはあるまい。三崎で使うぶんには違和感もそうはないだろうし、んでも妙な勘違いはされるんだろうな、少なくとも船員に間違われることはあるに違いない。 塩釜の魚市場は盛況で、さまざまな海の幸を取り扱っている。松島の牡蠣やマグロはその中でもメジャーな部類に入るのだが、マイナーなところもきっちり押さえていて市場の中をうろつくのがとても楽しみだった。 変に思われるかもしれないが船に乗っていて一番食べることが困難なのが実は魚介類だったりする、肉や野菜などは冷凍(冷蔵)して持っていくのだが、魚は現地調達する。カツオやシイラをトローリングで釣ってみたり、イカを疑似餌で釣ってみたりとさまざまな手段を用いて確保するのだが、その海域や季節によってまったく獲れないときがある。貝類はまず、というか絶対に獲ることはできないし、そうなると漁船に乗っていながら一番口にすることが困難な食材が魚介類という妙な状況が作り出されてしまう。 そんなわけで港に入って一番最初に向かうところが魚市場で、新鮮な魚や貝を買ってきて思う存分賞味するといった光景が毎度毎度繰り広げられていた。 そりゃたまにはマグロのかぶと焼きやカマ肉の焼いたのとか、マグロ延縄漁船員ならではの美味を味わうこともできたが、本当にたまのことなんだもんなあ。しかもそのすべてがサメやシャチの食い残しだったりするものだから、ちょっと情けなかったりもする。 マグロは商品だからねえ、なんと言っても。その取り込み方からして丁寧だもの、スポーツフィッシングでよく見られるように胸鰭の付け根なんかにギャフを打ち込もうものならもう、烈火のごとく怒られてしまいます、「なんで一番(商品)価値のある(トロの)部分に穴あけるんじゃ、ボケ~!」つって。 そんなわけだからそれを食すなんてもう、普段は考えられないこと。だからサメの食い残しだろうが何だろうが、食べられることは至極ありがたいことだったりします、前述のようにちょっと情けなくはあるんですけどね。 でも僕、魚よりも肉のほうが好きだったりするんだなあ(゚▽゚;)。 明日からはまた雨の様子、土曜日には引っ越し先のカギを受け取りに行く予定。できればバイクに乗っていきたいのだが、雨じゃあねえ。おとなしく電車で行きますか、各駅停車も面白いかもね。 |
1999年6月30日(水) |
うおおお~、目が回る~。 肉体的も精神的にも、ちょいと疲れた。どうにも変転というか、あらゆるものがいっぺんに変化するとさすがに目が回るにゃあ。でも、倒れるとこまでいかないのは少しはタフになった証拠か。 来月は引っ越しに加え職場も変わり、ついでにパソコンの中身もまっさらに。来るときは一気に来るもんだねえ、イベントってやつは。それにしても現在の職場で次にやる案件の頭数に僕も入っていたのだが、一気に二人(もしかしたら三人か?)も抜けて大丈夫なんだろうか、確かにたいした案件でもなかったのだが。残される人たちのことを考えるとちょっと気の毒、正月も出勤するそうだし。 月島でモンジャを食べた、8年前と変わらず美味いと感じたのだが、やぱしあの形状がねえ。カレーモンジャなんてスパニッシュオムレツの失敗作にしか見えなかった(^^;)、本当によくもまあ江戸っ子がこんなものを作ったものだと逆に感心してみたり。 メニューを見てみたらお好み焼きが載っていたのだがその内容がちょっと、豚肉天って(T^T)。豚っつったら豚玉だろが!って心の中で絶叫、食べたら食べたでまたガックシきそうなんで注文はしなかったのだが。 現在は広島風か、さもなきゃちょっと高級っぽいところに行かないと店員さんが焼いてくれることはないが(焼いてって頼んだ場合は別)、昔は店員さんが焼いて出してくれるのが一般だった。少なくとも僕の周りではそうだった。 近所のバアちゃんが一人で切り盛りしているお好み焼き屋が好きでよく通ったものだが、そこのバアちゃんの焼くお好み焼きは本当に美味かった。大体が、自分で焼くんなら自分ちで作りゃいい。鉄板と材料だけを提供してるようなお好み焼き屋なんて行きたかないし、ただ高いだけでさっぱり面白くない。 焼きは職人の腕の見せ所で、それはお好み焼き屋にも当てはまることだと思うのだが、やぱし店構えを大きくしたいと思ったらそうはいかないんだろうなあ。お好み焼き屋ってのは、4分の3畳くらいの鉄板一枚を一人で切り盛りしてくってのが理想だと僕は考えているのだが、そんな店、最近は見ないにゃあ。 帰りは月島から亀戸までバスで、このあたり、闇にゆっくりと包まれていくような夜の訪れが好い。前に勤めていた会社の本社が越中島にあって、当時池袋にすんでいたものだから有楽町線に乗るためによく月島には来た。その当時と雰囲気はあまり変わりがなかったものの風景はやはり、そうとう変化していた。 細い路地のたたずまいは相変わらず良い、でも下町っぽさは薄れているように感じられた。へんにキャンペーンなどせずに、月島は月島のままであり続けるのが一番よいように思うのだが。 7年前に亡くなったバアちゃんは、若い頃は築地で働いていて、この月島に住んでいた。当時からの友達はずっとここに住み続けておられたそうだが、今はそのすべてが亡くなられたか転居されている。今の月島を見て、彼らや彼女らはどう思うだろう。懐かしさなど、微塵も感じないのではないか。 帰宅したら母上からの手紙と、留守電にメッセージが。わざわざお母ちゃんやけどって言わなくても声聞きゃわかるって(^^;)、やぱし田舎はそうとう雨が降っていたらしい。にしても字はいいなあ、なんか安心感がある。あと御守りとビール券が同封されていた、体には気をつけなさいって、ビール券を10枚も入れといて言う言葉か。無茶言い過ぎですぞ、母上。 変わりないですか。お心遣いはありがたいが、がっつんがっつん変わってるよ、母上。何度も読み返してにやけてみたり、やぱし手紙ってのは、格別ありがたいものだなあ。 |
1999年6月29日(火) |
こうして芸人ってのは堕落していくんだな、お笑いと芸人ってのは、やぱし違うんだろうにゃあ。 やっとこ目処がついた、昨夜も3時近くまで起きて作業をしてました。おかげではじめて十兵衛ちゃんを生で見れた、最終回まであの姿勢を貫いたのはすごいにゃあとか思ってみたり。 にしても金曜日からこっち、睡眠時間の平均が5時間くらい、さすがに体も慣れてきた、慣れてる場合じゃないんですけどね。んでも若い人たちにゃこれくらいなんてこたないんだろうにゃあ、年寄りの僕にはかなりこたえたのだけれど。 冒頭のは今日の炎のチャレンジャーを見てて思ったこと、コミカルヒャックマンね。小学生だからってなんだか失礼なことしてるよにゃあ、なんつか、あんなの芸なんて言っちゃいかんよにゃあ。 何をおいても見たいって芸人ってのが少なくなってきたなあ、あと番組も。その点、昭和40~50年代の関西はよかった、とくに大阪。昔はよかったなんて考え出したら年寄りもいいとこなんだけど、そう思わざるをえない部分も確かにある。 さてさて今夜も。 |
1999年6月28日(月) |
ひゃほう、パソコンのシステムが吹っ飛んじまったぜ(゚▽゚;)。 昨夜2時頃になんとか復旧。へろへろになって出勤し帰ってきてまたいじくってます。にしてもバックアップはマメにとっておくものですね、僕はもちろんとってなかったのでとんでもないことになってます、シャレにならんです。 お気に入りとメールのバックアップは古いながらもとっておいたので致命的なことにはならなかったのだけれど、デジカメで撮った写真のデータはすべて昇天。このサイトのデータだってサーバからダウンロードしたもの、はあ、やぱし大容量メディアを手にいれんことにはどうしようもないにゃあと痛感。 てなことでまた作業に戻ります、うう、ここ数日はろくに眠ってないよう。 復旧作業をしていて思ったのは自分の知らないうちにシステムがずいぶん巨大化していたということ、おかげでずいぶんと手間取った。でかいシステムであればあるほどバックアップはちゃんととっておかないとにゃあ。 あ、そうそうメールですが。データは3月中旬までのが残ってました、それ以後にメールを下さったかた、ごめんなさいです~。う~む、それにしても入力が、辞書データが消えちゃったのが実は一番痛いかも。 |
1999年6月26日(土) |
近頃のお子さまはあんちょこといった言葉は知らないらしい、ほぼ死語と思われる。 昨夜、というより今朝は5時近くまで起きており、すっかり日が昇ってから寝たのだが、工事の音で目が覚めた。裏の空地でゴトゴトと、時計を見れば9時過ぎ、まだ眠っている頭を揺らしながら近所の理髪店へ。 久し振りに髪を切った、帰宅して鏡で見てみたら、横顔が下の弟に似ている。下の弟と、よく似ていると知人からは言われるのだが、僕は全然そうは思っていなかったので、今日のことはちょっとした驚き。 僕がまだ髪を切ってもらっていたとき、まだ小学生と思われる子供が来店し、理髪店のおじさんと会話をはじめた。冒頭のはその会話の中から、べつに知っていたからといってどうってこともないのだが、会話の内容は微笑ましいものだった。 そのあとホームセンターなどを巡り、引っ越しの荷造り用のダンボールなどを買ってきた。午後は荷造りのために時間を費やしたものの、18時頃には寝不足がたたったのか力尽き寝てしまった。 今日は雨は降ることなく、ときどき太陽が顔をのぞかせていた。ちょっと勿体無いような気もしたが、しかたもない。ここのところ、ちゃんと歩いてないせいか太腿に贅肉がついてきている。まさに髀肉之嘆といったところだが、引っ越しを終えるまではしかたないと諦めることにした。 明日もまだ作業は続く、業者さんの見積もりはいつにしようかなどと考えているのだが、一週間前くらいでも良いのではないか。荷物をまとめていて思ったのはやはり本が多いということ、ずいぶんと整理をしたつもりだったのだが。 才を忘れよと言われてみても、なかなかに忘れられるものではない。一休さんの書も良かったが、遠州さんの肖像も良かった。遠州さんが活躍したのはまだ徳側幕府の創世期で、この頃に建築や土木の才がある人は幕府からずいぶんとこき使われたらしい。 遠州さん、藤堂高虎などは最たるものだが、その働きぶりを見ると、なるほど才も技術も忘れたくなるのは道理だと思わざるを得ない。遠州さんの言うように彼の人生がひどいものだったかどうかはともかくも、あれほどの働ける才能を持ちながらそれを忘れたいなどと考えることは、近頃の勤め人からは想像もつかないことではないかとも思われる。 最近思いついたことなのだが、いかほど遊ぶかといったことによって、どれだけ働こうかと考えれば、それにどれだけの比重をかけるかが容易に想像できるのではないか。 働くために働くのはとてもツマラナイと僕は思う。男、いや人たるものが仕事などに一生を費やしてたまるかといった思いもある。何かに一生を費やすといったことはとても充実したことには違いないのだろうが、それが仕事でなければならないといったことはあるまい。 そんなわけで遊びほうけます、なんとかこのことを正当化したいらしい。無茶ですね。 |
1999年6月25日(金) |
そっか、千葉はやぱし千葉なのか、上総や下総じゃないワケね。 反射ってのは恐ろしいもので、体が先に動いてしまう。本能ってヤツかねえ、とにかくココロはそのスピードに追いつけない。船に乗ってもっとも強烈に鍛え上げられたのはやはり反射(神経)で、いまだにその名残がある。 さまざまな危険に対処するには眼が事象を捉えココロで考えてからでは判断を下すには遅すぎて、どうしても反射的に判断を下すようになってしまう。多分に危険をはらんだ状況下ではそれはもっとも頼りになる技能ではあるのだが、残念ながら平時ではものすごくうっとうしいものに感じられる。 まま、それによってヤな思いをしたりすることもあるのだが、たまに危機を回避することもできたりするので功罪相半ばといったところ。 やたらと五感が働いてしまうのも困ったもの、それによって神経質にピリピリしたりすることはないのだが、やはりうっとうしくはある。しかし考えてみると眼や耳には死角は多い、いや、ときにはもっともあてにならないシロモノであったりもする。味覚や触覚、皮膚感覚だって簡単にだまされてしまうことがある。 よくよく考えてみると、けっこう欠陥だらけなのな。つか、脳って、その程度のものなんだなあって、へんに感心してしまう。んでも、じつは錯覚してしまえるところが、脳のほんとうにすぐれている部分なんじゃないかって、そう思ったりもする。 多摩川も多摩川なのか・・・、それはともかく。明日も明後日も雨、梅雨も本格化してきたねえ。雨の多摩川、丸子橋、風情だねえ・・・、いいなあ・・・、行ってこようかな。総武線、南武線、武蔵野線でムサシノをひとめぐりするとか。いいねえ、雨の日でもなきゃ浮かばない発想ではあるが。 う、でも引っ越しに向けてやんなきゃならないことが山積み・・・。グッとコラエておとなしく部屋のかたづけでもしていますか、うう・・・、つまんねえ。 |
1999年6月24日(木) |
よしよしよし、ちゃくちゃくと進行中なり。んでもって今日は休み、引っ越しの諸手続きで休まざるをえなくなってしまった、この忙しいときに(T^T)。 つっても自業自得なんだけどね~、どっちも。もちっと上手く立ち回らないと両方から愛想つかされちゃいそう、人生うまくいかないことばかりなり。 強風の中を、まずは市役所に行って郵便局に行って、そのほかいろんなトコを巡り歩いたから汗だくになって帰宅。風が生温いものだからすごく気持ちが悪い、エアコンつけりゃ寒いし(--;)、とにかくこの中途半端な天候にはもううんざり・・・、早く梅雨明けしないかにゃあ。 なんだかいろんなモノがツマラナイ、やぱし平日は労働しているのが一番なのだ!って心にもないことを考えてしまうほどツマンナイ。こうなりゃやはり、自分自身が遊びほうけなくては、決意も新たにしてみたり。 夕食は穴子御飯、もちろん出来合いのもの、さすがに自分で作る気にはなれなかった。ほうれん草のゴマあえを添えて、なかなか美味しかったっす。そういえば最近は美味しい魚を食べてないなあ、でもそれももうすぐ終わり、うふふふふ~、三崎港に入り浸るのじゃ~。 東京には良い魚が集まっては来るのだが、僕みたいな貧乏人には無縁の世界、大阪ならそれなりに安い値で食べられるのだが、どうしてこう東京ってトコは物の値段が高いのかにゃあ。もっとも電化製品などはまあまあの価格なのだが、なんとか衣食住、それぞれにバランスよくなれんものか。やぱし福井県に引っ越すほかないのかねえ。 そういや県別豊かさランキング、今回は発表されなかった。ワースト県のクレームにあったからだそうだが、そんなことくらいでねえ。どう考えても県庁、つか知事のしょーもない体面で発表が差し控えられるのって納得いかない。ま、べつに知ってみたところでどうってこたないのだが。 それにしても葛原さんのムチさばきはすごいにゃあ、タミーの愛も修羅さえ感じさせるのだが彼女の前では霞んでしまう。やはり人生、シワちちよりもデカちちってことですかね(違)。 |
1999年6月23日(水) |
ぐちぐちぐち、これだけ暑いと愚痴ばかり。 ホントに愚痴ばかりが口をついて出る、精神衛生上よろしくない状態が続いています。はひぃ、どうにもこうにも蒸し暑いでござりまする~。そればかりが理由でもないのだが、とにかくイライラ~。 仕事はさっぱり捗らないし、朝のラッシュ時にコンビニで立ち読みしておるバカはおるし、おかげでマンガ本は買えないし、道を歩けばダラダラと歩いているヤツがいるし。(自分を含め)一人残らずぶん殴ってやりたい気持ちをぐっと押さえ、男らしく涙を飲みまする、ってどこが男らしいんだ・・・。 見た目はさっぱり変わっちゃいませんが、いちおう作業は進んでいます。ソースをちょこっといじってるだけなんですけどね、あ~、でもソースを開いてみたりなんかしちゃダメですよ、スゲェきちゃないから・・・。はあ、寝まするか~、すっかり現実逃避気味だなあ(--;)。 |
1999年6月22日(火) |
だらだらと、相変わらずの状態。でもいいんだ、今年の夏は遊びほうけるって決めたんだから。 いきなし開き直りかい(^^;)、ま、確かにそう決めちゃったんだけど。今は亡き司馬さんは、近江を思うごとに心にシャボン玉が泡立つようなこころもちがしたらしいのだが、僕は水辺に近付くたびにそういった思いがする。 水辺ならどこでもそういったふうになるのだが、今はやはり三浦(半島)だろう。あの海のにおいというものは、どうにもタマラナイほどのこころもちにさせられるのだが、最近ふと思ったこと。やぱし太平洋が好きらしい。 何を今更って感じがしないでもないですが。好きです。 昨日のこと。ぺたぺたぺた。裸足で久里浜港線を野比海岸の公園に向かって歩いていたときのこと、漁師と思われるオッチャンに出会いそして笑いかけられた。最近は、こんなところを裸足で歩いている人は少ないらしい。トレッキングを両手に持ち、とぼとぼと。 公園でベンチに座り、足の砂を払い靴下を履き、トレッキングを履く。そのあいだも漁師のオッチャンたちが現れ、海を見、そして去っていく。入れ代わり立ち代わり、日々、ずっと続いている習慣なんだろうけど、なんか好き。 海はホント、エエなあ~。 さて、今年の夏はウナギが食べられるだろうか。ウナギの数よりも、僕の財布の中身のほうが少ないよな~と考えつつ、利根屋に行ってみようかなとか思ってみたりもする。利根屋、上池袋に在るウナギ屋さんなり。 あ、あと徳島ラーメン。こんなの徳島ラーメンじゃないやい!。 |
1999年6月21日(月) |
エイブルでのヤボ用が長引き、野比海岸に到着したのは12時過ぎ。そして僕の目の前に広がっていたのは・・・、真っ赤に染まった海。 赤潮(T^T)。それでも海に飛び込み泳ぎ始める僕、ここまで来て引き下がれるかいってなもんで。結局1時間30分ほど泳ぎ、2時間ほどグッタリ。赤潮のにおいに馴染めないまま野比海岸を後に、それでも僕の肌は一段と褐色になった。 運が悪いって言うか、でも赤潮が広がっていたのは波打ち際近くだけでちょっと沖に行くと綺麗な海。でもこの海岸っていきなり深くなっていて、三浦海岸ほど遠浅ってワケじゃない、だから沖に出るのってスゲエ怖いのだ、しかも今日はちょっと波があったし。 まあ、泳げただけでも良しとしよう。んでも今日気づいたのだが、オイラ、クロールを忘れちゃってる。平泳ぎだけでしか泳げなくなっていたんですけど、ま、海の男はそれだけでも充分って自分を慰めてみたりなんかして。ちょっとダラシナイな~。 「TVタックル」。ダイエット、したいなら船に乗れ!。僕は半年で体重が95kgから65kgまで減少してしまったっっっっっ!、うひ~、もし筋肉が付いていなかったらラクラク50kg台に突入してたんだろうな~、恐ろしい話しだ(^^;)。 べつに痩せていても太っていても、自分の生きかたにあっていればどっちでも良いと思うんだけど、どっちかだけに決め付けようってすることはやっぱムリがあると思うし。ちなみにワタクシ、痩せてるかたのほうが好きです、だからどうしたって感じですが。 現在模様替え中、てなワケで現在レイアウトなど、統一されてません。おいおい直していきますが、本人が遊びほうけているために完了するのが何時になるやらさっぱり解かりません。ま、長い目で見てやってください(^^;)。 |
1999年6月20日(日) |
明日は晴れ、よし。 もちろん泳ぎに行きまする、初泳ぎ、思いっきり。いちおう野比海岸を予定しています、その前に横須賀のエイブルに立ち寄って引っ越しの手続きなどを済ませないといけないのですが。 今日は寝て過ごしました、午後は全て昼寝にあててしまったし。そんなワケで改装、ってゆーか模様替えはさっぱり進められませんでした。もしかしたら所々リンクが切れてるかも、全然確認していないモンなあ、ってそんなことでいいのか。しかも・・・、相変わらずセンスなし、ひゃ~。 昨日は働いていませんでした、ってナニソレ!(゚▽゚;)。いや、作業が1時間ほどで終了してしまったもので、それから解放された22時30分までずっと読書。うひょ~、凄すぎまする~。 おかげさまで、街道をゆく「大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」、あと「新ロードス島戦記」の序章と1巻を読破。まんぞく、まんぞく(^_^)。それにしてもナルディアさま!、ニースさま~!!。 おっと、いけねえ、自分を見失いそうになってしまった。とにかくこれで暫らくは休日出勤もなし、一安心ですな。さて、もうひとしごと。 |
1999年6月18日(金) |
雨、降り続いています。明日も雨ですが出勤する僕にはそんなことは関係ない、こともない。いったいどっちやねん!、って自分に対して虚しいツッコミ、ああ・・・、本当に虚しい(--;)。 月曜日には泳ぎに行くつもりだったのに曇りだそうな、曇りじゃ行ってもねえ・・・、体焼けんしねえ・・・。どうしよう、いちおう準備だけはしていって、無理そうならその辺を散歩するって予定で行ったほうが、いろいろとダメージは少なさそうな。 午後はヒマにあかせて喫茶室にておっちゃんとおしゃべり、今日は横浜港のことなどを。来月いっぱいで彼がいなくなるかと思うと本当に残念、こうなりゃ個人的に雇おうかとも考えたが、僕の経済力じゃムリ(あたりまえだ(^^;))。 職場が別れちゃうと会えることは本当に少なくなるだろうから、今のうちに聞ける話しは全て聞いてやるとか考えています、幸いにも(?)暇な御様子だし。 いろいろ、廃止してしまいました。理由は、本人が面倒臭くなったから、ヒドイ話しだ(^^;)。これからまた、ちょこちょこといじくっていきます。梅雨だしねえ、外に出られることは少なくなりそうだし、まさに改装にはうってつけの季節!(゚▽゚;)。・・・・・・・・・、ヤケ?。 |
1999年6月17日(木) |
雨・雨・雨、遂に本格的に梅雨に突入か~。待ちわびていたぜ!(嘘)。 のどが痛い、タバコの吸い過ぎってワケでも無さそうだがちょっと心配。最近は酒を飲まないぶんだけタバコの本数が増えている、イカンなあ。一昨日からの凄まじいほどの蒸し暑さも関係あるのかも、そういや湿気の多い土地に住んでいると結核にかかりやすいのだそうな、なんでや?。 ふうわりふわりと過ぎ行く毎日、しかしヒマでヒマでだちかんわ。ヒマといえば今週末の土曜日は出勤、んでもやらなきゃならんことは午前中で終わっちまって、午後からは盛大な読書大会(゚▽゚;)。オイラは10時間以上本を読んでいても飽きることはないが、周りの人達は本当にツラそう。みんな、もう少しヒマをもてあまさないような趣味とか持とうぜって思うのだが、もてあまさなさ過ぎのオイラもちょっとヘンといえばヘン。 つか仕事中に本を読みまくっているのもなんだか(^^;)、でもほかにやることないモンな~。お菓子食って、お茶飲んで、本読んで、ゲームして、うみゅ、いったい何しに休日出勤してるのだかさっぱりワカラン。ま、楽でいいんだけどね。 今週末は日曜日まで雨だそうな、でも月曜日に休暇をとってあるので大丈夫、海さ行って思いきし泳いでくるだ。先週海に行ったときにゃあすでに泳ぎまくっている人がいたし、そろそろ大丈夫かなあと。泳いだあとは砂浜で身体を焼いて、でもって全力で昼寝をするのだ、めざせ土星人!(違)。 |
1999年6月16日(水) |
な~んだ。 NTTの定額制料金の話し、あれって2001年くらいになっちゃうそうな、今朝の日経新聞にそう書いてあった。ただ、料金は常時つなぎっぱなしでも月間5,000円ほどになるそうな、今すぐにでも施行していただきたいところですが、なかなかそうはいかないんだろうねえ。 家庭でも定額制料金となれば現在のようなテレホタイムのような混み具合って、少しは解消されるんだろうね、やっぱ。そうなれば少しは夜型の生活習慣も改善されるってものですが、でも僕、三浦に引っ越しちゃうんだよねえ、となると否応無しに夜は早く寝なきゃいけなくなる。イナカってスバラシイ!(゚▽゚;)。 ベイファンのおっちゃんが7月いっぱいで職場を離れることに、これから忙しくなるってのに(T^T)。そのおっちゃんと昨日話していたのだが、この人も剣崎のことを「けんざき」と呼んでいた。やっぱ地元民は「けんざき」なんや~って、ちょっと感動。 彼は横浜市の神奈川区、大口駅周辺に在住。根っからのハマの人のために、昔の横浜のことなどつぶさに知っていて、話していてとても楽しい。活動的な人で現在はラリーが主な趣味、大会にも参加していて入賞するほどの腕前。昔っから元気者だったらしく、横浜や三浦半島で暴れまわっていたそうな。 実際のところ、彼がいなくなって仕事が忙しくなることよりも、昔の横浜や三浦半島のことが聞けなくなることのほうが痛い。なんとか思いとどまっていただけないかなあ、って既に決定されたことなんだけど。 あと1ヶ月ほどでこの地を離れるかと思うと、言い知れぬ愛着がわいてきた。三浦に行っちゃったら、まずここに来るようなことはないだろう。そう考えると、明日からの暮らしは、より濃厚な想い出となりそうな気分になります。 |
1999年6月15日(火) |
そういえばボーナスは出ないんだっけ、すっかり忘れてた(^^;)。 てことで、引っ越し貧乏、つか、極貧決定!(゚▽゚;)。うおー、やぱし思いつきなんかで引っ越すもんじゃねえ~!。こうなりゃ宝くじに期待するほか無い、まだ当選番号は知っちゃいないが、是非ともいくらでも~。 ああ~、神頼みなんかするようになっちゃあ(--;)。んでもツライのは来月だけで、その後は通常ペースに戻る、ハズ(゚▽゚;)。ハズってキミ・・・、ま、しかたも無いことなんだけどねえ。はふぅ。 住民基本台帳法案が可決されたらしい。オイラ、のほほんとしているせいか、あましこの制度には悪い印象は持っていない。背番号ってなんかカッコイイし(゚▽゚;)。 しかし、コイツとプライベートがどうたらっていうのと、どういったつながりが。気持ちはワカランでもないが、なんか話しが違うような。どっちかって言うと、やっぱ盗聴法案のほうが問題あるよな~、まあべつに盗聴されて困るような会話はしてないんだけど。つか、聴かれているほうが燃えるかも!(゚▽゚;)。 さてと、馬鹿なこと言ってないで寝ますか。 |
1999年6月14日(月) |
さようなら、市川市の皆さん。僕は、三浦市民になりまする~。 部屋探しに行ってきました、まわった不動産屋さんは2件。うち1件はエイブル、そちらで2件ほど候補を決めてきました。どちらにするかは水曜日に返答することに、それまでにじっくりと考えて。 場所は三崎口駅周辺と三浦海岸駅周辺。三浦海岸の方は海まで300メートルほど、う~ん、悩んでしまうが三崎口の方が1万円ほど安い。しかも三浦海岸へも三戸海岸へも歩いて30分ほど、こりゃ悩みますな、ほんとに。 品川までは通勤快速で1時間ほど、通勤も便利といえば便利だが、下りの最終電車は三浦海岸までしか行かない。三崎駅周辺には何も無いけど三浦海岸にはいろいろとある、生活するには三浦海岸かなあ。でも、やっぱり魅力的な三崎、小網代の森だって近いし、あ、つことは虫が多いのか(゚▽゚;)。 イナカモノなわりには虫嫌いなワタシ、んん~、やぱし三浦海岸の方かなあ。でも引っ越しの初期費用を考えると~、ああ、貧乏って嫌いさ。 今日案内していただいた店員さんが三崎駅周辺に住んでいて、おかげで周辺情報をいろいろと聞けました。生活するには、やぱし三浦海岸の方が良いそうな。見せていただいた物件から程近いところにお住みだそうで、こちらに引っ越したらご近所になるそうな。 彼女は三浦海岸花火大会は畑の中から見ているそうなのだが、それもまた風流だにゃあ。ちなみに両物件とも駐車場つき、でも置くものがバイクしかない。あまし意味の無いような気も、まあエエねんけどね。 さて寝まする、さすがに今日は疲れたよ。 |
1999年6月13日(日) |
「覚悟をしないでも生きていけることは、幸せなことだ」、か。 日記のページ、ってここですが、ちょっと変えてみました。んでも前より読みづらくなっているような、だめだね、まったく。こういった感じに、「自己紹介」も「いろいろ」もする予定、忘れないかぎりは。 忘れるといえば、5月の休暇中の日記、すっかり忘れてました。せっかくだから、このまま忘れていることにします、何がせっかくなんだか(--;)。休暇中は、走りまわってました。9日中、5日間走りに出て、走行距離は約1,000キロメートル。スクーターでこれだけ走ることができたんだからほぼ満足。 林道はそれほど走らなかったんですけど、「剣山スーパー林道」、「大木屋小石川林道」といった名だたる林道を走破できたことで、こちらも満足できました。あと走ってておもしろかったのは「南阿波サンライン」、「日和佐小野線」、「由岐大西線」の諸道。それと牟岐町の灘ってところを走る古道、ここは一度も通ったことのない道、というかその存在すら知らなかった道であったので、走っていて本当に楽しかった。 あの休暇から、もう1ヶ月以上経ってしまったのだなあ。その当時の写真を見ながら溜息をつくばかりです、あ~、また走りに行きてえ~。 今日は家でゴロゴロしていました、体はまだ熱を持っていて触ると熱い。朝おきるのが早くて、そのせいかどうか、午後にはいると激しい頭痛が。ドラゴンズの試合の中継が終わると同時に昼寝、おきたときにはすっかり治っていたのでどうやらやはり寝不足のせいだったらしい。 しか~し、ニュースを見ていたら、ドラゴンズが逆転負けしているじゃないか(゚▽゚;)。寝る前には6:2でリードしていたのに、なんと8:9で逆転負け。確か去年の優勝争いしているときにもこんな負けかたをしていたような、ベイスターズ相手に。ああ、また頭痛が(T^T)。 今夜の「世界ウルルン滞在記」ではカツオの一本釣りをしていた。その練習方法の竿の先に水を入れたペットボトルをつけて一気に抜き上げるというやつ、あれは日本の一本釣り漁師たちもやっています。僕の田舎では、ペットボトルではなくバケツでやっていました。なんだか懐かしい光景に、「俺は幼い頃から本物のカツオを相手に練習していたものだ、ペットボトルと生きているカツオとでは感覚が全然違うぜよ!」と、はしゃぎ放題。 ほんと、一本釣りは散々やってきたのでもういいですとか考えながらも、目の前でそれが繰り広げられたりしたら、嬉々として参加しちゃうんだろうな。海の男、というよりは漁師としての本能が先に立ってしまい、全力で労働しちゃうんだろうなあ。僕、どうしても釣りは漁として捉えがちになってしまいます、釣った魚は食べるようにしているし。なんかビンボクサイ気もするが、漁師なんてみんなこんなモンだ。 ただ、各地で名人といわれるほどの人には、なぜか魚好きの人が少ない。特に自分で釣った魚は全くといっていいほど食べない、なんとなく理由はわかるのだが。おそらく、自分で食べるためにではなく商売として魚を釣り上げているってことに、ある種の後ろめたさのような感情を持っているのではないか。漁師は、無用な殺生というものを、極力避けるといった特徴を持つ。 あと見てて気になったこと、カツオのタタキを作った際、焼き上げたサクを氷水に浸けていたが、あれはカツオの旨味を外に逃してしまうだけなのでお勧めできません。そういえば帰省したときには遂に食べることができなかった、焼津にでも行ってこようかなあ。 「こぼれ酒」を美味いと感じられるようになれば立派な酔っ払いだが、人生にこぼれ酒はあるものだろうか。小野田さんの一生のうちのこぼれたぶんが今のそれであるのだとしたら、悪くないといった気分にもなるのだが、しかしこぼれ酒を味わうためにはマスの下に受け皿がなくてはならない。小野田さんはそれを持ちあわせていたのだが、はたして僕にはそれがあるのだろうか。 |
1999年6月12日(土) |
スカッと晴れた一日。 ズボラをして衣笠駅で降りた、予定では横須賀駅から歩き出すはずだったのだが、衣笠までの1時間が惜しくなった。部屋を出て直ぐに帽子を忘れていることに気づいたのだが、ままよとばかりに取りに帰らなかったがやはり心配ではある。 横須賀三崎線を三崎方面へ向かって。衣笠の立地条件というか、その位置的条件は、なるほど三浦半島の経営には適していると考えざるを得ない。北は横須賀、東は久里浜。南は小和田湾へ通じ、西は逗子、鎌倉へと縦横に。なかでも横須賀港、久里浜港、小和田湾と三浦半島を取り巻く三海に面する良港へと通ずるのは、やはり大きい。 満昌寺は、前に一度来ているはずなのだが、まったく思い出せない。もっともそのときは満昌寺が目当てだったわけではないので、しかたも無いのだが。一体どの程度の規模の寺なのかがわからないために、きょろきょろと見て歩いたのだが、その場所は直ぐにわかった。 境内にはその由来などを記載した掲示板があり、親切なつくりになっている。大介さんの坐像を是非見たかったのだが、その像が安置されている御霊神社への通路は閉ざされていて、進入できないようになっている。受付で申し込めば見せてもらうことができるのかもしれないが、御霊神社へと続く階段を見ただけで、なんとなく納得してしまった。 そのたたずまいは、清雅な気に包まれているようで清々しさを感じる。大介さんの坐像は写真で見たことがあるのだが、なにやら、そのあたりの港町へ行けばどこにでもいるような爺さんに見えて、妙な親近感を持ってしまった。ガンコそうなところがなんともいえないのだが、この爺さんがその後の日本の歴史を変えてしまうほどの決断をしたかと思うと、空恐ろしくなる。 多分に政治的な決断であったかとも思えるのだが、この爺さんなら、ただただ頼朝(源氏)が好きだというだけで決断してしまったとも考えられる。大介とは彼の自称なのだが、しかしこのひとつの決断で、彼は本当の大介になってしまったともいえる。 せめて墓参りでもと考えたのだが、青雲寺を見つけだすことができなかった。そのまま真っ直ぐに進み、佐原インター入口で右折、横須賀葉山線を野比へと向かう。 野比海岸の公園でしばらく休む、今日は対岸の房総半島をはっきりと見ることができた。打ち寄せる波音が心地良く、ウインド・サーフィンを愉しんでいる人たちを眺めているだけでもおもしろかった。 この海岸でウインド・サーフィンをしている人たちは、津久井浜の人たちほど上手くないように感じた。こちらで上達してから津久井浜へと向かうのだろうか、それともおりからの強風のせいで、上手く風をつかめていなかっただけなのか。 久里浜から横須賀まで、電車で移動。中央公園でベンチに寝転がりそのまま昼寝、1時間以上を寝て過ごした。顔も手もずいぶんと焼けてしまい、真っ赤になってしまった。 日差しの強さを肌は直ぐに忘れてしまうが、心に焼きついたその強さは用意には忘れ難い。頼朝も、多難な時代に浴びた大介さんという日差しの強さを、生涯忘れられなかったであろう。その日焼けの跡がまだ、満昌寺、青雲寺といった形で残っているのだとしたら、大介さんという人の精神が帯びた熱というものは、計り知れないほどのものだったに違いない。 |
1999年6月11日(金) |
明日から3連休、天気は3日とも晴れ、よしっ!。 行きたいところはいっぱいあるのに体力がもちそうにもないってのがちょっと情けないですが、それでも思う存分遊びまわりたいと、そう決心した次第であります!。って胸を張って言うようなことでもないですが。 手始めに明日は先週に行けなかったところを巡ります、せっかくだからと海も山もと欲張ってはみたものの、冒頭に述べたように体力がもつかどうかが心配。でも気力が充実しているので体力の無いぶんはそちらでカバーして。 タイガース、一日にして単独首位から転落。でもまだ首位であることには変わりない、純金ノムさん人形も好調な売れ行きのようですし、もっともっとがんばっていただきたいものです。 僕は一応(一応かい!(^^;))ドラゴンズファンなのだが、実家の経済圏はなんといっても関西。タイガースの好不調が同時に関西経済の好不調でもある以上、実家の家計の好不調もその影響にさらされまくっている。つっても実家の家業は漁業なのだが(゚▽゚;)。 んでも、やぱし影響があるのだからしょうがない。たとえ水揚げ港が塩釜港であったとしても、何故か影響がある、ある以上タイガースにはしばらくがんばっていただくほかない。つことで、せいぜい気張りやんせ、タイガース。 そんなことはともかく、マグロの話し。関西ではキハダマグロ、関東ではホンマグロ(クロマグロ)が珍重される。これは一体何故なのだろう、長年考えつづけているのですが、未だに結論が出せないでいます。もしかしたらこの2種のマグロの漁場と関係があるのかもしれませんが、それをもってその理由とするわけにはいかないようです。でも、理由の一端ではあるのだろうなあ。 かつてシビ縄漁と呼ばれていた(今でもお年寄りを中心にそう呼ばれているが)マグロ延縄漁も今ではすっかり機械化が進み、その名の通り「縄(ロープ)」で漁をしていたものが、今ではナイロン糸を使用したものに変わっている。 だからといって漁自体の過酷さは昔と何ら変わりはないし、相変わらずアタリハズレがある。それでも海へ漕ぎ出す男たち、ロマンではなく生活に縛られているというのがのがちと悲しいが、それでも海の男たちは明るく強い。 あり、ふと疑問に思ったのだが、船員募集にも男女の区別をつけちゃいけないんじゃないのか?。ん~、定期船やフェリーなどの船員なら大丈夫だとは思うが、漁労員はねえ・・・。でも希望があったら・・・、う~ん、あまし考えたくはない。 今では水産高校にも女生徒が増えてきたし、実習航海にも参加している。弟たちが水産高校時代に(マグロ延縄漁を行なう)実習船に乗ったときには女生徒の参加がなかったのでどうだったかを聞くことはできないが、たくましいというか、心強いかぎり。でもでも、やぱし抵抗はあるなあ。もっとも女生徒なんて表現しているようじゃ、それも無理はないか(^^;)。 |
1999年6月10日(木) |
世間は梅雨真っ只中のはずなのだが、いまひとつはっきりとしない天気が続く。つか、それが梅雨なんだってばさ。 梅雨時に晴れか雨か、しっかりとした天気を望むというのが無茶。それを解かっているつもりでも毎年、この時期にはイライラしています。現在、自宅には2本、職場にも2本の傘があります。何時如何なるときに雨が降ろうとも対応できるだけの体制を整えてはいても、やっぱし雨降りには気を遣うし、天気予報は欠かさずに見る。 今日だって雨降りの予報だったのに結局は降らず終い、天気予報は4割がた当たりゃ良いやと思っていても、どうしてもムカッとしてしまう。まだまだ、修行が足りませんな。 やっとこ花の写真を撮ったものの、中途半端な時間に撮ったために、あまし出来は良くない。つってもこれまでの写真だってたいしたこたないのだが、もうちっとでもいいから、やぱし上達したいにゃあ。 にゃあにゃあ、にゃごにゃご。ついにはタイガースの単独首位か、大阪は盛り上がってるようだし、良いことだ。それにしても監督が変わっただけであの強さ、戦う上でいかに指揮官が重要であるか、考えさせられてしまいます。 競馬のレースでは勝てる要素のうち馬が7割、騎手が3割を握っているといわれるが、ほかの戦いにしたってそうだろう。タイガースは監督もスゴイが、選手もやっぱスゴイのだろう。いかにノムさんが知恵をしぼってみたところで、それを実行できるだけの選手がいなければ勝つことはできない。 つことで、せいぜい気張りなはれタイガース!あり。 |
1999年6月9日(水) |
花の写真、結局撮らず終い。 朝に家を出たときは雨が降っていた。あまり強い雨ではなく、駅に着く頃にはあがっていたのだが花に対する被害は甚大。紫陽花の花はシオシオ、水仙(?)に至っては黄色い花粉がだらしなく白い花弁を伝って流れ落ちていた。こりゃあ、写真を撮るような状況でもないでしょうと素通りしたのですが・・・。白に黄色、なんか変にエロいっつーか、妙な気分になってしまった、花粉を見て!(゚▽゚;)。 う~ん、落ち着け自分、と喝を入れてはみたが結局今日一日あとひいた。それにしても花粉ごときでこんな気分になってしまうとは、オイラも落ちたものなり。 帰り道、B’zの新譜を買った。来月にはアルバムも発売されるし、TMNも久方ぶりに新曲を発表するらしい。てなワケでしばらくはゴキゲンな日々が続きそう、良いことですな。 中古CD屋でアリスを探したのだが見つからなかった、そう、あのチンペイ、ベーヤン、キンちゃんの3人組。なぜか最近やたらと聞きたくて、その辺のCD屋をシラミツブシに探しまわったのだけれど発見できず。実家にはCTやレコードが大量にあるのだが、残念ながらそれらのプレーヤーを持っていないので聞くことができない。 だからといって、定価を払ってまで手に入れたいと考えていないのが中途半端なところ、思い切って買っちゃえば良いのにとか思うのだが。あとチンペイ、もとい、谷村さんのCDも欲しい。つか、「英雄」が聞きたいだけなのだが。 書いてて、’70年生まれはすでにオッチャンなのな~と実感してきた。だいたい、キンちゃんを知っている人がどのくらいいるのか、’80年、いや’75年以降に生まれた人たちの中に。 つことは、バンバンを知っている人も少ないんだろうな、やっぱ。ばんばひろふみさんは今何をしているのだろう、そりゃ歌っているに違いないのだが。いや、それよりも「ゆき姉ぇ」のほうが気にかかる、兵藤ゆきさん、今いずこ~。エンドレスナイトにエンドレスファイター・六車卓也さんを君は、知っているか?。 |
1999年6月8日(火) |
あ~、恥ずかしかった。 帰り道でタバコを買ったときのこと。「すみませ~ん、ゴールデンバットをワンカートンくださ~い。90円のヤツね~」。おじさん、「はいよ~。あ、これ、いまは110円だからね~」。ボク、「きゃあ!」。思わず声に出してしまいました。あ~、ほんと、恥ずかしかったよ。 いつもは自販機で買っていて、ちゃんと110円払っているくせに、ふとしたときに忘れちゃうのね。 昨日まで停滞していた仕事が今日は急展開、一気に前進。やっぱ、酒飲まないで寝たせいかな、頭はスッキリ、身体はシャッキリ。うむ、しばらくはこれを続けよう。面倒臭い仕事はさっさと片付けて、引っ越しの段取りを進めないと、先送りしてしまいそうで気がかり。 かなり良い物件を久里浜で発見したために、この物件を中心に据えて、ほかの物件を探すといったスタンスで。通勤は面倒になるけど、遊ぶのには良いところ。今回の引っ越し、要するに仕事より遊びを取ったってことです。 明日の朝は紫陽花と水仙(?)の写真を撮ろうと考えています。通勤途中に咲いているのですけど、見るたびに心和みます。花ってホント、良いですよね~。 |
1999年6月7日(月) |
うあ~、酒飲んで寝ると朝が辛い、なんか身体がスゲェだるいの。 酔っ払って寝るのはしばらくやめよう、ダルさが一日中残っているし、やたらと眠いし。もう少し自制心ってものを身につけないと、だらしない酔っ払いになってしまいそう。つか、清く正しい酔っ払いってのは、どういったものなんだろ。 今年の梅雨は、久方ぶりに本格的なものになるそうな。本格的な梅雨になるってことは、向こう1年間、気候は順調に進むってことなのだろうか、そりゃ良いことだ。 そういや台風3号は香港付近を北西に進んでいる、1号は見たのだが、2号はいつの間にできていたのだろう。台風・・・、血が騒ぎますな。 ん~、平凡に一日が過ぎていく。幸せなことなのだが、ずっとその中に身を置いていると、そのありがたみが解からなくなっちゃうのな。とか言いながら、ついつい生活に刺激を欲しがってしまう。ダラシナサ全開中ナリ~。 |
1999年6月6日(日) |
う~む、「街道をゆく」を見ながら書いていたからなぁ、影響されっぱなし。 いや、昨日の日記の話しですが。それにしても島原は受難の土地だなぁ、なにゆえ、ああも立て続けにロクでもない領主が封じられたのか。選挙で統治者を決めることのできなかった悲哀というか、んでも、現在の政治のありかたを見ると、べつに選挙で決めようと決めまいと、ロクでもない為政者は必ずといって良いほど居るし、その点、やはり不幸と言うほかない。 べつに政治などどうなったって構わないとか思ってはいるのだが、「ガイドライン関連法案」。そのものにではなく、それが可決されるまでとされた時のジイさんやバアさんたちの言い分が気に食わなかった。 「もっと若い者達が政治に興味を持ち、反対意見を述べたり行動を起こしたりしないと」、「戦争っていうものの悲惨さを解ってない」とか言っていたのだが、でもさー、そういったものを良く解っているはずのあんたたちの世代が決めたものじゃん、それって。 つか、学生たちが反対デモを行なったくらいで揺れ動くような政治なんぞしてもらわんで結構、とか思ってしまいます。普通、血気に逸る若者たちがそんなものを発案したりするものなのだが、分別があるはずのジジババたちが発案、可決し、あまつさえ若者に対してワケのワカランことを物申す、世も末だなぁ。 そういや、朝の「サンデーモーニング」で正しい日本語がどうたらとか言っていた。「ってゆーか」は、そりゃ正しいとは思えないが、その意味するところが解らないといったオッちゃん、オバちゃんの感性にも問題があるような気がする。 「言葉」は昔から勉学するよりも学習するものだと、そう考えてきた。だいたい、昔の人たち(奈良・平安期)のほうが、より言葉ってものを勉強していたし、つい最近まで「はなしことば」としての日本語は貧しいものだったじゃないか。 文章、というか「かきことば」は勉強してどうにかなるものだが、「はなしことば」はどちらかといえば感性のほうがより重要になると思うし、人と話して慣れるほかない。敬語もそうだ、若者が敬語を使えないと嘆くよりも、若者が敬語を使いたいと思うような尊敬できるオトナになることのほうが、重要なんじゃないか。尊敬できないような人に対して、敬語なんて使うわけないんだし。 とか考えていたら、母から電話があった。下の弟が小型船舶の免許を取得しに行っているそうなのだが、漢字の読みが解らなくて往生しているそうな。その漢字は「鋳造」と「囲壁」、それぞれ「ちゅうぞう」と「いへき」なのだが、そんなことでは弟よ、免許取得の日は遠いぞ。 さてと、麦茶をがぶ飲みして寝ますか。早くも夏バテ気味なのだが、今年の夏は暑くなりそうだなぁ。今から憂鬱です、夏は僕の季節だったはずなんだけどねぇ(--;)。 |
1999年6月5日(土) |
初めて見た印象は、予想に反して大きいといったもの。 JR・横須賀駅で降りて臨海公園沿いに。横須賀本港には今日もたくさんの軍艦が停泊している、どれが日本のものかアメリカのものか、遠目には判別できない。ここから軍艦が戦地に赴いていくことなど想像したくもないが、昨今の情勢では楽観もできない。 今日の予定は三笠公園、横須賀中央公園を巡り、満昌寺と青雲寺へ行き、最後は「くりはま花の国」。満昌寺、青雲寺は三浦氏ゆかりの寺。 冒頭のものは取り舵(左舷)の艦尾から見た印象、三笠は艦尾から見るのがもっとも姿が美しいと思う。ゆっくりと、艦首に向かって歩く。不思議なことに、舷側を過ぎ、艦首に着いたときには、印象は最初のものとは違っていた。 艦尾から見たときより、かなり小さく感じる。僕は、軍艦というものは、艦首の左舷から見るのが最も美しいと考えていたのだが、三笠にはそれは当てはまらないらしい。 三笠に乗ってみた。艦尾を一巡し、艦首に向かう。甲板は、当時のものではないだろうが、板張り。主砲塔は、太平洋戦争時のものとは違い、無骨なもの。前甲板は、美しかった。乗ってみて感じたことは、扱いやすそうな船だということと、やはり小さいというもの。 艦首から見上げた艦橋は低く、その倍はあるメインマストが印象的だった。2本マストに2本煙突、擬装をはずせば、とても軍艦には見えないだろう。 艦橋に昇った、こんなに低い位置から敵艦を視認することができたのだろうか、といった思いがわく。もっとも、当時の大砲の射程距離は10キロメートルほどだったし、有効射程距離は6キロメートル前後だったので、これでも事足りたのだろう。 東郷サンが立っていたといわれる位置に、僕も立ってみた。この船を操ってみたい、すっかり気に入ってしまった、数多いる船好きの人がこの船を気に入っているってのが良く解る。 艦内へ。いろいろな展示物がある。そのなかに、ルービンさんがニッポンタイムスに寄稿した文章があった。この人は、三笠がまだ英国で擬装されていたときからのファンだそうな。 キャビンルームに、東郷サンほか、先任参謀の秋山サンなど、船の主要な人の集合写真が飾ってあった。皆、肩書きを見ずとも、どのような役職にいるのかが判るような人ばかり。一様に、海の男の顔をしている。 士官室は、司馬サンが言われたように、薄暗く感じた。 再び後甲板に立った、潮の香りが強い。しばらく沖合いを眺めたあと、ゆっくりと船を降りた。 公園内を一周し、三笠へと帰ってきた。振りかえり振りかえり、遠ざかる三笠を眺めながら、ルービンさんの寄稿文を思い出した。彼はその中で三笠のことを「彼女」と呼んでいる、なるほど、艦尾から眺めると確かに貴婦人のようだ。 東郷サンたちの写真を頭に思い浮かべた、あのスマートな人たちが、この貴婦人のような三笠をどのように扱ったのかが何となく想像できる。日本海海戦は、確かに大博打のような海戦ではあったが、この海戦で東郷サンたちが勝てたのは、ただの僥倖ではないように思える。船というものは、それを扱う人たちの心というものを、正確に反映させる性質がある。 ついでながら、船の船霊サンは、女性である。 三笠公園を後にして、中央公園へと向かう。 涼しげな風が吹いていて、心地良かった。心地良すぎて、公園のベンチで昼寝をしてしまった。たっぷり1時間、もはや歩く気力は無くなっていた。もと来た道を帰り、横須賀駅へ。帰る道すがら、これでは寝に来たようなものではないかと、可笑しくなる。 電車の中でも、また寝てしまった。来たときもそうだったのだが、これではまるっきり、寝に来たようなものだ。もちろん、帰ってからも寝た。 うちのジイさんは陸軍に召集されていたのだが、それでも海軍の軍艦の写真を数枚持っている。幼いころに見せてもらったことがあるが、どれも船の姿が良かった。軍艦など、そりゃ無いに越したことはないが、不思議な様式美には心惹かれるものがある。 旧帝国海軍のパゴダマストは、現在の艦船には見られない。あの仏塔のようなマストは、実用性も高かったのだが、それ意外の意味も持っていたのではないかと考えるのは、海に生きる者たちの、無用な詮索というものであろう。 |
1999年6月4日(金) |
新橋に立ち寄って3億円を買ってきた。 もちろん宝くじのこと、ドリームジャンボ。連番20枚とバラ10枚、しめて9,000円。宝くじを買ったのって、本当にひさしぶり。前回買ったのは7年前だっけか、確か末等が当たったような。 3億円当選すれば、もちろん隠居。有無は言わせません、ただ、仕事はしばらく続けるかと。じゃあ、隠居じゃねえじゃん!、って自分に突っ込んでしまいそう。これを獲らぬタヌキの皮算用という、ちなみに徳島はタヌキの本場。 本八幡駅でリュックを買った。1,050円という値段につられたのだが、これが良い買い物であったかどうかは、明日を待たなければならない。リュックの良し悪しは、実際に身に付けて歩いてみなければ判らないからだ。 買うときに、リュックの中に荷物を入れてその辺を数キロ歩いて確かめることができればこんな冒険的な買い物をすることもないのだろうが、それはできない。できない以上買うしかないし、ハズレであった場合には、あわれタンスのコヤシ。 現在使用しているリュックは8年前に買った、我が家にあるものの中でも最古参の部類に入る。そろそろこいつの後釜をと考えているのだが、なかなか良いものが見つからない。自分の体や好みにあう品物を見つけるのは、今更ながらムツカシイ。 ムツカシイからこそ手に入ったときには嬉しさもひとしお、大事に大事に取り扱って、できるかぎり長持ちさせようってのが人情。僕のリュックは、まじまじと眺めてみると、いろんなところにガタがきている。社会人になってから、ずっとコイツと付き合ってきたのだなぁ。そのあいだ、いろんなことがあったけど、まあまあオモシロかった。 明日は横須賀市内を散歩。中央部と、そして海沿いを歩いてみる。 |
1999年6月3日(木) |
ダウン。 ここのところ、やたらと体がだるかったり、ご近所の植物が梅雨モードに入ったりしていると思ったら、やはり梅雨入り。こんな都会の、季節の変わり目が良く判らないところでも、僕の体や植物はしっかりと四季の移り変わりを感じとっているようです。 それは良いのだけれど、体の調子が悪くなるのは困ったもの。雨にも雪にも負けない体が欲しいよう。 トップページを衣替えしてみました、でも変わり映えしない、っつーか相変わらずダサダサ。しかも迷惑も顧みず、やたらとデカイ画像(233KBもある)を背景に使ってしまった(^^;)。夏の背景用に朝顔でも撮ってこようかしら、花が咲き出すのはまだまだ先のことなんだけど。 せめて季節毎にはトップページを変えていきたいとは思っているのですが、根っからの面倒臭がりなので、それもままならないありさま。 今年の夏は夏祭りや花火大会など、どんどん外へ出てみようと考えています。昨年は江戸川花火大会に行ったくらいで、そのほかのイベントにはさっぱり行かず終い。とりあえず三浦半島で行われるイベントには全参加、これを目標に。ま、その前に梅雨をのりきらなきゃならないんですけどね。 |
1999年6月2日(水) |
ひさしぶりの写真。先月の「あれこれ」はなんと4枚しか掲載していない、ああ、こんなことでは。 今月からちょっと大きめのサイズで掲載することにしました、調べてみたらサイトのサイズはまだまだ小さかったので。サイズによって見えかたとかが全然違ってくるし、どうせならできるだけ大きなサイズで載っけたいと常々考えていたし。 過去3ヶ月(当月含む)分までしか掲載しないつもりだったのですが、容量に余りがあるなら。というか、掲載枚数が少ないのでしばらくはこのまま載っけておきます。 僕んちの周りもガーデニングをする人が多くて、おかげで僕も労せずしてその恩恵にあずかっています。今日の朝、通勤途中に見た紫陽花はすでに花が咲き始めていました。もう、梅雨なんだねぇ。 ああ、ぼさーっと一日を過ごしてしまった。なんだか勿体無いような、仕事をもらって安心してしまったのだろうか、ここのところ、すっごくヒマだったからなぁ。つか、ヒマに慣れきっちゃっているような。 べつに悪くないんだけど、でも未だにゴールデンウィークボケが続いているのって、平和って言うか、お間抜け。 最近自分がどんどん家畜化していっているような気がする、あの永田町のジイ(バア)さんや霞ヶ関のオジ(オバ)さんたちって、どうしてヘナチョコな考えしか頭に浮かばないのだろう。不思議といえば不思議な話し。 |
1999年6月1日(火) |
トップ、昔の写真を飾ってみた。つか、最近あまりにも撮ってないっす、写真。イカンなぁ。 一夜明けて冷静に考えている、昨日飲みにいったときに話題に出た「もんじゃ焼き」。味自体はマアマアかなぁとか思うのだが、あの形状がどうも。どうにもあのドロドロ感はいただけない、確かにお焦げは美味しいのだが。 で、どうしても関西の「お好み焼き」や「たこ焼き」と比べてしまう。幼い頃から慣れ親しんだ味。発想は同じようなものだと思うのだが、東西で、というか東京と大阪で、なぜこれほど違うものになってしまったのだろう。 どこがどう違のか、気になったので三省堂の「新明解百科語辞典」で調べてみた。 お好み焼き、「鉄板焼きの一種。水で溶いた小麦粉に好みの具をまぜ、焼きながらソースをつけて食べる。具はいか・桜えび・野菜・肉など。」、ふむふむ。 たこ焼き、「小麦粉を水・卵などで溶き、蛸を刻んで入れ、型に流して球形に焼いたもの。大阪が本場。」、うん、そのとおり。 さて、もんじゃは、と。もん・もん・もん・・・、モンジュ、フランスの数学者・・・、って違~う。なんや、載ってへんやんけ~。いや、待て、たしか文字焼きが語源だって聞いたことがある。もじ・もじと・・・、モジュール、建造物などを作る際の基準とする寸法、って違~う、なんや、やっぱり載ってへんやんけ~!。 「百科語にも取り上げられへんような、そんな貧弱な食べ物で、食文化を語るなどもってのほか。あまつさえ、食の都、大阪と張り合おうなんて、百年早いわ~!」って、もんじゃ焼きを経験していなかったら、なかばキレていたことだろう。 それにしても、粋を旨とする江戸っ子が、なぜあんな野暮ったい食べ物を創造してしまったのだろう。ちょっとした出来心だったのだろうか、それとも本気?。 もんじゃ焼きはもともと安い食べ物だったらしいのだが、今では見る影もないような。お好み焼きもそうで、僕が子供の頃には「卵入りお好み焼き」が180円だったのだが、今では一番安いのでも400円以上はする。確か、「豚玉」は280円、ミックスでも350円ほどだったように記憶しているのだが、今では双方とも比較にならないほどの高値。 学生時代には随分と世話になったものだが、今では食べる機会はぐっと減っている。たまに無性に食べたくなるときがあるが、そのサイクルは年々長くなっている。 それなりに関東の食文化に理解のある僕でも、やっぱ、何となく引いてしまう「もんじゃ」。最近は関東、関西の垣根も低くはなってきたものの、根底に近付けば近付くほど、両者の違いがはっきりとしてきて、比べてみるとなかなか面白い。 ただ、「文化とは優劣ではなく、差異である」といったコトバだけは胸に刻み付けておきたいものです。東西の食文化の違いも、優劣ではなく、地域の生活に根ざし発展した結果の差異にすぎない。 関東の人だって、お好みをオカズにメシを食う関西人は変なヤツラだって思っているに違いないだろうし(笑)。 最近もっとも気になっているものは「無煙お好み焼き」の店、一体、無煙にする意味はなんなのだろう。気になってしかたがないが、だからといって入ってみる気もないし、誰か、知っている人がいたら教えて~。 |
1999年5月31日(月) |
べろべろ、でろでろ~。 やっぱ早い時間から飲むのってキツイような。昨日も結構早い時間から飲んでたんだけど、今日ほどマワリが早くは無かった。てことはやっぱり、職場という緊張した場から解放されて精神的に弛緩した状態で飲むからだろう。 とか言いながら帰り道、しっかりとビールを買ってきた。見事なまでの酔っ払いぶり、さすがですぞ!。 自画自賛している場合ではない、明日からは早くも6月。この半年、ロクなことをしてこなかった、振りかえってみて寒気がするほどの思い。そう思いながらも酒がすすんでいます、もう、ゴクゴクと。 おおむね、楽しい日々を過ごしているものの、自分の将来ってものを考えたとき、あとどれほど体が動くのだろうと不安になってしまう。もちろん遊ぶためのだが、いろんな意味で、平安朝のころのように、30代で隠居するのが一番良いのではないか、むしかえすようですが。 働くということは、「労働する」って意識さえ無くしてしまえばそれなりに楽しいことなんだけど、遺伝子の奥底で、それを厭っているような感じがする。生きるために漁をするってのと、食うために働くってのとは、やっぱ違うって。 どこがどう違うんだって言われると、上手く説明できる自信は無いが、感覚としてそういうものがある。働くことが面白いって、そう思おうとしている自分と、その意識と比例して虚しさも広がっているような、ヘンな感覚。 ん~、酔っ払ってるなぁ。 さっさと寝よう、これ以上起きていても、ろくなことは考えそうにない。陽気に酔っ払えなくなったら、酔っ払い失格。 |
1999年5月30日(日) |
ふ~、なんとか落ち着いた。 7回あたりで松坂君の完投が見えたので昼寝、19時前に目が覚めたときには既にGT戦が始まっていて、藪君が好投していた。体は重く、思うように動かない。それでもメシを作ってそれを食っているうちに人心地がついた、疲れが溜まりまくっているなぁ。 朝は朝で、やはり体は重く、しかも頭痛がする。昨日は寝不足の体を引きずって出掛けたので、その影響かも。今日は大和田小学校で行われる大和田まつりに行く予定だったのだが、こんな状態で出掛けたらとんでもないことになりそうだったので自重(--;)。 そういった訳で、今日はスーパーに買い物に行っただけで、こんなに天気が良いのにどこにも出掛けませんでした。勿体無い話しだけれど、そうなってしまった以上しょうがない。あきらめて、ぼんやりと一日を過ごす。 珍しく、日中からビールを飲んだ。松坂君のゲームを見ながら。悪いときには悪いなりに、ねばっこーい投球をするものだなぁ、あらためて感心。8安打で2失点、また一歩、エースへと近付いた思い。ライオンズには西口さんていう、すげぇピッチャーがいるのでまだまだ先は長いけど、あのふてぶてしさはさすがだなぁと思わずにはいられない。 現役ピッチャーの中で、一番好きな投手は今中さん。早いトコ、怪我から復帰していただきたいものですが、こればっかりは焦っても仕方がない。ゆっくりと、ゆっくりと調整して、万全の状態で。 そういえば一昨年にブルーウェーブに入団した川口君はどうしているのだろう。相変わらず怪我でもしているのだろうか、久々に楽しみにしていた新人だけに、その去就は気になるところです。そのわりにはその後の情報を知らなかったりするのですが(^^;)。 右投手よりも、左投手に、より魅力を感じる。これは自分が打席に立っている情景を想像してしまうからかもしれないが、とにかく胸元にクロスファイアでズバッと投げ込まれるストレートを思い浮かべるだけでゾクゾクします、ヘンですね(^^;)。 大野さんが引退したときには、とても寂しい思いがした。現在、本当の意味での左の速球派ピッチャーって、何人いるだろう。 「街道をゆく」、「明石海峡・淡路みち」。そう、海の民の間では、あまり敬語は使われない、良くて丁寧語。おかげさまで僕もあまり得意ではない、学校で習った程度のものでは、生まれたときからの倣いは覆せない。 芸人さんがそうであるように、「兄ぃ」、「姐ね」と付ける。それぞれ「ニィ」であり「ンネ」。例えば僕の場合では「みつ兄ぃ」、母の場合では「みほこ姐ね」になる。年寄りの場合は「爺ぃ」、「婆ぁ」。読みは「ジィ」、「バァ」。使い方は同じで「みつ爺ぃ」であり、「みほこ婆ぁ」。 これは歳の上下に関係無く使われる。僕が父ほどの歳の人を呼ぶ場合にも「兄ぃ」と付けるし、父ほどの歳の人が僕を呼ぶ場合にも「兄ぃ」を付ける。いろいろな意味を持つことがらなのだが、海の民の心意気を知る上で、見逃せないことだと思われる。 今日の日差しは完全に夏のものだった。このようなときにはどうしても海を思い浮かべてしまう、つくづく海の男である。 ぼんやりと、頭の中に思い浮かぶのは、田舎の海ではなく、三浦の海。 心意気ってものは、江戸っ子ではないが、生きていく上でもっとも大切なもののひとつではないか。あらゆるものごとの根本には、それが潜んでいるように思える。 |
1999年5月29日(土) |
目を覚ましたとき、既に窓の外は明るかった。体内時計は9時過ぎを指していて、出掛けるかどうか悩み抜いた挙句時計を見るとまだ6時過ぎ(゚▽゚;)。なんてことだ、正確無比な僕の体内時計が狂ってしまっている(--;)。もそもそと起きだし、身支度を整える。 曇っている。午後には晴れるように天気予報では言っていたがそのような気配は無い、カメラをリュックの奥底へと仕舞い込み、三崎方面へと歩き出す。 先週に、迷ったぶんだけ今日は余裕がある。松輪入口バス停を過ぎたあたりで左へ向かう、光明寺三浦霊園への道。今日は田鳥原の十字路から雨崎へと入り、「入」で再び上宮田金田三崎港線へと合流し毘沙門湾周辺の磯を巡る予定。 光明寺三浦霊園の付近に、砲台跡はあるらしいのだが、残念ながら見つけることは出来なかった。ただ、このあたりからは毘沙門湾やその外の海を一望することが出来る、確かに砲台を築くにはうってつけの場所。 峯にある配水場はもっと大きなものかと考えていたのだが、意外と小さい、小網代の配水塔に比べれば拍子抜けするほど。高さはおそらく、4分の1くらいではないか。 田鳥原の交差点に出た。ここを真っ直ぐに進めば雨崎。意外なことにここは畑地となっている、中心に向かって深く落ち込んでおり、その周囲の高地も、中の窪地も畑があり作物を植えている。 雨崎にもかつては小さな配水塔が点在していたようなのだが、現在は全て取り壊されているみたいだ。雨崎の少し開けた場所からなら、どこからでも浦賀水道を往く船や、金田湾を見晴らすことが出来る。 畑の中を歩きながら、登り下りを繰りかえす。狭い土地なのに、これほどアップダウンが多いのも珍しい。窪地に下りると、おじさんとおばさんが二人して農薬を撒いていた。これは高地からも見ることが出来たのだが、近くで見るとまた違った感じがする。ふと見ると数人のカメラを持った人達が盛んにシャッターを押している。 田舎に暮らしているとこのような光景など珍しくも無いのだが、そうでない人達にはやはり物珍しい光景なのだろう。写真を撮り出してから、一度も人にレンズを向けたことが無い。失礼なことのようにも思えるし、そのような度胸も無いからなのだが。 小浜のあたりに出るかと思っていたのだが、それよりもずっと田鳥原寄りの地点に出た。3分後、再び田鳥原に立つ。 剣崎灯台には立ち寄らずに、毘沙門へと向かう。途中、江奈湾の堤防に座り込み昼食を摂る。 白浜毘沙門天前、写生をしている老人と出会う。毘沙門天は清掃中で、参拝するのを遠慮し、磯へと下りて行く。浅間山の形は良かった、横瀬島は平坦で変に気に入ってしまった。 浅間山の手前でおじいさんに呼びとめられた、ライターを持っていないかとのことだったのだが、外ではタバコを吸わないと決めているのでもちろん持っていない。そのように答えると、随分と残念そうであったが何となく言いかたに引っ掛かるものが。 もしかして、持っているのに貸さなかったのではないかと思われているのではないかと考えてしまう自分が悲しい、小心者の見本みたいだ。 フナムシがウジャ。すっかりやる気を無くす。 盗人狩には向かわず、三崎港線へ。現在、江奈から宮川へとバイパスの工事がなされている。完成がいつになるかは知らないが、完成すれば岩堂山を越えなくて済むぶんだけ歩くには楽になるだろう。 諏訪町へと入ったあたりから、足の裏から甲へと突き抜けるような痛みがはしりだす。我慢できないほどではないのだが、最近はこのようなことが多い。 今日は最終土曜日なので、三崎楽夕市が催されている。大漁旗が店々に飾られ、活気付いている。足の痛みもあり、ここで終わりにしようかとも考えたが、三崎口駅へと向かうことにした。 だらだらと続く登り坂は拷問のようにも感じられる。松輪入口の交差点へと帰ってきた。 淡々と歩いた一日、今日もまた、リュックからカメラが出ることは無かった。 |
1999年5月28日(金) |
起きぬけ、やはり昨日と同じ体勢。ただ、今日の場合は飲んだ翌朝特有のけだるさ。 今日はデスクのカスタマイズ、職場のですが。不要になった資料や書類をかたずけ、必要なものをファイリングし、引き出しの中を整理。午後をまるまる使って行ったわりにはそれほど捗らなかったが、それでもかたずけ前よりは格段に整頓された。 やっぱ、気分良く仕事をするためにも、定期的にこのような作業を行わないと。 「週刊CHINTAI」を買ってきて物件探し。お、なかなか良い物件が。三崎口駅周辺の物件にするか、津久井浜駅周辺の物件にするか、現在検討中。予算の都合上、どうしても敷・礼金の無い所に縛られてしまうのだが、その点、京浜急行久里浜線の久里浜駅~三崎口駅間は良い。 それに、この区間は特別急行でも各駅停車するので通勤にも便利。ただ、引っ越し業者の料金を調べてみるとこれがべらぼうに高い。それでも敷・礼金よりは安いのだが、軽トラで運べるような荷物の量でもないし、結局は業者に依頼することになるんだろうなぁ。 いろいろな手続きのことなど考え合わせると引っ越しは面倒臭いのだが、勢いでやっちゃえばそれほど大変でもないかも。7月中にはなんとか引っ越したいですが、さて、どうなることやら。 明日の予定はまだ決めていない、朝起きたときの気分次第で。 |
1999年5月27日(木) |
起きぬけ、体が重い。 目が覚めたときの体勢は、両手で頭を抱え込むように手を上げ、体を「く」の字に折り曲げた形。そう、崖から滑り落ちたアルファさんのような。どんな夢を見ていたのか思い出せない、いや、夢を見ていたのかどうかも判らない。 だが、全てはその寝相から窺い知れるような思いがする。体を重く感じたまま、一日を過ごした。体のあちこちにガタがきているのが手に取るように解る。右足膝の関節は油断するとは外れそうだし、左足踵の靭帯は伸びきったままのよう。 豊か過ぎる体重を支えて長時間歩いているのだから、こうなるのは当然なのだろうけど、やはり情けない。 今号の「ヨコハマ」や、今朝の自身を思い出し、にへらにへらと。傍目にはとても気持ち悪いものに違いない、自分でもそう思っているくらいだし(^^;)。相変わらず、無意識のうちにも影響されていて、僕自身可笑しいくらい。 風が、心地良い。 市川駅、豪勢に輝く金色の夕日と、厚く低く垂れ込めた雲との雰囲気がとても良くて、ゆっくりゆっくりと、ホームを歩いた。その夕景に誘われるように久し振りに飲みに出る。 ふらふらと、風に吹かれながら夜道を歩く。不思議と心が穏やかになる、火照った体には、少し強めの風がちょうど良い。どうしても、三浦半島が思い出されてしまう。 ふ~、もうしばらく。程好い酔い心地。 おや、なんとか振り切りましたか、本当にしぶといなぁ、タイガース。ま、某ジャイアンツが10回優勝するよりも経済効果は有りそうだし、この辺で優勝していただくのも良いか。とてもドラゴンズファンの言葉とは思えませんが。 |
1999年5月26日(水) |
明日、明後日と天気は悪くなるそうな。特別な予定は無いのだけれど、もう梅雨の季節かと思うとそれだけで心は湿気を帯びてくる。 昨夜のお解き放ちは23時、帰宅したら既に日付は変わっていた。今朝はロクに眠ることが出来ずに出勤したのだけれども、不思議と調子が良かった、もしかしたら、ナチュラルハイな状態だったのかもしれないが。 仕事はすっかりヒマになってしまったので、とりあえず、コーディングをしてみる。これは新しく、と言っても昨年に配属された人ばっかなのだが、その人達のためのコーディング練習用のもの。コーディングだけではなく、ひととおりテストなどもするのですが。 これがやってみると結構面白い、やっぱ開発って、コーディングと、そしてテストが一番面白いなぁ。なんか、パズルゲームみたいで。どっちかっていうと、感性だけでプログラミングするほうなので、設計書も書かずに、一発書きみたいにコーディングするのがとても好き。 本番の開発でこんなことやってたらムチャクチャ怒られるんだけど、練習用だし、いろいろ試せます。それにしても感性だけのプログラマって、素晴らしく向こう見ずなヤツだねぇ。 ちなみに開発言語はPL/I・・・、今時・・・。そういやオレ、今まで(仕事で)使ったことのある言語ってほとんどがそんな感じのもの。COBOLとかFORTRANとかRPGとか。 ムム・・・、こんなことでは。 「ヨコハマ買い出し紀行」、心の感触。手触りで。 以下、ひとりごと。 どうにも慎重居士というか、たとえ良く知っている場所であったとしても、いきなり踏み込むようなことはしない。そこが、少しでも危険な場所であるならばなおさら、そう。さんざっぱらイタイ思いをしてこうなってしまったのかもしれないが、やはり少なからず面白くない。 無理、無茶、無謀、それに向こう見ずが加わればオトナとして失格なような気もするが、しかし、そうであった頃のほうが楽しかったのは本当だ。たしかに、あとさき考えずに行動するのは面白い、たとえイタイ思いをしたとしても。それでもいつしか、そう出来なくなっている、しないというのではなくて。 海の中には入らなかっただろうし、失せ物(カメラ)を見つけたからといって、全てをなげうってそこへ駆け出す覚悟も無いし、同じことを2度繰りかえすほどの気持ちの強さも無い。途方に暮れてハラ決めて、瞬転、覚悟を出来るほどの柔軟な心を、昔は持っていたような気もするが。ん~、なんてつまらないヤロウだ。 まあ、そのおかげさまで、「ガキか、あんたは!」、と突っ込めたりもするわけですが。 これまでに無くしてきた物と、それと一緒に無くし続けてきたモノの大きさを思うと気が遠くなりそうですが、それでも。 |
1999年5月24日(月) |
昨日の日記を読み返しながら思うこと、自分でも恐ろしいくらいに影響されていますね、あの御方に。 海の民に限らず、農家の方も自然の影響を大きく受け、特に東北の人々は時間を過ごすのが上手だ。なんといっても雪の影響は多大で、その季節になると、人々はなすすべもなく縛られてしまう。制限された範囲と時間の中で、穏やかに過ごす彼らを見ていると、尊敬の念すら沸きあがってきます。 駅前の銀行へ行くために部屋を出た、出ると同時に降り出した雨。そんなに嫌な雨ではなく、気分は良い。だらだらと、そのあたりを一周して、スーパーに立ち寄り米を買って帰る。 久し振りに自分で米を買った。このところ、実家から送ってもらうことが多かったためなのだが、食べてみて思ったことは、やはり実家の米のほうが美味しいということ。 好みの問題ではあるのだろうけど、どうにも食べ慣れたもののほうが美味しいというのは、貧乏ったらしいような思いがする。どのようなものでも美味しく感じられるような、そのような精神的な豊満さというものに欠けているような気がするのだ。 あ、でも酒には選り好みが無い。なんて素晴らしい酔っ払いなんだ!(莫迦)。 「たけしのTVタックル」を見ながら。何かに癒されたいような、そのような願望が出てきたらダメだよねぇ。自分自身で解決するならともかく、他人や、動植物、物に頼るってのは、なんだか違うように思う。 とか言いながら、「ヨコハマ」や、「街道をゆく」などにそれを求めている自分がいる。読書もやはり、基本的な部分で他人頼りだ。そういった中で「歩く」といった行為が、だんだんと大きくなっている。これが僕の中でどれほどの部分を占めているのか、今はおぼろげにしか感じ取れないが、長い付き合いになることだけは確かだ。 今日一日、やはりというか、つまらない過ごしかたをした。 タイガースの元気さの何10分の1かでも持つことが出来れば良いのだが、暑さでぼや~っとしている。昨日は危うく熱射病になるところだったくらい、明日からは、帽子屋さん巡りの日々。 |
1999年5月23日(日) |
ビール、うまうま(^^)。汗をかいて再び知る、ビールの美味さ!。 昨夜は予定より30分ほど早く、お解き放ちになった。それでも帰宅したのは0時ちょっと前、それからメシ食ってネットうろついて、早々に寝た。勤務中、何やってたかというと、読書(゚▽゚;)。9時に出勤して、11時には全ての作業が終了したために、その後退社するまでの11時間30分は待機、当然のように読書タイムになってしまった。 普段、生活する中で、11時間も読書をするためだけに時間を取れることは、まずありえない。おかげで数巻の「街道をゆく」を読破出来てしまった。ありがたや、ありがたや。ん、でもふと気付いたこと。なんだか、実質的に3連休じゃないのか?、これ・・・。 明日は昨日の代休のために休みです、本当に、3連休です。しかも、火曜日は13時出勤、時間が有り余ってる~。でも、ロクなことやらないんだろうなぁ、オレのことだから。 「街道をゆく」、読み終えたのは「熊野・古座街道、種子島みちほか」、「阿波紀行、紀ノ川流域」、「白川・会津のみち、赤坂散歩」の3巻。心に残ったのは「白川・会津のみち」の「才能とは、疼きに相違ない」。それと「阿波紀行」に僕の田舎のことが、ちょろっと出てきたこと。 他にもいろいろとあるのだが、まずはこの2点。そういや、昔はそういったこともあったなぁ、いや、疼きの話しですが。最近は、仕事関係ではまず無い。仕事関係ではと、わざわざ書いたのは、それ以外ではあるから。そういったものを大事にするためにも、仕事をしなきゃならないのが、妙味ではある。 さて、今日のこと。 三崎口駅で下車し、まず目指したのは、光明寺三浦霊園。砲台跡はあそこか、それとも向うの山か、そんなことを考えながら歩いていると、妙に見なれた場所に出る。ふと見やると、そこには大乗バス停。 なんてことだ、どうやら、三浦霊園へ向かう道の相当手前で、右へ折れてしまったらしい。そう気付いてみると、砲台跡のことを、あれやこれやと考えていた自分が、滑稽に思えてくる。砲台跡は、僕が見ていた右手の山ではなく、左の方向の、遥か彼方にあったようだ。 思案した結果、このまま剣崎へ行き、三浦海岸へと向かうことにした。これから行く道を、再び引き返すのは、考えただけでも億劫。予定では、松輪の田鳥原付近に出て、剣崎を経て磯伝いに三崎港方面へ向かうつもりだったのだが。 毘沙門の、毘沙門天入口のバス停を過ぎたあたりで、オバチャンにつかまった。どうやら彼女、仲間たちと歩きに来たらしいのだが、乗り物に乗り遅れて、一人置いて行かれたらしい。それで先回りして仲間を待ちうけたいとのことだったのだが、そのコースが、今日、本来なら僕が歩くコースであったので、すらすらと彼女の問いに答えることが出来た。 盗人狩で待ちうけるそうなので、「この道をまっすぐに行って、ふたつめの左へ下る道を降りていったら毘沙門湾で、そこから盗人狩へと向かう遊歩道が始まりますよ」と教えると、丁重に礼を言われて、そして別れた。不意に、やはり剣崎から戻って、盗人狩へ行ってみようかといった思いに襲われる。しかし、行くことにはなるまい。事実、そうなった。 吉田釣具店から、剣崎灯台へと続く道に入った。ゆるやかな坂を登り、畑のある場所まで来たとき、不意に風が強く吹いた。昨年の今頃、初めてこの場所に来たときにもそうだった。今とは違って、ヘロヘロになってこの場所に差しかかった当時、この風に励まされるように、灯台へと向かったものだ。 熱した体に吹きつける涼しい海風、この風を感じたいがためにこの場所へと来ているのだと言えば大げさになるが、しかし、大きなひとつの理由にほかなるまい。三浦半島の良さは、この風にあると言ってよい。 剣崎灯台。不敬ながら、皇后訪問記念碑に座って、昼食を摂った。 間口港から田鳥原へ、この道を、まっすぐ行けば三浦霊園。なにごともなくここへ来ていたなら、あのオバチャンとは、毘沙門天か盗人狩で出会っていただろう。ただし、その場合には、一言も言葉を交わすことはなかっただろうが。人との関わりといったものを、つい考えてしまう。雨崎へは、今日も行かなかった。 菊名浜から、三浦海岸、津久井浜は、人出が多い。もう、泳いでいる人がいる。半島外の人も多いだろうが、三浦半島の人々は、閑の過ごし方が上手だと感じられる。これも、僕が三浦半島に惹かれる理由のひとつなのだが、これはもしかしたら、この半島の人々が、どのような形にしろ、海に関わっているからではないかと、最近考えるようになった。 海の影響を強く受けているのもそうだろう、海の民との関わりも見逃せない。どのような恨み辛みを述べてみても、海は思うが侭に振舞う。その海と付き合うためには、閑の過ごし方が巧みでないと、上手くいかない。そのあたり、海の民は巧妙だ。 菊名浜と、津久井浜で。波音につい立ち止まり、聞き入る。心に、自然と染み入ってくるこの音色は、いつまでも褪せることは無い。 久里浜港線を歩いてみようかとも思ったが、尻摺坂通りを歩いてみることにした。この通りは、国道134号線の一部なのだが、昔、一度だけ久里浜側から登ったことがある、その名の通り、急な坂。通研通りは、この通りの大作交差点から、横須賀三崎線の通研入口交差点まで続いている。 歩きはじめて5時間45分、JRの久里浜駅に到着した。横須賀中央公園へ行ってみようかとも考えたが、今回は見送ることにした。駅で食べたアイスクリームは、思いのほか美味かった。アイスクリームが美味しく感じられるようになれば、本格的に夏。 |
1999年5月21日(金) |
ビール、うまうま、でもない(T^T)。 2日間酒をやめてたら、もう酒を受け付けなくなっている。しかも、ウイスキーばかり飲んでたものだから、ビールがやたらと苦いだけのものにしか感じられなくなってる(゚▽゚;)。何てことだと嘆いてみても仕方ないし、ありのままを受け入れるほかなし。 「明日の鋭気を養うためじゃ、酒や、酒を持ってこ~い!」って飲み始めたのに、全然美味しく感じられないんじゃ、鋭気を養うどころのハナシじゃありません。あきらめて、さっさと寝るベえか。 明日の帰宅時間は23時30分の予定、当然更新は無し、っつーか、出来ません。来週は、火曜日も帰宅は遅くなる予定(日付が変わってからになる)なので、これまた休み。つっても普段、日記くらいしか更新していないんだし、どうでもいいか(^^;)。 「日々のあれこれ」、相変わらずつまらない物ばかり。「ルパン三世」の「五右衛門」風に言うならば、「また、つまらぬ物を撮ってしまった・・・」といった感じ。まあ、でも練習にはなるしねえ、これからもガッツンガッツン撮ってやる!。 開き直ってどうする・・・、ある意味必要なことではあるのだけれど。 残るビールを腹の中に流し込み、ぐっすりと。あ、そうそう、現在再放送中の「探偵物語」、来週金曜日が最終回。エアチェック、忘れないようにしないとね~。 しつこく、もうひとつ。なんぞの反対集会にガキを引っ張り出すのはもうヤメレ!。 |
1999年5月20日(木) |
ここのところ、松本孝弘のKNOCKIN’“T”AROUNDばっか聞いてます、バカのヒトツオボエみたく。 昨夜は酒を飲まずに寝ました、したらビックリ、朝起きたらスゲエ体調が良かった。毎日、そんなに飲んでいるつもりは無かったのに、確実に調子は悪い方へ、悪い方へと向かっていたようです。たまには休肝日を作らないと、ほんと、そのうち倒れちゃいそう。 そういった訳で、今日も酒抜き、健全な生活もたまには悪くないです。あくまでも、「たまには」って前提付きでですけどね。あ、でもタバコはガンガン吸いまくり、ここのところ本数も増えている。外では吸うことは無いんですけど、部屋の中ではガス室さながら。嫌煙家の人はこの部屋の中には30秒と居られまい、とほくそえむ日々。 どうも僕にはやることが極端な部分があって、喫煙マナーが守れないという不安がある以上、外では吸わない。その為にはタバコを持ち歩かないのが一番だってことで、普段、外出するときはタバコを持って出ない。 そういった事例は他にもあって、ひとつには自分をさっぱり信用していないってのもあるのだが、いや、それが最大の理由か。やはり、自分を完全に律することが出来ない以上、僕にはそうするほか手立てが無いように思える。確かに、極端なんだけどね。 前にも書いたのだが、喫煙マナーを守らないってのは、自分で自分の首を絞めてるようなものだ。それに、自分の嗜好を満足させる為には他人の迷惑を顧みないってのは、スマートじゃなさすぎる。 さて、麦茶を飲みながらニュースステーションを見て寝ますか。麦茶・・・、ホップを入れて攪拌したらビールにならないかしら、って虚しくなるからヤメれ!。 |
1999年5月19日(水) |
雨天中止、良かったんだか悪かったんだか、それは歴史の判断に委ねるほか無し。 雨はとっくに上がってんだからやりゃ良いのにとかブツクサ、ま、たまには休むのも良いんだけど。休むといえば昨日、あれほどビビっていたのに午前中にはカタがついてしまった、おかげで午後は暇で暇で、結局昨日のようにボサーっと半日を過ごす。 集中したときの能力はなかなかのもののようですが、そうでないときには常人の域を超越したほどのボンヤリ具合、メリハリをつけるのにも程ってものがあります。 そんなこんなで、お喋りもつい多くなる。最近、本当によく話しています、つっても職場内だけでのハナシ。それ以外の場では相変わらず、まあ、それだけでも充分すぎるほど話しています。 やっぱ、精神衛生上は宜しいようです。 トウキョウトガリネズミ、かわいい~!。僕のカワイイモノ好き好きゾーンのど真ん中にヒ~ット!。絶滅危惧種だそうですが、なんとか生存しつづけていっていただきたいものです。つっても天敵はそう考えている人間だったりするんだよな~、移りゆく自然、それをただただ受け入れるほか無いのだとしたら、やっぱ、悲しすぎる。 |
1999年5月18日(火) |
1日、ぼさーっと。 やらなきゃならないこと、いっぱい有るのに1日をボサーっと過ごしてしまった(T^T)。当然ツケは明日以降に襲いかかってくるわけです、ガオーとか言いながら。困ったやつだとか思いつつも、それでも憎めない、って馬鹿なこと言っている場合か、ああ、明日が来るのが恐ろしい。 「万物創世記」、性格か、有って無きがごとしのようなものの気もします。だいたい、相手の人やその場の雰囲気によっても違うだろうし、こんなものを厳密に区分けしてどうするんだって気もしますし。 あまりその人の性格とかってのを早急に決めてしまったり、こうと決め込んで思い込んでしまったり。そういうことって、よくしてしまいがちですが、これほど非生産的な、というか無駄なことも無いような気がします。 それを打破したりする努力を考えれば、決め込まないようにすることの方が、よっぽどマシなように思います。なにごともそうですが、壁を作ったり、思い込んだりしてしまったあと、それらを打ち壊したりするのに費やす労力は、それを作った労力の数倍、いや数10倍、数100倍をも必要とします。はっきり言って、馬鹿げてます。 ドラゴンズ、同一カード3連敗しないのは大したものだが、やっぱイマイチ。今日から、ベイスターズとの3連戦、明日はベイスターズファンのオジサンとこの話題で盛り上がることでしょう。いや、盛り上がっている場合じゃなく、仕事しなきゃならんのだが、はてさて。 |
1999年5月17日(月) |
オレってヤツぁ。 もうヘロヘロ。昨夜、警戒して早めに寝たのに、しっかりと風邪をひいた。もう、お話しにもなりません、しかも腰が異様に痛い、もしかしてぎっくり腰再発の前触れか?。このところマジメに体を動かしてなかったからなぁ、すっかり腰の筋肉が緩々です。 あと、昨日がレヴォだってすっかり忘れてた。物忘れもひどいし、頭はすっきりしないし、はあ、末期症状?。 「たけしのTVタックル」を見ながら。リベンジって怖いなぁ、男もそうだけど、オバチャンはやっぱ小汚いす。なんかこう、最近はドロドロしたヒトが多くって、イヤになりますねぇ。 で、ふと感じたこと。見てて思ったんだけど、今のガキと同じようなコトするんですね、大のオトナが。いや、逆か。結局、大人たちのそういったトコロを、子供たちはビンカンに感じ取っているのか。くわばら、くわばら。 それと、先生のお話し。最近気付いたのだが、先生たちが怖いっつーより親父たちが怖かったんだよな~。どう考えても、当時、先生たちに権威(権力)を与えていたのは親たちだった。今じゃ完全に敵対してるって感じがする、僕の田舎じゃ、相変わらず、僕が学生だった頃と同じようなんだけど。 たしかに、昔とは違ってきてはいるんだけど。でも机を隔てた立場からだと、中は見えなくなるんだよねぇ。もうすこし、こう、上手い関係が結べないものかと思うのですが。 今でも、神社の祭礼や、その他の行事などのときには昔世話になった先生が尋ねてきてくれます。嬉しくて、懐かしくて、堪らない気持ちになります。今のお子様たちが大人になったとき、そういった先生が居るのだろうか、そんな感慨を抱くことはあるのだろうか。 もう亡くなられた先生も居る、不義理なことに一度も墓参りに行ったことが無い。先生は、今の僕を見てどういった思いを抱くのだろう、ゲンコのイッパツでも食らわされそう。 いつも、美しい姿勢で居られたなぁ、今でもくっきりと思い出せる。 僕もそうありたいものだが、まだまだ。 |
1999年5月16日(日) |
またまた2.5差、自慢の中継ぎ陣が総崩れじゃハナシになりません。 昨日書き忘れたこと。NHKの2本の番組、「鶴瓶の家族に乾杯」と「街道をゆく」。「鶴瓶の家族に乾杯」は徳島県日和佐町を鶴瓶さんと高嶋政宏さんが旅、というか散歩してました。日和佐町は実際のところ、日和佐城の城下町なのか、薬王寺の門前町なのか、はっきりしませんが、今でも観光客やお遍路さんがひっきりなしに来ていて、なかなかの繁華ぶりをみせています。 ただ、僕には薬王寺に参拝に行った記憶が無い。物心つく前には行ったのかもしれないですけど、とにかくそれ以後の記憶の中では、そういった思い出は無い、薬王寺の前はよく通るのにねぇ。そういえば薬王寺は厄除けで有名、僕は厄年に交通事故を2回、その他散々な目にあったのですが、もしかして厄除け祈願に行かなかったからバチをあてられたのかも。さすがの僕も、次回はちゃんと厄除けに行こうなんて思ったもんなぁ、厄年、侮り難し。 「街道をゆく」は「本所・深川散歩」。宮村さんだっけか、土木学の教授。まっとうな、江戸弁を話す人のなんていうかこう、すっきりとした心筋にぽわ~っとしてしまいました。まだまだ、ああいった人が居るのだなぁ、ぜひ一度酒を酌み交わしてみたいものです。 本所、深川あたりは興味のある場所だけに、そのうちに散歩に行ってみたいと思います。昔ながらのものがどれほど残っているか、そういった興味もありますが、気風のいい江戸人、ていうか職人たちの面影がどれほど街に残っているか、そのような楽しみもあります。 今日もはっきりしない天気の1日でした、昨日は冬物の服を実家に送ったり、今日は今日で掃除や本の整理をしたり、部屋まわりのことをこまごまと。暇を見つけては「街道をゆく」を読む、その中で心に残った部分。 今度の旅では、沿道でみつけた古い民家を、自分の頼りない記憶だけに頼るのではなく、写真に撮っておこうと思い立ったのである。しかし後悔していた。旅に出るのに写真機を持ってゆくなど、母親が赤ン坊をつれて観劇にゆくようなものだと思った。旅の中に身を置くということは、自分自身が感受性のかたまりであることを必要とするであろう。ところが、写真を撮ることに気をとられて、自分自身の感度が二割ぐらいしか作動していないことに、この朝、気づきはじめていた。 「豊後・日田街道」の「土地と植物の賊」の一節、確かに、しかし、ミもフタも無い話し。だが実際、時々足かせになる場合がある。心震わせる風景に出会ったとき、それを写真に撮る努力をするよりも、ずっと見続けていたい、味わっていたいといった思いが強いのも事実。 でもやっぱ撮りたいわけですよ(笑)。 松坂君、すごいねぇ。イチローが、もっと飛距離を誇る選手だったら豪快な対決が見られただろうけど、おそらくこの先、駆け引きを主とした対決が展開されていくのであろう。そういった意味では、現在のパ・リーグに豪打者が居ないのがつくづく残念。だが、いつまでもルーキーに牛耳られているような選手達でもないし、そのうちに攻略法など編み出してくるでしょう。各チームの監督の手腕の見せ所でもあるし、しばらくは愉しませていただけそうです。 さて、今週末は休日出勤、長い長い一週間になりそうです。くじけず、強い心を持って。 |
1999年5月15日(土) |
なんとか逃げ切った、今年のタイガースはしつこいなぁ、なにはともあれ再び3.5差。 ’98年5月16日(土)、僕が初めて三浦半島を散歩した記念すべき日。そう、明日は散歩1周年記念日。でも明日の天気は雨のち曇り、何処にも行けそうにありません。 昨年のこの日の日記。 お散歩記録。 行程。 三崎口駅~(26)~三崎港・バス停~(26)~栄町・バス停。 所要時間、約01時間20分。 まあ、最初にも書いたが初めてなのでこんなもんです。きっかけとしては、去年やっちまったギックリ腰のリハビリと、ヨコハマ買い出し紀行に触発されてです。 横須賀中央駅あたりから空気のにおいが変わり、なんか胸にグーっとくるものがありました。俺にもまだそんな感性が残ってたんだなーって変に感心してしまいました。 以上。 初々しいなぁ、あ、これ、個人用記録日記です。何を最初に書いたか、それはもはや謎なものと化してますが、多分そのようなことなのでしょう。なんつーか、そっけない。 今はもう、この日記は書いていない。ほとんど、というか本当に記録用だったもので、何処をどう歩いたか、その程度しか書いていない。とりあえず同じコースを歩かないようにって、それだけが目的だったようなもので、今ではそれを記録する意味すら無くなっているので、書かなくなりました。 今にして思えば、最初のこの日だけ散歩って感じで、その後は散歩って規模のものではなくなっていく。ちなみに2度目は、津久井浜から剣崎を経て三崎港を過ぎ、天神町のバス停まで。せっかくだからこの日の日記も。 お散歩記録。 行程。 津久井浜駅~(134)~三浦海岸・交差点~(215)~釣具の吉田前・交差点~剣崎灯台~釣具の吉田前・交差点~(215)~三崎港・バス停~(26)~天神町・バス停。 所要時間、約04時間20分。 二回目にしてこの時間。加減てものを知らんのか!。まあそれはそれとして。 剣崎灯台の下の磯は家族連れの人でいっぱい。一人者には辛いす。さらに大乗・バス停でぶっ倒れる。それを乗り越えると目の前には大きな風車。風力発電所らしいす。 三崎港では達成感に包まれてなんか幸せ。ってヘン?。 はい、ヘンです。自分で突っ込んでどうするって感じですが。そうか、やはり当時から「散歩じゃねえよな~、これ」って思ってたのか、おそるべし、俺!。 日記は原文のまま載せてます、やっぱちょっと恥ずかしいですね。 自分の歩く道を訥々と。 今日のタイガース戦、MXテレビで見てたのですが、大元はサンテレビらしい。解説は真弓明信さんと佐々木修さん、途中昼寝したりと少ししか見ていませんでしたが、懐かしい気持ちで。真弓さんも佐々木さんも関西ではよく見るんですけど、こっちはね~。 頑張ってるタイガースを見ていると、どうしても’85年を思い出してしまいます。カッコよかったなぁ、今年は泥臭いけど、それだけにひたむきだ。当時15歳だった僕は既にドラゴンズファンだったのだけれど、その僕でもそう思ったくらいだから、タイガースファンの思いは格別だっただろう。 やはり何処か、行きたいなぁ。午後には雨が上がるのなら、最初のときと同じように、三崎口駅から、三崎港へゆっくりと歩いてみようか。あの日、三崎港のバス停で食べた調理パンは美味かったなぁ、振り返ると懐かしい日々。 |
1999年5月14日(金) |
逃げ切られたか、ともかくおめでとう、大豊さん。 司馬さんは、その作品から、かなり生真面目な学者風の人かと思っていたのですが。「街道をゆく」を読み出してからというもの、そのイメージは大きく変貌を遂げた。瑞々しく、そして可笑みに溢れている人柄。 文章ってものの凄さか、関西人の懐の深さか。「嵯峨散歩」の車折神社の段を読みながら、言葉と人との関わりというか、自分を表現し尽くしてしまう言葉というものを思う。人格と言葉が共に高みにあるという人は、もはや絶えかけている、本当に絶える日も近いだろう。 長々と築きあげてきたものでも崩れるときは一瞬だ、その儚さを嘆くよりも、儚げなものの中に存在する確かな美しさを見つけ出そう。 雨が降り出した、明日も明後日も天気は良くない。外に出たいのだが読書をして過ごすのも悪くはない、雨の合間には川沿いを少し歩いてみようか。 |
1999年5月13日(木) |
引っ越し、本気で検討中なり~。 動機としてはとにかく三浦、それも西海岸側に住みたいってのと、現在住んでるハイツの契約の更新が近いから。契約更新料は1.5ヶ月分も取られるので、これじゃあ、引っ越した方が良いよな~って考えたのじゃ。じゃって・・・(^^;)、まあそんな訳で本気で物件を探してます。まだまだ余裕があるかな~って思ってたんだけど、実際にはあと1ヶ月で引っ越し先を探さなくちゃならない。 で、焦ってきてます。散歩に行ったときに不動産屋さんを見つけるたびに物件情報を覗いているのですが、高望みしない限り、結構良い物件がある。どっかで折り合いをつけなきゃならんのだけど、やっぱエアコンは欲しいよな~。何故だか三浦半島の物件にはエアコン付きが少ない、風がよく吹くからかな~。 やっぱ、逗子が良い、もしくは鎌倉。久里浜じゃちょっと遠すぎるし、横須賀は東すぎる。衣笠は商店街が魅力で、東西の中央に位置する立地条件は良いのだが、やっぱちょっと遠いって感覚が。思い切って横浜にするって手もあるのだが。 明日から首位決戦、まっちょれ、タイガース。 |
1999年5月12日(水) |
ん~、写真の掲載に時間を取られまくっている。 とりあえず枚数の少ない日から、5月1日など53枚も有るものだからもう大変(^^;)。こりゃもう、休日にでもやんなきゃ平日ではちょっと。でも休日は休日でやりたいことがいっぱい、神様、もっと時間を!。 今日は1日、ぼや~っと。うつらうつらするのを堪えるのにもっとも神経を使いました(^^;)、暫く退屈な日々が続くことでしょうが、せっかくだからぼや~んと過ごすのも良いかも。 2度目の脳死判定、そして移植。全てチェックしている訳ではないですけど、今回は少し静かか?。僕も一応ドナーカードを持っている身、やはり気にはなります。さて、少しは前回の教訓を活かせたものか、推移を見守っていきたいです。 ドラゴンズ、んが~。気がつけばソコにタイガース(゚▽゚;)、ああ~ん、やっぱキミたちが来るのか~。帰省中、とにかくタイガースが強かったので、毎日のテレビは大変でした。特にABC放送の「おはよう、朝日です」、この番組、僕が小さい頃から有って、しかももともとタイガース情報は充実してたのに、今年はノムさんが来てからというもの、もう。 久し振りに見たものだから新鮮でした、とにかく関西、特に大阪、熱いです。あれだけ盛りあがってりゃ、選手達も盛りあがるほか無いんだろうなぁ。まぁ、ぼちぼちと頑張ってください(^^;)。 じゃ、今夜も泣きながら。 |
1999年5月11日(火) |
スーパーえびちゃん!(笑)。まだ集中力が途切れません、休み明けとはいえこれは凄い。 やー、朝からずっと集中出来てんですよ、仕事に遊びに。どうしたんでしょう、僕、こんな調子がずっと続けば凄い人になれるのだが。 写真、やっと1日分を。でもまだまだ有ります、あと4日分、5日間にわたって掲載していきます、暫くは更新材料に困らないで済みます(^^;)。ネタといえば「日々のあれこれ」、更新しなくなって久しいなぁ、別に撮る気が無いわけじゃないんだけど。 逆に多すぎて困るくらい、撮りたいものが。別に撮影枚数に制限があるわけでもないのだから、ガンガン撮ればいいのだけど、何故だか躊躇ってしまいます。 そういえば今日、職場では風邪のために休んでいる人が多かった。急に暖かくなって薄着する人が増えた所為か、季節の変わり目には体調を崩すことが多いので気を付けないとね。 仕事、やっと落ち着きをみせてきた。暫くは好きなことをやっていたいですね、もちろん仕事関係でですけど。このあたり、もうちょっと緩やかだったら、タグ打ちでもやってるんだけど。 「ちゃん」づけで呼ぶのはセクハラになる可能性が高いらしい。ぼくも「えびちゃん」って呼ばれたときには、「セクハラだっ!」って言ってみようかしら、ソッコーでぶん殴られそうですけど。 あんまり範囲を広められてもねぇ、「性犯罪」と「セクハラ」、「仕事上での性差別」はしっかりと区別していただきたいものです。 スポーツニュースでも見て寝るべぇ。 |
1999年5月10日(月) |
酒も美味いが烏賊の干物も美味い。 やっとこ休暇中に撮った写真を全て取り込みました、3時間以上もかかってしまいましたが。掲載するのは明日以降、今日はもうご勘弁(^^;)。 土曜日の代休、何をしようかと思っていましたが結局買い物、CDと本を。でも1時間ほどで帰って来て、買ってきたものを聞いたり読んだり。今日1日、なんにもせず終いみたいな感じになってしまって、ちょいと残念。 でもって、「探偵物語」の「工藤ちゃん」に漢を感じてしまったりとか。相変わらずのオバはん同士の喧嘩に大騒ぎしてるマスコミを嘲笑ってみたりとか。よく解らない心の動きをしてみたり、ミョーな午後のひとときを過ごす。 「夕凪ぎ」とは「海岸地方で夕方、海風から陸風に替るときの無風状態」を云います。所詮は一時期の凪ぎで、その後は間違い無く風が吹く。でも、短い期間とはいえ、凪ぐのはとてもありがたい。 小さい頃、ヤケに長い夏の夕暮れに肌で感じたモノ。「ヨコハマ」に惹かれるのは、もはやそういった感覚を味わうことは出来ないと、心の奥底で諦めてしまったからなのかもしれない。 やっぱ烏賊はよく乾した方が味が濃くなって好きです、一夜干しも、悪くは無いんだけどね。 明日から仕事ですよ、また。10日も休んでるからなぁ、休暇前にやってた仕事なんか、ほとんど忘却の彼方(^^;)。明日1日、しっかりとリハビリをしなきゃ。では。 |
1999年5月9日(日) |
昨日、疲れまくってたのに目覚めたのは6時前。天気予報は「曇りのち晴れ」だったのだが明日の天気は「晴れのち曇り」だそうなので今日出掛けることに、1日の後半に天気が崩れるってのは好きじゃないもんで。 三崎口駅まで京急で、今日は1番前の車両の1番前の席。真っ直ぐに伸びるレール、とてもすがすがしい気分に。 ふと思いつく、今日はあまり天気も良く無さそうだし、せっかくの機会だから観光でもしてみようか。油壷マリンパークや、前々から乗ってみたかった観光船とか。 三崎口駅から初声マリーナへ、国道134号線を初声町入江へ向かいセブンイレブンの在る交差点を左折する。左折すると同時に目に飛び込んできたものは大きな籠を背負ったお婆さん、よくもまあ、あんな大きな籠を背負えたものだが、総武線で見かける銚子のお婆ちゃんたちに比べれば可愛いものか。 草の生い茂った空き地の横を進む、初声橋が見えてくる。地図で見ると大きそうだが、実際にはとても小さな橋。マリーナ入口の防波堤で、オジサンたちに混じって朝食を摂る。対岸の防波堤や磯には釣り人の姿が多い、行き来する船を眺めながら暫くのほほんと。 黒崎の鼻を磯伝いに三戸海岸まで。冬でも磯遊びの人は多いのだが最近は暖かいので更に多い、子供が魚採りのアミを持って走りまわってる。ついつい自分の子供の頃と照らし合わせてしまうのだが、足取りがかなり危なっかしい。 初声マリーナ外の磯で、空き缶拾いをする老人と出会う。ここに来る途中で1度会っているのだが、その時は特に関心も無く。自分が捨てたゴミではないのだが、気恥ずかしい。何故僕がこれほどの思いを抱かなければならないのか、自分のだしたゴミくらい、自分で持ち帰ってもらいたいものだ。 お爺さんからすれば僕も外来の余所者、そういった思いが自分の中にあったのだろうか。だからこその気恥ずかしさなのだろう、不自然に落ち着いた足取りでその場を後にする。 三戸海岸から久保鼻へ。鼻は端の意、岬、崎なども同義。これは海の人間にとっては共通語のようで、四国でもそう言う。久保鼻は「西の崎」の南側にあり、小網代湾の北の玄関にあたる。入道込から農道を利用し見返り坂入口まで、この道は地図には記載されていない為に初めての人には解り辛い。 無意味と知りながらついつい「カフェアルファ」の在所を考えてしまう。西の崎付近が一般的にそうだとされているようだが、実際にはもっと北寄りではないのか。西の崎ではあまりに小網代の入江が近すぎる、「タカヒロ」がたびたびそう言っているように、彼らの住むところからは遠いのだろう。それは南の町(三崎か?)や小網代の入江よりも。 小網代の入江は「マッキ」が1人で行けるほどの場所のようだし、彼女は河口の石橋を南へ向かって歩いていた。バックに見えているのは藤ヶ崎、その向うは西の崎。ここからでは、西の崎はやはりかなり近い距離になる。 タカヒロとマッキが2人して小網代の入り江に行った帰り道、バックに見えていた港(?)が諸磯湾だとしたら彼らの住んでいるのは諸磯か、もしくはその南側。 ん、でも小網代の入江から見返り坂を利用せず、本道(県道26号線)を利用した場合かなりの遠回りにはなる。それでも4キロ前後のはずだが、黒崎の鼻でも5キロ前後、いくらお子様の足でもそれほど遠いとは思われないのだが。 石橋を渡り白髭神社方面へ。シーボニア横の坂を上るとあとはマリンパークへ一直線の道、観光、観光っと(^^;)。 マリンパークの水族館、なかなか見応えが。魚のことに詳しい人も、そうでない人も、楽しめるかと。チョウザメはあの腹の中にキャビアを詰め込んでいるかと思うと思わず舌なめずり、スズキやクロダイ、アジなど身近な魚も展示されています。僕はただただそれらを捕獲したいと考えていたんですけど(^^;)。 最近の目玉、「360度、ぐるり大回遊」のマグロさんたち。水槽の中には「クロマグロ」、「キハダマグロ」、「キツネカツオ」の3種。マグロはまだ小さく、「ヨコワ」と呼ばれるほどのサイズ。マグロもその大きさによって呼名が変わります、クロマグロは「ヨコワ」、「メジ」、メバチマグロは「ダルマ」とか。ヨコワは四国でもそう言うのでこれも全国共通かと。もっとも、ここのマグロは高知で捕獲して搬送されたそうなので、呼名まで一緒に連れてきちゃったのかも。 偶然、餌を与える時間だったので間近でその採餌する様子を見ることが出来ました。ここのマグロたち、口が肥えているようでイワシの切り身には見向きもせずにもっぱら剥きエビを食っていました、贅沢なヤツらめ。エビでマグロ(ヨコワ~メジ)を釣るのは日本海側の隠岐島付近の漁師たち、太平洋側の高知、徳島では生きたイワシを使用します、知っ得情報でした(^^;)。 イルカ、そしてアシカショー。もう大満足、すっかり彼らの虜になってしまいました。イルカのジャンプ力には驚かされるばかりですが、自然界であれほどのジャンプをすることがあるのかどうかは不明。 アシカの「ナンシー」は特に気に入ってしまいました、彼女のボケぶりにはある種の羨ましさすら感じてしまいました。また来ようと思わせるあたりよく考えられている、油壷マリンパーク、侮り難し。 観光船、油壷を発して城ヶ島を一周する。久し振りに船に乗ったもので、もう、ドキドキワクワク。ゆれる観光船の上で、目をらんらんと輝かせ、行き来する船や漁船を眺める。もし他に乗客がいなければ、漁船に向かって「お~い、何が釣れてるんや~!」って叫び、続けて「ようけ(たくさんの意)、釣れてるか~!?」って聞いたことでしょう。漁民の本性丸出しですね(笑)。 三崎港にて、居並ぶ船団を舳先から眺め、「日本の漁民は安泰じゃ~!」とか考えるあたり、僕の根はやはり漁民らしい。 城ヶ島で買い物、乾した烏賊を数枚。そのあと三崎口駅行きのバスへ、今日は実質3時間ほどしか歩いていない、久し振りに「散歩」をした気分。 帰りの電車では前後不覚になるほど寝こける、なぜか異様に疲れている、気分がハイテンションのままだったからか。おかげで家に帰りつく頃にはすっかり疲れが取れていた、黙然と御飯を食べ烏賊を炙り酒を飲む。 酒が美味い、これは良いこと。 最後に朗報、NTTが市内通話に限り通話料金が「定額制」で利用できるようになるらしい、もちろん対象はネット利用者。これで「テレホーダイ」や「タイムプラス」から解放される~、目処は7月以降だそうですが、こんな良い制度、今すぐにでも実行していただきたいものです。 |
1999年5月8日(土) |
予定より30分ほど早く解散となり、夜道をふらふらと帰ってまいりました、休み明けに13時間労働はキツ過ぎる。 つっても忙しかったのは16時頃まで、以降引継ぎを始めるまではずっと「街道をゆく」を読んでました。おかげで退屈せずに過ごせましたが、次回はもっと時間が余りそう。ひょんなことから読書の時間が確保できてしまった、次回もたくさんの本を買いこんで行こう。 今日の装い、ヒザまであるTシャツとジーンズにトレッキングブーツ。いつも以上にヨレてます、毎日がこんなだったら楽しいんだけど、男性も私服で良いようにならないかしら。あ、Tシャツはスヌーピーがプリントされてるヤツ、かわいいったらありゃしません。 明日は行けなくなるっていうより行かないって可能性が、これから寝るとしたら、充分な睡眠時間は取れそうも無いし。海沿いをタラ~って歩くつもり、なんなら足首まで浸かっても良いし。 十津川も良いが仙台も良い、漁師をしてた頃、よく塩釜や松島、仙台に行ったものでした。僕にとっては馴染み深く懐かしい土地、また行ってみたいものですが、新幹線の料金、もう少しなんとかならないものかしら。 さてと、では読書の続きを。ちびちびと酒を飲みながら。 |
1999年5月7日(金) |
いや~、帰って来てしまいました、生きて。 そりゃまあ、生きてなきゃ更新も出来ないわけですが。今回はそれほど危ないこともしなかったし、したくても出来なかったってのもあるんですけど。顔と手の甲はすっかり日焼けして、健康そのものって感じで帰って来ました。鼻の皮なぞ、既に一皮むけてます、早過ぎるよ~。 こんな姿、他人に見せられない、つっても明日は早速仕事、夜22時過ぎまで拘束されるらしい。休暇明けでいきなりハードなことになりそうですが、なんとか乗りきれば日、月と休み、すげぇ休みまくっているような気もします、気じゃねえけど。 現在の僕はと言えば、すんげぇ眠いです、シャレならんです。何と言っても休暇中は、夜は20時頃には寝ていたし、朝は5時頃に起きていた。まーさーに、ジジイの生活(゚▽゚;)。よくもまあ、都会の生活に慣れきった僕がこんな生活を出来たもんだと思ってしまいますが、してしまったものはしょうがない(^^;)。 その影響で、真昼間でも眠気が襲ってきます。早いときには18時を過ぎる頃には眠ってたもんなぁ、体を思いっきり動かすとそうなっちゃうんですけど、睡眠でなんとか体力を回復させようとするあたり、結構若々しい証拠か。 こんなことで社会復帰出来るかどうか解りませんが、この3日間で何とかしたいものですね、他人事みたいですが。 休暇中の写真や日記は近日中に、筆不精な僕がそれでも日記を書き続けて来たのを見ると、根気もついてきたじゃないかとも思いますが、なかなかどうして。真面目に書いていたのは最初の2日間だけ、あとはちょこちょこと記録をつけてたくらい。 写真はそれほどは撮らず、150枚ほどかと。それでも取り込みとかに時間はかかるし、コメントも付けなきゃならんとなると、全てを掲載するのにどれほどの日時を費やすことになるか、見当もつかんです。 帰って来て、部屋のカーテンを開けると、すっかり夏の風景になっていました。昨日は立夏、もはや夏でございます。僅か9日間でこれほど風景が変わってしまうとは、千葉県も侮れないですね(^^;)。昨日も今日も夏日だったし、こりゃ、散歩の時の装備も大幅に変更する必要があるようです。 網戸に「アミリャート」をぶっ掛けながら、防虫対策もそろそろ立てないととか考えていますが、そもそも有効な対策なんてあるのだろうか。あんまり殺しまくるのも目覚めがワルイし、さて、どうしたもんでしょう。 いろいろと考えなきゃいけないこと、しなきゃいけないことも有りますが、暫くはのんびりと。時間の移り変わりがもっとも肌で感じられる季節ですし、あんまりセカセカと生活するのもなんだし。 さて、ではそろそろ、寝酒でも引っかけて寝るとしますか。体のリズムをこちらの生活に合わせる為にも、しっかりと眠りたいですね。もちろん、ジジイの生活から脱却する為でもありますが(^^;)。 |
1999年4月28日(水) |
え~、ほんと、これが最後です。このあと7時頃から飲みにいって、ニュースステーションが終わると同時に寝るという予定。明日は5時頃に起きて6時に部屋を出るつもり、羽田で1時間ほどウロウロして、そして機上に人に。降りればそこは徳島さ~、帰ったらソッコーで室戸岬へ~。 ん~、やっぱ4時過ぎから飲むのって、変な酔っ払いかたをしまする~。思いっきり働いたり運動したあとや、もしくは何にもしないで過ごした日ならそんなことは無いんだけど。中途半端に緊張し、それから解き放たれたときなど、通常とは全然違う酔いかた。 こういった酔っ払いかたは僕の体には合わないってことは解りましたが、そんなことじゃ一流の酔っ払いにはなれません。田舎に帰ったら屈強な酔っ払いがたくさん居るので、少し特訓してこようかしら。でも昔の僕ならともかく、現在の僕ではとても太刀打ち出来無さそう。 帰ったらもう、とにかくスクーター。歩くことはまず無さそう、てことはこちらに帰ってきたあとの散歩は中約1ヶ月を空けた状態で。ちょっと怖い気もするけど、最初はやはり軽目から。暑くなってきたことだし、海沿いをテロテロと、そのへんのプランは田舎で練ってこよう。 あ~、いろいろと書きたいことはあるんだけど、もう心は徳島、昨日も言ってたけど(^^;)。とにかく最低でも5日間は走りに行きたいよな~、絶対。天気は良さそうだし、まあ、計画通りになりそう。 ではでは、生きてましたらまたGW明けに、ってシャレにならんことを(^^;)。春だし、そんなに危ない所は無いと思うんですけど、注意の上に注意を重ねて。それではでは、飲みに行ってきまする~。 うぃ~、ひっく。帰ってきましたよ~ん。相変わらずウルメイワシは美味いっす~、鶏の軟骨やつくねも食ったことだし、心置きなく田舎に帰れます~。最大の問題は、明日の朝、ちゃんと起きられるかどうかなんですけど、それはこれからの僕の行動次第、さっさと寝ろや、オレ!。 |
1999年4月27日(火) |
ここの更新、明日(28日)までです。次の更新は5月7日の予定、暫くお別れでございまする~。 荷物は明日の朝にコンビニから、品数は少なくなると思っていたのに細々とした物を入れていたらバッグはパンパンに。ダンボール箱で送ろうかとも思ったのだけれど、朝早く、スーツ姿でダンボールを運ぶのもイヤだったので。 帰り道、秋葉原に寄ってコンパクトフラッシュを、これで8MBのカードが5枚。高画質モードで約175枚、ノーマルモードで約420枚ほど撮れます、いろいろと考えた結果、今回はノーマルモードで撮ってこようかと。やっぱ、質より量ってことで(^^;)。でもこのモードの違い、見た目ではあまり違わないように思えます。 ん~、心は既に徳島、もう何も思い浮かばない。じっくりと野球でも見ながら酒飲んで寝ます、それでは~。 |
1999年4月26日(月) |
(;_;)、・・・シクシクシク~。 仕事でガッツンガッツンへこまされる、毎度のことですが。シオシオとして帰宅してムクれて酔っ払って、全然美しくないっす。コナクソ!と思う気力まで奪われてしまった状態、明日は明日で説明会とかしなくちゃなんないし、オイラ、明日1日正気を保つことが出来るのだろうか。心配。 昔から、「あ~、畜生!。こんな仕事辞めてやる~」って思いながらもそれを乗り越えて強くなってきたものですが、歳と共にそういった勢いみたいなものも萎えてきてるみたい。そんなこっちゃダメなんですけど、ダメはダメなりに。 泣き喚いて酔っ払って踊り狂って寝たところで忘れられるはずも無し、そんなことを何時まで繰りかえすつもりなんだか。 ああ、そういや司馬さんの紀行シリーズを買うのを忘れてた。明日こそは買ってこよう、精神的にそれだけの余裕があればの話しだけど。1日1日、その日暮らしのようでイヤだけど、今はこれが精一杯みたい。 腰から砕けて落ちそうなほどの精神状態でも少しくらいの抵抗は。 さてと、今夜も早めに。布団の中でデロデロと、何時までもダメなコだなぁ(^^;)。 |
1999年4月25日(日) |
3連敗・・・、しっかりと開幕カードの借りを返されてしまった。達川カープ、侮り難し。 前半終了時に寝てしまったユース選手権、目が覚めてから結果を知り、やっぱりか~って。掃除して洗濯してメシ食って、「炸裂スポーツパワー」が終わる頃にはすっかり青空。本屋さんへの行き帰りの日差しといったらもう、すっかり夏のもの。じりじりと照りつける特有のものを感じてしまい、「もう、長袖はキツイのう」などと1人ごちてみたり。 本八幡駅前の本屋さん、現在講談社系が強い。「バカボンド」の吉川英治さんの原作、それに「ヨコハマ買い出し紀行」のコーナーまで。その紹介文には「のほほん漫画」とあったのだが、それほど「のほほん」とはしていないぞと思うのは僕だけだろうか。 「紀行」を辞書で調べてみる、「旅行中の行動・見聞・感想などを行程を追って書き記した文」だそうな。確かに、作品を最初から読み返すと、この作品にはぴったりの言葉だと思える。最近は特にそうだけど、紀行文っぽくなっている。 生きてること自体、旅してるようなものだって、よく言われますが。刻々と変化して、後戻れない時間の中では、本当にそうなのかもしれない。ひとつところに止まれない時間の中で、ひとつところに留まれない精神を抱えて、さて、何処へ行こう。 見て歩く者ってのは、なんとなく。 欲しかった司馬さんの紀行シリーズを発見できないまま本屋さんを後にする、「十津川街道」と「阿波紀行、紀ノ川流域」が欲しかったのだが。明日、インターシティ内の本屋さんで買ってこよう。 今回もまた選挙には行かないまま、天気が悪かったのは朝のうちだけだったのに、投票率はそれほど上がらなかったらしい。11時頃でも10数パーセントほどだった、みんなもっと選挙に行こうぜ、ってお前が言うな!。 帰省仕度、持ち帰る品数が少なくなりそうなので前日に、火曜日くらいでも良いかなー。今週は2日半の勤務、一気に駆け抜けたいっす。てなことで寝ます、もう寝ます。 この2日間、しっかり寝たはずなのに何故か眠気が強烈に。GW中はずっと晴れだそうなので、全力で遊びたいのにこんなことじゃ侭なりません。あとは野となれ山となれ、ってナゲヤリな気持ちも起きそうになりますが、そこをグッと我慢するのが大人ってモノ。「頑張ってね、僕の肉体」という心よりの励ましを僕の精神より頂いた所で、はい、寝ます。 |
1999年4月24日(土) |
う~む・・・、軽く仮眠を取るつもりが気が付けば3時過ぎ、妙に疲れてるなぁ。おかげでニュースステーション、見逃しちゃったよ。 ちょろちょろと、やった後にはまた寝るつもり。散歩には行け無さそうだし、昼過ぎまで寝て、じっくりと疲れを取りたいですね。ドラゴンズは結局追い付けず終い、そうそう逆転勝ちは出来ないか。 雨は今日の午前中一杯で上がる雰囲気、明日は曇りながら雨は降らないみたい。日曜日にキツイ設定をすると月曜日が苦しくなるので、あまりムチャは出来ないですけど、軽めにざっと流すのもたまには悪くない。 ではまた、夜に。 再び目覚めたのは10時過ぎ、相変わらずの雨、ふらふらとシャワールームへ。そして雨の中をてろてろと近所のスーパーまで、そろそろ季節も夏へと入るために商品も様変わりしつつある。 買い物は楽しい、売り場をウロウロと商品を眺めながら歩くのは好きだし、旬の魚や野菜を見つけるとそれだけで何だか嬉しくなっちゃいます。で、今日の逸品、それはドジョウ、しかも活けドジョウ(゚▽゚;)。小さな容器の中に水を入れその中に20匹ほどのドジョウが活けてあったんですけど、それにしても誰が買うんだこれ?。売り場には3パックしか置いていなかったので店側もそれほどハケルとは思っていないようなんですけど、どう見たって柳川用みたいだし、一般の人で調理する人っているのかしら。まあ、ニーズ的に薄くても、用意するってのが店側の心構えってモノだし、そういった意味では、頑張れマルエツって思ってしまいます。 結局1日中降り続いた雨、明日の散歩も既に諦めムード。曇りのち雨って、そんなじゃ何処にも行けないじゃん。大人しく帰省準備でもやってます、雨の合間に本屋さんにも行きたいですけど。 「ヨコハマ買い出し紀行」を読みながら、アナログ計器かいって突っ込んでみたり。でもあれ、船の計器もそうなんだけど、目で見るインターフェイス部分はアナログでも、実際に計測している部分はスゲェ先端技術を使ってんだよなー。 では何故(かなり正確と思われる)デジタル表示ではなく(結構いい加減と思われる)アナログ表示なのか、それはそれを見る人の安心感ってモノにかなり関わっているのではないだろうか。実際に、船の機関部でアナログ計器類を眺め続けていたときにそう思ったんですけど、実際のところどうなのかしら。 そうそう、どんな最新機器を搭載した船でも、未だに羅針盤は搭載しています、これも安心感ってモノなんでしょうね。もっとも、これは何かあったときには実際に役に立つシロモノなんですけど、出来ることならそんなモノを使用するような状況にはなりたくはないんだろうなぁ(^^;)。って他人事みたいですが、いやまあ現在では他人事なんですけど、現役のときには羅針盤と救命ボートを使うような状況にならないことを本気で祈っていたものです。 海の上よりも剣呑な場所で生活する今、いざという時に頼りになるものってなんだろう。海の上、船上では頼りになるのは自分だって胸を張って言えたんですけど、今の僕にはそう言えるものが無い。自身喪失している場合ではありませんが、こういった時はやっぱり資料室で泣いてみるべきかしら、助けて石原さ~ん(筋違)。 |
1999年4月22日(木) |
先週土曜日の日記、まだ終わりません、本人諦めかけていたりします。 非常識さでは他人にヒケをとらない僕に、「お前等、何でそんなに非常識なんじゃ~!」って言わせる方々には頭も下がる思いです。が、自分も非常識だってことに引け目を感じている僕としては強く他人に言うことは出来ない、と自己完結気味な今日此の頃。 どうにも、弱気になっているような気がする、いや、なってる。たまにゃ、こんなことも有るさって、自分を慰めてみても虚しさが残るばかり。いろんな考え方をする人が居て、それに反発しながらも容認したり妥協したり、そして受け入れていく。それでも、どうしても受け入れられない物だって有るさ。 理解出来なくても、無理やり納得することは出来る。それすら出来ないものに出会ってしまった時、どうすりゃ良いもんだろうって、考え込むのも良い経験ではあるんだけど、やっぱ苦しいっす。んでもって、悶々と暮らす日々。 ま、それでもそのうちに解決しちゃうんだろうけど、僕自身がっていうより、僕の精神(脳)が。ヤなことはヤなこととして、ただそれだけの物として解決しちゃうんだろうけど、それじゃ何の解決にもならないってことも、知っちゃいるハズなんだけどねぇ。 さてもさても、実に不思議なのは我が精神よ。 |
1999年4月21日(水) |
うぃ~、ひっく。酔っ払ってますよ~。 今まで、相方と飲んでました、2人きりで。いろいろと、有意義でした、たまには二人きりで飲むのも宜しいですねえ。 奢っていただきました、本人的にはイヤなんですけど。これが博打友達なら「ゴチになります!」って、何のわだかまりも無く言えるんですけど。その点、ちょっと判断付け難いです、相方は、「絶対に奢らせろ」とか言ってるんですけど。 そのうちに、また一緒に飲みに行くことも有るだろうから、その時に。 今日は気分悪かったんですけど、精神的に。でも相方と飲んだことでかなり和らげられました、ありがとうねぇこの借りは必ず。 では、気分良いうちに寝ます。明日もいろいろと有ることでしょうが、気持ちを強く持って。 |
1999年4月20日(火) |
今日も今日とてスカパーしか放送していないドラゴンズ戦、どうしたもんですかね、地上波はやる気無しですか。そんな愚痴ばかりが口を突いて出ます、朝から、どうしようもないほどに。 ああ、忙しい忙しい、体も、そして脳も、回ってますよ、ぐるぐるぐるぐるぐるぐると~。何時もより多めに回ってますよ~、もう、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる~、ってヤメい!。 寝る前の牛乳が美味いです、日中より夜間の方がカルシウムの貯蓄率は高いらしいので、毎日寝る前にコップ一杯分飲んでます。でもひとつ気懸かりなことが、酒飲んで酔っ払った状態ではカルシウムの吸収率は低くなるんじゃないかということ。実際のところは解らないんですけど、何だかそういう気がします。 カルシウムとビタミンC、そして食物繊維だけは必要量以上摂ってます。ほかの栄養素はって言うと、炭水化物以外はそれほど摂っていません。これでは体の疲れを取ったり、脳の疲れを取ることはなかなか望めません。もう少しバランス良く栄養を摂らないと、せっかく自炊しているんだし、よくよく考えていきたいですね。 最近、麦系の茶でウイスキーを割る、というのがマイブーム。オリジナルブレンドで、いろいろ試しています。ちょっとだけ、罪の意識もありますが、まあ、美味しく飲めているので許してください、マイスターの方々(^^;)。 麦茶、二日酔いの朝の必需品。「毒消し茶、いらんかえ~」の掛け声にもあるように、体を正常な状態へと近付ける作用はなかなかのもの。少なくとも僕の体には、蜆のお味噌汁や牡蠣エキスなんぞより、よっぽど効き目があります。 さてと、それでは一昨昨日の日記へ。あまし時間はないけど、行けるところまで、まとまった時間が欲しいよう(;_;)。 |
1999年4月19日(月) |
雨の所為か電車は空いていました、朝の話しですが。4月に入ってから新社会人の皆様が多い所為か朝の電車は早い時間でも混んでいたのですが、雨が降ったくらいでこんなに空いちゃうなんて、イマイチ根性なし君(さん)たちが多いらしい。もっとも、新人さんばかりではなく古い人達も少なかったので、そう言い切っちゃうのもどうかなと。 今日も1人で修羅場体験、あおりを食った状態で相方も忙しくなる、だらしないヤツでごめんねぇ。肉体的な疲れが取りきれない内に頭脳的な疲れが重なるととんでもない事になることが発覚、いきなり頭痛が襲ってきたかと思ったら熱まで出てくる始末。何か知恵熱っぽくてイヤだったんだけど、定時までに一段落付ける事が出来たのでソッコーで帰ってきました。 メシ食って酒を飲んでボーっとしていたので一昨日の日記は書けず終い、もはや日記じゃなくなっているような気もしますがそこはご愛嬌。今週後半は忙しく無くなる予定なので、その頃には書き上げたいなぁ。 今倒れちゃうと相方が全面的に作業を請け負っちゃうハメになるので今日はもう寝ます、じっくりと休んで疲れを取らないと、不調が長続きすると碌なことにはならないですからね。 いろいろと思うことはあるのですが上手く言葉に出来ない、今日の「TVタックル」は久し振りに面白かった。ダンディーか~、確かに口にはしにくい言葉だよな~、どっちかって言うと「漢(おとこ)」って呼ばれたいって願望もあるし。 明日も雨らしい、週末も今のところ雨予想。今週末がゴールデンウィーク前最後の散歩、全力で臨みたいところですが、さて。ま、とにかく疲れ、取ることですな、それでは~。 |
1999年4月18日(日) |
え~、まずは一言。ダメだよ、ゴメちゃ~ん(笑)。鶴田さんは不幸な目にあってしまいましたが、まだまだ試合はこれからですぞ~、気張れ、ドラゴンズ!。 昨日は帰ってきてからシャワーを浴び、メシを食い、ビールを呷って寝てしまいました、決してヤケになったワケじゃないぞ(^^;)。散歩からの帰り道、横須賀線が横浜駅で起こった車両故障の影響で暫く運転しなかったお陰で帰宅が遅くなったから、疲れていたし、面倒臭くなっただけ。 昨日の日記は今日のこれを書いてから、ボチボチと、もしかしたら数日に分けて書くかも。正味の話し、8時間近くの散歩の記録を、数時間で書くのはムツカシイし、昨日はいろいろ有ったから。山に海に、燃えまくりでございます~。 昨日の帰宅後、突然カミナリソバを食べたくなったのですが、前述のように時間も遅いので、今日作る事に。カミナリソバって、ただ単に、ソバに大根おろしとツユをかけた、いわゆる「ぶっかけソバ」なんですけど、僕はこれが大好物。夏になるとこれを作る機会が増えるのですが、昨日はかなり暑かったので、体が突然欲しがった模様。 一気に、2人前のソバをたいらげ更に御飯を掻っ込む。最近の僕、散歩の当日及び翌日は気が狂ったかのような食欲、こんなに炭水化物ばかり摂ってどうするんだ。さすがにこのソバ2人前でその食欲もおさまり、夕食は鶏肉とタマネギ、ピーマンの炒め物で軽めに。 昨日の夕食はコンビニで買った「トロロソバ」と鶏の唐揚げ、そしてビールを1リットルとポテチを1袋。食べる先から体が吸収して行くのが実感出来て、とても気持ち悪かった(^^;)、俺の体はもはや普通の体じゃ無いって。小、中学生の頃の、あの食っても食っても体が食べ物を欲しがる、あんな感じ。来年には30歳を迎えるってのに、こんな体にしてしまって、どうする気なんだ、本当に。 今日は寝たり起きたり、午後からは写真の掲載を。デジカメにして、作業は楽になるかと思っていたのですが、楽は楽なんだけど、取り込みに時間がかかり過ぎ。13時過ぎから始めて、気が付けば18時(^^;)。たかが43枚で、ゴールデンウィーク明けに、田舎で撮った写真を掲載するとなると、こりゃ、考えたくも無い作業量に。もう少し、効率的な作業方法を考えないと、とんでもない事になるよなー。 さ、それじゃ。昨日の日記に移ります、ドラゴンズもゴメスの逆転ツーランで勝ち越したことだし。何処まで書き進める事が出来るか解らないですけど、もしもやたらと短くなっていたら、途中でイヤになって止めたと思ってください、っていきなり開き直ってどうするんだ、俺!(^^;)。 |
1999年4月17日(土) |
目覚めたのは4時過ぎ、こりゃいくらなんでも早過ぎるよ~って2度寝、再び目が覚めた時には6時を過ぎていたので慌てて身支度をして部屋を後にする。予定では逗子駅から横須賀駅まで、大楠山経由で行くつもりだったんですけど、久し振りに海も見たいってことで秋谷までバスで行って、荒崎まで足を延ばす事に。 秋谷のバス停近くのコンビニで早めの昼食用のオニギリを購入し、9時15分、意気揚々と登山口へと向かう。前田の登山口から、前田川沿いに登り始める。道沿いは青々とした草木が美しくて、目を細めながらゆっくりと進む。 この登山道、川沿いに進めるように現在新しく工事中、完成するのはまだまだ先になりそうなんですけど、なかなか良い雰囲気になりそう。完成する頃を見計らって、またこの登山道を通ってみたいです。 暫く進むと分かれ道が、気にも留めずにずんずんと先へ進む、と、前方から来た軽トラが僕の横で止まる。何だろ、って思っていると運転席のオジさんがおもむろに「お兄ちゃん、大楠山に行くんだろ?、この道、大楠山には行かないぞ」。・・・・・・、どうやらさっきの分かれ道で道を間違えたらしい、親切に教えてくれたオジさんにお礼を言って、来た道を後戻りする。 確かに、大楠山へ至る道を示す標識が有る、でも、すげぇ解り難い立てかた(^^;)。前田側から来たら見えないように立ってる、何の為の標識なんだか。僕の注意力が足りないのかもしれないけど、でも先々週の木古庭側登山道といい、標識の立てかたは今ひとつ不親切。 道を引き返す前、僕が歩いていた道は湘南国際村へと続く道だったらしい、地図で確認したあと、登山道を元気良く歩み始める。半分照れ隠しでもあるんですけど、誰も見てないのに、こういったとき妙に恥ずかしくなるのは何故だろう。 少し進むといきなり道悪に、芦名口や木古庭口なんか目じゃないくらい。でも、歩いていて思ったんだけど、1番味わいが有るのもこの道。尾根をうねうねと続いている細い、本当に細い道。散った桜の花が絨毯のように敷き詰められていて、木漏れ日にきらきらと映え、歩いていてとても楽しい。途中、早くも下山する人と行き違う、強者だなぁと思いながら挨拶を交わす。山の人、気分良いです、行き違う時には必ずといって良いほど声を交わす。それにつられて、普段滅多に挨拶しない僕も山では必ず、挨拶をするようになってます。まだ山は2回目だけど、本当、良い。 うねうねくねくね、登ったり下ったり、繰り返すが尾根道のため、コースはアップダウンに富んでいる。ここも三浦丘陵の一部のはずだけど、三浦丘陵って、全体的にこんな感じなのかしら。 コース途中には横須賀市にちなんだクイズを出題する掲示板が在り、一問一問、真剣に考える。これだけこちらに来ているのに、知らない事が結構有って、次からの散歩の参考になりそう。総体的に、海に近ければ近いほど、詳しく知っている、離れれば離れるほど、知らないことが多くなる。偏っているなぁ、反省、反省っと(^^;)。 山頂近く、雨量観測所が。てっきり気象庁のものかと思っていたのですが、何故か建設省、何で~?。その傍にはお花畑、それも念願の菜の花畑が。思わず「ヒャホウ!」とか叫んでそして周りを見渡す、誰もいないよな~って、ちょっと恥ずかしかったらしい(^^;)。 展望台にも登ってみる、これがまた良い眺め(^^)、晴れてりゃもっと良かったんだろうけど。360度大パノラマ、晴れてれば半径120kmが見渡せるそうですが、曇っているとそれも半減、でも充分愉しめました。 ここまで来れば山頂ももう直ぐ、NTTの送受信所横を通り、山頂へと至る最後の難所、見上げるような階段の前へと出る。えいや!っと気合を込め一気に登る、さすがに息切れしたけど、でも気分は壮快。さっそく休憩所横の展望台へと登り三浦の風景を眺める、先ほどの展望台も良かったけど、一段高い所に有る為かこちらの方が見渡せる範囲は広い。 まだ、11時前のためか、山頂に人は少ない。ネコを相手にしながらゆったりと食事を摂り終え、休憩もそこそこに衣笠城址へと向かう道を歩み始める。衣笠への道も、やはり尾根道、この道も、前田ルートと同じく、味わい深い道。もうすぐお昼の為でしょうが、山頂へと向かう人が多くなる。1人で登る人、グループで登る人、それぞれにそれぞれの愉しみかた。 すれ違う人、1人1人と挨拶を交わす。山の開放感と海の開放感、違うのだけれど共に通じる所が有るよう。「うーっす!」って声をかけてくれる人って、多分(元)山岳会系の人なんだろうけど、妙な頼もしさが。かっちょええ~って感じで、海の男(女)も良いけど、山の男(女)も良いなぁ。 横浜横須賀道路を横断し、直ぐの所に階段が。まさかこの道じゃないだろうと、階段に登って確認をする事も無く反対側の道へ進む。暫く行くと竹林が在り、これがまた良い雰囲気。気分良く進む、と、何故か人里に出る。「ん~、何でやろ~」とか思うのだが、やはり地図を確認する事も無く先へ進む、が、やっぱ変。掲示板があったので見てみると、そこには平作の文字が。 やっぱり、さっきの階段を登るらしい、んが~。今日2度目の迷い道クネクネ~(^^;)、しゃーない、後戻り。階段横には、またまた大楠山からでは目に付き難い位置に標識が、本当、不親切過ぎるよ~(;_;)。いやいや、待てよ、これはこれで面白くはある、と無理やり気持ちを切り替える。 頭の中に、自分だけの地図が出来上がっていく。迷うのも、良い経験、地図の繋がりも広がり、精巧になっていく。この地図が完成する事は無いだろう、日々、変化する、全てのものは。だからこそ面白いし、迷いながらも歩き続けようと思うのだし。 階段を登り細い道を歩き出す、この道もまた険しい。前田登山口~大楠山~衣笠城址と続くこのルート、歩いてみると本当に面白い。芦名~木古庭ルートは人の手が入りすぎていて、いまひとつ素っ気無さを感じるのですが、昔ながらの姿を色濃く残すこのルート、エエです。 それは他の人も同じようで、このルートが1番ハイカーが多かったです。やはり良いものは良い、人の心は敏感にそれを感じ取るようです。 衣笠城址へ。 大善寺の裏手に、ひっそりと在った。かつて三浦氏の本拠であったというわりには、ささやか過ぎるほどの広さ。楠正成の千早赤坂城も拍子抜けするほどの広さだが、この程度の規模が、どうやら平安、鎌倉期の典型的な山城の大きさらしい。 衣笠は三浦半島の中心に存在し、横須賀と西海岸をつなぐ道路の中間に位置していて、なるほど、三浦経営にはうってつけの場所だということが納得できます。現在でも衣笠十字路を中心に商店街が広がっていて、その名残を残しています。 衣笠山全てがひとつの城砦になっていたそうで、今でも細い道が山中を縦横に走っています。その道の全てを歩いてみたいものですが、ハイキングルートとは違い、かなり危険な状態なので尻込みしています。 大介(三浦義明)どんの墓がここに在るかどうかは解らない、でも、間違いなくここで大介どんは死んだ。居館跡に暫く佇む、是非1度酒を酌み交わしてみたいものだが、今や望むべくもない。何故これほどまでに彼という男が好きになってしまったのか、彼の人となりもそうだが、やはりその潔さにあるようだ。 彼の血は数代後に滅んでしまったが、その子の義澄や、孫の和田義盛や畠山重忠には彼の何がしかのものが受け継がれていたよう。それぞれに、持っていたものは違っていたようですが、彼らを足せば大介どんそのものになる、といった気がします。 死者はただ静かで、生きている者はいたずらに騒がしい。彼は死後、どういった思いでこの世の有様(ありよう)を眺めたのだろう。彼の死と共に頼朝は興り、頼朝の死と共に三浦氏は亡んだ。その死と興亡の繰り返しに、静けさと騒がしさが織り交ざり、ひとつの時代は始まり、そして終わる。 言葉に折り合いがつかない(^^;)、それではまた明日以降~。 |
1999年4月16日(金) |
今日は、喧々囂々、四苦八苦。新相方と熱いトークを展開しつつ作業を進める、楽しくて為になる、こんな仕事のしかたも良いなあ。1日を振りかえりながらそんな事を考えていました。 どっちかって言うと、1人で悶々と考えこみ、へこみ、もがき苦しむ、そういった傾向が強くて、あまり人と話しながらってのは好きじゃないんですけど、うん、これも良い。 ジャイアンツ戦の為、今日から3日連続中継が有ります。今日の先発はサムソン、高橋に1発を食らったものの見事なピッチング、ご苦労様です(^^)。それにしても実況も解説(堀内)も何故にこれほどドラゴンズのことを知らないんだって、不思議に思いました。 どうやら彼ら、テレビでしか野球を見ないらしい。あ、勝っちゃった、11連勝っすよ、すげぇなあ。それはともかく、岩瀬君のピッチングを知らないなんて、本当にこいつ解説者かって思ってしまいます。つか、お前ジャイアンツのピッチングコーチとかしてたんじゃないか、そんなに他チームの事を知らないヤツがコーチなんて勤まるのか。ジャイアンツって、良く解らんチームだなぁ。 明日は野口さんだ、12連勝もいただきっす、鶴岡八幡宮に必勝祈願でもしてこようっと。 ゆっくりと酒を飲みながら明日の散歩に思いを馳せる、大楠山は登るには手頃の山、これから秋にかけて、季節毎に何度か登ってみようと思っています。夏は主に三浦半島の西、西南方面を主に攻めてみようと思っています、やはり夏は海が良いです。春、秋の涼しい季節には山登りを増やしていきたいです、寒い季節はイヤですけどね。 明日に備えて早めに寝ます、ドラゴンズが好調な為に遅くまでスポーツニュースをハシゴする日々ですが、散歩のためならエンヤコラ(謎)。暑くなりそうなので久し振りに薄着で、でも長袖、これ散歩の基本。基本を忘れるようなやつは何時か痛い思いをします、ね、ガルベスくん(^^;)。 |
1999年4月15日(木) |
朝、職場の窓から見える品川駅。発着する電車を眺めながら現実逃避を試みるもあっさりと敗北、こんなに良い天気の日に何ゆえ仕事などしていなければならないのか?、今日1日、こんなことばかり考えてました。今週末、土曜日は晴れるそうなので全力で散歩に臨もうかと、しかし全力を出すようでは散歩とは言えないものなんじゃないかとか、多少反省してみたり。 もはや散歩なんてモノじゃ済まされなくなっている感の有る今日此の頃の散歩、今週もまた厳しいコースを設定し、そしてのたうちまわり悶え苦しむ自分に酔いしれている事でしょう。殆ど、ヘンタイと言っても差し支えないような領域に入りこんでいるような気も。最近では芭蕉の気持ちが何となく解りかけてきたような錯覚も感じています、錯覚じゃダメなんですけどね。 昼過ぎ、母に連絡をとったところ、電話に出たのは祖父。そして「お~い、た○おから電話やぞ~!」と母に知らせる祖父の声が。母に代わり僕の第一声、「あの~、み○おやけど~・・・」、かわいい孫の声を間違えるなんて、何てヒドイことを(^^;)。 僕自身は似ているなんて思っていないんだけど、母や祖父、そして知人達に言わせると僕の声は弟のそれとそっくりなんだそうな。最近は姿形まで似てきたらしく、上の弟と下の弟では遠目に見ると区別がつかないらしい、そして声も。 た○おとは上の弟の名前だったりするのだが、本人達の兄弟を認識する目(観点)と兄弟以外の人間のそれとでは違うものかもしれません、それにしてもそんなに似ているかな。僕はさっぱり似ちゃいないと思っているのですが、さて弟達はどう思っているのだろう、今度会ったら聞いてみようかな。 聞く機会があれば聞いてみたい気もするけど今度はいつ会えるのだろう、今年はもしかしたら1度も会えないかも、可能性が1番高いのは夏休み(盆)なのだが。塩釜や銚子に入港した時など、近いんだから会いに行ってみようかとも思うんだけど、何だか照れくさい。 徳島への往復チケットは購入済、あとはゴールデンウィークが来るのを待つばかり。帰ったらまずはスクーター、何をおいてもスクーター、夕焼け迫る海沿いの道を室戸岬までGOだっ!。 勝った、また勝ってしもうた!。完封勝利おめっとうさん、武田さ~ん。くぅ~、FAとはいえ、何故これほどの投手を手放したんだホークス、オイラ、信じられねぇ~。今夜もまた安心して眠る事が出来ます、何に対して安心するのか良く解りませんが。でもまた明日はハラハラする事になりそう、1日中ね(^^;)。 何かこういった感覚って、親が子供の運動会や授業参観の前日にドキドキしてるのと同じようなものかも。不安と期待が渾然一体となった感覚、もしかしたらこれを毎試合、星野監督は感じているのかもしれません。だとしたら彼のあの気性の激しさはその思いの裏っ返しなのかも、でも怖いのはやっぱりイヤ。今シーズン、星野さんがずっと笑っていられるように、頑張れ、ドラゴンズ~。 |
1999年4月14日(水) |
今日は7時45分に職場に着いた、さすがに誰もいないだろうと思っていたのですが、強者が1人。早速事前作業を開始しレヴューに備える、も、あっさりと轟沈、何の為に朝早く出たんだか。 バカヤロサマで勉強しようともしないから朝早く出るハメになったりするのだが、自発的な事であるのが唯一の救い。それにしてもなんですね、毎回毎回同じことを繰り返してるってことは、さっぱり教訓が活かされてないってことの証ですね。 気が付けば業務報告のようになっているし(^^;)。 早く寝る寝ると言いながら寝てません、昨夜も寝たのは1時過ぎ、おかげで今日はもうヘロヘロ、脳みそ死んでます。こんな状態で仕事しても全然捗らないし、相方にはおんぶに抱っこ、イケマセン、イケマセンよ~。 暇になったらまた、いろいろと弄繰り回そう。もちろんココの話し、軽量化も図りたいし、もうちょい写真の掲載方法なんかも良くしたいし。問題は僕のセンス、そう、センスオブパワー(違)。サイトで使っている素材は全て借り物、こういった小物も作っていきたいですね。 また勝ってしまいそう、7回のビッグイニング、ケンシンは残念だったけど。こんなに勝ち進んでいてもスカパーくらいしか中継やってへん、松坂君の緊急中継をするくらいならドラゴンズのゲームもも放送して欲しい。そういった不満を漏らしつつも松坂君を見てました、本当に良い男ですね、抱かれてしまいたい(^^;)。 さあ、今夜こそは早く寝よう、もう疲れ果ててますよ、あと2日も残ってるのに。まあ良いさ、どうせ今週末も雨みたいだし、週末は寝て過ごすさ。すっかりイジケてるねぇ、手の施しようも無し。では、失礼いたしまするするする~。 |
1999年4月13日(火) |
マズイ、マズイですぞ。明日朝イチでレヴューをするハメに、突然言われてもねぇ、心の準備ってモノが(^^;)。仕事は突然に忙しくなり、明日から暫くは残業が続きそうな予感、そしてトップの写真も暫くはあのままになりそう、イカンです。 今日は暖かかった、つか、暖か過ぎ。今年初めての半袖モード、長袖をクルクルクルと捲くり上げ必死の形相で仕事をこなしていく、新相方の手を借りながら。人に仕事を振るのって、あまり好きじゃないんですけど、さすがベテラン、テキパキとこなしていくのを見て、こういったのも悪くないなぁと。度を越すのもいけないけど、現在は暇そうだし、今週一杯は手を借りることになりそう。 新人の時とは違ったチカラを求められるような状況において、どういった仕事のこなし方やスタディをすれば良いか、現在の職場に来て早2年目を迎えようとしているのに、未だによく判らない。 当然の事ながら、新人とは違うのでこれくらいは知っているだろうといった思いで話しを進められるので、侭ついていけなくなることが。その都度質問をぶつけてみるが、全体を把握していないので確かに理解できたかと言われると自信は無い。また全体を把握してみようと勉強を開始しても、細かい所を知らないが為に行き詰まってしまう、もう、このリングから抜け出せずに四苦八苦する毎日。 これで、現場を転々とするようになったらどうなるんだろう、何も理解することが出来ずに次の現場へ行ってまた同じことを繰り返す、これじゃ、スキルアップなど望めるはずも無し。こうなりゃ、新相方の行動をウオッチングしてみるか、ベテランなだけに、いろいろ参考になることも有るかも。 以上、愚痴。 あと数時間で29歳になる、こんなヘナチョコなヤツでも一端に歳は取るのだ、これ以上恐ろしい話しは有るまい。ソフトウェア・エンジニアを志した頃の予定では僕はこんな事にはなっていないはずなのだが、世の中侭ならないもの、いや、世の中の所為にしちゃいけませんが。 30歳にはとてつもない人になっている予定なのだがそれはもう先が見えてるから(^^;)、とりあえず40歳に延期だ、って40歳になったらまた同じことを言っていそうだなぁ。それじゃ、本当に成長なんて望むべくもない、うが!。 しつこく年齢にこだわるのは、現在の僕と、昔こうなっているはずだって目指していた僕とのギャップに戸惑っているから。それらの全てを飲み込み、愉しめるようになれば大したものだが、それはそれでダメなような気も。ちっ、こうなりゃ酔っ払って、クダまいて、寝てやる!。 また勝っちまった、山本さんサイコー、サイコーよー!。これで明日は上機嫌で仕事が出来ますよー、今日なんか、心配で心配で仕事が手につかなかったもの。って、今日勝っちまったら、明日もまたハラハラの1日が~。連勝中は毎日がこうなんだろうなぁ、セ・リーグ記録は塗り替えたのであとは両リーグ通じての記録に挑戦、連勝を止めるのは誰だ、これもまた興味あること。 前回(38年前だっけ?)の連勝ストッパーは権藤さん、現在ベイスターズの監督をしていますが。となると左、山本さんは今日勝ったので、・・・サムソン、サムソンですか?、有り得る~。 ・・・・・・、馬鹿なこと言ってないで寝ようっと、明日も早いし。ここのところ5時になると目が覚めています、とにかく早く目が覚めてます、漁師さんモードが全開になっているようです。てなことで昨日、「あなたも漁師になりませんか!」ってページにリンクしてみました、さぁ、あなたもシャイでタフガイな漁師さんを目指してみませんか~?。 |
1999年4月12日(月) |
それほど強烈に晴れたわけでも無いのに、久し振りに晴れ間が覗いただけで、何故にこれほどまでに嬉しいのだろう。これで出掛けることが出来たならば、何も言うことは無いのだが。朝、市川駅で総武線快速を待つお婆ちゃん、どう見ても散歩に行く格好、羨ましすぎて睨み付けること暫し、お年寄りに何てことしてんだか。 相変らず忙しいような、暇なような。朝から全力で働いていると、16時過ぎには集中力が落ちて来ます、ここのところは大抵そう。先週の火曜日、徹夜明けでオセロをしてみたところ、とてつもなく直線的にしか物事を考えられなくなっている自分に気付き、「ああ、俺も年老いたものだ」と嘆いていたのですが、別に年老いていなくても徹夜明けの人はこういった状態に陥るということに思い至り安堵する。 今日の昼休み、食堂にて食事を終え自分の席へと帰る途中、やたらとフレッシュな人達とすれ違う、今年の新入社員だろうか?。僕にもあんな頃があったんだよなあって感慨に耽る、今や疲れきったオジさん、本当、年は取りたくないものです。 何て言うかもう、あのキラキラ加減が何とも言えんです、水を掛けたらパチパチッて弾いてしまいそうな。でも、良く考えたら年齢的にはあまり変わらないはず、大卒の人ばかりだろうし、浪人や留年した人も居るかもしれない。だとしたら、この差は何なのだ、専門卒で、早くも社会人9年目を迎えたからか?。でも、その内の4年間はプーしてるし、普段の姿を見たらとても働いているようには見えない。もしかして、相当ツマラナイ生き方して来たからだとか。 そうは思いたくは無いけど、それっぽい(^^;)。 今日の「熱血!島田塾」を見ながら、「お前等、別にそんなトコに行かなくても叶えられる夢ばかりじゃんか。つか、男(女)なら1人で叶えて見せろや、ボケ!」とか、突っ込んでみたり。大体が、25人分の1食の食費を1万円だなんて、贅沢過ぎ。しかも1万円使ってあんな料理じゃ、「夢叶える前にとりあえず料理の勉強でもしろや、コラ!」とか、言いたくなります。で、ふと思ったのだが、あの人達、基本的に貧乏しているハズなのに、自炊していないんだろうか?。 まぁ、別にどうでも良いんだけど。 ただ、やっぱ料理とかって、若いうちにやっておいた方が良いと思う、飲み込みも早いしね。オジさん達が料理学校に通っている姿を見るたびにそう思います、この年からだと、ちょっと大変だろうなって。例えばポテトサラダなんか作るのにも四苦八苦している、基本さえ飲み込めていれば、ゴテゴテした調理道具を使わなくても素早く簡単に出来るのに。 何事もそう、出来る限り若いうちに少しずつでも、別に深く突っ込む必要なんて無いから、何でもやっておいた方が良いと思う。広げるだけ広げておいて、とっ散らかして放っぽり出しても良いから。 てなことを10代から20代前半の頃に散々言われたような、周りの大人から(^^;)。今、やっておけば良かったって、本気で後悔し始めています。でも、あれだねぇ、みんなそんな事を言っているってことは、誰でもそういった道を通って来ているってことか。 しかしまだ間に合う、そう信じて行動する毎日です、もちろん仕事以外で。いや、仕事でもそうしなきゃ、って言うだけで終わりそうですが。 無条件で自分を信じられた若者はもはや跡形も残らず消滅していますけど、時間を無駄遣いできるだけの余裕を持てる大人を目指して日々精進するオジさんにレベルアップしたと考えられれば少しは慰められるってモノですが、どう考えてもレベルダウンしているとしか思えないのは余裕の無さゆえか(^^;)。 まぁ、ボチボチと。 |
1999年4月11日(日) |
眠いです、猛烈に。夕方、突然餃子が食べたくなり早速買い出しに、御飯と餃子とサラダ、そしてビールを添えての夕食。腹一杯になると同時に眠気が襲いかかる、こりゃたまらんです、はい。 何ゆえ餃子か、それは良く解らない。だが、餃子を2~3個同時に頬張り、そしてビールで一気に流し込む、それがやりたくなっただけです、変ですか?、変ですね!?。そういった、オヤジのやりそうなことを、何故か最近、突然やりたくなることが有ります、ホント、何故だろう。 そんな事はともかく、今回も行きませんでした、選挙。もしも誰にも投票しません欄なるものが存在したならば、行ったかもしれないですけど。もし将来、投票に行かないと罰則を加えるということになるならば、是非ともこの欄を作っていただきたいものです。 少なくとも今朝までは行く気が有ったのですが、雨が降っていたのでちょっと(^^;)。雨なんぞに左右されるなんて、投票権を何だと思ってるんだと言われれば返す言葉も無いです。しかも、今回行く気になった理由が、投票所の雰囲気って、どんなものか知りたいといったものだったりするから、ますます返す言葉も無し。 投票権をいただいてから、投票に行ったのは1度だけ。田舎の町議会選挙の時、これはもう、組織票の一票って感じで、自分で考えて選んだ立候補者では無い。この時も、面倒臭いから行きたくないと、さんざんダダをこねてから行ったのを記憶しています、僕んち(実家)から投票所まで、徒歩10秒もかからないのにね(^^;)。 現在済んでいる所から投票所までだって徒歩3分とかかりません、何だか究極の出不精って感じ。散歩に行くときなんか、どんなに朝早くったって出掛けて行くくせにね、困ったお人だ。 で、投票に行かないで家でやっていた事といえば、ゲーム、あと掃除、洗濯、炊事、申し訳程度に。休みの日、何処にも出掛けないときは、1日に何回も風呂に入っています。これは綺麗好きだから、といった訳では無く、疲れを取る為、本当は温泉に行きたいんだけどビンボだから。近所に銭湯は在るんですけど、出て行くのは何だか億劫。 そろそろ帰省のことを考え出す、徳島からこちらへのチケットは手配した、あとは徳島行きのチケットを手に入れるだけ。ただ、どの乗り物で行くか、迷っています。新型新幹線か、それとも何時ものように飛行機か。暫くはこれで悩んでいそうです、早く購入しないと先々週の母上のような目にあうかもしれないのでヒヤヒヤしてますが。 やたら眠いのと、散歩に行けない欲求が不満してるのを除けば概ね御機嫌な今日此の頃。それを支えているのがドラゴンズの快進撃であることはいうを待たない、もはや嬉しさより不安の方が勝っているといった感じではありますが(^^;)。 今日も今日とて勝ってしまった、タイガースも後一歩でしたがコマ不足の感。そろそろ負けていただきたいと考えるのはファン失格だろうか?、そう思い悩む毎日、そんな僕を嘲笑うかのように星野監督の御機嫌は宜しい、宜しすぎるほどに。 反動は何時か来る、必ず。その時にはうろたえないように心構えはしておくつもり、つもりつもりの石原慎太郎、現在21時10分、早くも当確。ヒネリが無さ過ぎますぞ、東京都民。さすがに青島さんで懲りたのかしら、これが正しい選択かどうかはまだ判りませんが。 いや、この世に本当に正しい選択なんて在るのか、もし在るとすれば、それはその選択が正しかったと思える方向へと変えていく力が存在しなければならない。でも、有る?、選択しただけじゃ、残念ながら何も変わらない、これまた青島さんの時に得た教訓のような気がします。 |
1999年4月10日(土) |
昼過ぎ、やはり雨が降ってきました、雨量は大したことが無かったのですが、やはり何処にも出掛けず。昨日の酒が午前中は残っていて、二日酔いで出掛けても碌なことにはならない、と経験的に知っているのもあったのですが。でも出掛けようと思えば出掛けられた感じ、明日は晴れると良いなぁ。 御飯を炊くのが億劫、でも炊かなきゃメシは食えません。しょうがないので炊く、炊き立ての御飯はやはり美味しい。そんなことを3回繰り返しただけの1日、御飯が炊けるまでの時間潰しに料理をするって感じでおかずを作る、ものぐさなヤツ・・・(^^;)。 30歳になったら隠居する、したいなぁ。でも無理っぽい、当たり前ですが。そんなことを20歳前から考えています、そしたら好きなことをして過ごせるのにって。実際にリタイアするのは定年後になるだろうけど、でも僕の世代がその年齢になった時に、定年制が存在するかどうかは疑問。 それに体が丈夫でいられるかどうかもはなはだ疑問、今からキチンと鍛えておけば大丈夫かもしれないですが。僕としては三浦半島の西海岸側に引っ越しして、毎日ウロウロするってのを夢見ているのですが、さて、これもどうだろう。 とにかく、体が動ける間に隠居したい!、この先どうなるかも解らないのに、36年先のリタイア後を考えるのはかなりの苦痛。もっとも30歳で隠居ってのも世の中を舐めてるような気もするけど、でも納税の義務さえなけりゃ、今すぐにでも隠居をしたいというのが本音。 せめて50歳くらいには隠居したい、是非とも。そう考えているのですが、うむ、やはり無理っぽい。だから、仕事と遊びのメリハリをつけて生活出来ると良いな、そうすれば少しは欲求不満も解消できるかも。 ん~、文章になってない(^^;)。 一生、働き続けるのはイヤだけど、勉強するのは良いな、無理からするのはヤだけど。とりあえず草花の名前でも憶えてみますか、自分がそういった知識を殆ど持っていないことに愕然としたことだし。魚なら大丈夫なんですけど、ってそれがダメだと海の男として失格のような。 てろてろてろてろ、生きていきたいっす。 |
1999年4月9日(金) |
明日は本当に雨になるのか?、そういった疑問を持ってしまうほどの良い天気。これやったら明日は出掛けられるんちゃうやろか?、と淡い期待を抱きつつ1日を過ごす。昨日今日と本当に久し振りに働いているといった実感が持ててます、良いことですね、でもまた暫くは開店休業が続きそう、退屈なのはイヤ~ん。 晴れたら大楠山~衣笠山ルートをとるのが面白そうなんですけど、曇りとか雨交じりで行くのはちょっとね。めったに山になんか登らないから、こういった機会に山の写真を撮っておきたいんですけど、曇りじゃその楽しみも半減。 もしも明日が曇りであったら、横須賀から荒崎まで行ってみようかと、もちろん衣笠城にも寄って。荒崎、夏の海水浴シーズンには人が多いけど、今時分はどうなんだろう、暖かくなってきたし、磯遊びの人くらいは居るかしら。 酔っ払ってる、今日はドラゴンズは試合無し、次はタイガース戦。ベイスターズやっと勝ちましたね、良かった良かった。38年前、彼等は6連敗後歴史的な優勝を飾った。てことは今年もベイスターズ?。 今年はドラゴンズ、と誰もが言います、でも・・・。僕のような熱心なファンはそうは考えません、考えませんよ。そうなれば、良い、でも、そうはいかないのがペナント。ライバルはペナント開始前の予想通りスワローズ。 いろんな意味でスワローズ、良いチームです、それは解ってます、でも今年はやめて、頼むから。いい加減、優勝してもらいたいですドラゴンズ。ワガママなのは解ってます、それでも・・・、ねっ!。 |
1999年4月8日(木) |
一昨日の帰り道、親子と思われる2人の会話。父「おまえ、それじゃマジンガーZみたいじゃん」、子供「パパ、マジンガーZって何?」。・・・てめぇ、こら、ガキ!、マジンガーZすら知らんのか、尻の青いヤツめ!。 そりゃ知らんですよ、どう見たって知ってる年齢にゃ見えんもん(^^;)。自分がお年寄りだと自覚するハメになる、それにそのお父さん、僕より年下みたいだったし、は~、アカンですよ。 昨日も今日も夕方の空は綺麗でした、深い青色、ずっと見上げながら帰ってきました。それにしても今日は寒かった、天気は良かったのに。今週末はまた天気は崩れそうです、もしかしたら出掛けられないかも、そう考えるとヤル気も萎え萎え、って元から無いような気も(^^;)。 最近は良く話しています、職場のおじさん達と、何だかリハビリっぽく感じられますが。関西弁を使いながら、馬鹿話しをするのもとても楽しい、でも普段の生活ではそういったことは無いのね。 明日は朝から話すことが多くなりそうです、午前中は発表会、午後は帰社して。話すのも、書くのも億劫に感じるような性格、でも嫌いじゃない。でも、メンドクサガリなんだよね~、困ったもんだ。 また、勝ってしまった、復活おめでとう、鶴田君!。すっかりその存在を忘れてしまっていた(^^;)、門倉君先発だって考えてたもんねぇ、そう言や彼、故障中だっけか?。浮かれすぎて何も目に入らなくなってしまっているらしい、しかしこれで門倉君や今中さんが帰ってきたら、凄い先発投手陣だなぁ。 これで6連勝、良い夢見させてもらいました、これで残り試合129連敗しても何も言うことは有りません、とにかく有難う、ドラゴンズ!。 本気で言ってるな、俺(^^;)。こんなことを言っていられるのも勝ち続けているから、このまま勝ち進めドラゴンズ!、そして日本シリーズで松坂君にキリキリ舞いさせられるのだ!。って2日続けて同じ落ちかい、だらしなさ過ぎ~。 |
1999年4月7日(水) |
雨上がり、良く晴れた1日。昨日までの疲れを取ろうとのほほ~んと過ごす、だって、お肌がかさかさしてんだもん、こんなこと、お年頃の僕には耐えられな~い。 まだ昨日までの影響が残っているみたい(^^;)、同時間働いても、肉体労働と頭脳労働ではその疲れ方が違いますが、僕の体にはやはり肉体労働的な疲れ方が合っているようです。 残すところ後1週間、28歳の僕も終わりを告げます、27歳時から全くと言って良いほど変化はしていませんが。少しは成長するなり堕落するなり、変化ってものが無いといけないような気もしますが、変化が無いこともまた、らしくて良いかな、とか思ってみたり。 1年単位、どころか1日、1時間単位で自分が成長しているって感じる時も有れば、5年、10年経ってみてもさっぱり成長していないと感じることも有ります。前者に於いては自分の能力的なもの、後者は自分の人間的な部分に関するものと、その対象も違うのですが、これらの成長スピードに差が有るようにも思えます。 まぁ、年取ったくらいで何かが変わるような、情け無い感性でもないしね、柔軟性が無いとも言うけど。 サムソン・ビ~ッグ!、ではなく李、よっしゃあ~、今年の君は一味違うぜ!。明日は門倉さんぽいし、これで6連勝、いただきだ~!。うおおお~、すげぇ舞い上がっちまってる~(^^;)、ドラゴンズファンで良かったって思える瞬間、今のうちに盛りあがっておかなきゃ!。 ライオンズの松坂君のデビューは鮮やかなものだったし、1年間愉しませてもらえそうです。それにしてもベイスターズ、先場所の千代大海を見ているよう、やっぱりツッパリだけじゃ駄目なのかしら。 松坂君、若いっていいなぁ、まさにムテキング状態。僕も遂におじさんと呼ばれるお年頃になったことだし、これを機に松坂ファンになってみようかしら?。んなこたともかく、頑張れ松坂君、そして日本シリーズでドラゴンズ打線をキリキリ舞いさせるのだ!、って何でや。 |
1999年4月6日(火) |
本日17時45分頃、遂に生還。貴方は32時間働けますか?、眠ることも無くぶっ続けで。僕はやってしまいました、やりたかねえのに(^^;)。通算32時間45分、職場に居たことになります、なんてことだ。 帰り道、我が家が見えてきた時には安堵感と共に、心の中ではB’zの「HOME」がリフレイン。かつて鮪延縄船員であった頃、母港が見えてきた時の感慨に似ています、オイラ、帰ってきたんだ~!って。 帰ってきた、という言葉にはもちろん生きてという想いが含まれている訳なんですけど、今回も凄かったなぁ。でも、居残りの人、こんなに要らないんじゃないか?、と思ったのも事実、もうちょっと効率良く出来ないものか。以上、愚痴でした、そして更に愚痴は続く。 日曜日のベイスターズの私設応援団の騒動、なんて見苦しい。何時ものようにオールドファンである職場のおじさんに聞いたところ、「あいつら嫌い、だってイスを大量に占領しちゃうんだもん、だから最近は外野になんか見に行かないよ」とのこと。 今回の騒動の発端、外野の長イスを1人掛けのイスにチェンジしたところ、その1人掛けのイスを応援団が1人で何席も占有しているのを球団関係者が注意したことかららしい。そんなこと、当然のマナーだと思うのだが、他の球団の応援団も似たり寄ったりのところを見ると、あれは応援団の習性なのか。もしかして「俺達はチームの応援をしてやっているんだから、これくらいは当然だ」とでも考えているのだろうか。 でも、自分達が応援するチームのファンに嫌われている応援団って、変だぞ、絶対!。 また、ドラゴンズは勝ってしまった。本気で怖くなってきた(^^;)、宣さんは1週間の完全休養くらいで帰ってくるそうな、これ以上、僕を喜ばせてどうする気だ、ドラゴンズ~!。 開幕4連勝、た・け・だ・さ~ん。スゲェよ~、中村さんもスゲェよ~、ただでさえハイになっているのに、血管ブチブチ切れそうです、ヤバイです。明日は誰だ、門倉さんか?、ホントに投手陣だけは12球団中トップだな、打てない恐竜打線も何だか好調だし。このままでは135連勝してしまうかも~、すっかり親バカモード入っちゃってるし~、親じゃないけど~(^^;)。 喜びに喜んでいるところ、水を差して何だが、早く寝なされ、自分。明日も仕事は有るんだし、ちょっと一杯引っ掛けて。起きられないとイケナイから目覚ましは遅目に、寝こけてスイッチを切っているときが有るもんねぇ。 落ちをつけられるだけの脳力が残ってない、それにしても何故わざわざ日記に落ちをつける必要が。それは僕が関西系であることと切り離せない問題ではあるのですが、決してそれだけではあるまい。さて、それが何なのか、明日考えることとしましょう、って仕事しろや自分!。 |
1999年4月4日(日) |
3連勝ってアンタ、出来すぎ、っつーか反動が怖いです。まぁ、川上、野口、山本といったローテではそれも当然かもしれませんが(強気)。それにしてもカープ、あの地獄のキャンプの成果はどうなったんだ?、早くも息切れか?、今頃になって、疲れがどっと出てるのかも。 ベイスターズは(オールド)ファンの予想通り負け続けているし、開幕早々、明暗がはっきりしてきました、各チームとも頑張っていただきたいものです。 タオルの話し、昨日放ったらかされてた(^^;)。大船駅で乗り換えたんですけど、その時には「うひー、何でこんなに寒いんじゃ~!」って思わず叫んでしまうほどの寒さ。部屋を出た時には暖かかったのに、いくら風が強いと言ってもこれはあんまりじゃないか、タオルなんか持ってくる必要なんて無かったよ~、って考えてたのですが。 ところが、大楠山での登山時には、もう、自分でも笑ってしまうくらいの大汗。ひゃ~、やっぱ持ってきて良かった~、ってここで遂にその活躍ぶりを見せつけたタオル。最後にタオルを持って出掛けたのが、確か昨年の秋の終わり頃、まだまだ必要無いと思っていたのですが、思いきり体を動かしそうな時には必須となる季節になってしまったようです。 山頂で休憩している時、汗が引き出すと急速に体温が奪われていきました、次回からは着替えの必要もあるかも。でも、あそこで着替えるのってスゲェ度胸が必要、まぁ、ハイカーばっかりだから、そんなに気を使う必要も無いんだけど(^^;)。 今日は1日、「信長の野望・烈風伝」をプレイしていました。朝の8時から夕方18時くらいまで(^^;)、久し振りにゲームで1日を潰す。何時ものように島津さんでプレイ、戦国大名の中では1番のお気に入り。武将では島津義弘、家久の兄弟、軍師では竹中半兵衛がお気に入り。島津4兄弟はみんな好きなんだけど、時代の荒波には遂に抗しきれなかった人達、悲劇よのう。そういう意味では半兵衛さんもか、あまり才能を持ちすぎていても駄目なのね、気をつけようっと(^^;)。 丸1日プレイしていたのに、九州全土を制圧するには至りませんでした。それでも残すは豊前・豊後のみ、大友さん、今週中にはケリを着けちゃるからね、クビを洗って待ってなさい(笑)。ゲーム開始時から早11年、月日の流れは早過ぎます。現実にこれだけの月日を、戦国世界で過ごすとなると、凄く長く感じるだろうけどね。 戦国セ・リーグ、タイガースはこのまま勝つ事が出来るのだろうか、最後はやっぱりリベラか。2勝出来れば自信にはなるだろうけど、ペナント終了時にはどうかな?、Aクラスには居られるかな。ノムさんの手腕に期待するばかりです、出来ればあまりドラゴンズを苛めて欲しくは無いものですが。 最近かなりのワガママぶりを発揮しているワタシ、ノブナガさまに勝らずとも劣るまい、と自画自賛する始末。それでもあの方には敵いません、そう、敵いませんとも、ねっ、2000くん!。 |
1999年4月3日(土) |
部屋を出た瞬間、今日は暑くなるのではないかと思い、部屋に戻りタオルをリュックに入れ、再び部屋を後にする。紆余曲折の末に、持って来て良かったと思うに至るのですが、まぁボチボチと。 相変わらず遊びとなると朝は早い、9時に逗子駅に着き早速歩き始める。葉山大道を通過したのがその1時間後、木古庭の大楠登山口に到着したのが2時間後、11時になる頃。 ここまで、何時もの道、何時もの風景。でも、電車の車窓からも、逗子駅からここまでの沿道にも、桜の木がたくさん。花が咲くまで、こんなに有るとは気付きませんでした。春が来るまで、花の咲く季節まで、ひっそりと目立たずにたたずんでいる、ケナゲよのう。 登山口を入って直ぐに「しょうぶ園」への分かれ道が、ちょっと行きかけて、「菖蒲の季節って、もう少し先じゃなかったかしら」と思い返し、再び元の道へ。とにかく、登山をしているはずなのにアップダウンが激しい、頂上への標識も心許無いものだし、本当に正しい道を進んでいるのかしらと不安になる。 それでも気にせず、横浜横須賀道路を突っ切り、ずんずん進む。と、貯水タンクらしきものの横から上に延びる階段が有る。これを登ると遂に山道に、竹が多い道をゆっくりと進んでいくとゴルフ場が、どうやら葉山国際カントリークラブのよう。この周辺も桜が多い、色とりどりの桜、見ごたえが有ります。 今日はハイキングコースを歩いている所為か、よく人に会います。何気に挨拶をし、気分良く歩く。やっと、普通に挨拶が出来るようになってきました、人間、成長すればするものですね。去年の僕なら、まず挨拶を返す事すら出来なかったでしょう。 雨でぬかるんだ道を、足元を確かめながら登って行く、と、分かれ道。一方は大楠山、もう一方は衣笠山公園や衣笠城址へ続いているそうな。どっちへ行くか少々悩みましたが、今日の目標通り大楠山へ。 大楠山頂上への最後の難所の階段、凄すぎ~。金毘羅宮のあの階段を何度も経験した僕でも、最後にはゼーハー言ってました(^^;)、自分が大排気量エンジンを積んでいることに改めて気付く始末。それでも頂上からの眺めは最高、今日は曇っていたのですが、それでも三崎や剣崎、その先の館山まで見ることが出来ました、もちろん逗子方面や久里浜方面も。これで晴れていれば最高なんだけどなぁ、カメラの出番も無くただもくもくと昼食を摂り体を休める。 山頂には猫さん達が、ハイカーの人達が餌を上げる所為らしい。ふと、最近話題になっている団地猫のことを思い出す、ここの猫は、さしずめ山頂猫といったところか。んなことはともかく。 猫の大量安楽死をし続けた女性も、またその女性を訴えている人達も、何だか変。双方とも、猫のことを考えて行動したって言ってるけど、何だか猫さん達、いい迷惑だって思う。どっちも、猫さん達のことなんかそっちのけで、自分達の解釈で、勝手に猫さん達の運命を決め付けて、遂には死に至らしめている。 猫さん達に、気持ちを確かめてみたい所だが、その手立ては無い。でも、最後には苦笑っていたんじゃないかって、思えてしまう。小さい頃、動物に餌を与えるなって、よく注意されていたなぁ。猫さん達、別に野良でも不自由なんてしていないだろうし、もし、餓死したり、不幸にも保健所に収容されて安楽死処分になったとしても、それはそれでヘマしたなぁとか納得できるんじゃないか。生きる上で、自分の運命を自分で決定出来るから。 だから、猫さん達に餌を与えるのは別に良いんだけども、不妊手術をしたり、里親を探すってのは、必要無いんじゃないかな。彼らは彼らなりに精一杯生きていて、人の助けなんて、特別望んじゃいないと思う。 15分ほど休憩した後、ゆっくりと山を下る、上ってきた時には脚は疲れきって棒のようになっていたのに、ちょっと休憩しただけで回復している。前田と、芦名への分かれ道へと差しかかる、今日は芦名へと下ることにする、朝市の場所も確かめたいし。でもその朝市に場所、遂に判りませんでした。バス停まで700メートルと書かれている標識の有る、少し開けた広場だったのかしら、もしかしたらこの登山道ではないのかも。 下る道すがら、山の木を眺める。まだ冬の風景、春はまだまだといった感じ。芦名への道、木古庭側と違って少しは整備されている、でもやはり舗装されている場所は少ないし、足元はぬかるんでいる。しかし、木古庭側とは難易度が違う、こっちの方がぜんぜん、楽(^^)。 大楠山への上り下り、休憩も含めて2時間ほどでした、これなら頻繁に登りに来ても良いかな、木古庭ラインは避けたいけど(^^;)。そういえば山頂の売店のばあちゃん、この道を通っているって言っていたなぁ、歩いてかどうかは判らないけど、強者です。 京急ストアの横へと出る、ここから一騎塚への間、かなり変わっている。暫く来ていないとはいえ、これだけ変わっていると、ちょっと違和感。佐島入口のコンビニ(セブンイレブン)は無くなっているし、一騎塚付近では道路(三浦縦貫道路か?)が新設されていた。他の場所も、変わっているんじゃないかって気が気じゃなくなる、もうちょっと間隔を空けずに通わないと、置いてけぼりにあいそう、何にかは解りませんが(^^;)。 一騎塚から、三浦海岸へは一本道。晴れていれば富士山や久里浜も良く見えるんだけど、今日は曇っていて駄目、モヤってもいるし。今は春キャベツが全盛、前回までは大根で埋め尽くされていた畑が、見渡す限りキャベツ、壮観です。 三浦海岸駅に着いたのは逗子駅を出発してから5時間40分後、14時40分頃。足を延ばして海岸まで行こうかとも思いましたが、曇っているし、大楠山頂で充分堪能したしで、取り止めました。久里浜でJRに乗り換えて、後はウトウト、市川駅まで寝て過ごす。 次は、横須賀から衣笠城址を経て、大楠山へと行ってみたい。今日もかなりの山越えガンガンコースだったのですが、そのルートだと更にきつくなりそう。でも、市川駅ではガチガチになっていた太腿も、少し動かせばまた柔らかくなり、力が漲ってきた。まだもう1戦くらいなら出来そう、すっかり調子が上向いているようです。 前回までの足の痛みは嘘のように無くなっています、どうやら2週間、休憩できたことがその原因のよう。考えてみりゃ、マラソンの選手だって1度走れば暫くは休憩するし、その間に筋肉の疲れが取れ、さらに逞しく成長していたのでしょう。そう考えてみると、毎週、歩きつづけりゃ筋肉が成長するってワケでも無いのですね、考えさせられます。 夕食は、炭水化物と蛋白質を多めに。豆腐1丁に酒1合を付けて(^^)。ゆったりと風呂に入り疲れを取る、体力の回復具合は自分でも戸惑ってしまうくらい、どうしたんだ、俺の体!ってなもんで。 山にはコーヒーが良く似合う、今日、気付いた。次回は持って行きたいなぁ、缶コーヒーでも良いから、もちろんブラックで。山頂でお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいる人を見ていて羨ましくなってしまいました、山にはコーヒー、海にもコーヒー、これから暑くなるっていうのに(^^;)。 タイガース、今日はどうしたんだ、凄すぎるぞ。でもドラゴンズはそれどころじゃない、宣さん、大した事は無いと言ってくれ~!(;_;)。足の裏に痛みが走ったって、ホント、長引かなきゃ良いなぁ。今日も競って勝ったけど、そんな嬉しさなんか何処かに飛んでしまいました、あぁ~、宣さ~ん・・・。 ところで菜の花畑ですが、ちらほら見られただけで、そんなに多くありませんでした。蝶々も時期的に早過ぎるし、戯れることは出来ませんでした。キャベツ畑にもその姿は見受けられなかったし、メルヒェン気分も満喫出来ませんでした。次回は見ることが出来るかなぁ、童心に帰って蝶々と戯れる、あまり想像したくない姿ではありますが(笑)。 |
1999年4月2日(金) |
予想に反して今週末は良い天気になるそうな、絶好のお花見日和、皆さん盛り上がる事でしょうね。僕も殆ど、半狂乱のようになって歩いている事でしょう。大楠山でお花畑を見るのさ、菜の花畑なのさ、綺麗だろうなぁ、春霞が出ない事だけを祈るばかりです。 それはともかく、「何やっとんじゃあ、こらぁ!」とタイガースファンの絶叫が聞こえてきそうです、藪、良かったのにねぇ。ガルベスを打ち崩せず、挙句の果てに高橋に満塁ホームランまで食らうといった体たらく、これじゃ3タコ食らっちゃうかも、早くも暗雲が垂れ込めてきましたねぇ、とにかく頑張れ、タイガース!。 写真を始めたきっかけは何てこと無いものなのですが、記憶の助けになればと思い始めたのはその直ぐ後。確かに少しは役に立っているようではあるけど、でも本人の記憶能力がだらしないので、もうガッツンガッツン忘れ去っています。 しかし、それも悪くないんじゃないかと。いや、忘れる事が。強い印象を受けて、それが徐々にフェードアウトしていく、それを押し留めようとする事は、何となく味無い事に思うようになっています。確かに、いろんな、自分が受けた思いを何時までも記憶に留めて、それを様々な場面で自分の行動に反映して行くのはとても大切な事。 ですが、忘れる、記憶が薄れる事によって、思いを新たに出来る事も有るんじゃないか。新しい、何かに出会ったとき、それに対して強烈な反発を覚える事無く、受け入れる事が出来るのではないか。 記憶し続ける事と、成長するって事とは、必ずしも比例するものでは無いのかも。 写真の事、もう少し構図とか考えてから撮れや、とか自分で思ってしまうほど何も考えてないな。その時、興が湧けば撮ってる、といった感じ。例えば、長者ヶ崎で夕日を撮る、と言った明確な目的が有る場合は別なんですけど、うむ、考えなきゃね。 でも・・・、適当に撮っている時の方が良い写真が多い、何でだろ。無我の境地にいるからかしら(^^;)、本人が適当だから、カメラや風景が合わせてくれてるのかもね。何にしろ、もう少し、腕を上げたいです。 ケンシン、頑張れ、とか思っていたのですが、くぅ~っ!。シーソーゲーム、緊迫し、熱くなる。でも、競ればこっちのものさ、立波さーん!、そして落合さん、宣さんの黄金リレー。思い知ったか、カープ!ってなもんで(^^;)。 明日は機嫌良く散歩できそうです、遂に春が来たねぇといった実感が湧いてきました。イジけているノムさんですら愛らしく思えてきます(^^;)、明日も、明日こそは、といった思いが渦巻くプロ野球界を横目に、のほほ~んと、蝶々と戯れてくるのさ~(^^)。のん気に構えてられるのも今の内だしね、許すまじ、2000年!。 |
1999年4月1日(木) |
遂に新年度に突入、今年の僕を暗示するかのように今日の市川市は五里霧中、ああっ、もう駄目。そして同時に年俸制開始の日でも有るのだ、来年度に向けてレッツ・ゴー3匹ってなモンで、そして何事もなく1日が過ぎ去る。 結局、ゴールデンウィークは9連休になりそう、まだ確定ではありませんが。 それはともかく、さすがにエイプリルフールってなことは無かったなぁ。子供じゃあるまいし、んなことしてもしょうがないのですが。あまりに平穏な1日だった為に何もネタが無い、困ったもんだ。1日ずっと周りのオッチャン達とダベって過ごしました、たまにはこんな1日も良いですね。 今週末も天気は悪くなるそうな、困ったものですね、雨が降らないのは日曜日だけらしい、散歩、コース変更も考えておかなければ。暖かくなってきたのは良いけど、雨はどうも、近所をうろついている分には気にもならないんですが。 そろそろバイクも、夏は走ってて面白いだろうけど、道は混むだろうなぁ。こんな事じゃ1年、乗る機会が無いままに過ぎていくんじゃないかとヒヤヒヤ、林道にも行きたいんだけどなぁ。 さて、酒でも飲んで寝ますか。こんなにのんびりした1日は久し振り、ゆったりとした気持ちで眠りにつく事が出来そうです。ああ、落ちさえ付ける事が出来ない、ま、たまにはこんな日も有るさ。 |
1999年3月31日(水) |
えへっ、うひひひひ、がりょ~ん。朝、突然の連絡を受けて、ワタクシ、少々錯乱気味。 今日も寒かったですね、なかなかのものでした、しかも午前中は雨が降っていたし。明日は快晴だそうなんですが、気温はどうなるのだろう、暖かくないと晴れてみたところであまり意味は無い。 我が家のパソコンの2000年問題への対応も一段落付き、さぁ、あとはのんびりと散歩三昧でも、と考えていた僕の目論見をあっさりと打ち砕いたもの。それは2000年問題、それもお仕事で!。 やっとこ自分ちのが対応できたトコなのに何故人んちのものまで、オイラちょっと、どころではなく大いにイヤだったりするのですがこれもお仕事だと諦めざるを得ません。まぁ、ただそれだけなら何の問題も無いのですが、残念ながらそうはいかない。 休日出勤、する事になります、しかも土日とも。それも1回だけでなく予定では7月くらいまでに数回有る、タマランなぁ。代休は取れるんでしょうけど、ウィークデイはどうもねぇ。くそ、こうなりゃ本気で働いてやる、って何でや。 良いことも考えよう、普段、ウィークデイの街の風景など、ゆったりと眺める事はあまり無いので、これを実行できる好機じゃないかとか。でも・・・、やっぱイヤ(^^;)。 その分ゴールデンウィークは休んでやる、目指せ11連休!。来週以降の予定は報告済みだし、OKが出れば直ぐにでもチケットを買いに行こう。楽しみだなぁ、またスクーターで林道を走りに行くんだ(^^)。それだけをココロの支えに、来月末まで頑張ろう。 デジカメのデータを保存する為に探しているノートパソコン、まだ良いモノが発見できない。それだけが心配だが、最悪の場合、エスピオで撮ればイイや、と気楽に構えています。もしくはフラッシュカードをたくさん買うか、現在16MB持っていますがノーマルサイズですと70~80枚くらいしか撮れない、小さいサイズだと160枚くらい撮れるんですけど、それだけではやはり心許無い。 とにかくもう新年度が始まるんだし、とやかく言っててもしょうがない。とにかくやれるだけの事はやるさ、ちょっとだけ腹を括ったワタクシ、最早怖いものは有りません。それにしても2000年問題、そんなに深刻なものなのかなぁ、オイラにゃさっぱり解りません!(ナゲヤリ)。 |
1999年3月30日(火) |
昨夜20時5分頃、母から「今、家に着いたよ」との連絡が。安堵すると共に込み上げる敗北感、昨日の朝のことと言い、連敗街道まっしぐら。一昨日の8時過ぎ、銚子から連絡を受けた時、その不安そうな声を聞き、「よし、主導権は俺のものだ!」と喜び勇んだものですが、同時に物凄く不安になる、あんな不安そうな声を出して、本当に迷わずに本八幡駅まで来られるのかしら。 本八幡駅にて母を待つ間、ずっと言い知れぬ不安に包まれた状態が続く、11時前には到着しなければならないのに、11時30分になっても到着しない。その頃には僕の不安感もピークに達し、内心おろおろしながら待っていたのですが、40分近くになってから、ヤツ、のこのこと現われました。どうやら車両故障か何かが有って電車が遅れていたらしい、おのれJRめ、許せん!。って何のことはない、僕の方がより強烈な不安に苛まれていたようだ、結局敗北していた訳ね。 市川ニッケコルトンプラザのトイザらスでは、はしゃぎまくり買いまくり、果てには「ず~っと此処に居た~い!」とまで言い出す始末。お若いのは結構なことなんだけど、子供じゃないんだから(^^;)。 昨日も今日も寒い、いきなり冬に逆戻りしようだ。昨日のこと、居残りの覚悟を決め、食堂にて夕食を摂っていると、相方が息を弾ませてやって来た。まさかトラブル?、と身構えその発言を待つ、しかし彼の口をついて出た言葉は、「今日の本番稼動は延期になったから」、・・・・・・・・・。さて、腹拵えも済ませたことだし帰るとしますか(^^;)。 帰り道、出勤の時よりも更に寒くなっているみたい、いや、間違いなく寒くなっている、この骨にまで染み透るような寒さは。ありゃ、待てよ、何か足りない、沈思黙考すること約2分、「あ゛、コート忘てる」。何てことだ、あまりに慌てた為に職場にコートを忘れちまった、しかし、早く帰れたくらいでそんなに狼狽するかね、如何に落ち着きの無い性格をしているかが良く解るなぁ。 夕食を作らないで済んだので時間はたっぷりと有る、この時間を利用して何かしようかしら、と思うものの何も考えが浮かばない。「たけしのTVタックル」を見ながらボーっとすることになってしまったのですが、それにしてもあの人達、どうしようも無いなぁ。特に否定派、揚げ足取るばっかじゃ議論はさっぱり進展しないんですけど。もう少し、肯定派喋らせろや、見てて見苦しかったし、少なくとも僕には肯定派より馬鹿に思えた。僕も幽霊や予言なんて信じていない、だけど、あんな人を小馬鹿にしたような否定の仕方はしたくない。 どれだけ記憶が失われているか、ちょっと試してみることにしました。漠然と小学生の頃を思い出そうとしてみる、でもやはり、全くと言って良いほど思い出せない。しかし、例えば「廊下はどういった感じだったか」とか「図書室で良く読んだ本」など、キーとなる情報から思い出そうとしてみると鮮明に思い返されて来る。 森を思い浮かべる時、木から森へとをイメージ拡大した方が上手くいくように、例え小さな出来事でも、そこから記憶を辿っていった方が効果的に記憶を呼び起こせるようです。 「三浦半島を100倍楽しく見るコツ!!」、見ました。もう、今すぐにでも飛んで行きたいです。何処も彼処も、懐かしさを感じさせる、暫く行ってないからなぁ。大楠山、行ってみたいなぁ、横須賀の護衛艦にも乗せてもらいたいし。艦内の雰囲気、海の男の心をくすぐりまくり、あの手狭さが何とも言えない。カレーも食べてみたいなぁ、カレーマスターを目指す僕にとって、海軍は避けては通れない、遠洋漁船もそうだが、カレーは船毎に特色が有り、どれも美味しい。 長者ヶ崎がたくさん写し出されていたのも良かった、何時見ても、あそこは良い。それにしても僕、そこが何処なのか、直ぐに場所や地名が思い浮かぶ辺り、完全に三浦に馴染んでしまったよう。ただ、普段あまり観光しよう、と思っていないので保養施設等、良く知らない事に気付かされてしまった、走水の防衛大施設とかね、防衛大や、あの魚屋さんなんかは知っていたんですけど。 今週末こそは行きますよ、絶対に。何時か住みたいものだが、本当に、何時の事になるだろう。そう言えば、披露山の庭園住宅も紹介されていたなぁ、あそこには良い思い出が無いのですが、でも風光明媚で、住むには最高の場所。葉山公園前の山の上の御宅も良かったなぁ、富士山、江ノ島、そして長者ヶ崎と豪華3点セット、是非お友達になりた~い。 現在考えているコースは、逗子駅から葉山大道交差点経由で県道27号線を池上十字路方面へ歩き、大楠山登山口から大楠山を経由して前田か芦名へ出て、国道137号線を南下し、林交差点、一騎塚交差点を経て武上宮田線を三浦海岸駅まで歩くといったルート、ちょっと長すぎるか。 それにしても小倉さんも、中田さんも、情け無さ過ぎる。たかだか5キロほどの道程で音を上げるとは、常日頃ちゃんと歩いてないからだ。そこへいくと僕なんか、自分でも戸惑ってしまうくらい脚に筋肉が付いてしまっている、現役(漁師)だった頃も斯くやといったほどに。そんなに下半身ばかり鍛えてどうするんだ、俺、まさか人力車夫になりたいとか。だとすればやはりアレを倒さなければならないのか、人力車夫の永遠のライバル、その名は江ノ電!(違)。 |
1999年3月29日(月) |
脅威は去った、今朝9時45分、東京駅発のひかりに乗って。 何時もの通勤時間、東京駅まで一緒に行くことになる。本八幡駅までの道、共に歩きながら考えを巡らす。これで何度目の別れになるだろう、最初の頃は寂しかったのだが、最近ではさすがにその思いは薄い。再び、必ず会えると信じ込んでいるからなんだろうけど、もし母が高齢ならもっと惜別の情というか、再び会えるのだろうかといった思いは強くなるのでしょうが。いや、その頃には一種の諦めみたいな感情が生まれているのかも(^^;)、母の横顔を眺めながらそんなバチアタリなことを考えつつ、電車に乗り東京駅へ。 東京駅、別れの挨拶をした後、エスカレーターに乗って去る母の後ろ姿を見送る。が、あのババァ、遂に一度も振り返ること無く去りやがった!(^^;)。多分、同じように考えているのだろう、絶対にまた会えるって。考えてみれば、それはとても幸せなこと。 昨日、四方山話をしたり買い物に行ったりと、なかなか充実した一日。母、昨夜の寝台特急「瀬戸」に乗って帰るといった計画を立てていたようですが、その予約が取れず結局僕の部屋に泊まることに。 その後、本八幡駅で今日の航空チケットを買おうとしたところ既に完売状態、新幹線も早い時間帯の予約席は全て埋まっているといったことで、結局前述したように9時45分発の乗車券しか手に入らなかった。 物心付く前、どころかハラの中に居た頃から知られている為、何をしても、言っても敵わないような気がする。そうでなくとも、僕の記憶が薄ぼんやりしてたり、無い頃を知っている人には頭が上がらないのに。 1桁の年齢の頃の記憶はもう、殆どと言って良いほど無い。10代の記憶も断片的に残っているだけで、最早、遠い思い出。20代も前半の頃の記憶は失われている部分が多い、最近は特に昔のことなど思い起こすことも無かった為にこうなってしまったよう。小さい頃に可愛がってくれた人の顔や名前など、同じ地区に住んでいる人は別として、どうしても思い出せない。時の流れだけではなく、それ以外の何らかの要因が加わった時、人間の記憶は急速に失われていくようです。 昨日、今日の思い出など、直ぐに日々の生活の中に埋没してしまうことでしょう。どれほど強く、忘れないと思ってみたところで、日々記憶は薄れていくし、忘れたいと思っても、そう思う力が強ければ強いほど、忘れられない。 記憶といったものは、その瞬間に発生した思う力の分だけ、心の中に留めて置けるものなのかもしれない。だがもしも、記憶が失われるスピードが誰でも同じだとしたら、思う力の基本値に、その時々に積み重ねたり、差し引いたりした分だけ、記憶が保たれる時間は変化するはず。だとすれば、思い出す、といった簡単な行為でも、その時間には少なからず変化を与えるはず。 失われた記憶はどんな事をしても取り戻せないが、もしかしたら形を変えて心の中に存在し続けているのかもしれない。例えば幼児の頃のそれが、現在の僕の根底に有ることは否定のしようが無い。記憶が失われるのは寂しいし、悲しいことだが、そればかりではないのかも。思いは形を変え、記憶とは別に、確実に存在し続ける、自分自身として。 自分に様々な影響を与えてくれた人達には感謝をしてもし尽くせないほどなのに、にも関わらずその人達をドンドン忘れていく。いや、その人達の思いは僕と共に有るのさ、とカッコつけてみたところで、もうダメ。如何に忘恩不義な徒かが良く解ります、人間として全く駄目な野郎だ。 それでも、相変らず会えば優しくしてくれる人達、まさか懲りるということを知らないのか?、その行為が僕を駄目にするのだ!(筋違)。それにしても何故、優しくしてくれるのだろう、どれほど思いを裏切り続けても。これはやはり、僕の人徳の賜物かしら?(違)。 |
1999年3月28日(日) |
現在、母上入浴中、その間をついての更新、つってもここだけですが。 11時30分、本八幡駅にその姿を見せた後、その猛威を如何無く発揮。ああっ、出てきた様です、それではこれで、ごきげんよ~う。 母上が寝た、21時8分、さすがに疲れきったらしい。彼女の安眠を祈りつつ今夜はこれまで、ところで明日こそ更新は出来ないのではないかと。23時くらいまで職場に居る予定、帰ってくると確実に日付が変わっているでしょうからね~。今週前半は大抵こんな感じ、それでも何とか更新は続けたいですね。 |
1999年3月27日(土) |
焦ってます、現在、ものすごく焦ってます。 事の起こりは19時30分頃、祖父からの電話。「お母ちゃんがそっちに行ってるので、一夜泊まるように言っとくから」、いや、そんなこと言われても心の準備が。そう思いながらどうしようかと考えているとまもなく母から電話が、すったもんだの挙句、ほぼ泊まる事に決定。 銚子まで、船の関係者(新しい乗組員か?)を送ってきたらしい、その帰りに僕のところへ寄るとか。今夜は銚子で泊まって、明日朝、船が出港するのを見送ってから来るらしい。 掃除しないと2人が寝られるだけのスペースは無いし、とにかく、忙しくなりそう。いろんな準備ってモノが有るんですよ、(ヤロウが)1人暮しをしていると、親に見せられないものがいっぱい有るし。出来るだけ部屋に居ないように、外を連れ回そうかしら、でも疲れきって来るだろうからなぁ、年寄りに無茶はさせられないし。 そんなこんなで、すっかりパニクっている為、今日はこれまで。明日は更新は無し、何も出来そうに無いですから、僕も疲れきって(^^;)。あ~あ、今週は完全に何処にも行けない、まだ決定したわけではないけど。 たまには良いか、完全休養しても。今日もなんだかんだで2時間くらい歩き回ったし。明日も早起きして洗濯から掃除まで、全てこなしてココロを落ち着け母が到着するのを待とう。何で、母が来るくらいでこんなに緊張するんだろう、う~む・・・。やっぱり男の子だから?、いや、それはサゲには使えないと思うぞ、ホントの事だから(^^;)。 |
1999年3月26日(金) |
もしかして、明日も雨ですか。憂鬱倍増計画を発動してしまいそうなほどに、憂鬱な状態。現在の僕のココロにはどんな言葉も届きはしないのさ、と自己完結気味。ワタクシ、存外我侭でございますのよ、オホホホ・ホ~。 ちょっと壊れかけてるか(^^;)、今朝は遂に5時台に目が覚めてしまいました、どうやら本格的に春が訪れてしまったよう。盛夏には5時前に目が覚めてしまうようになるので、これからのコンディションの維持には気を使わなければ。特に睡眠時間、これからどんどん短くなるでしょう。ちなみに今日目覚めたのは5時40分頃、日本の夜明けはどんどん早くなっています、経済の回復もこれくらい早いと良いのですが、さて、一体どうなるんでしょうねっと。 帰宅後、クリーニング屋さんに行き、「ちゃうちゃうの唄」を歌っていたら憂鬱さも吹っ飛び、気分は上向く。ちゃうちゃうの唄、自作です。「ちゃうちゃうちゃうやんちゃうちゃうやん」で始まるポップでイカシタ唄、関西人にはベタなネタですが(^^;)。メロディーが無いとちょっと伝わりにくいですけど、それにしてもこれ、フルコーラス歌い切った時に付いて来られている人がどれくらい居るだろう、関西系は問題無いにしても、それ以外は?。そう考えると、人前でお披露目するのも憚られます、もしかしたら一生発表出来ないで終わるかも。 憂鬱、一体何処から来たかと言うと、それは僕の勉強不足から、もちろん仕事の。相変わらずの突っ込まれ弱さを露呈し、挙句1人陰に篭もり、どんどんドツボに嵌まっていく。こういった時、素早く気持ちを切り替えられれば良いのだけれど、それ程器用な精神構造をしていない。 だったらもう少し勉強しろや!、とか思いはしてもなかなか取っ付き難い、勉強は何だってそうなんでしょうけど。もう少し自分の興味の沸くような業務内容ならそうでも無いんでしょうけど、イマイチ興味の沸き難い分野だったりするものだから、更に取っ付き難かったりします。 気分が上向いてきたので、トドメとばかりにビールを飲み、焼き鳥を食べ。すっかり良い心持ち、地図を片手に明日のルートを考える。雨は朝の内に上がり、1日中曇りだそうな、晴れるのは明後日の午後から、ちょっと迷う所ですが明日、出掛ける事にしました。久し振りの三浦半島、「三浦半島記」を読んで以降は行きたい所も増え、春の良い気候の間に全て回ってみようと思っています、夏になるとどうしても行動範囲は狭められてしまうし、泳ぎにも行きたいし。 あ~、眠くなってきた、酒、マワりやす過ぎる~。もう、ぐるぐるぐるぐる、マワりまくってます~、もちろん何時もより余計に~。最近、めっきりと酒が弱くなってきたワタクシ、このままではビッグタイガーへの道が閉ざされてしまう、そりゃマズイ。マズイので肝臓を休ませる為にこれにてオヤスミ、掛布さんからミスタータイガースの称号を奪い取るまでは、一時たりとも気を緩める事は許されないのだ!。 |
1999年3月25日(木) |
雨だ、心地良い雨。朝、目が覚めた時に雨垂れの音が心地良い音と感じてしまった為にそう思うのか。雨が降った日にしては珍しくご機嫌な状態で出勤、そしてのんびりと1日を過ごす。 このまま暫くは退屈な日々を送る事になりそう、その間にいろんな勉強をしたいなぁとか思ってたりするんですけど、さて、何処まで踏み込めるものやら。この業界、と言うか、仕事に就いている限りはず~っと学習の日々なんでしょうけど、元来勉強嫌いの僕が何処まで付いて行けるかは不明。 春仕度もまだ始めてないのに、どんどんと春が押し寄せてきます。このままでは春仕度が終わる前に春が過ぎ去ってしまいそう。花見だってまだやってないのに、この雨で散ってしまいそうでとても不安。今年の春はかなりのスピードで駆け抜けていきそうです、タイミングを逃すと取り返しのつかない事になりそう。 早くも週末が近付いてきました、ほんと、早いですね。そりゃそうだ、今週は昨日からの勤務だもの、そして明日は金曜日、なんて阿漕な!(^^;)。今週末はやはり、久し振りに三崎の方へ行ってみようかと。ルートはまだ全然考えてないけど、荒崎から和田城址を巡って、小網代の入り江へ行くってのが良いかも。 春の内に小網代の森を攻めてみたいなぁ、でも足の状態が良化しないと無理か、今時の森で遭難したら、誰にも発見されないかも。いや、もう春だし、森に入っている人は結構居るか、思い切って行ってみるか。 殺伐とした話。自衛隊、事が起こって、素早く対応しても、後手後手に回ってみても、文句言われる(イチャモン付けられる)のは同じなんですね、何だか可哀そう。 威嚇射撃は船の後方に向かって撃っていたのか、それじゃ、誰も言う事聞かないと思うぞ(笑)。 今年のベイスターズ、今場所の千代大海と同じで、自滅しないかしら。昔からのファンは、「絶対そうなるね!」と言ってますけど、さて、どうだろう。我がドラゴンズは、投手陣は良いけど、打撃陣はさっぱり、また昨年同様1点差ゲームが多くなる事でしょう、とりあえず異薬は大量にストックして有りますが。 そんな準備を整えている辺り、僕もドラゴンズを本命視していない証拠なんですけど、ファンとしてはやっぱり失格かしら。でも一部ジャイアンツファンみたく、狂信的な奴等の様にはなりたくないので、この程度のスタンスで良いんじゃないかな~、とか。とにかく覚めた部分が無いと、問題点が見えなくなって、どんどんドツボに嵌まっちゃいますからね。 とかとか、考えていられるだけの余裕が有ります、時間的な。でも、何ひとつ掘り下げて考えないものだから、さっぱりモノになりません、どうしたもんですかね。 現在、その愛くるしさで僕のハートを捕らえて離さないのは、ニャンまげ、ガチャピン、ピカチュウ、そしてヒロスエ(笑)。どいつもこいつも、凶悪なまでの愛らしさの持ち主、もし彼(彼女)らと、ひとときの歓談の時間を持てたら、ワタクシ、夕べに死すとも悔いは有りません!。 にしても、ガチャピンもニャンまげも、宇宙に行っちゃったんだよなぁ、凄いなぁ。このままじゃ、ワタクシ1人が置いてけぼりになりそう、ずっと友達でいようね、ねぇ、ムック(^^;)。 |
1999年3月24日(水) |
あぁ、良い天気です、世の中平和です。日本海の騒動、結局2隻とも逃げられちゃったようですね、情け無いです。あからさまに怪しい船に対して、何故威嚇射撃だけで済ませるのか、何だか変な感じ、そんな根性無しな事をしていてどうするんだか。 それにしても、高々30ノット程度の速度で逃げる船を拿捕出来るだけの艦船を海自が持っていないというのがちょっと考えられない、もしかして故意?。 全然、関係無くはない話ですけど、今回の事件での報道で耳にした艦船名、妙高と榛名。榛名と言えば旧海軍の戦艦、妙高は重巡だっけか、どちらも巡視船としてはちょっと重たいような(^^;)。 そんな事とはさっぱり関係無く、今日、仕事先で面談しました。幾つになっても、ヤなもんですね(^^;)。 仕事でやりたい事って、実際にはあまり無かったりするものだから、どうしたいか?、と問われてもちょっと困ってしまったりします。逆に、銀行業務で何か選択肢が有るのか?、ちょっと疑問。 こんな巨大なシステムを把握して全てに精通するなんてことが出来るのか、そりゃまあ、出来ればそれにこした事はないんだろうけど。 疑問ばかりが浮かんでは消え、1時間15分、普段使わない部分の脳を振り絞った為にどっと疲れが。それにしても俺、短時間の面談くらいでこんなに疲れてるようじゃ、この先、お見合なんかしたらどうなるんだろう。その日の内に衰弱死したりして・・・、笑い話じゃ済みそうに無いなぁ・・・。 地獄のような日々も過ぎ去り穏やかに毎日を過ごす、良いですな。すっかりお怠け気分全開、「茶じゃ、茶を持て~い!」とか言ったりなんかして。生活の大部分を仕事が占めている以上、これに傾注したがる気持ちは解らないではないけど、もっと趣味に時間を割くのも大事だぞ、おじさん。 とか、趣味の合間に仕事をしているようなヤツが言ったところで説得力のかけらも無いですが。 さて、昨夜の万物創世記。赤ちゃん、見ながら「僕も子供を持ったら、とんでもない親馬鹿ぶりを発揮しそうだな~」と考え、身震いしてました。 笑ったと言っては泣き、寝返りをうったと言えば泣き、立ったと言えば泣き。何かイベントが起こる度に感動屋さんの僕は嬉し涙を流す事でしょう、そんなのとってもイヤ!(^^;)。 そんな訳でワタクシ、絶対に子供は作りません!(馬鹿)。 そんな思惑とは裏腹に、もうすぐまたひとつ、歳をとってしまう。約11年前、当時の僕は現在の僕を想像していただろうか。いや、そうではあるまい。 もしタイムマシンが有って、今の僕を見る機会が有ったとしたら、11年前の僕はどうしただろう。とりあえず殺してみますか、といった事は置いといて、こうなりたくはないと思って努力するだろうか、それとも時の流れに身を任せるか。 現在の僕がそのまま当時の僕だったら、間違いなく後者を選択するだろう。これが、だらしなくなったのか、それとも少しは進歩した現れだとするか、その判断は今後の僕に委ねる他、無い。 何だか普段の生活パターンを崩したのが悪かったみたい、僕には不健康な生活が合っているって事なのか。左足は相変らず痛くて、その影響が肩にも出だしている、重度の肩凝りが。 う~む、このままではニャンまげに「ニャン!」と愛らしげに鳴かれてしまっただけで彼に飛び付いてしまいそうなくらいに精神的にも追いつめられてしまいそうな。このままではイケナイ、僕も彼に対抗しうる技を身に付けなければ、「チュウ!」、これだな(馬鹿)。 ニャンまげ、カワイイ、カワイ過ぎる~。彼の愛らしさは本当に何処から来る物なのだろうか。1度江戸村に御伺いを立てねば、そんな事を聞いてどうするんだかは知らないが。ともかくもこれからは男も何がしかの愛敬を持たねばいけないと腹に括ったワタシ、君には負けないぞ、ガチャピン!(違)。 |
1999年3月23日(火) |
あう、4連休となってしまった・・・。 朝、休みますとの連絡を入れた後、寝て目が覚めたら12時を過ぎていて病院に行くことも出来ずにその後も寝て暮らす。何故、こんなにも、気温の変動が激しいのか、僕の体の順応力ではとてもじゃないが付いて行けない。昨日まで、思いっきり休んで体力を回復させたにも関わらず、こんなことじゃダメダメ~、季節の変わり目とは言え、そんな事は言い訳にもならない。 今日もいろんな出来事が、日本海の不審な船、何者なんだろう。それにしても漁船に偽装するなんて、あの船を見て漁船だって思う人って、海関係の人にはいないと思うぞ、センスが疑われる次第。 ワイドショー関係はブリジストンのあの事件に飛び付き、相変わらず安室関連の報道を繰り返す。その報道姿勢や手法も相変わらずで、もうどうしようも無いような。 色々と考えてみるのだが何だか俺たち、随分と馬鹿にされているような、もしくはマスコミ関係の人間の野次馬根性を満たす為だけの道具にされているような気も。何か質問を出すたびに、「国民の人達は・・・」ってマクラを付けられるのってとても不愉快、大体そんな事を知りたがるヤツがどれだけのパーセンテージでいるんだってテレビ画面の前で突っ込み入れちゃうもんな~。 現在、本の整理中。捨てるものは捨て、保存するものは残す、ちょっと大変な作業、もしかしたら来月いっぱいまでやっているかも。冬の間に使用したものを収納する為に押入れの1段目を空けようとしているんですけど、とにかく本の数がべらぼうに多い、しかも内容をいちいち確かめながら作業しているものだから遅々として進まない。 本を捨てる作業ってちょっと悲しいものが有りますね、本を収納する為だけのコンテナを1個借りようかしら、でもあれ、どれくらいするものなんだろう。写真の整理もちゃんとやっておかないと、昔の写真を掲載する予定って、今のところ有りませんが、暇な時にでもお気に入りのものを取り込んでみようかなと思っています。スキャナ、もうちょっと良いものが欲しいんですけど、今のところ買い替える余裕も無し。 欲しいといえば、ノートパソコン。これ、田舎に帰った時にデジカメで撮った写真を保存する為に欲しいので、カタオチのでも良いかと。とりあえずWIN95が乗っけられて、デジカメ用のドライバが乗っけられればOK、ハードディスクは500MBも有れば充分。2万円以内で探しているのですが、ちょっと無茶かしら、でも個人売買だとそのくらいでもちらほらと見うけられるし、それほど無茶な事も無いかな。 さて寝ますよ、でもちゃんと寝られるかしら。何と言っても今日は12時間以上寝てたからね~、寝過ぎだよ~、絶対。でも昔は平気で18時間くらい寝てたもんねぇ、最近はそれだけ寝られる体力は無いですよ。寝るのにはとてつもない体力が必要、もうそんなに若くないって良い証拠ですね、ジジイ化が進んでいると言うか(^^;)。 現在、「ニュースステーション」で不審船の続報をやってますが、海自・保、合わせて巡視艦12隻、航空機3機が追跡しているとか。大掛かりだなぁ、それだけ投入してまだ捕まえられないのか、情け無さ過ぎ~。警戒する気持ちは解らんでもないが、もうちょっと大胆にやっても良いんじゃないかと。まぁ、頑張ってくださいよ、と心からの応援をした所で、はい、寝ます。 |
1999年3月22日(月) |
昨日の最後の段落、お前も素人とちゃうんかい!、と突っ込み。それにしても荒れましたね、我が家の付近では暴風警報まで発令されてしまう始末、洒落にならんです。風速は30メートルを軽く越えたそうだし、こんな日はお家でヌクヌク・・・、してないで出掛けました。 出掛けたのは7時30分を過ぎてから、その時にはまだ風は強くなくて、この程度ならなんとも無いや!とタカを括っていたのですが。品川駅から第一京浜を横浜へ向かって歩き出した時には少しですが風が出てくる、それでも強風といったほどではなく快適に歩く。 第一京浜、歩道は広くて歩きやすい。南大井では今年初めての桜を見て大喜び、鈴ヶ森刑場跡では危うくシャッターを切りそうになり慌てて止める、さすがにちょっと怖い。刑場跡、もう少し大掛かりなものが有るのだと思っていたのですけど、小ぢんまりとしたものでした、見る人にもよって感じ方は違うんでしょうが。 第一京浜沿道には博打場が多く、平和島競艇場や大井競馬場が。その所為か怪しげな人達がちらほら、こういった雰囲気、実は大好き。昔、’91年~’93年頃までの川口オートレース場がこんな感じ、というかもっとスゴイ状態で、クスリをキメてんじゃないかといった人がワケの解らない事を喚き散らして走りまわったり、見るからに怪しげな人達が徒党を組んで闊歩していたり。 そんな雰囲気が好きであそこに出入りしていたのですが、’95年以降、そういった人達を締め出して以来、急速に明るく健全な博打場と化してしまい魅力も半減、今では滅多に近寄らなくなってしまいました。博打といったものの性質上、もっと怪しげな雰囲気を漂わせていた方が良いような、所謂「健全な博打場」を標榜して以来、変な事件も多くなったしねぇ。 立会川付近から風が強くなる、下手な重心の置き方をすれば足を取られてしまいそう。ここまで、そしてこれから先も京浜急行にそって歩く。何時もは車窓から見ている風景の中に今は自分が居る、不思議な感覚。 蒲田を過ぎた頃から左足に痛みが走り出す、ピリピリとした感じ。先週に突然痛くなった箇所、骨に異常は無さそうなのだがとにかく痛い。足を引きずりながら、それでも先へ進む。しかし六郷橋を渡る頃になると我慢できないほどに、さすがに中断を決心し川崎駅へと向かう、それにしても痛い。 品川から10キロ付近で痛くなりだしたところを見ると、これが現在の足の状態での限界かと。来週から暫くは足と相談しての散歩になるかと、行き先は三浦半島へ。 かなり悔しさが残る、品川駅まで帰ってくると朝とは違って抜けるような青空、悔しさが更に募る。しかし風は朝よりも強烈になっている、朝、この状態だったらここで散歩は取り止めたかも。本八幡では更に風が強烈に、凄いや!(笑)。時々立ち止まりながら家路を急ぐ、足の痛みは和らいでいる、更に悔しさが、悔しさのあまりに酒を飲み、寝る(^^;)。 夕食は牛フィレのステーキ、トマトとキュウリを添えて。もちろん焼き具合はレア、美味いさ!。有難う母上、僕にはこんな肉は買えそうにも無いもんなぁ(^^;)、久し振りに食べたボリュームのある肉、本当、美味いです。 肉(の種類)に対してはあまりこだわりは有りませんが、その焼き具合にはこだわります。とにかく肉を食べたい時にはたった一言、「血の滴るような肉、食わせろや!」、これだけです。夏になるとO-157がどうたらで肉を食べ辛くなりますが、それでも血の滴るような肉を目の前にして理性を保つ事が出来るかどうか、残念ながら自信は有りません。 と言うか、「こんな肉を目の前にして何を言うとるんじゃい!、こいつと心中するなら本望や!!」とか言って食べちゃいそうです、いや、食べるでしょう。俺の事だからその前に梅干を鱈腹食べてからそうするかもしれませんが、根性有るんだか無いんだか、ヘタレの本性を丸出しにしそうです。 足、やっぱ病院にいった方が良いのかもね、でもなぁ。大人しくしている分には痛みも無いし、自然に直した方が良いのかも。こういった時、すぐに病院に行かないのが僕の悪いところ、散々悪化させてから行くものだから、なかなか完治しないことはザラ。ギックリだってもっと早く病院に行っていればもっと早く良くなっただろうに、反省してもすぐに実行に移せない辺り、面目躍如です(笑)。 3連休って、やっぱデカイです。疲れも良く取れたし、たまにはこういった事も無いとね。今夜はもう少し酒を飲んで寝ようかと。肴はキビナゴの干物、軽く炙ると最高に美味いです。明日からの為に英気を養い、僅か4日の勤務を一気に駆け抜けようかと、でも途中で息切れしない様にね。 桜、明日あたりから咲き出すんでしょうね、一斉に。一足早く拝めたのでちょっとお得気分、近所の公園の桜が満開になったら酒持って行こう。1人でしっとりと桜を見ながら飲む酒、あぁ、風雅だねぇ。間違っても「花見酒は6文じゃ~!」なんて叫び出すような事は無いように、お巡りさんにしょっ引かれちゃいますよ。馬鹿なこと言ってないでさっさと酒飲んで寝よう、起きたらまたサラリーマン生活、大人って、辛いのう!(^^;)。 |
1999年3月21日(日) |
久し振りにポポロクロイスが始まってから目が覚めた、と言う訳で途中からしか見られずにちょっと残念。来週は最終回、いよいよ大詰めですな。 充分寝たはずなのにとてつもなく眠たくて、天気は崩れて来そうだし、出掛ける事は難しそうなのでとりあえず寝る事に。10時に寝て、起きたのは14時、4時間ですが充分疲れが取れた様子、まだまだ眠いですけどね(^^;)。 午後に入ってやはり雨が降っていましたが傘を差し本屋さんへ、久し振りに2千円以上の買い物をする、貧乏、色々と勉強になります、が、延々続けても懲りないってのはやはり問題のような気が。帰ってきてから掃除をし、そしてカレーを作る。 予定通り、ブロッコリーとコンビーフ入り、美味いです、やはりインドを目指すべきか?、でもその前に中国を屈服させないと。中華4千年の歴史に勝てるだろうか?、自信は無い、しかし人類みな兄弟だ、話せば解ってくれるはず。ってオイ、屈服させるってハナシは?。 NHK教育で16時45分から放送していた「吟詠」、チャンネルをポチポチと変えている時に偶然発見したのですが、良いです。スゲェ、カッコイイです。今日は「春の賦」でした、ロケ地が何処かは判らなかったですけど、荒波が断崖に当たり水飛沫を上げる様がとても良かった。って、海が良かっただけかい!。 いやいや、詠も良かったですよ、しらじらしいですが。見ていて小学校の校歌を思い出してしまいました、確か「荒波けぶる、太平洋~」って始まったはず。バックの海は日本海のようでしたけど、でも荒波は何処で見ても良いです。海が荒れるのは漁師にとってはちょっとイヤな事ですけど、見ている分にはとても良いです、好きです(^^)。 「ザ!鉄腕!DASH!!」、鎌倉、そして大阪。昔の写真を手懸かりに現在のその写真の場所を探すという企画、面白いです。どちらも馴染みの土地なもので、興味深く見られました。特に鎌倉、駅の西側って行った事が無いもんで、しっかりと研究させていただきました。 あの場所より北、頼朝の墓にも行ってみたいです、でもその前に三浦の大介どんの墓に行かなければ、衣笠城に有るんだっけ。大介どん、何だか知らんがとても親近感が。 鎌倉の人にしろ、旧海軍の人にしろ、潔い。その辺が僕の琴線に触れるのだろうか、それが心地良い音を紡ぎ出し落ち着かせる。「三浦半島記」、読了。 明日、出掛けたい、風さえ強くなければ。2日間、しっかりと休んだので体調は万全、何処までも歩いて行けそう。でも風は風速18メートルにも達するとか、そんな風が吹いたら船だって出港を見合わせます、強風にならない事だけを祈るばかりです。 低気圧、実は台風なんかより遥かに恐ろしいシロモノ、こいつをナメちゃあ痛い思いをします。冬春の海難事故の殆どはこいつをナメての事だし、素人衆は海には近寄らない方が無難かも、3連休で何処かに行きたい気持ちは解るんだけどね~。 何気に2千ヒット、有難う御座い~。それだけ~(^^;)。 |
1999年3月20日(土) |
お好みあられとビール、今日という僕の日常はどれほどのルクスで記憶されるのだろう。そんな事を考えながらチビチビと飲ってます、以下、たら~っと。 昨夜、と言うか今朝、4時近くになってから寝たもんで体がだるい、起きたのが8時30分なのだから、それはしょうがないんですけど。午前中、ぼんやりとネット上をウロウロした挙句、荷物が届くのを待ちきれずに寝ようかと思い出す始末。 圓生さんの人生に思いを馳せつつもこの頃から思考が薄ぼんやりしてくる、それにしても人は過酷な状況に置かれない限り変われないのだろうか?、そのような疑問が頭をよぎる。 その人のもつ気品(魂の位と言っても良い)は生まれながら備えていたり、人生を過ごしてきて自然に身に付いたり、個々の資質や生活によって変化するもの。 それを(自分が意識する、しないに関わらず)高めたり、逆に低めたりと変化する要因は、その人の生き方にあると思うのだが、しかしそれは文字通り「生き方」であり、その結果では無いと。 根無し草は根無し草、でもその逞しさは・・・。何も無い「現在」を嘆くか、何者にも縛られない「これから」に胸を膨らませるか。 受け取り方次第でどうにでもなること、これもその時の気分によって変化するのでしょうが、決意する一瞬の心の状態がどうであるかによってその後の人生の或る部分が、例え少ないものであったとしても、決定されてしまうのは一面怖くはあるが、同時に心躍らせるものが有るように思える。 振り子の振れが等幅であるように。 その時、その場所のルクスは現状がどうであるかによって明暗する、と考えていたのだがどうやらそうでは無いみたい。現在、置かれた状況や、その後の人生の経過によらず、それ自体は変化しない。心というものは、儚げでもあり、逞しくもある。 平均した(ルクスの)値が水準よりも上であればその分だけ魂の位が高いというものでは無く、それが明るいか暗いかによらず、人生に於いて一瞬、最も強烈に心に感じたルクスによって決定付けられるものなのではないか。 矜持というものは、それ自体であり、それによって、心を照らし続けることではないか。 スマートか、かなり縁遠いモノだな(^^;)。 そこで思考が止まる、荷物が届いた。今回も野菜がいっぱい、暫くはまたカレーが続きそう。 今夜は鶏のつくねと卵を入れて、何を入れても美味いのがカレーの良い所、次回はコンビーフの予定。 明日は散歩の予定、行けるかどうかは解らないけど、もし行く事が出来て余裕が有れば磯子まで行くつもり。磯子、駅前に巨大噴水が発生したそうですが数週前の散歩の時、雪の為に中止を余儀なくされた僕が悔しさのあまりに地団太を踏み地下の水道管を歪めてしまったからとか、まさかねえ、そこまで体は重くないぞ(^^;)。 酒、過ごさないように。またあまり寝てないし、ゆっくりと体を休めたいんですけど。心の奥底では明日も雨である事を望んでいる僕、ああ、だらしない。漢たるもの、少々体力が落ちているくらいで弱音は吐かないものだ。仕事で過労死するのはイヤだが遊びの為に一命を賭すというのは漢として望む所、さあ、気力を振り絞って照る照る坊主を作ろう!。って、逆さに吊っちゃ駄目なんだってば、助けて、一休さ~ん!(筋違)。 |
1999年3月19日(金) |
昨夜、「どうせテレホーダイだから」とダウンロードしっぱなしで寝て朝起きたらしっかりとコケてた、うぎゃ~、そんなこっちゃダメじゃ~ん!とマイコンピュータに喝を入れ再度ダウンロード開始。「良かった、朝早く起きられて」と、すっかり寛ぎ「BOSS BLACK」を啜りながら呆けていると・・・、またコケた!。 何故?、どうして?。まさか、お腹をこわして「ボク、ポンポン痛いからお仕事行かな~い」とか腑抜けたこと言ってるから嫌われちゃったの?、と見事なまでの取り乱しぶり、浅野内匠守も斯くやといった風情。 時間は溯り再び昨夜、夕食後にコンビニで買って来たトコロテンを食べました、それ自体は何といった事も無く、「都会のトコロテンは美味くないのう」などとぼやいていたのですが。 その後、「久し振りにポン酒でも飲るべえや!」と日本酒「菊水・舟口」を買って来て飲み始めたのですが、飲み始めて直ぐにとてつもなく胃が痛くなりそして吐き気が。急いで台所に駆け寄り胃の中のモノを全て吐き出す、しかし最早手遅れ。これほど胃が痛いのは小学生の時以来じゃないか~?、と考えつつ身悶えしながら布団に潜り込み背中を丸める。「もしかして中ったのか、いや、中ったに違いない!」とネガティブな、と言うか悪い方悪い方へと思考が傾いていく。そしてそのまま寝てしまった模様、朝起きたら痛みはすっかり消えていました。 こないだから胃の調子が悪く、直ぐに吐き気を覚えるほど体の具合も悪かったのに、そんな胃に刺激を与えるもの(トコロテンの酢)を食べたりするから(^^;)、その上酒を飲んだものだから胃が驚いてしまったらしい。元々胃(腸)はあまり丈夫じゃないのに最近は更に悪くなっている様子、「朝夕ストレスを感じるような状態に押し込められているからかしら?、僕って意外とデリケートなのね」とか勘違いしながら、これまた胃に宜しくないコーシーを啜る、全く懲りないヤツだ。 それにしてもマイコンピュータめ、何も御主人様に合わせるように調子が悪くなるこた無いのに。仕事から帰って来たら折檻してやる!、と捨て台詞を残し出勤、そして何事もなく1日が過ぎる。 I.E5、4.01からどう変わったのかしら、3から4への時のような劇的な変化はないのでしょうけどちょっと心配。3と4では表示のされ方とか違もんねぇ、同じタグを使っているのに。最近は3への対応は諦め放ったらかし状態、「そんなカタオチのバージョンを使ってるヤツの方が悪いんじゃ~!」と、すっかりナゲヤリな御様子。それでもネスケへの対応は怠らない、「4.5でもバッチリさ!」と御満悦、律義なんだか馬鹿なんだか(^^;)。 それでもやはり気になる・・・、一体どんな風に表示されるのだろう、見せる側としてはそればかりが心配。見る側だけだったら、「なんや、まだ最新バージョンに対応してないんかい、けったくそ悪い!」とか言っているだけで済んじゃうんですけど。 おかげでさっぱり仕事に手がつかない、「うぬぅ、マイコンピュータめ、やはり帰ったら折檻しちゃる!」と暗い情熱を燃やし続ける事8時間45分、すっかり日が暮れた家路を足早に急ぐ馬鹿1人。 そんなこんなで今日の更新までは4.01で動作確認をしています、歪みや未確認生物を発見しても御気になさらずに、間違っても未確認生物研究所などに連絡を入れたりしないように。 対応は明日以降、何がなんでも今夜中にインストールしてしまわないと。明日は1日部屋を出る事が出来ないので空いている昼間にやってもいいんだけどね、でも気持ちは逸るのさ、新しいモノ好き、そしてコレクター癖がそれを許さないのさ~!。 閑話休題、「三浦半島記」、まだ読んでます。もうすぐ読了出来そうですけど、じっくりと味わいながら読んでます。多分読み返す事になるんだろうな、それほどまでに味わい深い逸品。司馬さんに限らず作家さんの考える事は、その作品中の人物や背景に織込まれていますけど、御自身の口から語られる事は無いのでこういった作品(随筆)は新鮮で面白い。 その中でも「記憶の照度(ルクス)」には深い感銘を受ける、と同時にやはりココロというものの面白味を再確認する。誰だって楽しい時、嬉しい時には世界は明るく見えるし、悲しい時、気分が落ち込んでいる時には暗く映る物なのだ。 今週末は晴れた日にでもぶらっと出て行きます、散歩の話ですが。一応品川駅から横浜駅までというのが予定、経路は第一京浜を使用するつもりですが第二京浜を使用するかも、その日の体調と御天気に相談して決定するつもり。 歩くのは良いんだけど最近足の裏が異様に痛い、もしかして疲労骨折とかしていないかと心配。距離を伸ばしてからというものず~っとこう、足の形状まで変化している感じ、この歳になってもまだまだ体は発展途上みたいです。 3連休、動く日と動かない日のめりはりをしっかりと付けて、休養したいなぁと。でも動いちゃうんだろうな、ムダに(^^;)。週明け後の水曜日は給料日、パーっと散財してみますか。現在財布の中身は5,621円、何でも望むがままさ!(;_;)。 三つ上の段落、んなこと言いながら実は既にインストールしてしまいました(^^;)。見た目全然変わらないところを見ると大丈夫な様ですね、と言うことで特別な対応はしません、明日は1日のんびりしてま~す(^^)。 |
1999年3月18日(木) |
またしても良く晴れました、小気味良いほどに。何時でも何処でも全力投球が信条の僕(嘘)、「何処までも駆けて行くのさ、君だけの為に!」と良く解らない言葉を残し我が家(ハイツ)を後にする。 駅までの10分、毎日同じコース、殆ど同じ顔ぶれの人が歩いている。電車もそうだけど、大抵同じ人がいる、その割りに毎日何も変わらないのだが。 変わらないと言えば何か事件が起こった時の報道の仕方、これもさっぱり変わらないなぁ。別にオレ、そんな事まで知りたか無いぞ、とか思うような事まで一方的に報道されちゃうもんでかなりの辟易状態。見なきゃいいのだがどの局も同じような報道の仕方をしちゃうものでニュース番組を見るとなると選局に迷ってしまう、NHKまで影響されている時が有るもんなぁ、ワタシはどうすれば良いのだ。 別にどうもしなくて良いのだが(^^;)、臓器移植の件にしろ安室(の母)の件にしろ、かなりやり過ぎのような。事件が起きたことだけを淡々と伝えるニュース番組が有ったら、もしかしたら結構ウケるかも。識者のコメントなんてものは要らんし、街の声も要らん。そんなモノだけを集めた番組を別途作り見たいヤツだけ見させればいい、僕はあんなモノは要らないし、見たくも聞きたくも無い。何故ああも同じ事を繰り返し言う事しか出来ないのだろう、何だか馬鹿みたいで嫌だ。 と、自分の事は棚に上げておいて思ってしまうのです、ハイ。 今週末は天気が悪いそうな、別に雨さえ降らなきゃどうでも良いのですが、降りそうです。日曜日に品川から横浜まで歩こうと思っています、距離は27キロだそうな。 バイクで市川から城ケ島まで行く、というのが当面の目標だったのですが、どうやらバイクより歩きの方が先になりそう。歩いて下見しているようなものだからねぇ、バイクで走る為に。普通は逆だろう!、と自分に突っ込みを入れるもブレイヴ・ハートは眠ったまま、どうしたんだ、オレ!。 このままではすっかり歩く人の仲間入りをしてしまいそう、イヤじゃない、イヤじゃないんだけど何だかこう、本当にそれで良いのかといった感じ。小さい頃からスピード狂的なフレグランスを漂わせる僕にはやはり風を切って走る方が性に合っているみたい、走れ、オレ!。そして何時か、何時の日にか表彰台の中央に登るんだ!(違)。 最後に、インターネットエクスプローラー・5、ダウンロード出来るようになってます。さぁ、みんな、マイクロソフトのホームページへGOだっ!。 |
1999年3月17日(水) |
晴れた、御機嫌なほどに、ある意味ハラ立ちますが(^^;)。心なしか電車内の暖房も弱め・・・、ってゆーか冷房になっているような気も、すっかり春めいた御陽気、ええですなぁ。そう言う僕もすっかり爺さんフレヴァーを醸し出しています、出しまくっています。 仕事も最早引き継ぎ作業を残すのみ、見事なまでに暇になり有り余る時間を持て余しぎみ。こんな時にこそ普段やれない事をしなくちゃ!と一念発起、と言ったワケでまずはお茶から・・・、ってオイ!。午後のひとときを優雅にお茶して過ごしたワタクシ、天罰が下る日も近いかも、さぁ来い、アンゴルモア!(違)。 遂にワタクシ、言葉まで使わなくなってしまいました、メンドクサクて。 朝の電車での事、通路を塞ぐようにして立っていた女子高生を手で押しのけ奥の方へ、何時もの事で何も女子高生に限った事ではないのだがこのテのマナーは悪い。もうちょっと考えて立ってろやと思いつつ普段なら「済みませ~ん」とか声を掛けて通して貰うのですが、さすがに毎日そんなことを言っているのも面倒になり、遂には冒頭のような事に。 何故毎日同じ事を繰り返しながらそれを改善しようとしないのか、思わずそんな事を考えてしまいます。何故って別にイケナイ事をしているなんて思っちゃいないからなんだろうけど、こちらとしても毎日通して貰ってるのも馬鹿臭いし。そんな訳で強硬手段、これも馬鹿臭い事ではあるのですけど。 これは悪いクセではあるのですが、話が通じない、と言うか相手を嫌いになった時点で口すらきかなくなっちゃいます。これは「対不特定」の場合に於いてすらそうで、今回の電車のケースもこれに当たる。その車両に乗っている全ての人間を嫌いなものとしてしまい、そして口すらきかず、いきなり手を出してしまう。 僕の中の豊かな攻撃性がそうさせてしまうのでしょうけれど、これじゃあ単なるアブナイヒトだ。 僕がこのクセを直すのが早いか、それとも僕にその攻撃性を発揮させないほど世の中がマトモナヒト達ばかりになるのが先か(と書くとお前、何様だって言われそうだけど(^^;))。 こうなるとドロップアウトしていく人達がとてもマトモな人達なんじゃないかとさえ思えてきます、あらゆる場面で、自分(自身)がワカラナイ人達のその群れ方を見ているとそう思えてなりません。 かく言うワタクシも既に神頼みばかりか仏頼みまでしだす始末、こんなことでは一人前の漢になることすら覚束きません。いや、そもそもなることが出来るのか?とその資質すら疑い出してしまう。 イカン!、ダメなイメージは捨てて強く心に刻み付けなければ、俺は真の漢になるんだ~って!。そして何時の日か漢のロマンを追い求め大いなる海原へと船を繰り出すのさ、待ってろ、ホンマグロ!(違)。 |
1999年3月16日(火) |
朝の内はまだ昨日の余波が残っていたのだが午後からは良いお天気、品川駅を発着する電車を見ているとあれに乗って何処までも行ってみたいなぁとか思ってしまいます。 出勤の時もそう、このまま電車に乗って久里浜まで行ってみようかなぁとか、思ってしまいます、どうしても。良く晴れた日、カメラを持って電車に乗っている人を見かけると、「あぁ、あの人は一体何処に行くんだろう、僕も一緒に行ってみたいなぁ」って。 新橋から品川まで第一京浜を歩いていると、建物の間から山手線や新幹線が走行しているのが見える場所が幾つか有ります。それほど広くない隙間なので電車の全体ではなく、その一部しか見えないのですけど、それがまた楽しい、見ていて全然厭きませんでした。 普段見慣れたものでもその(場所や)見方によって雰囲気が全然違う、そういった事を発見するのも散歩の醍醐味。注意深く精神を集中して対象を捉えるか、ぼさ~っとして精神を解放して対象を捉えるか、その時の自分の状態によっても物事の受け止め方は違ってしまう、面白いねぇ。 うん、やはりココロは面白い、同時に恐いものでもあるけどね。時々自分の理性やそういったモノの全てを感情が否定したり押しつぶしてしまう時が有るもんねぇ、くわばらくわばら。 といった訳でそのココロを平穏な状態で保つべく穏やかな生活を、送ってはみたいのだけれどそうはいかない。あれですね、困ったもんですね。せめて周りに誰もいない時くらいココロと体を全力でグルングルンと動かしてみたいですね、「キャホウ!」とか叫びながら。でも出来ないんだろうなぁ、使えない男だ!。 こうなりゃ四国霊場四十八箇所をお遍路さんしてみようかしら、もちろん歩いて。でもそうすると45日は休暇を頂かないとならない、そんなの無理だよねぇ。全行程1,400キロくらいだそうなんで、それくらいはどうしてもかかっちゃうんだなぁ、これが。でもバイクでならそんなにはかからないか、ゴールデンウィーク中に行ってみようかなぁ、お遍路さんスタイルでスクーターを乗り回す、何かとんでもなく罰当たりなような気が。 にゃんまげは遂に月にまで到達してしまった、それに比べてワタクシは!。は~、のっちゃらのっちゃら。口惜しいから酒でも飲んでみるとしよう、ングング、美味いっ!。う~、のっちゃらのっちゃら。助けて、御大師様~!。 |
1999年3月15日(月) |
酒を飲むのは止そう、とか思いながら飲み始め気が付いたら1時を過ぎてた、ヤッホーとか奇声を上げとっとと寝たのですが結局眠れたのは6時間、これじゃ全然物足りません。重い体と心を引きずって出勤したものの最後まで尾を引き仕事は殆ど捗らず終い、こんなんじゃ、駄目だよう。 月曜の朝、何時もより体は重いようで、出勤するオジさん達の足取りは鈍く、のたのたしています、だらしなさ過ぎます。もっとも僕が「だらしない」なんて言葉を口に出来るはずも無い、昨日の体たらくを考えると本当に情け無さ過ぎます、あんなこっちゃ駄目です。 う~ん、何ひとつ楽しげな事が浮かんでこないです、気分が落ち込んでいる時はどうしようもないねぇ。楽しげな事・・・、来月後半に始まるゴールデンウィークに実家に帰って林道を走りまわることとか。 どうやら僕、現在住んでいる市川ではなく実家を本拠地として捉えているようです。なにせ休暇からこちらへ帰って来る時に「んじゃ、また出稼ぎに行って来るわ」って何気に言っているもんなぁ、これはそれの現れじゃないかと。以前に池袋に住んでいた時は池袋を本拠地としてその周りに田舎とか、その他の土地が有ったものだが。 これはどうも、現在、どの土地が1番人との繋がりが深いかによっているよう、池袋に居た時、周りにはたくさんの人が居たもんなぁ。今の所、市川ではそれが無い、と言うか作ろうとしていない、面倒臭いっていう思いが強いからなのだが。池袋では学生の頃から住んでいたのでそのような関わりを持つ時間というものがふんだんに取れたからでもあるのでしょうけど、短期間に築き上げた人間関係はかなり強固な物でした。 時間が無いから人間関係を築き上げられないと言うのは逃げなんでしょうけど、でも確かに時間は無い。しかも市川よりももっと人との繋がりが深い土地が近くに存在する、確かにこれじゃあ市川に苦労してまで人間関係を築いていこうなんて思わないもんねぇ。 市川に住みだしてからの知人は仕事関係の人を除けば本当に少ない、しかもその殆どが普段行っているお店の人達、これで人の輪を広げろっていう方が無茶かも。 自分の根っこを何処に置いて枝葉を広げるか、これは重要な問題。何時までも田舎にしておくって訳にもいかないしねぇ、やはり今住んでいる市川か、でもここ、初めて来た時にはすごく違和感を感じたんだよなぁ、もしかしたらそれが尾を引いて今まで何もしてこなかったのかもしれないけど。 とかとか、昨夜ビールを飲みながら考えていました。もちろん一夜寝て記憶の彼方に行ってしまった部分も有ります、それがキモの部分だろって所も(^^;)。思い出しながら書いていたのですがなかなか巧く書けない、元々文章に起こそうなんて思わないで考えていたからでもあるのでしょうけど。 と、何となく直観的に思い付いたりした事を文章に起こしてみようなんて事をしてみたのですがやっぱり無茶かしら、自分で出来ないとか思った事をやってみるのって結構勇気が要るなぁとか実感してますが。 いろいろと感じる所は有ったのですがそれらは体が吸収してしまったであろう、と淡い期待をしています、それこそ無茶な話ですけど。 そんな事はともかく今夜こそ早く寝ないと、寝るぞ寝るぞと言いながら毎晩夜更かししている僕、相当意思が弱いのかしら。こんな事では立派なお婿さんにはなれそうにも無い、早寝早起きこそ正しい漢の有り様なり。さあ、みんな、にゃんまげに飛び付こう!(違)。 |
1999年3月14日(日) |
昨夜寝る前に飲んだ「BOSS BLACK」が相当効いたらしく寝付けたのは3時過ぎ、で、起きたのが6時(^^;)、死ぬほど眠い~!。とりあえず風呂に入ってその後ぼや~っとネット上をウロウロしながら考える、今日って確か池袋サンシャインシティでサンシャイン・クリエイション3が催されるんだよな~、行こうかな~、でも人込み嫌いだしな~って。 で、その後散々悩んだ挙句行く決心がついたのが11時を過ぎてから(^^;)、この時既に勝負がついていたと言えるのだが。決心するまでには酒を呷ってみたり精神統一したり、とにかく僕的には相当覚悟の必要な事。行く決心がついてからは風呂に入って体の隅々まで洗ってみたり、「人込みなんか怖くない!」とイメージトレーニングをしてみたり、そんなこんなで家を出たのが11時30分過ぎ、何やってんだか(^^;)。 久し振りに秋葉原以西に行く、池袋はかつてのホームタウンなので地理的に心配する事など無いのだがとにかく長い間行ってないのでワクワクしたり心配したり。確か一昨年、こちら(千葉)に来た時に2度ほど行ったのみ、箱物は変わってないのだがその中に居る人達がすっかり変わっている事に驚いてそれ以降来てはいない。 何だかすっかり若者の街って感じになっちゃってるのがイヤになったようでは有るのだが、それ以上にイヤな事。かつては「怪しげな街」といった感じであったのに今では「危険な街」って雰囲気になっちゃっているような気がしてならない、「怪しげ」と「危険」は似ているようでさっぱり違う。しかも表向きは平穏と言うか平和な町っていうように装っている、その辺りもイヤらしい。 そういったのがイヤなのか、かつての仲間や友達もその殆どがこの街を去っている、住むには適さなくなっているとか言って、しかも面白みってモノが無くなってしまったそうだ。知人が少なくなってしまったというのも僕がこの街を訪れなかった理由のひとつ、逢いたい人がいない街へ行くのはとにかく億劫だから。 総武線で新宿まで行き山手線に乗り換え池袋へ、山手線のこの区間に乗るのも久し振り、ずっと通勤に使っていた区間なので懐かしいといった想いが強い。窓の外に見える風景にも変化が無いように見える、でも気がつかない部分で変わっているんだろうなぁ。池袋駅のホームに降り立ちまずは北口を目指す、改札を出てパルコから三越百貨店へと向かう交差点を渡る、ここも全然変わっていない、駅を出た所に有った競馬や競輪の予想紙を売っていたお婆さんのボックスが無いように思える、夜だけ開店してたんだっけ?、ちょっと心配。予想紙が発売される時間になると良く買いに通ったものなんだけど、今でも元気だろうか。 公園を通り公会堂横を抜け東京電子専門学校の有る所まで、現在休み中で誰も居なかったのだがここが我が母校、昔と全然変わっていない。来たのは4~5年ぶりくらい、2年間ずっと世話になった笠原先生、ご無沙汰し過ぎだなぁ(^^;)。NTT横に出てサンシャインビルを目指す、ちょっと遠回りになるのだがこのコースなら人はあまりと言うか全然いない、順調にサンシャインビルへ。 ワールドインポートマートで催されているそうなのでそちらへ、思ったより人が少ない、これなら何とかなりそうと余裕をかまし階段を上りきったところで中央郵便局方面を眺める、こちらも全然変わっていない、とにかく懐かしさばかりがこみ上げる。 館内に入りまずは右手のスペースへ、マップとか持ってないのでさっぱり配置が解らない、しかもすごい熱気。驚いてばかりいないでとにかく一回りしてみようと覚悟を決めいざ出陣、そしてスペースを出たのがその5分後、オイ!。 駄目だ~、全然駄目~(;_;)、知っているサークルで目にとまったのは「あい・ぼうる」さんのトコだけ、後は全滅~。だってもの凄いスピードで人込みを駆け抜けただけだったんだもん、目にとまるわけなんか無いよ~。うわ~、下調べしてなかったのと人込み嫌いが災いして収穫物ゼロ~、何しに来たんだ?、俺~?(;_;)。 それでも気を取り直して今度は左側のスペースに入ろうとすると、「通行証かカタログを見せてください」とのこと。何それ、何も聞いてないぞ!、って言うか何も調べて来てないし。通行証はともかくカタログなら手に入るかも、といった事を考える余裕など有るはずは無く、すごすごとその場を立ち去る、くぅ~(;_;)。 以上が僕の、所謂「コミケ」の初体験、もしこれが10代の頃なら確実にトラウマとなったことだろう(^^;)。まぁ、まずは様子見、と割り切っていなければ確実に僕は2度とこの類の催しには行かなくなった事でしょう。次は5月か・・・、それまでには何とか、いや、それ以前に下調べはしておかないと。 滞在時間が5分っていうのも(^^;)、もしも今日、サン・クリ3に参加していた、もしくは行っていたという方がここを見に来ていた場合、13時10分から15分くらいの間に、黒の「PRO-KEDS」のグラウンドコートを着て、トレッキングブーツを履き、眼鏡をかけた、やたら身の軽いデブを見かけた貴方、とっとと忘れてください。って言うか、忘れて!、お願い~!!(;_;)。 敗北感ばかりが胸に残る、俺って一体・・・(;_;)。 いろんな意味でヨレているなぁ、昔はもっとヨレたカッコで池袋を闊歩していたものだが。駅を降りた時点で気付いたもの、昔はこんなお姉ちゃん達は居なかった、っていうようなカッコしたお姉ちゃん達が居たもんなぁ。「いけふくろう」は現役で頑張っていたもののその周りに居る人達はやはり昔とは違う、違和感満点。 帰りには秋葉原に立ち寄り本屋さん巡り、同人誌なども見て周るがめぼしい物とて無く早々に退散。本八幡駅前の本屋さんで「カレ・カノ」の最新刊を買い帰宅、と同時にどっと疲れが。 干してあった洗濯物を見ていると訳も無く涙が、何にかは解らない、が、今日、確実に、何者かに、敗北してしまったらしい。 東京、嫌いながらも何処か嫌いになりきれない都市・・・、覚えてやがれ!(筋違)。 今日池袋に行った事によってまた、あそこには暫く行かないだろうなといった思いが。あれほど慣れ親しんだ街なのに、4年にも渡って住み暮らした街なのに、僕の居場所は全く残っていないと感じてしまう。 疲れました、とにかく疲れました、吐き気を催すくらい。こんな事で明日、大丈夫でしょうか(^^;)。酒を飲んだら吐きそうだしねぇ、胃に負担をかけるようなものは避けないと。こんな時は寝るのが1番だな、やっぱり。てことで寝ます、全ての想いを抱きしめて、・・・情けなさ過ぎ~(;_;)。 |
1999年3月13日(土) |
行ってきました品川まで、遠いです、とても洒落にならんです。あぁ、徒歩出勤はとてもじゃないですが無理そう、でも自転車を利用すれば1時間くらいで行けそう。現在、電車を利用しているのですが1時間5分ほど掛かっています、電車より自転車の方が早いのか・・・、電車が止まった時のひとつの手段として考慮できるか。 帰ってきて何時もの様に寝たらすっかり記憶が飛んでしまってました、年寄りだねぇ。もっとも歩いている時からじゃかすか記憶が薄れて行っていたのですが(^^;)、何だか夢の中で歩いている様でした、変です。 また思い出した時にでもちょろちょろと、明日はどうしようかなぁ、何処かに行ってみたいですけど晴れるかねぇ、掃除とかもしたいし。充分寝たはずなのにまだ眠いです、1日中寝てるのも良いかも、すっかりグータラさんだねぇ。 |
1999年3月12日(金) |
晴れた、しかし寒い!、寒すぎる~!。「もう駄目、オイラ、もう一度冬眠するだ~!」と訳のワカラン事を言いながらも何とか出社、それにしても仕事は楽しいなぁ(嘘)。 とまぁヘタなウソも飛び出るくらい上機嫌な僕、やっと明日は休みだ~、ぐわ~!、遊ぶのじゃ~!と自分に喝を入れる。と言っても明日出掛ける事が出来るかどうかは明日にならなきゃ解らないんだけど、でも日曜日はまた雨になるそうだし、どうにか明日遊びに行けたら良いなぁ。 遂に「すくすくカウンタ」の「まぐまぐ」が「お星に帰る~!」とか言い出しました、仕方ないので帰す事に決定。と同時にBIGLOBEもコース変更をして「るんるんコース」にしようかと、これってメールサービスとかが受けられなくなるんだけど最早使ってないしねぇ。有料コンテンツの購読用なんですけどこれも購読する事はなさそうだし思いきって解約しちゃおうかとも思ったんですけど、interqのここ数日間の体たらくを見ているとやっぱり不安になってしまいます。 と言う事で暫くは様子見、「わいわいコース」の月間管理料が200円になったのもコース変更のひとつの要因、年間2,400円なんだから良いじゃないかと思われた貴方、甘いです、この2,400円が命取りとなるような生活を毎月続けている僕にとってこれは痛いんです、痛いんですったら!。 おおぅ、思わず喧嘩腰に。今月も食糧援助を受けて何とか財政を立て直したばかりなのでちょっと気が立ってるかも、昨夜も「もぎたてのキャベツとレタスとほうれん草が有るけど、送ってあげようか?」との連絡が、お心遣い、感謝いたします~!。 でも送ってもらうのは来週にしました、今週は土曜日に予定を入れたくなかったし、それにまだ前回受けた補給物資も残ってるし。1度に大量に送って来るので消化するのが大変、殆どの場合に於いて賞味期限や品質保持期限との闘い。もうちょっと加減して送って頂きたいものですが援助を受けている身としてはそんな事も言えないし、僕の料理のレパートリーと胃袋は拡大する一方、まさに痩せてる暇も無し!。 でも僕、料理の本って買った事が無いんだねぇ、これが。殆どが見て覚えたものか創作、両親共に料理上手なので素地は有る模様。家族全員が料理が得意ってのは良いですね、あと洗濯とか掃除とか、家事一般が出来るってのも良いです。何とか1人で生活出来るもんね、ずっと独身でも大丈夫です、それはそれで悲しいですが(^^;)。 やはり漢たるもの料理のひとつも出来ないようでは駄目、そうでなくちゃ就職氷河期も乗り切れないぞ!(違)。それにしてもココのトコロのお姉ちゃん達のお料理マインドの低さには驚くばかりなり、こうなりゃやはり自立する男の気概ってものを見せ付けなくては、お料理万歳!。 しかし「お袋の味」と共に「親父の味」も大事にし、そして継承しなくてはと考える僕にとっては男達の堕落ぶりにも落胆するばかり、こんな事では21世紀はお料理暗黒時代となってしまう、このままではイカーン!。 だからといって解決策が有るはずもなく日々滅入っていくばかりなり、助けて、たこやきマ~ン!。 しまった、つい錯乱してワケワカランことを。あのベタな大阪語が何とも言えんです、まずは岡山弁から勉強し直して頂きたいものですね。 ニポンゴとてもムツカシイです、ニポンジンで有りながら最近ツウカンしてます。とりあえず料理より先にニポンゴを上手にシャベレルようにした方がイイんじゃないかな、とか自分に突っ込んでみたり、河内弁ならほぼ完璧に話せるんですがねぇ(謎)。 コトバの持つカノウセイやゲンカイってモノがようやっと見えてきた所ですがまだまだミキワメタとは言えません、てゆーか一生ミキワメラレナイような気もします、トンデモナイコトデスネェ、コワイデスネェ、クソシテ寝タイシンキョウデスネェ。 失礼、あまり深く考え込んでしまうと身動きひとつ出来なくなりそうなので放ったらかしておく事に、放るのはホルモンだけにしとけや!って鶴橋のおばちゃんの厳しい突っ込みが聞こえてきそうですが。でもホルモンだって捨てるには惜しい良い味してます、世の中に余計なもの無し、先入観を捨てる事と工夫次第で何でも美味しいものなのさ。でも僕、つい最近までハラミがホルモンだってことを知らなかったんだよなぁ、ホルモン好き好き人間失格なり~(;_;)。 |
1999年3月11日(木) |
今日も相変らず寒い、とにかく寒い、遂には仕舞っておいたコートまで引っ張り出す始末。最高気温が8度って、つい数日前まで朝5時の気温がそれくらいだったような、ぼやきながらも出勤し労働。 仕事内容といえばこれまた相変わらずリスト相手、左手に4色のマーカーを扇状に持ち右手にはシャープペン。まさに闘う男の姿だ、根がチェックマンな僕にはたまらないスタイル。「さぁ、行くでぇ~!」と心の中で気勢を上げいざ突撃、そして’99年3月11日16時15分に果てる、決着は明日に持ち越し、やるなぁ!。 昨日1日ゆっくりと(でもないが)休めたので勢いだけはかなりの状態、何気に全力疾走してみたり暴れてみたり。相当体力が余っているようなので何処かで発散しないと、でも発散する場が無いんだよなぁ。しょうがないので酒でも呑んでみる、美味い! 改装はこれで終わり、とか言っておきながら残りがまだある事に気付く、「いろいろ」とか「お約束」とか、内容を書き換えなければいけない部分がどっちゃり。これは今週いっぱいだらだらと変更していこうかと、まぁだらだらしていない時など有りゃしないんですがね。 週末も天気は悪いのかなぁ、こんなに寒くちゃお出掛けする気力も萎え萎え。何処に行こう、前に果たせなかった江戸川を上流に向かって歩いてみるとか、松戸辺りまで。 でも寒いんだろうなぁ、川沿いは。ヘタレな僕には相当厳しいはず、印幡沼はそうでもなかったんだけど。早く暖かくならないかなぁ、そうすればバイクだって乗れるようになるのに。 日々のあれこれ用の写真を撮り出してから自分の視野が更に広まったような、そして注意深くなった。朝と夜、暖かい日と寒い日、それぞれの場面に於いて風景が見せる表情が変わるので見ていてなんだか楽しい、カメラの腕前は全然付いていってないようですが(^^;)。 天気の移り変わりが激しくなったのは春が近付いている証拠だし、もうひと踏ん張りですね。急に寒くなったので風邪ひきさんが増殖したようですが、寒さに負けないように、さぁ、乾布摩擦だ!。でも今時乾布摩擦する若者なんて居るのかなぁ、日本の古き良き伝統、大事にしていきたいものですね(笑)。 |
1999年3月10日(水) |
遂に休んでしまった、昨日からの不調を持ち越し体調は最悪な状態。大体南国育ちの僕にこれだけの温度差に耐えろって言う方が無茶だ、こんな時にはお魚さん、特に熱帯魚の気持ちが良く解ります。人間も適温を求めて移動できれば良いのになー、これだけネットワークがしっかりしてきているのだからそろそろSOHOを真剣に考えても良いんじゃないか?。あ、でも無理か、銀行系の業務は機密保持(特に顧客データ)の問題も有るしねぇ・・・、うみゅ。 あ~あ、久し振りに休みを取ったら何かとてつもなく悪い事をしているような気になっちゃいます、何でだろ。暫く無欠勤で通してきたのにな~、これで皆勤賞も無しか・・・、まさにぎゃわ~じゃよ!。 体調が悪くて休んだクセして朝から料理、まずは仕込みから、大根の煮物。そして朝食用のおかずを作り始める、ビタミンCの補給の為にベーコンとブロッコリーを炒め更に筍と豚肉のつみれ団子を加え、それに甘酢の餡をかけたもの。朝から重いものを(^^;)、でも美味しく頂きましたよ。 昼食は魚の味醂干しとピリ辛ナス、それと大根の煮物。大根、この時点でも出汁は充分沁みこんでいましたが夕方まで我慢する事にして一切れ。味醂干しは美味しかったです、でも何の魚を使っているのかが解らない、鰯っぽいんですけどね~。 夕食はもちろん大根の煮物、そしてピリ辛ナス、大根、最高に美味いです!。明日にはもっと味が沁みて美味しくなるんだろうな~、食べててこれを三浦大根で作ったらどうなんだろうと考えちゃいました、ああ、想像しただけで唾液が・・・。次にあっちの方へ行ったときにでも買ってこよう、あ、でももう春か・・・、旬の季節が過ぎて行く~(;_;)。 夕方、食事前にのんびりしていると突然の電話が。会社からかと思って急いで出たのだが何だかアンケートのよう。会社名は忘れたけど調査会社の模様、怪しげのものかと思いきやニュースとかで良く見る市場調査(社会調査?)だとか。 で、アンケート内容は「タバコ」について。聞かれた内容は「年齢」、「1日に吸うタバコの本数」、「煙草の銘柄」、「その銘柄を吸っている年数」、そして「既婚・未婚」の以上4項目。回答は「28歳」、「10本」、「ゴールデンバット、ピース」、「5年、8年」、「未婚」。 10本ってのは嘘か、いや嘘じゃないけどその日によって本数にはばらつきが有るからねぇ。吸わない日はさっぱり吸わないし、吸う日には60本くらい吸っていることが有るし。あと銘柄についても正確じゃないな、一応この2銘柄がメインなんだけど日によって吸っている銘柄が違う時も有るし、新製品が出ると必ず買ってるもんな~。 最近は僕の周りにも煙草を吸わない人が増えてきたし、いよいよ嫌煙派は絶好調。禁煙じゃなく分煙にしてくれ~!と言う愛煙家の魂の叫びが聞こえて来そう、でも僕、外じゃ吸わないからどうでも良いんだけどね、裏切り者~!とか言われちゃいそうだけど(^^;)。 これで改装作業は終わり、別館は大きいサイズの写真を置きます、今のところ猫の写真だけ。サイズは馬鹿でかいので気を付けて下さい、デカイって言うか凶悪ささえ漂っています。 さぁ寝よう、明日は気張って仕事さ、なんかナゲヤリだけど(^^;)。明日の夕食は確保して有る事だし、それを楽しみに。ってそれだけしか楽しみの無い自分が悲しい・・・、グレちゃる!。 |
1999年3月9日(火) |
頭痛いよ~、だるいよ~とかぼやきながら起きる。風邪?、それとも寝不足?。判断のつかないまま休むか出勤するか、考え込んだ挙句に出勤することに。雨の日だからかもしれないけどとにかく体がだるい、シャワーを浴びても回復しないしこりゃ本格的なものかも。 何時ものように市川駅へ、今日はやたらと車内が空いている。雨の日は何時もこう、歓迎すべき事なんだけど雨が降っただけでこんなに空いちゃうなんて、皆根性無しか?。品川駅まで、1度として込む事無く到着、インターシティへと続く道は流石に込んでいたけどそれでも何時もほどではない。 電車、乗車している人数が少ないからといって必ずしも空いている訳ではない、それぞれに好き勝手にスペースを保有しているから。最初から上手に取っておけば後から乗って来る人が狭い所に押し込められる事も無いのだが、わざわざ広い車内を狭く使用する事も無いのに。 毎月貧乏している僕だが予算(給料)が増えてみた所で大した変化はあるまい、前述の電車のケースと同じで余裕が有ったら有ったで無駄な使い方をするものだ。これはさまざまなものに通用する事なんだろうけど、こういった事を無くさない限り適正な予算規模の確定とその分配は出来ないんだろうなぁ。家計を預る身としてそのような事じゃ駄目だ、とは思うのですが実行するとなるとからっきし、誘惑が多すぎる世の中ってのも難儀なものだ。 給料といえば来年度から我が社も年俸制に移行するのだが、僕はといえば最近やっと腹を括ったばかり。契約更改の話し合いとか記者会見が無いのが少しばかり寂しいのだが、こればかりは致し方ない。まぁ僕の場合ホームページを利用して記者会見もどきの事をするのも可能なのだが、推定年俸って訳にはいかないんだろうな、やっぱり、何パーセントアップとかダウンとかって来年度にならないと出来ないし、楽しみといえば楽しみなんですが。 サラリーマン社会における年俸制って今ひとつ釈然としない、多分主導権を会社側が握っている事に対する反発も有るのでしょうが。話し合いの場は持つのでしょうけど金額決定をするのは会社側だし、一握りのデキル人達を除いては一方的に押し付けられるものってイメージが有る。 それに総務や経理の人達の査定とか、営業の人達とは違って付け難い、というか低く見られるんじゃないかといった懸念も。プロ野球の中継ぎ投手の価値や年俸が最近まで正当に評価されなかった例も有るし、会社内での中継ぎ陣や裏方さん達の評価ってどうなっているんだろうって心配になってしまいます。 その辺が明確に規定されると年俸制も大歓迎なんですが、はっきりしていないとやっぱり疑心暗鬼に陥ったりするもんねぇ。上げるも下げるも自由自在な年俸制、自分の仕事ぶりがダイレクトに反映されるようになるとやる気が増したりするものなのかな~、何となく僕には無縁の物のような気もしますが。 ちなみにワタクシ、年俸制は初めてではございません、っていうかすこぶる馴染み深いものです。だって漁師さんは基本的に年俸制なんだもん、大きな会社に勤めている人は別として個人や小さい会社は大抵がそう。 僕の一族が経営している(有)末広丸もそう、1年の売り上げがそのまま給料へと反映される為に毎年給料の額が違います。漁獲高と売上額が必ずしも比例する訳ではないのでマーケティング、と言うか市場調査は怠りません、漁師の世界も実は物凄い情報戦が行われていたりします。今ならこの港に水揚げすれば高く売れるとか、この日のこの時間帯に水揚げすれば高く売れるとか、とにかくやたらと研究熱心、一流の漁師は一流の市場研究家であったりもします。 こんなことが有りました、同じ海域で同じ量、同じ品質の鮪を1日違いで水揚げをした所、前日に水揚げをした船は800万円、我が末広丸は2、300万円の売り上げとなりました。僅か1日違いでこれだけの相場の乱高下、株価なんて目じゃないです、一流の漁師が博打嫌いになるのも無理からぬ話だ。 そんなこんなでいろんな努力をしたり、また如何に努力しようともどうしようもない部分などが有る為に漁師さんの給料も毎年増えたり減ったり、そんな世界で育ってきた為か年俸制に対しては他の人達ほどの抵抗は有りません、有難い話だ(^^;)。 などと考えながら帰路に就く、市川で乗り換えの為にホームに下りると・・・、雪だ!。ひゃー、寒い!。そうか、体の調子が悪かったのはこの為か、雪が降る日って必ず調子が悪くなるもんな~。 あまりにも寒いので久し振りにウィスキーを、昨日の残りのカレーを食べながら。2日目になって更にマイルドテイストなカレー、最高に美味いっす!。体の芯から温めるためにホットウィスキー、う~、これまた美味いよ~、寒い日はこれか熱燗が1番っすね。 昨日の日々のあれこれの写真を見ながらキッチンが大分汚れている事に気付く、年末の大掃除の時にぴかぴかにしたんですけど汚れるのが早いねぇ。毎日ちゃんと料理している事の証なんですが、日々使用している時には汚れなんか見てないからこのような機会でもないと気付かないんだろうなぁ。 偶にはちゃんと磨いてやらないとね、次の休日にでも時間を割いてやろう。靴もぴかぴかに磨きたいし、う~ん、家の周りの事でも探せばやらなきゃならない事ややりたい事は山ほど有る、社会人に休日無しとはこの事か!(違)。 さて今夜も夜更かししますよ!、そんな事宣言してどうすんだ(;_;)。取り合えず改装の方も一段落した事だしゆっくりと休みを取りたいですね、取れないけど。別館の方もやらなきゃならないしね~、まだまだ先は長いっすよ。 |
1999年3月8日(月) |
晴れ、そして後曇り、今日の天気はこんな感じ、夕方近くには降り出しそうな雰囲気でしたが。水曜日にはまた崩れてしまうらしい、今週もふらふらした天気が続く模様、もっとシャキっとした天気でいて欲しいものですが。 今週もまた忙しいのか暇なのか解らない状態、ドキュメント整理に追われそうです。「こんな仕事はイヤ~!」とも言えないしねぇ、さっさと片づけてしまおうかと。 最近はとにかく食べ物の話をしている時には機嫌が良い、といった傾向が有ります、料理の話とかね。それ以外は大抵不機嫌、相変らずいろんなことが有って心静かに日々を送る余裕も無し。 さりとて全てを擲って世を捨てる度胸も無し、困ったものだ。いろんな考えや想いが錯綜してどうしようもない状態だったりするのですが、それにしても何故こんな面倒臭い世の中になってしまったんだろう、なんてことを考え出すと精神的にヘロヘロになってしまい、のてーっとした状態になってしまいます。それにしても俺、何でこんな事を考えているんだろう。 のたくたになっていようがいまいが今更どうしようもないし、さりとて我慢にも限界ってものが有るし、さてどうしたものだろう。解決策はない、が、探せばきっと見つかるはずだ。 現在別館として確保して有るジオシティーズには写真の巨大サイズ版を載せるつもりで居るんですけど何時になったら工事出来るのやら、本館のこのページ自体工事が終わってないし。やっぱり思い付きで改装したりすると何かと大変だなぁ、この思い付き体質を何とかしないとこれからも同じ目に遭う事に。 でもこの思い付きってのが大切な事も、大体そうじゃないと動き出さないような性質だし。勢いに任せて動き出さないと何事も始められないって言うのはね、ちょっとね。あと1ヶ月ほどで29歳になるオッサンのやる事じゃないし、若さに任せてやれるのも、まだ若いからって許されるのも30歳までだろうし、後1年どう過ごすかによって今後が変わって来るんだろうな、気を引き締めてかからないと。 今週も散歩は日曜日になりそう、大変だこりゃ(^^;)。ここの所ずっとそうなっちゃってるんだけどやっぱり月曜日がツライ、あまり長距離を歩くと足が上がらなくなりそうだし、だからといって距離は縮めたくないし、葛藤だなぁ。 その分土曜日には料理を楽しめるから良しとするか、散歩後の日曜日は疲れちゃってて何もする気がおきないもんねぇ。美味しい物を食べていると何だかほのぼのとした気分になりますけど、今の所その為の料理と散歩が最大の息抜きとなっているようです。暖かくなるとこれにバイクが加わり更に充実したものに、林道とか、行ってみたいよね~。 今日はまたカレーを作ってます、すっかり味を占めちゃってます。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ブロッコリー、そしてツナ缶を開けて・・・、くう~!、美味そう。カレー、何入れて作っても美味いっす!、何時の日かカレーマスターとなる事を夢見て精進あるのみでござる~、目指せ天竺!(違)。 |
1999年3月7日(日) |
散歩の感想などはまた明日、今日はちょっと・・・、面倒クサイっす!。 心地よい疲れ、やはり散歩は20キロ前後を5時間くらいかけてするのが僕の体には合っているよう。雨の印旛沼も良いけどやはり晴れていた方が面白そう、マラソンの人達は頑張っていましたけど。 今日もカレーを食っていました、昨日の時点で2,500円は取れるかも、などと思っていたのですが2日目の今日、3,500円は取れそうな味、原価は330円、・・・暴利を貪りたいのか、俺?。 帰ってきてからは寝てました、最近は散歩から帰ってきたら寝るようになってしまいました、疲れを取る為に体が欲しているのでしょうけど、こうなっちゃうとやっぱりオジさんだなぁ。 今夜の「鉄腕DASH」、桜木町、良いなぁ。あのペイントされている道を歩いて行くと紅葉坂への入口が有り、そこから紅葉坂を登り野毛山の公園まで行った事が有ります。1度ランドマークタワーにも登ってみたいし、そのうち行ってみよう。ところで現在の現場でランドマークタワーを設計した会社に勤めていた人が居るんですけど色々と裏話が聞けました、実際に現場にも出ていたらしく「自分がぶっ建てたタワーに今更金払ってまで登る気は無いよ」とか言ってます。まぁその通りなんでしょうけど(^^;)、う~む。確かに最上階までエレベータを使うだけで1,000円は高いかも、でも僕、歩いて登る気なんだよなぁ。 伊勢原から桜木町まであんなにかかるのか、もうちょっと時間の短縮は出来ると思うんだけど。あと桜木町から八景島までも時間がかかりすぎているような気が、あの辺りはちょっと前まで歩いて巡っていたのでそう思っちゃうんですけど、シーサイドラインを新杉田から利用するか金沢八景から利用するかにもよるんだろうけど。 それにしてもこの番組、最近神奈川でのロケが多いような気が、神奈川好きな僕としては大歓迎なんですけど(^^)。来週は遂にあの「鉄骨DASH」の謎が明らかに、何か木更津ケーブルTVとか言っていたような、・・・近所じゃないですか、今から楽しみです。 今夜もゆったりと寝よう、昨夜は22時には寝ていました、でも起きた時には妙なダルさが。寝過ぎかなぁ、昨日も今日も寝てばっかり、疲れちゃってるとやっぱり寝てしまう。もっと疲れの取り方が上手にならないとね、これもひとつの課題です、さて寝るベぇ。 以下追記(8日)。 珍しく6時前に起きてみれば空は一面の灰色、あっちゃ~、やっぱり雨が降るのか~。焦ってみたってしょうがないので朝食、昨日作ったカレーを、一晩置いたら更に美味しくなっているカレーに感動、美味すぎるっす~。どうせ「ポポロクロイス」が終わるまでは外出しないんだからと各局の天気予報をハシゴ、出した結論は「午後までに、もしくは午後の早い段階で散歩を終了出来ればあまり痛い目には遭うまい」。と言うことで8時、いざ京成急行で臼井駅まで、片道420円の料金がちょっと痛い。 臼井駅で降り空を見上げるとやはり雨雲が空一面に、急いで臼井田方面へ向かい臼井幼稚園横を通り、田圃の畦道を抜け印幡沼へ。印幡沼にはその周囲を取り巻くサイクリングロードとそれに平行して土手が続いています。今日はその土手を1周して再び臼井駅へ帰るといった予定、印幡沼、曇っている所為かやはり暗い。ふと見るとサイクリングロードに立て看が、どうやら今日はマラソン大会があってサイクリングロードは通行禁止らしい、僕はどうせ土手の上を歩いて行くんだし関係無いやと気にも留めずまずは船戸大橋へ。 その途中、バサーに出会いました、と言っても相手は船の上ですが。どうやらノーシンカーでワームを投入し反射食いを狙っている模様、印幡沼でもブラックバス釣りは盛んなんだねぇ、頑張れバサーの諸君と心に思い先へ。船戸大橋のたもとにはボート屋さんが、どうやらこの西印幡沼にはここだけしかボート屋が無い様子、独占商売よのう、ぐっひっひとまるで悪代官のような発想しか出来ない自分が情け無い(^^;)。 船戸大橋上には歩道は無く、しかも路側帯は異様に狭い、あまり歩行者には配慮されてない様子、と言うか歩ってる人が少ないようなので致し方も無いのですが。船戸大橋を渡り川沿いを沼の方へ、そこには小さな船着き場が有りここから漁に出て行くよう、ふと見ると鶏やらいろんな動物が飼われている。 土手に上がるべくその方へと歩み出した時、目が合ってしまいました、ここで飼われているのでしょうか、猫。しかも高貴な感じのする猫、う~む、何故こんな所に。写真を撮ろうとしゃがみ込むとこちらへと歩いて来るではないか、しかも大口を開けて。ぐわ、やばい、食われる~、慌ててシャッターを切り土手を駆け上がる。下を見ると何とヤツは追いかけて来る、余程気に入られたのか、「にゃあ!」とか吐かしてけつかる。こうなればこちらも本領発揮、「ふぎゃ~!」とヤツに負けないほどの声で応戦、しかし一向に気にする様子も無く更に登って来る猫、本気で「ヤバイ、取って食われる~!」と最早錯乱状態の僕、足早にその場を立ち去る。顧みれば猫は低い塀の所でさも残念そうにこちらを見ている、「この化け猫め~、必ずや再戦してやる!」と心に誓い戦場を後にする。以上、妄想終わり。 印幡沼の西岸を北上していると草が刈り取られた平地が、何をする所だろうと思っていたら看板には「ラジコン飛行機の滑走路」だと書かれている、ここは西岸を本拠とするラジコンチーム「SKT」の滑走路らしい。対岸には別のチーム、「CFC」の飛行場が有るらしい、いろんな意味で感じ入る僕。 瀬戸の辺りでマラソンのトップランナーと行き交う、と言ってもこちらは土手の上、あちらは少し離れた一般道を走っている、この辺りは双子橋で一旦一般道に出ることからそういったルートが採られているようだ。心の中で「この寒いのに良くやるよねぇ」と問い掛けてみたが、もしランナーがこの言葉を聞いたら「アンタもな!」と逆に突っ込まれそうな気がしたので慌てて言葉を飲み込む、寒い中、酔狂な事をしているのはお互い様か(^^;)。 双子橋ではそこかしこにバサーが、小学生と思しき集団も居る、しかしこの連中、五月蝿い。釣り場でのマナーを何だと心得ているんだと思ってはみたがこいつら人の言うことなんか聞きやしないしな~、諦めてその場を立ち去る。やつら、何故かスピナーベイトを使用していたんですけど、反射食い狙い?、それともただの馬鹿?、最近はトップウォータータープのスピナーも有るんだけど時期的にはまだ早いしな~。結局お馬鹿さんとの結論に達したのだがそれにしても、最近はマナーの悪い釣り人が増えてヤだねー、その場その場で注意しても結局その場限りの事だし、そういった連中にはね。 双子公園には競輪選手と思しき人達が、どうやらこの付近で街道練習をしての帰りのよう、どのグループか解らないし不躾だしで声は掛けなかったんですけど、是非写真を撮らせて貰らいたかったよう~、俺の意気地なし!。 この付近からマラソンランナーと対向しあう形で歩く事に、皆一様に真剣な面持ちで走っている中、猿の着ぐるみを着て走っている人が、「バカめ、この後雨が降るというのになんてカッコを」と心に呟く。別にどんなカッコこして走っても良いんだけどせめて雨対策くらいはしておくべきだとお堅い回路が作動、自分の事ながらちょっと嫌になる。 12時30分、土浮の付近で遂に雨が降り出す。傘を差し更に南下、ランナーの皆さんはゴミ袋に穴を開けた物を持参していたようでそれを被って走っている、色とりどりで面白い風景に。竜神橋まで来ると対岸にはオランダ風車が、晴れの日じゃなくて返す返すも無念。竜神橋にはやはりバサーの一群が、双子橋同様橋の下、橋脚などのポイントを狙っている。 再び臼井田まで戻ってきた、土手を歩き最初のポイントへ、この辺でもまだランナーが走っている。雨の中、既に自分との戦いのみになっている、人事ながら良くやるよなぁと考え込む。歩ってるのも面白いけど、走るのもそれくらい、いやそれ以上に楽しいのかも、でもマラソンは嫌だなぁ。 歩き出した場所まで帰ってきた、再び臼井幼稚園横を抜け臼井駅へ、4時間40分、無事に散歩終了。少し雨に降られたけどまあまあの結果、帰宅には各駅停車を使う、雨の沿線沿いの風景をゆったりと見る為に。 帰宅後はビールを飲みながら本を読み、そして昼寝、19時近くまで寝てました。最近はこの帰宅後の昼寝が定例になっていて、下手すりゃ電車の中から寝ている時が有ります。疲れを取る為に体が欲しているようなんですけど、やっぱりこうなっちゃあオジさんだよねぇ(^^;)。 |
1999年3月6日(土) |
ご馳走さまでした(^^)。 朝から褒めたくなるほどの良い天気、洗濯物も良く乾いたし、掃除後は窓を全開にして空気の入れ替えをしていました、すっごく気持ち良いですぅ~!。今日は実家からの物資補給を受ける為にずっと家に居ました、物資が届いたのは16時頃。内訳は、米、野菜、他食料品、そしてタバコとビール券、サンキュー、母上。 物資が届くまでの間、午前中はずっとメンテ作業、午後に入ってからは先日買った司馬遼太郎の「三浦半島記」を読んでいました。この本、とても面白いです。作中に出てくる場所、行った事の有る場所もそうではない場所も、また行ってみたい、是非行ってみたいと感慨も新たに、でも今月は行けそうにも無いんだよなぁ。 来月に入っちゃうと少しは暇になるかもしれないと淡い期待をしているんですけど・・・、期待外れに終わっちゃうかも。 物資が届いた後は夕食作り、カレールーが入っていたのでカレーを作る事に、野菜はニンジンとジャガイモとタマネギ・・・、あれ、肉が入ってない・・・。もしかして僕に野菜カレーを作れってのか?、急いで母に確認、すると「ごめん、肉を入れ忘れちゃった~」とのこと、頼むよ母上~(;_;)。 仕方ないのでスーパーまで肉を買いに、もちろん豚肉。ついでに器も、今まではドンブリを使って食べていたんですけどさすがにね、スープスパやシチューを盛るのにも使えるようなものを購入しました。 で、作り始める、今回は野菜の形が残る様に。何時もはタマネギやジャガイモが跡形も無くなるように煮込むんですけど今回は初めから野菜を大きめに切りそして炒める、炒めるのは何時も通り中華鍋で。じっくりと炒めそして鍋へ、水を加えコトコトと。ルーを入れて溶かしそして再び煮込む、何時もよりはかなり短めに。 食す!、う・美味い~!!。ジャガイモはしっかりと形を留めてはいるが口に含めばさらさらと舌の上で溶けそして甘い、ニンジンもタマネギもしっかりとした食感でそしてこれまた甘い、この野菜の甘さが辛口のカレールーとマッチして絶妙のハーモニー。 涙を流しながら(本当)食べ終え至福の一時、自分の料理の腕前に感謝、感謝(^^)。 でも昼食はちょっと失敗、葉唐辛子で焼き飯を作ったんですけど・・・、何だか葉唐辛子入り焼きオニギリと言った方がぴったりなものに、何故~?。鰹の酒盗で焼き飯を作る時の様に醤油をちょっと入れれば良かったのかな、またチャレンジしてみたいな。 補給物資のひとつ、烏賊の干物でビールを飲んでいます。身の厚い真烏賊で作ったもので味が濃くてとても美味しい、もちろんビールも(^^)。干物とか、そういった物って地方によって味付けとかが違って面白いのですが、やはり断然田舎の物が美味しく感じます。幼い頃から食べ慣れているからでしょうけど他の地域の物とは一味も二味も違うと感じます、こんな時はどうしても様々な風景が浮かんできてしまいます、来月には1度帰ろうかなぁ。 さあ、明日は行きますよ、印旛沼へ、でも・・・、天気は大丈夫かなぁ。あまりにも風が強い様なら他に行こうと思ってますけど、でも行き先は全然考えてない。起きてからだねぇ、慌てずのっそり、でも飲み過ぎには気を付けないとね~。 |
1999年3月5日(金) |
今日も何だか蒸し暑いっす、東京の最高気温は19度とか・・・、最早冬じゃ無いっすよ、これじゃ。昨夜は「伝説のカノン王国」にハマってしまい気がつけば2時を過ぎていました(^^;)、慌てて寝たんですけどもう手遅れ、はわぁ~、眠い1日でした。 「カノン王国」、他のプレイヤーと遭遇する事が有るのですがその時、相手が自分よりレベルが上だと辻斬りじゃないかと思い込み挨拶もせずに立ち去ったり、自分よりレベルの低い人に出会ったら思わず「HPは大丈夫ですか~?」と聞いてみたり、自分の性格が反映されてなかなか楽しい。 以後も「黄天祥」の名に恥じないようなプレイ振りを見せ付けていく所存、究極のレスキューマンってかっこいいかも。 多分今夜もどっぷりとハマっていることでしょう、他にもやりたいことはたくさん有るのに。リンクページの模様替えもさっぱり進んでないし、何時終わるかの見当すらつかない状態になってます。 あ、それと3月1日くらいから更新をかけているのに更新されない状態が続いています、原因はまだ不明で当然対応も遅れています、もしかしてこれが'99年3月問題ってヤツか?。ご迷惑をおかけしておりますがどうかご了承ください、早急に、出来る限り早急に対処します~。 とか言いながら明後日、何処に行くかを考えています、俺ってダメダメ人間~(;_;)。 |
1999年3月4日(木) |
昨日までのあまりの暑さに今日はコートを着ずに出勤、ちょっと肌寒いが良い心持ち。でも今日も寝坊してしまいました、ちょっとの時間なんですけどね。何時もなら無意識のうちに目覚しを止めて寝ているんですけど今朝は鳴っているのにもかまわず寝ていました、これは相当疲れている証拠、しかし寝坊した分ぐっすりと眠れたお陰で体調は万全、良かった良かった(^^;)。 で、通勤途中でのの出来事、本八幡駅の階段ですっ転んでしまいました(^^;)。その時右手には何時ものようにリュックを提げていたんですけどそれを放り出して手を付いてしまいました、そのリュックの中にはデジカメとか、大事にしている物が入っていたんですけど…。そんな物よりもやはり自分の体が1番大事だと考えている事に気付かされてしまいました、誰だって咄嗟の場合にはそうなのかもしれないですけどねぇ、ちょっぴりショック。 昨夜の「ニュースステーション」で全国の自治体(都道府県)の情報公開度ランキングを発表していました、千葉県は7位、徳島県は16位となかなかの健闘ぶり。でも両県とも無茶やってんですよね、その無茶の部分って基本的に公開されていない、それでこの順位って言うんだから何だかねぇって感じ。 でもまぁ、開かれた自治体、って言うか政府って言うのは何とも気持ち悪いもんだ。それでも軍事情報とか、国家機密以外は公開されていくようになるんでしょうね、僕的には良いとも悪いとも言えませんが。 「もっと国民に解り易い言葉で政治を語ったり、解り易い政治を行ってくれ」て言葉(意見)を良く聞きますがそれも何だかねぇって感じ。解り易いってどういったレベルで解り易いってのかが良く解らないし、それに万人に解り易い事って絶対的な真実か、もしくは嘘か麻耶化しくらいのもので元々がなんだか良く解らない、究極の麻耶化しみたいな政治に対してそんな事を求める方が変だとか思ってしまいます。 「規制だらけで閉塞的だ」とも言うけどそんなのお構い無しにやっている人達はいるし、言い方を変えればそれにかこつけて、と言うか言い訳にして何もしない人や、そういった物を壊してみようとチャレンジしようという人が如何に少ないかを表しているようで寂しい気持ちになったりします。 大体が御上の顔色を窺ったりべったりし過ぎているような気が、あんなの全く相手にしないでもやっていける方法は有ると思うのだが。強請りのような無茶な規制など本当に嫌なら法廷闘争でもなんでもやりゃあ良いのに、自分の意志を行動に表せないような人が「規制だらけで云々」っていった事は口に出しちゃいかんような気もします、つってもそんな事出来るような人はあまり居ないんですけど。 その国の政治や経済のレベルはその国民のレベルに等しいと言われるように、自分が不勉強なのを棚に上げて政治家の言葉の使い方を責めてみたり、銀行の経営陣を責めてみたり、そんな事ばっかりしているようじゃ何時まで経っても状況は良くならないだろう。 政府や国家なんて生活を行なう上での基本的な部分を司る単なるシステムのひとつでしかないのだし、そんなモノに何かを求めようとしたりすること自体変な事のような気もするし。 とりあえず税金を納めて法律(やルール)さえ守っていれば余計な干渉はされないんだから良い国といえば良い国、それ以外の部分は自分の力で何とか出来るようにしないといけないんだろうけど、果たして出来るのだろうか。 そんな事より明日は金曜日、今週も何とか乗り切れそう。土曜日は動けないので日曜日、どうしよう、何処に行こうかなぁ。先週は手賀沼だったので今週は印幡沼とか、このままじゃ千葉県沼紀行とかになっちゃいそう。 バイクで、って事も考えたんですけど土曜日からはまた寒くなるそうだし、ヘタレライダーの僕にはキツイばかり、早く春が来ないかなぁ。思わず春よ来いとか唄ってみたり、でも歳経た「みっちゃん」が唄ってみたところで春など来ないのだという事に気が付いて愕然とする、バカだ・・・。 今日から「伝説のカノン王国」、始めました。まだ弱っちい上に名前が「黄天祥」、・・・なんておこがましい(^^;)。場所はこちら(http://kanon.cplaza.ne.jp/)、もし出会っても石は投げないで下さいね~(^^)。 |
1999年3月3日(水) |
いやはや、今日も暑かったでごんす、でも夕方近くなってから曇ってきたので帰りは左程でも。僕はといえば相変らずデスクの上でリストと火の出るような熱いダンス、それでも漸く目処が立った、明日には終了出来そうです。でも・・・、次の仕事もまたリストとの格闘になるんだろうなぁ(--;)、ぐむぅ(;_;)。 そんな訳で今日も早く帰宅、時間が有ったので昨日の日記などを見てましたが・・・、あれだね、疲れてると文章もめっきり沈んだものになっちゃいますね、今日もそうなっちゃいそうなんですけど。 昨夜の「万物創世記」、夢ねぇ。暫く続いていた悪夢も漸く見なくなり最近は睡眠時間が短くなった以外は概ね快適な睡眠ライフ、でも悪夢を見ない代りに普通の夢まで見なくなってしまっています。夢、見ていないと人間もその他の動物も狂暴になって最後には死んでしまうそうな。それほどまでに心の安定に寄与している夢、現実世界で見る夢も寝ている時に見る夢もやはり明るく楽しいものが良いようです。 ところで僕にも人並みに夢が有ったのだが残念ながらそれは叶いそうにも無い、その夢、プログラマ、と言うかソフトウェアエンジニアを志した人なら必ずと言っても良いほど抱くもの。実はつい最近(24歳くらい)まで持ち続けていたのですが流石に自分の実力やその他条件などを考え合わせた結果無理だという結論に達してしまって、それでも「僕は諦めないんだ、だって男の子だもん!」とか決意を新たにしてみたり。 その夢を会社の面接に行く度に担当官に向かって言っていたんだよなぁと思い返して頬を赤らめてみたり、そんな若かりし頃(と言ってもそんなに昔の事じゃないんだけど(^^;))の事を考えると目も眩むばかり、本当に無茶な事を言っていたよなぁ。で、その夢を語る度に担当の人達は一様に口をあんぐりと開けて呆れるか、もしくは苦笑いするか。「くぅ~っ、こいつら何にも解っちゃいねぇ!」って僕は僕で憤慨してみたり、そんな事を繰り返していると何だかやっぱり無茶な事を言っているのかなぁと思ってきたりもするのですがそんな時には、「い~や、挫けないさ、俺は正しいんだ~!」って自分を無理矢理納得させたりなんかして、やっぱり無茶なヤツだ(^^;)。その夢が一体何なのかは内緒、この仕事を続けていく以上ずっと持ち続けていくのでしょう、そんな人事みたいに(^^;)。 夢のメカニズムなど、なかなか解り易く解説していましたがまだまだ謎な部分が多い。でも、夢は夢のままで置いておいた方が良いのかも、現実世界の夢だけで手一杯になっちゃっている僕にとってはその方が気が休まるし、それでも解明されていっちゃうんだろうなぁ。来週は科学者の夢だそうな、多分僕と同じ種類の人間だと思われるので今から楽しみ、頑張れ科学者の皆様~。 「ニュースステーション」ではドナーカードを所持する人が増えているといった事を、今度の移植の影響だそうですが。やはりあれだね、リアルタイムで映像を見せつけられると嫌でも考えてしまいますもんね、そして行動に移してしまう。多分持っている人の、そしてこれから持つ人の殆どは臓器を提供する意思の有る人なんでしょうね、っていうかそもそも提供しないって人がドナーカードを持つ事、貰いに行くって事が珍しい事だもの。 それでも、提供する、しないに関わらず持っていた方が良いのかもと考えています。どっちにしろ自分の意思表示だけはしておいた方が良いかと、私語に無茶される心配も少なくなるし。 昨夜は夢の話の影響も有り早く寝ました、お陰で疲れも取れなかなかの体調、でもやはり夢は見られなかった。ツマラナイけどしょうがない、疲れきっちゃっていると夢も見ないほどに深い眠りに入っちゃうんだし。 でも楽しい夢はやっぱり見たい、寝る時に楽しい音楽を聴きながらだと見られるのかなぁ、だとするとやはりあの曲か・・・、へっへっへ~。さぁ、今夜も爆睡だ~!。 |
1999年3月2日(火) |
今日は暖かい、いや暑い1日でした。3月に入っていきなりこれじゃ体が持ちません、朝の電車内から汗だくで出勤、こんなに暑いのに暖房効かせてんだもんな~。仕事場も同じ、エアコンとマシンからの放射熱ですっごく暑い、洒落になんないっす。 今日の仕事はテスト結果の再鑑、遂に僕も人に突っ込む側に成り上がったのかとしばし感動、でもやることはリストのチェック、そう、仕事内容は昨日までとさっぱり変わらない。目の前に山と積まれたリスト、数の暴力なんてもんじゃない、高さは1メートルほどは有ろうか、これを今週中にチェックしてしまわないといけないらしい。商業高校卒なもんでこういった作業は苦手じゃないんだけど嫌い、でもやらなきゃいけない事だし、仕事と割り切ってやっちゃうのもなんだか味気無い。ま、そんな訳で今週もずっとリストとの睨めっこをする事が確定、頑張ルンバ、ユンケル1本ちょうだ~い(;_;)。 昨日帰社するのに品川駅から山手線に乗った時の事、1番前の客車に乗ったのですがそこには仕事帰りの職人風の男が。全く気にも留めずに吊革に掴まり発車するのを待っているとなかなか発車しない、どうしたんだろうと思っていると件の男が駅員達に車外に連れ出されている。で、その後の構内放送、「只今、車両整備が終了致しました、まもなく発車します」。その男、酔っ払っていたのか車内で座り込んだり乗客に絡んだりとかしていたらしいんだけど、車外に連れ出されるのは当然としても車両整備って(^^;)。う~ん、確かにそうなんだろうけど何だか凄い表現だなぁ。 田町で京浜東北線の快速に乗り換え秋葉原へ、途中いろいろと考え事。先程の事といい酔っ払いには住み難い世の中になってしまったようだ、今の社会、素面で酔っ払いよりとんでもない事をするヤツがたくさんいるのにねぇ。こんな事では真に酔っ払いと言える者達が出現し難い世の中へとどんどん突き進んでいってしまいそう、あ~あ、嫌だねぇ。 リストとの睨めっこで思い出したのだけれど前の仕事(漁師ではない)も勤務先は銀行だったのでとにかくリストとの格闘が多かった、特に3次オンと統廃合の時は凄かった。さくら銀行だったんですけど僕が勤務し始めた頃はまだ太陽神戸三井と名乗っていた頃、で合併に伴った統廃合をしていたんですけどその検証要員として僕が駆り出されたのでした。メンバーは僕を含めて5人(少ない(^^;))で金曜日の夜からから電算センターに泊り込みで作業し土曜日の午後に終了するといった事が数週間続きました、いろいろと学んだ事は多く楽しい期間でしたがやっぱり体力的にはツライ。 その検証要員の他にも面倒な作業が有る時には何故か僕が駆り出されていました、当時は気にも留めなかったんですけど最近思い当たった事が。作業前にはメンバー全員で食事に行く事が多くその殆どに於いて酒が(少量では有りますが)振る舞われていました、僕はそれが楽しみで付いていっていたようなものなんですけどどうやらそれがバレていたらしい、要するに「メシとサケさえ与えておけばどんな作業でも文句を言わずにやる」と思われていたようなフシがある。う~む、目の前の誘惑に弱いってのは当時からそうだったのか、そしてさっぱり成長していないらしい、困ったもんだ。 しかし今考えてみるとよくあんな量の検証を5人でやってたなぁ、最終的には3人でやってたし。関東圏の支店の入払チェックやら残高チェックやら、そんなのを電卓片手にチェックしまくる、働く漢の凛々しい姿だ(笑)。何処の支店の預金残高が多いとか、そんな事が良く判って面白かったですけど犯罪に走る人の気持ちが理解出来んでもない、確かにそそられるものが有るから。ちなみに預金量が多いのは郊外、特にベッドタウンに有る支店が多いです、都心はそれほど、と言うか拍子抜けするくらいに少ない、当たり前といえば当たり前な話なんですけど。 帰宅した後もあれやこれや、ヨコハマを初めて読んだ時の事とか、そんな事など思い出しながらしばしボ~。最近は酔っ払うと昔の事が鮮明に思い出されてきて面白かったりヤだったり、こうなっちゃうとオジさんなんだろうなぁ(^^;)。 ガミガミ魔王さんが言われるところの「漢のロマン」ってヤツが理解出来るようなオトナになってしまったって事に1番戸惑っているのは僕自身かもしれないですけど、だけどもオトナなんだからしょうがない。だからリストを見てるだけじゃつまんな~い、なんてトボケた事を言っていないで全力で取り掛からないとね、でも数秒で返り討ちにあってしまいそうですけど。 さて今夜こそ早くねますよ、ここの所ず~っと言ってますが。でも実行出来ないんだよなぁ、何でだろ、このままじゃ電子ちゃんに「困ったちゃん!」なんて突っ込まれてしまいそう。それでも夜更かししてしまいそうな今日この頃の僕、そんな僕に東京電力から素敵な贈り物が、6千円を超える電気代の請求書、謹んでお返ししたいものですが受け取って頂けるのでしょうか?、電子ちゃん!。 |
1999年3月1日(月) |
相変わらず寝られない、弱ったものだ。それでも元気に出勤、あ、ゴーゴー!。ううっ、空元気のみが味方さ~(;_;)、しかも仕事といえば相変わらずリストのチェックのみ、眠いよ~ん。 午後は帰社、当然酔っ払って帰宅。やらないと言っていたリンクページの模様替えを始める、でも・・・、手間がかかる~、これじゃ1日1ページくらいのペースでしか実行できない。1週間かけて地味~に模様替えをする事を決意、今日はCGページの「あ」を模様替え、全てあんな感じにします。 それにしても足の裏が痛い、昨日の影響がまだ残っているし。こんな時はさっさと寝るに限るのですが今日も早く寝られるかどうか、は~あ。 さて、新しい月が始まりました。3月と言うともうすぐ春だ~って妙な期待感と言うかそんなものがあります、でも本当にキツイのはこれから、天候や気温なんかコロコロ変わるし、体調に気をつけて頑張っていきたいですね。と今月もやるぞ~って決意した所で酒でも飲みますか、って飲んでないで寝ろや!、ホント・・・。 |
1999年2月28日(日) |
寝るぞ寝るぞと言いながら寝たのは4時過ぎ(^^;)、でもって起きたのは9時30分、最早太陽は昇りきっていて朝日が眩しい。とりあえず出掛ける仕度を始めようとしたのですが体が動かない、それでもシャワーを浴びれば多少回復、10時過ぎには出発出来ました。 だったんですけど部屋を出て数10メートル行った所で時計を忘れている事に気付きリターン、本当に最近は物忘れが酷いなぁ(;_;)、気を取り直して10時10分に再出発。今日の目的地は手賀沼、久し振りの散歩なので歩くだけ。手賀沼公園にてデジカメのテスト撮影などして帰ってこようといった計画、予定では5時間ほどで手賀沼公園へ辿り着けるはず。 部屋を出て国道14号線を船橋方面へ、県道59号線へ合流して北上、中山競馬場を11時丁度に通過。現在開催中なのかどうなのか知りませんがとにかく込んでいました、帰りは武蔵野線を利用する予定なのでちょっと心配になる、船橋法典駅から込むんだよね~、どうしても。ここ藤原から上山町までは所々に農家の方の御宅が有り、その殆ど御宅の庭には梅を植えていました、既に開花しておりとても綺麗、本当、これだけの庭なら梅見などさせてもらえないかなぁと本気で考え込む。 馬込町十字路で県道8号線に合流、更に北上する。今日はトレッキングブーツではなく久し振りにスニーカーを履いてきたのですがこれがとてつもなく軽い、まさに素足感覚。普段重い靴を履いていると軽い靴を履いたときにちょっと違和感があります、何だか自分の脚じゃない~って感じで。重い靴を履いていると知らず知らずのうちに脚が鍛えられているからなんでしょうけど、う~ん、駄目だ、完全にオーバーペースになっている。 沼南町大島田で国道16号線とクロス、この16号線、横須賀の観音崎から富津の富津岬まで通じている道路。何時かこの16号線を走破してみたいと思っていたのですが交通量が多すぎるような、歩道橋の上で暫く眺めていましたが意気は萎え萎え、う~む。 手賀沼大橋へ辿り着いたのは良いですがとてつもない強風、横殴りの風邪に呼吸も出来ないほど。手賀沼公園へ到着したのは15時15分、予定通りほぼ5時間で辿り着きました。こちらは大橋上と違って天気は穏やか、市民の憩いの場としてなかなか賑わっている。ここで10数枚の写真を撮り我孫子駅へ、手賀沼公園での滞在時間は20分ほど、何しにやって来たんだか(^^;)。 武蔵野線の車内から外を眺めていると自分が普段生活している所が如何に真っ平らでだだっ広いかが良く解ります、さすが関東平野~って感じで。夕日を受けてオレンジ色に染まって行く風景を見ながらのんびりとした気分になっていたのですが船橋法典駅でいきなり野郎臭くなる、はい、中山帰りの人が大量に流入してきたからです。それにしても凄い数、通勤ラッシュと違った雰囲気に目が回りそうになる。 そんな感じで終わった今日のお散歩、ただただ疲れきっちゃいました。足の裏は凄い事になってるし(^^;)、やっぱり2週間も空けちゃ駄目だね。コンスタントに長時間歩いていないとすぐに筋肉など衰えていく様です、それでも歩き出してからはちゃんと機能はしていた様ですが。 写真は撮るには撮りました、本当に全て習作といった感じですが。もっと色々撮りたかったのですがまぁあれだけでもこれからの撮影の参考にはなるかと、細かい部分を表現する手法を編み出さないとやや不安ではありますが。 さあ、今日こそは早く寝ますよ、リンクページの模様替えは火曜日以降、今日も明日も何もしません。疲れているので寝つきは良さそうです、が、あまりに良く眠れ過ぎて寝坊などしない様に気をつけないと。明日から3月、また新しい気分で仕事に遊びに頑張りたいですね、あんまり遊んでいる暇は無さそうですけど。 それではこれにて、オヤスミナサイませ~。 |
1999年2月27日(土) |
午前中は曇っていてしかも午後は曇り時々晴れ、こんな天気じゃ何処にも行く気になれないよう、しかも洗濯物を外に干しているし。そんな訳で今日も部屋でずっと過ごす羽目に、それでも幾つかの収穫が有り有意義といえば有意義な1日でした。 1番はなんと言っても「にゃんこ先生」でしょう、日々のあれこれに載っけた写真のネコです。ここの所見掛けなかったので寒さのあまり冬眠したのかとも思っていたのですが元気そうで一安心、このにゃんこ先生とはここに移り住んでからの長い付き合いです。付き合いといっても特別な関係は無くただ何となく意識しあって生活しているといった感じ、にゃんこ先生、何故だか僕んちの周りが大好きなようなんです。 例えば寝るとか毛繕いをするとか、そういった事を僕の部屋の扉の前とか窓の下とかでしているんです、他にも場所は有るだろうに。どうやら日溜りが出来やすくしかも住人があまり部屋に居ない事がその理由の様です、それに僕がネコ好きなのであまり邪険にせず、またベタベタしないことも理由のひとつの様です、でも相変わらず警戒心は持たれているようですが。 帰宅した時に部屋の扉の前で寝ていると部屋の中へ入れないのでその辺をグル~ッと1周して来たり、窓の下で寝ているときは驚かせない様に洗濯物を取り込んだり、とにかく僕の方が一方的に気を遣っています。と言っても相手は歳を経ているとはいえやはりただのネコ、妙な威厳と言うか雰囲気は持っていますがこっちに気を遣うという事はまず無い、当たり前ですが。 それでも真夜中に帰ってきた時に部屋の周りで近所の子供がラジコンカーで遊んでいるのをじっと見詰めていたり、今日なんか塀の上からエアコンの室外機に飛び移るのに1分くらい躊躇っていたりとその挙動を見ているととても愛らしく思えてきます。やはり歳には敵わないようで次第に動きがのっそりとはしてきていますがそれでもまだまだ現役の模様、その歳ゆえ何時までもって訳にはいかないでしょうけど僕の部屋の周りで宜しければ何時でも遊びに来てくだされ、にゃんこ先生。 ニュースを見ていたら臓器提供関連でのことが。ドナーカードを何時も携帯している人は(アンケートでは)2.6%、これから持ちたいと考えている人は24%。そして臓器提供したいと考えている人は31.6%、しないと考えている人は37.6%でしないと考えている人の方が若干多い模様。で、気になったのはその後の放送内容、中でも20代から30代の女性が最も臓器提供をしたいと考えているそうで40%の人が臓器提供をしたいと考えているそうな。それは結構な話でやるなぁ女の子などと考えていたのですがその時のナレーション、「20~30代の女性が最も臓器提供に対して理解を示している」、この部分にカチンと来てしまいました。 そしたら何かい、臓器提供をするといった意思を持つ以外の人はみんな臓器提供に対する理解は無いって言うんかい!、とテレビの前で突っ込み。まぁ確かに表現しにくい部分ではあるし他に適切な言葉が浮かばなかったってのもあるんだろうけど、でももうちょっと違う言い方も有るんじゃないかなぁ。ドナーカードのパンフレットに書いてあるキャッチコピーと言い何だか提供しないって事が悪い事だっていうように思えてしまうような表現方法が目立ってちょっとヤな感じ、今の所提供しないって胸張って言えるような環境では無い様です、尤もそんな事は胸張って言う様な事では無いですが。 今回の高知での臓器提供に対する報道だってそう、あんな事をやってたんじゃこれ以降臓器提供をしたいって思う人が減っちゃうかも、特にその家族の人はイヤになっちゃうだろうなぁ。主治医の先生や病院側の姿勢には好感が持てましたがあの報道ぶりはねぇ、今更40代女性って言い換えたからってだからどうしたって言いたくなるし。 明日は今日行けなかった手賀沼へ、天気も良くなるそうですし今度こそは。あ~、早く明日にならないかなぁ、イヤな事は全部忘れてテクテクと歩いて行きたいですね。そのうち霞ヶ浦にも行ってみたいです、でもこちらへはバイクじゃないと辛いだろうなぁ、バスで行って周辺を1周するってのも良いかもしれないですが。 さてぐっすりと寝て明日に備えますか、それではオヤスミナサイませ・・・、って訳にはいかないんだよなぁ。これからまだまだ色んな作業が残っている・・・、だ~れか~、たぁ~すけて~ぇ!(;_;)。 |
1999年2月26日(金) |
結局雨は降らず終い、傘を持ち忘れた僕は一安心でしたが最近忘れ物が酷すぎ、もう少し気をつけましょう。しかも今日は寝坊までする始末、気が付けば何時もは家を出る時間になってしまっていた。きゃ~、久し振りの皆勤賞がピ~ンチ!、10分で仕度を整え急いで駅へ、焦っていたにもかかわらず市川駅では電車を2本スルー、それでも仕事場には定時の10分前に到着。う~ん、それ程焦る必要も無かったか(^^;)、まぁ早く着くに越した事は無いしそれにこれで7時30分から8時までの市川駅での総武快速線の到着時間や車両毎の込み具合を把握できたし良しとしよう。 今日も仕事はリストとのにらめっこ、大量の検証物を前に早くも意気喪失、それでも・・・、それでもやるしかないんだ~!。諦め顔で突貫するも僅か数分で討ち死に、月末だってのに何やってんだか(^^;)。 高知県では初のドナーカード保持者による脳死移植が行われるかもしれないという事で昨日からてんやわんや、ドナーカードを持っている僕としても他人事ではない。もっとも僕の場合臓器提供はしないのですけど、でもやっぱり気になる、やる気に逸らず本当に正しい脳死判定が出来るのだろうかとかね。 1度目の脳死判定では脳死にあたらないといった結果でしたがこれがただの儀式ではない事を祈るばかりです、とか言って疑ってばかりじゃ馬鹿っぽいんですけどね。でもどうしてもこういう事って現場が走っちゃうんだよな~、妙に萌えちゃって、テレビ局も何だか張り切っちゃって何だかヤな感じ、まあしょうがないんだろうけどねぇ。 そんなこんなで安全運転、この年で不慮の事故死ってのは避けたいもんね、暫くは磯子~横浜間の散歩は凍結。当分の間は近所をうろついていようかと、何かと撮りたいものも有るし、でも桜の季節までには再開したいですね~。 明日は手賀沼へ、寒くなりそうですけども張り切って、GO~っす~。 |
1999年2月25日(木) |
いや今日は良い天気でしたね、このような天気の日には外に出てのんびりとしたいところですがそうはいかない、山積みのリストとの格闘が待ち受けているのだ。漢として避けては通れぬ道と覚悟を決めて取り組み出すも折りからの陽気によって僕に睡魔が襲い掛かる、うぬう、何の此れしきのことと頑張ってはみたもののほんの数刻でダウン。 天気が良いのも良し悪しで日当たり良好な場所ではさっぱり仕事が捗らない、こんな事では社会人、いや仕事人として失格でありますなんて思ってみたり。でも本当に日当たりが良いですよこのビルは、明るさも明るすぎるくらい明るいし、仕事場の環境としてはどうなんだろうとは思いますが。息抜きが出来る場所が多いのは歓迎出来ますが息抜きの合間に仕事をするようにはならないようにしないとね、既にヤバげな雰囲気ですが(^^;)。 このホームページも開設してからもうすぐ6ヶ月が経過しようとしています、開設以来殆ど僕の不満(ストレス)の捌け口のようになっていますけれど(^^;)。三日ボウズ的なトコロのある僕にしてはこれだけ持っただけでも上出来、更により良いホームページ作りを目指していきたいものです。 相変らずセンスに欠ける構成やレイアウトですがこれってやっぱり行き当たりばったりで作っているからなんだろうねぇ、ちゃんと設計から手掛けるといった事をやらないと駄目っぽい、でも僕、図工は苦手だったんですよね~、う~む。 今日の収穫は富士山、夕方には夕日を背負ってくっきりと浮かび上がってきます、綺麗なんですけど最高のヴューポイントがトイレっいうのはどうもね(^^;)。もっと高い階に行けば綺麗に見られるのかもしれないですけど低い階からですとビルに埋もれてしまっています、毎日いろんな発見が出来そうですがそんなことばっかりしていないで仕事もしろよといった声が聞こえてきそうですね。 さあ明日は金曜日、ラストスパートです、でもスパートかけられる体力が残っているかなぁ、とても心配。ここ2週間ほどは休み無しでずっと働いていたような気分、休日にもPCの前に座り続けていたし。今週末はきっちりと休息を取りたいですね、もちろん散歩にも行きます、改装の仕上げもしたいし・・・。うぇ、休んでいる暇が無いよ~う(;_;)。 |
1999年2月24日(水) |
朝、傘を持って出ようと思っていたのですがしっかりと忘れる、若年性アルツハイマーである僕の面目躍如・・・、(T_T)。まぁいいや、どうせ職場に置き傘してあるしと気を取り直してみてもやはりダウナーな気持ちは盛り返せない。今日は忙しい中にぽっかりと空いた極めて暇な1日、窓の外を眺めながら優雅にお茶でもと考えていたのに生憎の雨、つまんないよ~う。 それでもお茶(十六茶、午後の紅茶)と数種類のチョコクッキーを用意してのんびりと、午前中はちょこっとした仕事を片づけて14時頃から本格的にティータイム、仕事もしないでこんな事していて良いのかという思いは何処へやら、すっかりと寛いだ雰囲気で雨の降る品川の風景を眺めていました。 品川駅の横須賀線のホームの1番北寄り(新橋方面)からは暗くなるとライトアップされた東京タワーが見えてとても綺麗です、でもホーム上はそれどころじゃない、ホームから人が溢れんばかりの状態になってます。ラッシュ時には便数を増やしているとは言えまだまだ少ないようです、横須賀線、もう少し便数を増やして頂きたいものですね。そのような状態にもかかわらず東京タワーを眺めて綺麗だな~なんて考えられる余裕の有る僕って相当な大物か、それとも歴史上類を見ないお間抜けさんか、冒頭の事を考え合わせるとどうやら後者のようですが(^^;)。 「窓の外は雨、暖かい部屋の中で外を見ている猫が居る」とは谷村新司の曲、かなり昔の曲なのですがはっきりと覚えています(曲名は忘れましたが(^^;))、何故だか雨の日には頭の中でリフレインしまくっています。この曲と「冬の雨なら今ここで~」ってヤツが双璧だったりするのですがこのように古い曲を知っているようではやはりオジさんか、あとはB'zの「TIME」くらいしか思い浮かばない。 で、最初の曲、「幸せだろうか、不幸でなければ夢など見なくても生きてゆけるものだろうか」って続くんですけど当時14歳であった僕には相当なインパクトが有ったようで、そんな訳で未だに覚えています。一体当時の僕がこの曲にどのような感銘を受けたのかは覚えていませんが、何と無く解るような気もします。 もしかしたら当時の僕は未来の僕ならその(曲の)意味とか秘められた想いとか自分が抱いた感情が一体何なのかとか、それらの事を解き明かせるのではないかという期待を込めて覚えたのかもしれないですけどそんな事すっかり忘れてしまっているもんね。そう考えてみると解らないなら解らないなりに呑み込んでみるとか、その時その時の疑問や問題はそれに気付いた時に(例え中途半端だったとしても)処理していかないと先送りしてみたところで解決は出来そうにも無い。ひとつひとつ、そうしていけば先々それらのものがリンクしてひとつの大きな解答を導き出せるかもしれない。 分かり合える話し相手じゃないと話していてつまらない、とよく聞きますが逆に僕は分かり合えない、もしくは共通の話題の無い人の方が話していて面白いと感じます、へそ曲がりですか?(^^;)。だってお互いが知っている事の内容の再確認をしてみたところで面白くないし、全然違う考え方をする人の方が新しい発見が有ったり知識が得られたりで楽しいんだもの。 そんな訳でオジさんやお爺さん達とも話をする事が有るのですが、はっ、もしかしてそんな所からオジさん化が促進されているのでは?。それはともかく、話をしてみて面白いのはやはり現場の人達、って職人さん達ですが。比してサラリーマンの方々はあまり面白くない、話題が合わないとかそういうことではなくそれ以前にあまり話題が豊富でない、と言うか世の中の事をあまり知らないから、そりゃまあ仕事ばかりしているとそうなっちゃうんでしょうけどね。 これじゃ家族と会話しろって言ってみたところでね~、かなりの無茶のような気もしますがでも聞き手に徹する事によって得られるものは結構有ると思うんですけどね。 職人さん達の経験から生まれた言葉はやはり重くて聞いてみたところで理解出来る事などそうはないのですが、それでも後々あの時の言葉はこういったことだったのかとふと思い当たる事が有ります。そういった事も有るので出来る限り会話をしているのですが、長い文章とは違って単語では伝わり難いものも有ります。その前後の内容から察するしかないのですが、だからと言って長けりゃ伝わり易いってものでもないし。 適切に想いを表現する事が出来れば、って思った事は幾度となく有りますがなかなかどうも。相手の言葉や想いを的確に捉える事が出来るようにもなりたいし、言葉が最も正確でしかもあやふやな(意思の)伝達方法である限りこういった努力は不可欠かと、同時に最も難しい問題(宿題)でもありますが。 とか書いてるそばから何が言いたいのか解らなくなっていってますが(^^;)、やっぱり言葉は難しいや!(笑)。そんな事をだらだらと考えながらゆったりと過ごした午後、暇って良いなぁ!(爆)。つってもこんなの1日(実質的には半日)だから良いと感じるのであって、これが数日続いたらすごく嫌だろうなぁ。そう考えるとだらだらしていないでもっと有意義な過ごし方をすれば良かったと少し反省、でもだらだらも良いものですぞ。 適当に買ったチョコクッキーもなかなかのものでした、中でもLOTTEの「ZERO」、シュガーレスでしかも何気に栄養調整食品だったりします。パッケージには「おいしく栄養バランス、ココアダイジェスティブ」の文字が、ココアダイジェスティブとは何ぞやと思わず突っ込みを入れたくなりますが解らんでもない。でもこのチョコビスケット、1箱当たり403キロカロリーも有るんですけど(^^;)、どこがダイジェスティブなんだと再び突っ込み、凄すぎるぞLOTTE。 最近お気に入りの紅茶はダイドーだったと思うんですけど「アールグレイ」、ペットボトルのしか見た事が有りませんが、しかもam/pmのみ。もちろんインターシティ内に有るJustSpotでも見当たりません、美味しいんですけどね~。 コンビニって自分のお気に入りの商品が置いてないと何故かむっとしてしまいますよね、僕だけかもしれませんが。これくらい置いておけよ~って、かなりのワガママぶりを発揮しているんですけどよく考えてみりゃコンビニにって商品の種類は少ないですよねぇ、しかも安くないし。でもあの便利さにはかなわない、今日もまたヘロヘロと明かりに吸い込まれていく事でしょう、気が付けばコンビニ無しの生活が考えられなくなっている、いかんなぁ。 やっと給料日がやって来ました、そしてドバドバと必要経費が引かれていきました、電気代もガス代も安くなるらしいですけどその程度じゃ屁の突っ張りにもなりません。タバコ代は昨年に上げられてしまったし、ますます我が家は財政難。タバコ代、200円台のものが値上げされたのは良しとしてもゴールデンバットが値上げされたのは今でも腹が立ってます。唯一百円玉1個で買えるタバコだったのに(;_;)、110円になってしまってはその価値も半減、せめて100円にして欲しかった。 ここ数日間ずっとバットを吸っていたので尚更そう思ってしまいます、しかもJR東日本は旧国鉄債務の返済の為の分担金支払を受け入れたそうだし、何の為の値上げだったんだ。 ま、いいや、今更どうしようも無いし。あぁ、最近諦めてしまう事柄が多くなってきているでござるよ。ざっくりと切り捨ててしまう事は簡単なんですけどそれをもう1度繋ぎ合わせようとするとその何10倍もの労力を必要とします、もう少し根気良く保ち続けていこうとは思うのですが残念ながら今は大量消費時代、夢も願いもほいほい使い捨てられるものなのかも、有り難味の無い世界だねぇ。 |
1999年2月23日(火) |
暖かい、と言うより暑いですね今日は、暖房が効きまくってその上マシンから発せられる熱によって仕事場はまさに焦熱地獄のようになってました、午前中は。午後からはさすがにエアコンの設定温度が下げられて涼しくはなったものの物凄い陽気ですね、この陽気では明日は寒くなるといった事が嘘のように思えてしまいます、でも寒くなるんですよ、困ったもんだ。 デジカメは順調に作動しています、後は僕の腕だけ、こればっかりはどうしようもないですけど色んな物を撮って徐々に慣れていこうかと、日々のあれこれも始めた事だし。これは日々の生活の中で気のむくままに写真を撮っていこうというもの、でもこれを撮ってやるぞ~って気合いを入れている時ほど巧く撮れなかったり気後れして撮らず終いだったり、なかなか上手くいかないものです。 でもやっぱりリアルタイムで載っけられるのって良いですね~、その辺の色んな物を撮ってみたいですね、風景に限らず小物とかも。画像の方は・・・、やはり今一つの感は否めませんがでもスキャナで取り込んだものに比べれば格段の良さ、これだけでも買った甲斐が有ります。 んじゃまぁ土曜日からの出来事など。 土曜日、デジカメが届くのが遅くてやきもきしながらも工事開始、午後からは特番が幾つか有ったのでそれを見る。再放送ですがNHKの「街道をゆく」、今回は十津川村でした、十津川村、歴史の中に幾度となく出てくる村です。その外に十津川村といえば日本一高い吊り橋とかしか思い浮かびません、その吊り橋も放送中に出てきましたがあれはひとつの字(あざ)の人達が共同出資して作られたものだそうな。その昔あの吊り橋の上を地元の郵便局員さんがバイクで走り抜けるのを見て感動したものですが、その吊り橋に込められた思いは僕が思っていたものよりずっと強かったようです。長い歴史を経て形作られた人間の営みやそれを受け継いでいく手法など目を見張るものでしたが、あれほどの集落でもやはり外界と繋がっていないと生き抜いてはいけないのかと思うとやはり桃源郷ってものは存在し得ないような気になります。 その他の期待していた特番、全て駄目でした、民放は駄目だのう、その分工事は捗りましたけど。デジカメが届いたのは16時前、やって来たのはセールスドライバー、そして妙に爽やかに去っていきました。で、接続確認や試し撮りなどを済ませて外出、つったって近所のスーパーまでなんですけど。帰り道に撮った1枚が20日のトップに貼り付けてあった写真、マニュアルで撮った為に変な感じになってしまいましたが(^^;)、マニュアルにも慣れていかないとね~。 いろいろとやりたい事は有ったんですけど結局早目に寝てしまいました、年寄りは嫌だねぇ。 日曜日、散歩に行こうかと思っていたのですがずぼらパワーを発揮。ポポロクロイスを見ながら食事してその後はずっとTBS、炸裂スポーツパワーを見終わってから外出、ニッケコルトンプラザへ。デジカメ用の電池を買って店内をうろついていたらおもちゃ売り場を発見、でも近寄らないのさ、現在財布の中身は3千円、衝動買いをしている場合じゃないでしょうって感じ。でも家電売り場や台所用品売り場には足を踏み入れてしまいました、主夫の悲しさってヤツですかねぇ(^^;)。 最近の家電は安い上に高性能な物がたくさんあって衝動買いしやすくなってます、特に掃除機は凄いものが。最近掃除機の調子が悪いので買い替えようかなと思っていたので念入りにリサーチ、日立の軽業なんかが良さげ。台所用品では何と言っても鍋、そしてフライパン、でも高い。殆どの物が2千円以上します、でも高いと感じるのは今現在僕が貧乏だから、1万円も有れば大抵の物は揃ってしまいそうです、次の日曜日にでもまた来てみようと決心。 帰り道、写真を撮りながら。江戸川沿いを歩いてみようと向かってみたんですが見事に迷ってしまいました、気が付けば本八幡駅へと向かっていたという体たらく、情け無さ過ぎる~。しょうがないので帰宅してあれやこれやとやっていました、面白いテレビ番組、日中には無し。 夜には「鉄腕ダッシュ」、近所で迷っているようではとてもじゃないですけど富士山までは行けそうもありません、それにしても日本ってのはやはり外人さんには優しくないらしい。 ざっとこんな感じ、ざっとし過ぎですが。 昨日は1日中リストを見てました、テストの検証用資料ですが。おかげで目が変、疲れきっちゃってます。つくづくと目に悪い仕事をしているなぁと実感、プログラマと言ってもホスト系、それも銀行業務では身も心も擦り切れるばかりなり~。 そんなこんなで仕事も一段落、明日からはサポートに徹する事になりそう。サポートって言うと偉そうに聞こえるけど基本的には使い走り、いい年こいてパシリになろうとは、暇なんだからしょうがないけど。 暇になった分ホームページの構想に回せるから良いとして(^^;)、インターシティ内の散策も良いかも、もちろんデジカメを持って、色んな物をパチリといきたいですね。 それはともかく、日曜日のNHK「サンデースポーツ」、星野監督と山田PCが出演していました。何だかやる気満々の御二人、このままの勢いがシーズン中でも続けばと心に祈念しながら見ていました。それにしても星野監督、にこにこだなぁ、これまたずっと続いてくれると良いのですが。昨年は僕達ファン共々悔しい思いをした事だし、今年は是非と喜びを共にしたいですね、尤も我が家の酒代は勝っても負けても嵩む一方になるでしょうけど(笑)。 |
1999年2月22日(月) |
寝ます、じゃっ!。 て、3日続けてこれじゃあねぇ、でも今日も駄目、酔っ払ってます。もう醒めかけてますけどね、でも明日も有るし・・・、とか考える事自体オジさんか(^^;)。 全ては明日から、そう言う事で。酷すぎるなぁ、ホント。 |
1999年2月21日(日) |
何とか今日中にアップが出来るか?、現在23時55分。ごーごー俺、行け行け小次郎。 2日続けてこんなんで済みませんっす!、リンクはまだまだ改装中、っていうか手も付けてません(^^;)、日記の過去も明日以降。今週は何とか暇も出来そうだし今週中に全てを終えてしまいたいですね、それじゃっ!。 |
1999年2月20日(土) |
デジカメが届いたのは16時前、遅すぎる~。 でちょっとだけ撮って接確やって。その後はリニューアルの為の作業、でも全然リニューアルされてない(^^;;;。 そんなこんなで疲れた、じゃ、オヤスミ。・・・ごめんなさ~い(T_T)。 |
1999年2月19日(金) |
帰路、市川駅で乗り換えの為にホームに出てみると・・・。ちらほらと白いものが空から、初雪。尤も今年初めて見た雪は先週の磯子で見た雪だったのですがかなりの感動、ついでに寒さもひとしお(^^;)、さむさむと1人ごちながら家まで帰ってきました。 明日は今日より寒くなるそうです、そして明後日は明日よりも寒くなるそうな、恐ろしい話だ。散歩・・・、行けるだろうか。今日の雪は既に止み雨も上がってますがすごく心配、それにしても天気の変化が激しすぎる、予想していた事とはいえやっぱり体にも精神にもこたえます。 行けないなら行けないで家でやりたい事は山ほど有ります、でもせっかくデジカメも来る事だしやはり何処かに出掛けたいですね。ご近所巡りでもしてみようかしら、変化の激しい本八幡周辺なんか面白いんですけどね、毎日本八幡駅へと通っているのに気付かないうちに風景が変化している事などザラですし。お天気と相談しながら決めたいとは思いますが雨の日の町もその中にいると結構面白かったりします、雨の日だからと外へ出ないとなんだか損したような気分にもなります、遠出をしての散歩中だとイヤだったりもするんですけどね(^^;)。 デジカメ待ちで明日の午前中は缶詰状態です、久し振りに夜更かしなどしてみようかしらと思ってみたのですが体が受け付けそうも有りません、それに寒いし。何時もの時間に寝て何時もの時間に起きる、これでは何だか勿体無いような、でも生活のサイクルというかリズムは1度壊してしまうと元に戻すのは大変だし、といってこのままだとずるずるとオヤジ体質になっていきそうで怖いです。 じっくりと考え事をする時間や本を読む時間も欲しいですね、細切れに考え事をしたり本を読んでいたりすると何かを掴み掛けてきたように感じながらも中断後にはそれが何だったのか良く解らなくなってしまったりします。その掴み掛けてきたと思われる周辺から再び始めるのは大変だし、また何が何だか良く解らないものへと変質して行ってしまったりと非常に効率が悪いです。 時間を持て余していた頃には気付かなかったけどやはり時間はかなりの価値を持つものらしい、過ぎていった時間を取り戻す方法は残念ながら無いし。もう少し時間というものを大事に扱って過ごしていきたいなと考えながら、ややもするとボサ~っとしたまま1日を過ごしてしまったり、それはそれで楽しいんだけれども何処か勿体無い事をしたなと考えてしまいます。 何時も何かをしていなければとか考え事をしていなければと考えるのも無駄に自分を追い詰めているようで変な気持ちにもなりますけど、でもやはり何かしなければと切羽詰ったような心境にもなります。要するにもっさりする時間と暴れん坊モードに入っている時間とのバランスが悪いだけのような気が、どっちか一方にのみ走っている状態が多いように思われます。 1日の生活の中でメリハリをつけられれば最高なんでしょうけどそれほど(精神的に)器用な造りでもないし、やはりどちらか一方を抱え込んだまま1日を過ごす事が多いのでしょうね、これからも。 さあ、寒さに負けないようにしっかりと着込んで。右手にマウス、左手にはグラスを。もちろんグラスにはウィスキーをなみなみと注いで、酔っ払いには冬将軍なんて無縁なのさ!(嘘)。いざ果てないネットの海へとダ~イヴ、でも準備体操は忘れないでね~(笑)。 |
1999年2月18日(木) |
てろてろと出勤しへろへろと帰宅する、そんな生活が続く今日此の頃。ただし調子は良い、1年に1度有るか無いかくらい。それだけを心の拠り所として頑張ってます、それでも今週は既に5日目の勤務、疲れが溜まり出しています。 てな訳でさっさと寝ようかと、それでもなかなか寝つけないんだろうなぁ。いやな夢は見なくなったが夢自体も見なくなってしまった、それだけ疲れている証拠だろう。来週にはもっと楽になるだろうけど気を張っていないと倒れそうです、こんな時にはカロリーメイトだ~!。 ダイオキシン問題、まだまだ続きそうですね。どっちも決め手に欠けるようだしどっちがどっちとも言えません、さっさと結論を出して欲しい気もしますがあまり急いでみたってろくな事にならないかも。何にしても自治体やJAがさっぱり頼りにならないんじゃどうしようもないかも、どうしてもっとスパッとやれないんだろう。 さあ寝ます、オヤスミナサイませ、夢の中で葛原さんに責められない様にお祈りをしながら。それにしても田村さん、底の知れない人だ、あんな大人に私もなりたい。 |
1999年2月17日(水) |
昨日に引き続き今日も暖かい1日、3月頃の気温だそうな、通りで花見で一杯といきたくなる筈です。もっとも既に梅見酒は行われているのですがさすがに野外はまだちょっと寒くて出掛けてはいません、兼六園の梅が満開になる頃にはデジカメを持ってぶらっと行ってみたいですね。明日は今日よりも更に暖かくなるそうです、このまま一気に暖かくなってくれると良いのですがそうはいかないでしょう、もう一波乱も二波乱もある筈、雪も降るかもしれないしね。 毎年この季節に暖かくなり始めると同時に憂鬱になるのが花粉症の方々、僕は完治して早10年、花粉症とは縁遠い人になってしまっています。高校を卒業して東京に出てきて以来ピタッと治ってしまった花粉症、やっぱり都会の水が合うのかしら、うふっ!。なんてことはなく我が田舎は林業が盛んでしかも「お山の杉の子」という童謡の作者の出身地でもありそれらが原因となってやたらと杉が植えて有ります、小・中・高とその杉山から10メートルと離れていない校舎で学校生活をしていた為にとにかくこの季節には鼻水たらたらで勉強していたものです。 おそらくそんな地獄のような環境から抜け出せたのが治った原因かと、あのような環境に比べればこの程度の花粉の量なんて大した事無いって。いやもしかしたら元々花粉症ですらなかったのかも、あんな環境じゃあ誰だってああなりそうだもんなぁ、でも平気な人は平気だったし。 花粉症は体内に寄生虫を飼えば治るらしいんですけどもしや僕の体内に変なイキモノが、こっちに来てから色んなものを食べてるしねぇ。でもその割には体重が落ちないところを見るとそんな心配は無用か、もっとも寄生虫が横取りする量以上に食べているという可能性もあるんだけど(^^;)。 あまり過敏になりすぎるのも花粉症には良く無いそうです、気持ちをおおらかに持ってのほほ~んと、それじゃただの馬鹿っぽいですが。それに杉だって人間を困らせようとして花粉を飛ばしている訳じゃないし、そんなに杉さんを責めると我が大先輩だって困惑するってもんですよ。でもこのまま花粉症患者が増えていったら「お山の杉の子」は音楽の教科書から削除されちゃうかも、「このようなふざけた童謡を子供に歌わせるんじゃない」って、そうなったらどうする?、センパイ(故人)。 昨日の「万物創世記」、ロボットは遂にこんな所まで来てしまったのか~とちょっと当惑気味、でも心を持つに至るまでにはかなりの年月を必要としそうです。しかし侮る事勿れ、その学習能力は確かなもの、人間の赤ちゃんだって元は基本的な思考ロジックしか持たないが学習し成長するに従ってしっかりとした心を持っていくものです。それがあの能力の高いロボットたちに出来ない筈はない、そして必ず感情を持つに至る筈、その時が楽しみです、頑張れ研究者の方々~。 月末、そう、僕にとっては既に月末。来週水曜日の給料日まではあと7日、ちょうど1週間、何とか切り抜ける他ないでござる。と言っても別に貧乏している訳じゃなくて資金は潤沢に有ったりします、ただ生活リズムがそうなってしまっているようで給料日まで残り10日を切った辺りで貧乏生活スイッチがオンになってしまう様です。これは別に悪いことじゃないのでそのままにしておこうかなと考えているのですがただとにかく貧乏クサイ、貧乏な家庭に育つと貧乏嫌いになるそうですがどうやら僕もそうなってしまっているらしい、貧乏ってイヤ~ん。それでも1度味わってしまうと抜け出せなくなるのも事実、恐るべし貧乏!。 直そう直そうと思いながらも繰返してしまうもの、そんなの誰だってひとつくらいは持っている筈、そう思って自分を慰めてみたところで何の解決にもならない。それを解っていながらも直す事が出来ない、実はそれもただの言い訳で何も解っていないのかも、だからこそ直せない筈だし。 そんな事を延々と繰返してきたのが人類の歴史なのかもしれない、今度の都知事選だって大変だって言っている割には大した人が出馬する訳じゃないし。法や制度ってものはいわゆる国民が心の底から望み遵守しなければ定着するものでもないし、やはり人々はこの可笑しな空間を嫌悪しながらも実は心の底では変化してもらっちゃ困るとか思っているのかもしれない。 実は僕もあんまり変わられちゃイヤだなぁと思っている1人なのですがこんな所でも暮らしていれば面白いから、大体あまり平和で秩序正しい世界になっても息苦しいだろうし僕なんかすぐにドロップアウトしてしまうだろうし。やはりどのような時代、社会でもアンバランスなようで絶妙にバランスは保たれているよう、例え戦争中だったとしてもね。 人間の精神が無意識のうちにそうさせているのかも、そう考えると心というものは本人の意思とはまた別のもののように働くものなのかもしれませんね。もしも精神が無意識のうちに社会に影響を及ぼすほどのものならばやはり今の世界は人々が望んでいる通りの世界なんでしょう、やれやれですなって感じです(笑)。 そんな事よりもやはり今夜の食事ですよ、さぁお食事です。何を食べようかな、食い意地張りまくりなワタクシ、美味しい物にも目が無いワタクシ、今夜は葱ラーメンだ~!(T_T)。 |
1999年2月16日(火) |
今日も1日働き者でした、自分で言うヤツも珍しいですが。それにしても本当に良い天気ですね、ここの所ずっとこの調子ですが今週末まで持つんでしょうか、デジカメでの撮影テストを心待ちにしていますのでそれだけが心配。そんな心配だけじゃなく仕事の心配もしろやって心配は御無用、忙しいながらも何とか目処も立ち忙しさも徐々に収束していくかと。何にしろ心配事を持ち込んでの休日などつまらないもの、遊ぶ為にも仕事はきっちりとこなしたいですね。 今日の通勤、昨日より10分早く家を出ました、その効果は絶大。僅か10分だけにもかかわらず電車はかなり空いている、これなら通勤も楽々~。でも弱点が、それは・・・、「走れ!目覚し調査隊」を見られない事、これは致命的だ~!(笑)。 それでもあの快適さに比べればなんてこたないです(強がり)、明日からは余程の事が無い限り今日と同じ時間に出勤、冬場はちょっと辛いかもしれませんけど。 帰り道には誘惑が無い、って前に書きましたが実は同じビル内に有ったりします、とてつもない誘惑が。本屋さんやコンビニは言うにおよばず飲み屋さんも有ったりします、それも和・洋・中取り揃えて。特にイタリアンが多くこれは結構な事、でもカリフォルニア料理って一体何だろう、まさかカリフォルニアロール専門店とか。 とにかくこのビル内に勤務しているうちに全ての店を訪れてみたいですね、一応一般人も入館出来る事だし、休日にもまめに立ち寄ってみようかな。っつーか散歩の帰り道だし、夕食を作るのが面倒な時には重宝しそうです、ますます自堕落さに拍車がかかりそうですが。 ちょっとずつご機嫌度はアップ、何しろ2週間も続いた不機嫌ですからね、ちょっとやそっとでは回復するものじゃありません。それでも楽しい未来を想像するだけでそんなものは消えていくのさ(嘘)、さて、馬鹿なこと言ってないで夕食のメニューを考えないと、月末だしやっぱりラーメンライスですか。ホント、貧乏は嫌よねぇ。 |
1999年2月15日(月) |
良い天気ですね、ああ良い天気さ!。思わず1人ボケ1人突っ込みを繰り返してしまう僕、もちろん上機嫌さっ!。ってそんな訳も無く相変わらず不機嫌な私、それでも仕事には行くのさ、何故ならそこに仕事があるから、こんなイカ 今日の通勤は市川乗換えで、いや、列車の最後尾ならどうかなと。それを確かめたかったんですけど何とか大丈夫かなってくらい、これでほぼ確定しましたがやはり錦糸町経由も捨てがたい、列車の中の人口密度(^^;)は錦糸町でやや減り、東京駅でスカスカに、最後のトドメは品川駅、座っている人がちらほらと居るくらい。平日でももう少し横浜方面に行く人が多いと思っていたんですけどめっちゃ少ないねぇ、以上の理由から東京駅乗り換えがベストかと(オイ)。 オフィスは東向きなので午前中は明るいですけど午後はちょっと、美しい夕日も見えないし。でも西日が射して熱いって事も無いし、メリットもデメリットもトントンって感じか。働く環境もこれから徐々に慣れていくってトコロ、デスクは広くなったんですけど通路がその分狭くなってしまった、う~ん。 今日はデスクトップ周りをいじって環境設定、PCもデスクも。実質的な仕事始めは明日、心機一転頑張りませう。 今日から再びスコッチ、ワイン飲みたい病も遂に治まったようです。でもここ何週間か休肝日が無い、あちゃ~、そろそろしっかりと肝臓を休めてやらないと。でも何故だか調子は良い、もしかして俺ってやっぱりアルコールで作動しているのか、さすが酔っ払い。 それはともかくドラゴンズ、凄いスターターとセットアッパー、そして超絶クローザー宣ととてつもなく強力な投手陣。後は打つ方のみ、でもその打撃陣がねぇ(^^;)。守れるだけじゃ勝ち切れないこと、それを昨シーズンに思う存分学習しました、その教訓を是非とも今シーズンに活かしてもらいたいものです、目指せBクラス優勝!(違)。 |
1999年2月14日(日) |
今日も気分良く晴れましたね、午後から出勤の僕にとってこれは好都合、二日酔いも手伝ってかなりのハイテンションで出勤。 新勤務地は品川インターシティ内に有るのですがこれがもう、良い眺め、本当に。品川駅も一望出来ます、おそらく品川駅を見るたびに出掛けたい心が疼くことでしょうがぐっと我慢して仕事しようかと、しかし一体何処まで我慢出来るやら。 ただ品川駅からインターシティA棟までは通路で繋がっているので余計な誘惑が無いのが少し寂しい限り、もうちょっとこうぎらぎらした部分が欲しいですね。オフィス街にそんなことを求めてるんじゃねえよって突っ込まれそうですが(^^;)。でも遊び場だって欲しいじゃないですか、あ、でも帰り道には新橋が有るのか、でもあそこにはイヤな思い出が有るんだよなぁ、さてさて。 16時頃に退社、夕日が照りつける街を帰ってきました、明日も出勤、今週は6日勤務、先は長いなぁ。帰ってきたらデジカメが届いていました、つってもまだ受け取っていませんが。 佐川、サービス悪いよ。17時30分頃に電話を入れたらもう仕事は終わっているとか、黒猫ならこんな時間からでも再配達してくれるのに。佐川、サービスドライバーってのは単なる宣伝文句か?、もうちょっとサービス良くしろよ。 てことで受け取るのは土曜日、待ち遠しいけどこればかりはしょうがない。受け取ったら何処を撮りに行こう、まずはインターシティですか、俺はこんな職場にいるぞーって(^^;)。でもあそこは本当に良い場所だなぁ、もう少し出勤が楽だったらもっと良いんだけど。 業務連絡、通勤定期は本八幡から品川までにしたいと思います。以上なり(笑)。 いや、僕んちから市川駅まで徒歩25分かかるんですけどこれで乗り換えなどしていたら通勤だけで疲れちゃうかと、この際だから市川からじゃなくて本八幡からにしたいかと。本八幡駅へは歩いて10分ほど、朝夕の運動はかなり軽くなりますけどでも・・・、電車内と品川駅でそれ以上の運動をする事になるでしょう、カンベンして~ってくらいに。 今晩の鉄腕ダッシュ、なんだあのペーパードライバーどもは、あんな奴等はライセンス取り消しで良いのじゃ~。ってかなりの過激な発言、でもねぇ。周り見ない、サイドミラーもバックミラーも全然活用しない、車両感覚も無い、あれで良く免許が取れたなぁ。そんな事に感心してみたって(^^;)、あ~あ、あの人達がこのまま無事故でいっちゃうとあの腕でゴールデンドライバーになっちゃうのか、イヤな話だ。 何時も思うのだがペーパードライバーの人達って、う~ん、こう言っちゃうとアレなんだけどヘタ。ってそのままだよそれじゃ、ただ解ってないね。頭では解ってるって言っているけど解ってないからそんな行動をとっちゃうんだって。ハンドルの切り方なんか見ているとはっきりと解ります、もうちょっと腕を磨けや。 初心者ドライバーやシルバードライバーには優しい僕、でもペーパーには厳しいぞ。乗らないなら免許証を返せやって思っちゃいます、もしくは更新時にしっかりと教習を受けるとか。 なんて言っている僕も車に関してはペーパー(^^;)、バイクには乗っているんですけどね~。一昨年に免許を取った後は1度しか運転していません、ですので既に1年6ヶ月ほど車の運転はしていません。たまには乗ってやろうとは思うのですがバイクに慣れちゃってるしねぇ、ただ僕の場合経験は豊富だぞ、車だけでも既に地球1周分以上走ってるし。今回の免許だってストレートで取得してるし、ちなみにこの地球1周分ですが前回(’94)に免許を取得した時に約4ヶ月でこれだけ走ってしまいました。もちろん月のガソリン代は数10万の世界、そして運命の事故(笑)、以後免許を取る気は無かったんですけど再就職のついでに。 事故だけは経験したくは無いものですけどでも付き物ですしね、その時にいかに冷静に対処できるか、それだけは心に置いておいた方が良さげです。 さあて、明日も仕事ですよ。今週も忙しくなりそう、ところでやはり風も魔法も不思議でしたね、女心はさっぱり解りません(T^T)。でもチョコだけはしっかりと頂く僕、節操のかけらも有りませんな(笑)。 |
1999年2月13日(土) |
晴れました、そして暖かでした、どちくしょう!。あんなに寒くなる寒くなると言っておきながら素晴らしいほどに暖かでした、日中はですけど。あぁこんな事なら出掛けりゃ良かった、後悔しても後の祭、大体起きたの9時だもの(^^;)。 仕方ないので掃除などしていました、久し振りに大々的に、大掃除以来ですね、年末の。片付けの基本はなんと言っても捨てる事に有るのですがなかなか捨てる事が出来ません、特に本は、下らないものでもね。ですので家の押し入れの50パーセントは本によって占められています、かなり洒落にならない状態です、という事で現在収納付きのベッドが欲しいです、まさに咽喉から手が出るほどに。 ニッセンの通販カタログを見ているとなかなか良さげな物もありますが残念な事に今はベッドにまで予算を回せるほどの余裕が有りません、毎月こんな事を言ってますがホントにどうにかしないとねぇ。カタログを見ているとあれもこれも欲しくなります、人間って欲張りですねぇ。 現在欲しい物と言えばまずはCDストッカー、大型鍋、しかし何といっても1番欲しいものは本棚、それもディスプレイキャビネットと言うヤツ。これは増殖するパソコン雑誌の整理には最適、あぁ欲しいよう。でもカタログを見ていて気になったものは・・・、パソコンコタツ。はい、その通り、コタツ付きのパソコンデスクです、寒い季節には最適だそうです、これ、職場に導入して欲しいなぁ。でも自宅にはどうかな、絶対にコタツから出ようとはしないだろうなぁ、自堕落度がますます上昇しそうです。 寒い寒いと言いながらも飲みには行きます、これは色んな目的があってのことですが。1番は市井の情報を探るため、って書くとお前何様だって言われそうですね。こんな職業をしていると世間の一般常識とか情報ってモノからどんどん離れて行くような気になってしまいます、その不安やら溝やらを埋めに行くのが目的、でも最大の目的は酔っ払う事だったりしますが。 これは前回の事、教師(小学校の様でした)の皆様の会話。確か「パソコンのキーボードがメーカー毎に違うのは教えるのが大変だ、どうにか統一できないものか」と言った内容でした、前後を省いているのでこれだけでは良く解らないでしょうが。それを聞きながら僕は鼻で笑ってしまいました、「あのねぇ先生方、社会に出れば現場毎に機種が違う、いや、ヘタしたら隣のデスクとも機種が違うといった事が良くあるのにそんなコトしてたら社会に出てから大変だよう」って。それに各社毎の独自性って物もあるしねぇ、そんな事考えているより機種毎にどう違うか、また違う機種でも同様に使える様に教えるのが教師の役目ってものでしょう。それによくよく聞いていればただ教えるのが面倒くさい、楽したいと言っているようにしか聞こえない、小学校の先生がそんな事言っていてどうするんだろうなんて思ってしまいました。 考えてみりゃ僕の世代が真っ当な教師に教えてもらった最後の世代かもしれない、なんて書くと現役の先生方に叱られそうですが。地域によっては違うのかもしれないですけどそう思ってしまいます、今まで教わってきた(学校の担任の)先生方で誇りに思えない人はいない、というのはかなり贅沢な事。 先生との信頼関係が無くなっている、先生が信じられないといった事がよく聞かれますがそりゃそうでしょう、初めからそんなものは無いんだから。もしかしてタダで与えられると思っているのか、自分で努力して築かなければならないものなのにね。何かこう、そういったものは先生が与えてくれるものだと思い込んでいるような、それじゃあ片方だけの思い込みだけで終わってしまうのにねぇ。 あ、もしかしたらそれがストーカー増加の元になっているのかも、一方だけが与えているような気、もしくは与えられているような気になっているようじゃあねぇ、そんなものどうしようって言うんだか。 あぁ酔っ払ってしまったでござるよ、自分で何を書いているのかすら解らなくなってしまった。こりゃマズイでござるよ。 飲み屋さんで何を飲み何を食ったかって言うと酒を4合、そして煮こごり。煮こごりを口に含んで熱い酒を流し込むと煮こごりが溶けてなんとも言えない風味になります、美味いですよ、最高に美味いです。ホント、ただの酔っ払いだよこれじゃあ(^^;)。 帰ってきてからも飲んでます、で、新モルツも飲んでみました。感想は・・・、なめてんのか?こら!。価格が安くなったのは歓迎なんですけど昔キリンのラガーが新しく変わった時以来の違和感、別に良いんですけどね。良いなら言うなって感じですけど、でもねぇ。あっ、でもお前何歳やって言う突っ込みは駄目ですよ、なんといっても僕は酒に関しては20年選酒、あ、違う、20年選手ですからね。もちろん旧ラガーを飲んだのは未成年の頃ですから突っ込まれちゃうと法律違反になってしまいます、しかし漁師の息子、それも長男坊にそんな事を言ってみても、大体そんな法律を適用する事自体間違っているような気もするし(^^;)。 明日はバレンタインデー、日曜日だからと高を括っていたら出勤する事に、しかも品川。朝のうちに出勤してしまえばビルの中に入り外の様子は見えないんですけど出勤は昼から、出勤途中に様々な人間模様が見られる事でしょう、うぅ、気が重いなぁ。だからって二日酔いで出勤する訳にもいかないし、こうなりゃ覚悟を決めるしか。 通勤は錦糸町経由で、いや、金曜日に朝のラッシュ時の総武快速に乗ってみたんですけど、ヤバイです(笑)。錦糸町で降りる乗客が多いので市川から乗るよりは余程ましかと、はっきり言って朝の総武快速、地獄です。山手線よりヒドイぞアレ、休日の総武快速しか知らなかった僕にとっては相当のショック、どうにかしろよJR東日本。 さてそんな訳で今日も飲んだくれて寝ます、二日酔いしちゃマズイって話はどうなったんだって突っ込みは不可です、なんといっても酔っ払いですからね。それでもポポロクロイスが始まる時間には起きてしまう僕、風も魔法も不思議でござるよ~(謎)。 |
1999年2月12日(金) |
明日は寒いそうです、我が家の辺りでは最高気温が3度だそうです、ふざけんなって思いが充満しています。神奈川から房総半島にかけて局地的な前線が有りこれが明日、この地方に雪や雨をもたらすそうです。明日だけならまだしも今日の午後から影響を受けていました、もちろん散歩に行っていた僕もモロにその影響を受けてしまい磯子にて敢え無く撤退、明日はもっと酷い事になりそうなので出掛けはしません、家で思う存分寝ています。 朝起きたのは8時過ぎ、当然金沢八景に着いたのは10時を過ぎてから。まずは平潟湾沿いに野島公園を目指す、金沢シーサイドライン沿いに北上、海の公園を散策。金沢柴町交差点で国道357号線に合流し更に北上、並木北駅で国道357号線から外れ鳥浜町交差点から国道16号線を目指す。途中オニギリを買い富岡総合運動公園で昼食、この時から一気に気温が下降し寒くなる。日も翳ってきたし天気が悪くなりそうでしたがかまわず前進、鳥見塚バス停付近にて国道16号線に合流、急いで北上。しかし磯子区森にて遂に雨が降り出す、しかも雪混じり、断念して磯子駅前からバスに乗り横浜駅へ。 久し振りに前乗りのバスに乗った所為か思いきりやってしまいました、運ちゃんに「ちょっとお客さん」と呼びとめられて「あっ!」て思う。運賃先払いだった(^^;)、本当、このシステムのバスに乗るのってすんごい久し振りだったですからね、大体バスに乗ったときに回数券を探しまくってたもの。あぁ遂にバスの乗り方すら忘れてしまうようになったかと1人で愕然としていました、それ意外は概ね楽しいバスの旅だったんですけどね。 半端な状態で終わってしまった今日の散歩、来週には是非とも完結したいですね。 千葉では、というか横浜付近では既に晴れていました、それだけに余計に残念。16時頃に帰ってきたんですけど平日のこの時間帯に家の周りを歩くのって本当に久し振り、夕日を浴びて暖かな道を歩いているとなんだかそれだけで仕合せな気分。何故だかこの時間帯は面白い雰囲気ですね、妙にそわそわしててなのに楽しげでしかも寂しげで。 帰ってきてから買い物、近所のスーパーでまたしても揚げ物のタネを買ってくる。この時間帯、田舎では既に夕食の準備時間に入っているのであちこちからいろいろな匂いが漂ってくるものですが残念ながらこの付近であそんな香りは感じられません、それはもっと遅い時間帯でも同じ。ちょっと寂しい気分、あの田舎の夕方の雰囲気が懐かしい、急に田舎が恋しくなる。 かつて様々な人達が捨てたつもりで出た田舎を恋しく思い、そして最後には故郷に帰る。そんな思いが解るようになってきた今日此の頃、だからって帰りたい訳では無いですが。でもふとした時に急に恋しくなるもの、田舎ってそんなものなんでしょうね。 ニュースを見ていたら母子手帳ならぬ躾手帳なるものが配布されるようですね、中央教育審議会の差し金らしいですが。笑っちゃいますね、本当に、これ以上良い子を育ててどうするつもりなんだか。 あと・・・、TUKASAさんのホームページ「最終電車」は閉鎖されました、ご本人の意思によって。1部のバカタレの為にこういったことが起こるのは本当に残念なことです、ギャラリーに入る時にパスワードを必要としているサイトも増えています、ご本人にしてみれば内心忸怩たる思いがあるでしょう。いい加減何とかならないものかと思うのですがどうしようもないようですね、バカは死んでも治らないだろうし、ふぅ・・・。 |
1999年2月11日(木) |
寒いです、雪も降ったそうですね、市川では降りませんでしたが。なんて人事のように言ってないととてもじゃないが我慢できない寒さ、朝からエアコン&ストーブがフル稼働しています、少しは休ませろやって文句言われそうです、マズイです。 今日は朝のうちは晴れていたのですが午後から雨、朝のうちに買い物を済ませておいて良かった。1日中揚げ物を食っていたので部屋の中がちょっと油くさい、昼は唐揚げ、夜は揚げ餃子とヘタすりゃ胸焼けのみが残りそうなメニュー、それでも上手く作ってやればそんな事もなし、でももう少し考えて作れよって感じですが。 初めてターキーウィンナーなるモノを食べました、はい、想像通りのモノです。ウィンナーどころかターキーの肉を食べるのすら初めて、でも予備知識として栄養豊富でなかなか美味いというのがあったので抵抗なく食べられました。ですが僕の舌ではそれが美味しいのやら不味いのやら判別できずかなり戸惑っています、まだ残っているのでいろいろ調理方法を変えてみようと思っています、出来ればステーキも食べてみたいなぁ。 しかし今時七面鳥の肉を食べた事のない奴がいるとは、我ながら驚き。良く考えてみりゃ和食に関してはかなり恵まれた食生活を送ってきましたけど、その他の食文化に関してはからっきし、かろうじて中華料理くらい。いろいろな食文化に触れると色んな発見があるんだろうなぁ、まずはイタリア料理あたりからいってみますか、近所にイタリア料理店も有る事だし。 明日は晴れればラストウォーク、行くぞ横浜まで。地図上で見る限りではそれほど金沢八景から遠くはない、一気に歩けそうな感じです、が・・・、雪、積もってないよねぇ。積もってたら大変だ、絶対出掛けたりしないでしょうね、それ以前に。 雨であればまた1日中家でいろいろやってます、現在リンクがかなり切れているようなのでその修正をやってます。結構大変、効率良く管理できる方法を編み出そうとしているのですがなかなかなんとも。 どうもここの所食べたいモードが発動しているらしく過剰なまでにメシを食ってます、まぁ動いての事だから心配はしていないんですが。でも本当にヘンな筋肉が付いてきています、足の筋肉なんかもう(^^;)、昔から強力だったんですけどそれに輪を掛け捲っている感じ。このままでは本当にワン・ヒット・キル(OneHitKill)なんて言い出してしまいそうで怖いです、ということでカンガルーの挑戦者(ヘビー級)を求む!。 |
1999年2月10日(水) |
今日も暖かい1日でした、5日連続遅寝早起きを繰返した僕は最早へろへろ。それでも今週の勤務は今日だけ、しかもお引越し作業がメインとなるので今日を乗り切る事が出来れば明日は散歩と思っていたのですが・・・。駄目、駄目でござる~、目が、目が自然に閉ざされていくでござ~る。我が内からの攻撃に抗う術も無く早々と降参、時々コックリさんを繰返しつつもそれでも無事引越し準備完了、仕事はさっぱり捗りませんでしたが(^^;)。 万全な体調で仕事に臨めないようでは仕事人としては本当に不面目な話、それだけにきちんとした生活を送ろうと考えはするのですが、これがもう全然駄目。今日こそは日付が変わる前に寝てやるぞと思いはしても酒を飲みながら本を読んでいるとそんな事は何処へやら、気が付くと取り返しのつかないような時間になっていて慌てて寝ようとしても目は、というか脳は冴えているのでなかなか寝付けないでいると更にとんでもない時間になってしまうといったような事の繰返し。 頭で理解していてもそれを行動に移せないのはやはりまだまだ甘えが有るっていう事の何よりの証拠かと、こんな事では立派な漢になることは出来ません。それでも今夜も繰返しちゃうんだろうなぁ、例えでんこちゃんに「困ったちゃん」って突っ込まれようとも。 寝不足も手伝って現在かなり不機嫌な状態、一昨日などコンビニで座り読み(立ち読みではない)をしているガキを蹴りたおしてやろうかと考えてしまうくらい。っていうかそんなとこ(フロア)に座り込んで本なんか読んでんじゃねぇ、どうしてもっていうなら漫画喫茶にでも行け。タダ読みにでもルールとマナーっつーもんが有るだろうがと1人興奮状態、でも注意はしない、こんな馬鹿を育てた親はもっと性質が悪いだろうと思っているから。 少なくとも僕が子供の頃にこんな事をやっていたらドツキ回された筈だ、親以外でも周りの大人や先生達に。現在そんなことをしたらドツキ回した方はドツキ回されるより酷い目にあう事は間違いないのですが、何の罰則も与えられないのでは子供たちがああなってしまうのも無理からぬ事かと。別にドツキ回せばそれで全てが解決するなんて考えてはいないのですが、でもねぇ、口で言っても解らんぞ、奴等。 親(や他の大人達)が自分の感情、例えば不機嫌な事の捌け口のような形で子供を殴るのは良くない、とか言ってますがそりゃ確かに良くない。でもそのことを見抜きそしてそれなりに容認することの出来るだけの余裕を持って生活をしていた昔の子供に比べりゃやはり現在の子供たちの方が余裕は無いらしい、っていうかオトナじゃ無いようだ。中途半端な良い子は出来てもこれじゃ本当の意味での大人しい子は育てられないんじゃ無いかと、あのような「ゆとり教育」ってヤツでも無理だろうし。 不機嫌120パーセントモードを維持するにもそれなりのエネルギーを必要とするのでそろそろ終わりにしないと、それにしても僕、田舎に居た頃はこんなに文句言いじゃなかったのに。何だか時々人の1人も殺したくなるような衝動に駆られる事もあるし、これが世間一般で言われるところの閉塞感ってヤツの影響ですかね。 そんなものとは無縁に生きてくる事の出来た僕は結構仕合わせ者のようだが、免疫の少ない者にとっては一気に押し寄せられるとかなりのストレスに。ただでさえ免疫能力の低い僕にとってはまさに恐るべき時代、驚愕すべき都市東京、この状況に比べれば7月に降ってくるらしい大王など可愛い物だと思えてしまう。終末世界より恐ろしい現代社会、こんな世で正気を保っていられるだけでも大したもんだ、褒めてやるぞ、オレ!(^^;)。 |
1999年2月9日(火) |
良い天気ですよ、あぁ良い天気です。どうしてこんなに良い天気なんでしょうね、ちょっとムッカリきてしまいました。明日も良い天気なのでしょうか、ちょっと寝不足気味で機嫌の悪い私、うきゃーっ!と奇声を発してどこかへ駆け出して行きそうです、弱ったものだ。 デジカメ、注文しました、我が家にやってくるのは来週になるんじゃないかと。これで日記に写真を貼り付ける事も可能に、やる気満々な状態で待ち受けています、さあ来いって感じです。 今日は働いてしまいました、文字通り。肉体労働ってヤツです、何時も思うのだがプログラマって基本的に肉体労働者だ。今日の場合は本当に肉体労働だったんですけど引越しに伴なった書庫の整理、箱詰めしてシールを貼って。2時間ほどやっていたのですが散歩より余程キツイ、汗だくになってました、これで今週分のストレッチの必要はなくなってしまったようです。 明日も引越し準備、午後からはこれにかかりっきりになります。あぁ昔運送屋さんでアルバイトをしていた頃の事を思い出してしまいました、あの時のノウハウがこんな所で活かされようとは、長生きはしてみるもんだねぇ(^^;)。 さて今夜こそ早く寝ますよ、正直もうクタクタです、明日も肉体労働をしなくちゃなんないし。でも労働した後の酒は美味いです、それだけを楽しみに明日も働こうと思います、さぁ捻り鉢巻を用意しろ! |
1999年2月8日(月) |
今日はやたらと暖かかったですね、おかげで眠いったらありゃしない、仕事よりも眠気を押さえる方に集中していました。 6日に限らず散歩の記録、最後の方は内容が薄いです。別に手を抜いているわけではなく、歩くのに精一杯になり周りなんか見ていないから感想など有るわけも無く、ですからああいった感じになってしまいます。これがパターン化しているので是非とも見ておきたい場所の近くからスタートする様にしています、だからといってゴール近くがどうでもよいと言ったわけでもないですが。 写真ももうひとつって感じ、もう少し違った切り口で撮ってみるとか、そういった事をやっていきたいですね。 今日で3日連続イタリアワインを飲んでいます、すっかりハマっちゃっています。意外な美味さ、意外って言っちゃうと語弊がありますが。さて、そういった訳で今夜も飲んで寝ます、寝ますよ、ホント。あぁ今週も忙しくなりそう、でも勤務は明日と明後日のみ、全力で取り組む事が出来ます、もちろん木曜日の散歩の為の余力を残してですが(^^;)。 |
1999年2月7日(日) |
昨夜は早く寝る早く寝ると言いながらすっかり夜更かし、気が付けば1時を過ぎていた(^^;)。もちろん飲んでいたんですがイタリアワイン及びイタリアビール、なかなか美味いですね、お前どんな味覚してんだって突っ込みは不可ですよ、もちろん。 でも朝起きたのは6時(^^;)、早いなぁ、っつーか早すぎる。楽しみが有る日の朝はやたら早起きな私、今だ子供のままの心を持っているのかどうなのか、ただのガキって気もしますが。 ポポロクロイス、心の森か・・・、厄介だなぁ。だってさー、ヘタすりゃ、っていうか一生ここからは出られないんじゃないかって気になるもんねぇ。人それぞれ抱える悩みは違うのだけれどでも間違いなく同じ森をさまよっている、何処かで出会える事があれば知恵の交換も出来ようってモノですが、たまにはしゃがみこんで頭抱えるのも悪くはないですよ。 今日は何回も本屋さんに通う事に、いろいろと買いこんできました、暫くはこれらを読んでいようかと。「陰陽師」ですが、清明も好きですが博雅の方がだんぜん好き、あの無骨さがとてもタマラナイです。なんといっても良い漢だし、あんな友人がいれば心強い限りですねぇ。それにしても読んでいてこれほど酒が美味く感じられる作品も珍しい、ぐびりぐびりと酒をのどに流し込みながらほろ酔い加減で読んでいると自分もそこにいて一緒に飲んでいるような気分になります。博雅殿、俺の杯も受けてくれ。 朝食は質素に味噌汁と海苔、夕食はちょっと豪華にクリームシチュー、美味~いですぞ~。中身は鶏肉と玉葱とジャガイモとニンジンだけ、でも冬の日のシチューって心まで温まりそうなくらいに暖まります。もちろん明日もシチュー、独り者の辛いところはここだなぁ、カレーを作った時なんか3日くらいカレーを食ってるもの。 写真の掲載ですが数日間に渡ってやります、本を読んでいて時間的余裕がさっぱり無くなってしまいました。今日は正月に撮った写真を、既に正月から1ヶ月も経過しているんですけどね。昨日分の日記の補記も多分明日以降、あぁ自堕落になっていくでござるよ、どんどんと。ところでこのお侍言葉、白騎士様のが移ってしまったみたい、人間最後まで諦めちゃイカンでござるよ~。 |
1999年2月6日(土) |
ついに目覚ましが鳴るまで寝てしまいました、今日はもうヘロヘロな状態、それでも出掛けてきました。でももう駄目、眠いです、本気で眠いです、という事で寝ます(^^;)。 こんな事で良いのか俺と思っても見ましたが既に飲んでます、もう止まりません。ビールもワインもイタリアのもの、美味いですよ、本当に美味いですよ。酔っ払ってます、酔っ払ってますとも~! 明日は写真の掲載をします、ほぼ1ヶ月ぶりに。写真メインでやっているサイトのクセにねぇ、どうしようもないねぇ。今日の散歩についても明日、もう全て明日にまわしちゃいます。も・う・寝たいんですぅ~。7時間近くも歩くもんじゃないね、本当に、疲れきっちゃってます、もうダメダメさ~。 ところで馬堀海岸で釣りをしている人、マナー悪すぎ。もうちょっとどうにかしろや、車の路駐とか歩道一杯にタックルを広げるとか。他の釣場とかでもそうなんですけどちょっとね~、ビギナー丸だしっつーか、いやもしベテランが混じっているのだとしたら更に問題だ。 なぜ馬堀海岸だけ地名を出すの?って思われるかもしれないので補記。あそこは釣りが禁止されています、横須賀市港湾部によって。それでも見逃されているのか諦められているのか、取り締まる側にしろ地元住民にしろ大目に見てくれています、だからこそ釣り人自身ももっと周りに気を配ってマナーを守っていかなきゃならんと思うのですよ。 あぁ、もう寝ます。寝ますがな、もう。明日はちゃんとポポロクロイスが始まるまでに起きられるか解りません、でろでろと昼近くまで寝ているかも、それでも寝るしかないのさっ!・・・どうしようもないなぁ、俺(;_;)。 以下補記(8日)。 目覚しに叩き起こされ寝ぼけ眼でシャワー、ルートを確認してから片手にゴミ袋を持ち部屋を出る。今日はJR久里浜駅から海沿いを北上、京浜急行金沢八景駅まで歩く予定。久里浜駅に到着したのは10時,相変らず風は冷たいが今日は暖かくなりそう。 久里浜駅に着くと早速開国橋へと歩き出す、途中平作川を溯ってくる漁船と遭遇、船上にはたくさんの昆布が、この辺では養殖が盛んらしく行く先々で洗濯挟みで止められ干されている昆布の林が見られました。開国橋に着くと出港して行く東京湾フェリーの勇姿が、逆光の為に船名が見えず「くりはま丸」か「はまかなや丸」かの判別は出来ませんでしたが港を出て行く船というのはとても良いものだ。思わず現役時代の記憶が蘇ってくる、「よ~し、やるぞ~!」といった思いと不安な気持ちとが交錯して何とも言得ない気分になる、港を出港して行く時って何時もそうでした。 船という乗り物は面白いもので例えば出港して行く時、舳先に立つのと艫(とも、船尾のこと)に立つのとでは全然気持ちが違ってしまいます。舳先に立っている時は希望や期待が、艫に立っている時には惜別の思いや不安がより一層強く感じられます。てことであのタイタニックのワンシーンの主人公が胸に秘めた思いや「世界は俺のものだ~」って感じるのは良く解ります、でも・・・、あれをその辺のフェリーでやるってのはどうもイタダケナイ。船の大小でそういった雰囲気が変わる訳でもないですがせめて東九フェリーレベルでやってくれやとか思ってしまいます、そう言えば東九フェリー、中学校の修学旅行以来乗っていないなぁ。 長瀬から西浦賀町へは川間遂道経由で、そういえば昔このトンネルを抜けた所で面白いものを見たなぁ。そこはちょっとゆったりめの道路で歩道も広く取られています、そこを歩いていた時のこと。ふと見ると車道を鳩が餌を捜しながらとぼとぼと歩いていました、別に珍しくも無い光景ですがこの時浦賀方面から1台の車が。当然鳩は飛んで逃げるものだとばかり思っていたのですが何時まで経っても飛ぼうとしない、もちろん車も一向にスピードを緩めることなく猛スピードで走ってくる。さすがにこの距離まで接近したら飛ぶだろうといった距離まで迫ってもその素振りさえも見せない、そして遂には・・・。 羽根を撒き散らしながら撥ねられた瞬間に飛んだ鳩、そのまま近くの空き地まで飛んでいってしまいました。その鳩が元気に、というか普通に歩いているのを見て安心してその場を後にしたのですがそれにしたって。鳩も鳩だがどうしてスピードを緩めようともしたかったのかなあの車、当たる前に飛んで逃げるだろうと思っていたんだろうなぁ。そして撥ねた後もスピードを落とすことなく走り去っていってしまった、鳩を撥ね死なせてしまった所でどうでも良かったんだろう、なんとも殺伐とした話だ。鳩が撥ねられるなんてことが実際にあるのだと初めて知った瞬間、面白いものって言うより鳩の災難話って感じですが。 浦賀駅前を通過し鴨居へ、今回は209号線を使わずにかもめ団地経由で鴨居港へ向かうことに。浦賀湾沿いをかもめ団地へ向かって歩いていく途中には港町(漁師町)が、たたずまいがとっても良い感じ、お昼時ともなればあちこちから魚を焼く匂いが漂ってくるんだろうなぁと思わずにんまり。またここには「浦賀の渡し」という名前の渡し舟が有ります、浦賀湾の東岸と西岸を結んでいるのですが是非1度乗ってみたいと思いつつも1人ではちょっとねぇなどと思っています、誰か一緒に乗ってくれる人は居ないかなぁ。 かもめ団地から浦賀水道を望める場所(先端)は釣りをする人や船を見ている人で結構な賑わい、今日は横須賀湾から出てくる軍艦を見に来ている人が随分いました、確か観音崎にも居たはず。こういったことって別に軍事機密でもなんでも無いのですね、明らかに軍艦狙いで来ていると思われる人ばかりでしたので機密が漏洩している?なんて事を考えてしまいました、それにしてもマニアの人達の情報網って凄いんだなぁと感心。 あと釣りをしている人達、ヘン、絶対ヘンだよ。いや絶対を付けちゃマズイか、でもマナーとかさぁ、そういったものがさっぱり感じられない釣り場。小さい頃からそういう事に関しては人一倍うるさく言われてきた僕にとってはかなり信じられない状態、釣り師たるものタックルを大事に扱い歩道に竿を置きっぱなしにしたり歩道いっぱいにタックルを広げたりはしないものだ。いったいどのくらい釣りをし、そして知っているかは知らないですけどこれでは釣り人失格であります、爆裂お父さんに500回転以上回して頂かなければならないほどに。道具を大切にしないヤツは職人とは言えないと我が業界(漁業に限らず職人関係の仕事)では言われ続けられてきましたがそんなことでは何時まで経っても立派な釣り人にはなれません、もっともなる気すら感じられなかったのですが。 ひとつの遊びやスポーツとして釣りが広まって親しまれるのってとても良い事だし歓迎しているのですがこんなヤツにはして欲しくない、来て欲しくないって人がいるのも事実、釣り場でお互いが気分を悪くするなんてことが無いようにしていきたいものですね。 鴨居港を過ぎ観音崎大橋へ、ここからの眺めは好き。自然博物館に着いたのは12時を少しすぎた頃、ちょうど良い時間なのでここで昼食、久里浜の3本煙突を眺めながら何時ものようにコンビニで買ったオニギリをぱくつく。お弁当、作っていった方が良いんでしょうけどね、気分的にも。大した物じゃなくってもオニギリと鶏のカラアゲ(これは必須)、そして沢庵の一切れでも入っていればそれだけで仕合わせ(^^;)、次回からはそうしようかなぁ。 今日は良い天気なので周りでもお弁当を広げている人がちらほら、なにやら楽しげ。やっぱり複数で食べる方が楽しいし美味しいらしい、ちょっと羨ましく感じながらも少し休憩を取った後再び歩き出す。 観音崎灯台の下の道を歩きそしてプロムナードへ、ここはすっかりお気に入りの場所。浦賀水道を航行するたくさんの船、それより何と言っても1番好きなのは潮騒、ここの波は一定の間隔で打ち寄せるのでもちろん潮騒も一定のリズム。これを体全体で受け止めていると自然に体がリズムを覚えてしまい、夜に寝る時にはそのリズムが蘇ってきてとても心地良い気分になります、あぁ海って良いですねぇ。 走水港を過ぎると急な坂が、その坂の上から見下ろす海や馬堀海岸もとても好きです。青い海、白い砂浜、ぽっかりと浮かぶ猿島、そしてただただ真っ直ぐに伸びる馬堀海岸。あそこを歩くのか~と思うとちょっとうんざりする時も有りますが基本的には好きな道、いざ行かん冥府魔道(違)。 馬堀海岸をサクサクと歩く、今日も釣り人でいっぱい。ところでこの海岸の堤には絵が描かれ作者のサインも書かれているのですがその中に「前田日明」という名前を見つけてしまいました、もしかして本人なのかそれとも同姓同名の人なのか、後者はどうにも考えづらいですが。 国道16号線から分離してよこすか海岸通へ、小川町で再び16号線に合流、JR横須賀駅を通過したのが14時45分。更に北上を続け田浦駅を通過し船越一交差点で右折し深浦湾方面へ、浦郷町に並ぶ関東自動車工業などの工場を視察(^^;)、日産自動車横の道を通り追浜橋を渡り平潟湾沿いを歩く。野島公園が夕日に映えてとても綺麗、この雰囲気って何処かで感じたことがある、きっと田舎の夕暮れの風景に似ているからだろう。 夕照橋付近にて遂に金沢区に突入、この夕照橋、その名の通り夕日の照り返しを受けてとても綺麗でした。またこの夕照橋から金沢八景駅まで続く道の途中には川が2本流れていて、その川に架かる橋の上から眺める夕日もとても綺麗でした。 金沢八景駅に到着したのは16時50分、これまでの最長散歩時間は6時間だったので大幅に更新、っていうかそれよりもとにかく疲れた。金沢八景駅から品川駅までは近いので何時ものように寝て疲れを取ることも出来ずにふらふらになって帰宅、風呂に入っているとどんどんと眠気が。 何時ものことだけど歩き出してから4時間くらいまでは余裕があるので周りをゆったりと眺めていられるのですが、それを過ぎると疲れの方が強くなってしまいそれだけの余裕が無くなってしまいます。それだけに何だかもったいない気分になってしまいます、広範囲を1日で見て回ろうとするより狭い範囲をじっくりと見て回る方が実際にはかなりお得なのかもしれませんね。 さて来週はいよいよ大詰め、木曜日には金沢八景駅から横浜まで、でも海沿いを歩くので関内辺りまでが限界かも。何にしても今回のことで三浦半島の外周(海沿い)を踏破するには最低でも4日は必要とすることが判明しました、何事もやってみるものですね。あとマラソンの感覚も何となくですが掴めてきました、42.195キロを2時間ちょっとで走破するのってとても凄いことなんだって実感も湧いてきましたし。 今回歩いた距離は推定32~33キロくらい、この距離を7時間もかけて歩いているようではまだまだって感じ、アマチュアの人でもフルマラソンを4時間かけずに走り切るというのに。と言ってマラソンをする気などは毛頭有りませんがこのままでは1日40キロ以上歩くようになるのも時間の問題、これ以上無駄なスタミナを付けてどうする気だ俺?。 でも2~3日徹夜しても働けるほどのスタミナは欲しいですね、だからって本当に徹夜して働く気は有りませんけども。まぁそれくらいの余力は有るぞって所は見せ付けたいですね、一体誰にだって気もしますが(笑)。 |
1999年2月5日(金) |
久し振りに目覚しが鳴る寸前まで寝てしまいました、我が家の目覚しは7時20分にセットされています。これは遅刻せずに出勤するためのリミット7時50分から逆算したもの、歯磨き、炊飯器のセット、そしてシャワーを浴び出勤の支度をするのに30分は必要とするからです。 ということでもし目覚しを黙らせて二度寝しようものなら確実に遅刻します、普通はもっと余裕を持ってタイマーをセットするものなんでしょうけどね。夏季には5時頃には目が覚めてしまうように日の出と共に目が覚めてしまう僕としてはそれほど目覚しは必要としないのですが、それでも疲れ切ってしまっている時には泥のように眠りこけて今日のように遅刻ぎりぎりまで寝てしまうことが有ります。若い頃には(って今でも十分若いらしいのですが)疲れなど知らないかのような生活を送っていたものですが最早それは無理、厳重なる体調管理をもってしなければ体力の維持は出来そうも無いです。 22歳の頃には朝の8時まで飲んでいても出勤したものだよな~としみじみ、その日は行き付けのスナックが閉店するってことで呼ばれて18時から飲み出しそしてそのまま打ち上げに参加、お姉様方に連れられて朝まで飲み歩き。何故か朝の5時頃にホストクラブへ行こうという話になって僕も社会見学(^^;)、ほれぼれするほどの良い男達に囲まれてすっかり嬉しくなり(何でや!)ウイスキーを呷りお兄さん達と話し込む。 結局解放されたのが8時でそれから家まで全力でダッシュしスーツに着替えまたもや駅まで全力ダッシュ、当時池袋に住み目黒へ通勤していたのですが山手線の満員電車に揺られて出勤しても牛乳とトマトジュースを飲めば体調は回復ししっかりとした仕事をしていたものでした。まさに若さと勢いに任せた体力勝負、今こんなことをしたら絶対に出勤出来ないだろうなぁ。 今更ながら若さに憧れてみたり、でもどしどしと手に入らない代物になりつつあります。こんなことならあんな事やこんな事、やれるだけの事はやっておけば良かったって悔やんでみたところで後の祭り。 本当にやりたい事が見つからず(解らず)にだらだらと生きてきて或る時ふとそれ(やりたい事・目的)に気付いてしまった時、既にそこへ至る道(レール)から遠く離れていた場合、貴方ならどうしますか。まわれ右してそこへ至る道への分岐点まで戻るか、それともそのまま進み続けそこへと至る新しい道を模索するか。どちらにしてもやたらと時間と労力を費やしてしまう面倒臭いコト、こんなことなら最初から努力しておけば良かったって思ってみたところでそれこそ後の祭り。 しかし遠山の金さんの父上が人生に無駄な時間など無いと言っているようにどんな経験でも無駄な事って無いんでしょうね、きっと。金さんも若い頃には相当無駄な時間を費やしていると思われたでしょうが、それらの経験が後々生きてくる事となります、もっともそれは自分自身がそれらの経験を経験として捉える事が出来ればの話なんですけど。 それにしても当時、北は遠山、南は大岡と名行政官が揃っていたにも関わらずあれほどの数の悪党が跋扈していたとは、暴れん坊将軍は一体何をしていたんだろう、(治安の為の)軍事力は(治安も含めた)政治力のひとつでは有るけれどもそれだけでは何の役にも立たないって事の良い証拠ですかね(違)。 ところで全然話は変わりますが脂肪をエネルギーとするにはビタミンB2の働きが不可欠なのですが、このビタミンB2の含有量が多い食品として牛・豚・鶏のレバー、鶏卵、ヤツメウナギ、ここまでは解ります。でも、干しヤツメウナギって!何だそりゃ、そんなの見た事無いぞ、大体どうやって調理するんだそんなの。そりゃまあウツボの干したのやウミヘビの干したのが有るくらいだから有るんでしょうけど、干しヤツメウナギ・・・、謎の食材だ。 ちなみにウツボの干したのは珍味に、ウミヘビ(イラブー)の干したのはイラブー汁として共に珍重されているよう。ウツボの珍味は美味しくて大好きですけどイラブー汁は(^^;)、あれは見た目で損してますね、もう少し見た目がソフトなら挑戦してみようって気にもなりますけど。またイラブー汁(というかイラブーの身)には強力な強壮作用があり一口食べればバイアグラなど目じゃないくらいに効くんだそうな、それゆえ独り者には体に毒でござるゆえに気を付けて食さなければいかんでござるよ。 それはさて置き明日はお散歩、でも・・・すごく寒くなりそう。それでも行くのさっ!、既に風の子ではなくなって久しいですがそれでもこのくらいの気概はあるぞ、もちろん強がりですが。明日は久里浜から海沿いの道を北上、目指すは京急金沢八景駅、出来ればもっと北上したいですけどここまでが限界と思われます。 今夜も早く寝て明日の散歩に備えます、近頃は運動しかつ食っているので何だか無駄に筋肉が付いてきている僕、このままじゃ現役(漁師)時代のようになってしまいそう。最近は港町を歩いているとスカウトされちゃうんじゃないかって内心ビクビクしています、最早現役復帰も時間の問題か(笑)。 |
1999年2月4日(木) |
今日も相変らず寒いです、強烈な寒さ、これを最後に経験したのはまだ漁師をやっていた頃の事。近海での漁は寒い季節に寒い海域で行うのですが船が緩やかに航行している時ならともかく、高速航行の時にはもう、寒さのあまり体が動かなくなってしまうくらい。あれほどの寒さ、というか冷たさには暫くは出会う事も無いでしょうけど、2度とあのような寒さの中には行きたくないというのが本音です。 昨日は田舎でも雪が降ったそうです、母から電話があり田舎で雪が降るくらいだからそっちでも降っているんじゃないかとの事でしたが市川では全然降っていない。そのことを伝えると何だか安心したよう、っていい年してまだまだ子供扱いされているらしい、いや確かに子供なんだけれども(^^;)。何時までたっても母に心配をかけてばかりいるワタシ、あぁ情け無いでござるよ。 ところで来週はお引越し、僕じゃなくて職場が。という事で木、金、土曜日は休み、日曜日は出勤しますが昼からで良いとの事、しかも私服OK。こ・これはチャンスかも、3日と半日あれば三浦半島1周は可能だ、よ~し!。 っていく訳も無く(^^;)、出掛けるのは木曜日と土曜日、金曜日は1日休まないと2日続けてのロングウォークはさすがに辛いっす。そんな事言っているうちはまず三浦半島1周なんて出来ないんだろうなぁ、だらしなさはどうにかしないといけませんね。 今日のご帰還は22時45分頃、飯も食ったし更新を済ませたらさっさと寝よう。明日も間違いなくハードな1日、でも明後日の事を愉しみに楽しく働くのさ。だんだんとヒネクレタ性格になっていっているような気が(^^;)、強く明るく生きていきたいものですね。 |
1999年2月3日(水) |
出勤時には暖かかったのに帰る時にはすんげぇ寒さ、洒落になんないですよ。暫くこの状態が続くのかもしれない、暖かくして寝ないと寒さのあまり寝付かれないでござるよ。お酒で紛らわすにも限度が有るしねぇ、でも飲むしか。 あぁ、早く帰れるって良いなぁ(^^;)。仕事が切羽詰ってきてそんな事言っている場合じゃないのですが毎週水曜日は早く帰れる日、こんな日を有効に利用していかなければ!と思うのですがすっかりグータラ、何やってるんだかもう。 「御家人残九郎」、面白いですね。最近あまり面白い時代劇が無いのでこれは楽しみ、でも昔の時代劇は良かったなぁ。なんか違ってたですよ、勢いっつーか、そういったものが。 最近再放送されているものを見ていると時々台詞が消されている場所が有ります、もちろん放送禁止用語を使っている箇所ですが。あれってとてつもなく野蛮な事のような気が、どうして無遠慮に、っていうか軽々とあんな事やっちゃうかな。 そりゃまあ使っちゃいけないものは使っちゃいかんのだろうがそれだけじゃ何も変わらんような、昔恩師が「(差別用語などの)言葉の使用を禁止した所で何の解決にもならない」と教えてくれた事が今更ながら甦ってきます。だからといって消してある箇所を元に戻せとは言えないですけど、もうちょっと別の手立てを考えた方が。 大体が消してある箇所の内容を想像できるもんねぇ、その言葉を知っている僕たちの世代までが全員いなくなればそれで済むって事でも無いですしね(^^;)。 ふぅ、今日はもう眠いでござるよ、ニュースステーションが終わったらすぐに寝ちゃおう。明日も忙しい1日、せめて安らかに眠りたいのですがそうはいきません。昨夜も何故だか殺されてしまう夢を見てしまいました、それも銃撃を受けたショックまでリアルに感じる始末、一体どうしたんだ俺!?。 |
1999年2月2日(火) |
今日も暖かい1日、これだけの陽気ですとやはり何処かへ出掛けたくなります、そんな思いを振り払いつつ熱心にお仕事(嘘)。人生楽有りゃ苦も有るさと笑い飛ばしたい所ですが週明け2日目にしてそんな余裕も無し、ううっ、ハードな1週間になりそう。 仕事は仕事、きっちりとやらせてもらいますが帰宅後は思いっきり遊びたいですね。と言っても遅く帰ってきたら遊んでいる時間なんて全く無いんですけど、何とか定時で帰れるように努力はしてみますがなかなかそうはいかない。 でも世のお父さま方はもっと仕事しているんだよなぁ、自分の時間などさっぱり無いぐらいに。よくもまぁあれだけ働けるもんだと思うのですがやはり心掛けの違い?(^^;)、背負ってるものの差かとは思うのですが僕も家族を持つとああなっちゃうのか、想像しづらい話だなぁ。 時間が有ろうが無かろうが取り合えず夕食だけは自分で作ろうかと、平日は手の込んだ物は出来ないですけどそれでも気分転換にはなるし安上がりだし。 米だけは田舎から定期的に補給されているのでそれだけでも家計面では大助かり、如何にコストを下げながら美味しい物を作るかっていうのを考えるだけでも楽しいし、あまり好き嫌いも無いので自由な発想でメニューを考えられますしね。 例えば現在、玉葱3個入りパックで約190円、ピーマン5個入りパックで約150円、モヤシ1袋約40円といった価格ですがこれらを足しても400円にも満たない。これを3日で使いきったとして1日当たり約130円、これらを野菜炒めにしたり味噌汁にしたりサラダにしたりでいろいろとバリエーション豊かに使用していけばそれほど貧乏臭さも感じないし(^^;)。 それに肉や魚などを含めた1食の食費を300円以内に留めるのが今の目標、自炊するよりコンビニ弁当や外食の方が安上がりだなんて言っている奴はまだまだ修行が足らんでござるよ、もっとも手間や時間の事を考えるとやっぱり自炊する方が面倒なんですけどね。 ちなみに上記3種類の野菜で作るメニューで僕が好きなのは、鶏肉を入れた野菜炒めとヤキソバ。鶏肉と玉葱の相性の良さに加えてピーマンの彩りとほろ苦さが何とも言えない、ヤキソバの方はやっぱり豚肉の方が美味しいですね。どちらも材料費は300円以内で済みますがどうしても炒め物が多くなるというのが難点、カロリー計算は恐いのでやっていませんがこの程度なら大した事無いよねぇ?。 平日に作り難い物といえばやはり煮物、そんなに時間をかけていられないもんねぇ。前述のように勢い炒め物系が多くなってしまいます、あとは焼魚とか。煮物は完全に土日だけしか作らなくなってしまっています、煮魚とか里芋の煮っ転がしとか食べたいんですけどねぇ。だからって惣菜屋さんに頼ると食費は高く付くし、早く帰れた時くらいはチャレンジしてみるか~。 こうして料理に対してあれこれ考えていられるのも半ば強制的(^^;)に子供の頃から料理を教えられてきたからなんですけど、今にして思えば有難い事かなと。小学生の頃(1~3年生)は昼食は自宅でとっていたのですが親父はもちろん居ない(漁に出ている為)し、母も働いていたし祖父母も漁の為に居なかったしで仕方なく(ここは重要(^^;))自分で作って食べていました。 仕方なく、でも何でもやってみりゃやはり面白いし自分の好きな物を作って食べられるしでそういった生活も結構楽しんでいました。その後は生活も楽になった('70年半ばくらいは田舎ではまだまだ戦後)ので母も働きに出る事はなくなった(現在もパートなどはしているが殆ど趣味)しでそういった機会は少なくなりましたけど、それでも弟とああでも無いこうでも無いと言い合いながら料理をしている時間は好きでした。 1人暮らしをしたり漁師をしてみたりとその度に少しずつですが腕前は上がっている、ような気がする(^^;)のですが、さて実際のところはどうなんだろう。実家に帰るたびに簡単な物ですが、作った物を母が「美味しい」と言って食べているところをみるとなかなかの物のようだが、あまり料理を作って他人に食べてもらう機会が少ない(というか好きではない)ので身内だけの評価では何とも言い難いのですけどね。 と言う事で今日の「万物創世記」は豆、豆といえば畑の肉。それは兎も角(^^;)、関西系の人間の割に納豆好きな僕。イカ納豆でもマグロ納豆でも何でも来い状態、でも納豆の中に玉子を入れるのだけは納得出来ない、人それぞれの好みなんでしょうけどあれはちょっとね~。 すき焼きを食べる時でも玉子を付けるのはやはり好きになれない、そもそも生卵自体あまり好きじゃないし。でも玉子御飯は好き、これじゃ単なるワガママだよ。 ワガママといえば僕はウニ嫌いなのですがその理由は磯の香りがするから(^^;)、とても海の男とは思えない理由。でも板海苔(手巻き寿司とかに使う板海苔ね)は磯の香りが無きゃ納得いかない、しかし同じ海苔でも佃煮は磯海苔じゃ駄目、理由は磯の香りがするから(笑)。佃煮は川海苔の方が断然好き、好みとかそういった物じゃなくこれは紛れも無くワガママってヤツだよねぇ。 他にもこういった事例はたくさん有りあまりの細かさゆえか母からも呆れられる始末、でもこだわりは曲げられないですよねぇ、ワガママだけど。 豆からはどんどん話がずれていきましたが豆は好きです、甘露煮(いわゆる赤鳩)はあまり好きじゃなかったんですけど過酷な肉体労働を経験してからは大好きな一品。どんな辛党の人でも自衛隊や刑務所で過酷な労働を経験すると赤鳩が好物になるとは聞いていましたが、娑婆に居ながらにしてそれを経験してしまうとは。 そういう意味ではやはり鮪延縄漁師というのは過酷な職業らしい、もしかしたら懲役何年とかいった刑罰よりも鮪延縄漁師何年といった刑罰の方が犯罪の抑止には余程効果が有ったりして。 如月とは寒さゆえに更に重ね着をする、といった意味を持つのだそうな、油断せずに暖かい服装で寒さを乗り切っていきたいものですね。 野球も春季キャンプが始まり本格的に始動、来月(今月末だっけ?)にはオープン戦も始まる事ですし今年も熱い試合をたくさん見せて頂きたいものです。でも星野さん、熱くなりすぎて乱闘したり物を壊したりするのは程々にね、不景気の折、備品代だって馬鹿にならないんだから(笑)。 |
1999年2月1日(月) |
出勤時にはやたらと暖かく感じられた気温、でも実際の気温は結構低い。これは僕の体が寒さに慣れてきた為なのか、それともただ鈍くなっただけなのか。若年性アルツハイマーの気の有る僕としてはもしかして呆けて来てんのかなぁと心配、ボケは漫才だけで充分なんだけどなぁ。 体、本格的に絞ってみようかなぁと、つってもストレッチを取り入れるだけですが。これを週3回、月、水、金に行い土曜日か日曜日に散歩に行くというスケジュールで。メニューは軽めのものから次第に増やして行くといった方向で、まずは腹筋周りから、幸い昨日「体育と健康」といった本を買ったばかりだし科学的にせめてみようと思います。 体ってのは苛めてやればそれなりに答えを返してくれるので苛め甲斐があります、でも時々やりすぎてぶっ壊しちゃう事も有るので気を付けてやらないと(^^;)。最近ちょっとオーバーワーク気味の散歩、帰宅後や次の日はまともに歩けなかったりしています、でも月曜日には自分の体がワンランク上に押し上げられたような感じがします、まだまだ鍛え甲斐の有る体の様ですね。 しかし去年の今頃と比較すると格段の違い、そもそもまともに歩けなかったもんねぇ。一昨年の面接の日に会社(所在地は神田佐久間町)まで行った時に秋葉原駅から歩いたんですけど、ほんの10分くらいの距離なのにその途中に何度か「就職なんか止めてこのまま帰る~」なんてことを考えたものです。 あまりの腰の痛さからなんですけど今にしてみれば本当に笑い話、その道その場所を通るたびに「そうそう、この辺で本気で涙を流してたんだよな~」と感慨しきり。今や時速5キロくらいで6時間はノンストップで歩けるもんな~、月日の経つ早さと体の回復ぶりには目を見張るばかりですがこうしてみると僕もまだまだ若いらしい。 散歩一周年記念に何かやりたいですけど、さて、何が良いだろう。現在は三浦半島外周一周をしているんですけどこのコースを4日間連続で歩くとか、でも4連休って無いんだよねぇ。ゴールデンウィークには田舎に帰っちゃうし、来月の3連休を利用する他ないか、でも昨年5月に始めた散歩、これじゃ一周年記念にはならないよ(^^;)。 ホームページ開設一周年記念には大幅な改修工事と名称の変更を考えています、今から予告するのも何なんですが(^^;)。でも今から始めないと改修ってなかなか捗らないんだよね~、まさに8人月案件、でも実際にはそんなに時間は割けないんですけど。 改修工事、今回もHTMLタグだけでやります。出来ればフレームは使いたくないですね、あとスタイルシートも。もっともスタイルシートは現在でも一部で使っているんですけど、便利は便利なんですけどね~。 名称、どうしよう。別に今のままでも良いんだけどせっかくだから、何がせっかくなのかは解らないですけどリンクして下さっているサイトマスターの方々にはお手数な話だしどうしようかなぁ。 あぁでも改装するったってデザイン的にはほとんど変わらないんじゃないかと、創設時にはアイコンとか使っていたんですけどあまりに重いので止めてしまいました。写真とLINKのバナー表示以外は表示に時間を取られたくないというのがその趣旨なんですが見栄えという点でいうといまいちな状態、こうなりゃテーブルをフルに使うしか。 でもデザイン的な見地から使用するテーブル、複雑になりすぎたが故にスタイルシートが開発されたという経緯があります。う~ん、敢えて時代の流れに逆らうってのも何だか、CENTERタグも廃止の方向に持って行くらしいし、ここは思い切って使ってみるべきかスタイルシート。 そのCENTERタグ、これからはALIGN="CENTER"とかいった風に記述するように一本化されて行くそう、今までの<CENTER>タグは近々廃止するそうな。このホームページ、殆どのページで<CENTER>と記述して使っています、早急な対応が必要とされますがこれだけでも相当時間を取られそうです、無意味に巨大化する事の弊害ですね(筋違)。 さて2月です、もうすぐ春です、暦の上だけですが。今年は雪は降らないのかなぁ、市川付近ではまだ全然降っていません、正直物足りません。今年は去年とは違うぜってところを見せたかったのですが残念、山の方に行けば少しは見られるんでしょうけど積極的に近付きたい気分でもないし、29歳まであと2ヶ月と迫ったし(^^;)。 おじさんにはストーブの前でぬくぬくとしているのがお似合いのようです、このままじゃ21世紀突入時(数え31歳)には「おじいちゃん」なんて呼ばれているかも、若年寄とは名誉な事なり!(笑)。 |
1999年1月31日(日) |
寒い日が続いていますね、それでも日曜日は朝早く起きるようになってしまいました、はい、ポポロクロイスの所為です。 12時に西船橋でフォトスキャナの受け渡し、相手の方のキャラクターに圧倒されつつもスムーズに終了。帰りにマンガの森によって来ようかと思っていたんですけど面倒くさくなって帰宅。あぁでも、西船橋駅のベンチで待ち合わせをしている時、暖かな日差しについウトウトと気持ち良くなってしまい相手の方が来たのにも気付かない始末。冬の日の日溜りでうつらうつらとするのって凄く贅沢な気分、良いなぁ、来週はどこかの公園へ行ってみようかな。 帰宅途中に古本屋さんに立ち寄りいろいろと買ってくる、たくさん買ったので暫くは楽しめそう、それにしても童話って本当にシュールですねぇ。帰ってきてからテレビを見ていたのですが「噂の!東京マガジン」のやってTRYというコーナーで鰤の照り焼きを作っていました、見ていて我慢できなくなり近所のスーパーへ行って鰤の切り身を買ってきました。付けダレを作って切り身を漬し冷蔵庫へ入れておいて夕食時に焼いて食べるといった算段、他には月餅なども買ってきて日曜日の夜を過ごす準備は万端。仕込みを済ませた後、急に眠くなってきたので昼寝、17時過ぎまで寝てました(^^;)。 で、焼いてみたんですけど・・・、美味い、美味すぎる~!。何時もよりちょっと多めに御飯を炊いていたんですけどあっという間に無くなってしまいました、魚の照り焼きと御飯って絶望的なほどにマッチしますよね~、明日にでもまたやろうっと。 写真の掲載、結局出来ませんでした、でも来週は!。さてデジカメですがCANONのPowerShotA5Zoomにしようかと思っています、80万画素クラスですけどコストパフォーマンス的には良いものかと。大体これ以上高価になると手も足も出ないしねぇ、性能比較とかしている雑誌とか有りますけど風景も撮って欲しいですよねぇ。 「発掘あるある大辞典」を見てますが菊間アナは復活したんですね、でも何時の間に、ここのところ見ていなかったからなぁ。最近情報系の番組は増えてますけどあんまりな番組も有り食指も動かなくなっています、製作側ももう少し考えろやって思ったりもするのですがまぁなかなかねぇ。 「サラリーマン金太郎」の金ちゃん、鮪延縄漁師上がりだったのか。な・か・ま・じゃーん!とかいきなり親近感が湧いたりして、確かヤングジャンプで連載中でしたよね、買って読んでみようっと。最近「旅の途中」とか本宮さんの作品にはまり気味の私、これ以上本代が増えるのは避けたい所なんですけどね(^^;)。 明日から2月、心機一転って訳にはいかないでしょうけどまぁ頑張ってみますか。ところで今日スーパーに行ったときに気になるものを見ました、入口を入るとそこには雪掻き用のスコップが、そしてその横には漁師さんが履くような足長の長靴・・・。もしかして雪が降るんですか?、そう予想しているのですかスーパーさん?、明日はトレッキングブーツで出勤だ~!(笑)。 |
1999年1月30日(土) |
昨日は結構な量を飲んだにもかかわらず早い目覚め、しかも体調は良い、という事で今日は三崎港から久里浜まで歩くことに。早速身支度を整え駅へ、今日は久し振りに京浜急行線を利用、三崎口駅から三崎港まではバスで。 三崎港へ着いたのは10時丁度、近くのコンビニでオニギリなどを購入。腹が減っては戦は出来ぬという事で海を見ながら軽い食事、今日の気候は風が強く寒かったのですが日差しは暖かでした。三崎港には鮪漁船がたくさんいてなかなか壮観、これが音に聞こえた三崎船団か~と妙に関心しきり。我が竹が島船団もそれなりに有名ですがやはりまだまだマイナー、いつかこのような大所帯になるのだよと心の中で弟に語りかけ歩き出す。 向ヶ崎や宮川からは館山がくっきりと見えていました、春や夏には見えない光景。途中県道215号線を外れ毘沙門湾方面へ、こちらへ行きますとあの風力発電所の風車の在る所へ行けます。この風車、実は何処のも同じだと思っていたのですが近くで見ると室戸の風力発電所のものとは全然違う、こちらの方が全体的に大きい。うぬぅ、負けてしまったか~と悔しがりながら坂を下って行く、毘沙門は相変わらず釣り客が多く賑わっている。毘沙門天入口バス停付近で再び県道215号線に合流、江奈湾を過ぎ剣崎灯台へ到着したのが12時、ここで昼食を摂ることに。 昼食を摂りながら考え事。前にここ剣崎が「けんざき」から「つるぎさき」へと名称変更され、それの地元の人達が反発しているといったことを書きましたがこれが実は我が身にも降りかかってくる事になってしまいました。徳島県はいつからかは忘れましたが9市町村へと改編されるのだそうだ、例えば現在の海部郡は北部の日和佐町、由岐町が分離独立し、南部の牟岐町、海部町、海南町、宍喰町の4町が合併、海部町となるらしい。地域名は海部町牟岐とか海部町宍喰とかって感じになるらしいのですがこれじゃ三崎町小網代やら三崎町諸磯と同じだ、う~む、確かに昔から親しんできた町名じゃなくなるのはちょっと変な感じだ。 別に生まれ育った土地が無くなるわけでもないのに寂しい気分になるのは何故だろう、そんなの全然気にしてないつもりだったのに。確かに税収面とかを考えると行政区画を広げるのは有効かもしれないけど・・・、あと公務員数を減らすとか、いろいろと試行錯誤するのは賛成ですけどしっくりとこない。 食事終えゆっくりと歩き出す、菊名、三浦海岸を過ぎ津久井浜駅入口へ至ったのが14時5分、この調子だと久里浜へ着くのは結構早そう。野比からも対岸の房総半島が見え、その町並みもはっきりと見えました。久里浜駅へ着いたのは15時50分、5時間50分ほどの行程でした。 国道134号線を使えば城ヶ島大橋入口から横須賀までは26キロの距離、これなら1日(6時間程)で歩ける距離なのですが野比海岸や観音崎を経由したらそうはいかない。最初は行けなくも無いかなと思っていたのですが久里浜までこれだけかかっていたんじゃかなり無理っぽいですね、でも朝早くに出発できれば何とか行けるかも。 今日は数枚の写真を撮りました、明日にでも現像に出してこようかなと、久し振りに写真の掲載が出来そうです。 歩いている時にはいろいろと書こうと考えているのですが帰ってきて一休みすると忘れていたりします、もしかして若年性健忘症かと疑ってしまいそうです。今日の三浦半島、冒頭でも書いたように凄く寒かった。これだけ寒いとむしろ清々しい、冷たい風が火照った体に当たって気持ち良かった。こんなに寒くてもウインドサーフィンをする人達がいるのにはちょっと驚き、さすがに夏の様には多くは無いですけどよっぽど好きなんだなこの人達、感心してしまいます。来週は久里浜駅から海岸沿いに北上してみようと思っています、このまま横浜まで続けて行けると良いな~。 |
1999年1月29日(金) |
午前中は良い気候でしたが午後からはすっかり寒くなってしまいました、それでもここ数日が暖かかっただけのこと、これで平年並だそうな。フォトスキャナは順調に交渉が進み日曜日に受け渡します、これでデジカメの購入へ1歩前進、さあ頑張るぞ(何をだ?)。 今日は帰社日、はい、酔っ払ってますとも!。 でも酔っ払いの質が違う、今日は良い1日でした。 て事で寝ます、明日は荒崎だ! さて、実践です、何が何だか(^^;;;。それでもやるしかないのさ、どうやら僕は僕だけのものじゃないらしい、それが社会人って事ですか?(‐‐; |
1999年1月28日(木) |
今日もまた良いお天気でした、僕はというと「あぁ、出掛けたい出掛けたい出掛けた~い」と心の中で繰り返しながら仕事をしてました。こんな天気の良い日に何故お仕事!とまさに逆恨みモード全開、それでも明後日には出掛けることができる事を心の拠り所として健気にも働きつづける僕、なんて良いヤツだ(笑)。 会社からの帰り道、駅前で「1クラス30人制」の実施を呼びかける署名運動をしている人達がいました。「早く1クラス30人制の実施を、でなければどんどん子供達は不幸になっていきます。子供達の声を聞き、目を配る事が出来るのは30人制でなければ・・・うんぬん」といった主張を大声でしていたのですが・・・。馬鹿だこいつら、そう決めてかかる僕も馬鹿なんですけど(^^; 最近クラス崩壊が盛んに叫ばれている様ですけど何だかヘン、教師の介入しないクラス作りをって言っていた結果がアレだもんねぇ。子供達だけじゃあんな不完全な生活集団しか形成できないって事を実証して見せたってだけだ、やはりある程度の権力(という表現もヘンですが)を教師に持たせないと駄目なような気が。 それにしてもクラスの中で仲間はずれになるって事はそんなに恐ろしい事なんだろうか、自分のイヤだと思うような事を無理にでもしないと外されてしまうような関係にイヤだと思いながらもしがみつく。何故そのような心理状態に子供達は置かれてしまうんだろう、学校のクラスだけが社会の全てではあるまいに。 いや、もしかしたら全てなのかも。大人達はあんな状態にあるしねぇ、かまって貰えない寂しさが変な形で噴出しているのか?、でもそれこそ理不尽な話だ。大体子供達の教育面以外の事まで学校に押し付けようってすること自体ヘンだ、そんな運動している暇があったら家に戻って子供と会話してろと突っ込みをいれたりなんかして。 子供の事は親が一番良く知っているというのが通用しなくなってから随分経っているのですがまだこのような状態でとどまっているとは、何だか寂しい気分になって帰宅しました。子供の全てを学校に委ねようとするより親が自分で考え、より良いと思われる行動を自分自身の責任において実行する、とりあえずそこから始めないと。あ、でもそれが出来ないからこそ学校や教師に委ねようとするのか、困ったもんだ。 生物学的には人間の父親は母親に育児を押し付け、母親は手のかからない子供を望んでいるのだそうな。そのような本能が理性を押しのけて具現化し、父親も母親も学校に育児を押しつけようとするのか、そんな所だけ野生に帰られてもねぇ(^^; 昨日のカチンと来た話、どうやら「あなたの優しさとおもいやりによる臓器の提供があってこそ」の部分に反応してのことのようです。何でだろ、そこはかとない強制のような雰囲気を感じてしまうからでしょうか。優しさとおもいやり・・・、提供しない人には無いとでも言いたいのだろうか?。そんな事を考えてしまう僕ってやっぱりひねくれてるのかも、もう少し素直な心を養いたいですね(^^;;; |
1999年1月27日(水) |
今日も暖かい1日でした、朝家を出る時には雨が降るかもと思っていたのですが通勤途中にちょっと降られたくらいで済みました。仕事の方はいよいよ切羽詰ってきて久し振りに本気で働いてしまいました、やはりやれば出来るもので一気に捗ってしまい何とかスケジュール通りに終了出来そう、やれやれですな。 何だか中途半端にサボり癖がついてしまった所為でここの所なかなか仕事に手をつける事が出来ない状態が続いていました、どうもノっている時とそうでない時の差が大きい、それ程感情の起伏が激しい方じゃないんですけどどうしたもんでしょうね。 ドナーカード、貰ってきました。でもこれって・・・、例外って無いんですね。1.脳死判定に従った脳死後、2.心停止した死後、の2条件で臓器提供、もしくは3.臓器提供をしない、の以上3条件。 僕としては条件の3.臓器提供をしない、かつ脳死時に弟が臓器提供を必要としている状況であったなら例外として提供する、といった内容を記述したかったのですがそれは出来ないようです。 いや、してしまったら無効になっちゃうんだそうな。何だか窮屈な感じ、もうちょっと選択の幅を持たせても良いのにねえ。しょうがないので3.臓器提供をしないにマルを付け、かつ・・・以降の条件はメモでもして一緒に持っておくことにしました。 で、最後に。1番カチンときた言葉、それはパンフに書かれていた「臓器移植は、あなたの優しさとおもいやりによる臓器の提供があってこそ、成り立つものです。」。ひねくれているんですかね、何かかなり変な言い回しに読めてしまうんですけど(^^;;;貴方はどうですか? 今夜もゆったりと酒を飲んでいます、でも何だか気持ち悪い。ちゃんと寝てない所為かも、ダラダラと起きてないでたまにはぐっすりと寝てやらないと体が参ってしまいます。でも最近夢見が良くないんですよね~、イヤな夢ばっかり見ています、そこはかとない不安を現実世界で感じているからでしょうか。そんな事さっぱり気にしていない様でも心は敏感に感じ取っているのかもしれません、心も体も一時も休まる時が無いってのは辛すぎるねぇ。 |
1999年1月26日(火) |
あぁ、麗らかな良い天気、朝のうちはちょっと寒かったですけどね。出勤するのに部屋を出てびっくり、視界が100メートルも無いような靄、もうモヤモヤ~ンとしていました。こりゃあ写真も撮らねばと思ったのですが面倒くさくて止めました、大体リアルタイムで伝えられないし。こんな時デジカメなら今日の更新時に掲載する事が出来るのになぁと考え込んでしまいました、デジカメ・・・、スキャナを売り払って買っちゃおうかなぁ。 出勤してみてまたまたびっくり、うちのチームは誰もいない。昨日は僕が帰ってから大変だったらしく居残りをしていた2人が退社したのは朝の4時頃だったそう、午前中は少ない人数でなんとか仕事をしていましたがそれにしても本当に災難な話だ。 現在さざえの時雨煮を肴に一杯やっています、はい、美味いです。冬の夜の日本酒はしみじみと美味いですねぇ、あまり飲む過ぎないようにしなくては明日辛いことになりそうですが。 「炎のチャレンジャー」、100日チャレンジは成功のうちに終わってしまいました。もし家族の1人が同業者だったら無理だったんじゃないかと思ってつくづくヤクザな商売よのうなどと考えてしまいました、それにしてもお父さん、そこで飲みたくなる気持ちは良く解る。 何故ここまで来て~とナレーションでは言っていましたがそこまで行ったからだよと酔っ払いとして突っ込み、家康さんも百里を行くには九十九里を半ばとせよ(だっけ?)と言われた様にやはり2日前くらいに一気に気は緩んでしまうものなのですよこれが。ま、何にしてもそれまでちゃんと酒を飲むのを控えていたお父さんを誉めこそすれ責めるのはちょっと酷いかと、どっちかって言うと時間をきっちり守れないお母さんやお姉さんに問題があるよな~ってお父さんに同情していました、酔っ払いの贔屓目ってヤツですかね。 明日も良い天気だそうです、気温も今日くらいあるそうだしお出かけには丁度良いですね。でも、明日もお仕事さっ、楽しいな~っと。かなりヤケクソ気味な僕、さて今夜も楽しい夢を見ますか。 |
1999年1月25日(月) |
今日は昨日から引き続き雨、あ~もう、鬱陶しいし寒いし思わず「お外は寒いから今日はお家から出たくないよ~」と1人ダダをこねてみたりしてもそうはいかない、仕事が俺らを呼んでるぜ~と心にも無い事を考え出勤。相方も元気に出勤してきたし「さあ、一気に仕事をかたずけるぞ!」と気合いを入れた所ではたと気付く、「あ、テストの準備を全くしていない・・・」。仕方ない、気を取り直して明日からの準備をする。俺ってお間抜けさん、テヘッ! とか罰当たりなことを考えていたら本当に罰が当たってしまった、本・番・トラブル~。検証とかの為に会社を出たのが21時30分、徹夜とかして仕事している人にしてみりゃぬるい事を言っているなぁとか思うかもしれないけど、覚悟してではなく突発的に残業をすると本当に疲れてしまいます。でもまあ、日付が変わる前に帰ることが出来たんだから良いか。 帰ってきてニュースを見ていたら今後はドナーカードをコンビニにも置くということを言っていた、ローソンだそうですが。明日にでも行って貰って来ようと思っています、やっぱりコンビニはローソンだよね、久米さん。 昨日の天気予報では今日の気温は平年並みの筈だったのですが何だかやたらと寒い、この辺って江戸川から近いので冷たい川風が吹き付けてくるからなんだろうけど。やはりなんだかんだ言っても海の近くの方が暖かい、川風と違って海風は暖かいからだ。 冬になってからは兎に角埃、と言うか砂が多く吹き流されてきて自転車やバイクなど1週間も放置しておけば真っ黒になっている。これじゃメンテナンスが大変なのでカバーなど購入してやらねばと考えています、今度の日曜日にでも買いに行ってこようっと。 バイクと言えばDT50、一昨日の土曜日に走っている姿を初めて見ました。近所でも停車中のDT50を見た事がありますが走っている所は何故だか見たことが無かった、オーナーゆえの贔屓からかカッチョええ~と本気で思ってしまいました、バイクって良いですね~(^_^)。 冬の間はあまり走れそうに無いですね、この辺って寒すぎるよ。春になったらそれまでの鬱憤を晴らすように走りたいですね、ゴールデンウイークにはDTを田舎に送って林道とか走ってみたい、でも黒猫とかってバイクも配送してくれるのかなぁ、竹芝桟橋から徳島行きのフェリーに乗るって手もあるけど。 昨日の「鉄腕ダッシュ」、遭難した時に頼りになるのはやはり災害救助犬ですね。ピッケル城島はかなり情け無いことをしていたが救助されて良かった良かった、それにしても2頭の犬、別々の地点から捜索を開始しても臭いには同じように反応し正確にピッケルの足跡を辿って行きましたね、犬の嗅覚は凄いと改めて感心させられました。 あと闇鍋、あんなに体温が上昇するのか、心の昂ぶりが肉体に及ぼす影響があれほど大きいとは。でも冷凍庫に入ったら思いっきり体温が下がってましたね、やはり心頭滅却すれば火もまた涼し、というのにも限界があるようです。そりゃまぁ心の持ちようで暑い寒いがコントロール出来てしまえるならこれほど安上がりな事は無いのだが、でも地球には優しそうだなぁ、それ行けココロジーってやつ!?。 ん~、雨の日って思考まで何だかざんざか降りみたくなって嫌ですね、だかだかと愚痴ばっかり出て来ます。文句ばっかり言ってるのって馬鹿みたいでヤなんですけどでも考えてみりゃ本当に馬鹿なんだから仕方ないか(^_^;)、憂さを晴らすには酒だ!と孟徳さんも言っていた事だしかっ食らって寝ちゃいますか。 |
1999年1月24日(日) |
予想通り今日は寒い1日、朝から熱い風呂に入って極楽気分を味わいながらぼさ~っとしていました。 お兄ちゃん(若乃花ね)、優勝決定戦をした挙句更には取り直し、そして負け、災難だなぁ。千代大海も強かったけどここは若様に勝って欲しかった、何故かって?。だってこの1戦、穏やかなお兄ちゃんとツッパリの弟の対戦って感じがしてお兄ちゃんの僕としてはやはりお兄ちゃんの方に肩入れしたくなっちゃう訳ですよ。頑張れお兄ちゃんって拳を握り締めて応援していたのですが千代大海のツッパリ上がりの突っ張りも良かった(笑)、負けて悔いは残るだろうけど来場所も頑張れ、お兄ちゃん。 「カレカノ」、原作を読むんじゃなかったな~。読まないでおけばストーリーも読めないし、もうちょっとハラハラ出来たかも。それにしてもあの若さは羨ましい、もう僕にはあんな事で真剣に考え込むほどの感性は残されて無いもんな~。はふぅ。 「ポポロクロイス」の方は相変わらずヒュウ様が悩みこんでいるし、こちらもまた孤独である事(と言うか1人で居る事)に対する寂しさなんかさっぱり感じなくなっている僕には無縁の世界だ、その割には「かあちゃん、かあちゃん」と言っているが(笑)。ガミガミ魔王さんが元に戻ってしまった時にはどうしようかと思ったがやはりアレはアレでカッコイイ、男のロマンを追求する漢ってやっぱ良いなぁ、それが例え悪であろうとも。 みちろう君の「ばあちゃん、ばあちゃん」に負けずとも劣らない僕の「かあちゃん、かあちゃん」、けしてマザコンなんかじゃないぞと胸を張ってみても説得力のかけらも無し。それにしてもみちろう君、何故にあれほどばあちゃんが好きなんだろう、じいちゃんの気持ちなら理解出来んでもないが。 午後から本屋さんに行こうと身支度を整え部屋を出たのですが一歩出たとたんに引き返してしまいました、寒いよ、寒すぎるよ~。このまま雨が雪になっちゃうんじゃないかって心配しまくっています、買い物にも行けないし何か暖かいものでも作って食べよう。 もう1度熱い風呂に入って今夜は早く寝ちゃおうと思います、写真画廊の整理はあまり進んでいませんが。あとは草木と神奈川のみ、でもその神奈川が問題なんだよなぁ、枚数多すぎるよ。少し削除しようかなぁ、う~ん、でも。いろいろ考えているとさっぱり手が動かなくなっちゃうのでダーっとやっちゃった方が良いのかも、あぁ、時間が欲しいでござるよ。 |
1999年1月23日(土) |
起きたのが6時30分、今日は何だか暖かくなりそうな雰囲気。体調も良さそうなので散歩に行く事に、準備を済ませて駅へ向かう。今日の散歩コースは鎌倉駅から三崎港まで、あまり急がずゆっくりと歩くことにしました。 鎌倉駅を出発したのは8時55分、まずは若宮大路を下馬交差点へ向かって歩く。今日の鎌倉は少し雲が多かったのですが何時もと同じように綺麗な空が広がっていました、県道311号線に合流し逗子へ向かう。最初の難所である鎌倉、逗子の境に有る名越トンネルに差掛かる、これを越えると県道205号線との合流地点に差掛かる。先週はこの205号線を金沢から逗子駅まで歩いたんだよなーと感慨に耽る、更に南下すると小坪入口交差点に到着、先々週は披露山で散々なメにあった挙句ここへ出てきたんだよなーとまたまた感慨に耽る。 逗子駅近くを通って長柄交差点へと差掛かる、ここから国道134号線へと合流、標識を見ると三崎まで20キロ、ちょっと弱気になるも「いやいや、男の子たるものこれくらい歩けなくては」と自分を鼓舞。長者ヶ崎へ向かっててくてくと歩いていると警官の姿がやたらと多い、何かあったのかなぁと考えていると思い当たる事が、そうか、今は御用邸で静養中かぁ、だからこんなに警官が多いんだ。何も悪い事をする気もした事も無いのに何だかびくびく、警官のあの制服ってやっぱり変な威圧感がありますね。 それにしても何時も思う事ですがあまり他の「歩く人」に出会わない、多分僕が通常の「散歩コース」を外れて歩いているからなんでしょうけど。他の人達はもっと山沿いのコースとか歩いているのかなぁ、それとも北鎌倉辺りの用意された散歩コースとか?。 今日は長者ヶ崎で早めの昼食、ここにも警官がいました、沖を見れば警護艦みたいなのがいるし何だか物々しいなぁ(^_^;)。松の生えている駐車場に座り込んでオニギリをぱくつく、ふと見れば鳩が数羽。被害妄想が膨らんでいる所為かこいつ等もオニギリを狙っているような気がして気が気ではない、そんな僕の心配を他所に鳩達はその辺の草叢を突っつきながらウロウロしている。富士山は見えないものの江ノ島や稲村ガ崎ははっきりと見えている、天気は穏やかだしぼ~っとしているとそれだけで時間がてろてろと過ぎ去って行く。今日のオニギリは焼たらこと岩海苔(共にセブンイレブン)、岩海苔は新発売だそうですがこれがやたらと美味しい。暫く休憩した後11時5分、再び歩き出す。 ここからは横須賀市、ところで警官の人達、子産石の辺りまで居ました、もっとも白バイは何処でも走りまわっていましたけど。立石には立ち寄ろうかと思いましたが横目で眺めただけ、相変わらず釣りをする人は多い様だ。秋谷を過ぎ林を過ぎ三浦市に突入したのが13時丁度、鎌倉からここまで4時間ってかなりのペース。 三崎口駅前を通過したのが13時30分、やはりペースは早い。引橋からは三浦海岸や久里浜が望める、そう言えば暫くあっちの方に行ってないなぁ。もうここまで来れば三崎港はすぐそこ、自然に足取りも軽くなる。最後の難所である三崎東岡の丘を越えると後は三崎港まで下り坂、14時40分、三崎港へ到着。予想到達時間は15時30分だとしていたので予定より50分ほど早く着いてしまった、やはりかなりペースが早かったようだ。 先々週もこのくらいの時間を歩いたのですが距離は全然違うので足の筋肉はパンパンに張ってしまいました、足の裏にはまめが出来ているし(^_^;)。これで暫くはまともに歩けないかも、体力的にはこれくらいの距離は歩けても肉体は付いて来れてない様だ、元気なんだかダラシナイんだかさっぱり解らない。何にしてもこれで三浦半島の西海岸側は1日で踏破できることを実証できた、次は東海岸側ですがこれはいつの事になるやら。 今日も写真は1枚も撮ってない、つらつらと考えていたのですがどうやら三浦半島の風景は僕にとって日常の風景になってしまったようだ。そりゃ週1回来ていりゃ普通はそうなるんでしょうけど嬉しいような寂しいような、何となく「ナビ」でのアルファさんの心情が理解できた様なそうで無い様な。 来週は三崎港から海岸沿いに歩いてみようと思っています、剣崎を経由して横須賀、出来れば金沢まで行ってみたいですね。 歩くだけならこれくらいの時間で移動出来ちゃうものなのかとちょっと考え込む、何時もはもっとうろうろしたり迷ってみたりとかしているものなぁ。そう言えばアルファさん、長者ヶ崎から西の岬まで20キロくらいあるとか言っていたな・・・、相当尾根道とかを通っているのか?。何かものすごく知りたい気分、でもあの辺の尾根道、歩くの辛そうなんだよなー、どうしようー、でもいつか歩いてみたいですね。 明日は1日寝こんでいようかなぁと(笑)、余裕があれば手賀沼に行ってみたいですね、近所だし。バイクでブーンと、でも競馬の開催中は混むんだよなー、やっぱり寝ているのが正解のような気が、どんどん出不精になって行っているような気がする(^_^;)。 |
1999年1月22日(金) |
・・・僕、もう立ち直れない(笑)。いやもう大変さ、また風邪をひいちまったんですよもうこれが。てことで朝連絡をいれた所、相方(同じ案件をやっている人ね)も休みだそうな。災難なことよのうなどと同情していたのですが考えてみりゃ今日の進捗はゼロって事じゃないですか、あぁ来週が恐ろしい。相方ぁ~、来週は一緒に頑張ろうねぇ。 それにしても心踊るような事とて無く毎日がただただへろへろと過ぎて行く、お台場の事件にしろ新生丸の事件にしろ世の中どうなってるんだなどとおっさんのような事を言っててもしょうがないしねぇ。 「もののけ姫」を見ているのですがアシタカ殿、漢だねぇ、やっぱり男の子はああじゃなくっちゃ。何かに束縛されながら生きるのって楽しくもあり苦しくもあり、この世の中に全てから解き放たれた人なんぞ存在しやしねぇんだろうなぁ。 やる気の無さが見えるなぁ、明日は元気であれば何処かに行こうかなぁと。明後日はかなり冷え込むそうなので明日くらいしか動けない、は~、めっきりジジ臭くなってきた今日この頃。 |
1999年1月21日(木) |
朝のうちは昨日の名残で暖かだったのですが夕方にはすっかり寒くなってしまいました、こんな日はウイスキーのお湯割でも飲んで早めに寝てしまいたいですね。 昨日の電車の中でのこと、僕の後ろに立っていた2人連れの男の子の会話。男の子つっても既に成人しているような感じでしたが、家族の話をしていました。内容的には微笑ましいものでしたが現在の時代の家族関係を窺い知るような内容で何だか物悲しい気分になりました、それにしても「カレカノ」の世界、かなり遠い世界の話だと思っていたのですがその辺にごろごろ転がっているようなものだったのですね。如何に自分が恵まれているかっていうのを確認すると共に、絶妙なバランスによって支えられているアンバランスなこの世界に物憂げな気分になってしまったりなんかして。 内容は如何に自分の妹が出来る人であるか(かなりカワイイらしい)、兄が働きもせずごろごろしているのに何も言えない自分に対する葛藤とか、そんな感じの会話だったんですけど、うむ、自分もそんな事を考えていたなぁとか我が身に置き換えて身に詰まされてみたり。自分が20歳になったのを機に兄に意見をするとか言っていたのですが僕の弟もそんな事を考えていたのかなぁ、そんな事おくびにも出さなかったけどもしかしたらとか思ってみたり。 しかしながら彼なりに家族との関係を大事にしようとしている様子であったし、いろいろと考え思い悩んでいる様でもあったしで何となく安心。どうこう言っても家族は大事だと考えているらしい若者に心の中でエールを送り仕事に向かったのですが何か心に引っ掛かるものが、それが一体何なのかは解りませんが何だか変。 それは兎も角、遭難していた鮪延縄漁船「新生丸」、発見されましたね。まだ全員の安否が確認された訳じゃないですけれどまずは一安心、それにしても当て逃げとはヒドイ。家族が同じ仕事をしているので他人事ではない気持ち、周辺にいた漁船も捜索に協力していた様子で救命ボートを発見したのも仲間の漁船だった様ですね。このような場合における海の男達の連帯感って心打たれるものがありますが明日は我が身といった悲壮感の現れでもあるのでしょう、海で生活をしていれば一生のうちに遭難する事や生命の危険にさらされる事などざらに有ったりします。そのような折に頼りになるのは各地の無線局や仲間達なんですけどその無線局があのようなミスをする様では安心して航海する事など出来ません、これを機にもう1度危機管理体制や連絡網の再構築をしていただきたいものです。 さて明後日は土曜日、鎌倉方面に行こうとは思っていますが剣崎にも行きたいなぁ。こんな時体が2つ有ればと思うのですが無理な話、コインでも投げて決めますか(^_^;)。 |
1999年1月20日(水) |
昨日雨が降った所為か体の調子が良い、雨が降って調子が良くなる奴も珍しいですが。降ったと言ってもほんの20分程度でしたがそれでも充分お湿り程度にはなりました、雨って良いですねぇ。今日はなかなかの好天で雨は降りそうにもありません、確か祖谷の山奥には雨乞いの踊りが有ったはず、行って習ってこようかしら。 昨日の「万物創世期」、中華やフレンチを極めたいと思ってもあの真空調理法を極めたいと考える人は少ないはず。実際とても美味しく出来るんですけど何だか料理って言うよりは調理と言った感じでどうも好きになれません、この2つがどう違うのかって突っ込まれても答えようはありませんがやはり料理って言った方が暖かみが感じられるようです。 その住む地域の地理的条件や気候によってあれほど鍋が多様になったり1つの鍋が突き詰められたり、人間の食べる事に対する知恵や執念を思い知らされた思いです。我が家の中華鍋も炒め物や揚げ物に孤軍奮闘しています、たまにはお礼もしとかないとね、今夜はしっとりと油を塗ってあげようと考えています。 風邪が治って以降の食事は肉料理がメイン、と言っても夕食は野菜中心に摂っていますが。ランチは兎に角お肉、出来れば血の滴るような状態の肉が良いのですが贅沢も言ってられません。今日はチンジャオロースーでした、風邪の時に失ったカロリーを全て取り戻す勢いで食べてます、魚肉も体に良いのですがボリューム的にちょっとね。 小っちゃい頃から魚ばかり食べてきた割には、いや、だからこそかも知れないですけどあまり魚は好きじゃないです。だからと言って嫌いな訳でもないですけど、好きじゃないけど美味しく頂けると言ったような感じ(どんな感じや)。食べ方(骨の取り方など)は上手らしいんですけど褒められてもあまり嬉しくなかったりします、そんな事を言っていると罰が当たりそうな気もしますが当てられるものなら当ててみろと不必要に強気になっていたりもします、我侭なヤツやねぇ。 ある時からいきなり昆虫が嫌いになったのですが、そのあおりで蝦や蟹が嫌いであった時期がありました。どうもあの節足動物~って感じが好きになれないんですけど味は良いんだよな~、ちなみに昆虫が嫌いになった理由、それはあの複眼を図鑑で見てから、子供心に相当恐い思いをしたのでしょう。 そう言えば「少年頭脳カトリ」でエビフライの好きな人は馬鹿だって実験結果が出ていたっけ、無意識のうちにエビに含まれる頭の良くなる物質を補給しているのだそうな、実に恐ろしき話よのう。僕も無性にエビフライが食べたくなる時があります、タルタルソースをいっぱい付けて。そんな時は脳が疲れているシグナルだと思って思う存分エビフライを堪能してみたいと思います、でもエビって結構高いんだよな~、実家に要る時は殆どタダだったからどうも理不尽な思いがしてなりません。あまりに恵まれた環境で生活してきた為かどうしてもこの物価高には馴染めません、こうなりゃやっぱり引越しするしか。 早くも1週間の半分が過ぎ去ろうとしています、散歩を始めてからというもの1週間の過ぎ去るのがとても早く感じられるようになりました。今週は何処へ行こうかなどと考えているうちに後2日間はあっという間に過ぎ去って行く事でしょう、さて本当に今週は何処へ行きますかね。 |
1999年1月19日(火) |
今日もまたどんよりとした1日、風邪の方はだいぶ良くなり日常生活に差し支えない所まできました。でもあと数日間は無理を出来そうにも無いです、こんな時は良い息抜きだと思って思い切りゆっくりとしていたいと思います。 暫くは写真画廊の整理をしています、所々新旧織り交ざっていて見苦しいとは思いますが何とぞご容赦を。それにしても早い所整理してしまわないと何時撮った写真かを忘れてしまいそうです、若年性アルツハイマーとかになってしまいそうで毎日ヒヤヒヤものです。今回帰省した折の写真を掲載しましたが僕は全て気に入っています、でも残念ながら実際の写真とウェブ上の写真では雰囲気とか違って見えます、兎に角スキャナをどうにかしなくては。 昨日の「TVタックル」を見ていて思ったんだけど田嶋さんて良くあんなに深読み出来るなぁ、思わず感心してみたり。確かに「ちびくろサンボ」とかそれを匂わせるようなものは存在するけど何もそこまでとか思ってしまいます、ええやん童話はそのまま童話で、それにしてもシンデレラや白雪姫をあのように読んでしまうとは、恐るべし、田嶋陽子。 いくら僕がひねくれているからって童話をあのようには読まないぞ、いや、ひねくれているからこそ童話には純粋なものを求めるのか。だとすると田嶋さんはよっぽど純粋に育てられたのか、あまりそのようには見えないけどなぁ。 それが例え男であろうと女であろうと、力を付ければ知恵を、知恵を付ければ力を等閑(なおざり)にしてしまうようです。本当は両方とも大切なものなのにね、もし現在の力を付けた女性達が元々持っていた知恵をもっと重視していたら男共は手も足も出なくなっていたんだろうけど、残念ながら女性達はそれを省みることが無いようだ。栄枯盛衰、この女性上位の社会はそうは長く続くまい、その時に男達の真価が問われるはずなのだが、さて。 それにしても女性達は今の状態がずっと続くと思っているのだろうか、確実に反動がくると思うのだが。その時には必ず今自分達が行っていること以上のものが我が身に降り掛かるのだがそれだけの覚悟をもって行動している人がどれだけいるか、自分達が優位に立っているうちにあらゆる社会的な決め事や約束事などを取り纏め上手に今いる場所から降りることが賢明だと思うんですけど。そのうち嫌でも落ち目が来るし、そうなると「騎虎難下」、降りたくても降りられなくなりじたばたしているうちに全てを失って転落するといった馬鹿な結末を迎える可能性もある。 この先どういった流れになるかは解らないが、どうなるにせよ女性達の力を生かしていかなければならないようにはなるはず。どちらが上位に立つかではなく上手く手を組んで行けるかどうかが鍵になるのだが、それだけの度量を男達が持てるかどうか、そして打算の知恵を双方が持てるかどうか。 もしかしたらその際にあの間抜けな平等思想ってヤツが意外と役に立つかもしれない、あれって紛れも無く親(もしくは先生)と子供の間における「八股と馬虎」だもんなぁ。人から押し付けられた不条理な事でも自分の心を上手く騙して納得させる、うむ、今まで自分が受けた仕打ちを忘れ全てを水に流し手に手を取って歩いて行く、そのような事を可能にするには多少の間抜けさが必要なのかもしれない。 そんな事よりも料理、そう、料理ですよ!和食も中華もフレンチもイタリーも大好きな僕、でも近所にあるイタリアン・レストランには行ったことが無い。1人で行く度胸が無いからなのだが何時かは行きたいですね、是非本場のタコ刺しが食べてみたいです(バカ)。イタリア向けにタコキムチとかタコの塩辛とか輸出出来ないもんですかね、実は密かに狙っているんですけど。タコキムチスパとか塩辛スープとか・・・、駄目かなぁ、やっぱオーソドックスにタコ焼きですか。 タコのパエリアって何だか美味しそうなので1度は作ってみたいと思っているんですけど、タコとサフランって合うんですかね。中華鍋で作ろうと思っているんですけど大丈夫かなぁ、タコは明石産のもの、出来れば一夜干しのやつ、イカにしろタコにしろ干すとどうしてあれだけ味が濃くなるんでしょうね、不思議です。 あとタコ飯も作ってみたいです、タコを使った釜飯みたいなものなんですが。タコと出汁だけで作ったタコ飯、それにタコの御吸い物が付けば言う事無し。最近は気が付くと憑り付かれたようにタコの事を考えています、長い間タコ釣りにも行ってないしなぁ、タコのぬめりを取る為に洗濯機で洗う時のあの快感、ううっ、お、俺にタコを、タコをくれ~!! 「万物創世記」では料理の色んな面を見せてくれました、料理、本当に奥の深い世界だ。いつかその全てを極めてみたいといった野望に駆られますが、僕のレベルではちょっと、いや、かなり無理か。それでもいざ行かん、未知なる大海へ! |
1999年1月18日(月) |
今日は何だか薄曇り、風邪はまだ完治していないようで咳が治まりません。もっとも既に熱は無いのでそれほど辛くは無いのですが、体の芯の方に微かに残る風邪ウィルスの存在を感じつつ仕事をしていました。今日は我がチームでも7人中3人がお休み、風邪の猛威はなかなか去らないようです。 そりゃそうと先週の新年会、風邪ひきさんな状態で行ったが為にさっぱり飲めないわ食えないわ。他の事(仕事も含む)の為の体調管理ならともかく、酒を飲む日に合わせて体調を万全に出来ないなど酔っ払いとして情け無さ過ぎる。こんな事が続くようでは断酒もやむなし、我が肉体がこれほどまでにナマクラと化していようとは。 当日に飲んだ梅湯(正確には梅干湯)は相当僕の体にマッチしたようで、これを飲んで以降熱が下がり出したみたいです。翌日も1日中梅湯を飲んでいました、食欲も出て来ますしこれからは風邪のひき始めには梅湯で対処していこうと思っています。 年が明けてからの2回の散歩は2度とも鎌倉付近、鎌倉は良い所ですねぇ、中でも1番好きなのは空。鎌倉の青空って何だか素敵(^_^)、不思議な暖かみが有るように感じられます。引越しするなら逗子が良いと思っていたのですが今は断然鎌倉、材木座海岸で1日中陽射しと海からの風を浴びながら空を眺めていられたらと考えますと居ても立ってもいられません、今年の夏までに資金を準備出来たらさっさと引っ越したいと考えているのですがどうなる事やら。 その他の候補地としては横須賀か三崎、でもこっちの方だと通勤に時間がかかりすぎ、でも遊びに行くには良い所なんですけどね。弱点としては鎌倉、逗子にしろ横須賀、三崎にしろ親戚が多いと言う事、そう、「漁師さん、港々が準地元」と言う標語(?)が出来てしまうほど港周辺にはやたらと親戚や知り合いが多いのです。何か悪さをすると全て知られてしまいそうで気が気では無くなります、だったら悪い事をしなきゃ良いのにねぇ(^_^;)。 今年も成人の日はやって来ました、そりゃ来るんですけど成人式の盛り上がりってどうだったんだろう。僕は成人式やその類のイベントには参加したことが無いので良く解りません、また参加しようと思う動機も良く解らなかったりします。20歳になったからっていきなり成人だって言われてもピンと来ないし、だからどうしたってくらいにしか思えないし。成人・・・、一体何者?(笑)。 いや、笑っている場合じゃなくて本当に何なんだろうねぇ、もうすぐ29歳になるんですけど未だに成人だって自覚が無い。一体何をもって成人かそうで無いかを区別するんだろう、それを判断する術が生きて来た年数でしかないとすると少し悲しいような。 そんな事より「すくすくカウンタ」、もしかしてあれで成長は終わり?。あれじゃあ「まぐまぐ」って言うより「かめかめ」だよう、う~ん、一体何処で子育てを誤ったんだ(^_^;) 写真の方は今後は昨日「高知」に掲載したように撮影日毎に掲載して行く予定です、スキャナは暫くは今のを使う事になりそう。フィルムスキャナは諦めました、フラットヘッドのスキャナを買うか、それともデジカメに切り替えるか、現在検討中です。デジカメ、もうちょっと画質が向上して来ればなぁ。 |
1999年1月17日(日) |
起きたのが7時、シャワーを浴びポポロクロイスを見ながら朝食を摂る。何にしても帰る場所が有るってのは良い事で、田舎に帰る度にそう実感させられます。それにしても白騎士様、そんな勢いで馬を走らせたらすぐにばてちゃうぞ。そう言えばつい最近まで中央競馬では4,000メートルの競争が有ったそうですね、名称は忘れてしまいましたが本物のステイヤーって感じがとても良い、1度も見た事が無いまま廃止されてしまったのはとても残念です、もう1度だけでも良いから開催してくれないかなぁ。 熱も無さそうだからと出掛けたのですが駅まで行く途中に寒さのためか頭が痛くなってきました、それでも鎌倉へと向かうべく電車に飛び乗る。鎌倉へ到着したのが10時30分頃、今日はここから県道204号線で朝比奈峠越えをして県道23号線に合流、西六浦交差点で県道205号線に合流して逗子駅へ向かうといったコースを取ることにしました。 今日も鶴岡八幡宮は人出がいっぱいで写真を取っている人もたくさんいました、それぞれが違う対象やアングルで撮っているのを見ていますとその人の個性が出ている様で面白いです。また今日は奉納居合の演舞をしていまして見ていて全然飽きませんでした、僕は1人の演者の正面に当たる場所でその人の目を見詰めながら見ていました。やりにくいかもしれないなぁと思っていたのですが演者の方は集中している様でぜんぜん気にもかけていない模様、凄いなぁと感心していたのですが無視されているのもなんとなく気に障るので殺気を送ってやれとばかりにこちらも集中、むちゃくちゃ大人気無いヤツだ。 参拝を済ませ歩き出す、鎌倉霊園までは滑川の横を歩いて行く事になります。ところどころにちょっと高くなっている歩道が有ってこれが結構面白い、何時もより2メートル近く視点が上になるんですけど視界がぐんっと広がるって言うか、見晴らしが全然違う。そんな事を楽しみながら歩いて行くと鎌倉霊園へはすぐに着いてしまいました、でも何時もと何だか違う、疲れ方が尋常じゃない。坂道が続いている所為でもあるんですけど約1時間ほどでこれほど疲れてしまうとは、既に足が棒のようになってきています。それでも続けて歩いて行くと峠の頂上に、「よっしゃー!これで朝比奈峠も制覇~!」と心の中で雄叫び。峠頂上から朝比奈インターチェンジまではくねくねと曲がりくねった急な下り坂、しかも路側帯は狭い、恐る恐る降りて行くと坂の途中で海が見える、野鳥公園や八景島まではっきりと。暫く眺めていたかったのですが車の交通量が多く路側帯が狭いためそれも叶いませんでした、仕方ないのでまたテクテクと歩き出す。 朝比奈インターを過ぎ西六浦を過ぎ逗子駅へ到着したのが1時30分、ほぼ3時間の行程。見所は多数有った筈なのですがあまり見ている余裕はありませんでした、次はもっと体力的に余裕のある状態で来たいですね、あと鷹取山にも1度登ってみたいなぁ。 これで行動範囲が鎌倉市~金沢区まで押し上げられました、三浦半島全域を行動範囲内に収めてしまったのは良いんですけど、さて次は何処へ行こう。 野菜の値段が安定してきましたね、これは良い事。冬野菜が出回ってきた所為なのでしょうけど本当に安心しました、大根も1本199円、一頃に比べればぐんと安くなっている。神奈川県産の大根を見たときにはつい手に取ってしまいましたがグッと我慢、もう少しで平均値まで下がりそうだしそれまでは、ね。 あ~、写真はどうしよう。今まで使っていたスキャナは使えるので暫くはまたこれで取り込むしか、フィルムスキャナは、う~ん、売り払おうかなぁ。さて、どうしたもんだろう。 |
1999年1月16日(土) |
なんとなく復活、この時期の風邪ってきっついですねぇ、体温は36.5度で落ち着いていますが咳はまだ治まりません。それでも数日前までに比べればかなり良くなってますので再開しようかと、それにしても病気で更新を休むのは初めてなので本人かなりヘコんでます。 初日(11日)、2日目と体温は40.0度前後をさまよい、さすがにヤバイとは思ったのですが病院に行く気力も無くすほどの体温の為に殆どを寝て過ごしていました。3日目の午前4時頃には38.2度まで落ち着いてきたのでとりあえず出勤する事に、出勤時には37.8度、昼食時には36.9度と熱が下がってきたので安心していたのですが、帰宅してから計ってみると38.6度まで上昇。4日目の出勤時にもまだ38.1度、新年会を終え帰宅した時も38.1度。5日目に入ると37.5度まで下落、その後は37.0度で推移、6日目の今日は朝には36.0度と下がり過ぎ、お昼頃から36.5度と平熱まで回復。 以上がこの6日間の体温の推移ですがとにかく熱が下がらない、あまりに高熱が続いた為に2日目には味覚が駄目になってしまい何を食べても味がしないので食欲が無くなってしまいました。味覚が回復しだしたのが4日目から、それにしても味覚が無いのがあんなに辛い事とは、何事も無くしてしまわないとその大切さに気付けないようです。 昨日は体が「肉、食わせろや!」って主張するもので朝からカツ丼などを食していました、今日も1日中肉、野菜も一応摂ってます。食欲があるのは良い事なのでその欲求には従順に従っています、あぁ、味覚があるって良いなぁ、有難う、マイ舌! 昨日スキャナが届きました、そう、待望していたアレ。でも・・・、使えな~い、何故だか使えな~い。ちゃんと接続して認識されているのに、ドライバも最新の物を使っているのに、何でや!。キャノンのサービスセンターに問い合わせてみるとSCSIボードの問題ではないかとの事、I-ODATAさんには動作確認をして貰っているらしいのですが、その際の環境と僕の環境が違う可能性があるので最新ドライバを使用するなどしてみて下さいと。でも、それでも使えない、原因はさっぱり解らない、プレビュー(読み取り)が出来ないだけで自己診断とかは出来ているので接続が上手くいってないって事は無いんだけどなぁ、どうすべぇ。 このスキャナをあてにして随分と写真の掲載をサボっていたからなぁ、何事もそれだけをあてにして生きていると事が上手く運ばなかった時には痛い思いをする事になるって良い例ですかね、こっちもどうすべぇ。 明日からまた平常通りに運営して行こうかなぁと、でも明日は朝起きて元気だったらどっかに行こうと思っています。そういえば先週のお散歩の時の事ってまだ書いてない(^_^;)、こっちもどうにかしないとねぇ。病み上がりには無理をしないでじっくりとやって行きたいと思います、ではまた。 |
1999年1月11日(月) |
あー、昨日の風邪が悪化、お仕事はお休みを頂いて1日中寝て暮らしました。頭ズキズキ、咽喉はガラガラ、熱まで出てくる始末で打つ手無し。久方ぶりに寝るのにもご飯を食べるのにも体力が必要なことを思い知らされていました、それにしても秋葉原、油断しましたぜ、暫く近寄らない事にします。 病気の時ってついつい死ぬ事を考えてしまいます、それが例え風邪であったとしても。こんな時に傍に人が居てくれれば安心できるのですが、1人暮しの今それは望むべくもありません。いや、死ぬっつったって能動的に死んじゃおうと言うんじゃなくて、こう、漠然とこのまま寝たままで再び目が覚めないんじゃないかとか、「死む~、死む~」と繰り返しうなされるだけなんですけどね。治癒した後はあっけらかんとしたものなんですが、どうにも病気の時は心細くなってしまいます。こんな時はカラ元気も全く通用せず、ただただ瞑目するばかり、自分のダラシナイ体を呪うばかりですが如何ともし難い、怪我には強いんですけどね~。 そんな訳で再び寝ちゃいます、とにかく寝るのが1番。でも昨日も良く寝たんだよなぁ、新しい風邪対策法を考える必要が有る様ですね。 |
1999年1月10日(日) |
さて、良く冷え込みましたね、今日は。そんな訳で今日の練習は取り止め、朝からぼ~っとしてました。11時過ぎ頃から秋葉原へお出かけ、お目当ては「インターネット・信長の野望」、欲しかったんですよ、ずっと。で、行ってみたんですけどこれが凄い人出、あちゃー、何時ももっと早い時間に来てるからなぁ。まずはソフマップへ行き中古ソフトを漁ろうとしたんですが、人混みが凄すぎて良く見えない、しかも何か空気が薄い気がする。その後にヤマギワヘ行ったんですけどこっちは結構空いている、こちらでお目当てのものを発見したんですけどイマイチ乗り気になれず買うのは取り止め、再びソフマップへ行き「織田信長伝」を買って帰りました。それにしても思ったことは、これだけ人出があって不況ってのは本当か秋葉原?、人出が多くても賽銭の少なかった今年の初詣のようなものか?、これじゃ絶対コミケなんか行けないぞ、俺!、それよりも店内に入った時くらいバックパック(リュックなど)は下ろせジャリ共!は~、何だかすっかり自己嫌悪。帰る途中本屋さんによっていろいろ眺めていたんですけど人アタリしたのか気分が優れない、しかもちょっと風邪気味、何処かでうつされた様だ。 ポポロクロイス、男の子ってどうしようもないね。いやー、強がりばっかで泣き虫で、でもそうやって成長していくものなのさっ。それはともかく、ヒュー、女心が千々に乱れています、交錯しまくっています、どうしたもんでしょう。こんな時、男の子ならどういった行動をとれば良いのだろう、さっぱり解らないワタクシ、ナサケ無いっす。 ピエトロのキャラクターテーマ「君がいてくれる」、その中のフレーズ「嵐は恐いけど好き」、ウィ、僕も好き。ちっちゃい頃って妙に好きでしたよね、実家は海の側なんで昔は台風などで増水した時は家のすぐ前まで海水が来てました、停電なんかすぐになったしね。台風の時期って親父は漁で居なかったのでかなり心細かったです、家に居るのは祖父と祖母、母に弟達。それでも停電の時に蝋燭の灯った場所に家族全員が集まっている時など不思議に心が安らいで、そういった雰囲気や空間はとても好きでした。 台風が来た時のもうひとつのお楽しみ、それは公然と港の中で泳げるといったものでした。強風にあおられて船が流されない様にロープを張り巡らせるんですけど、その時に腰にロープを結びつけて港の端から端へと泳いで渡しに行く役目を僕達子供が担っていたんです。1人前に扱われて信頼されているといった喜びと、普段海が荒れた時など泳がせて貰えないのに公然と泳げる嬉しさとで張りきって泳いだものです。 今じゃ港湾整理も為されて増水もしなくなったし、こういった事は行われなくなっちゃったんですけど良い思い出ではあります。こうやって大人と子供が共同作業する事って田舎でも少なくなってきました、こういった時に色んな話を聞いたり様々な事を教わったりしていたものですけどねぇ。 今週中にはスキャナは届きそうです、メモリも増設する事だし受け入れ準備は万端、早くやって来て下され~と心待ちにしています。 |
1999年1月9日(土) |
やー、1000HITを越えちゃいましたね。何時も訪れてくれる皆様、リンクをして頂いているサイトマスターの方々、どうも有り難うございました。これからもよろしくお願いします、より良いホームページを目指して努力したいと思います。 うーん、今日のお散歩はいろんな事が経験できて良かった。まだ全然整理できてなくて上手く表現する事も出来そうに無いので明日以降に回したいと思います、でも鎌倉って良いですねー。なんて言うかこう、京都とは違った雰囲気を持つ古都でなかなか良い感じ。 若宮大路をそぞろ歩いている時にお婆さんに声をかけられました、「ちょっと、お兄さん。今日は何曜日?」、「今日は土曜日です」、「ああ、それでこんなに人がたくさん出ているのかね?」、「ええ、そうでしょうね」、と言った後にっこりと笑って分かれました。最後に「どうも、足を止めさせてごめんね」と言っていただいたのですが、それだけで気分は晴れまくり、その後のお散歩は本当に良い気分でありました。何でも無い会話なんですけど不思議と心地良い、やっと普通に知らない人とでも会話できる様になってきました、これもお散歩のひとつの効用。それと「お兄さん」、やっぱりそう言われるとちょっと嬉しい、もうすぐ29歳になろうっていう男にかける言葉じゃないけどねぇ(^_^:) あと材木座海岸でのこと、海岸に印象的なお爺さんが2人いて1人は砂浜に座って稲村ガ崎の方を眺めていました。もう1人はやはり砂浜に座っていたのですが、ワンカップの酒を傍らに鳩に餌をやっているのか鳩に囲まれている。2人とも服装は違うのですが引退直後の海の男って感じでなんだか物悲しい、暫く2人と共に砂浜に座っていたのですが、言葉を交わす訳でもないのに不思議な一体感がありました。なんだかんだいってもやはり僕も海の男なのか、引退したっていう点では3人とも同じではあるんですけどね。 感じる事が多かった今回のお散歩、やはり鎌倉の魔力か(^_^;)。もし引退したらここに住むのも悪くないかも、老後を海を眺めながら過ごすのも良いなぁ。 以下追記(19日)。 今日の予定は鎌倉の神社仏閣巡りをした後、国道134号線を三崎方面へ歩くというもの。まずは鎌倉駅へ、鎌倉もそうなんだけど北鎌倉もウォーカーでいっぱいですね、これはとても良い傾向・・・、かどうかは兎も角として(^_^;)。 鎌倉駅を降りて小町通を鶴岡八幡宮へ向かって歩く、朝の商店街は開店準備で忙しいらしく静かに活気付いている。途中で右折して若宮大路に合流、朝早いのに参拝客が多数いる。鶴岡八幡宮の境内は広く何処から見て回ろうかと思ったのですがやはり最初に参拝するのが筋だろうと手水舎で手を洗う、でも周りを見ているとあまり手を洗う人がいない。その殆どが年配の方なのですが最近の日本人は礼儀ってものを知らんのかと1人憤慨、これが参拝の王道ってものを見せてやると息巻き本殿へ。本殿には巨大賽銭箱が置いてありそれに向かってジャラ銭の全てを上手投げで投げ込み、豪快に柏手を2回、願い事をしてもう1度柏手を2回、どうだ参ったかと言わんばかりに周りを見渡し(^_^;)歩み去る、何考えてんだ、オレ。 参拝後には公開中の宝物殿を見る事に、これは本殿横に在るんですけどなかなか凄い。中でも合戦絵巻きは迫力モノ、屋島の合戦など四国に縁のものも有り興味深く見る事が出来ました。それにしてもあの独特の色使い、なかなか真似出来ない物のようですね。他にも文机や鎧兜などが置いてあり見ていて全然厭きません、昔の人のセンスの良さにはただただ驚くばかり、こんなのを見せ付けられると日本人には独創性が無いと言うのが嘘のように思えます。 御札を2枚買い次は旗上弁天社、ここは源氏池の中の島にあります。橋を渡っている時に気付いたのですが池の水は氷っている、その氷に朝日が反射してきらきらと輝いている。旗上弁天社でもお参り、ここでも御札を買ってみました。旗上・・・、良い響きだ、僕もいつか一旗挙げてやるぜと心に誓いその場を後に。 次はぼたん園、この日は朝早かったのでまだ花達に元気がありませんでした。管理しているおじさんが言うには暖かくなってくればもっと花が開いて綺麗に見えるとの事、でも中には寒さに強い種類もあるから探してみてね~って。一つ一つの花を覗き込みながら見て歩く、それぞれに表情がありこれまた見ていて全然厭きない。中には元気いっぱいに花びらを開いている牡丹もあり、これが寒さに強いぼたんか~と感心してみたり。ぼたん炎は今が見頃ですので1度行ってみると良いでしょう、あ、入場料は必要です、いくらだったかは忘れましたけど。 今日は土曜日の所為か人出が多いようです、特に外国の方達が多い。日本の伝統美ってものを目に焼き付けて帰ってくれよと考えながらも一抹の不安が、そう、最初に書いたように日本人自体が神社での作法を知らなさ過ぎるのだ。これじゃ良いお手本にはなれないし正しく見聞して帰って頂けない、もう少し勉強しろよ日本人。 鶴岡八幡宮を出て若宮大路をそぞろ歩く、途中大巧寺にお参り、そして下馬交差点へ。交差点を左折し、続いて四ツ角交差点を右折、この辺まで来ると閑散とした古都って雰囲気でとても良い感じ。また見上げる青空も綺麗で暖かな陽射しを浴びながらゆっくりと歩く、そして五所神社へ参拝。ここは材木座全体の氏神様らしくなかなか信仰されているらしい、敬意を表して念入りに参拝。その後は実相寺、九品寺を巡り光明寺へ。光明寺はさすがに門構えから巨大でこりゃ凄いと唸らされてしまいました、実家は浄土真宗派なのでここは外せないと来てみたんですが、光明寺って浄土宗でしたっけ(^_^;)。まぁそんな細かいことを気にしていても始まらないので取り合えずお参り、浄土宗も浄土真宗も僕にとっちゃ同じような物なのさ(確かに同じような物なのだが(^_^;))。 光明寺を出て材木座海岸へ、ここは夏の間に1度来てみたかった場所なんですけど遂にその機会がありませんでした。浜に降りると何故だかその辺にブイが、これって延縄用に使っているヤツじゃないかって訝っていると海の方からブイィィィンといった音がしてくる。なるほどね、ジェットスキー用の目印かぁ、ジェットスキー、1度は乗り回してみたいですね。 浜には僕の他にはおじいさんが2人だけ、それぞれに別の場所に腰を下ろし海を眺めている。僕も砂浜に腰を下ろし海を眺める、何だか妙な一体感が生まれぼんやりと海を眺める3人。2人とも元海の男っていう雰囲気が漂っている、引退しても海が忘れられないのだろう。僕も長く海の男達を見続けて来ているけど引退しても毎日海を眺めに来る人が多い、それだけ海に惚れ込み働き続けて来た証だろう。その場を離れる時には2人に敬意を表し軽く会釈をし、再び歩き出す。 小坪海岸トンネルを抜けて逗子マリーナへ、ここは僕には場違いな雰囲気。先ほどの2人や僕とはまた違った海の人達の世界、あまり区別するのは好きじゃないんですけどやはり根本的に違うようだ。速やかにその場を離れ小坪漁港へ、この辺りも逗子マリーナ、と言うか逗子の影響を受けて中途半端に華やか。漁師のおっちゃんが缶ビール片手に犬の散歩をしている姿に思わず苦笑い、鎌倉と逗子って隣り合わせの町なのにどうしてこうがらりと雰囲気が変わっちゃうんだろう。 須賀神社前から披露山を越えて国道134号線に合流するつもりで披露山を登る、う~、ここって住宅地(披露山庭園住宅)になっているんですけど坂がきつい~、こんな所に住んでいる人ってさぞかし健康なんだろうなぁと変な所で感心。そして登ったは良いが今自分が何処にいるのか解らない、どの方向を向いているかくらいは解るんですけど、目印として期待していた山神社の所在すら解らない。この披露山、楕円形のトラックのように外周の道路が通っていてその中に幾つかの道が縦横に走っているだけのシンプルな構造、さながら自動車教習所の練習コースのようなんですがそれがとても解り難くなっている。色々と試行錯誤を繰返したにも関わらず結果外周を1周して元の場所に帰って来てしまった、侮れないぞ披露山、西戸部町と並んで僕にとっての鬼門となりそうです、でも眺めは最高でした。 結局バス路線沿いに県道311号線に合流、銀座通入口交差点を右折して更に南下、長柄交差点で国道134号線に合流して長者ヶ崎を目指す。葉山トンネル手前で森戸海岸へと続く道があるのでどちらに行くか悩みましたが結局直進、葉山御用邸前を過ぎて長者ヶ崎へと辿り着く。なんかやたらと足の裏が痛いので久し振りだからかなと思っていたのですが、考えてみりゃ歩き出してから既に5時間以上が経過している。 ゆっくりと休憩しながら売店の犬とじゃれてみる、この犬、足の匂いフェチなのかやたらと足の匂いを嗅ぎたがります。かまっていると面白いので長い間コイツとじゃれていました、なかなかひねくれたヤツですが楽しいヤツです。 元気を取り戻し再び歩き出しましたがやはり久し振りの所為か疲れが取りきれない、子産石付近でギブアップ、バス停まで行って帰宅することにしました。自分としては林交差点くらいまでは行けるかなと思っていたのですが予想以上に体が鈍っているようですね、鍛え直してからもう1度チャレンジしたいと思います。今度は、そうですね鎌倉駅から三崎港まで一気歩きが良いかも、逗子駅から三崎口駅までは成功しているので何とかなるか、でも逗子~三崎口駅間に約8キロメートルのプラス・・・、大丈夫かなぁ。 |
1999年1月8日(金) |
今日は良いお天気だったのですが午後からなんだか怪しい雲行き、明日からは休みなんだから何とか持ってくれよと思うのですがかなり空気が冷たい。北から寒気団が来た所為なのですが、来るなら来やがれ、冬将軍などと啖呵をを切ったところで気休めにもなりません、とりあえず雨だけは止して頂きたいですね。 一昨日のニュースで徳島県木沢村でお婆さんが猪と間違えられ撃たれて死亡するといった事件が有りました、毎年のように起こっている事件ですがなかなか無くなりません。ここは夏に走りに行った所なので人事ではない気分、今回山中を走るときだってわざわざ休猟区を選んで行ったのですがやはりちょっと恐かった。山中は特殊な所で冬でも潅木や下草が生い茂っていて見通しが利かないし、何と言っても動物相手なものだからハンターの人達もちょっとびびってます。そんな状況でいきなり近くで音がしたら思わず撃ってしまうというのも解らなくはないのですが、そんな時は一呼吸置き声を懸けてからじっくりと引鉄を引くくらいの余裕を持って頂きたいものです。 もっとも今回走りに行ったときにも感じたのですが、何だか自分が見詰められていると言うか狙われているような錯覚に襲われたりすることが有ります。ただの枯れ木や枯れ草の陰影を何かが飛び出して来たって錯覚したり、小さな物音にビクッとしてみたり。おそらくハンターの人達も同じような感覚に襲われる時があるはず、そんな時に近くで物音がしたらやっぱり撃っちゃうんだろうなぁ。 1番の対策法は猟場に近付かない事なのですけど、動物が多い所には彼らが餌とする植物が多い訳で当然山菜や茸も多い。何とか巧く地域内でネットワークを作ってこの日は猟、この日は山菜採りとスケジュールを組むとか、こんな時こそお役所の出番なんだけど何やってんだかなぁ。 今日の夕飯は饂飩、ってゆーかこっちに帰ってきてからずっと饂飩。饂飩の食べ歩きが出来なかった鬱憤を晴らすがごとく食べまくっています、来週も饂飩がメインになるかと思います。明日は冷え込みのピークだそうなので一層饂飩が美味しく感じられる事でしょう、さて、明日はどんな饂飩を作ろう。 明日は鎌倉からスタートして国道134号線を南下してみようと思っています、出発の時間にもよるんですけどもし遅くなった場合には剣崎の方へ行くかもしれません。そういえば暫く行ってないなぁ剣崎、今なら洲崎が肉眼で見られるかも、冬の剣崎って何だか良いかもしれない。 |
1999年1月7日(木) |
今日もまた良いお天気、良い気分でお仕事が出来てもう最高(ウソ)。まぁ仕事が捗るのは良い事なのですが、捗りすぎるのもねぇ、明日は金曜日だしのんびりといきたいですね。 昨日は早く帰る事が出来たのでいろいろとやりたい事をやろうとうきうきしていたのですが、やって来ましたヤツラが、そう悪徳商品販売の方々。適当に相手をして帰ってもらったのですが約1時間もその為に費やしてしまった、何考えてんのか知らないけどお馬鹿なヒトタチ。大体が怪しくないって自分達で言うってこと自体怪しいし、その為に喋り倒すのだって胡散臭い、それに喋っているうちにどんどんボロが剥がれていく。正規の販売員がそんな話し方するわけ無いだろうって、凄い猥雑な言葉まで口にする始末。短い期間とはいえ訪問販売(京セラの太陽光発電の正規代理店)のセールスマンをやっていた僕にはとても理解出来ない世界、これで怪しくないって思わせようってんだから笑えるなぁ。もっともこんなヤツラに騙される人達も居るわけだからあながち馬鹿にも出来ないんだろうけど、それにしたってあんまりだよなぁ。 こんな時は漁師さんの血を発揮して凄味を効かせるとか、警備員時代の技を見せるとかした方が良いのかもしれないんですけど、あまりそういう事ってしたくなかったりします。大人気無いって気もしますし、でもあまりしつこいようだとそうしたり警察に連絡するなりした方が良いんでしょうけどね。 その後暫くは気分悪かったんですけどいろいろ考えさせられる出来事でした、新聞の勧誘だって凄い人達もいるし対策を考えるべきなのかも。新聞は取らない主義なのでお帰り頂いているのですが、その際の捨て台詞とか凄いものがあります。ナベツネもしょうもないこと言っている暇があったらこの辺りをどうにか改善して頂けると良いのですが、どうもあの方そういう事には頓着しないらしい、どうしたもんだかね。 ま、そんなこと気にしててもしょうがないので今日全てを取り戻そう、さ~て何から手を付けようかな~っと。 |
1999年1月6日(水) |
今日も晴れ、懸案だった仕事の方も片付き僕の心も五月晴れ。昨夜十分に睡眠をとった所為か今日はすこぶる調子が良い、おかげで仕事が捗ること捗ること、あれだけ梃子摺ったのに午前中だけでカタが付いてしまった、やはり調子が悪い時は寝るに限るようです。 今月いっぱいは仕事は忙しそうです、商売繁盛なのは良いことですがあまりにも忙しすぎるのも考え物、やはり暇じゃない程度に仕事が有るのが1番良さそうです。来週末は3連休、せっかくの休みなんだから時間に余裕も有るようだし房総半島周遊(1~2泊して)をしてみようかなと思っています、もちろんバイクで。でも・・・、寒そうだから行かないかも、フィルムスキャナも来ることだし。当日気分が良ければ行くってくらいにしておいた方が良さそう、印幡沼とか霞ケ浦にも行ってみたいんですけどね~。 まだ冬のボーナスが出た余波でリッチな状態なので今のうちに出来ることは全てやっておきたいという焦りに駆られています、城ケ島の京急ホテルに一泊して朝日を見るとか、温泉に行くとか。おそらく来月から再び貧乏生活を送ることになるでしょうからね、少しは貯蓄しようという気があれば良いのですが宵越しの金は持たない主義的な考え方の僕にはとても無理、出来る限り大きな病気とかをしないように日々健康に留意する毎日です。何かあればとても困ることになるのでしょうがその辺りの備えはさっぱり怠っています、金銭的な部分の危機管理に於いては無きに等しい状態、そろそろ本気で対策を練らなければならない時期かも。 もっとも自分に何らかの投資をしようと思えば嫌でもお金を使わざるをえない状況だし、でも良く良く考えればそうでもない方法は有るかもしれない。何とか模索しながらやっていく他ないのですが、でもやはりなにがしかのお金は必要、何が必要で何が不必要かを見極めていく必要も有るようです。 昨日のニュースステーションを見ていたら、やはり今年の初詣の参拝客は増えていたらしい。でもお賽銭は激減しているようです、神頼みは必要だが賽銭は不必要と考えているのか、でも何らかの見返りが無いと神様だって助けてくれないぞ。ちなみに僕は地元の神社に初詣に行きました、賽銭はその時持っていたジャラ銭を全て充てました。それほど大きな金額ではないのですが僕にとっては清水の舞台から飛び降りるような勇気が必要でした、これだけ有れば何日分の食費のなるんだろうって、すっかり所帯染みた考え方をするようになっちゃったなぁ。 振り込みってのは面白いもので現金でこんな買い物をしたらどきどきするだろうなって物でも買えてしまいます、家賃の振り込みもそうなのですが毎月こんな金額を手渡しするようなら月末が来るたびにどきどきしていなきゃならなくなります。便利ではありますがそれだけにちょっと恐い、買い物は出来るだけ現金で行うようにしているのですが大型消費の時はやはり振り込みに頼ってしまいます。もし電話代とかを自動振込で支払わないで現金で手渡すようになったら多分インターネットはやらなくなる、いや、止めちゃうんだろうなぁなどと考えています。それほどに毎月かさむ電話代、これも節約しようと思えば出来るんだろうけど考えるのが面倒臭くて全くやってない、困ったモノだ。 なんにしても1年は始まってしまった、7月頃には何やらイベントも有るようですが(^_^;)何者にも負けない心構えで1日1日を過ごしていきたいですね、今年の目標は「質実剛健」、頑張るぞ!、きっと・・・。 |
1999年1月5日(火) |
今日も快晴、でも風は冷たく気温も低い。午前中は帰社、仕事始めってことで。午後から勤務地へと出勤しました、市ヶ谷駅から勤務地までは坂道になっていて、ここを全力(フルスピード)で登るのが僕の日課となっています。坂道を登り切る頃には汗が吹き出すほどになるのですが、立ち止まるとやはり肌寒い。早く春が来るといいなぁと願いつつも、春が来れば僕も29歳、年相応に落ちついた人になりたいものですがそれは無理っぽい話のようです。 そうそうフィルムスキャナ、遂に発注してしまいました。今週末か来週中には我が家へとやって来そうです、検討に検討を重ねた結果、結局CANOSCAN2700F/WIN95に決定しました。ということで暫く写真の掲載はお休み、スキャナが来次第今回帰省時の写真から掲載して行こうと思います、古い写真の差し替えはその後で。 こっちに帰って来てからというものあまりの寒さの為にすっかりやる気を無くしています、こんな自分に喝を入れるべく何かをしたいと思ったのですが何も思い浮かびません。結局新着情報と日記(共に過去)のレイアウトと構造を変えただけ、写真画廊のレイアウトの統一もやってしまいたい所なのですが数の暴力に負けてます、情け無さ過ぎ~。考えればやることはいっぱい有るはずなのですが今は何も考えたくなかったりします、どんどん堕落していく自分がそこに存在しているのを横目で見ながら鼻先で「ふふん」と笑っていたりします、何考えてんだか。 今日は既に5日にもかかわらず相変らず電車が混んでない、ずっとこうだったら楽なんだけどもうすぐ冬休みも終わることだしまた混み出すんだろうなぁと思うと憂鬱。人混みが苦手な僕は満員電車なんか大嫌いなのですが、そんなことも言ってらんないし何とか馴れる他無さそうです。でも通勤電車を利用しだしてから既に1年6ヶ月、もうどうしようもないような気も。 やる気が無い時に無理して何かをやろうとして大怪我するのも嫌なのでこのまま気分が上向いてくるのをじっと待っていようと思います、おそらく1週間もすれば体も慣れてくるだろうし。さて、それじゃ今日も早く寝ますか、ふぅ。 |
1999年1月4日(月) |
今日も天気は晴れ、でも久しぶりに寒い気温にさらされた僕は熱帯魚モードに突入。だって昨日まで暖かい徳島に居たんだもん、最高気温が20度に迫ろうって所から10度を下回るって所に1日で順応しろって言う方が無理だ、今日は幸い仕事も無かったのでのんびりしてられましたけど。 帰宅時には寒さのあまり気持ち悪くなりました、どうやら低血圧が微妙に影響している様です、冬はイヤだなぁ。何だかやる気も失せてしまいます、明日から頑張って更新作業も続けて行こうかなぁと。 休暇中に撮った写真を現像してみましたがなかなか良く撮れています、これはフィルムスキャナが届いてから掲載しようかなと思っています。明日は仕事始め、と言っても今日から働いているんですけど、仕事も始まったことだし心機一転頑張ろう。 |
1999年1月3日(日) |
昨日痛飲した為、朝起きたら凄い二日酔い、かなりぼろぼろな状態で帰ってくることに。実は今でも頭が痛いんですけど頑張ってます、何をだって感じですけど。休暇中の日記は明日以降にゆっくりと、もう何もする気力が無いです、それではオヤスミナサイ。新年早々良いのかこれで(;_;) とか言って昨日は寝ちゃったんで今日はその追記を、以下4日に書いてます。 昨日飲み過ぎた為朝起きられず母に起こされたのが6時過ぎ、いい歳して情けない話だ。で、風呂に入ったまでは良かったのだがあまりの気持ち悪さに朝食を摂ることも出来ずに帰ってくることになってしまった。母の運転する車に乗り(僕が運転したら間違いなく飲酒運転で捕まる)一路徳島空港へ、途中朝焼けの風景などを撮りながら空いている道をひた走る。 今年は正月だというのに外出している人や道路を走る車の数が異様に少ない、その割には初詣には沢山の人出があったようなので今年も不景気だと予想する人が多いように窺える。おかげで空港に到着するのが予定よりかなり早くなってしまい喫茶店で紅茶を飲んだり、ロビーでぐったりしてみたり、トイレで思いっきり吐きまくってみたりと多様な過ごし方をすることになってしまった(^_^;)。 そんなこんなでお土産を買うゆとりなどさっぱり無く(時間はたっぷり有ったのだが)ヘロヘロな状態のまま飛行機に乗り込み離陸、飛行中は何故か気分も良くなり窓の外の風景を観賞しながらゆったりと過ごせました。三浦半島もくっきりと見え、久里浜の火力発電所の煙突や横須賀の町並み、馬堀海岸、観音崎や剣崎なども良く見えました。千葉県側では(地理を知らない為)富津岬くらいしか認識できませんでした、これじゃ千葉県民としてかなり情けないので少しは覚えることを決意、今ではピーナツとイワシを心から愛する立派な千葉県民となりつつあるがまだまだひよっ子だなぁ。 羽田空港からモノレールで浜松町へ向かったのですが最悪なことに相席になったのが家族連れ、子供は嫌いじゃないんですけどこういった時はどうもね、案の定浜松町に着く頃には僕のご機嫌もすこぶるナナメ状態。それでも気を取り直して秋葉原経由で帰宅、あ~、やっぱり自宅は落ち着くわ(笑)。実家へ帰り着いた時もそう思ったんだよな~、何だか不思議な気分。 帰ってからすぐに実家へ電話、その時の母の第一声が「飛行機揺れへんかったん?」、この言葉に象徴されるようにここの所飛行機に乗ってロクな目に遭ってない。乱気流で揺れまくってみたり、ス~ッと落ちてみたり、空港で離陸しようと加速してから急ブレーキを踏まれてみたり、いつ落ちるようなことになるかと気が気では無いのですが今回は往復共に何事も無かった。 郵便受けを見ると年賀状が1枚入ってました、毎年誰にも出さないのでここ数年減少しっぱなしだったのですが遂に1枚、そんな奇特な彼にお返事を書いて出すことにしました。旧友だったんですけど忘れずに年賀状を出してくれる人がいるってことは何だか嬉しい、だったら自分も送れば良いのにって思うんですけどね、この年賀状の返事だって多分10数年ぶりに出すもの、別に筆無精って訳でも無いんですけどね~、何だか面倒臭いんですよ、それが筆無精って言うんじゃい!って突っ込まれそうですけど。 やることややらなきゃいけない事はいっぱい有るんですけど全然やる気が起きずにメールチェックなどをやりだす、お年賀メールに返事を書いたり出したりすくすくカウンタを再契約してみたり。あ、すくすくカウンタ、契約が切れるだけで再契約したら契約が切れた時点の状態からまた始められるんですね、リセットされるものだとばかり思ってましたが。新しい名前は「まぐまぐ」、そう、マグロから採ったものです、決して「はぐはぐ」のパクリじゃ無いですよ~、念のため。 で、その後は相変らず現実逃避を続け本屋さんに行ったりCD屋さんに行ったり、駅で定期券を購入したりそんなことを4時過ぎまで続けた後、遂には観念し実家からの荷物の荷解きをした後PCの前に座る。ところで今回実家から持ってきた本やCDを「いろいろ」の方へ掲示しようと思っているのですがあまりの数に圧倒されています、アルバムCDだけで108枚、まさに煩悩野郎全開状態ですが全て掲載するのに1ヶ月は要するように感じます。漫画の単行本を掲載しなければ本の数はかなり軽減されるんですけど、さてどうしたもんだろう。以前からずっと聞きたがってたスピードウェイも十分堪能できたし今回持ってきたCDは多岐にわたっていてなかなか充実しています、スピードウェイ、今聞いてもやはり良い感じ、でも皆今より老けてないか? それらのCDを聞きながら「お気に入り」巡り、長く留守にするとこれが結構重労働になってしまうのですがやはり楽しみ。全て巡る事は物理的に不可能なので2日に分けて、今日は10時近くまでうろうろしてました。 その後我が家の更新作業に入ったのですが遅々として進まない、大した事やっている訳でもないのにね(^_^;)。そうそうあの写真(自己紹介)、かなり昔に撮った写真なので汚れてますけどなかなか良い感じ。服装からすると中学生の頃のもののようですが今からでは全然想像出来ないお姿、この頃って写真を撮る時に目を閉じるくせが有りこの写真も目を閉じてますけど笑顔の似合うナイスガイって感じ(どこがだ!)、これ以降写真に撮られるのが嫌いになり枚数が激減していくので資料探しに苦労しています。この写真を撮った場所は徳島県海部郡日和佐町から同郡牟岐町まで続く日和佐サンラインの途中に有る売店の横で撮ったもの、この道路は海岸線を走っており景色が良い事で有名です。 後は日記とか新着情報のレイアウト変更を考えています、その内やることでしょう。どうやらinterqでは23時45分頃から0時15分くらいにかけて何かやっているようでこの時間帯にアップロードしようとすると上手くいきません、更新日は3日になっているのに実際には4日だったりするのですがその辺はご愛敬ってことで。 0時過ぎてから眠い目を擦りつつ「紅茶王子」の4~5巻を読みました、コーヒー党の僕ですら紅茶好きになってしまいそうな面白さです、他にも面白そうな漫画に目を付けていますので買ってきて読んじゃおうと思います、でもこれでまた貧乏に拍車がかかるなぁ。明日(4日)はホストマシンも動かないし仕事はせずにのんびりと過ごせそう、1年の始まりからだらけたこと言ってますがたまにはこんなことも有っていいかなと。 最後になりましたが旧年中はリンクして下さっているサイトマスターの皆様、来て下さった方々には大変お世話になりました、本年も宜しくお願いします。 |
1999年1月2日(土) |
今日は肌寒いながらも一応晴れ、朝御飯をもそもそと食べながら今日は何処へ行こうと考えていたのですが、新聞の片隅に「小松島競輪、正月開催中」の文字を発見。これは行かずばなるまい、漢としてと早くも乗り気、急いで御飯を掻き込みスクーターに乗って駅へ。 汽車(電車ではない)に乗って小松島へ向かう、この汽車に乗るのも久し振り。悪名高い(^_^;)阿佐東線に乗り牟岐線を経由して南小松島駅で下車、ここから競輪場までは徒歩約10分程。海が見える競輪場で、ここのバンクはゴール前の直線が長く差しが結構決まります。時代の波には逆らえずここもマークシート記入で勝者投票権を購入します、また現在スタンド工事中ですがどうするつもりなのかさっぱり解らなかったです。他には場内の食堂では頼めばお酒も出してくれます、ホントはいけない事なんですけどね。 僕が到着した時には第2レースの発売中、間に合いそうにも無かったので見学する事に。以後3レースから10レースまで買い続けたのですが、的中したのが5、6、8、10レース、外したのが3、4、7、9レースと全くの五分、払い戻しは数千円浮いたとは言えやはり五分。新年早々これでは今年1年もまあまあ程度の賭事生活になりそう、去年は全然賭事はやらなかったので終始はゼロ、今年は以後全くやらなかったとしたらプラスのまま、でも数千円は嫌だ~! 10レース終了後は飲みに行く事に、でも知っている店は全店休業、そりゃそうだ、2日からやっている店なんて有る訳無い。そう思ってぶらぶら歩いていると有った、有りましたよ奇特な店が。串揚屋でその名も「赤いのれん」、どんなネーミングセンスや!と突っ込みをかましつつ店内へ。店内には僕と同じように競輪場から流れて来た人が数人居ました、正月くらいこんな所で飲んでないで家に帰れやと思ったのですが僕もその中の1人なので口には出せない、取り合えずビールから入り日本酒へ。 このあと散々飲み食いした挙げ句記憶を失いかけながらも何とか自宅近くの駅まで帰り着きました、でもここからが大変、そう、スクーターの酔払い運転が待ち受けていたのでした。ふらふらと走り出したとたんにコケてみたり、ガードレールに寄り添ってみたり、ぼろぼろになりながらも自宅へ到着、後は前後の見境も無く酔いつぶれて寝てしまいました。 飲酒運転、しちゃいけないと知りつつもやってしまう、いかんねぇ。これじゃダメダメ人間どころかライダー失格であります、2度とやるまいと心に誓ったのですが酔っ払いって謎な生物だからねぇ。 |
1999年1月1日(金) |
年が明けてから初詣、地元の神社です。こんな夜中に外出するのは久し振りなのでちょっとわくわく。都会では別に珍しくない時間なのですが田舎ではとっても珍しい事、もっとも海老網漁の解禁時にはこの時間に起きだして網を揚げに行くんですけどね。何をそんなに楽しみにしていたかというと星空、千葉では1等星くらいしか見えないんですけど空気が綺麗な田舎なら色んな星が見えるだろうって。でも期待外れに終わってしまいました、確かに良く見えるんだけど昔ほどははっきりと見えない。それでもオリオンやら北極星やらまぁ色々と見て楽しんでました、今度は何時見られるのだろうかって多少感傷的にもなったりして。 神社は山の上に在って暗い夜道を階段を上がっていかなきゃならないのでちょっと恐いです、昔子供の頃にこの階段を転がり落ちて怪我をした事が有ったので未だに心の奥底に怯えている部分が有ります。母の手を取り(母を助けているのではなく、僕が助けられている)、真っ暗な階段をよちよちと上って行く。凄ぇ大きな体をした子供みたい、50歳を過ぎた婆ちゃんに助けられてりゃ世話ねぇなぁと悪態を吐きつつも満更でもない気分、一昨日の事といいどうやらまだまだお子様のようです。もっとも男なんて母ちゃんの前に出りゃ誰だってガキになっちゃうような性質なんですけど、それにしたってさっぱり成長したと思われる部分の無い自分に愕然、もう少し母に頼られるような男に成りたいものだ。あと母が目を細めて弟達の事を話す時にも気が付くと嫉妬している自分が居る事に気付いてしまいます、これが子供の性ってヤツですかって苦笑しているのですがどうにもねぇ。 神社に着くと早速お参り、持っているジャラ銭の全てをお賽銭として奮発。少ない額で小さなお願い事をするのが信条の僕にとってこの賽銭の額はべらぼうに多い、もっとも母が隣でとてつもなく大きなお願いをしていたので少しは釣り合いが取れたようだ。大きなお願いと言ってもメインはやはり父や弟達の航海安全だったのですが、それが1番の無理事だって知っている僕は心の中で「そんな無理言っちゃぁ神様だって大変だよ、母ちゃん・・・」と呟いていました。そう、あの人達をそんな百円程度の賽銭で助けてもらおうなんて無茶なお願いなのだ、あの人達の無茶を全て助けてたら神様達は全員過労死するに違いない、それほどまでに海の男達は無茶しまくりやがります。しかし漁師の娘である母がそんな事を知らない訳でも有るまいに・・・、はっ、もしや確信犯か!?少し不良が入っている母の横顔を眺めつつ「母上、侮れないヤツ・・・」とまたしても心の中で呟く僕でした。 お参りを済ませ御神酒をいただく事に、最近酒豪の血統が開花しつつある母は盃へなみなみと注ぎぐびりぐびりと飲む、その横で僕は「神様、ゴメンね」と少しだけいただく。一昨年あたりから酒の量が増えた母、元々酒豪の血統である我が家では晩成型ですがどうやら子供達全員が手を離れてしまった寂しさかららしい。しかもたまにしか顔を見せないから尚更そうなってしまうのか、僕も弟も年に3~4回しか帰る事が出来ないし、そろそろ誰か身を固めて孫でも作ったれや、やる気有るのかアイツら!と自分に全くその気が無い事を棚に上げて憤慨する始末。 帰り道に母に誰か結婚する気とか無いんかと話した所、下の弟はいつでも出来るんじゃないかと言うので、じゃあアイツが帰ってきたらさっさと結婚せえって言っといてと言っておきました。これで長男坊としての責務が少しは果たせたかなぁと思い一安心、いや、思っている場合じゃねぇだろうって直後に突っ込んでみたりして。 兎年の元旦だからと言ってピョンピョン飛び跳ねてみたり、他愛も無いお喋りに花を咲かせてみたりと未だに少女のような部分を持つ母。どうやら僕はこの人の血を最も色濃く受け継いでいるようですが、残念ながら彼女の才能を全て受け継いだ訳ではなさそう、特にデザインセンスなどの分野は全くと言っていいほど。多才な人なのだがイマイチずぼらな性格が災いしたものか、そんな所まで受け継いでしまった僕、血は争えないものだとは良く言ったものだと感心する事しきり。 今日はもう1個所にも初詣に行くつもりなので帰ったらすぐに就寝、朝はゆっくりと目覚め雑煮を食べ、お節を食べ、ついでに酒も飲む。我が家の餅は丸餅で白味噌仕立ての雑煮を作ります、この辺は皆そのようです。そうそう、ウツボも食べるんですよ、珍味みたいなものなんですけどこれが酒の肴に最適、1度ご賞味下され。 10時くらいになってからお出かけ、行先は阿南市津乃峰町津乃峰神社。既に酒を飲んでいるので僕は助手席、元日だというのに車の数が少なくスイスイ走れました、予定時間を大幅に割って到着、さすがに神社の人出は多かったのですがこれでは先が思いやられる。もうちょっと行楽にも行こうぜ徳島県の方々~と元日から能天気な事を考えつつ階段を上る、この神社は山頂に有るので階段もかなりキツイ。それでもこの程度の階段でネを上げてるようじゃ琴平宮の階段の一気登りは出来ないぞと自分を鼓舞、一気に駆け上がる事に成功しました。津乃峰神社は航海安全の神様で橘湾を望む山の上に有ります、ここでもやはり百円玉で無茶なお願いをする母、僕はその横で「あまり無理しちゃ駄目だよ、神様」と思わず気遣ってみたり。御神酒と盃と御守りを購入し、たこ焼きも買って下山。下りるときはちょっとずぼらしてリフトで降りてみました、見晴らしが良くて結構楽しめます。帰りにはさすがに車も多くなってきましたが例年ほどでは有りませんでした、帰る途中に日和佐の薬王寺が有るのでこの辺ですこし混雑したくらい。 帰宅してからはやはり酔っ払いモードに突入、でも相変らずテレビはつまらない。しょうがないので再び海を見ながら飲む、海はええのう~などとのたまいつつ張り切って酒を飲んでました。 あ、そうそう、初日の出デヴューの話、結局起きられないでお流れになっちゃいました、1度日の出前に目が覚めたんですけどねぇ、ふぅ。母によるととっても綺麗だったそう、何だか思いっきり損した気分、明日こそ必ず! |