では、本題へ…。

就職活動の場で、一番シマリスが異様だと思ったというか、日本人だなー、と思ったのが、
あたりまえですが、みんな「真っ黒」だということです。
この場合の真っ黒、というのは、服だけではなくて、髪の毛もね。
なぜ、そう思ったかというと、インターナショナルカップルの質問でもうちの彼氏が指摘していますが、
日本人の「同胞的なものを求める傾向が強い」というのを如実に物語っていると思うからです。
まぁそれだけだったらいいんです。だって、中学、高校だったらみんな同じ服着てるからね。

それよりもっと異様なのが、

「就職活動においては、自分自身が商品なのだから、他の者より目立たなくてはいけない」

ということを、みんなが実行しているところだと思います。
確かに、面接の場だったらわかりますよ。それは当然のことだから。
ですが、会社説明会の場で、OX大学のXX学部から参りました、OOと申しますっ!
ということを述べ、質問をしたからといって、採用担当者の目にとまる、
とは、普通に考えて、ありえないのではないでしょーか???
だって、説明会はたいていの場合1回じゃないし、そこに来る学生の数も結構なもんだと思います。
会社の規模によりますけど。
これって、つまり、初対面の人に、いきなり自己紹介されて、
その人のことを、のちのち(まぁ普通は1ヶ月から2ヶ月ぐらい?)まで覚えてるか、というと…。
みなさん、どうですか?
覚えてないし、最初の段階でびっくりしませんか???
でも、そういう、普通に考えたらありえない、ことをいろいろとやっているのが「就職活動」というものなのです。
ちなみに、実際は、履歴書を出さないといけないので、履歴書によって、
会社側はその人の顔とプロフィールを把握することは可能です。
ただ、会社説明会の場で会社側がその場に来る人の顔とプロフィールを両方把握していることは、
あまりないので、(場合によっては例外もありえます)
こういうことが、普通に考えたら、結構おかしい、と思えるのがおわかりいただけるかと思います。

では、なぜ、こういう、普通に考えたらありえないことが成立するのでしょうか。

それは、企業側の「よい学生をひとりでも多く、そして早くゲットしたい!」という思惑と、
学生側の「ちょっとでもいい会社に入りたい」という思惑がうまく合致しているからだと思います。
当然この場合のいい会社というのは、みんなが名前を知ってるような会社です。
企業側も、自分とこの会社のブランドイメージが学生を集めるということがわかっているので、
うまいことをいろいろ言うわけですね。日本語のすばらしい表現力で(笑)
で、それに踊らされてしまうというか、なんというか。
極論を申し上げますと、就職するってことは、他の人を出し抜くということです。
先ほど述べた、学生側と企業側の思惑も、裏を返せばそういうことではないでしょうか。
それをはっきり言ってしまうと、おい!とつっこまれかねないので、
あれやこれやという言葉を使って、うまくその本質をかくしてしまってるわけでございます。
うーん日本語ってなんてステキな言葉なんでしょう。

就職だけではなくて、入試も同じことです。
他の人を出し抜いてナンボ、なんですな。
ただ、就職と明らかに異なる点は、他の人を出し抜くためのボーダーラインが、
わりとはっきりしてることです。いわゆる、偏差値というやつです。

では、就職の場合はと申しますと、学歴というボーダーラインはありますが、
先ほど述べた理由で、はっきりそれを表してしまうとマズイので、
いろんな方法で脚きりをするわけです。その手段が、ペーパーテストだったり、
履歴書の内容だったりするわけで。
そして、面接までこぎつけた学生をさらに絞るために、ある程度の基準があるわけです。
それは、学生側には一切示されません。あるとするなら、「求める人物像」なる表現です。
これはわりとあいまいな言葉でかかれているので、本質をつかむのが非常に難しい。
これまた日本語のうまいところだ。

そして、我々学生は、その企業とか就活サイトに示される情報に踊らされるわけですね。
その結果が、「普通に考えたらありえないようなこと」が平然と行われることにつながります。
ある意味、宗教団体みたいです。怖いです。
あぁ、こうやって人間は新興宗教にはまっていくのかもしれない、とか思いましたしね。
いろいろなことを考えられるいい機会ではあると思います。
ただし、私のように常日頃からしょうもないことしか考えてない人間には、
こういう文章を書くネタがゴロゴロしている場だと思います。

結論。

就職活動とは、いかに他人をうまく出し抜くかということを競う場である。

↑この表現に他意はありません。
競争という原理がないと、資本主義の根幹が崩れ去ってしまうので。
結局、資本主義の社会で、人間として生きている限り、競争という概念から抜け出すことはできないと思います。
最近小学生の運動会のかけっこをとりやめたり、順位をつけなかったりするらしいですが、
いずれは競争社会に出て行かないといけないんだから、
そんなところから、生きてる限り競争とは一生付き合っていかないといけない、
というのを教えるべきなんではないでしょうか???

しかし、こういう裏の意図を考えていると、おもしろいですね。
そういうのを考えるのが好きな方は違う意味で楽しめると思いますよ。

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