G. Bs. Ds.でブルース系、ビートルズ系、ちょっとGS系で遊びたい人いない?!連絡
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ハンタイと言わなくなった

ここ数年、「空気が読めない」「KY」などの言い方がメディアによって流布されてきた。周りに合わせない、「協調性」がない、我を通す勝手なやつというような意味合いだろうけど。この言い方、ちょっと引っかかっている人も多いのでは。

メディアを通じてある言葉が流布されることによって、いつの間にかそれが共通の価値観とされたり、それまであまり目立たなかった社会事象が重大な意味を持つ事態であるかのようになるのは今に始まったことではない。

「引きこもり」などもそうだ。この言葉をメディアが蔓延させたことで、それまで独自の個性として、誰にも邪魔されずに生きてきた人たちについて、急に社会とは異質な、特異で厄介な存在であるかのようなイメージが定着してしまった。その結果、この言葉を当てはめられ迷惑をこうむった人は数え切れないだろう。フツーの人のように学校へ行ったり仕事して社会生活してなければ、異端者とされるような世の中はどこかおかしいのではないか。    
というようなことを考えていたら、こんな本が出ていた。「空気は読まない」(鎌田實著・集英社)
「…空気は読めるが、空気に流されないことが大切なのではないか。…昔、みんなが空気感染して、なんだかわからないうちに、ぼくたちの国は戦争をしてしまった。」(同書)

ここしばらく、何かの物事に「ハンタイ」と思っていてもそれを意思表明する人が減ってきている気がする。反対、というと角が立つ、というのだろうか。ある日本の労働組合の幹部が、「反対と言えば相手との関係はそれっきりだ。そうではなくて、認めたうえでそれをわれわれの実状に沿うように変えさせていく方が得策」と述べていた。この主語は合理化解雇とか、賃下げとか、なんでもいいわけだ。

こんなことがいえるなら労働組合なんて必要ないだろう。60数年前、みんなが空気を読まされて戦争になだれ込んだのと、今の雰囲気は似ていないだろうか。戦争にハンタイ、といえばそれっきりだからわれわれの実状に沿う戦争となるように変えさせていく方が得策、ということになるのだろう。





スポーツ議員禁止法をつくれ

今度の参議院選挙にも柔道の谷なんとかという女性の選手が立候補しているそうだ。知名度だけはあるから、政党にとってはありがたいのだろう。しかし、当選したあとのことを考えているのだろうか。まともに政策議論出来るわけないのは当たり前のことで、べつにそれは本人が悪いわけでも、バカなわけでもない。今までやってきたことが政治とは無関係、対極にあることをわかっていながら、スポーツ知名度のみに依拠して当選してしまうことがどれだけ選挙民、タックスペイヤーをバカにしていることになるか、それを知るべきだろう。

こうして当選してしまったスポーツ議員は、当面ムツカシイ政策議論にはついていけないので「スポーツ省をつくれ」だとか、「スポーツマンシップを国会へ」なんて、聞いている方が恥ずかしくなるようなことを述べて時間をつぶすことになる。そういう議員にも給料は払われる。こんなバカなことはいい加減やめさせるべきだろう。

以前の参議院選挙で、普通に立候補したのだけど、選挙運動中に街宣車の上から「柔道4段の○○を国会へ」というのがいた。これはまだ救われる方だろう。スポーツ知名度はないからそれに依拠したわけではなく、本人の属性としてあげてみただけという場合だ。

スポーツ議員は直ちに禁止しろ。ただ、別のアイデアとしては職種別、立場別に当選枠をつくる、というのもあるぞ。芸能界枠、ホームレス枠、年収別枠、ゲイ枠、高齢者施設入所者枠とか、物言えず政治から無視されている人間に当選枠をつけるのだ。むずかしいかな。

高速無料化に反対するバカがいる
新政権になって、これで高速がただになるぞと喜んでたら、不思議なことにメディアをはじめとしてヘンなリクツでこれを阻止しようという動きが出てる。そのリクツとは、高速がただになると渋滞が増えて陸送のトラックが迷惑する、JRが経営不振になる、高速の従業員が失業する、なんてバカな話。そもそも、道路公団が日本に高速道路というものを作り始めたとき、建設費が償却されれば将来は無料にする、という約束だったのだ。

いや、そんなこと以前にものをただにしようというのに反対するやつがいること自体がとうてい理解できない。そういうやつは金が有り余って、何処か行くたびに金を払いたくてしかたないのだろうか。
TVニュースなどで、通りがかりのドライバが「渋滞がひどくなるから反対です」などとしゃべったりしているのはもちろん政策的な報道にすぎない。しかし、それを差し引いてもどうも本気で無料化反対と思っている人間がいるようだ。ここまで飼い馴らされた、ということなのだろう。

映画もいろいろかな、日本の映画も…
「剣岳」(木村大作監督)という映画を、見るつもりは全くなかったのだけれど、時間が余った関係で見た。こういう映画は久しぶりかな。原作は読んでないけど、ストーリーを忠実に、こうしたら次はこうです、次はこうです、と、NHKのドラマみたいにやってみせる。すべて実写だというのだけれど、岩場から落ちるシーンはまさかね。山での人物のアップのとき、背景の山の映像が不自然に平面的で、どうもこれも合成映像じゃないか、と思ってしまうのは、ぼくだけだろうか。

この映画に関わった人たちは現代にはまれなナイーブな人なんだろう。山の頂上に誰が一番乗りするか、なんてテーマでこんな映画を作ってしまうのだから。せめてエンドロールで詳しい情報を、と思っていたら、あらあら、関係者全員が「仲間たち」という単一の肩書きだ。高校の映画同好会じゃないんだから、これでは金払った観客に失礼というもんじゃない。

ついでに、「愛を読む人」(スティーブン ダルドリー監督)はよかった。「恋するバルセロナ」(ウッディ アレン監督)これはどうでもいい映画。最初から最後までナレーションがうるさくてつかれてしまった。


ヘンになってきたぞインディージョーンズ
「魔宮の伝説」、「最後の聖戦」など、エンターテインメントとしてわくわく、ぞくぞくだったインディージョーンズのシリーズだったけど、「クリスタルスカル」になるとだんだん息切れというか、がっかり気分で劇場を後にしたぞ。今回はファンタジーなみにCGを多用しすぎ、とくに吹き替え版までつくったのは結局こどもだまし版にしてしまったのか。プロットはいつもの宝探し系に東西冷戦系、なのだけど登場人物に精彩がない。

意表をつく子役とか、アクション系美人とか、エンターテインメントの基本となる材料が揃ってない。ふと思いついたけど、ハリソンフォード自身が、1942年生まれという歳なので、以前のようなアクションが難しくなってきていることも原因かも。ざんねん。

視点は少し変わるけど、映画の中に米、ネバダ州の砂漠の核実験場が出てくる。50年代にマンハッタン計画というのがあって米が原子爆弾などを開発実験したところ。実験直前にここへ迷い込んだインディーが、なんと核爆発の効果実験用の民家の冷蔵庫に避難する。爆発後、家もマネキン人形もあらゆるものが灰に帰した後も、なんと冷蔵庫の中から無傷で生還、おまけに現場で軍の係り員から体をモップで水洗いしてもらうことで放射能も洗い落として何事もなし、という荒唐無稽、むちゃくちゃな設定だ。

こういう映画なのだから、たしかに機関銃のタマが至近距離からでもちっともあたらないで主人公がぴんぴんしている荒唐無稽は当たり前なのだ。しかし、核爆弾に対して冷蔵庫に避難して防ぐ。体の放射能はモップで洗い落としてあとはぴんぴん、というのは機関銃のタマと同列ではないのでは。いやむしろ、アメリカ人の核爆弾に対する平均的意識を表しているような薄ら寒さを覚える。ただこれはアメリカ人に限ったことではない。

いつかシンガポールの歴史教科書を見る機会があった。広島長崎の原爆被爆の説明イラストは、子どもの背中のただれた皮膚に医師が脱脂綿でポンポンと薬を付けているところ。たったそれだけだ。アメリカの子どもも大人もこういう認識が一般的なのかもしれない。

ワシントン州のコロンビア河は1943年から63年にかけて9つの原子炉が建設され、米でもっとも放射能汚染がされているところだそうだ。ここで長崎原爆に使ったプルトニウムも製造されたという。この施設のまえを流れる河でカヤックを楽しむ観光客が増えている、(ロサンゼルスタイムズ・net版08・8・13)というのだから、インディーなんか当たり前かもしれない。

インディージョーンズの映画自体、エンターテインメントとはいえアラブ世界への偏見や白人優位主義で凝り固まっているのでその点を差し引いた上でのオモシロさだけど、それにしてもだんだんヘンになってきたぞ。

やっぱりウィスラーが元気!08年4月

2008年4月10日〜16日 ウィスラー、成田空港

2年後にオリンピックを控えたウィスラーはバンクーバーからのハイウェイ99号の拡幅工事やホテルなどの建設が進んできた。森林を切り崩してハイウェイを広げる工事に環境団体が反対して「SAVE」の幕を現場の林にかけてある。カエルなどの希少種の生物が絶滅する恐れがあるという。

このハイウェイは普段別に狭いとも不便とも思わないけど、なぜかオリンピックなどになるとどこでも無理やり工事が始まる。ウィスラーのスキー場そのものは、昨年のシンフォニーエクスプレスというリフトの新設や工事が進行中のPeak to Peakゴンドラ(写真下左)など開発が進んでいるけど、公式HPでは環境への負荷をかなり配慮している、ということらしい。

ブラッコムのツリーを滑っているとたしかに日本ではあまり聞きなれない鳥の声が、低くて遠くから聞こえてくるような、おそらくミミズクかなにか、が聞こえてくる。野生動物の種類は日本のスキー場よりはかなり多いようだ。

今回、成田での航空会社エアカナダは今までよりも親切な対応だった。チェアスキーの梱包も材料を持ってきて手伝ってくれる(写真下右)。車椅子のメンバーに係員が出国審査、手荷物検査まで同行して案内してくれた。以前よりはよくなったのかも。



救えスキー場08年、地球の「温暖化」止められないの?

巷のニュースではもう地球の温暖化が大問題でCO2の排出を減らさないと、というのが常識になっている。「温暖化」という言葉がまず事態の深刻さをあいまいにしている感じがする。「静岡は温暖な気候で果物が〜」というように「温暖」というのは良いこと、住みやすい、プラスイメージの言葉なので、危機感があまり感じられない。「温暖化」というのはやめて、異常気象とか、気候変動とかの言い方に変えないとわかりにくいのではないか。OECDなどの予測ではヨーロッパのスキー場の多くが数十年以内にはやばいそうだし、日本だって例外じゃない。

気候変動枠組み条約の締約国会議が以前からたびたび開かれても、フツーの人々から見ると先進工業国の経済的利害と開発途上国の経済的利害、つまり企業の経営者の利害、国家の利害を駆け引きしているに過ぎないと思える。フツーの庶民からみればもっと別の対策があるんじゃないか。締約国会議の各国首脳のやりとりもCO2の排出量をどう減らすかということを自国の利害=企業の利益=を中心に展開するだけで、われわれ見ている側とは立場が違う。

利害は企業ではなく一般庶民の立場にある。電力消費を減らす議論にしても、個人が小まめにスイッチを切るようなレベルのハナシにされがちだが、工業電力などの消費の方が、おそらく一般家庭の消費よりはるかに上回るのではないか。エネルギー白書かなにかでわかるのだろうけど。どうもエネルギー問題も「個人の責任」に転嫁されて、企業利益とそのために長年展開されてきた国家のエネルギー政策の誤りはあいまいにされているのではないか。一般家庭でTVの主電源を切る、なんてことより、企業がエネルギーを大量消費して、国内に必要な量をはるかに超えるモノを生産して外国に売って儲ける、そういう構造こそがじつは原因なのではないか。

こういうことはホントはメディアがきちっと分析して世論に訴えたりすべきなのだろう。でもメディアは東京電力の広告料で成り立っているからできないのだ。車はなるべく使わず、電車やバスで行きましょう、だって?地方の農山村部にあった電車、バス路線をどんどん廃止して自家用車がなければ生活できないようにして、自動車メーカーと道路建設企業を儲けさせて来たのは一体誰なのか。数十年にわたるこういう政策のつけが回ってきたのだ。

そして、最大の被害者はわれわれスキーヤーだぞ。異常気象でスキー場が閉鎖、ガソリンの値上がり、いや、そもそも車に乗ること自体を困難にさせる。エネルギー政策を根本的に転換しなければ、企業利益、国家利益と運命をともにすることになる。スキーヤーはそんなことはゴメンだぞ。08年に何とかしろ!



ウィスラーが元気!07年4月下旬



日本は06-07シーズン雪不足だったけど、ウィスラーは逆に大雪たっぷり。07年4月下旬、恒例のスキー・ボードフェスティバル終盤のウィスラーがこれ。4月下旬でもピークはマイナス6度、吹雪ありで、真冬のハードパックも。3年後にオリンピックを控えて道路も建物も建設ラッシュ。

ところで、3枚目の写真はオリンピックとパラリンピックのステッカー。左側のチェアスキーのイラストもなかなかかっこいい。
今回、以前のウィスラーと違ってスキーヤー、ボーダーの6〜7割がヘルメットをかぶっていた。日本ではここまで多くない。それも初級者、高齢者を含めてなので、やはり山岳スキー場での安全という意識が普及しているのかも。


ちょっとだけバックカントリー

今年は雪不足だけど、スキーを休んではいられないので、07年3月上旬、妙高高原へ。スノーシューで2時間半、頂上へ上がって林間のコースを滑る―例年なら―のだけど、今年の雪不足でブッシュだらけ、樹木だらけのところを縫うようにして下山。最近八甲田で雪崩れ事故があったばかり。天気は申し分なく、気温も高い。まとまった雪もしばらく降っていないので表層なだれ、のようなものより、全層なだれ?の方がありえるのかもしれない。登りは苦しいけど、爽快感は夜の宿でも持続するところがやめられない事情の一つだろう。

それにしても、5人家族のグループあり、単独で登る人も少なくない。こういうバックカントリーは用具の進歩とともにポピュラーになってきた。もうゲレンデだけで滑る気はあまりしない。ポールをくぐるか、森の中に入って滑るか、だろうね。ただ、ぼくとしては天候が荒れたり、真冬の雪原に踏み込んだり、というのは避けたい。3月4月以降の晴れた日、アブナクなさそうなところだけちょっとだけというのでいきたいもんだ。ただ、それでも別に安全なわけではないけど。

天気が急変しても中止しない、というのはね。

ヘリスキーで死亡事故
日本のメディアは詳細をほとんど報じていないが、カナダ、ブリティッシュコロンビア州、スチュワート北部の山、デルタピークで07年4月2日、ヘリスキー中の日本人とカナダ人ガイド(女性)が雪崩れに遭って、いたましい死亡事故になった。ツアーはヘリスキー会社ラストフロンティアが催行。ヘリスキーではCMHというのが有名だがこの会社は12年前から営業。年間400人くらいを扱っていて事故は初めてだそうだ。

当時は新積雪もなく雪崩の危険は少ないという判断だったという。ヘリは2機で1機めのグループが着陸後6人ですべり始めた。2機目のグループを待つため立ち止まっていたが、2機目が着陸、まだ滑り始めないうちに雪崩れが発生。第一グループが巻き込まれた。2機目のグループは、ただ見ていることしか出来なかったという。

このような事故は少ないとはいえ、いつか必ず起きる。ガイドの判断だけが便り。いつかウィスラーでヘリスキーをやったときは気温高くてクラストしていて、別の意味で大変だったけど。
やっぱりヤバイぞ。ヘリスキーは。



06=ロクなことない年だった?スキーヤーにとって


このところ世の中の動きがだんだんヘンになって来ている。企業にとってじゃなく、われわれにとっての景気がなかなか回復しない、暮らしにくくなった時に政権はいろんな手で人々の批判をそらそうとするものだ。なにかを「原因」であるかのように言い立てて槍玉に挙げる、人々の目をそちらに向けて、本当の元凶を隠そうとする。
人々の不満をそらすために使われる格好な材料はどの時代でも「他国からの脅迫、脅威」など話題にしやすく、目を外にそらすものだ。雇用や福祉政策で不満が噴出しているときに人々の目をそらす格好の材料が、北朝鮮の核実験だった。

「教育」もその一つ。政権にとっては教育はすぐに結果が出ないので間違っていても現政権の責任は問われずにすむ。はでな改革キャンペーンで存在感をアピールしておけるちょうどいいステージとなるわけだ。で、06年12月に国会で成立した教育基本法の改正もそう見るとなるほどだ。新聞をにぎわした「愛国心」を学校で教え込むことになるらしい。で同時期に成立したのが防衛庁を省に格上げする法律だ。

現政権は近いうちに憲法9条=戦争しない、軍隊持たない=も改正するそうだ。こうなると一連の動きは、やがて日本は外国に戦争しかけて行きかねない、いやかなりその可能性が高いというべきだろう。つまり今のアメリカのような国にだんだんなっていく、ということか。

これはスキー界にとってはマイナスにこそなれ、決していいことではないぞ。最近中国や香港、オーストラリアなどから日本へのスキー客が増えてきて、業界にも活気が出てきているのに、日本がアメリカのバカマネをして外国から敬遠、警戒されるような国になっていくとスキービジネス全体が傾いてくるぞ。だいたいスキーというスポーツは、スモーなどと違って多国間の行き来があって初めて成り立つものだからだ。道具の大半が外国製というスポーツは他にあまりない。日本国内のスキー場ではあまり出来ない種目というのもある。

憲法改正して戦争する国に、アメリカみたいな国になればやがてスキーどころじゃなくなるぞ。そうなったら誰が責任取るんだ。戦争始めたら、国内でスキー出来るのは唯一、北海道の日本軍雪上部隊だけ、なんてことも冗談じゃなくなるかもしれないぞ。



スキーだけにしか出来ないことー2006年にめざせ

06年、スキー界は、スキービジネスはどこへ向かおうとしているのだろうか。高齢化も出生率の低下も順調に進んできた。当然、スキーに限らず、レジャー、スポーツ産業はそれに対応したいところだろう。地球の温暖化でヨーロッパのスキー場の中には何年後に雪の量が不足して、成り立たなくなるという予測がされている所もある。その一方で中東のアラブ首長国連邦(UAE)のドバイでは、かつての日本のザウスのような人工スキー場を灼熱の砂漠の中につくるという。なんともムリのあるような、しかし期待したいような話だね…

さて、地球の気候や環境がまだスキーなどのスノースポーツの存在を可能にしているという前提で考えた場合、スキーは他のスポーツにはない特性を持っている。それを十分に生かせばまだまだこれからスキー界もオモシロい展開が出来るに違いない。その特性とは言うまでもなく、・重力による落下運動であること=移動に自分の力をあまり使わなくてすむ、高齢者、幼児、しょうがい者にも比較的ラクに出来るスポーツであること。・そして雪山という非日常の世界を舞台にしていることは言うまでもない。他のスポーツにはあまりない要素がスキーのアドバンテージになっている。社会の高齢化が進んできたのなら、当然高齢者のスキーが期待される。しょうがい者もだ。業界にとってはこれらの人たちがもっと気軽に楽しめるように工夫することが、活性化につながる、とはわかっていながらあまり力を入れていない。若者のスポーツであると同時に、101歳の人も出来るスポーツだったわけだからね。


淘汰されるべきスキー場があるースガダイラ

05年12月17,18日、菅平スキー場へ2年ぶりに行った。いつもの東京都スキー連盟の研修会である。2年ぶりの菅平は「東急ハーレスキーリゾート」なんて名前を強引につけたらしい。リフトもステージ1とか2とか、いかにもという感じの改名。この時期になってこんな名前に変えてどうするんだろう。「ハーレ」なんて誰も呼ばない。菅平はスガダイラでいいんだ。裏太郎のリフトで「菅平音頭」が流れてる、いなかのスキー場でよかったのだ。

名前を変えて客を呼ぼうとムリしてみても、実質がちっとも伴っていないのが菅平だ。今回いつもと違うホテルにたまには、と、泊まったところが大はずれ。暖房の効かない冷え冷えした食堂でマズイ食事食べさせられて、ルームキーたのんだら一言も口聞かずに渡してくれるバカアルバイト。それなのにリフトからは延々歩くロケーション。ホテルの名前は確か…まるみ屋とかいったか。

極めつけはバカバカしくも笑える土産話ネタだ。裏太郎の「サンホテル」のレストランでソースカツどん(900円)頼んだら、驚くなかれメンチカツがご飯のうえに乗ってるのだ。メンチカツでカツどんとは数十年のスキー生活でもはじめて、空前絶後、人跡未踏の怪挙であるぞ。腹へって、さあ、ヒレカツをガブリと…なんて思って噛んだらフニャニャ。写真撮っておくんだったな〜〜。なんとも落胆の一言であったよ。

おまけにこのレストランはオペレーションが酷い。受け取りカウンターの表示があいまいで客をムダに並ばせて平気な顔。新潟でも群馬のスキー場でもこんな客扱いしないぞ。
客を呼ぼうと本気で勉強、努力しないこういうスキー場は早く淘汰されるべきなのだ。

ところがこういうスキー場が生きながらえる別の原因がある。それが連盟の行事。東京都スキー連盟などがここで毎年のように研修会や検定会。その練習などのためにシーズン中も東京から押し寄せる。受験者、受講者だけでなくサポートも来るから数はバカにならない人数だ。ここのスキー場はこういうので成り立っているのだろうよ。ま、使う方も使う方か。




敵は自分自身だった?アメリカ

朝日新聞05年9月2日(AP)
この写真を見て一瞬、アメリカ映画の1シーンか、と思った人は多いのでは。ドライバの黒人の真迫の目線。スクールバスという本来の用途から逸脱した混乱と、赤ちゃんを抱いた母親。このままで映画ポスターになりそうだ。
ハリケーン・カトリーナの惨状から逃れようと1青年が、見つけたスクールバスを運転して避難者をひろいながらヒューストンのアストロドームへ向かったのがこの写真。

映画「スピード」ではサンドラ・ブロックが路線バスを運転した。「マッドマックス」(オーストラリア)では他でもない、この黄色いスクールバスがまさに廃墟の生き残りとして描かれた。スクールバスという本来、最も安全、平穏な日常を体現する物がその対極としての使われ方をする、アンバランスのもたらす怖さが映像を際立たせるのだが。

しかしこれは映画ではなく現実だった。イラクに駐留する米軍は15万人だそうだ。これまで米はイラクに2000億ドル(20兆円以上)を投入したそうだ。カウボーイカントリーの悪玉もそろそろ目を覚まして、自分のところの心配をしなくてはならなくなったぞ。イラクの米軍を今すぐ引き上げて災害救援にまわせ。他国にちょっかい出していられるときか。

ハリケーンが年々強大になる原因として一説には地球の温暖化が言われている。京都プロトコルを無視して独りよがりの米にツケがまわってきたのかもしれない。日本だって調子に乗ってジエイタイに悪乗りさせていると、大災害でしっぺ返しをくうぞ。おおこわ。


尊厳死…というのか


映画「ミリオンダラー・ベイビー」(クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク)を観た人は多いでしょう。最初ボクシングの映画かと思ったら、テーマはむしろ尊厳死ということのよう。安楽死ではなくて、尊厳死。リング上で重症を負い不治のまひ状態になったマギー(ヒラリー・スワンク)が、タイトル保持者として誇りをもって生きられないのなら死を望む、という意思をトレーナーが手伝って死なせる。しかし「ラブストーリー」ということになっているところがどうも。

米フロリダ州で今年3月、脳の損傷で植物状態が続いていたテリー・スキアボさんという人の経管栄養をはずすことについての判決。夫と家族で対立。しかし、このときも米の障害者団体は反対の声を上げた。障害者は生きる権利がないというのかと。ただ、その逆に苦痛の中で生きることを拒否する権利を主張した団体もあったらしい。

前記映画では、トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)は病床のマギーに、はじめ、人工呼吸器のままで大学に行けるというハナシをした。マギーは言下に否定。
その判断はきわめて個人に属するものかもしれない。けど、こういうことは必ず「障害があれば○○出来ないのはやむをえない」のハナシにつながってしまう。やはりそこが怖い。
ストレッチャーに乗って、人工呼吸器つけて大学に行く人がこれからも出にくい、そんなことありえないという価値観がアタリマエになって変わらない。

愛しているから死ぬのを手伝った、という設定。これは蔓延すると怖くないか。別にこの映画のせいで蔓延するとは思わないけど、生きる権利というのは意外と脆いモノかもしれない、と思わせる。



「掃除婦くらいしか」 だって?

アニメ「ハウルの動く城」(宮崎駿監督・倍賞千恵子、木村拓哉)はよくできた名作。宮崎ワールドさすがではある。だけど、セリフがひとつだけ気に入らない。たった一つのセリフだけど、どうにも気になる。魔法をかけられておばあさんにされたソフィーが、主人公ハウルに「私はここで掃除婦くらいしかできないけど」と言う。「くらい」なのだ。掃除婦とは。
 
これはおそらく原作自体がそうなっているのだろうけど、だから仕方ないってもんじゃない。他人への気遣いくらいしろ。映画館にも掃除担当のおばさんいるぞ。それは「くらいしか出来ない」仕事なのか。子どももいっぱい観に来てるぞ。学校にも清掃担当の職員がいるぞ。生徒が非行を起こしてその罰にトイレの掃除をさせられることに対して、校内の清掃担当の職員が、「じゃあ俺たちは毎日罰を受けてるのか!」と言った、というのを聞いたことがある。

「掃除婦くらいしか出来ない」、のセリフを聞けば小さい子どもは掃除婦とはそんなつまらない仕事と、いつまでたっても、大人になっても思うぞ。だって、そうやって大きくなったのが今の大人なんだから。

映画にせよ、小説にせよ、言葉の持つ影響力は恐ろしい。この場合、差別語という問題とはちょっと違う。たとえば、北野たけし監督の映画「座頭市」では主人公の座頭市に「めくら切るのに〜〜〜」というようなセリフがある。これをたとえば「目が見えない俺を切るのに〜〜」という言い換えは可能ではあるけど、そうしてしまうと映画のもつリズムや役の持つのしたたかな強さは表現出来ない。

「掃除婦くらいしか出来ない」というのは、そういうこととは違って、今の社会で一般的に通用している「掃除婦」という職業をあからさまに貶(おとし)めていることになる。そこが気になるのだよ。もっとも作者には、そういう時代の設定だから、今のことではない、というような言い分はあるだろうと思うけど。

読者の皆さんはどう思う?




三菱化する原発

 3タイトル前の「世の中全体が三菱化」で書いたことがすぐに現実化してしまった。
関西電力、美浜原発で起きた二次冷却水系統での配管破裂事故で5人が死亡した。この事故について、原発問題を追っている市民団体「たんぽぽ舎」の機関誌(04年8月10日)に山崎久隆さん(福島原発市民事故調査委員会)という人が書いていた。

新聞報道ではこの事故は原子炉そのものとは直接関係ない冷却水の系統の事故、といわれた。山崎さんの記事によれば、これは実は原発の「二次冷却材喪失事故」であり、原子炉そのもののメルトダウンにつながる危険性を持っていた、というのが真相だ、という。そしてさらに、誰でも気づいたことだけど、「技術的にはいくらでも回避可能だし、そうすることが出来たのに関西電力はその義務を怠ったのである」ということだ。

事故を防ごうと思えばそういう技術はあるのだけど、技術に介在する人間がそうさせない、という状態はこれからもずっと続くに違いない。世の中はどんどん、「三菱」化していくのだろう。スキーヤーとしてはもたらされる危機を、精一杯、早めのターン始動で切り抜けて逃げられるだけ逃げるしかないのかもね。

でも、原発の事故から逃げること、できるだろうか、果たして。



やはりそうだったぞ、スキーは平和への近道!!!すごいぞアフガン

2004年8月23日付 「デイリーヨミウリ」掲載のロサンゼルスタイムズ”ワールドリポート”

さあーー、いよいよ来たね。そうかやっぱりそうだったんだ。
打ち続いたソ連の侵攻、内戦、そしていつまでつづくのか、米の侵攻で疲弊しきったアフガンを平和に導くのは、スキー場の建設だったのだ。
「ロサンゼルスタイムズ」のジュリーM.バウルズ記者の記事だ。

ムジャヘディン(イスラム聖戦士)の元司令官が23年の戦いの後、平和を確かなものにするために着手したのは、カブールから北西6マイルのカルガ湖のそばにスイスを模したアルペンスキーリゾートを作ることだった。それには当時の部下を建設のために採用する。武装解除の方法としては稀有なものだ。

今年末までにはスイスからプレハブの山小屋を4モデル輸入して組み立てるそうだ。
元司令官のエザテュラ M・ルーズ氏(44)は「アフガニスタンに平和をもたらすためにはこれが唯一の道なのです」と語ったという。

ゴルフコースやショッピングセンターなども作って、スキー場は人工だそうだけど、それにしてもこの談話はやはりさすがだ。スキーはほかのいろんなスポーツやなんかよりも、はるかに平和の建設ためにつながる。

スキーはそういう要素を備えてるわけだね。それはたとえば、自然の中のスポーツであること、相手を倒すという要素がないこと(競技をのぞけば)。身体が動きにくい人でもスキーを履くことで重力による落下運動を楽しめるということ。

これはますますスキー界にとって楽しみな展開だ。日本のスキーヤーも近い将来、アフガンスキーツアー16800円にトライしてみるか!きっとオモシロイよ!


男子スキーヤーと女子プロレスラーの茶番


このタイトル、考えること自体がバカらしいのでいいかげんにつけたけど。ああ、書くこと自体がいやだ。

7月11日、極東の小国日本で行われたアッパーハウスの選挙で、バカな候補が恥の上塗りを重ねたので、いいかげんにしろ、という話をしたいのだよ。まず、スキーヤー。こいつは、いままでスキー界の中ではリフトも使わず、環境にやさしい、じつにアースフレンドリーなノルディックスキーでオリンピックのメダルまで取ったのだけど。なんとも、恥ずかしいのは名前が売れたのを勘違いしてか、この選挙でスキーヤーの利害とは到底相容れない集団にそそのかされて、まんまと立候補して当選させられてしまった。

こいつの当選談話が恥ずかしいものだった。「年金とかイラクとか、よくわからないので言いませんが〜〜」、とか、おいおいおまえ自分がバカと宣言するなよ。年金とイラクがこの選挙の争点だろうが。ならば立候補遠慮しろよ。みんなメイワクするぞ。おまけにこういう候補の例にならって、「スポーツマンシップを国会の場に活かしたい」だって。ちょっとまてよ、そんなシップは腰痛にも効かないぞ。バカ。

そしてもう一人のバカは、女子プロレスラーのバカ。こいつは幸い落選したらしいけど、ま、名前が売れてればなんでもいいってもんじゃない、ということだろうね。君のためにも落ちてホントに良かったね、うっかり当選してたらアタマの中まで例の集団に支配されることになったであろうよ。

それで思い出したけど、今回のキャンペーンである候補者が宣伝カーの上からこう自慢して笑わせてくれた。「柔道4段、空手初段の○○を国会へ〜〜」とかなんとか。

どうも勘違いした候補者が次々に出てくるものだね。自分の売り込みに、いきなり「柔道4段」とは。だいたい武術の世界では自分が武術の修行をしていること自体を公にはしない。ましてや〜段だなんて他人に大声で言うなんて、とうてい武術の価値観からはかけ離れているのでは。

賢明な読者の皆さんも、立候補するときには「クラウンプライズの○○を国会へ〜」とか、くれぐれも言わないようにしようね。


世の中全体が「三菱」化しているんだよ




三菱の車、今も乗ってる人、まさかいないよねと言いたいところだけどいや、それがいるんだよ。クラブにもね。

弱った。ここまで来ると、もう形容の言葉も浮かばないね。ああ、6月に月山行くときにハナシには出ていたんだよ。パジェロで行くから現地で会おう、なんてハナシも。結局それはそうはならなかったけど、考えただけでもオソロシイぞ。東北道、走行中に発火、全焼、運転者の身元不明、なんてシャレにもならないぞ。

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「亀裂」2件、実は「破断」…またウソ、三菱ふそう (2004年7月9日読売新聞)

 三菱自動車製大型車でリコール(回収、無償交換)作業が進められているクラッチ部品の欠陥を巡り、三菱ふそうトラック・バス(商用車部門が分社)が回収した部品のうち6件で亀裂が見つかった問題で、このうちの2件は自走不能となる「破断事故」だったことが分かった。
 同社は8日の記者会見で、「亀裂は最大20センチ程度」とウソの内容を公表していた。
 同社幹部が9日未明、国土交通省に対し、発表内容にウソがあったことを認め、陳謝した。同日夕にも同社最高首脳が記者会見を開き、事実関係について説明するとみられる。
 国土交通省によると、破断事故を起こしていたのは、1992年式の大型ダンプ車と、95年式の大型カーゴ車。当初の発表では、回収したクラッチ部品の「クラッチハウジング」について、大型ダンプ車では「計約22センチの貫通亀裂」、大型カーゴ車では「計約20センチの貫通亀裂」が、それぞれ見つかったと公表した。
 しかし、この2台は、いずれも走行中に円筒状のクラッチハウジングが全周にわたって亀裂が入り、破断。自走ができない状態になったという。
 三菱ふそうでは、この2件を「事故」として扱わず、リコールのために点検作業を受けた車両から回収した部品と発表。国交省に対しても、同様の内容を報告していた。 …………………………

この間の三菱騒動で、ほとんどの人は当然嫌気がさしたに違いない。だけど、どうもこれはひとり三菱だけの話じゃないだろう。「技術立国」なんて思い込んでたのがとんでもない思い違いだった。「科学技術の進歩」が人々に幸福をもたらす、と漠然と思っていたのが、根拠のないことだった。これまでのこのような価値観を根本的に転換しなければならないのかも。
それは、2つのキーワードから。

@「科学技術の進歩で〜〜が出来るようになった」→これは「科学技術の進歩で〜〜をしなければならなくなった」、と転換する。身近なところではケータイがそうだ。1日中連絡がとれることが人間の生活にプラスになったかマイナスになったか。医学の進歩で平均寿命が延びて、80歳まで生きなければならなくなった。「のぞみ」のおかげで大阪日帰りしなければならなくなった。〜〜ければならなくなったことばかりだ。

メーカーのハナシをもっとすれば、カメラつきケータイの大騒ぎを見ればわかるように、「〜〜が必要だから開発した」のではなくて「メーカーとしては今エンジニアが思いつくのはこれだから作って無理にも使わせる」という製品がここのところ溢れている。カーナビの競争もそう。メーカーは製品よりも前に「欲しい」という意識を製造するのに心血をそそぐ。

こういうと、「では医学がおくれていて50歳で死ぬ方がいいの?」と言いたいところだけど、総合的な価値判断は置かれている環境、条件によるので、このような比較自体がナンセンス。

A「ヒューマンエラーがすべて」。 科学技術は、それを使うのは結局ニンゲンという生ものなので、どんな高度な技術も本来信用してはならない。原子力発電所の安全対策がどんなに進んでいるように見えても、ヒューマンエラー(故意も過失も)のためにこれまで数え切れない重大事故を引き起こしてきた。それでも懲りずに原発推進する人間がいること自体が「ヒューマンエラー」だ。

事故を防ごうと思えばそういう技術はあるのだけど、技術に介在する人間がそうさせない、という状態はこれからもずっと続くに違いない。世の中はどんどん、「三菱」化していくのだろう。スキーヤーとしてはもたらされる危機を、精一杯、早めのターン始動で切り抜けて逃げられるだけ逃げるしかないのかもね。

【その後−05年8月】なな、なんと三菱車に乗ってしまったぞ。帰省で借りたレンタカー。予約時には予想もしなかった三菱コルト。一瞬恐ろしいことになったと蒼白になった。結果、無事ではあったけど、足元のフロアマットに「まじめ」と書いてあるのが不気味だったぞ。おおこわ〜〜〜







2004年5月15日山形県月山スキー場

ためになる出動?

【続報】山形県の月山スキー場では恒例の月山大会(GSL)のサポートに自衛隊員が出動した。イラクに行って、ブッシュにシッポ振るよりもはるかにみんなのためになる出動だろう。衛生兵もいたから、レースでのケガにも対応するんだろう。ふもとには赤十字マークの車両も来てたからね。






行くこと自体が現地にとってはメイワクなのだ。「役に立ってる」かどうかは関係ないージエイタイも、自己満足ボランティアも!すぐ引き返せ!
国内テロで、日本のスキー場に支障が出たら、スキーヤーがメイワクするぞ。

バグダッドで日本人3人がまんまと地元の人たちにつかまって、ジエイタイを撤兵しろと要求されて命がアブナイそうだ。バカはどこまで行っても馬鹿だ。ジエイタイがアメリカにシッポ振ってノコノコとイラクに行って、税金無駄遣いしてるのはとっくに批判されて久しいけど、この3人は輪をかけてバカだ。

まず、自分たちは正義のために、イラクの人々のために動いてる、当然イラクの人々から受け入れられ歓迎されるに違いない、という思い込みが大間違いだ。イスラム世界と米英を始めとするキリスト教世界、これには理屈ではなく相容れない深い溝がある。そこには溝を埋めようとする理屈が介在する余地がないのだ。イスラム文化を共有しない日本も同じこと。

日本が「善意」でイラクの「復興」のためにどんなことをしようとしても、それはイラクの人たちの「プライド」が許さないのだよ。キリスト教世界の傲慢な君主であるアメリカにシッポ振ってる、たかだかよそ者の日本風情が、ジエイタイと称する軍隊や、「ボランティア」と称する市民を送り込んでいる。これがイスラム世界の認識なのであり、これを無視することは出来ないのだ。

「ボランティア」はいつでも歓迎されて受け入れられ、感謝される、なんて思ったら大間違いだ。
最近、日本の学校で「ボランティア」を強制的にやらせてるところが増えてる。これが諸悪の根源ではないか。中学生を県内一斉に事業所や、高齢者施設などに1週間ボランティアとして行かせるというバカなことをやってる県もあるぞ。生徒はいやいや行かされて、派遣先の老人施設の住人から見れば経験もない技術もない、見識も礼儀もわきまえぬ子どもたちが闖入してくるわけだから、大迷惑に決まってるのだ。でも、住人は弱い立場だからそれが言えないのだ。

これをやってる教職員や行政担当者はいったい何を考えてるのだろうか。学校でボランティアをやらせるのはすぐに止めるべきだ。老人施設に今必要なのは、ガキではなくて、経験豊富な専門職員なのだよ。

もう一度。
ジエイタイも、ボランティアも、今すぐイラクから引き返してアタマ冷やせ!

【その後…】05年7月7日、ロンドンで同時多発テロが行われた。元CIAのスパイで現在著作活動などをしているロバート・ベイアー(53)は、テロに遭わないためにまずわれわれの政府がやるべきことは、「イラクから出て行くことだ」「シーア派であれスンニ派であれ、彼らはわれわれが彼らの言う”フィトナ”、イスラム教徒の混乱を引き起こしている、と考えている。われわれの存在を新たな植民地主義、イスラム教徒への憎しみと見ているのだ」と発言している。(英紙「タイムズ」オンライン版05年8月2日)

もっと早く気がつけよ、といいたいところだが、元CIAのスパイですら、いや内情を知りすぎているからこそ本当のことが言えるのかもしれないぞ。



楽しめ! 初日の出暴走!!2004

秩序は壊すためにある。と、最初に結論を言ってしまうのもナンだが、最近の日本はちょっとおかしな”秩序”が蔓延していないか。
ナットクの行かないことに声を上げない、あきらめてしまって、長いものには巻かれろ、いやなことを「いや」というのはかっこ悪い。声を上げて反対するとヘンに見られるのでは。ここは、目立たないように傍観している方が利口だと。

どう考えても納得いかない、イラクへ兵隊送って殺し殺されて、誰もがんばれなんていってないのに勝手に踏み込んで、さも助けに行ったような顔。年金はめちゃめちゃにされて、道路公団は相変わらず利権の巣窟。倒産した銀行だけは国家が丸抱え。これじゃまるで昔の社会主義国家じゃないか。

こんなことがまかり通るのは、日本社会の秩序、あってあたりまえと思われてきた「秩序」のたまものだ。秩序とは言い換えれば「あきらめること」だ。その結果どうなるか。まんまとトクするやつらがいるのだ、軍需産業をはじめとして。気に入らないことにはいちいち声を上げなければ損して泣き寝入りだ。

「秩序」は、そう、どんな時代でも政権でも、常に壊して新しい風を入れていかなければ腐敗する。秩序を破壊することは好むと好まざるにかかわらず、それ自体が必要としている不可欠なことなのだ。

で、初日の出暴走。
メディアニュースではいつものように暴走でメイワクかけて警察も手を焼いて、と、最初から予定稿だけですむようなハナシだ。
メイワクというなら、好き勝手にジエイタイを派兵して米英以外の世界の大多数からヒンシュクをかって、双方に犠牲をもたらす、これ以上のメイワクがあるだろうか。しかも、「初日の出暴走」は曲がりなりにも「ボランティア」だが、ジエイタイの派兵はわれわれの税金を無駄遣いしての暴挙だぞ。

スキーヤーとして俺たちは、スキー環境がもっと充実して楽しめるようにという一点で物事を考えたいよ。スキー楽しむためには世の中が不安ではとうていむりだ。ここは、初日の出暴走のように、外国にまではメイワクかけない程度で楽しんで、政治不安だけは招かないでもらいたい。

スキーヤーのみんな、メディアの報道とゲレンデのブッシュには気をつけようね。


ジエイタイとスキー

イラクへ行く、行かないで注目されているジエイタイ。「安全な」所へ派「兵」するという、土台、形容矛盾の、言葉として成り立たないハナシを、政府もメディアもやっている。もともと税金で雇われて職業として、毎日人を殺す練習してる兵を、アンゼンな所へだって?言葉の意味はどこへ行ったのだろ。「教員を、なるべく子どものいない所へ配属」するようなもんだぞ。

ジエイタイのスキーといえばすぐ浮かぶのはバイアスロンなど、クロスカントリースキーだ。北部方面隊ではクロカンの訓練を九州出身の雪をはじめて見る隊員も受けるそうだ。ウェブに出ているハナシでは、重い木製の自衛隊仕様クロカンスキーで白いペンキを塗ったものだそうだ。訓練の自由行動日にはゲレンデで一般スキーも出来るという。わざと女性スキーヤーにぶつかって出会いのきっかけを作る隊員もいたりするそうだ,オモシロイ。税金でスキー出来る数少ない職業かも。

警察官もスキーはやるが、これはスキー場の警備警邏などという目的がはっきりしている。一方、兵士は本来人を殺すことに本質があるからね。いや、そうじゃない、国体やオリンピックで競技コースを作る主役はジエイタイじゃないかって?  GSLのコースつくるのに使うのは戦車じゃなくて圧雪車だろう。

アンゼンな所へ行きたい、のならどうするか。今NHK教育でやってる「サンダーバード」!これだよ。軍ではなくて国際救助隊に変えてしまうのだ。人数はもっと少なくていいぞ。それで各スキー場へせっせと通ってもらって、コース整備や雪運び、たっぷりやってもらうのだよ。遭難した人がいたら「サンダーバード4号」の出動だ!これでスキーヤーは大変な恩恵を受けることになる。北部方面隊は特に活躍の機会が多いぞ。

特にスキーにおいてブッシュは大変危険な存在だ。ゲレンデのブッシュは徹底的に取り除いて、安心してスキーが楽しめるようにして欲しいよ!



楽しませるスキー・より早いスキーへ…外傾外向…内傾内向…

「内スキー主導の滑り」がだんだん認知されてきた。というよりも、WCなどの実績が、これまでの外傾、外向から内スキー主導のすべりにスキーヤーの意識を変えてきたようだ。
東京都スキー連盟の理論研修会(03年11月)はめずらしく面白い内容だった。SAJ教育本部の市野聖治さんの講演が出色だった。SAJもこれまでの「基礎なくして発展なし」、というような意識を少しずつ変えるそうだ。スキー不況でスキーヤーをどうやって呼び戻すか、そう考えたら思いついたそうだ。

バッジテストも受験者が半減、それでバカボンのパパも言ってるとおり、2級は自己申告、認定合格というのが出来るそうだ。公認検定員クリニックの講師の言を借りると、認定合格とは「居酒屋に何度も通ううち、マスターが自分を常連と認めてくれて他の客よりも一品多く出してくれたりするようになる」ことだそうだ。(一品がつまり2級のバッジ)これまたバカボンのパパが、「居酒屋一休に行ってくる」と言ったことと見事に符合したぞ。パパえらい!

おまけに、同講師の話ではこの制度によって「みなさん、実際に検定をやらなくても金が(検定認定料)入るのですよ!」と、なんとも下世話というか、もの欲しそうな話にも聞こえてきたぞ。これから2級受けようと思ってる人が聞いたらどう思うだろ。

とはいえ、なんだか楽しいスキーになりそうだぞ。もっと早くそうして欲しかった!と言う声も聞こえそうだ。それに、市野さんの話では、初心者のときからターンはまず内スキーから、という状況も来るであろうという。ワクワクするではないか!SAJのなかでは競技本部と教育本部で外足、内アシで考えが食い違ってるそうだ。いよいよおもしろいね。

一つの方向に固まるよりも百花斎放、談論風発でああでもないとやってるほうが面白いに決まってる。「基礎」はこれ!と凝り固まらなければそのうちヨーロッパの選手のように突出した人が出るかも。

スキーは楽しい!ともう一度思える時期が帰ってきたのかも!


バカボン!オマエも1級受けるのだ

バカボンのパパ: ハジメ、ママはどこ行ったのだ?あちこち探して郵便受けも見たけどいないのだ。

ハジメちゃん: ママは経済産業省へ、ボキ1級の試験受けに行ったよ。

バカボンのパパ: なんだそれは、ホーキで掃除する試験か。だったらこのマンガでいつも掃除してる「お出かけですかーー」レレレのおじさんの方がうまいだろーー

ハジメちゃん: ちがうよ、お金の出入りをちゃんと記録したり計算したりする難しい試験だよ。

バカボンのパパ: わしだって120円くらいまでなら計算出来るぞ。ママはもしかしてヘソクリでもするつもりだな。許さないのだ。そういえばバカボン!おまえも何か1級受けるのだ。なんでもいいから受けるのだ。万引き1級とか、カンニング1級とか、いびき1級とかどうだ。そういうのないか。

バカボン: そんなのあってもぼくやったことないからすべっちゃうよ。

バカボンのパパ: おお、そうだ、それだぞ。滑るのだ。スキーの1級を受けるのだ。バカボンなら普段サンダルですべってるからカンタンにとれるぞ。

ハジメちゃん: 1級受けるにはまず、2級とらなきゃいけないよ。

バカボンのパパ: なーに、いつからそんなことになったのだ。でも心配ないぞ、2級は自己申告で認定合格というのがあるぞ。さっそくクラブの常連になるのだ。2、3回行けばいいだろう。チョロイもんだぞ。そしたらすぐ1級受けるのだ。はやく経済産業省へ申し込むのだ。

バカボン: ちがうよ、全日本吹き矢連盟だよ。

ハジメちゃん: ちがうよ、全日本スキー連盟だよ。受けるにはお金もいるよ。

バカボンのパパ: そうなのか。わしは知らなかった。お金をくれるのかと思ってたぞ。だったら、ボキのほうがいいか。でもとりあえずなんでもいいから申し込むのだ。ママに負けてられないぞ。わしはとりあえず居酒屋「一休」で一杯やってくるからママにお金持ってくるように言ってくれーー





子どもたちに雪庇を跳ばせるキッズスクール!タウンではライブ


2003年4月13日 ウィスラーのゴンドラ前でのライブ

「なんか、テーマパークみたいね!」
バンクーバーからのチャーターバスがウィスラーの町に入ったときにツアー初参加の一人がこう言った。

たしかにそうだ。ここはもともと何もないところに、一つの開発会社が展開してきたスキーリゾートだ。すべてがスキーのために、スキーヤーのために作られている。「地元住民の利害関係」などが一切なく計画されてきたから出来たわけだ。そういえば米のラスベガスなんかもそうかな。狭い日本では無理なのかもしれない。
4月中旬、今年もまたウィスラーに行ってつくづく「あそび」に対する一所懸命さの違いを感じたぞ。

ウィスラーではちょうどスノーフェスティバルをやっていて、ボードなどの大会も開催されていた。ゴンドラ乗り場前の広場では特設ステージでロックのライブで盛り上がっている。
スキー場では、子どもたちのスキースクールが大盛況だった。リフトに乗り合わせた白人の女の子は香港在住で、家族といっしょに来たという。SARSが心配じゃないか、と聞くと、ちょっと心配だ、とにこにこだ。もしかしたら一時避難してきたのかも。

ハーモニーエクスプレスというリフトを降りると、看板に「雪庇を跳ぶ人は20メートル落ちることをわすれるな」の警告がある。少し下りたところにダブルブラックダイアモンドの標識。そのあとにはシングルダイアモンド。ここの雪庇でも高いところは10メートル以上ありそうだ。そこにキッズスクールの子どもたちのグループがメットとゼッケンをつけてインストラクタについてやってきた。一番高いところは避けて、下のほうを選ぶ。それでも高さ数メートル。躊躇しながらもほとんどの子どもが結局飛び降りた。上から見ると恐ろしい高さも、下から見上げると不思議にそう見えない。

 雪庇も場所と状況の選択によっては、ジャンプして空中浮遊する感覚をも味わえる楽しい遊び場になる。日本ではこのことを試してみる機会が少ないのかも。条件の選択で安全を確保して、積極的にトライして、安全と危険の境目を身体で感じ取る。もしかしたらこれがこのスクールが目指したことかも知れないね。


今年は癒しのスキーで行こう

2002年12月28日 田代スキー場
スポーツのもともとの目的は「気晴らし」であったり、生きていく上で最も大切な遊びの具現化であり、いや、生きていることそのものだ。太古の昔、食料を得るために狩猟や、農耕の苦しい日々のなかで、心の平静を、精神のバランスを取ろうとするところに、遊び=スポーツが自然に生れたに違いない。

だから、本来は、スポーツをすることで心も体も癒され、ラクになるのがあたりまえなんだろう。スキーは他のスポーツとの決定的な違いとして、重力による落下運動、という特徴がある。
下へ落ちていくその動きを自分の意志でコントロールする、スキーの運動は一言で言えばこれに尽きる。障害などで平地で運動するのが難しい人でも、比較的にらくに自分なりの運動として取り入れることが出来る。

12月末、新潟の障害者スキー専門の「ファクトリースマイル スポーツカレッジ」には、ベトナム、カンボジア、アフガニスタン、韓国などの障害を持つ若者がスキー初体験に来た。アジアの10カ国から障害を持つ若者が日本に1年間、さまざまな分野の研修に来ている。

ベトナムから来ている女子学生、Mさん(22)は聴覚に障害がある。来日後あまり日にちが立っていないのに、彼女は日本語手話をかなり覚えている。1つの言語、文化体系としての「手話」と考えると、それを短期間に覚えるという力は相当なもの。スキーもプルークで始めたけどスピード、バランス感覚もよくて、十分エンジョイした。雪と山が癒してくれる、そこがスキーというスポーツの原点というべきだろう。


北朝鮮とスキー?

注目される北朝鮮。ここにはスキーというものはあるのだろうか。あるウェブサイトによると、北朝鮮のキム総書記と韓国のヒュンダイグループの首脳がスキー場やゴルフ場をつくることで合意した、という。
クムガン山(金剛山)につくるそうだ。有名だから名前だけは誰でも知ってる山だ。韓国には日本からもスキーツアーがあるくらいで、ドラゴンバレーなんか有名だ。ましてやもっと北にある北朝鮮なら当然雪もバシバシ降るだろうし、経済が疲弊しきった国として外国からの観光客呼ぶにはもってこいかも。

北朝鮮にはスキーヤーはいるのだろうか。そこで思い出すのは、3〜4年前、5月の渋峠、横手山でゼッケンに「DPRK」とだけ書いたものを着けてリフトに乗っていたスキーヤーを見たことだ。
「DPRK」とは言うまでもなく、朝鮮民主主義人民共和国の英語頭文字だ。そのときはデモンストレータによるキャンプも行われていた。あれは北朝鮮からトレーニングに来ていたのだろうか。そういうルートはすでにあるのだろうか。ゼッケンを着けるくらいだから秘密に来てるとは思えない。当時もぼくはリフトの上でそれを見て不思議に思ったものだ。

ところで、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者5人が24年ぶりに帰国を果たした。日本人の被害者、24年間日本名を奪われ、朝鮮名を付けられて人間としての尊厳を否定されてきた。
そのことについて、日本政府は北朝鮮に対して断固毅然とした態度を示すべき、そう、そのとおりだ。そして、しかし、この話には続きがある。

日本政府は同時に、朝鮮半島に対する侵略植民地支配、国家総動員計画による朝鮮人の強制連行、強制労働の結果、今日本に住んでいる在日の人たちの処遇について根本的に改めるべきだ。朝鮮名を奪われ、日本式の名前に変えさせられた。いまでも学校では本名を名乗るわけに行かない子どもたちがいっぱいいるぞ。民族学校は弾圧の歴史をいまでも引きずって、法的にも財政的にも抑圧状態だ。

やられた記憶は忘れない。だが、やったほうの記憶はすぐに薄れるものなのだ。だから繰り返し繰り返し、しつこく言いつづける必要があるのだ。
JALパック・クムガン山スキー場3泊4日ツアー/38、000円が始まる頃には,「忘れないけど、許す」関係になってもらいたいよ。万国共通のスキーヤーとしてはね。


けっこうおもしろいぞ、ブラシスキー――夏の丸沼高原

                                 
                                                                                                                2002年8月17日 丸沼高原             ブラシスキーと言うものを知ってる人も多いでしょう。でもやったことある人はそう多くないのでは?ブラシスキーというのは、そう、地面にプラスチックのブラシ状のものが敷き詰めてあり、その上を普通のスキーですべる。下が雪でない点以外は普通のスキーと同じ。この材料は冬のスキー場でもリフト降り場などに敷いてあることろもあるので、ああ、あれかという感じ。

8月半ば、元SIAデモでプロスキーヤーの山田敦さんが丸沼高原でやった、サマーキャンプでぼくもこのブラシスキーを初体験した。リフトが1基動き、板は手に持って乗る。月山夏スキーそのままの雰囲気だ。スタート地点にはブリキの箱にてんぷら油が入っていて、ローラーで滑走面に油を塗る。こうするとよく滑る。てんぷらのようにね。月山では裏山で採れたタラの実をてんぷらにするのに使う油を、ここでは板に塗るわけだ。

で、滑った感じは雪のスキーにかなり近い。ただ、硬いブラシ面なので板に沈みこみ角があまり出来ない。微妙なエッジ操作という感覚は無理な感じだ。しかし、スタンス、脚の傾け、上体の倒し、など基本的なポジションを確認したり直したりするにはとてもいいのではないかな。


斜度は15度から20度弱か。でも距離も結構ある。1000メートルくらいか。予想外にスピードも出るので気を抜いてるとゴール地点で止まるのにあせることになる。

これはなかなかおもしろかった。人工スキー場というのはふつう何らかの方法で雪を製造するものなのだけど、これは逆転の発想。もっとも、以前からブラシに代わるもっと雪に近い材質が出来ないか、という考え方はあるのだけど。知ってはいたけどやってみると結構おもしろいブラシスキーだ。

ところで、板は今回、山田プロのロシニョールをレンタルした。滑走面を傷つけることがあるので、自分の板の場合は古い板がいいだろう。こんどの夏はキャンドピースでもこれやってみたいね。今回のキャンプはテニス、BBQ、インライン、花火大会など盛りだくさんの内容で山田プロのキャパシティをあますところなく発揮する充実ぶりだったのだ。



山自体が癒しの気を持つのか―ウィスラーの人々と障害者スキー 5月GW


 5月GWのカナダ、ウィスラーは前半ピーカン、後半雪と晴れという好条件だった。ブラッコムは残念ながらクローズだったけど、ウィスラーだけでも海外スキー初めての人ならその規模に十分満足するだろう。
 障害者スポーツを推進する日本チャレンジャースポーツ協会の公認校であるファクトリースマイル(新潟県)という、障害者スキー専門のスクールがウィスラーツアーをやった。「障害者スキーを福祉からスポーツへ」、というのが同校の基本コンセプトでもある。下肢まひで車椅子で参加したHさんはチェアスキーでチャレンジした。車椅子で飛行機に乗るというのを、サポートとしてぼくも初めて経験した。

車椅子は荷物か?


チャレンジは航空会社カウンターでのチェックインから始まった。チェックする荷物の計量でHさんの乗っている車椅子を荷物のひとつとして扱い、重量オーバーで超過料金をとる、と係員が言い出した。「現に乗っている車椅子を”荷物”とはどういうことか」「車椅子は靴と同じ、移動に不可欠の生活用具だ」と、いまさらのように繰り返す。

搭乗の優先というのはあるけれど、あの通路の狭さというのはかなり厳しい。まして、機内のトイレの狭さはとうてい車椅子の生活とはかけ離れている。最近、エコノミークラス症候群の防止のために水分をたくさんとるようすすめているけど、これでは無理か。
バンクーバーでのHさんの感想。日本では車椅子で町に出ると、すれ違った人が上からじっと見下ろすのだけど、ここではただ普通にすれ違うだけ、なんの屈託もない。ごく普通のことという人々の意識の違いのようだ。

写真右からHさん、弱視のNさん、ファクトリースマイルの校長、加藤さん

声をかけてくれるボーダー


ウィスラーのスキー場では、最初のゴンドラが車椅子ごと乗り込めるもので非常に便利。滑り終わってゲレンデのレストラン前にいると、通りかかった20歳くらいのボーダー何人かが「手伝うことがあるか?」と声をかけてくれる。このあたりが日本と違うのか。
滑っていてもいろんな人が声をかけてくる。チェアスキーで滑っていること自体への応援のことば。日本酒の輸入業というおじさんは、日本製の最新型チェアスキーにしきりと感心し、自分は地元でチェアスキーを買うための募金活動をしているという。

滞在期間中、数人のカナダ人(またはアメリカ人?)障害者スキーヤーに会った。チェアの人、アウトリガーですべる人も。ヨーロッパのスキー場もそうだが、カナダでもスキーヤーは年齢幅が広く、決して日本のようにヤングスポーツではない。高齢者が安心して滑れる条件が必須なのだろう。それは障害をもつスキーヤーにとっても同じことだ。

4日間すべって、参加者の中には脚の痙攣が日本にいるときよりも軽くなったと言う人もいた。旅行そのものはしかし、決してラクなものとは思えないが、この山のもつ気のようなものが体も癒してくれているような気がする。日本のゲレンデでは滑れない長距離を滑ったという充実感と自信がもたらすものもあるのかもしれない。日本のデモによるレディーズキャンプの参加者たちが50メートルずつ小回りで講習受けているのが印象的ではあったよ。


永い夢がやっと覚めた?―ザウスが9月営業終了

俺たちは9年間の永い夢を見ていたのだろうか。首都圏に住んでいれば、真夏でもマイナス4度の世界でスキーが出来、SAJデモが講習で人を集め、メーカーは試乗会をやり、季節はうつろうことなくそこだけ小宇宙のように、ただただ自己完結のループを回っていた。ブラックホールのように各地からのスキーヤーを吸い込んでいった。バブル経済がいつまでも続かなかったように、それは巨大なスノーゲームセンターとしての当然の終末を迎えている、というべきか。

あるいはそれは日本の、首都圏のスキーヤーの生き方を根底から問い直すモノなのかもしれない。スキーはシーズンスポーツであり、たくさん滑ろうと思ったら、板をかついで残雪の山に登らなければならない、そういう困難さも含めてスキーが成り立っていることを、俺たちはしばらく忘れかけていたのではないか。ザウスがあったばっかりに、冬を待ちに待って、12月初旬に「とき1号」でトンネルを越えたとたんに真っ白な世界に投げ込まれる時の、息をのむ瞬間を、もうしばらく味わっていない。

一方、スキーヤー、ボーダーのなかにバックカントリー指向が増えてきているのも確かだ。2月のかぐらでボーダーの一団が、スノーシューとストックを背負ってメットかぶって出発していた。自然の中でやるのがスキーだった。そこには自然の恐ろしさも同居していた。あのベルント グレーバーですら不覚をとってしまう不条理さも。

良くも悪くも、ザウスとは巨大なスノーゲームソフトだった。どんなにそこですべっても、本来のスキーからは「合わせ鏡」を覗き込むように遠い。
効率、生産性━というパラダイムが日本ではスキーの世界をも支配してきからか。ヨーロッパのスキー文化との違いもありそうだ。
短時間にたくさん、寸暇を惜しんで一本でも多くすべる。ツアーは日帰りか、せいぜい3〜4日。ザウスの終了はスキーのやり方に一度リセットをかけるチャンスかもしれないね。
 


バカにしてる高速料金ーースキー不況の元凶だ


スキーで使うお金のかなりの部分は高速料金だ。高速道路建設の際に何十年後に償還、あとは無料化などと言っておいて空手形のままなのは批判されて久しいけど、こんどはETCなどと利用者をバカにしきった暴挙だ。そもそも無料化して料金所の人件費を無くせば経費を大幅に削減できることがわかってるのに、小ざかしくもETCなどと言うものを考え出して、利用者からは金をもっと取る、そのための莫大な設備費でメーカーは儲けさせる、という傍若無人、やりたい放題だ。

一体われわれはこんなことをただ黙ってみているだけなのか。マスコミは当然お上の代理人だ。わかっていても1行も書かないぞ。車のリコール記事がすべてベタ記事なのと同じ。

スキー不況の元凶のひとつは高速料金だ。スキー場関係者、旅館関係者の皆さん、いや、スキーヤーのみんな、文句言うときは言わなきゃやられ損だぞ。

【続報】26 Dec.2001

関越道・月夜野インターで降りた。もともと料金所は2レーンしかないのに、あろうことかアルマイト鍋か、その右側、つまり直進でそのまま出られるメインのほうが<ETC専用>にされているぞ。これでは今シーズンが思いやられるぞ。こうやってETCを搭載してなければ出口でなかなか出られなくて不便な状況を作り出しておいて、客に買わせるという姑息なやり口だ。
駅の改札が自動になったのと同じ、と思ったら大間違い。電車の客は改札が自動になってもそのことに一銭も払う必要はない。少なくとも直接は。

スキー雑誌これでいいのか


スキー雑誌、もうちょっとなんとかならないのか。ここらあたりで編集方針変えて、スキーヤーの底辺を広げることを考えないとこの先立ち行かなくなるぞ。このままマニア雑誌として先細りの道をたどるのか。だいたい出版業界で雑誌自体が存続を危うくしているのに、十年一日、分解写真の技術解説とそれふうな選手インタビュー、あとはコマーシャル記事で夏も乗り切ろうとは。部数が落ちて編集部員も減ってるのだから、ここはアイデア出して工夫するしかないぞ。

そう、スキーヤーの底辺を広げるための記事を作る以外ないのでは。スキーのスの字も知らない、やったことない人がちょっとやってみようかな、と思わせられるような記事を毎号30パーセント入れて、雑誌の間口を広げるのだよ。いつまでもSAJの官報気取っていられる時代じゃないのだよ。




バカばかりなのだ

バカボンのパパ: バカボン、戦争に反対する病気があるのか?だったらわしはもともとその病気だぞ。

バカボン:違うよパパ。それは帆船病といってね、昔,船で何日も何日も航海してると栄養が足りなくなって病気になったんだ。

ハジメ: お兄ちゃんもちがうよ。ハンセンというノルウェーのお医者さんが見つけた病気の名前だよ。

バカボンのパパ: そのくらいわしだって知ってるのだ。ハジメ、わしはおまえたちをためしてみたのだ。
だいたいこの前の小泉とかいうソージ大臣はなんだ。元患者への賠償を命令した裁判所の判決に控訴しないとケツダンしただって?笑わすな。そんなの何ヵ月も前からホーム省やコウセイ省のやつらと相談済みのサル芝居だ。7月には選挙が迫ってるのだからな。こんなミエミエのことにマスコミまでいっしょになって大騒ぎとはバカにしてるのだ。バカはわしだけでたくさんなのだ。バカボン、おまえの頭は中に何が入ってるのだ。ちょっと見てやろう、どれどれポカポカポカ・・・・・・・

バカボン: ワーーーーママー、パパがまたいじわるするよーーー!

バカボンのパパ: コイズミ首相は元患者の人たちに謝罪したそうだが、わしはバカボンに謝罪しないからそう思えなのだ。これでいいのだ。だいたい今の日本のやつらは、ほんの数十年前のこともすっかり忘れてしまうのだ。ハンセン病患者の隔離政策をやったのはジミン党の政府だし、マスコミだってろくに批判もしなかったのだ。
ジミン党のなかで単に世代交代の時期になったから、その頃のこともう覚えてないやつらばかりになったのだ。アホラシ。

マスコミだって謝罪しろなのだ。NHKはあのころ隔離政策を容認してきたのだ。ロクにジンケンも考えずに政府の大便じゃなかった、代弁ばかりしてたのだ。マスコミはセイギの味方ぶるななのだ。「あのころのわしたちは間違ってました」と謝罪せんか。アホ。

そういえば、それとちょっと似てるのが今騒がれてる教科書の問題なのだ。これも何重にもバカバカしいぞ。第二次世界大戦のころのセイジ家が死に絶えてきたら教科書に「侵略」などの反省が記述されるようになった。そしたらこんどはもっと新しい世代のやつらがその逆の行動なのだ。アホラシ。だいたい教科書なんて教室で使わなきゃいいのだ。
もっとためになる本やサイトはいっぱいあるぞ。そういえば70年ごろ福岡の高校で教科書を使わないで歴史の授業をしてイジメられた教師がいたそうだ。そのころ先生の組合であるニッキョウソというのがあって教科書検定には反対しながら、そのイジメには知らん顔したそうだ。アホラシ

バカボン: ワーママーーー、パパがまたヘンになってるよーーー。

バカボンのパパ: うるさいのだ、わしはもうねるのだ。




見つけたか スキー不況の出口!!?

そうか、これが足りなかったんだよ、スキーには。
久しぶりだね、バカボン君。
バリアフリーの社会を目指すのが今の世の中のトレンドなのだよね。そんなことみんな知ってはいても、自分のまわりにはあまり現実味のない話だったのか。スキーも他のスポーツなどとおなじように、バリアフリーにちっともなってなかった。ハード面でもソフト面でも、作っているのが未「障害」者ばかりだったからなのか。マズイぜこれは。どうして急にそんなこと言い出したかって?最近「障害」者と一緒にすべることがあるんだよ。

3月、上越のスキー場でイベントがあったのだよ。「障害」者と未「障害」者がいっしょにすべる、日本チャレンジャースポーツ協会という団体が主催の「友達をふやそうぜ、スキー編」という3日間のイベント。スキーグラフィックの連載を読んでる人は知ってる加藤さんのスクールでもあるのだな。

これに参加してみると、目からウロコ、なーるほどということがいっぱいだった。スキー場で「障害」者が普通に動ける設計の施設を探すのはほとんど不可能だ。もちろん、障害者用のトイレとかがあるところは最近増えてるけど、結局ハードだけ、形だけ作っても本当に役に立つとは限らないのだね。ついでに言えば、宿もそうだ。スキー場のホテルや旅館で本格的なバリアフリー設計をしているところはあまり見たことがない。エレベータを設置できない小規模の旅館なら、1階に部屋がないと車椅子や片足のスキーヤーには使えない。

湯沢高原スキー場、久しぶりに行った。ロープウェイのりばにはエレベータで上がれる。でもゲレンデへの出口は階段でほとんど雪で覆われてるから、足に障害があれば一人で出入りするのはむずかしい。未「障害」者がいっしょにサポートする。しかし、これは、その部分も施設改良して一人で出入りできるようにするべき、とだけ言えるものでもない。どんな便利な施設をつくっても人間の関係はモノだけでは成り立たない。そうすると、ハード面と同時に人間の意識や経験が蓄積されてスキー場という「場」自体がバリアフリーになっていく必要があるのだろうな。そういうことを上記の団体が一生懸命やってる。

もっとも、それ以前の問題もたくさんある。12月にアジア各国から「障害」者のスキーツアーが上越に来た。日本全体がそうだけど、日本語以外の言語で案内表示があるところはほんとに少ないね。電車の駅にあるって?そう、豆粒くらいの小さな字で申し訳程度にね。スイス、フランスのスキー場だと、3〜5カ国語くらいで案内標識がある。それもそれぞれ字の大きさは同じでね。アメリカのスキー場?うーん、アメリカ人は自分の国が世界の中心と思い込んでるからな。英語で地球が成り立ってると勘違いしてるのよ。だからアメリカのスキー場は英語だけ。これから先も。

「障害者」というと何か自分とは関係ないような気がするだろうか。最近はそう思わない人が増えてきたと思う。よく言われるように、「障害」者に使いやすい施設や、生きやすい社会は結局すべての人間にとっても生きやすいの。人間は年をとると必ず体の機能が衰えて、今まで出来たことが出来なくなる。あたりまえのことだが、そうなってからでないとなかなか実感がわかないのやろか。

スキー界にとってスキーやボードが快適な、ラクな、楽しいスポーツや遊びであることは客を増やすという点では必要条件。スキーをもっとどんどんバリアフリーなものに変えて行けば幅広い年齢層のスキーヤーがきっと戻ってくると思うよ。





これからどうなるスキーの世界


「21世紀になる」という。2001年の冬を迎えながら、人間が勝手に決めた100年単位の区切りがそんなに意味をもつのかと不思議に思う。1年は地球という天体の運行から決められたわけだが、100年はどうか、十進法はおそらく人間の手の指が10本あるから出来たものだろう。したがって100年という時間に意味をもたせること自体無理がある。ぼくは53年くらいが「1世紀」にちょうどいいのではないかという気がする。いや、まてよ、どうせなら198年くらいでもいいか。
 
タイトルと関係ない話のようだが、実は大いにある。
ここでちょっと、エーリッヒ・シュナイダー博士の発明した転空錨鎮という装置に乗って2059年の苗場スキー場に行ってみよう。

ぼくが今立っているのは、ツアニーナエバゴルガッハというサイバースノープレイグラウンドだ。数十年前は苗場スキー場といわれた。
苗場がなぜそんな名前に、と思いたいが、これはモンゴル語に語源があるらしい。20世紀後半に、苗場のそばの浅貝スキー場というところが、名前を変えてイメージを一新しようとした。「スノーパルマベルカント」というのがそれだったが、命名2年後には元の「浅貝」にもどしてしまった。そんな名前誰も覚えられなかったのだ。でも2059年の今だったら受け入れられたかも。

ぼくは「立っている」と言ったが、正確には重力を制御することによって地面との接触を避けつつ一定の位置を保っている、と言うべきだろう。おっと、まるで全日本スキー連盟の教程のような、こむずかしい、それでいて大したことを言ってない表現になってしまったぞ。わははは。

 「Masaaa!、get ready OK ? Your gear running outa fuel, need more PYs, hurr?」
 「ああ、これ一本滑ったら入れるよ、ついでに帰りの高速空路見ておくよ」
という風に、このギアは雪面からわずかに浮き上がった状態を維持できる。原理はヨガではなく、物質の分子構造を亜超伝導の状態までホニャララするというものらしいが、難しくてよくわからぬ。

 というようなサイバースノープレイが21世紀後半になってスキーに替る新しいスノースポーツとして市民権を得てきたが、ーーーとここまで書いたら、転空錨鎮のパワーが落ちて元の20世紀末に戻ってしまったぞ。
やれやれ、20世紀末のスキー界の低迷を嘆くまもなく21世紀には雪に直接関係ない別のスポーツが主流になっていくのか。

ということにはなるまい。しかし、スキー人口が減っていることは事実。人によっては今の状態が正常で、1980年代のスキーブームの方が異常、というが。

スキー以外に金を使うことが増えてしまったことも大きな原因の一つだろう。ケータイの通話料に何万も払っている20代は多い。
しかし、スキー関連の業界はあまりにもこの現状打開に無策といえないか。なぜここまでの状態になってしまったのか、単に道具を新開発すればすむ問題ではない。スキー雑誌は何をしてるのだろう。11月号を見たまえ。まだ一度もスキーをした事のない人が、ためしにやってみたいと思うような記事が一体どれほどあるだろう。
「準指導員、正指導員検定、合格のポイント」をこの時期になると毎年のようにトップ記事にしてすむような時代だろうか。誰かが書いていたが、そのうちゲレンデでは一般スキーヤーよりも指導員の方が多くなるぞ。ははは。5人がかりで1人の初心者教えるか。

と、力説しているつもりの筆者も、結局、東京女子体育大へ研修受けに行くのであったよ。