数学教育について(コンピュータと数学教育)

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 1 新時代の数学

 2 数A・Bでパソコンをどう扱うか

 3 授業はプレゼンだ1

 4 授業はプレゼンだ2

 

新時代の数学(1998 於 鳥取県米子市)

パソプロという言葉がある。これはもちろん、パチンコのプロをパチプロ

と呼ぶことに倣ってのものである。

 私の近くにもパソプロはいる。やれ、ペンティアムは132か150か、TFT

がどうたらとか、大変な騒ぎである。私はパソコンのトレンドにはあまり

興味はなく、この手の話題には殆どついていけない。そんな私がこんな

大層な講座を受け持つというのは、全くもって由々しき事態。言語道断

横断歩道というしかない。

 以前、数学のある大会で、講演者の大学の先生に「大学入試ではなぜ

コンピュータの出題をしないのか」と質問した人がいた。「BASICのプロ

グラミングを問うたところで意味はない」というような応えに対して、くだん

の質問者は、さらに、「今、学校にいるALT(英語指導助手)は、皆、

学校内でインターネットをやっていてスゴイ。日本人もそのように、情報化

社会に対応できるよう、大学入試でコンピュータを出すべきでないか」

ということを言った。おいおいおいおい。そりゃないだろう。

 おそらく、彼の頭の中では、数学科におけるコンピュータ教育⇔情報化

社会に即対応⇔インターネットができる、という同値関係が成立していた

のだろうな。でも、もしかしてそう思っている人は意外と多いかもしれない。

特に数学に携わらない、いわゆる数学を遠くから見ている人達にとっては。

それにしても、数学科におけるコンピュータの行きつく先が、インターネット

か。とほほのほ。 

 さて、前置きが長くなってしまいました。今回のレポートは、コンピュータ

を使って新しいことをやろうというのではなく、逆に故きを温ねよう、という

視点で考えてみました。

 例えば、ユークリッドは4つの完全数を見つけたが、5番目の完全数は

とうとう見つけることができませんでした。5番目が見つかるまでには、

その後なんと1000年以上の月日を要します。しかし、もし、ユークリッド

の時代に性能の良いコンピュータがあれば、数学の歴史はぐんと縮まって

いたと思われます。そこで、我々凡人は、パソコンという道具を使いながら

ユークリッドの頭の中に入ってみようと、そして、その後繰り広げられる

様々な数学の歴史、整数の世界をちょっと垣間見てみようと、まあ、カッコ

よくいえば、コンピュータをタイムマシンと考えて、過去に旅しようというわけ

です。

    (1998 AMI高校集会・コンピュータ分科会の案内レジメより)

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 数学A・Bでパソコンをどう扱うか(1998 於 鳥取県米子市)

 ほとんどの学校では、数学Aにおける、コンピュータと平面幾何、また、

数学Bにおけるコンピュータと確率分布の章を省いていると思う。

標準単位2単位なので、時間的制約からやむを得ず、ということもある

だろうが、中には、数学の時間にコンピュータを教えることを疑問に思って

いる教師も少なからずいると思う。

 一方外野からは、「情報化社会に役立つ人間養成のために、数学で

コンピュータの指導を」という声もある。しかし、これはちょっとおかしい。

BASICのプログラミングに長けていたって、それが情報化社会に役立つ

とはとても思えない。皮肉的に言えば、BASICが一番役立つとすれば、

それはおそらく、センター試験で数学ができない生徒が効率良く点数を稼ぐ

ことだろう。

 では、このような状況の中で数A・Bのコンピュータはどうなるのだろう。

誰にも取り上げられずに消えてしまうのだろうか。

 そこで、「コンピュータを教える」のではなく、「コンピュータを傍らに置いて、

数学を教える」と発想を転換してみてはどうだろうか。現在の教科書の中で

取り上げられていない整数の話や、数学史、近似の考え、乱数の利用など

をコンピュータをとおして生徒に触れさせることはできないだろうか

   (AMI 高校集会 レポートより抜粋)

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 授業はプレゼンだ (1999 於 衣川荘)

 大分前から、数学の授業へのパソコン利用を試みてきた。時には興味を

喚起させるものとして、また時には授業のワンポイント教材として、あるいは

シミュレーションに・・・。しかし、このような授業は、1時間行うだけで結構大変

である。まず、いちいちコンピュータルームに移動させる。これだけで生徒は

落ち着かない。中には遊び時間と思ってしまう生徒も出る。ワンポイントだけで

使いたいのに準備に大幅に時間がかかる、など。苦労が多い割には成功した

授業実践例は少ないのではないかと思う。

 このような中、特に本校のような進学校ではパソコンを授業に利用する機会

はないだろうと思っていたが、最近2つのモノとの画期的な出会いがあり、再び

パソコンを用いた授業をやってみることになった。その出会いの1つはプレゼン

テーションソフトである。従来のFCAI的なものは教材開発に時間がかかるし、

あまりにもパターン化された授業になり、効果が薄い。また、オーサリング方式

はコンピュータに向かう時間が長くなりがちであり、好ましくない。しかし、現在

WIN上で動かすプレゼンテーションソフト(私はMicrosoft社のPower Point を

使っている)は作成が簡単で、WIN上でのアプリケーションをオブジェクトとして

挿入できる。これで、授業の合間にグラフを動かすなどの利用が可能になった。

グラフプレゼンテーションソフトとしては、例えば大阪の友田さんという方が開発

されたGrapesというフリーソフトや、フランスのラボルト氏の開発した、Cabri

geometryUなどが秀逸である。

 2つ目の出会いは、液晶プロジェクタである。これは以前からあったのだが、

ここ最近急速があがり非常に使いやすくなった。以前はせっかくいいプレゼン

を考えても、準備に手間取ったり、部屋を暗くしたり、別室にわざわざ連れて

いったりとかしたのだが、その心配がなくなった。今本校で利用しているのは

ハンディなプロジェクタで、教室に持っていって、ノートパソコンに繋ぎ、黒板

に投影させて行っている。

 これまでの黒板&チョークの授業スタイルから、今後はこのプレゼンテー

ション+プロジェクタが加わっていくのではないかと思う。本校で行った授業を

基に、プレゼンテーションンとしての授業の方向性を考えてみていただければ

幸いである。

    (1999 高教研 数学部会 研大会発表レポートより)

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授業はプレゼンだ (1999 於 衣川荘)

 最近、特に進学指導に携わっていると、意味がわからないけれど答えは

出せるとか、点数は良いが数学はわからない、という生徒が多くなっている

ことに気づく。それは、概念が十分に形成されないまま、問題解法技術の

熟練を目指していることが原因の1つであると思う。つまり、現在の生徒

たちにとって、数学は問題を解くこと、または解けるようになること、という

捉え方が本質的になっているのではないかと思えるのである。

 例えば、「公式を覚える」といえば、公式の暗記や運用ではなく、その概念

の理解のはずだ。しかし、多くの生徒(あるいは教師も!)、概念を理解する

という作業をとばしてしまう。そのこおtによって、すこし問題がひねってあると

解けないとか、「手で自動的に解ける」問題以外はできない、ということが

起こる。

 マイケルファラデーは、「ある事実を自分自身で見たものでなければ、私は

決して自分のものにできなかった注1」ということを述べている。概念獲得の瞬間

とは、その公式の持つ意味や法則が「見えた」ということであるだろうし、そして

例えば、今までばらばらだと思っていたいくつかの事象が「繋がった」とか

「輪になった」と感じるときであろう。

 しかし、ファラデーとは逆に「自分自身で見たこともないものを次々と自分の

ものにしている」というのが現実の一つの問題である。

 さて、数学史をひもといてみると、ガリレオからニュートン、ライプニッツに

至る、いわゆる微積分学成り立ちの経緯の中で、数学の質が変わってきた。

それは、それまで学校では数学を、問題解法のスキルを磨くことに終始して

いたのに対し、ガリレオらは、数学の実用性、応用性に注目していったという

ことである。注2

 そこで述べたいのは、数学の概念形成には、思考だけではなく、実験や

観察という感覚知覚の活動が相互に絡み合う中で獲得されるのではないか

ということである。注3概念の中にあるいくつかの対象を観察したり、動かしたり

することによって発見や納得が得られるということである。

 とすれば、それを支援する強力なツールとしてコンピュータに注目したい。

使い方を間違えなければ、コンピュータが単なる演算処理装置ではなく、

授業をダイナミックに構成させる道具になり得るはずである。

 これからの数学は、単に、問題が解けるようにすることとか、教科書の

内容を伝達するということだけではなく、一つの問題から、発展的に考え、

自分で何かを見つけ出すこととか、また、数学を社会現象や自然現象など

他の分野との関わりを考えるといったことも重要な要素になってくるだろう。

であれば、なおさらパソコンの授業を考えていく必要がある。

 教育界におけるインフラの整備が進む今日、また、パソコンが今や誰に

でも身近になってきた今こそ、授業へのコンピュータの有用な取り組みを

考えて行くことが必要になってくるのではないかと思う。

参考文献

注1.3) 「シュタイナー学校の数学読本/ベングト・ウリーン」(三省堂)

注2) 「ガリレオガリレイ/青木靖三」 (岩波新書)

(1999 高教研 数学部会 研大会発表レポートより)

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