岩手高教組 教育研究集会 数学教育分科会の基調より

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 私が数学教育分科会の推進委員長になって、もう10年が過ぎようと

しています。

 教研集会の基調を年度ごとに追ってみました。駄文ではありますが、

とりあえず、その年に数学教育についてどのようなことがあったのかが

わかるのではないかと思います。

 1994 新しい学力観などの言葉が流行った指導要領スタート

 1995 新指導要領2年目で問題点が見えてきた。この年、地下鉄

      サリン事件など不穏な事件が起こる。

 1997 この年の基調は、当時盛岡で講演された小沢健一先生の

      内容から多くを引用させていただいた。指導要領50年

      ということから、教師の主体性という点に重点を置いた。

 1998 教育課程審議会による「まとめ」が出される。非常に

      問題がある改定を目指していると内外から批判。

      数学の危機という声もあらゆる数学団体から出始めた。

 1999 戦後最悪ともいわれた指導要領改訂がされる。2次方程式

      の解の公式を知らなくても特に生活に支障はなかった

      という審議委員の言葉が物議をかもした。

 2000 ICME9が開催された。これにより多くの数学団体の

      結集とそれにともなう数学教育の活性化が見えてきた。

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1994年 基調報告より

 いよいよ新指導要領がスタートした。大幅にその内容が変わった数学。

「2次関数の指導はどうすればよいか」「コンピュータの領域は扱うか」・・・ 

新たに導入された数学A。「数学Tとのからみはどうするか」「幾何はどの

ように取り扱うか」「集合や論理の指導法は」・・・・・

 このように新教科の指導法と教材についてはいろいろな場で論議になって

いる。

 また、その他にも「新学力観」に伴っての評価の問題、教育課程における

履修と修得について等、問題は複雑多岐にわたっており、現場はかなり

混乱している状況である。このような中で、私達は旧態依然とした、

「株を守る」実践を繰り返していいのだろか。

Defensive Teaching という言葉がある。これは自己防衛的に知識(学校知

=学校でしか通用しない知識)を伝達するだけの教育方法であり、教師に

とってある意味居心地のいいものになっている、とのことだそうだ。

 今回の改定で「教師の指導要領の束縛からの解放」ということを謳って

いるならば、今こそ私達はこれまで築いてきた多くの実践を継承し、教材の

編成、工夫などに主体的に取り組んでいかなければならない。

 学校で教える教科書の内容が生徒の現実に感じている知への欲求と

ズレている現実を直視し、生徒の混乱につきあう決意を持って、数学の

面白さ、美しさに触れさせ、また、社会現象・自然現象の中に潜む数学を

発見させるといった前向きの行動を展開していきたいところである。

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1995年 基調報告より

 今年は某カルト集団のニュースが後を絶たなかったが、この中で、何かと

理数系エリートの話題が取り上げられていた。

 選別やエリート養成のための数学は多くの落ちこぼれをつくるとともに、

病めるエリートをもつくりだしているのだろう。

 さて、今年度は新指導要領がスタートし2年目の年となった。昨年度は

各支部教研・本部教研において、新数学T、数学Aの指導法について情報を

交換し合い、論議を深める中で、教材の開発、あるいは問題点を確認し

あってきた。本年度は数学U、数学Bの導入にあたる。数学Bにおける

複素数平面は(若い教員には?)初めての経験である。どのようにして生徒を

引きつける教材を提供するか、ベクトルとの絡みはどうするか、確率分布や

算法とコンピュータでは、授業形態や評価についての論議を深めていく必要

もあろう。数学Uでは、関数及び関数の値の変化が中心となる。特に、

三角関数、指数対数関数の部分は、昨年度より教研のテーマとした、

「自然・社会現象における数学の世界を体験させる実践を」に結びつく教材

である。この数学Uでは、私達がかつて、「すべての生徒に微積分を」の

スローガンの下、多くの実践を交流しあってきた成果を発揮する場と考え、

更に討議を深めていきたいところである。

 来年度は教育課程の完成年度を迎える。このような中、現場では新科目

の指導法以外にも、教育課程の問題、新しい学力観に伴っての評価の問題

等、混乱を極めている状態である。そして、止むことを知らない職場の多忙化

とあいまって、思考停止に追い込まれ、惰性と踏襲という名の仕事をこなして

いる実態が見られる今日この頃である。

 私達は、だからこそ、こうした現状に危機感を持ち、今こそ多くの先輩から

脈々と受け継がれてきた教研活動に主体的に関わり、教研を守り、強化して

いかなければならない。

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1997年 基調報告より

 今年の6月に行われたIEA(国際教育到達度評価学会)の調査によると、

日本の小学生は、世界の中で成績はトップクラスでありながら、算数は嫌い

だという結果が浮き彫りになったそうである。

 高校においても、点数は取れるけれど数学は嫌い、という生徒が多くなって

いる傾向は確かに感じられる。これはいつ頃からそうなのか、現在の算数・

数学教育がそういう子供達を生み出しているのか、今一度考えてみる必要が

ある。

 数学を「解ける」「わかる」「好き」という側面から見た場合、数学は解ける

けれど意味がわからない、とか点数は取れるけれど好きではないといった

カテゴリに属する生徒が多くなってきているのではないか。このことは、

とりもなおさず、私達教師の側にも同じような事を問うことができるだろう。

 問題解法の技術を磨くことや、平均点向上のためのドリルを繰り返す

ことで、逆に算数や数学の面白さや楽しさが失われているとしたら、それは

悲しいことである。

 「教育は時代の関数である」ということばがある。これは、教師が時代や

体制に迎合していくことではない。子供達の変化にともなって教育の手法

を変えていくフリキシビリティが必要だということである。

 1955年から約20年間にわたり、高校進学率が10年ごとに20%以上も

急増していくという時代があった。その中で従来の数学教育が通用しなくなり

多くの教師が挫折した。しかし、このような混乱に真剣に対峙し、根気強く

子供達とるきあっていくことから、今なお引き継がれている素晴らしい実践

や、教具などが生まれた。これらは、混乱の中で生徒と教師が一体となって

生み出した財産といってもいいだろう。

 さて、指導要領体制50年と言われるが、指導要領は時代の関数といえる

だろうか。二転三転していく指導要領を、マニュアルやナビゲータにしていく

ことは教師の思考停止や主体性のなさにつながらないだろうか。それこそ、

「数学の良さ」を伝えることができるのだろうか。

 先日、中央審議会の第2次答申がなされたが、その中いわれる「生きる力」

の定義は「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、

行動し、より良く考える能力」とある。これを生徒ではなく、むしろ私達教師に

あてはめた場合、指導要領体制の中、教師にははたしてこのような力が

培われてきたのか、今一度振りかえって点検することも必要だろう。

 今次教研では、来るべき21世紀に向け、数学教育はどうあるべきか、

などという大上段にふりかぶった論議も必要であろう。また、それに伴って

指導要領体制や中教審の問題も議論になろう。

 ただ、私達は、もっと自分達の足下から見つめた議論を深めたい。

「子供・生徒は学ぶことに意義を感じているか」そして「教師は教えることに

意義を感じているか」といった根本的な問題にも実践を通して話し合って

いければいいのではないかと思う。

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1998年度 基調報告より

 今年の6月に教育課程審議会による「審議のまとめ」が出されました。

この中で強調されているものの一つに、教育における情報化があります。

これは、情報の進展にともなって、どこの世界でも必然的に高まってくる

ものでしょう。そういう意味では今回の「まとめ」の中で情報教育が大きく

取り上げられているのも納得がいきます。しかし、もう一つ別の見方を

すると、バブル崩壊後、経済活動に活力を与えるための矛先、いわば、

「新社会資本」というマーケットとして教育会がやり玉にあがっている、

ともいえそうです。

 教育の情報化はとりわけ理数系がターゲットになっていて、数学科に

おいても今後大きな影響を及ぼしそうです。私達数学教育の分科会の

中では、討議の柱の一つとして、「数学教育とコンピュータ」を設定し、

ながきに渡って議論を深め、また実践も行ってきました。今後、これまで

の活動が生かされてくるに違いありません。

 また、週5日制に伴い、数学の指導内容が大きく削減されますが、これは

生徒や教員がゆとりを持つ、あるいは受験戦争の緩和という意味で歓迎

されるものかもしれません。しかし一方で、数学の面白さ失われていくの

ではないかという懸念も抱かざるを得ません。私達はこのような中でこそ、

「なぜ数学を学ぶのか」という、根本の議論も深めていく必要がありそう

です。この数学教育の目標については、私達の共同研究者である小宮山

氏(岩手大)から、「数学の有用性」「文化遺産としての数学」「数学の陶冶性」

という面からの提言がありました。

 日常生活における数学の有用性を示すものとして、教科審がいう「総合

的な学習」が位置付けられるものなのか、教科書の内容を教えることに

授業のエネルギーが注がれることが「文化遺産」を継承することになるのか、

問題を解く技能を向上させるべく鍛え上げていくことが陶冶性に当たるのか、

この辺りをたたき台にして考えてみるのもよいのではないでしょうか。

 その一方、私達は、40年に及ぶ教研活動の中で、「すべての子供に数学

の文化遺産である微積分を!」というスローガンを掲げたことがありました。

また、今は、討議の柱の一つとして、「社会・自然現象に潜む数学の世界を

体験させる実践を」ということを謳っています。そして、生徒が自分で数学的な

現象を見つけ、それを発展させるという数学的経験、そして、これを支援する

ような数学教育を目指そうという声もあがっています。

 いずれ、「21世紀に向け」という言葉が、まんざらただの謳い文句にならな

くなってきた今日この頃、これまでの私達の行ってきた教研活動を振り返り

数学教育を見つめなおすターニングポイントにさしかかっていることは事実

だと思います。 

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1999年度 基調報告より

 今年の3月、高校では2003年からの実施となる学習指導要領の文部省案

が発表された。 まず、この中味を議論する前に、今回の改定案が導き出

される手続きの問題をあげておく必要があると思う。 この改訂は、平成

10年7月の教育課程審議会の答申を受けてのものだが、もっと遡って

みると、平成8年7月の中教審第一次答申に端を発するもので、前回の

指導要領に対する評価・総括さえなされない状況下での出発であった。

また、平成9年11月に「中間まとめ」が提出されるまでは、数学や数学

教育の専門家が参加していない中で行われていた。「2次方程式なんか知

らなくても人生になんら影響はなかった」という迷言も記憶に新しい。

以後、委員に数学の専門家が加わっていく過程はあったものの、彼らの

多くは、審議に参加しても何も変えられないという無力感を訴えていた

のが印象的である。 

 さて、そのような問題点を孕みつつ発表された今回の改訂だが、その

内容について、今次教研で議論になりそうな部分をいくつかとりあげて

みよう。

 まず第一は、数学基礎の導入。これを数学Tとの選択必修にしたこと。

次に、数学T、Aに中学からの移行があったということ。例えば二次方程式

の解の公式、1次不等式、三角形の重心や円の性質などである。また、数学A

が内容選択にならなくなったことも議論の的になりそうだ。更に細かいところ

では、「数と式」が数Tに戻ったこと、複素数が抜けたこと、一次変換の復活

などもあげられるだろう。その他数学科以外の部分で数学と関わるものとして

は、「総合的な学習」、また、必修科目として「情報」が新設されたことなど

も注目される。

  今次改訂の背景には「数学離れ」の現実に対応しようという意図が感じら

れる。例えば「数学基礎」の導入は、「落ちこぼれ」をなくすための避難科目

的な色が強い。しかし本当にいま生徒は「数学離れ」しているのだろうか。

もしかしたら「数学離れ」ではなく「授業ばなれ」しているだけなのではな

いか。このことを今私たちは考える必要があるだろう。

  模試偏差値を上げるために狂奔している進学校。基礎ができないと嘆きな

がら、小中の計算ドリルをひたすら繰り返すつまらない授業。「試験にでる

ぞ」の一言でからくも授業を成立させている状況…。私たちが、「生徒が数

学できねえ」と嘆くとき、じゃあどんな数学を我々は生徒に提供しているの

か、授業づくりはどうなっているかということを振り返ってみるのも大切で

ある。

「できない、わからない」という生徒達に対し、私たちは、興味関心を喚起し、

それを土台とした輪になった数学教材を提供しようということで、40数年に

わたり教研を継続させてきた。このことを大 いに自負するとともに、教研で

培われた財産を今後の教育活動、教育実践に生かしていくことが今後の私達の

課題だと思う。

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2000年度 基調報告より

 今年は、ICME9(第9回国際数学教育者会議)が、日本で開催された。この

会議の開催にあたり、日本のあらゆる数学教育団体が、団体の枠を超えて

数学教育のために一致して協力しあった。これは非常に意義のあることで、

そういう意味では、今年は数学教育にとってエポックメイキングな年といえる

だろう。

 そのように一致協力しあえた要因の一つとしては、世界がネットワーク化

されてきているということを指摘しておきたい。数学教育に関するあらゆる

情報は、いながらにしてネットワーク上で共有しあえる環境が生まれてきて

いる。このような流れの中で、数学教育の質やレベルが向上する、あるいは、

共通認識や友好関係が地域や職域を超えて伝わっているといえるのでは

ないか。

 さて、その要因としてもう一つあげれば、日数教であろうが数教協であろう

が、どの団体も一様に、数学教育について共通の危機感を抱いていたことが

あげられるのではないかと思う。

 いわゆる「戦後最悪の」という枕詞で称される今回の学習指導要領の改訂

は、昨年度の基調でも述べたように様々な問題をはらみつつ生み出された

ものである。

 ここで、昨年の基調から、今回の分科会でも話題になりそうな点を指摘

しておこう。

 『まず第一は、数学基礎の導入。これを数学Tとの選択必修にしたこと。

次に数学T・Aに中学校からの移行があったこと。例えば2次方程式の解の

公式、1次不等式、三角形の重心や円の性質などである。また、数学Aが

内容選択にならなかったことも議論の的になりそうだ。更に細かいところ

では、「数と式」が数Tに戻ったこと、複素数平面が抜けたこと、1次変換

の復活などもあげられるだろう。その他数学科以外の部分で数学と関わる

ものとしては「総合的な学習」また、必修科目として「情報」が新設された

ことも注目に値する。』

 模試偏差値を上げるために狂奔している進学校。基礎ができないと嘆き

ながら小中の計算ドリルをひたすら繰り返すつまらない授業。「試験に出るぞ」

の一言で、からくも授業を成立させている多くの学校・・・・

 世界中で今数学の危機がいわれている。また、数学教育が変わろうとし

ている。そのような中で、私達は現状をどう認識し、どのように旧態依然の

状況に風穴を開けていくのか、今次教研でも考えてみる必要があろう。

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