自分を追い詰めるために?ホムペのコンテンツにしてしまった卒論コーナーです。
誰か読む人がいると思えばがんばると思うので、読んでやってください。
また、わからないことがあれば、どんどん聞いてくださいね。
まぁ、ここんとこフリーズしてた音楽論コーナーにはうってつけの題材だと思います。
1.ショスタコービッチとはどんな人?
まず、ここんとこをはっきりさせておかないと話にならないですね。
ショスタコービッチは1906年生まれ、1975年に没したソ連の作曲家です。
本名は、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ・ショスタコービッチといいます。
日本でおそらく最も有名な曲は、交響曲第5番「革命」ではないでしょうか?
作品番号がついているものだけで、147曲、それ以外にもいろいろあるようです。
大きなものでは4楽章構成の交響曲、また歌劇、バレエなど、
また、20世紀の作曲家よろしく?映画音楽なんかも手がけているようです。
作風は、多岐にわたっているのでなんとも言いがたいのですが、
多くの人が思っている「ショスタコービッチ像」は、
「暗い」「重い」「なんや複雑」「音が多いなぁ」
だと思います。確かに弦楽四重奏とか交響曲第5番なんかはそうですね。
が、映画音楽を集中的にやっていた時代(特に多いのは1930年代前半)の作品は、
今でも映画やCMなどに使われているぐらい、ポップな曲もあります。
吹奏楽コンクールの課題曲になりそうなマーチの曲とか、
はたまた、ジャズの名曲「ふたりでお茶を」のオーケストラアレンジなんかもやっちゃってたり。
↑比較的若いときの作品です。
ちなみに、映画音楽で有名なのは、「戦艦ポチョムキン」じゃないかなぁ。
エイゼンシュテイン監督や演出家メイエルホリドなどと交流があったらしいです。
で、この人の面白いところは、その経歴にあります。
スターリンが「粛清」をはじめた1930年代、
この人は、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」というオペラを書きました。
そのオペラが、「プラウダ」という新聞(共産党機関紙ですね)に、
「音楽のかわりの荒唐無稽」という名の無署名論文がのり、こてんぱんにたたかれます。
当時、このように新聞などのマスメディアによって個人(知識人など)がたたかれるということは、
即刻、その人物の物理的死を意味しました。
普通ならラーゲリ(監獄)送りになって、運が悪ければ処刑だったのですが、
どういうわけか、つかまることも、殺されることもありませんでした。
その時代にラーゲリ送りになった人物が名誉回復したのは、
スターリンの死後、というパターンが圧倒的に多いです。(ひどい場合はソ連つぶれた後)
が、ショスタコービッチの場合、スターリンの独裁真っ只中に、交響曲第5番「革命」の大ヒットで、
名誉回復してしまいます。
またまた、2度目の「物理的死」を意味する瞬間が訪れます。
1948年、共産党中央委員会にて、通称「ジダーノフ批判」と呼ばれる決議がなされます。
これは、
「第二次大戦後、アメリカとソ連の冷戦構造の確立に伴い、
共産党がイデオロギー逃走を強化するため、学問や芸術などの分野に繰り広げた一連の批判」
(「」内工藤廣介氏のWebサイトより引用→URLはこちら)
です。当然、ショスタコービッチも再び槍玉にあがるわけで。
これを、またまた彼は、オラトリオ「森の歌」の大ヒットで名誉回復してしまうわけです。
このあたりを扱った文献や論文はかなり多くあります。
私のテーマは、いくつかあるんですが、大きくまとめると、
「交響曲第5番や森の歌は本当にショスタコービッチが作りたかった作品か」
ということです。
これから不定期更新にしますが、
いろんなところに注目していくつもりなので、
感想やわからないことなど、どんどん掲示板に書き込んでくださいね。
とりあえず今日のところは概略をサササっと述べておきます・・・。