納得がいかないし、信じることもできない。
なぜ、彼が死ななければならなかったのか。
この世の中に、死んでいい人間などいるはずもないが、
毎日毎日、世界のどこかで、人が死んでいくのは、事実なのだ。
それは、まぎれもない、事実である。
2003年3月28日という日は、決して忘れることはないだろう。
あの日、テレビでニュースを見ていた私は、信じられないものをみてしまった。
「ニュートラム事故 作業員1人死亡」
私は、とっさに、友達を思い浮かべた。
というのは、彼の仕事場は大阪南港、ちょうど、ニュートラムが走っている場所だ。
仕事も、大阪市営地下鉄の作業員である。
亡くなったのが、けいたくさんじゃありませんように、そう願った。
しかし、無残にも、次の瞬間、報道された名前は、友達のものだったのだ。
私は、泣き崩れるでも、叫ぶでもなく、ただ呆然としてしまい、
呆然とした頭で、ニュースキャスターが淡々とニュースを伝えるのを聞いていた。
しかし、私はまだ信じることはできなかった。なぜかというと、友達は在日韓国人で、
私の知っていた彼の名前は、いわゆる「通名」だったからだ。
だが、職場では本名を使っていたらしく、当然ニュースで流れた名前も、本名だった。
だが、なぜ私が友達だ、とわかったかというと、漢字が同じで、
それを単に日本語読みしてたか、韓国語読みしてたか、それだけの違いだった。
かなり変わった名前だから、そうそう同じ名前の人違い、ってのはいない。
信じたくなかったが、それは友達本人、としか考えようがなかったのだ。
彼は、作業中に誤ってどこかに落ちてしまい、ニュートラムが近づいてきたときに、
足を巻き込まれてしまったようだ。
さぞかし、痛かっただろうと思った。もっと生きたいと願っただろう、そうも思った。
まだ27だから、やりたいことももっとあっただろう、そう思った。
仕事しながら、学校いって、この間卒業できたところだったのに。
私も、いろいろ話したいことがあった。
彼女を紹介できなかった。
クラ吹きで、アンサンブルしよーっていってたのに、できなかった。
出会ったきっかけはネットだったかもしれないけど、
会った回数も、両手で数えられるほどしかなかったけど、
私の中では、良き友達だった。
まだキャンビー使って無理やりネットやっていたころ、
オディゴというチャットのソフトを使っていた。
彼に会ったのは、そこだった。
最初に話し掛けてきたのは、彼のほうだった。
私は、知っている人としかチャットしない主義だから、
私が自分から話し掛けるということは、ほとんどしなかった。
クラリネット吹いてたことと、大学の回生が同じだったことで、
結構気があった。
ネットの人間関係は希薄だと思っていたが、
ぜんぜんそういうことはなかったんだと思った。
それは、出会ったきっかけは確かにオディゴだったかもしれない。
あった回数も、2年間で両手で数えられるぐらいしかなかったと思う。
でも、私はその友達のことを、本当の友達だと思ってたし、
一生ものの付き合いができる人やと思っていた。
5歳上だった。子供のときの5歳上ってすごいおにいちゃんおねえちゃん、
だと思ってた。だから、まさかそんな人と友達になれるとは、
普通思わないと思う。
そういう、おにいちゃんと友達でいられたことは、
私にとって、ものすごいプラスだったと思う。
だから、今いなくなってほしくなかった。
なんで?なんでけいたくさんが死なないといけなかったの?
まだ思ってる。
けいたくさんがいたことを、忘れないで生きていこうと思う。
3月28日は、一生忘れることのできない日になった。
今年の春は、どこか物悲しい春になってしまった。
けいたくさんがいなくなったことを、悲しんでばかりもいられない。
人の死を悲しむことができる心は無くしたくないけれど、
そのことが原因で、やるべきことまで見失ってしまったら、
結果として損をするのは、自分だから。
それで、けいたくさんが喜ぶなんて、絶対に思わないから。
私は、私の道を行く。