幸福になる
【目次】
一般の人が欲する幸福
末日聖徒が望む幸福
幸福を阻害するもの
アランの幸福論
ラッセルの幸福論
ヒルティの幸福論
豊かで満ち足りた人生
高ぶりを心せよ
家族と一緒に過ごす時間を作る10の方法
正しい価値観を家庭で教える10の方法
家族の間で意思の疎通を改善する10の方法
「アンネの日記」より
教会の福祉
マインド・フルネス
その他の幸せになるためのヒント
トップページへ戻る
一般の人が欲する幸福
世間一般の人は、物質的なものに幸福を求める。
人々が神仏に願うものも、精神的なものでなく、やはり、物質的なものである。
お寺参り、お宮参り、お守り、おみくじ、占い、風水、姓名判断、パワースポット等を使って望むものは、恋愛、結婚、妊娠、安産、子育て、お金、仕事、勉強、健康、安全等である。
良い学校を出て、大きな会社に就職し、理想の人と結婚し、立派な家に住み、衆望を集め、豊かな財産に恵まれ、誉れ高き勲章を得ることを求める。
人が求める根本的なものは、命(健康)、自由、財産である。
それが満たされ、次に求めるものは、平和(安全)、友愛、平等である。
平和を求めるのは、命、自由、財産を守りたいから、
友愛を求めるのは、お互い助け合って、命、財産を守りたいから、
平等を求めるのは、自由、財産の不公平を無くしたいからだ。
- 生物としての欲求(生理的欲求)
- 食欲、性欲、睡眠欲、排泄欲、空気・水が欲しい。
- 健康・安全が欲しい。(暑さや寒さを避けたい、怪我を避けたい)
- 人間としての欲求(社会的欲求)
- 集団に加わりたい、仲間との関係を良好に保ちたい。
- 恋愛・結婚したい。
- お金・財産が欲しい。
- 仕事・勉強でうまくいきたい。
- 地位・名誉が欲しい。
- 他人に認められたい、褒められたい、。
- 他人よりも優れていたい、尊敬されたい。
- 知的好奇心を満たしたい、何かを創造したい。
- 美しいものを見たり、心地よい音を聴くなどの感覚の快楽を味わいたい。
- 世の中に貢献したい、愛する人を気遣い守りたい。
- 真(科学、哲学)、善(宗教)、美(芸術)を求める。
国連は各国の幸福度ランキングを出しているが、その指数は次の項目からなっている。
- 所得 1人当たりの国内総生産
- 健康 健康寿命
- 福祉 社会的支援 困難時に信頼できる人がいるか
- 自由 人生選択の自由度
- 寛容 他者へ施しをしているか
- 正直 社会の腐敗度 政府や企業における汚職のなさ
目次へ戻る
末日聖徒が望む幸福
末日聖徒は精神的なものを求める。
精神的なものは死後の世界に持っていける。
例えば、家族、人格(身に着けた慈愛や徳など)、知識、経験、霊が鍛えられた結果、神や人との絆(神と人を愛すること)
物質的なものは死後の世界に持っていけない。
例えば、財産、コレクション、社会的地位、肉欲を満たすもの
家族の関係は、聖約の元に永遠に続けることができ、次の世界に持っていける。
大切にしたいのは、どれだけの経験と感動をなしえたかということ。
それぞれの心に刻まれた経験と感動は、どのようなことがあっても決して失われることがない。
この現世では、心を満たすものが多くある。
テレビ、インターネット、スマホ、おいしい食べ物などの肉体を喜ばせるもの、お金など。
しかし、霊界では、これらのものは無くなる。
霊界には、人しかいない。つまり、「愛」しか心を満たすものがない。
肉体的や物質的なものでしか心を満たすことしかできなかったら、霊界にいってから、心を満たすものがなくなり、苦労する。
今のうちに、霊的や精神的なもので心を満たすことができるようにならないといけない。
この世の人生という近視眼的観点から離れ、この世の人生を超えた長時間観点で考える。
そのために備える。
また、逆に、この現世でしか得られないものを考える。
この世に生まれる前の天界では得られないものがあるから、現世に来た。
前世では得られなかった現世のものは何か。
それは、肉体を持つこと、神様と離れて暮らすこと、人の親になること。
真の幸福は肉体的、物質的なものではなく、霊的、精神的なものにあると思われがちだが、神様は肉体的、物質的なものを経験させるために、この世に送ってくださった。
肉体的、物質的なものを正しく使って得られるものに真の幸福の鍵がある。
純潔や知恵の言葉などの戒めは、肉体的、物質的なものを正しく使うための取り扱い説明書のようなものである。
天父のお与えになる祝福はすべてわたしたちの幸福を目的としている。
福音の教え、戒め、神権の儀式、家族関係、預言者、神殿、美しい創造物、逆境を経験する機会などがある。
キリストによる贖いは、わたしたちが幸福になるためにある。
私たちの究極的な目的は、不死不滅と永遠の生命を得る事。
キリストによる贖いは、これを得させるために行われた。
不死不滅とは、復活によって完全な肉体を得ることであり、永遠の生命とは、再び神様とともに住み、神様のような資質を身に着けることである。
かつて、神様は人間であったが、神様になった。
私たちも、神様のようになり、霊の子供たちを導くようになる。
神様の資質を得ることが、私達の究極の目的である。
真の幸福に至る唯一の道は福音に従った生活を送ること。
戒めを守り、強くなれるよう祈り求め、罪を悔い改め、健全な活動に参加し、有意義な奉仕を行おうと努力する。
そして、霊的成長、奉仕、勤勉からもたらされる尽きることのない喜びを得る。
自分が幸せになることは、周囲の人も幸せにする力がある。
末日聖徒も、この世に生きていくからには、物質的なものも求める。
祈るときも、家族や仲間の健康や安全を願う。それは悪いことではない。
しかし、過度に物質的なものに執着することが良くない。
それが酷い場合には依存症になり、人を苦しめる。
依存症には、薬物、アルコール、ギャンブル、不適切な性行為、ポルノグラフィー、摂食障害などがある。
目次へ戻る
幸福を阻害するもの
徳やポジティブな考えは幸福を増進させ、罪やネガティブな考えは幸福を阻害する。
| 徳・ポジティブな考え |
罪・ネガティブな考え |
| 信仰、信頼 |
不信仰、疑い |
| 希望 |
絶望、諦め |
| 慈愛、善意 |
憤怒、憎悪 |
| 知恵 |
愚昧 |
| 勇気 |
臆病 |
| 節制、自制 |
無節操、暴食 |
| 正義 |
偽善 |
| 純潔 |
色欲、姦淫 |
| 忍耐、寛容 |
不寛容 |
| 救恤、慈善 |
強欲、貪欲、盗み、むさぼり |
| 勤勉 |
怠惰 |
| 謙虚、感謝 |
傲慢、嫉妬 |
| 正直 |
偽証 |
| 忠実、従順 |
裏切り、不従順 |
| 柔和 |
頑固、固執 |
| 喜び |
悲しみ |
| 平安、安心 |
不安、心配 |
| 平和 |
争い、殺人、暴力 |
| 満足 |
欲望、不満 |
| 冷静 |
興奮、混乱、焦り |
| 礼儀正しい |
無作法 |
| 情け深い、親切 |
悪事を考える |
| 真理を喜ぶ |
不義を喜ぶ |
| 両親を敬う |
親不幸 |
幸福を阻害するものの例
- 過去の出来事に対する怒りが人を苦しめる。
許すことによって苦しみから解放される。
- 将来に対する不安
自分にできる備えはできる限りするが、どうにもできないことは、忘れる。
神様に委ねる。
孤独と絶望も幸福を阻害する。
人は自分がしている仕事に社会貢献としての意味が見いだせないとき、孤独を感じ絶望する。
孤独と絶望は幸福の反対のものである。
- 刑務所の囚人
ロシアのある刑務所では囚人に対して、次のような労働をさせていた。
まず、ある樽の中の水を、バケツで、別の樽に移す。
移し終わったら、その樽の水を元の樽に移し戻す。これを繰り返す。
これ以外は、虐待もなく待遇のよい刑務所だった。
しかし、多くの自殺者が出た。
- 水俣湾の漁師
水俣湾ではチッソという会社が汚染物質を海に流したため、海の魚が汚染され、その魚を食べた人が、重い病気にかかった。
チッソは、漁師の生活の補償をするため、漁師に魚をとってもらい、それを買い取った。
そして、その魚はコンクリート詰めにされ廃棄された。
生活費については問題がなくなったが、多くの漁師は漁師の仕事を辞めた。
世の誘惑は真の幸福から遠ざける。
- 正当化する
- 神を拒ませる
- 中途半端に神に頼らる
- 政治的、文化的、この世的なものを追い求める
- 無関心にさせることで、自身の価値や人生の旅路を決めさせる
- 神に承認されていない関係で暮らしたい願望
- 教会歴史上の事件で信仰が揺らぐ
- この世的な望み
災いは人に苦難と不幸をもたらす。
- 病気、怪我、老化、死、身体的障害。
- 高温又は寒冷な気候。
- 干ばつ、洪水、作物の病気、害虫、害獣などにより、作物が取れない。
- 地震、高波、噴火、雷、暴風、雹、疫病。
- 肉食獣や毒を持つ危険生物。
- 犯罪
殺人、暴力、強姦、窃盗、詐欺、偽証、違法薬物、放火、器物損壊、交通違反、脅迫、監禁、賭博、賄賂、通貨偽造
- 事故
交通事故、火事、環境汚染(公害)
- 社会的問題
戦争、不況、貧困、収入減・借金、差別・不平等、迫害、いじめ、悪い仕事環境、不衛生な環境、自由の制限、しようとしたことができない、周りがうるさいくて眠れない、その他の社会的ストレス
- 仕事の問題
仕事上の失敗、過労、自分の能力を超えた課題、昇進、転勤、転職、引退、失業、その他の仕事環境の変化
- 家庭の問題
家庭の不和、家族からの不当な非難や批判、虐待、別居、離婚、子供の受験、冠婚葬祭、介護、妊娠、性生活の困難、その他の家庭環境の変化
- その他の人間関係の問題
男女間のいさかい、愛する者との別れ、ストーカー行為、志向の違い、友人や指導者・教師の誤った認識や誤った行為、結婚相手が見つからない
- 依存症
ギャンブル、薬物、アルコール、タバコ、カフェイン、セックス・ポルノ、過食・拒食、買い物・浪費・借金、ゲーム、インターネット、放火、万引き
災いに対処するために、戒めや聖霊の賜物が与えられている。
例えば、酒を飲むのを禁じる戒めは、それに従わないことによって起こる病気や事故を防ぐ。
純潔の律法は、それに従わないことよって起こる家庭の崩壊を防ぐ。
什分の一の律法は、富への執着心の克服に役立つ。
断食と断食献金は、困窮者の救済になる。
聖霊を通して、神様から直接、慰め、癒し、平安、導き、助け、力を受けることができる。
そのことによって、災いを避けたり、災いに堪える力を得たり、災いを克服・解決したりできる。
自分に起こる、あらゆることに、神様の御業と愛を感じることができるようになり、試練や苦難を成長のかてとすることができる。
神様の愛を感じることができるので、困難や苦しみに耐えることができる。
神様が啓示してくださる方法によって、困難や苦しみに対処できるようになる。
法律、社会制度、国際協定も災いや不幸を避けるためのものなので、これに従う必要がある。
目次へ戻る
アランの幸福論
- 自分が幸福になることが世の中にとっても良いこと
- 不幸にはかならず原因がある。
原因を冷静に見つめることで解決する。
- 自分を不機嫌にするものを気にしない。
- 体の疲れが原因なら体を休める。
深呼吸、体操、マッサージ、伸び、あくび、微笑む。
- 幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。
幸福になろうと行動するべき。
- 感情をコントロールする。
- 意志の力で感情に打ち勝つ。
- 悲観主義は感情で、楽観主義は「意志」による。
- 意識的に発想を変える。
例)雨が降って嫌だ→いいお湿りだ。
- 今を幸福だと思うこと。
- 幸福になりたいと思ったら、そのために「努力」しなければならない。
喜びは「行動」とともにやってくる。
- 自分から率先してやる
幸福は他人から与えられるのでなく、自分で作り出すもの。
- 人との付き合いを改善する。
- 礼儀正しさ
感情をコントロールし、相手に合わせる(社交ダンスのように)
自然な物腰、処世術を身に着ける(習慣になる)
- 信頼
他人が不幸であっても、同情するのでなく、快活に付き合っていく。
- 自分の不幸を他人に話さない。
- 他人に言われた悪口を気にしない。
- 他人を束縛しない。
- 自分のことを考えず、遠くを見る。広々とした視野を持つ。
- 相手のありのままを受け入れる。
- 幸福は義務である。
自分が幸福になることが、社会や他人に対しても幸福になる。
自分の中に幸福がなければ、人に幸福を与えることはできない。
幸福は伝搬する。
目次へ戻る
ラッセルの幸福論
- 不幸の原因 = 自己没頭
- 罪の意識の取りつかれている
小さいころに植え付けられた道徳から解放されない。
- ナルシシズム
自分を賛美し、人からも賛美されたい。
- 誇大妄想
権力を求め、愛されるより恐れられることを望む。
- 不幸を退ける方法
- 究極のポジティブ・シンキング。
- 不幸自慢をしたり、不幸を受け入れるのでなく、新しい生きがいを見つけたり、新しい趣味を持つ。
自分自身に捕らわれるのでなく、外に目を向ける。
- 自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得していく。
- 望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨てていく。
- 自分の欠点に無関心になる。
だんだん注意を外界の事物に集中するようにする。
- 思考をコントロールする
不幸の要因別の対処方法
- 悲観主義
今できる事をする。
- 競争
人を比較するのでなく、やっていることを楽しむ。
- 退屈と興奮
刺激を求めすぎるのでなく、退屈を楽しむ。
- 疲れ
精神的な不安が原因。
宇宙全体からみれば今の不安は大したことでない。
- ねたみ
他者と比較を止める、今の状態を楽しむ。相手を褒める。
- 罪の意識
罪悪感の原因を分析する。
- 被害妄想
- 自分の動機は利他的でないと自覚する。
- 自分の美点を過大評価しない。
- 他人が自分に興味を寄せてくれると期待しない。
- 他人が自分を迫害しようとしていると考えない。
- 世評に対するおびえ
他人の批判を無視する。
- 熱中すると幸福になれる。
成果を出し、評価される。仕事だけでなく趣味も。
- 気持ちのバランスを取る。
幸福の源泉と、それぞれの注意点
- 熱意
熱意を外に向けるが、行き過ぎない。
行き過ぎると、依存症になり、健康、能力、収入、妻子への義務を害する。
- 愛情
一方的でなく、愛情を与え合う。
愛情を与えられると、自信を持つ。
自信をもって物事をするとうまくいく。
- 家族
親が子供に愛情を与え過ぎると過干渉になる。
子供の人格に対して尊敬の念を抱く必要がある。
- 仕事
技術の行使と建設性の観点を持つ。
- 私心のない興味
趣味はわざわざ探すものではなく、自然にやりたいと湧き上がってくるものにする。
義務的にならないようにする。
趣味の効用
- 気晴らしになる
- 釣り合いの感覚を保つ(視野が広がる)
- 悲しみをいやす
- 努力とあきらめ
幸福には努力が必要だが、そのために、大切なものを犠牲にするなら、それをあきらめる。
- 他者と関わり、世界とつながる
- 客観的な生き方
自己没頭するのではなく、興味と愛情を外に向けて広げる。
そのことによって、人から好意を抱いてもらう。
双方向の関係を築くことによって幸福になれる。
- 人格内部との統合
意識している事と無意識に思い込んでいる事が異なってしまうと苦しむ。
自分の欲求と社会からの要求を明確にして統合する。
例)夫の暴力を受けていて、離婚したい。
離婚は良くないという社会的圧力があり、離婚できない。
この場合は自分の欲求を優先して離婚すべきだと自分を納得させる。
- 社会との統合
社会とつながっている。
宇宙的な視点を持つ。
- 全人類が仲間だと実感する。
- 永遠の視点を持つことにより、自分と子孫を結び付け、将来世代の幸せを考えることができる。
例)平和運動を行うことになる。
目次へ戻る
ヒルティの幸福論
- 幸福とは何かではなく、どうしたら幸福になれるのかという具体的な方法について説いた。
- 幸福になる為には、どんな行動を取ればいいのか。
- ヒルティの幸福論の二つの特徴
- キリスト教信仰に基づいている。
- 一歩一歩、神に近づく。
- 強い正義感と勇気を持って、どんな困難にも負けず、たゆまぬ努力をし続ける。
- 絶対に疑わない、曲げない信念と絶対的な拠り所を持つ。
- 幸福になる上で仕事を重視する。
- 自分にやるべき仕事があって、それに邁進できることは、人間にとってとても幸せなこと。
- 人生のほとんどは仕事の時間なので、仕事の時間を苦しく辛く感じれば、人生の幸福度が落ちる。
- 仕事は、悪い物、つまらない物、お休みは、良い物、楽しい物という極端な色分けをしない。
- 仕事というのはやり方次第で楽しくなる。
- 仕事を要領よくこなす技術を身につけよう。
- 人生を楽に生きるための技術
- 仕事を要領よくこなせる技術を得ると、仕事以外でもあらゆる知識や能力を簡単に得ることができる。
- 仕事にやる気が出ない。怠けたい気持ちを抑え、仕事に向うためにはどうするか。
- 習慣の力を利用する。勤勉であることも、節制することも、正直であることも、ずっと続けていれば、慣れてしまう。
- 習慣の力を身につけてしまえば、人生の苦しいことや辛いことの大半を逃れることができる。
- 勤勉さの習慣を身に付ける上で重要なのは、まずは始めること。
最初の1回さえ終わってしまえば、それ以降の作業はなぜか楽に感じる。
- ルーティン化。日々の勉強や仕事を気が向いた時にやるのではなく、毎日一定のきちんと決めた時間に行う。
- 自分にとって最も自信のあるところ、あるいは、自分にとって最も易しいと感じるところから手を着ける。
- 完全に仕上げようと考えない。
重要なことを徹底的に掘り下げる事。
後の広い範囲については要点だけを抑えること。
多くを望みすぎず、捨てるべきところは捨てる。
- 途中で疲れてきたり、集中力が切れて飽きてしまったりしたとき、直ちに作業をやめる。
完全に動きを止めてしまうのではなく、今やっているタスクを別のタスクに切り替える。
別の作業をすることもまた、力を回復させる一つのテクニック。
- 仕事や勉強にできる限り時間を割きたいばあい、余計なことに頭を使わない。
例えば、一番いい仕事ができる朝の時間には、新聞やニュースを隅々までチェックしない。
自分にとって、何が無益な活動なのか、どこに向けて頭を使うべきなのかを、よくよく見極める。
- 本物の教養と偽物の教養
- 教養は、人格を健全にかつ力強く発達させ、豊かにして、精神的に満ち足りた人間生活を送らせる。
- 真の教養は人柄全体に、また他人との付き合い方に、影響があらわれる。
- 間違った教養、不十分な教養の持ち主の七つ特徴。
- 暮しが大変贅沢である。
贅沢を好まず、品があってシンプルな暮らしをしなさい。
- 本を読む習慣がない。
読書習慣を身に付けなさい。
- 騒々しく慎みのない態度である。
慎み深く、嘘を付かず、自分を大きく見せないようにしなさい。
- 働けるのに働かない。
人や社会のために働きなさい。
- 仕事ばかりに熱中し、仕事の奴隷となってしまう。
仕事の奴隷になってはいけない。
名誉心や貪欲な心を捨てなさい。、
- 金銭に対して誤った態度や認識をしている。
お金自体を悪いものだと軽蔑したり、使うべきところで使わない。
お金を目的ではなく、手段として認識しなさい。
- 自分よりも立場の弱い人に対して高慢な態度をとる。
誰に対しても丁寧に接し、特に立場の弱い人、困っている人に配慮しなさい。
- 幸せになる勇気
- 最初から完成された人になるのは無理。
- 人生には段階的な時期があり、その時期によって果たすべき目的や課題が異なる。
- 若いうちは、世の中のため働くよりも、自分のことを一番に考える時期。
自身の成長に時間を割くべき。
- 子供時代は子供らしさを残し、無邪気さを奪い取ってまで早く成長させないこと。
- 青年時代は行動力と実行力の源となるような新鮮さ、精神の高揚を大切にすること。
- 壮年時代はすでに熟した思想と感情、そしてこれまで仕事で培ってきた自分らしさを捨てないこと。
- 老年期はこれまで歩んできた道のりを静かに肯定し、更なる飛躍に備える準備期間。
- 不幸という現実から目をそらさず、その上で不幸を肯定的に受け入れる。
- 人間が幸福を手にするうえで、不幸や苦しみが必要である。
- 例えば、同じ苦しみや不幸を共に乗り越えた仲間との固い絆、
長年のコンプレックスをバネにして手に入れた栄光など。
- 不幸は、人間を深くさせる。
誰の目から見ても判るほどゆったりとした気風、
とても真似出来ないと思わせるほどの人間としてのスケール、
こういった独特な雰囲気を纏っている人物はほぼ例外なく、
自らに降りかかった不幸を立派に耐え、乗り越えてきた者たちだ。
- たいていの人は不幸を一目見て引き返し、幸福に劣るつまらない何かで満足してしまう。
- 自分が抱いている恐怖心は、豊かな想像力が作り出した幻に過ぎない。
- 今こそ、恐怖を捨て、勇気を持たねばならない。
なぜなら、幸福の獲得において、勇気こそが最も欠かせない人間の性質だからである。
目次へ戻る
豊かで満ち足りた人生
スペンサー・W・キンボール大管長
概要
- 他の人々に奉仕する。
- 奉仕することによって、生活を意義ある楽しいものにできる。
- 奉仕することによって、奉仕の仕方は学べる。
- 他人を助けることによって、自分の問題を新たな観点で見られるようになる。
- 関心を他の人に向ける時間が多くなると、自分のことを思い悩む時間がなくなる。
- 問題を解決するには、状況を変えるのではなく、困難に立ち向かう自分の姿勢を変えなければならないことがある。
- わたしたちの問題を解決したり必要を満たすためには、お互いに奉仕しあうことが大切である。
- 奉仕しあうことによって、人生観を高め、他の人に対する見識を広め、自己の可能性を伸ばしていくことができる。
- 奉仕することによって、視野を広め、広い視野を通して、さらに多くの奉仕の機会を見いだせる。
- 奉仕することによって、人々に対する見方を変え、真に大切なことを見極め、あまり重要でない事柄に惑わされることがなくなる。
- 奉仕のないところには霊性はない。
- 他の人の人生を変えたいのなら、まず自分が変わらなければならない。
- 自分を変える鍵となるのは、克己心を身につけることにある。
- 人類の苦しみの根本原因は罪にある。
- 快楽と真実の喜びの違いは、快楽は他人の苦痛を代価にして得られるが、喜びは無私と奉仕から生み出される。
本文
ナザレのイエスの教えの中で強調されているものに次のものがある。
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:10)
しかしこの言葉から、イエスの教えを死すべき世である現世で、より豊かな深い経験をするための方法を教えてくれるものとして限定してしまうのは間違いである。
また、宗教史上には、人々がキリスト教は来世のものであると間違って考えたときもある。
そのような考え方のために、ある人々は現世に対して肯定的というより逆に否定的な見方をするようになり、そのために自分たちの現状を改善する努力を怠った。
今日私たちは、真のキリスト教は現世のみに重きを置くものではないことを思い起こす必要があるだろう。
イエス・キリストの教えを今ここで生活に取り入れることにより、現世での生活はより豊かなものとなるが、すべてに勝るキリスト教の核心は、人が死を含むあらゆる敵に打ち勝つ機会を得ることにある。
ナザレのイエスがこの世に来られたのは、贖いをもたらすためであり、復活を通して地上のすべての人々に不死不滅を与えるためである。
イエスの教えは確かに、私たちが地上で正しい生活を送り、より幸福になる助けを与え、イエスの偉大な犠牲は私たちに不死不滅を約束し、私たちは死後も引き続き自分自身として生きることができるのである。
もちろん復活の事実を受け入れない人々もおり、それは彼らの権利でもありまた損失でもあるのだが、人生が永遠に続くものであることを語らずして、豊かな人生を語ることはできない。
現世と言われるこの狭い世界の、私たちに与えられた短い期間の中で、完全な正義、完全な健康、完全な機会が万人に与えられることはない。
しかし、恵みにあずかるにふさわしい生活をした人々には、結局神の計画に基づいて完全な正義がもたらされ、やがてほかの条件や祝福もすべて完全なものとなるときが訪れるのである。
そこで現世と呼ばれる短い期間の日々の生活の中に、このナザレのイエスの教えを確実に取り入れる方法を知ることが是非とも必要になる。
第1に、ほかの人々に奉仕することである。
そうすれば、次のよりよい世界に住むための備えができると同時に、現世での生活をもっと意義ある楽しいものとすることができる。
実際に奉仕することによってこそ、奉仕の仕方は学べるのである。
私たちは隣人への奉仕に携わるとき、その行為によって人を助けるばかりでなく、自分自身の問題を新たな観点から眺めることもできる。
関心をほかの人々に向ける時間が多くなれば、それだけ自分のことをあれこれ思い悩む時間がなくなる。
奉仕の奇跡の中枢に、まさしく自己を捨てる者は自己を見いだすというイエスの約束が存在するのである。
私たちは日々の生活の中に神の導きのあることを認めるとき、自己を見いだす。
そればかりでなく、適切な方法で隣入によく奉仕すれば、その熱意に応じて、心の中に充実感を覚えるのである。
私たちは他人に奉仕すればするほど、より深い意義のある、より充実し、生き生きとした人生を送るようになる。
事実、自分自身を知ることは容易である。
なぜなら、自分自身について知るべきことは数多くあるからである。
スコットランドの小説家であり詩人であるジョージ・マクドナルドは、「人と親しく心を通わせる方法は、愛されることではなく、愛することである」と語った。
言うまでもなく、私たちは愛されることを必要としている。
しかし、健全な人生としっかりした目的意識を持ちたいと思ったら、いつも受けるだけではなく、与えなければならない。
第2に、イエスの教えは人生そのものに対して、また人生の中の様々な状況に対して正しい見方を培ってくれる。
時折、問題を解決するためには、状況を変えるのではなく、そのような状況や困難に立ち向かう私たちの姿勢を変えなくてはならないことがあり、それによって私たちは、さらに豊かな奉仕の機会を的確に捕らえることができるようになる。
神は私たちを心にかけ、いつも見守っておられる。
しかし、普通の場合、私たちの必要は第三者を通して満たされる。
したがって、私たちは互いに奉仕し合うことが大切である。
私たちは自己の人生観を高め、ほかの人々に対する見識を広めると同時に自己の可能性を伸ばしていくときに、豊かで満ち足りた人生を送ることができる。
このように、キリストの教えに従えば、それだけで私たちは視野を広めることができ、このような広い視野を通してますます多くの奉仕の機会を見いだして霊的平安を得ることができるのである。
言い換えれば、奉仕のないところに霊性はないのである。
当然のことながら、豊かで満ち足りた人生とは物質的なものを得ることとはほとんどかかわりがない。
確かに、物質的にも恵まれ、その富を使って隣人を助けているすばらしい人々は大勢いる。
しかし、聖典で述べられている豊かな生活とは、ほかの人々に対する奉仕を増し、私たちの才能を神と人類のために捧げることによってもたらされる霊的な祝福のことである。
イエスがこう言われたのは、よく知られているところである。
「これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」(マタイ22:40)
このふたつの戒めは、神を愛することから始まり、自分自身、隣人、そしてすべての人に及ぶものである。
これらの偉大なふたつの戒めを守り、実行せずして真の豊かな人生はあり得ないのである。
私たちの生活が、私たち自身を天父や隣人に近づけるものでなければ、どうしようもない空虚さだけが残ることだろう。
今日の多くの生活様式が、家族や友人、仲間たちから私たちを引き離し、ただ快楽と物質のみを飽くことなく追求する原因となっているのがその例である。
これは何と驚くべきことであろう。
家族や社会、国家への忠誠を片隅に押しやることにより、幸福を生み出すという誤った考えのもとに、ほかの事柄を優先して追い求めることがよくある。
ところが実際には、利己心はあまりにはかなく過ぎ去っていくむなしい快楽の追求にすぎないことが多いのである。
快楽と真実の喜びとの違いは、快楽の中のあるものは他人の苦痛を代価としてのみ得られるが、喜びは無私と奉仕から生み出され、人々を傷つけることなく人々に益をもたらすということである。
このように問題の横溢する世の中にあって、ほかの人々に奉仕するというような簡単なことをどうしてそうも重要視するのかと不思議に思う人もいる。
しかしイエス・キリストの福音は、私たち自身を含め、この地球上に住む人々すべてに対する見方を変える。
それによって私たちは真に大切な事柄を見きわめ、競って世の人々の注意を引こうとする、あまり重要ではない様々な事柄に惑わされることがなくなるのである。
私たちは人類を変えようとする前に、まず自分自身が変わらなければならない。
ある賢人はこう語っている。
「人は皆、自己を改善することを忘れて他人のことに干渉し過ぎる。
その結果、何ら変わることがない」と。
豊かで満ち足りた人生は自分に始まり、次いでほかの人々に広がってゆくものである。
私たちが豊かさと正義を備えているならば、ほかの人々の生活を変えることができる。
それは、私たち一人一人が立派な人々のよい感化を受け、彼らがいなければ得られない豊かさを受けてきたことを考えればわかることである。
もし私たちが良き指導者になろうとするならば、私たちに奉仕し、導きと教えを与えてくれた人々がどんな人々であるかをよく考えてみるべきである。
あなたの人生に最も感化を与えた人を2、3名選んでみていただきたい。
人生の苦難に直面したときに彼らはどのような特別なことをして、あなたを最もよく支えてくれたであろうか。
彼らはあなたのことを心から心配し、あなたのために時間を割き、あなたにとって必要なことを教えてくれたことがわかるに違いない。
そして今度は、人を助けるというこうした基本的な特性を、あなたの生活の中で具体的に実践しているかどうかについて反省してみてほしい。
記憶をたどってみると、心に残っている人というのは特別な技巧を用いたということはあまりなく、大抵は愛と理解の心を示し、私たちのために時間を割き、模範の光を通して道を示すという方法で奉仕
し、助けてくれたのである。
それゆえ今まであなたがほかの人々に依存して特別な導きと教えを受けてきたように、今度はあなたに依存している人々に同じことを行なうことが大切であることは、いくら強調しても強調しすぎることはない。
真の愛は決して無駄に終わることはなく、また真の奉仕はどんな場合にも何らかの意義があることを忘れてはならない。
「豊かで満ち足りた人生」について語るという召しを誠実に果たすためには、次のことを是非とも述べなければならない。
イエスは、人生を豊かで満ち足りたものにするようにと語ると同時に、その豊かさを生み出す福音の基本原則をも示しでくださった。
人間の苦しみには、戦争、病気、貧困など、数多くの原因がある。
これらのどれひとつをとってみても、その苦しみは確かにとても大きいが、私の義務を誠実に果たすためには、こう言わなければならない。
中でも最も長く、最も大きな苦痛を伴うのが罪悪すなわち神の戒めに背く行為である。
例えば、結婚前の純潔、結婚後の貞節を完全に守らない人には、豊かで満ち足りた人生はあり得ないのである。
偽り、盗み、不正を働く人には、高潔や正直を目指そうとする気持ちは起こり得ない。
ねたみやむさぼりの気持ちがあっては生活を麗しいものとすることができない。
両親を敬う気持ちがなければ、生活を真実の意味で豊かにすることはできない。
もっと豊かで満ち足りた生活をするために私たちに何ができるかもう少し詳しく知りたければ、まず自分の良心に問いかけていただきたい。
大抵のことは、それで解決できる。
あなたが何のために他人へ奉仕し、あなたの時間や才能、財産を使うのかを考え、良い目的を選ぶよう注意していただきたい。
あなたが全力を尽くして自由に奉仕し、あなたと奉仕を受ける人々にとって大きな喜びと幸福をもたらし得る目的は非常に多くあるからである。
それに対し、時折もっと流行に合い、世の賞賛を博するような目的もあるが、それらは大抵より利己的な性質のものである。
これらの後者の目的は、神の戒めではなく、聖典の中で「人間のいましめ」と呼ばれているものから生じている。
その目的には、美徳と効用もあることはあるが、神の戒めを守ることから生じる目的ほどには重要ではない。
より豊かで満ち足りた人生を送るためになさなくてはならないことについて考えれば考えるほと、主キリストの言葉に含まれる大切な原則について考えるようになってくる。
そして主に従って歩むならば、恐れではなく信仰によって生活することができるであろう。
もし私たちが人々に対して主と同じような見方をするならば、人々に不安や恐れを抱くよりも、彼らに愛を示し、奉仕し、手を差し伸べることができる。
若いときには、時間はあっという間に過ぎ去る。
無目的な旅は無駄である。
はっきりとした目的地を持たなくてはならない。
人生に何を望むかを決め、その目標に到達するようあらゆる努力を傾けるべきである。
人生はただ飲み食いしたり、楽しんだり、お金を稼いだりすることだけではない。
ところが、えてして若い人々は、最も安易な道を歩みやすく、「ちょうど風に吹き散らされるもみがらのように、またちょうど帆もいかりも舵もなしに波のまにまに漂う船のように」(モルモン5:18)なりがちである。
私たちは全き者となることにより、この豊かで満ち足りた人生を得ることかできるとパウロは示した。
私たちのほとんとは、完全とは程遠い存在である。
だか
らと言って、それは私たちが完全になることができないということではなく、まだその目標に到達していないということにすぎない。
キリストも、もともと完全ではなかった。
しかし、苦難に打ち勝たれた。
飢えや渇き、寒暑、苦痛、悲しみと、まさにありとあらゆる苦難の連続であった。
しかし、その度にその苦難に打ち勝ち、完全へと近づいていかれたのである。
パウロはこう語った。
「そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり……。」(ヘブル5:9)
「なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。」(ヘブル2:10)
完成への道は長く険しく、その途中には多くの誘惑が待っている。
一日で到達できることではない。
勝利を得るためには、不断の努力を積み重ねなけれはならない。
敵に打ち勝ち、私たち自身の人生の戦いに勝つためには、永遠に努力し続けなければならない。
気が向いたときに少しずつ努力しただけでは達成することはできない。
絶えずしっかりとした目標のある正しい生活を送らなければならないのである。
私たちにはこのような豊かな人生を送る力があるだろうか。
詩篇には次のような霊感あふれる言葉が書かれている。
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。」(詩篇8:4-6)
人間は環境に支配される存在であり、環境を乗り越えることはできないと言う人がいる。
あきらめ、失敗、あらゆる不道徳、そしてさらには弱点や犯罪すらも正当化しようとする人々は明らかに間違っている。
幼年および青年期の環境が影響力を持っていることは確かである。
しかしそれにもかかわらず自由意志を持っている普通の人間ならだれにでも、川の流れに逆らって擢をこぎ、新たな活動や思い、発展の翼を広げる力が備わっているはずである。
人は自分自身を変えることができる。
いや、自分を変えなければならないのである。
アブラハムもそうであった。
彼の家族は偶像を崇拝していた。
しかし、アブラハムは真実の生ける神を礼拝する人々のために神権時代を開いた。
モーセは貧しい奴隷の境遇の下に生まれた。
しかし宮殿で育てられ、多くのすばらしい機会に恵まれた。
そして、人が到達できる最高位にまで上げられ、神と共に歩き、神と語ることができた。
タルソのサウロは生まれてからそれなりのしつけと訓練を受けたが、自分自身を完全に変え、主の使徒になった。
パウロはコリント人へ次のように語った。
「しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。
彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。」(1コリント9:25)
このように自分を変える鍵となるのが克己である。
人は皆、自分の生活を振り返り、自己の希望、欲望、熱望を吟味し、それを抑えて生活しなければならない。
人は自分自身を変えることができるし、また変わらなければならない。
人はみずからの中に、神のようになる種を宿しているのである。
それは大きく生長する可能性を秘めている。
どんぐりの実が生長して大木となるように、人は成長して神となるのである。
みずからの努力により、自分を当然あるべき姿にまで引き上げるのは、その人の内に秘められた力である。
それは長く、多くの障害を乗り越えなければならない困難な仕事かもしれないが、そも可能性は確かなものである。
言い換えれば、環境によって自分の限界を定めてはならない。
また、環境から自分の行く末を判断してもならない。
ましてや、壁を作って自分を牢の中に無理やり閉じ込めるようなことをしてはならないのである。
人が完全を目指すとき、その出発点はいろいろある。
(中
年あるいは老年になってから改宗した人も多い)完全な夫になることもできるし、完全な妻になることもできる。
あ
るいは完全な父親、完全な母親、完全な指導者、完全な僕になることもできる。
結婚は神聖な水準を保って行われなければならない。
人生は慎重に歩まなければならない。
だれも皆みずからを清め、肉欲、姦淫、同性愛、麻薬などから遠ざかり、敵を避けるように醜い汚れた思いや行ないを避けなければならない。
ポルノ小説やわいせつな話、ポルノ映画は汚染された食物よりも悪い。
それらに近づいてはならない。
身体には悪い食物を取り除く力がある。
しかしわいせつな小説を読み、ポルノ映画を見る人は、それらを優れた人間のコンピュータである頭脳に記憶させてしまう。
そのような汚れは、頭脳にいったん記憶されるといつまでも残り、いつでも呼び戻すことができるようになってしまうのである。
前に述べたように完全を目指す過程の中で、私たちは自分の生活を変え、どのような環境の下でも悪を善に変えることができる、ひとつずつ取り組めば、必ず最善の変化が得られるのである。
永遠の見地から考えて自分の行動を決めるようにすれば。
この世における管理はうまくいくであろう。
また、人生の目的に関するイエスの教えを深く理解すれば、それだけ私たちがどういう立場にいて、どういう人間であるかという意識もはっきりしてくる。
さらに父なる神の特質を受け入れる程度に応じて、私たちは人類の間に兄弟愛を広めていくことができるのである。
ゲツセマネの園やカルバリの丘でナザレのイエスに起こったことを理解すればするほど、私たちは自分の生活に犠牲や無私の精神がどれほど大切であるかがよくわかると思う。
今日の世の中にはますます利己心が満ちあふれ、自分自身よりも他人に、より多くのことを要求する人が増えている。
利己的な人には人間的な魅力はないし、知りたいという興味も覚えない。
それに対し、豊かで満ち足りた人生を送っている人とは近づきになり、話し、学ばせてもらいたいと思う。
この世の中ではそのような人は大変貴重であり、その影響を受けたいと望む思慮分別のある人々を引きつけないではおかないであろう。
最後に申し上げておくが、豊かで満ち足りた人生とは、ただ長く生きることではない。
それは、人生の長さではなく、到達した高さ、質の問題である。
ナザレのイエスの贖いのお陰で、私たちは不死不滅の体を受け、永遠に存在できるようになった。
そして、もし私たちがその教えに従えば、この世においてまた来るべき世においてはさらに一層、豊かで満ち足りた人生を送ることができるのである。
目次へ戻る
高ぶりを心せよ
エズラ・タフト・ベンソン大管長
概要
- 「自己中心」「うぬぼれ」「自慢」「尊大」「傲慢」は高慢の罪の中に数えることができる。
- 高慢の中心をなすのは、神と同胞にに対する「敵対心」である。
- 神への敵意は、欲望や欲求、激情の歯止めを失わせる。
- 神への敵意は、反抗、かたくなな心、強情さ、罪を悔い改めない、誇り高ぶる、すぐに怒る、しるしを求めるといった形であらわれる。
- 同胞への敵対心は、競争心となって現れる。
- 高慢な人は、自分の知性、意見、仕事、財産、才能を他人と比較して、他より優れていることを望む。
- 高慢な人は、神の裁きよりも、人にどう思われるかを恐れる。自分に価値があるかの判断を世の人々に求める。
- 高慢な人の自尊心は人々から評価に左右される。(真の自尊心は神との関係を確固としていることにより確立される)
- 高慢は、学者や金持ちなどの社会的地位や権力がある人が、人を見下すことだけでない。自分より多くのものを持つ人をねたむことも高慢である。
- これは、あら探し、うわさ話、中傷、不平、収入以上の生活、そねみ、うらやみ、人を高める感謝や賞賛の言葉の欠如、人の過ちを赦さない不寛容さ、嫉妬などの形であらわれる。
- 不従順も自分よりも上の立場にある人に反抗するという高慢である。
- 利己心は高慢の一般的な形である。
- うぬぼれ、自己憐憫、この世的な願望の実現、自己満足、利己主義は損か得かの価値観が根底にある。
- 高慢は争いという形でも現れる。争い、論争、けんか、不正な支配、世代の断絶、離婚、伴侶の虐待、暴動、騒乱は高慢の範疇である。
- 高慢な人は容易に怒り、恨みを抱き、相手に責任を負わせたまま赦しを与えず、自分の傷ついた気持ちだけを正当化しようとする。
- 高慢な人は勧告や矯正を容易に受け入れない。自分の弱点や失敗を正当化し、合理化するために自己弁護に終始する。
- 高慢は、自分が神の子供であり、すべての人と兄弟姉妹であるという意識を消し去る。
- 高慢は「富」や「学問」によって人を等級付ける。
- 高慢の治療薬は謙遜である。
本文
愛する兄弟姉妹の皆さん、教会の栄えある総大会で再びお会いすることができ、うれしく思います。
全世界の献身的な教会員の愛と祈り、奉仕に心から感謝しています。
モルモン書で地と自分自身の生活を洪水のごとく満たすために努力している、忠実な聖徒の皆さんをほめたたえたいと思います。
わたしたちは画期的な方法を講じて、より多くのモルモン書を世に広めなければなりません。
しかし、求められているのは、それだけではありません。
わたしたちは意を決して、この大いなるメッセージを自分自身の生活に、ひいては地の隅々に浸透させなければなりません。
この神聖な書物は現代のわたしたちのために書かれました。
その聖文は自分たちに当てはめるべきものです。
高慢の罪
教義と聖約には、モルモン書について、「ある堕落した民の記録」と記されています。
彼らはなぜ堕落したのでしょうか。
これはモルモン書の重要なメッセージの一つです。
モルモンはモルモン書の終わりの方の章にその答えを記しています。
「見よ、この国民、すなわちニーファイ人の民は、悔い改めなければ高慢のために滅びてしまう。」
主はさらに、わたしたちがモルモン書の堕落した民から伝えられたこの重要なメッセージを見落とさないように、教義と聖約の中で次のように警告されました。
「あなたがたは昔のニーファイ人のようにならないよう、高慢に気をつけなさい。」
わたしは今からモルモン書のこのメッセージ、すなわち高慢の罪とは何かについて明らかにしたいと思います。
皆さんの信仰と祈りによる助けを心からお願いします。
このメッセージがここしばらくの間、わたしの心に重くのしかかっていました。
主が今わたしにこのメッセージを伝えるように望んでおられることが分かります。
「高慢に気をつけなさい」
前世の会議で、「暁の子」ルシフェルが投げ落とされたのは、その高慢さのゆえでした。
神がこの世の終わりに火で地を清めるとき、誇り高ぶる者はわらのように焼かれますが、柔和な人は地を受け継ぎます。
主は教義と聖約の中で3度、この「高慢に気をつけなさい」という言葉を使っておられます。
その中には、教会の第二の長老であるオリバー・カウドリと、預言者の妻であるエマ・スミスに対する警告もあります。
神が定義する高慢
高慢は、はなはだしく誤った解釈をされている罪であり、多くの人が無意識のうちにこの罪を犯しています。
聖典の中には、義にかなった高慢というようなことを教えている箇所は一つもありません。
高慢は常に罪と見なされています。
ですから、世の中でこの言葉がどのように使われているかは問題ではありません。
わたしたちが理解しなければならないのは、神がこの言葉をどのように使われているかです。
そうすれば聖典の言葉を理解して、その恩恵にあずかることができるのです。
ほとんどの人は、高慢というと「自己中心」、「うぬぼれ」、「自慢」、「尊大」、「傲慢」、などの言葉を思い浮かべます。
これらは皆、高慢の罪の中に数えることができますが、核心となるものが抜けています。
高慢の中心をなすのは「敵対心」、すなわち神と同胞に対する敵対心です。
敵対心は「憎悪、敵意、反感」などを意味します。
サタンは、この力によってわたしたちを支配しようとします。
神に対する敵対心
高慢は本質的に闘争的な性質を持っています。
わたしたちは、自分の思いを押し通して、神の御心に刃向かうことがあります。
自分の高慢な心を神に向けるのは、「御心ではなく自分の思いが成るように」と言っているのも同じことです。
パウロはそのような人についてこう言いました。
「自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。」
神の御心に対する敵意は、欲望や欲求、激情の歯止めを失わせてしまいます。
高慢な人は、自分の生活を律する神の権能を認めることができません。
自分なりに真理を解釈して、神の偉大な真理に挑むのです。
また、自分の能力をもって神権の力に対抗したり、自分の功業を挙げて偉大な神の御業に対抗したりするのです。
神への敵意は、反抗、かたくなな心、強情さ、罪を悔い改めない、誇り高ぶる、すぐに怒る、しるしを求める、など実に様々です。
高慢な人は、神が自分の考えに同意するよう求めます。
神の御心に合わせて、自分の考えを変えるなどということは念頭にありません。
同胞に対する敵対心
どこにでも見受けられるこの高慢という罪悪には、もう一つ重大な要素があります。
それは同胞に対する敵対心です。
わたしたちは、人よりも上に立ち、ほかの人をおとしめようとする誘惑に毎日直面しています。
高慢な人は、自分の知性、意見、仕事、財産、才能など、この世的な尺度をもって張り合い、すべての人を敵にまわします。
C・ S・ルイスはこう書いています。
「高慢な者は何かを所有しただけでは喜ばない。
人より多く持って初めて喜ぶのである。
人を高慢にするのは比較である。
すなわち、自分は他よりも優れているという優越感である。
競争心という要素がなくなれば、高慢もその姿を消すのである。」
ルシフェルは前世の大会議で、イエス・キリストが擁護する御父の計画に反抗して、自分の考えを押し立てました。
彼の願いは、すべての人に勝る誉れを得ることでした。
要するに、ルシフェルは高慢にも神をその位から退けようとしたのです。
高慢の結果
聖典には、この高慢の罪が個々の人間、あるいは民、町、国家に悲惨な結果を及ぼした実例が数多く記されています。
高ぶりは滅びにさきだつのです。
ニーファイ人の国やソドムの町を滅ぼしたのも、この高慢の罪です。
キリストを十字架につけたのも、この高慢でした。
パリサイ人は、御自身を神の子と主張するイエスの言葉に激怒しました。
彼らによってイエスのその言葉は、自分たちの地位を危うくする大きな脅威でした。
それで彼らは、イエスの殺害を謀ったのです。
サウルがダビデの敵になったのも、高慢のゆえでした。
イスラエルの女たちが次のように歌うのを聞いて嫉妬したのです。
「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した。」
高慢な人は、神の裁きよりも、人にどう思われるかを恐れます。
彼らにとっては、「神にどう思われるか」よりも、「人にどう思われるか」の方が重要なことなのです。
ノア王は預言者アビナダイを放免しようとしましたが、邪悪な祭司たちに高慢な心をかきたてられて、アビナダイを火刑場に送りました。
ヘロデもバプテスマのヨハネの首を切るように妻から求められたときに、当惑しましたが、結局は「列座の人たちの手前」よく見られたいという高慢な思いから、ヨハネを殺してしまいました。
人にどう思われるかを恐れる人は、人の称賛を求めて争うようになります。
高慢な人は神のほまれよりも、人のほまれを好むのです。
どのような動機で行動するかによって、罪かどうかが決まってくるのです。
イエスは、わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしていると言われました。
わたしたちは、人に勝ることや勝つことではなく、神の御心にかなうことをしたいという動機で、行動すべきではないでしょうか。
高慢な人の中には、自分の収入が生活の必要を満たしているかどうかよりも、ほかの人よりも多いかどうかということに気をとられている人がいます。
このような人が望む報酬は、人より上に立つことです。
これが高慢な思いのもたらす闘争心です。
高慢な思いに捕らわれると、この世的なものに縛られ、人にどう思われるかを恐れて自由を失ってしまうようになります。
世の声は御霊のささやきよりもはるかに大きいものです。
そして、人の理論は神の啓示を押しのけ、高慢な人は鉄の棒から離れていくのです。
高慢の現れ
人の高慢はよく目につきますが、自分自身の高慢の罪を認めるのは非常に難しいことです。
多くの人は、高慢の罪を犯すのは金持ちや学者のように社会的地位や権力があって、ほかの人を見下す人だと考えています。
しかし、それ以上にわたしたちの間に広がっている病があります。
それは人を見下すのとは逆に、自分より多くのものを持つ人を、ねたみ心を持って見上げる高慢さです。
これは、あら探し、うわさ話、中傷、不平、収入以上の生活、そねみ、うらやみ、また、人を高める感謝の念や称賛の言葉の欠如、人の過ちを赦さない不寛容さ、嫉妬など様々な形で現れます。
不従順も本質的には、自分より上の立場にある人に反抗するという、高慢のなせる業です。
不従順な人は、両親や神権指導者、教師、そしてついには神にまで挑んでいきます。
彼らは、自分の上にだれかが立つことを嫌います。
それによって自分の立場が低くされると考えるのです。
利己心は、高慢がさらに一般的な形をとって現れたものです。
うぬぼれ、自己憐憫、この世的な願望の実現、自己満足、利己主義などの根底にあるのは、「それは自分の得になるのか、損になるのか」という考え方です。
高慢の行き着く結果として、権力と「利益と世の誉れ」を求めて作られた秘密結社を挙げることができます。
高
慢の罪の実である秘密結社は、ヤレド人とニーファイ人の文明を崩壊させました。
そしてほかにも多くの国の堕落の原因となり、それは今後も続いていくことでしょう。
高慢はもう一つ、争いという形でも現れます。
論争、けんか、不正な支配、世代の断絶、離婚、伴侶の虐待、暴動、騒乱、これらはすべて高慢の範ちゅうに加えられるべきものです。
家庭内の争いは主の御霊を遠ざけます。
また、家族の多くを遠ざける結果にもります。
争いの範囲は、憎しみの言葉から、果ては世界的な紛争にまで及びます。
聖典には「高ぶりはただ争いを生じる」とあります。
聖典は、高慢な人は容易に怒り、恨みを抱くことを証しています。
そして、相手に責任を負わせたまま赦しを与えず、自分の傷ついた気持ちだけを正当化しようとします。
高慢な人は、勧告や矯正を容易に受け入れません。
彼らは自分の弱点や失敗を正当化し、合理化するため自己弁護に終始します。
高慢な人は、自分に価値があるかどうかの判断を世の人々に求めます。
彼らの自尊心は、世の人から自分がどれほど成功していると思われているかということによって左右されます。
また、業績や才能、美しさ、知性などにおいて、自分より劣る人が多いほど、その自分の価値が高いと感じるのです。
高慢は醜いものです。
高慢な思いに捕らわれている人はこう言います。
「あなたの成功は私の失敗です。」
もし神を愛し、御心を行い、人の裁きより神の裁きを恐れるなら、わたしたちは自尊心を持つことができるようになります。
「破滅的な罪」
高慢は、確かに破滅をもたらす罪です。
人の成長を制限し、止めてしまいます。
高慢な人は、なかなか教えを聞こうとしません。
心を入れ換えて真理を受け入れようとしません。
そうすることは自分の間違いを意味するからです。
高慢はあらゆる人間関係に悪影響を及ぼします。
その影響は、神とその僕、夫と妻、親と子、雇用者と従業員、教師と生徒、そしてすべての人間関係に及びます。
高慢の度合は、神や兄弟姉妹に対してどのような態度を取るかによって量られます。
キリストは御自身のおられるところまでわたしたちを高めたいと望んでおられます。
わたしたちも人々に対して同じ気持ちを持っているでしょうか。
高慢は、自分が神の子供であり、すべての人と兄弟姉妹であるという意識を薄れさせます。
また、富と学問の機会の多少に応じて階級に区別します。
高慢な人に一致は不可能です。
わたしたちは一つとならなければ主のものではありません。
高慢がもたらすもの
高慢の罪が自分の生活や家族、教会に、これまで何をもたらしてきたか、また今何をもたらしているか考えてください。
また悔い改めがもたらすものを考えてください。
高慢な思いで罪の告白と悪い行いを捨て去るのを拒むようなことをしないかぎり、わたしたちは生活を変え、夫婦のきずなを保ち、家庭を強めることができます。
心を傷つけられて教会に来ていない多くの人々について考えてみてください。
彼らは高慢な思いのために、人の過ちを赦すことができず、主のテーブルに着くことができないでいるのです。
高慢を取り除けば伝道に出られる大勢の若い男性や夫婦について考えてください。
彼らは高慢のために、自分の思いを神に従わせることができません。
高慢な思いのままに様々なことを追い求めて時間を浪費するよりも、死者のために働くことの方が大切です。
それが理解されれば、神殿活動がどれほど活発になるか考えてみてください。
至る所に見受けられる罪
高慢は様々なときに、様々な強さで、すべての人に影響を与えます。
さて、これで皆さんは、リーハイが夢で見た、人々の高慢を表す建物がなぜ大きくて広々としていたのか、理解できたのではないでしょうか。
またなぜ大勢の人々がそこへ入っていったのかも、お分かりになったと思います。
高慢は至る所に見受けられる罪であり、大きな悪です。
そうです。
高慢は世を覆っている大きな悪なのです。
謙遜:高慢の治療薬
高慢の治療薬は謙遜です。
柔和と従順です。
打ち砕かれた心と悔いる霊です。
ルドヤード・キプリングは次のように書いています。
「喧噪と叫び声がやみ司令官や王は世を去ってもいにしえの主の犠牲とへりくだり悔いる心は残る。
万軍の主なる神よ、我らとともにおりたまえ。
我らが主の犠牲と贖いを忘れぬために。」
へりくだる道を選ぶ
神は謙遜な民を求めておられます。
わたしたちは自ら進んでへりくだることもできれば、強制されてへりくだることもできます。
アルマは言いました。
「やむを得ずへりくだるのではなく、自らへりくだる人々は幸いである。」
自分からへりくだる道を選びましょう。
わたしたちは、兄弟姉妹に対する憎しみを克服し、彼らを自分自身のように尊び、また自分以上に尊重することによって、進んでへりくだることができます。
勧告と懲らしめを受け入れる人は、自分の意志で謙遜になる道を選べます。
わたしたちは、自分を傷つけた人を赦すことにより、進んでへりくだる方を選ぶことができます。
また、無私の奉仕を行うことによっても、進んでへりくだることができます。
伝道に出て、人を謙虚にする神の御言葉を宣べ伝えるなら、自分からへりくだる道を選ぶことができます。
もっと頻繁に神殿に参入することにより、自らへりくだることができます。
罪を告白してそれを捨て、神から生まれる人は、自分の選びによって謙遜になることができます。
そして、神を愛し、自分の思いを神の御心に服従させ、神を第一にした生活を築きあげることによって、わたしたちは進んでへりくだることができるのです。
自分からへりくだる道を選びましょう。
わたしたちにはそれができます。
確かにできるのです。
シオンの大きなつまずきの石
愛する兄弟姉妹の皆さん。
わたしたちはシオンを贖うために備えなければなりません。
預言者ジョセフ・スミスの時代にシオンの建設を妨げたのは、本質的に高慢の罪でした。
ニーファイ人の中で行われていた奉献制度を終わらせたのも、高慢の罪でした。
高慢はシオンの大きなつまずきの石です。
もう一度言います。
高慢はシオンの大きなつまずきの石です。
わたしたちは高慢を克服して器の内側を清めなければなりません。
聖なる御霊の勧めに従い、主なるキリストの贖罪により、生まれながらの人を捨てて聖徒となり、子供のように従順で、柔和で、謙遜になるのです。
皆さんがそれを行い、さらに前進して、神聖な使命を果たすことができますように、イエス・キリストの御名によりお祈りします。
アーメン。
目次へ戻る
家族と一緒に過ごす時間を作る10の方法
家族関係はこの世のいかなる成功よりも大切なものです。子供たちが成長期にあったころを振り返って、家庭よりも職場で過ごす時間をもっと取ればよかったと悔やむような人がいるとは思えません。家族の間に親密な関係を築き、家族の一致を図るために、家族の一人一人がお互いのために努力して時間を取るようにしなければなりません。
けれども、家族として一緒に過ごす時間を増やそうにも、両親が努力して家族の活動を計画していなければなかなか実現しません。家族が一緒に過ごす時間を作ろうと望み続けている家族は、そのような時間を作り出すことができるものです。
ここには、家族と一緒に過ごす時間を作る10の方法が提案されています。家族の実情に会った方法を幾つか選んで実行するとよいでしょう。
1 あなたの時間に優先順位をつける
家族として過ごす時間を増やすには、一人一人がどのような時間の使い方をしているかを調べてみる必要があります。一緒に過ごす時間を増やす方法を見つけるために、それぞれの行動や活動に優先順位をつけます。
- 数分だけ時間を取って、あなたのスケジュールを検討し、1週間のうちで定例化されている行動のリストを作ってください。次にそれぞれの行動に費やしている時間を記入します。あなたは家族と一緒にいる時間をどれほど確保しているでしょうか。望んでいるだけの時間が取れているでしょうか。
- 家族と過ごす時間が十分に取れていなければ、リストを見て、どのような行動にほとんどの時間を使っているかを見つけてください。家族と過ごす時間を増やすために、その行動に費やす時間を減らす方法を見つけてください。
自分の行動リストを慎重に検討したある父親は、家族と過ごしたいと思っている時間のほとんどを仕事に費やしていることに気づきました。家族と一緒に過ごす時間を増やすために、彼はスケジュールを組み直して、子供たちと一緒に朝食を取り、子供たちが学校に行く前に話し合いの時間を設けることができました。
2 1週間の一晩を家族の夕べのために空ける
多くの家庭では、日常生活で求められる煩雑な仕事のために、長期的な視野に立って満たすべき家族の必要が押しのけられていることがしばしばあります。その結果、各々の行動や活動はばらばらになり、一時の思いつきで物事を決めてしまうことになります。
建物を建てるために計画と勤勉な労働が必要とされるのと同じように、力強い家族を築くためにも計画とその計画に基づいて勤勉に努力することが必要です。家族が全員で計画し、決定するための時間を確保する必要があります。
- 1週間のうちの1日を選んで、その日の夕べに家族全員が時間を空けるようにします。これを家族の夕べとします。この時間を使って、大切にしなければならない事柄について教え、家族の関心がある重要なテーマについて話し合い、また個人や家族にとって大切な行事の計画を立ててください。個人的な用事やテレビなどにじゃまされないようにします。
- 精神の高揚に役立つ話を分かち合い、家族の関心がある重要なテーマについて話し合います。楽しいゲームやそのほか家族に一致をもたらすための活動を行いとよいでしょう。
家族の一致の大切さを説明するために、両親は家族の夕べで以下のような簡単な活動を行なうとよいでしょう。家族全員に台所に来てもらい、みんなの好きな食べ物を作るのを手伝ってくれるように言います。材料を見せて、おいしく作るにはそれら一つ一つの材料が大切であることを説明します。料理に取りかかったら、家族の一人一人はこの食べ物の材料と同じように、すばらしい家族を築くためになくてはならない存在であることを説明してください。家族の中でお互いに対して抱いている気持ちや家族の一致をもたらすための方法について意見を求めてください。
3 毎日少なくとも1度は家族全員で食事をする
今日のように目まぐるしい世の中では、家族がそろって食事をすることは難しくなっています。特に、外食が多かったり、テレビの前で食事を取ったりする習慣がある場合にはなおさらです。けれども、食事の時間は家族が互いに意志を通じ合うための最適の時間でもあるのです。
毎日少なくとも1度は家族全員で食事をすることを習慣としてください。食事の間を利用して、家族が話し合い、経験や考えを分かち合う時間としてください。以下は食事の時間を楽しく、興味のあるものにするための提案です。
- 献立を考える際や食事を作る際に子供たちに手伝ってもらい、これによって子供たちに調理の技術を向上させる。
- 祖父母、友人、そのほか親戚などを夕食に招く。
- 特別なときに、レストランへ行って家族で食事をする。
4 家族の野外活動を計画する
「幸せな家族とは、どのような家族でしょうか」と尋ねられると、ほとんどの子供は「何かをみんなで一緒にする家族です」と答えます。これはだれにも明らかなことであるために、見過ごしにされがちです。けれども、全員で何かをすることによって家族は強められ、一つになります。堅固な家族を築くには、世の中の圧力によって家族の時間が失われないように綿密な計画を立てることが必要です。
野外活動は家族が簡単に決めて実行することができるすばらしい活動です。大切なのは家族が一緒にどこへ行くかではなく、家族が一緒に時間を過ごすことです。
- 家族が興味を示すと思われる活動に印を付けてください。
- 音楽活動 ―― 子供の音楽演奏会や地元で開かれる音楽会に出かける。
- 自然関連活動 ―― ハイキング、キャンピング、バードウォッチング、庭の散歩。
- 奉仕活動 ―― 近所の人に夕食を持っていく、地域の奉仕活動に参加する、資金獲得活動に協力する。
- 演劇活動 ―― 演劇、映画、オペラ、その他の公演を鑑賞する。
- 社交活動 ―― アイスクリームを食べに行く、ピクニックに出かける、家族や友人を集めてパーティーを開く。
- スポーツ活動 ―― 競技会を見に行く、庭でゲームをする、アイススケートやローラースケートをする、自転車に乗って出かける、ボートに乗る、ダンスをする、スキーをする。
- 労働活動 ―― 家と庭の掃除と手入れをする、食事を作る、ペンキ塗りをする、樹木を植える。
- 教育活動 ―― 史跡を訪れる、博物館、動物園、プラネタリウム、図書館へ行く。
- 以上について検討したら、以下の質問を自問自答してください。
- わたしの家族はどのような活動に関心を示すでしょうか。
- 家の中ではどのような活動をして楽しむことができるでしょうか。
- 家族の一致と愛を育むのはどのような活動でしょうか。
- 費用をほとんどかけず家族が楽しめる活動にはどのようなものがあるでしょうか。
- 次回の休暇に家族で行なう活動の計画を立ててください。どこへ行って何をするかについて、子供たちを交えて決めるようにすれば、そこには家族全員が楽しめる活動が何か計画されているはずです。
5 子供たち一人一人と一緒に過ごす機会を探す
親子の間の強いきずなが築かれると、子供たちはその価値を認め、信頼を寄せます。親は、子供たち一人一人と一緒に過ごす時間を作ることによって、この関係を強めることができます。
- 関心を持っている事柄についてあなたと子供の間で話し合ったら、それらに関連する活動を一緒に行なってください。これによって子供はあなたから受け入れられていることを感じ、また家族への帰属感を持つことができます。
- 就寝前の時間を家族にとって特別な時間としてください。就寝前の子供たち一人一人に物語を話して聞かせたり、歌を歌ってあげたりしてください。
- 定期的に子供たち一人一人と一緒に過ごす時間を取ってください。両親にとって子供に教える最適の機会が、この二人きりの時間に訪れます。このような環境に置かれると、子供たちは自分の感じていることを自由に述べ、家族のほかの人たちがどのように考えるかを恐れずに質問することができます。これは親にとっても、自分の考えを述べ、家族にとって大切な事柄を教える良い機会となります。
ある父親は、たとえ数分間であっても定期的に一人一人の子供と二人きりで過ごす時間を作っています。この時間を通して、彼は子供の目標や経験している事柄を尋ね、さらに親子の関係を改善するための方法について話し合っています。
6 テレビのスイッチを切る
様々な調査の報告によると、両親も子供たちも親子間の関係を強めるために一緒に活動する時間を取っていません。事実、最近の研究によれば、親が子供と一緒にテレビを見ている時間は1日に約3時間に達しますが、他のことで一緒に過ごしている時間は30分にも達していません。
テレビは家族が一緒に過ごす貴重な時間を奪うばかりか、家族間の意志の疎通を妨げることがあります。
- 慎重に考慮した上で、不適切なあるいは過度のテレビ鑑賞を制限する家の規則を確立してください。テレビの前で過ごす時間をコントロールし、制限するために、家族の夕べで翌週のテレビ番組を見るスケジュールを決めてください。
- これまでテレビを見ていた時間を使って、家族の活動を行なってください。
7 子供たちの勉強を助ける
学校に行っている子供は宿題をたくさん出されると、そのことで精神的に圧倒されてしまいます。子供と一緒に勉強する時間を取ることによって、親は子供が画工の授業と宿題に関連して味わっている挫折感やプレッシャーを軽減することができます。
親が子供と一緒に勉強してあげると、子供たちは親を尊敬し、信頼するようになるものです。親は子供の教育に参加することになり、その機会を利用して大切な原則を教えることができます。
- 子供たちに教師から与えられている課題について定期的に尋ねるようにしてください。課題を達成するために手伝えることを子供に伝え、そのための時間を作ってください。
- 子供たちに長期的な目標や課題を達成するためのスケジュールを作成させてください。
8 家族の趣味を選ぶ
多くの家族は、より多くの時間を家族とともに過ごすため、家族として楽しむ趣味を追求しています。ある家族は作曲を、あるいは工芸品作りをしています。魚釣りやテニスを一緒に楽しんでいる家族もいます。共通の趣味を持つことによって、お互いの意思疎通を図り、家庭内に一致を築くことができます。
- 全員が参加して楽しむことのできる趣味を家族で選んでください。家族全員で趣味を追求する時間を決めます。
多くの家族が歌を楽しみ、週の何時間かを家族一緒の練習に充てています。家族でバンドを組んで、地域で開かれる特別な行事で演奏する家族もあります。
9 家事を全員で行なう
多くの家族では、親子で家事を分担し、それぞれが単独で割り当てられた仕事を果たしています。一部の家事については全員で行なうことができます。それによって家族が一緒にいる時間を増やすことができます。
家の中の責任を分担することで、家族として義務感が養われ、一致がもたらされるだけなく、家事を早く終わらせることができます。
- 夕食が終わったら、家族全員に皿洗いと片付けを手伝ってもらいます。作業している間、1日の出来事について話すとともに、子供たちに彼らが成し遂げた事柄や経験したチャレンジについて尋ねてください。
- 家族として目的を持ってできる作業を探し、全員に参加を呼びかけてください。協力することを教えるために子供たちにも一緒に働いてもらいます。
10 子供の活動に参加する
ピアノのレッスンやチームの練習、試合、宿題、学校の活動など、子供たちのスケジュールは大人に負けないほどびっしりと詰まっています。親は、可能であれば子供たちの活動に参加することによって、一緒に過ごす時間を持つことができます。子供たちはこれによって、自分のしていることに親が関心を持っていることを悟るのです。
- 子供たちを支援していることを示すために、子供が所属してるチームやクラブのコーチまたは監督を務めることができます。あなたはこうして、毎週決まった時間に子供と一緒に過ごすことができます。
- 可能であれば、運動競技会やクラブの活動に参加して、子供を支援していることを示してください。
家族が一緒に過ごす時間を持つことは、必要なことであって、決して無理な望みを追及しているのではありません。優先順位を見直し、ともに過ごす時間を作っている家族は、一人一人が強められ、家族全体としてより大きな幸福と信頼、一致がもたらされていることに気づいています。
ある若い女性は家族全員で台所の後片付けをしたことを楽しい思い出として大切にしています。「兄がタイマーを10分か15分にセットして、ベルがなるまでに全員で一斉に後片付けを競い合うのです」と彼女は説明しています。「わたしたいあはその間、ずっと笑い続けていました。」
家族が楽しくともに作業を行うようにするには、どのような方法があるのでしょうか。
目次へ戻る
正しい価値観を家庭で教える10の方法
子供たちに優れた価値観を教える最良の場所は家庭です。この価値観は私たちの行動を導くものとなり、善悪の判断を下す際の基準となります。時間やお金の使い方はその人の持つ価値観に左右されます。なにに価値を置くかによって、人生における優先順位は大きく左右されます。
両親は自分たちが何を話し、どのように行動するかによって、子供たちに価値観を教えます。したがって、どのようなことに価値を認めるかについて両親は意思を統一しておく必要があります。正直、礼儀、奉仕などは、あらゆる家庭が価値観の中に加えるべき事柄です。幼い時から道徳的な価値の大切さについて学び、実行している子供は一般的に、成長した後々まで賢明な判断を下すことができるものです。若いときに行なう決断が人生全体に影響を与えることを子供たちに教えてください。
正しい価値観を教えない親は、人生に立ち向かうために必要とされる堅固な基盤を子供たちから奪っていることになります。末日聖徒イエス・キリスト教会のゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように述べています。「家庭はあらゆる真実の徳を育てるために苗床です。家庭で正しい価値観を教わらないと、子供たちはそれをまったく教わらないまま成長することになりかねません。」
この小冊子には、子供たちに正しい価値観を家庭で教える10の方法が提案されています。
1 家庭において子供たちに責任を与える
両親は家族に対して模範を示すとともに、家庭にとってなにが大切かを教える必要があります。子供たちに正しい価値観を教えることは、子供たちが人格を築いていくための堅固な基礎を与えることです。したがって、正しい価値観を教え、それに基づいて自分が生活することによって、あなたは家族と社会の安寧に寄与することになるのです。家庭の中で子供たちを正しい方向に導いていくことは、情緒的に健全で、愛にあふれた、心遣いの行き届いた家庭環境を確立することにつながります。
「聖書」にはこのように記されています。「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」(箴言22:6)幼いうちから子供たちに責任を与えることによって、道徳的な価値観の核となる部分を植え付けることができます。このような価値観を持つ子供は他人から言われたことでなく、自分が正しいと考えることを行ないます。
子供たちを家庭の責任に参加させる必要があります。それらの義務を果たすときに、彼らは自分を管理すること、責任を果たすことを学び、更に労働を重んじる精神を養います。子供たちが自分でできる責任を家の中から探してください。幼い子供たちには小さく、簡単な仕事を与え、成長するに従って大きな責任を与えます。
ある両親は、3歳児の息子に自分のおもちゃを片付けたり、ペットの世話をする兄や姉の手伝いをしたりするなど簡単な家事を任せています。8歳の娘にはベッドメイクや皿洗いをする親の手伝いなど、多少複雑な仕事を任せています。このようにして子供たちは幼いときから働くことと責任を持つことを学んでいます。
2 子供たちの目標設定を手伝う
子供たちに自分で人生の進路を決めさせるようにしなければなりません。たとえ若いときであっても、そこで下す決断は将来に大きな影響を与えることを子供たちに教えてください。健康、道徳、教育などに関する決断は、人生に大きな影響を及ぼします。短期目標と長期目標を立てさせることを通して、子供たちに価値のある大切な事柄について教えることができます。
- 子供たちと一緒に将来の計画について話し合ってください。関心を持っていることや夢を尋ねます。子供たちに決断する能力があると信じていることを伝えてください。子供たちの話に耳を傾けるとともに、感じていることや意見を述べるよう励ましてください。その後で、あなたの考えを話すようにしてください。
- 子供たちが家庭で学んできた大切な事柄について話し合ってください。それらが子供たちの将来の決断にどのような影響を与えるかについて意見を交換してください。
ある父親は毎年新しい学年に進む前に、子供たち一人一人と年間の目標について話し合っています。父親と子供たちは一緒に、それらの目標が短期目標と家族目標を達成するためにどのように役立つかを評価しています。
3 模範によって教える
特に親子の関係では、行動は言葉よりも説得力があります。あなたの行動は善きにつけ悪しきにつけ子供たちの生涯の行動に大きな影響を与えます。なぜならば、子供たちはあなたを観察して、大人が取るべき行動を学んでいるからです。どのような価値観を持つべきかについてただ単に説教するよりも、子供たちに望んでいる生き方をあなた自身が実行することの方が、大きな影響を与えます。例えば、子供たちと一緒に教会へ行って礼拝することは、子供たちを教会へ送り出すことよりもはるかに力強い印象を与えます。
- あなたの行動が子供たちの行動にどのような影響を与えているかについて考えてください。以下の質問に自問自答してみてください。
- わたしは口論をどのように解決しているだろうか。子供たちには、口論をどのように解決するように望んでいるだろうか。
- わたしは他の人についてどのような話し方をしているだろうか。子供たちには、他の人についてどのように話すことを望んでいるだろうか。
- わたしは人々とどのような接し方をしているだろうか。子供たちには、人々とどのように接することを望んでいるだろうか。
- わたしは働くことについてどのような姿勢で取り組んでいるだろうか。子供たちにはどのような姿勢で働くよう望んでいるだろうか。
4 家族の歴史を研究する
家族の歴史を教え、親族とのきずなを強めることは、子供たちに帰属感を与えるとともに、自分を正しく理解させることができます。
- 子供たちに先祖の生涯に起こった出来事などを話してください。親戚の人々が知っている話を交えると先祖についてさらに新たな部分を浮き彫りにすることができます。
- 親戚の集いに出席してください。また、定期的に親戚を訪れてください。
- 先祖に関する物語、写真、可能であれば録音テープを複製して子供たちに与えてください。
ある家族は系図図書館や親戚から情報を収集して、家族歴史を編さんし、家族全員に配りました。この歴史書には先祖の写真、生涯に起きた出来事、系図表、先祖が書いた手紙が収められています。
5 家族とともに奉仕する
人々に奉仕することを通して、両親は基本となる大切な価値観を子供たちに教えることができます。子供たちは奉仕を行なうことによって、親切、犠牲、哀れみ、与えることなどについて貴重な教訓を学ぶことができます。
地元の奉仕団体や慈善団体に連絡して、あなたの家族がどのように参加できるかを尋ねてください。例えば、困窮者のための無料食堂やホームレスの宿泊所で奉仕することができるでしょう。
教会または地域社会を通じて奉仕する機会もあるはずです。例えば、近所に住む病気の人のために子供たちと一緒に夕食を作ったり、老夫婦のために家の中の仕事をしてあげたりすることができるでしょう。
6 家族の伝統を築く
家族の伝統とは、通常、世代から世代へと伝えられてきた家族の定期的な活動またはイベントを指します。休日に実施するのが一般的になっています。家族の伝統は、共通の受け継ぎを持つものとして両親と子供を結びつける上で、家族にとって特別な意味があります。家族の伝統を継続させたり、あるいは新しく始めたりすることによって、自尊心や一致、精神的な安定を養うことができます。また、家族の伝統を通して大切な価値観を心に植え付けることもできます。例えば、キリスト教徒の多くはクリスマスイブに、家族でイエスの誕生の物語を読みます。この伝統は家族の心を一つにして、家族の価値観や宗教上の信仰を強める働きがあります。
あなたの家族の伝統について考えてください。
その伝統はなぜ意味があり、また楽しいひとときとなるのでしょうか。
あなたは家族のどのような伝統が好きですか。
あなたは子供たちにどのような伝統を受け継がせたいと思っていますか。
あなたの家族の伝統を通して、どのような価値観が強められるでしょうか。
7 メディアを監視する
テレビやメディアが原因となって、家族が交わる時間が少なくなっています。子供たちの行動や態度、自分に対するイメージ、世の中に対する考え方を形成するメディアの力は日増しに強くなっています。
あなたの子供たちが利用しているメディアに注意を向けてください。聞いているもの、見ているもの、読んでいるものについて子供たちと話し合ってください。メディアが描写している好ましくない好意はどのような結果を招くかについて子供たちに理解させてください。
- 子供たちが好んで利用しているメディアの質と内容を注意深く評価してください。子供たちがメディアに関連して過ごしている時間を監視してください。
- メディアに代わるものを子供たちに与えてください。
8 教えるべき時を察知する
親としての責任を立派に果たすには観察力を養うことが必要です。子供たちの必要と欲求に関心を払って、生活を管理する方法を教えるべき機会を見逃さないよう注意してください。
日常的に経験している事柄の中から大切な教訓を教えるとができます。イエスに従った人々がたとえ話から大切な原則を理解したと同じように、あなたがふだんの生活の中から教えることによって子供たちは価値のある事柄を理解し、実践することができます。
例えば、子供と一緒に庭を散歩しているときに、適切に世話をすること、悪いものを良いものの中から取り除くこと、正しい生活がもたらす報いなどについて話すことができます。このような教えは子供の心に価値観を植え付け、それは生涯を通じて決断のときに役立つものとなります。
- 家族の標語や暗記ゲームなどを利用して、家族が大切にしている事柄を覚えさせてください。以下に、幾つかの例を挙げます。
- 「勇気を持たなければ、真理は存在できない。真理がなければ、徳は生じ得ない。」 ― ウォルター・スコット卿
- 「人は自分のまいとものを、刈り取ることになる。」 ― カラテア6:7
- 「正直こそが最良の方策です。」 ― ドン・キホーテより
- 「正すことによって多くのことが成し遂げられる。しかし、励ましはそれ以上のことを成し遂げる。」 ― ヨハン・ウオルフガング・フォン・ゲーテ
- 子供たちに善と悪の区別を教えてください。善または悪を選ぶことによってもたらされる結果や、家族の規則を守るまたは破ることがもたらす結果について話し合ってください。子供たちが正しくないことを選択した場合、その結果について迅速にまた常に一貫した態度で対応してください。あるいはそのまま放置する方法もあります。
店を出ようとしたとき、母親は息子がお金を払わずにおもちゃを持って来たことに気づきました。母親は品物を返させるために、すぐに息子を連れて店に戻りました。警備員は正直について少年に話ししました。この母親はそのときこそが教える絶好の機会であることに気づいていました。彼女の対応はすばやくまた効果的でした。彼女は息子に、自分の行いがもたらした結果を直視させたのです。
9 譲歩できない価値観に含まれている事柄を決める
価値観を教えることはあなたにとって基本的な責任の一つです。価値観を効果的に教えるには、子供たちが従わなければならない大切な事柄にどのようなことが含まれるかを決める必要があります。それから、これらの譲歩できない価値観を尊重しなければならないことを子供たちに教えます。これらは家族の関係を円滑にするための基本となる事柄だからです。例えば、ある親は身なりや時間の厳守については、正直であることや親切にすることよりも多少緩やかにしています。
- どの価値観は譲歩することが可能であり、どの価値観は譲歩できないかを決めてください。
- 譲歩可能な価値観と、譲歩できない価値観とを子供たちに理解させてください。どの項目を緩やかにすべきかについて子供たちの意見に耳を傾けてください。
ある夫婦が家族の祈りは譲歩できないことであると判断しました。毎日特別な時間を家族の祈りのためにささげることによって、この両親は子供たちにこの価値観の重要性を理解させたのです。
10 家族の決定に子供たちを参加させる
選択する力は神が人類にお与えになった最も偉大なたまものの一つです。子供たちを家族の決定に参加させると、彼らは自分の意志で家族の規則を守るようになります。
年齢と責任能力のレベルに合わせて子供たちを家族の決定に参加させてください。これは彼らに自由を与えることになりますが、それによって家族に価値観が損なわれるわけではありません。
家族の規則を決める理由と、規則を守ることによってもたらされる価値を子供たちに説明します。
- 門限を決める。
- 客を家に招く場合の規則を決める。
- 家族の活動と休暇期間に行なう活動を計画する。
- 家事の分担を決める。
目次へ戻る
家族の間で意思の疎通を改善する10の方法
強いきずなで結ばれた家族を築き、それを維持するためにはお互いの意思を十分に伝え合わなければなりません。意思の疎通が十分に行なわれていれば、人生のチャレンジに取り組み、必要としている事柄や望んでいる事柄について話し合い、互いに愛と尊敬の気持ちを表し、自信を与え、自分に対する価値観を高めるよう家族を助けることができます。
家庭内で意思を効果的に伝達する方法を学んでいる家族は、家庭以外の場所でも人々と円滑に意思の疎通を図る技術を身につけることができます。
この小冊子には、家族間での意思の疎通を改善するための10の方法が提案されています。
1 耳を傾けて理解する
話を聞くことと、耳を傾けて理解することは別の行為です。家族の話に注意して耳を傾けることは、彼らに愛と尊敬を表すための優れた方法の一つです。人々の話に耳を傾け、話している人の気持ちを感じ取るには精神を集中させ、努力することが必要です。
あなたの家族は、それぞれが細心の注意を払って耳を傾けることによって愛と尊敬というメッセージを伝えているでしょうか。効果的に耳を傾ける技術を身につけるために、以下の事柄を実行してみることをお勧めします。
- あなたが耳を傾けたいと思っていることを相手に伝える。話している人をきちんと見ることによって、相手の話に興味を持っているということを表してください。
- 話の腰を折らないようにする。相手が自分の気持ちを話している最中に、あなたの経験や意見を述べて、話を妨害してはなりません。細心の注意を払って耳を傾けることによって相手を尊重していることを示してください。相手が話の途中で一息ついても、ここぞとばかりに勢い込んであなたの考えを述べようとしてはなりません。
- 言葉に表されていない合図に注意する。人は顔の表情や口調、さらに姿勢を通して多くのことを相手に伝えるものです。言葉に表されていない合図に注意を払う人は聞き上手です。相手の顔や声からどのような感情を読取れますか。態度や表情に相手の感じていることが表れてはいませんか。
- 相手を受け入れる。聞き上手の人は、相手が自分の気持ちや真意、あるいは目標を説明しているときに、どのように考えるべきだとか、どのようにとらえるべきだなどと説教するのではなく、相手の話をそのまま受け入れます。相手が下した結論を受け入れる必要はありませんが、話を最後まで聞くことはできるはずです。
- あなたの考えを伝える。相手は自分の気持ちを話し終えたら、あなたの考えを聞きたいと思うものです。そのような段階に達したら、あなたが状況をどのように理解しているかを伝え、ほかに取り得る方法があればそれを提案します。けれども、事が重大でなければ、賢い親は子供たちに自分で結論を出させて、子供たちの年齢と責任を取り得るレベルに応じて、経験によって学ばせる方法を取ることがしばしばあります。
耳を傾けることは単に聞くにとどまるものではありません。話している事柄にあなたが心からの関心を寄せていることが分かると、家族はいっそう心を開いて、何を考え、何を感じているかを打ち明けることでしょう。
2 相手が理解できるように話す
意思の疎通を円滑に行なうには、上手に耳を傾ける技術を習得するだけでなく、効果的に話す技術をも身に付ける必要があります。自分の考えを効果的に表現する技術を持っている人は、口論に発展したり、悪感情を抱いたり、退屈になったりする可能性を最小限に抑えることによって意思の疎通を促します。
- あなたの気持ちを表現する。あなたが話さなければ、ほかの人はあなたの気持ちを理解することができません。自分の気持ちを表すときに、相手が聞きたいだろうととあなたが考えることではなく、あなたがほんとうに考え、感じていることを話すようにしてください。
- 正直である。だれかのせいにすることなく、あなたの考えや気持ちを表現する方法を会得して、自分の考えや気持ちに責任を持ってください。
- 一般論を避ける。極端に簡素な形で話したり、型にはまった在り来りの意見を述べたりすると、あなたが自分の意見に固執して、相手に押しつけようとしていると受け取られることがあります。
3 愛情を前面に押し出す
幼い子供は親が話すことをそのまま信じる傾向があります。親の何気ない言葉が、良きにつけ悪しきにつけ子供たちに大きな影響を与えることがあります。
何かの特徴を親が繰り返し子供に向かって言うと、子供はそれを自分のイメージとして形成していくことがあります。例えば、親から「賢い子だ」と言われ続けている子供は、「ぐずな子だ」と言われ続けている子供よりも、学校でよい成績を収めることが往々にしてあります。
- 積極的な言葉を繰り返し言う。否定的な言葉を避けることによって、子供たちに自信と自尊心を持たせるようにしてください。愛し、受け入れていることを繰り返し言葉にする習慣を身に付けてください。
- あるがままの子供を受け入れる。あなたが望んでいるようなことをさせるために、子供たちに不当な圧力を与えるような言葉を繰り返し言うのを避けてください。子供に能力があると信じていることを伝え、全力を尽くすよう励ましてください。
順子は幼いころ、知らない人に出会うといつも両親の後ろに隠れていました。すると両親は順子が「恥ずかしがり屋なんですよ」と相手に言って、彼女の行動を見過ごしにしていました。順子は自分が恥ずかしがり屋だと信じたまま成長したため、大きくなっても新しい状況になじめなくなっていました。娘思いであった順子の両親は、自分たちが娘の自我意識に影響を与えるようなことをしてきたことに気づいていませんでした。
あなたの子供たちはあなたから貼られたレッテルによって肯定的な影響を受けているでしょうか、それとも否定的な影響を受けているでしょうか。
4 子供たちを非難するのでなく、問題を指摘する
子供たちが間違いを犯したときに、親は子供たちにではなく、間違いに注意を向けるよう気を付けなければなりません。子供たちを悪者扱いするのではなく、親として容認できない行動について子供たちと話し合います。子供に対して、悪い子供だと言うよりも、受け入れることのできない方法で行動したと表現する方が賢明です。
- 行為に焦点を当てる。子供たちをしつける場合に、あなたが使っている言葉について考えてください。あなたは子供自身を非難しているのでしょうか、それとも子供の行動を非難しているのでしょうか。子供たちにその違いを理解させるにはどのような言葉を用いたらよいでしょうか。
5 子供と二人きりになる時間を取る
親は子供と二人きりになったときに、教育上最も効果の高い機会を迎えることになります。このような環境に置かれると、子供たちは自分の感じていることを自由に述べ、家族のほかの人たちがどのように考えるかを恐れずに質問することができます。これは親にとっても、自分の考えを述べ、家族を大切にしている事柄を教える良い機会となります。
- 子供と二人きりで過ごす時間をスケジュールに組み込む。たとえ数分でも、子供と二人きりで過ごす時間を定期的に取ってください。子供たちの目標や経験したことについて尋ね、また子供たちが疑問に思っている事柄について話し合ってください。子供たちは賢明な判断を下す能力を持っていることをあなたが信じていることを伝えてください。
- 子供からの提案を求める。子供たちから、家族としてどのような時間を過ごしたいと思っているかを提案させてください。親子関係を強める方法について話してください。
多くの親が車で移動中の時間の重要性を認識しています。車の中はじゃまが入らず話せる数少ない場所の一つであるからです。
お使いで出かけるときや子供を学校へ送るとき、近くへドライブに出かける機会を利用して、子供が人生で経験している事柄、観察している事柄、感じている事柄について、子供と二人きりで話し合ってください。
6 愛と信頼の関係を築く
両親が子供たちに対して誠実であれば、子供たちは両親を尊敬するようになります。しかし、両親が誠実でなければ、子供たちは両親に対して不信感を抱くようになります。親が正しい原則を教え、陰ひなたなくそれらの原則に従って生活するならば、霊的ならびに道徳的に正しい価値観を子供たちに持たせることができます。
- 積極的にあやまる。親が間違いを犯したことを自ら自ら認める姿を目にすると、子供たちは親を理解するようになります。だれでも間違いを犯しますが、そういう自分を変えられることを示すならば、子供たちはあなたの飾り気のない模範から学ぶのです。
- あなたの目標について話す。あなたの目標、夢、そしてあなたが現在行なっている事柄についての理由などを子供たちに話してください。あなたが考えていることを率直に話すと、子供たちは気楽に秘密を打ち明けるようになります。
拓哉が幼いころ、ほかのきょうだいは真実でないことを真実であるかのように信じさせようとして彼をいつもからかっていました。あるとき拓哉はいたたまれなくなって、自分のきょうだいが言っていることは正しいのかどうかを母親に尋ねました。母親の答えを聞いた拓哉は、母親の顔を見上げて尋ねました。「お母さん、うそついている?」すると母親は「拓哉、お母さんは決してうそをつかないわよ」と答えました。
母親が誠実に接してくれていることを知って子供心に感じた安らぎは、大人になった現在でも拓哉の心にしっかりと刻み込まれています。
7 まず考える
家族の間の衝突は日常的に起こるものですが、難しい局面に立たされたときの感情から、後で悔やむようなことを家族に言ったりすることがあります。何かを言ったり、行動したりする前に問題をよく考えることによって気持ちを落ち着かせ、それから別の方法で自分の気持ちを表現することを考えてください。
- 問題となっている場面から離れる時間を取る。人を傷つけるようなことを言いそうになったとき、問題の渦中から離れる時間を取り、気持ちを落ち着かせます。もし効果があるようでしたら、散歩に出かけるとか、ゆっくり10まで数えるとかの方法を実行してください。
- 自分を客観視する。あなたが家族の中のほかの人であって、あなたが言おうとしていることを聞いていると仮定してみてください。あなたの言葉はその人にどのような影響を与えるでしょうか。子供は時々、私たちの話す言葉よりも口調に耳を傾けていることを忘れないでください。
8 家庭を避難場所とする
数年前に、男性が家庭にいちばん求めているものは何かという調査が行なわれました。その結果、彼らは高価な家具、道具が完璧にそろった作業場、あるいは書斎よりも、平安な家庭を求めていることが分かりました。
家族全員にとって、家庭は世の中で直面する試練や対立から保護される避難場所でなければなりません。それは家族がそれぞれ経験して学んだことや達成したことを率直に話し、ほかの人が話に関心を示し、励ましを与えてくれる場所です。家庭は家族を受け入れ、励ます場所でなければなりません。
- 平安な雰囲気で満たす。あなたの家庭ができるかぎり平安な雰囲気で満たされるよう力を尽くしてきださい。意見の食い違いがあれば早く、当事者の間で解決し、口論や憎しみにまで発展することのないよう努力してください。家族との生活は、意見の衝突を解決する方法を子供たちに教えるための優れた研究所にいるようなものです。家庭で学ぶこの技術は生涯を通じて、様々な衝突を経験する場面で役に立ちます。
- 感謝を表す。家族に感謝を表す機会を見つけてください。家族を愛していることを表し、そのことを度々話してください。家族に感謝と愛を表すには以下のような方法があります。
- 家族が見つけられるような場所にメモや小さな贈り物を置く。
- クッキーを焼いたり、手紙を書いたりする楽しい活動を子供たちに手伝ってもらう。これらの活動は子供と二人きりになる時間として活用することもできますし、単に家事を手伝うだけでなく、家族にとって必要な存在であることを子供たちに感じさせる機会とすることもできます。
- 学校や仕事から家に帰ったときに、楽しみになるような何かを用意する。例えば、家族で外出する活動、思いがけない贈り物、個人的な手紙を準備しておくことなどがあります。
感謝やお祝いの手紙は、あなたが家族にどれほど深い関心を寄せているかを示す形のある証となります。言葉をかけることも大切ですが、メモや手紙はしまっておいて、何度も読み返すことができます。
9 学校から帰宅した子供たちと話す
子供たちは学校に行くと、家庭で教えられている価値観と相いれない行為にさらされることがあります。両親は子供たちと話し合う時間を取り、それらの経験を理解できるように助ける必要があります。
- いつでも助けられる体勢を整える。子供たちが学校から帰宅する時刻に、できるだけ家にいるようにしてください。子供たちが学校で経験した事柄について話し合い、また善い行いと悪い行いの区別がつけられるよう助けてください。
10 夫婦の意思の疎通を改善する
夫婦間の意思の疎通がうまくいっていると、子供たちも含めた家族の間で互いの意思の疎通を円滑にする効果をもたらします。末日聖徒イエス・キリスト教会のハワード・W・ハンター大管長はこのように語りました。「伴侶に対して満たされた思いを持ち、理想的な家族生活の実現に向けて楽しげに努力し、子供たちを心からまた無私の愛で包み込み、家族の成功を目指して全力を尽くす両親が子供たちには必要です。」
意思の疎通を効果的に行なう方法を知っている両親は、意見の対立を穏やかに解決し、家族にとって健全な環境を容易に築くことができます。
- 夫婦の間で解決する。伴侶との間で重大な事柄や深刻な問題を話し合う必要があれば、二人だけで話し合ってください。この小冊子で説明されている提案に基づいて、お互いの考えや気持ちがうまく伝わっているかどうかを確かめてください。
- 話し合いによって取り決める方法を学ぶ。伴侶の考えとあなたの考えが一致しない場合は、忍耐をもってまた客観的に相手の話に耳を傾けてください。家族としての決定を下すに当たっては、考えられる様々な方法について穏やかに話し合い、お互いが平等な立場に立てるよう努力してください。
意思の円滑な疎通は、家族が自ら与えることのできる賜物です。意思を伝えるためにより良い手段を家族の間に確立するならば、家族のきずなは強められ、いっそう平安な環境が築かれ、チャレンジに立ち向かう力が強められることでしょう。
ある青年は、両親が意見の相違を解決するために、遠くまでドライブに出かけたり、散歩に出かけたり、二人だけで部屋に閉じこもって話をしていたりしたことを忘れることができません。彼は家族の前で両親が言い争っている姿を一度として見たことがなかったのです。
目次へ戻る
「アンネの日記」より
ユダヤ人の少女アンネ・フランク(1929〜1945)
ナチスの迫害を逃れて、家族と共にアムステルダムに隠れ住んだ1942年から2年間の生活記録
概要
- 隠れ家に一緒に住んでいるペーターが弱音を吐いた。ペーターがどうすれば自信を持てるか。
- だれもが幸福になりたいという目的をもって生きている。
- 幸福をかちとろうと思えば、勤勉に働き、正しい行いをすること。
- 信仰を持つならば、その人は正しい道を踏みあやまることはない。
- 自分の名誉と良心を保つ。
- 毎晩眠りにつく前に、その日一日の出来事を思い起こし、なにが良いことでなにが悪いことか、きちんと反省する。
つぎの朝から、自分を向上させようと努めるようになるはず。
その努力のなかで、多くのものが得られる。
- 澄みきった良心は人を強くする。
本文
1944年7月6日、木曜日
ペーターが最近、そのうち犯罪者になるかもしれないとか、ギャンブルにふけるようになる
かもしれないとか言いますが、それを聞くたびに、不安に胸を締め付けられます。むろん冗談
のつもりでしょうが、彼は自分の性格の弱さを恐れているような気がします。ペーターだけで
なく、マルゴットからも、たびたびこういう台詞を聞かされます。―「そうよ、もしあんたぐ
らい強い性格で、勇気があったら……もしどんなときでも、自分の望むことをつらぬきとおせ
たら……もしあんたほどに不屈のエネルギーがあったら……!」
わたしは思うのですが、けっして他人に影響されないというのは、ほんとうにいい性質なの
でしょうか。ほとんどいつでも自分の良心をつらぬきとおすというのは、ほんとうにいいこと
なのでしょうか。
正直に言うと、「自分は弱い性格だ」と言いながら、それでいて平気でいられるというのは、
わたしには考えられません。それがわかってるんなら、なぜ闘おうとしないのでしょう。なぜ
その性格を鍛えなおそうとしないのでしょう。答えはこうです。―「そのままでいるほうが、
ずっと楽だからさ!」これにはいささか失望しました。楽だから、ですって?ということは、
怠惰な、虚偽に満ちた生活のほうが、楽な生きかただというのでしょうか。まさか、そんなこ
とがあるはずはありません。そうであってはなりません。そうでなくても人間は、たやすく誘
惑されがちなものです。―安易さに……そして金銭にも。
長いことかかって、ペーターにどう答えたらいちばんいいかを思案してみました。彼に自信
を持たせるにはどうしたらいいか、そしてとりわけ、自分を向上させようという意欲を持たせ
るには、どうしたらいいか。でも、わたしの考えかたが正しいかどうかは、自分でもよくわか
りません。
これまでたびたび考えてきたのは、だれかの完全な信頼を得られたら、どんなにすばらしい
だろうということでした。でもいま、いちおうそこまで達したいまは、ほかの人が考えている
ことを察し、それにたいする正しい答えを見つけることは、とてもむずかしいのがわかりまし
た。とくに、”安易”とか”金銭”とかいう考えが、わたしにはまったくなじみのないもので
すから、なおさらのことです。ペーターはいくらかわたしに頼りすぎるようになっていますが、
どんな事情があっても、こういうことはぜったいにあってはならないことです、ペーターのよ
うなタイプは、自分の足で立つことをむずかしいと考えがちですが、それよりももっとむずか
しいのは、自覚を持った、生きた人間として自立することです。なぜなら、人に頼っていると、
いろんな問題にぶつかりながら正しい道を誤らず、しかもなおそのなかで、志操堅固に生き抜
くことが、二倍も困難になるからです。わたしはいま迷っています。ここ数日、考えあぐねて、
その恐ろしい”安易”という言葉に対抗できるだけの確固たる主張、それを徹底的に論破でき
るなにかを探しもとめています。
どのように説けば、安易で、魅力的に見えるものが、彼を泥沼にひきずりこむだけだという
ことをわからせてやれるでしょう。いったんその深みにはまったら、慰めも得られず、友達や、
美しいものを見いだすこともできず、そこから抜けだすことはほとんど不可能になるのです。
わたしたちはみんな生きています。でも、なぜ生きているのか、なんのために生きているの
か、それを知りません。だれもが幸福になりたいという目的をもって生きています。生きかた
はそれぞれちがっても、目的はみんなおなじなのです。わたしたち三人は、いい環境で育てら
れてきました。学ぶ機会を与えられ、なにかを成し遂げる可能性を与えられ、大きな幸福を期
待するだけの理由があります。とはいえ……それは自分たちの力でかちとらねばなりません。
それはけっしてたやすいことではないのです。もし幸福をかちとろうと思えば、勤勉に働き、
正しい行いをし、怠けたり、ギャンブルにふけったりしてはなりません。怠惰は一見魅力的に
見えますが、働くことこそ満足を与えてくれるものなのです。
働くことの嫌いな人の気持ち、それがわたしには理解できません。といっても、ペーターが
そうだというのではなく、ただ、いまだにはっきりした人生の目標が定まらず、自分はばかで
劣等児だから、なにも成し遂げられないと思っているだけなのです。気の毒に、他人をしあわ
せにしてあげるというのが、どんなに気持ちのいいものか経験したこともなく、わたしとして
も、それを教えてあげることはできません。信仰も持たず、イエス・キリストをばかにし、神
様の名をひきあいに出して悪態をつきます。わたしだって、けっして正当派の信仰を持ってい
るわけじゃありませんが、それでも、彼が寂しく、冷笑的で、貧しい心しか持たないのを見る
と、そのたびに胸を刺されるような気持ちがします。
信仰を持つ人びとは喜ぶべきです。みんながみんな、崇高なものを信じられる天性を与えら
れているわけではないのですから。死後の罰を恐れる必要もありません。煉獄とか地獄、天国
といったものは、多くの人にとって信じがたいものですが、それでも、どんな信仰でもかまい
ません、信仰を持つならば、その人は正しい道を踏みあやまることはないでしょう。それは神
を恐れることではなく、自分の名誉と良心を保つことです。もしも、毎晩眠りにつく前に、そ
の日一日の出来事を思い起こし、なにが良いことでなにが悪いことか、きちんと反省してみる
ならば、人はどれだけ崇高に、りっぱに生きられることでしょう。そうすれば、知らずしらず
のうちに、つぎの朝から、自分を向上させようと努めるようになるはずです。その努力のなか
で、多くのものが得られることは言うまでもありません。これはだれにでも実行できますし、
費用もかからず、しかも非常にためになります。まだこれを知らない人は、ぜひともこのこと
を経験によって学び、発見してほしいものです。―「澄みきった良心は人を強くする!」
目次へ戻る
教会の福祉
奉献の律法の備えとしての福祉プログラム
奉献の律法の備えとして、什分の一、断食献金、福祉プログラムが実施されている。
教会の福祉の基本原則は自立である。
教会の福祉プログラムは人々を施しに頼るようにするのではなく、自立させることを目標にしている。
教会員の自活を促し、また、必要に応じて、食物、衣服、他の必需品を作る助けを与える。
福祉農場と福祉工場
自活できない人々を助けるために、教会は農場や工場を経営している。
自活できない人々はそこで働き、技能と必需品を得る。
援助の優先順
まず、家族や親族が助ける。
政府の福祉施策を求める。
上記の二つで満足な援助が得られない場合は、教会が援助する。
自立の6分野
自立は経済面だけをいうのではない。肉体面、精神面の自立も含まれる。
教会は教会員が次の6つの分野において自立を果たせるよう助ける。
- 財政管理(経済面)
- 什分の一を納める。
- 支出計画を立て、収入の範囲で生活する。
- ローン、クレジットによる購入を避ける。
- 負債を早く返済する。
- 貯蓄をする。
- 老後の財政対策を立てる。
- 賭け事をしない。
- 雇用条件の改善(経済面)
- 良い仕事を得られるよう、技能を身に付け、伸ばす。
- 仕事の能率や質の向上を図るために計画を立てる。
- 読み書きの能力と教育(精神面)
- 読み書きができるようになる。
- 高等教育受けるよう努力する。
- 良書を読む
- 情緒の安定と霊性の強化(精神面)
- 毎日、聖典を読む。
- 朝晩、個人と家族の祈りをささげる。
- 教会の集会に定期的に参加する。
- 毎週、家庭の夕べを開く。
- 悪い行いを悔い改める。
- 家族や他の人に奉仕する。
- 健康(肉体面)
- 知恵の言葉を守る。
- 適度に運動する。
- 休息する。
- バランスの取れた食事。(偏食、食べ過ぎに注意)
- 衛生状態の改善と維持
手洗い、うがい、掃除、生水、食物、ゴミ
- 病気予防
予防注射、定期検診
- 家庭の健康管理
応急処置、家庭看護、妊産婦と乳児の世話の技術を学ぶ
- 家庭における生産と貯蔵(将来の危機に対する備え)
- 家庭菜園をする。
- 食物の貯蔵法を学ぶ。
- 食品、衣料、燃料、水を1年分貯蔵する。
非常時の備え
- 恐慌による失業、病気、怪我、災害(地震、洪水、雪)、干ばつ、戦争などによる物資の不足等の非常時に対して、私たち自身が備えておかなければならない。(政府を当てにすることはできない)
- 数週間大雪で家の中に閉じ込められていた人が食品貯蔵で生きていられた例がある。
- 戦争や異常気象などによる長期かつ広域的な食糧等の物資の不足に備えるために、家庭における生産と貯蔵を行うように勧告されている。
- 地震などの短期で狭域的な緊急避難にも備えておく。
目次へ戻る
マインド・フルネス(新瞑想法)
マインドフルネスで克服できるものもある。
概要
過去のトラウマ・恨み、現在のストレス、未来への不安、うつに対して効果がある。
考えることを減らす。感じることに集中する。
今に焦点を当てる。過去の嫌なことを忘れる。未来を不安がらない。
効果
- 集中力を高める。
- ストレスに強い脳を作る。
- うつ病、不安症、ストレスに対処することができる。
うつの再発を防ぐことができる。抗うつ薬よりも効果がある。
しかし、うつの治療中は不向き。
- ふつうのリラックスでは、脳のデフォルト・ネットワークが働く。
つまり、アイドリング状態。
この状態では雑念が浮かびそれがストレスを生む。
- マインド・フルネスをすると脳のDLPFC(背外側前頭前野)が働き、デフォルト・ネットワークをコントロールすることができる。
- 脳の構造まで変わる。
海馬の灰白質が大きくなる。
海馬は記憶や感情をコントロールする。
海馬はストレスで壊れる。
不安やストレスを感じる偏桃体が減る。
- 遺伝子の活動も変わる。
RYKPK2の活動が減る。(RYKPK2は慢性の炎症にかかわっている)
肥満、老化、ガン、動脈硬化の進みが遅くなる。
概念
- 気付き
- 雑念から外に出る。何を考えているか外に出て気付く。
- 1つにとらわれるのではなく。自分の体の状態にも気付く。
- 自分を囲んでいる空間にも気付く。
- 集中するとかリラックスするとかでなく、気付くことがポイント。
- 眠る状態でなく、目覚め。
- 考えるのでなく、感じる。
- 5感で感じる。
- 愛を感じる。
- 無限を感じる。
- 考えをめぐらすのでなく、考えることをやめることによって、新たな発想が生まれる。考えることは憎しみや不安を生む。
- 今に集中する。
- 過去のトラウマ、未来の不安を忘れる。
- 今を感じる。
イメージ
| 雑念 |
←→ |
気付き (覚醒、目覚め、悟り) |
過去(トラウマ) 未来(不安) |
←→ |
今(五感で感じる) |
| ↓ |
|
↓ |
| ストレス |
←→ |
感謝 |
| ↓ |
|
↓ |
| 不幸 |
←→ |
幸せ |
方法
- 呼吸に注意を向ける。
- 集中する練習をして、注意の範囲を広げていく。
- 息が入っていく体の感覚。お腹が膨らむのを、「膨らみ、膨らみ」と意識。
- 息が出て行くときは「縮み、縮み」。
- 呼吸をコントロールしない。
- 楽な息のしかた。
- 雑念が浮かんできらた、それに気付く。
「雑念、雑念」と自分に声をかける。
「戻ります」と言って、呼吸の意識に戻る。
雑念に気付く方法を学ぶ。
- 注意のフォーカスを広げる。
- 体の感覚を感じとる。
たとえば、おしりが床に付いている感じとか。周りの音。空気の動き。
- いろんなものを同時に感じとる。
- まぶたの裏に注意を向けて目を開ける。
- 五感を楽しませるものを置く。
- 視覚 芸術作品(絵画、彫刻、写真など)
- 触覚 座布団、ソファ、毛皮など
- 臭覚 香料
- 聴覚 音楽
- 味覚 食べ物、飲み物
- 五感の断食をして、五感のすばらしさを再認識する。
- 五感で、かすかな違いを感じる。強い感覚でなく、弱い感覚を感じる。
- 体の細胞に至る微細なものを意識する。
- ゆったりとした服
- ゆっくり呼吸をする。
- ゆっくり歩く、ゆっくり体操する。
毎日10分でよい。公園の中を歩くのでもよい。
- 今を感じるために、ゆっくりとした動きの生活をする。
急ぐと筋肉が緊張し、こる。
- 笑いもよい。
目次へ戻る
その他の幸せになるためのヒント
- どういう状況にあっても良いことを見つける。
- 人が自分のことを何といっていようが無視。
- 感謝の態度を持つようにする。
- 済んだことは、もうお終い。
- ゴシップに聞き入らない。
- 自分の人生設計をする。
- もっと笑う。もっと笑顔で。
- ゆっくりと生活する。(リラックス)
- 上品に。
- 優しく、親切に。
- もっと与える。
- 期待することを減らす。
- 溜息をつく。
自律神経を回復させる体の作用。
深呼吸すると体も緩み気持ちも楽になる。
- 背筋を伸ばす。
ストレスホルモンのコルチゾールが低下する。
- 毎朝、日光を浴びる。
セロトニンが増える。
- 鏡に映った自分をほめる。
- 肩とふくらはぎを弛緩する体操をする。
肩とふくらはぎに力を入れた後、脱力するのを繰り返す。
- 不安な時、「興奮している」と言う。
- 人に下の名前で呼んでもらう。
- よく噛む。
ガムを噛む。
食事のとき、時間をかけて、よく噛む。
- 自分を知らない第三者に悩みを話す。
カウンセラー、精神科医などに話す。
- 「疲れた」と口に出す。
- 「助けて」と言う。
- 悩みを紙に書いて破る。
- 週末は違う環境で過ごす。
旅行をする。
野外で食事する。
- 目標を持たないことを目標にする。
あるがままの自分を受け入れる。
- ASMRの動画を見る。
ASMRは自立感覚絶頂反応の略。
- 花の画像を見る。
- 今すぐ幸せになれるリストを作る。
好きな音楽を聴く、お笑いを見るなど。
目次へ戻る
トップページへ戻る