隠しページというか、正当な手段を踏んでここへこられた方だけが気づく、
秘密のページへようこそ。
高田馬場→早稲田通り経由→落合編で、
「私らってあのとき、いちばん遠い存在だったよね?」
という言葉が何回出ただろう、
という表現をしていますが、その真相を。
私と船長こと、明石織弥さんとの出会いは、今をさかのぼること4年前。
シマリスらんど誕生よりもちょっと前でした。
本当の意味で、初めて会ったのは、3年半前。
2001年京都オフ会でした。
またこのオフ会が今だから笑い飛ばせるけどネタだらけで。
宮本繁之氏、私、玲、織弥さんの4人で、
京都で遊んだことがありました。
そのとき、私と織弥さんは、ほとんどまともにしゃべらなかったんじゃないかなぁ?
なんでかというと。
おたがいいちばん話したかった相手じゃなかったから、でした。
織弥さんは玲とミステリー話で異常に盛り上がってたし、
私と宮本氏もクラシックやらなんやらの話で異常に盛り上がってしまったのでした。
つまりお互いにベクトルが違う方向を向いていたわけです。
私と織弥さんはなにしゃべっていいかおたがいわかんなかった。
だから、そのときは、本当はとっても似たものどうしで、
本当の友達になれるなんて微塵も思っていませんでした。
きっかけは、お互いの留学だったと思います。
留学して、その後の経緯が、ほんとふたりしてそっくりで。
ゼミの先生が厳しくて、卒論でひいひい言ってたり。
同じような時期に、同じような感じで卒論合宿があったり。
思えば私が卒論かけたのも、同じ境遇にあった織弥さんのおかげかも(笑)
よくよく留学話を聞いてたら、それまで似たような感じだし。
ロシアと中国もそっくりだしねぇ。
そういう経緯を経て、気づいたら本当の友達になっていました。
「私らってあのとき、いちばん遠い存在だったよね?」
この言葉の裏には、こんなエピソードが隠されていたのでした。