月刊誌があまたある中で、アフタヌーンが特異な地位を獲得してる理由。それは分厚いためでも、ああっ女神さまや無限の住人のためでもなく、四季賞を中心とする読切作品のためだと思います。
少し薄くなったアフタヌーンだけど、せめて毎号1作、できれば2作くらい、読切を載せてほしい。そう思ってる人は、たぶんたくさんいるはずです。というわけでアフタヌーン読切まんがの感想。
天涯孤独の女子高生作家という特異な設定ながら、描かれたテーマには汎用性がある。ラスト前、主人公ふたりが窓から飛び降りるシーン。鬱屈した物語はこのシーンに収斂してここで解放され、穏やかなラストへ。精緻な絵がすばらしい。
(「空になる青」(講談社)収録)
のちに「エンブリヲ」をものする小川幸辰のデビュー作。独特の感性で描かれた、暗喩に富んだストーリーはこのときから変わっていない。桜神父もいいけど、オリジナルが読みたい。
絵本のさし絵のような絵柄と、悲しい童話のような物語。完成度の高いファンタジー。にしかわたくはこのあと「ヤシノミ」でも入選。でも掲載されずに残念な思いをした。
いままで見たこともないような絵と、見たこともないような妙な話。インパクト抜群の黒田硫黄のデビュー作。妙におかしい「蚊」、悲しみをたたえた「熊」と物語のトーンもばらばらだった。
このあと天狗党の連載前に「象の散歩」という読切を描いてるんだけど、なぜかその時期だけアフタヌーン読んでなくていまだに未読のまま。悔しい。
少年とその不思議な友達との交流。独特の雰囲気を持つ物語は消えた友達を忘れゆくところで終っているけど、実はこれ、物語の前半部だけだった。後半部、そしてその続編は同人誌でいまも続いている。
人間に寄生し、驚異的な身体能力を与える宇宙から来た機械生命体をめぐる戦いの話。精密な絵と独創的なストーリーで、ボリュームのある話を一気に読ませた。このあと見ないけどどうしてるんだろう。
(「電夢時空」(講談社)収録)
舞台は近未来、題材はバーチャルリアリティ。シリアスにみせて変なギャグだらけ、うまいんだか下手なんだか判断しがたい絵のへんてこなまんが。絵はその後うまいことが判明。「たぬきマン」の続きはもう読めないのか。
相撲万能社会という設定自体だけでなく、強くなるための人肉食まで出てくる内容、ぶっとんだ展開、粘度の高い絵。相撲ネタの怪作は「横綱大社長」が(一部で)有名だけど、これも掛け値なしの怪作。
女性二人舞台の劇をテーマにしたおはなし。公演を重ねるうちにどんどん変わる劇の解釈、舞台の演技。真剣に劇と対峙する二人がみずみずしく描かれてる。次回作は読めないのか。
いやこどもってのは本に想像力豊かで‥というお話。抑えのきかない想像力の暴走に苦しんだこども時代を過ごした人なら共感できる物語。着想点のおもしろい異色作。
オールカラーの少し油絵っぽい絵もいいけど、殺し屋の死を描いてなおユーモアを感じる内容がかっこよかった。身近にこういう人がいると困るけど。いいまんが。
大量のせりふを駆使した、恋愛テーマのノンストップストーリー。ほほえましいラストシーンもいい。木尾士目はこのまんがで作風を確立した、と思う。
(「陽炎日記」(講談社)収録)
のちに連作ファンタジーの主人公になるヴァンデミエールの初登場作。残酷さも含めて、少年のエロスに満ちた物語。
(「ヴァンデミエールの翼1」(講談社)収録)
いいようのない衝撃を受けた、遠藤浩輝のデビュー作。傑作。
(「遠藤浩輝短編集1」(講談社)収録)
その翌月に載ったのがこれ。個人的に前作のほうが好きなのは、たぶん題材の差だと思う。評価を不動にした記念すべき2作目。
(「遠藤浩輝短編集1」(講談社)収録)
昔スポーツ万能だった肥満少年を主人公にした着想が面白い。たぶんこういう話、実世界ではたくさんあるんだろうなあ。開放感のあるラストもよかった。
この世に残した想いがあるのは、当然といえば当然。でもそれがあると成仏できない。だから想いを解いてあげないといけない‥
ひょうひょうとした主人公、淡々と進むストーリー。雰囲気があっていい。同じ作者の「なんびじょん」もこれ以前に掲載されてる。
いやでしょうがない、そして失って哀しい親子関係。そういうテーマを長い耳の遺伝というおもしろい設定で描いた好編。
女子高生を主人公に、底抜けの明るさが光った好編。絵も好み。個人的に大好き。次回作を首長くして待ってるんだけどなあ。
宇宙人を助けるために一升瓶一杯の精液を提供する高校生(中学生だったかも)の話。怪作には違いないのだけど、自家発電のさまを淡々と描いたコマ間に不思議な暖かさを感じたのは、感じる方がおかしいのか。
少年の日のみずみずしい物語。絵・物語とも完成度抜群で、なぜ次回作が載らないのか不思議なくらい。読みたい。
前編とはうって変わって恋愛とセックスを主題に据えたおはなし。人と人(特に男女間)のコミュニケーションという視座は変わらない。ラストがよい。
(「陽炎日記」収録)
蛇をペットにした転校生の少女。友達を家に招いたはいいけど、その蛇が元で思わぬトラブルを‥黒々とした描線もすてきな、読後感のいいまんが。
絵は荒いしストーリーもややありがちだけど、高校生の男の子のもんもんとしたものをうまく描き取っていた。佳作ながら掲載されたのは、そのへんが評価されてかも。
おませな女の子を軽快なタッチで描いた話。うわついた話にならなかったのは、リアルの重さもしっかり描いたから。このひとも次回作が読みたい。
アメコミを日本のまんがに昇華させた1本。ごちゃごちゃして勢いのある絵で描かれたハードボイルド。デビュー作とがらりと作風変えてきたあたり、作者の意欲が見える。次回作はいつだ。
学生演劇を舞台にすえた物語。計算されたページ割り、うわすべりしないテーマ。文句なしの傑作。
(「遠藤浩輝短編集1」収録)
ぼけたふりしてやりたい放題のじいさんを描いた痛快なまんが。家庭崩壊の危機に思わずぼけたふりを告白してしまい、翌日の氷の視線に耐えてうそぶくラストがいい。じじいたるもの、こうでなくっちゃ。
醜く強い主人公・豚王。その一生を縦軸に、彼を使って復讐を図るもうひとりの女性主人公を絡めながら描かれた力作。描き込まれた絵とともに味のあるまんが。次が読みたい。
むかしヤンマガでギャグを描いてた作者の、高校生を主人公にすえたシリアスなまんが。主人公が心境の変化を見せた矢先の、あっけなく残酷なラストが忘れられない。
こういうまんが、もっと描いてほしい。
多分に寓意に満ちた、主人公の女性の癒しの物語。刷毛ではいたような淡い絵柄と、ややなぞめいたおはなし。前向きのラストがいい感じ。
ある日気付くと、さまざまなものにチャックがついていた。人間の背中にも‥
難解なまんが。正直、込められたものがまだ読みこなせていない。もうなんべんか読まないと。むかし文学が描いたテーマは、こうしてまんがが描くようになっている。そんな気もする。
縁側で茶をすするような老後にあこがれる女の子の、ほのぼのとした恋愛譚。人柄のよいすてきなまんが。
ソファーの擬人化というそれだけで成功したまんが。なじみのソファーを見栄えのよい新しいのにしたら全然合わないというあたり、妙にリアル。実体験にもとづいてるのかも。
他愛のない小品だけど、淡々とした展開とすとんと落ちるようなラストがよかった。野心のないさまがすがすがしい。
骨太の達者な絵と、ぐいぐいと引き込むはったり十分のストーリー。寝る前にと思って読み、読み終えて興奮して眠れなかった。傑作。
精緻な絵で、難解なテーマを描いた純文学まんが。まんがはこういうこともできる、というのを示した1作。
奔放な想像力と、それを描き出す卓抜した技量で作り出された物語。特異なまんがだけど、すばらしい出来なのは間違いない。もっとコンスタントに描いてくれるととてもうれしい。
よけいなせりふ、不必要なギャグ、整理されない展開。にもかかわらず、ゆっくり物語の回る後半、そして悲しく救いのない結末は、作者の描きたかったものを確かに伝えてくれる。未完成だけどとても魅力的なまんが。この先が楽しみ。
第一印象は「はなしっぱなさない五十嵐大介」だった。まぶたを閉じると見える光に「蟲」という形を与え、蟲に寄生されて視力を失った少女、少女を守る少年、蟲を祓う青年の3人を登場させて、ふしぎなものがたりに昇華している。なかなかいいかんじ。
この人の長編を読んでみたい。読切でも読切連載でもなく、ゆっくり時間の流れる長編を。長編でこそ持ち味が生きてくるような、そんな気がする。(1999.1.31)
柱のあおりに「人がまだ自然に寄りそって生きてた、そんな頃の、これはお話」とあったけど、決してこのころは自律的に「寄りそって」いたのではなくって自然にやっとのこと生かしてもらっていた、まだ「自然」というものが存在せずにそこにあるのは山であり森であり川であった、そんなお話。といってもそんなに昔のお話ではなく、たぶん大正か昭和初期くらいが時代設定だろう。
お話には起承転結はあるけれど、あるだけである。主人公・太郎の助けようとした少女は、結局山の神をたばかるための村の犠牲をまぬがれることはなく、太郎は救うものではなく殺すものとしてしか生きられぬ自分のさだめに涙を流し、冒頭に太郎の涙/目玉を食った魚は太郎としての夢に悩まされ続け「眠るのがいやになりました」‥で話が終わっている。これは理屈のとおってすっきりした起承転結を持つ物語ではなく、人がちっぽけな存在であるがゆえに発生するお話なのである。そういうお話を描くツールとしてまんがが有力であることを、このまんがは証しているように思う。
いままで人里にいながら不可思議なものを描いていた作者が、人里から大きく踏み出した一作。これからこの人はこちらの方に進んでいくのか、次を興味深く待ちたい。また一年後かもしれないけど。(1999.6.6)
すげえうまいというか、達者なまんが。60ページ超の長編なんだけどさらさらと読める。絵もけっこう好みで吉。おはなしの展開もうまいもんなんだけど、いまいち予定調和のおやくそくのなかで収まってしまっているところがあるのがちょっと惜しい。これで読みでのあるストーリーが描ければすごく楽しみ。(1999.6.6)
どうしてこういう設定と展開を思いつくかねというのはいつものことだけど、じゃあ特殊な話かというと違う。あれ、黒田硫黄が恋愛ものを描いたのかというと、そうなんだけどでも違う。これはかつて高校生だった人間が描いた、あのころの物語なんだと思う。
そのときには当人は必ずしもそうは思ってはいないけれど、振り返れば不必要なエネルギーに満ちていた、なにものになることも許されなかったけれどなにものでもないことが許されていた、自分が10年後になにをしているのかイメージがなかった‥こういう書き方をすること自体、高校を遠く離れたあかしではあるけれど。
そういう汎用性のあるテーマを壊れた設定で描いてしまうあたりが、いつものことではあるけれど、この作者の作者たるゆえんである。そろそろ、連載長編が読みたいころ。(1999.6.6)
遺伝子操作の結果生まれた、陸上で呼吸し、二足歩行し、人間並の知能を持った魚。研究目的で主人公の女性研究者がその魚と自宅で暮らした、その顛末記。
テーマがテーマだけに風刺とか批判とかまあそういう側面がなくはないんだろうけど、それがあまり目立たないのは、そうせざるを得ない人間の性分と、研究対象の魚人間にペットとしての感情も持ちながらでもやっぱり研究対象‥という主人公の行動が、無理なく描いてあるからだろう。ラスト前の「なぜか涙が出なかった」あたりがうまい。(1999.6.6)
これ、読んでない人にはわからんまんがじゃないかしらん。ロジェ・マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」。白水社、全5巻、黄色い本。というわけでまずそっち読んでからこのまんが読みましょう‥というにはあまりにも大長編ではあるけれど。
のめり込んで現実との境目があやふやになるような物語の特質、そういう本にのめり込む高校生という時期。そういうことを描いたまんがなんだけど、なんつうか、めちゃくちゃ上手いです。まんがが。
こういう上手さが多くのまんがに求められるわけではちっともないけれど、こういうのはやっぱ読んどくもんでしょう。職人技のなした逸品として、こういうまんがもあるんだというまんがとして。(1999.9.5)
高架下の手打ちトーンという発想にまず脱帽。そのトーン職人である少女が無心でトーン打ちながら、実はしっかりまんが読んでるというのがいい。勢いにまかせた展開とばかばかしいオチもよし。四季賞にときどきある楽しい異色作。(2000.2.21)
直線をうまくつかった、おもしろい絵柄もよいけれど。余白をうまいこと使ったコマも、リズミカルなセリフもいいけど。
そういう夜は確かにあるんです。ひとりで寝るには寒すぎる夜が。そういう夜には100のなぐさめのことばよりも、1つのゆたんぽがあったなら‥と思わせる説得力は、だぶん「寒すぎる夜」の寒さが正確にとらえられているから。
寒たすぎるなんて日本語はあるのかとか、そういう夜にぐっすり寝れるかなあとか、そういう野暮は言いっこなし。こういうまんがは素直に読みましょう。ね?(2000.2.21)
改札を出て駅で待ってるおとうさんの元にかけて行って、コーナーを回ったところで立ち止まって。読み返して、このシーンですごく胸が痛くなる。
それは両親の離婚でたまにしか会えない父親という形で描かれているけど、でも誰にでも身に覚えのある記憶。親に置いていた全幅の信頼が失われるとき。幼年期の終わり。父親と別れた帰り道、少女の急におとなびたような表情になおさら胸が痛む。
でもそうやって傷ついた幼年期のあとに、それでもやっぱり自分を見てくれてる父親を自覚するときがきて。高校生になって生意気な口をきくようになったけど、こんどは前よりも対等な場所でそれが伝わって。
そういうもろもろを、くるくる変わる少女の表情で描きわけた力量に脱帽。などと客観的なこと言ってる余裕は実はなくて、惚れました。見た瞬間アラームが鳴って、一読めはわりとすんなり読んだけど、ゆっくり再読して再読時のほうがよくって、それは一読目に見えなかったいろんなことに気づいたからで。再登場を強く強く期待します。(2000.7.2)
前作とはうってかわって、こんどは人里に降りてきてのまんが。海辺に住む男女、不思議な女性と彼女を支える男性、ふたりに出会った少女の物語。
皮膚から砂が出てくる女性というのはいかにもこの作者らしい発想だけど、それは言ってみれば舞台を回すしかけに過ぎない。無垢な男女のありさまを描いたとか、そういうようなものでもない。決して明るい話ではないけれど、なぜか読み終わってしみじみ「しあわせだなあ」と思ったことであります。登場人物たちがではなく、自分が。たぶん、こういうまんがが読めて。
そろそろ、ページ数もたまりました。読切集めて単行本を出しましょう。これを雑誌読者だけのしあわせにとどめてはもったいない極みです。(2000.7.2)
最初読んだとき普通のペースで読んで、よくわからんなあと思った。構成に凝ってるのかなあと。もう一度、こんどはゆっくり、ゆっくり読んで、こんどはよくわかった。ゆっくりよまないといけないまんがだったのだ。
ゆっくりよまないとわからなかったのは、セリフでストーリーを説明してないから。登場人物の表情も回想シーンもぜんぶ合わせて、自分で物語を組み上げないとわかんないのだけど、こういうまんがをゆっくり読む余裕はやっぱり持たないとなあと自戒したことです。先月(橙)もおんなじようなことをやっただけに。
頭がよくて勉強が出来てものごとが見えて、見えるゆえの他人や世の中への苛立ちをひそかに抱えて。そういう女子高生の主人公が、見えていなかったものと見えていなかった自分に気づくまで。頭のいい子の物語なので汎用性に欠けるかもしれないけど、高校生の自分を振り返ってなんと馬鹿だったことよと思う人ならば、伝わるものがあるんじゃないかな。そんなまんが。(2000.7.27)