なぜ、オリバー・カウドリーは
一時の間、教会から離れたのか

オリバー・カウドリーはジョセフ・スミスと一緒に、イエス・キリ
ストや天使たちに会っている。そのことを列挙する。
・1829年5月15日、バプテスマのヨハネからアロン神権を受ける。
・1829年6月頃、ペテロ、ヤコブ、ヨハネからメルキゼデク神権を
 受ける。
・1829年6月下旬、モロナイから金版等を見せてもらう。
・1836年4月3日、カートランド神殿で、イエス・キリストに会い、
 モーセ、エライアス、エリアから神権の鍵を受ける。

このようなすごい経験をしていたのに、やがて、ジョセフ・スミス
に対して反抗的になり、1838年4月12日に教会から破門された。

1844年6月27日、イリノイ州カーセージでジョセフ・スミスとハイ
ラム・スミスが殉教したあと、1847年には、教会の指導者と和解し、
教会への復帰が認められた。

なぜ、ジョセフ・スミスと仲たがいを起こしてしまったのか。
以下の2つの資料から、調べてみた。

・教会歴史のテーマ オリバー・カウドリ教会歴史「聖徒たち」第1巻、第3部、25-27章

簡単にまとめると、以下の点が原因となったようだ。

・カートランド安全協会の経営破綻
  カートランド安全協会とは、ジョセフが設立した銀行で、主に
  カートランドに移住してきた教会員が農地を購入する資金を融
  資することを目的としていた。ジョセフは金銭的に余裕のある
  教会員に、この銀行に投資をしてもらった。しかし、土地バブ
  ルが起き、多くの者たちが土地に投機するために銀行から借り
  入れた。やがて、バブルが崩壊し、債権の回収ができなくなり、
  銀行は倒産した。銀行に投資をしていた教会たちはジョセフに
  不信感を起こした。ジョセフが預言者なら、こうなることを防
  げたはずだと主張し、教会から離反した。

・離反した元教会員からの迫害
  攻撃的な離反者から脅しを受けたため、オリバーは教会から距
  離を置くようになった。

・ジョセフ・スミスが多妻結婚を始めたこと
  多妻結婚はジョセフが不貞をしたことの言い訳だと考えた。
  オリバーはジョセフが預言者としての資格を失ったと考えた。

・ミズーリ州の土地の売却
  オリバーは自分のお金でミズーリ州の土地を購入し、教会に寄
  付していた。その土地を教会に無断で売却した。寄付したとし
  ても、元は自分の物なので、売却するのは自由だと主張した。
  このことがきっかけで教会から破門宣告を受けた。



「教会歴史のテーマ」からの抜粋

カートランド安全協会銀行の破綻を含む、カートランドにおける経
済危機がオリバー・カウドリの財政に強烈な打撃を与えました。
すると彼は、自分の財産を引き続き教会に奉献するのではなく、自
身の事業を追求するようになります。さらにカウドリは、教会指導
者が基金の管理を誤ったと主張して彼らを訴え、またジョセフ・ス
ミスが不貞の罪を犯しているといううわさを広めました。1838年、
ジョセフ・スミスはカウドリの申し立てを調査するために高等評議
会を招集しました。やがて評議会が開かれ、カウドリに対する幾つ
かの容疑について検討した結果、最終的に容疑の大半を支持する決
定が下され、カウドリは破門されることとなります。

カウドリは十二使徒会の会員に、自分の離反のおもな理由は、ミズ
ーリ州の攻撃的な末日聖徒から脅しを受けたことによるものであっ
て、使徒やほかの指導者への個人的な疑念から生じたわけではない
と話しています。

1847年、カウドリは近くのアイオア州で開かれた大会で話をし、十
二使徒定員会への支持を誓いました。数日後、高等評議会は、カウ
ドリが再び完全な会員資格を取り戻すことを認めます。十二使徒定
員会のオルソン・ハイドがカウドリに再びバプテスマを施し、改め
て確認と聖任を執り行いました。カウドリはその後、ユタ州に住む
聖徒たちと合流する計画を立てていましたが、健康状態が悪化し、
西部へ旅することなく、1850年に亡くなりました。



「聖徒たち」からの抜粋

オリバーは、地元の経済および政治分野において、ジョセフの方が
より精力的な役割を果たしていることを不快に思うようになってい
ました。オリバーと、ミズーリにおける教会の長であるデビッド・
ホイットマーの両者は、預言者としての役割を担うジョセフが、こ
の世的な事柄にあまりにも多くかかわりすぎていると感じていたの
です。

ジョセフへの忠誠心が薄れてきており、オリバーと預言者ジョセフ
との不和は、教会の管理方法を巡る意見の相違にとどまりませんで
した。聖書の霊感訳に携わる中で多妻結婚について学んで以来、ジ
ョセフは、神が時として、御自分の民にこの原則を実践するよう命
じてこられたことを知っていました。

主の命令に従い、ジョセフはリーバイの助けを借り、またファニー
の両親の承諾を得たうえで、ファニーに結婚を申し込みました。フ
ァニーはジョセフの教えと結婚の申し出を受け入れ、おじが結婚の
司式を執り行いました。

オリバーは、事の次第をどれほど知っていたかは不明ですが、ジョ
セフとファニーとの関係を手厳しく批判しました。

ジョセフは個人的にトーマスとオリバーに会いました。 彼らは、
ジョセフのファニー・アルジャーとの結婚に対するオリバーの異存
について話しましたが、意見の相違を解消することはできませんで
した。最後に、ジョセフはオリバーに手を差し伸べ、相互間に生じ
た不和をすべて取り除きたいと言いました。オリバーはジョセフと
握手を交わし、二人は別れます。

オリバーとジョン、ウィリアムはつい先日、ジャクソン郡の所有地
の一部を売ったところでした。

その土地は主に奉献されたものであり、啓示を通して売却が禁じら
れていたのです。これら3人の男たちは神聖な聖約を破っただけで
なく、シオンに対する信仰の欠如を露呈したのでした。

オリバーはミズーリ高等評議会に姿を現し、自分たちはジャクソン
郡の土地の代金を自分自身で支払ったのだから、思いのままに売却
できるはずだと主張しました。オリバーはまた、評議会会員の何人
かに密かに会い、彼らの真意を問いただしました。地位や権威をむ
さぼっているように見えるトーマス・マーシュやそのほかの人々を、
信頼していなかったからです。オリバーは、彼らが何らかの方法で
ジョセフを自分に敵対させるように仕向け、すでにこじれている預
言者との友情をさらに損なおうとしているのではないかと疑念を抱
いていました。

「そうした権力争いには、もううんざりです」と、オリバーは兄弟
に打ち明けています。「わたしがこの地に来たのは平和を享受する
ためなのですから、それができないなら、そうすることができる場
所へ行くまでです。」オリバーは大管長会の一員であったため、高
等評議会の管轄外におり、自らの召しを保持していました。一方デ
ビッド、ジョン、ウィリアムは、それぞれの職を解かれていました。
4日後、オリバーはこの3人に加え、教会からしきりに離れたがって
いる複数の人々に会いました。彼らの多くは、ウォレン・パリッシ
ュと、カートランドにおける彼の新たな教会に共鳴していました。
ウォレンと同様、彼らもまた預言者に敵対することを決意していた
のです。

来る日も来る日も、聖徒たちはジョセフがファーウェストに戻って
来るのを待ちわびていました。その間、オリバーは教会指導者に対
する軽蔑の念を強めていきます。オリバーは、自分がこのような行
動に及んだ理由を、指導者たちが理解してくれないのではと思って
いたのです。「道理をわきまえておらず、無知なのだ」とオリバー
はあざ笑っています。「わたしたちは称賛されることも認められる
ことも期待していません。」それでもオリバーは、モルモン書と福
音の回復に対する信仰を保っていましたし、預言者と共有した神聖
な経験を忘れることも、否定することもできませんでした。オリバ
ーとジョセフは長年兄弟であり、親友であり、イエス・キリストに
ともに仕える者だったのです。しかし今や、そうした日々は記憶の
彼方に去ってしまいました。

ジョセフは、ミズーリで新たにやり直したいと思っていました。カ
ートランドやアメリカ合衆国東部、カナダの教会支部からやって来
る聖徒たちが、間もなく到着するでしょう。彼らを迎えるべく、教
会はシオンのステークを確立し、そこで人々が平和のうちに集合し、
繁栄の機会を得られるようにする必要がありました。オリバーはす
でに新たな集合場所のための土地を探し出しており、彼の報告は期
待できるものでした。ところがジョセフには、どこであろうと聖徒
たちが新たな定住地に入植し始める前に、ファーウェストで増大し
つつある離反の動きに対処しなければならないことが分かっていま
した。オリバーのような友人が教会から離れていくのを目の当たり
にし、ジョセフは深い悲しみに沈みます。しかし、カートランドで
起きたような不和の蔓延を、ミズーリで再び繰り返すわけにはいき
ません。

今やオリバーの背教に対処するときであると、ジョセフは確信しま
す。4月12日、エドワード・パートリッジは、教会におけるオリバー
の地位を見直すために、ビショップの評議会を招集しました。オリ
バーの反抗的な態度は周知のものでした。教会の集会に出席しなく
なり、ほかの教会指導者の勧告を無視し、トーマスや高等評議会を
侮辱するような手紙を書いていたのです。オリバーはまた、啓示に
反してジャクソン郡の所有地を売却し、ジョセフを姦通罪で不当に
告発し、神の大義をないがしろにしたことでも非難されていました。
オリバーは聴聞会には出席しないことにしましたが、自らを弁護す
る手紙をパートリッジビショップに送りつけます。その手紙でオリ
バーは、ジャクソン郡の土地を売却したことや、教会指導者に従わ
なかったことを否定しませんでした。それどころか、いかなる啓示、
聖約あるいは戒めがあろうとも、自分には土地を売却する法的権利
があったと主張しました。さらには、教会における自身の会員権を
放棄したのです。終日、評議会は証拠を見直し、オリバーの行動に
関する複数の聖徒の証言を聞きました。ジョセフは立ち上がると、
かつてオリバーに対して抱いていた信頼について語り、オリバーの
告発にこたえてファニー・アルジャーとの関係について説明しまし
た。さらなる証言を聞いた後、評議会はオリバーの件について話し
合いました。オリバーと同様、評議会一同は個人の選択と自由に関
する原則を大切にしていました。それでもほぼ10年近くにわたり、
主は聖徒たちに、一致するように、また神の王国を築くために、個
人の望みを脇に置いて自分の持てるものをささげるように命じてこ
られたのです。オリバーはこれらの原則に背を向け、むしろ自分自
身の判断に頼り、教会とその指導者、主の戒めを軽視してきたので
す。もう一度告発を見直した後、パートリッジビショップと顧問た
ちは、オリバーを教会から破門するというつらい決断を下したので
した。

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