ベドナー長老の話(聖約について)

2021年10月の総大会のベドナー長老の話と
教会機関紙「青少年の強さのために」の2022年2月号のベドナー長老の話が
つながっている。

総大会の話を青少年向けの話が補完している形になっているようで、
合わせて読むと理解が深まる。

 => 神の力とをもって、大いなる栄光のうちに

 => 聖約を通して救い主と結ばれる

総大会の話の頭にG、「青少年の強さのために」の話にYを付け、混ぜて記載する。


G 時満ちる神権時代における救いと昇栄の驚くべき御業についてともに考えるときに、聖霊 G がわたしたちを啓発し、教化してくださるよう祈ります。 G * モロナイがジョセフ・スミスに初めて現れたとき * G 最初の示現から約3年後の1823年9月21日の晩、少年ジョセフ・スミスは、罪の赦しを受け G るため、また神の前における自分の状態と立場を知るために祈っていました。一人の方が G ベッドのそばに現れ、ジョセフの名を呼び、「自分は神の前から遣わされた使者であり、 G その名はモロナイであること」を告げ、「神がジョセフのなすべき業を備えておられる」 G と説明してから、モルモン書の出現についてジョセフに教えました。重要なことは、モロ G ナイの話の中で最初に語られた話題の一つがモルモン書だったことです。 G モルモン書はイエス・キリストのもう一つの証であり、末日における、改心のためのすば G らしい手段です。わたしたちが福音を伝える目的は、イエス・キリストのもとに来て、回 G 復された福音の祝福を受け、救い主を信じる信仰を通して終わりまで耐え忍ぶよう、すべ G ての人を招くことです。人々が大きな心の変化を経験し、神聖な聖約と儀式を通して主と G 結びつくのを助けることは、福音を宣べ伝えることの基本的な目的です。 G モロナイがジョセフ・スミスにモルモン書について紹介したことにより、時満ちる神権時 G 代における幕のこちら側の人々の救いと昇栄の業が始まりました。 G モロナイはジョセフへの教えをさらに続け、次に旧約聖書のマラキ書から引用し、欽定訳 G 聖書に書かれている言葉を少し変えてこう述べました。 G 「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤの手によってあなた G がたに神権を現そう。 G 彼は先祖に与えられた約束を子孫の心に植え、子孫の心はその先祖に向かうであろう。そ G うでなければ、主の来臨の時に、全地はことごとく荒廃するであろう。」 G 神殿を建てる目的は、生者と死者の両方を含む人類家族の救いと昇栄に必要な、神聖な聖 G 約と儀式が執り行われる、聖なる場を設けることです。エリヤの重要な役割と神権の権能 G についてモロナイがジョセフ・スミスに教えたことにより、幕のこちら側の救いと昇栄の G 業が拡大し、幕の向こう側の死者のための業がこの神権時代において開始しました。 G 簡潔に言えば、1823年9月にモロナイがモルモン書とエリヤの使命について教えた事柄は、 G 幕の両側における救いと昇栄の業の教義的な基礎を確立したのです。 G * 預言者ジョセフ・スミスの教え * G ジョセフ・スミスがモロナイから学んだ教えは、ジョセフの教導の業のあらゆる側面に影 G 響を及ぼしました。例えば、1837年4月6日にカートランド神殿で開かれた聖会で、預言者 G は次のように述べています。 G 「結局のところ、最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです。」 G それからほぼちょうど7年後の1844年4月7日に、ジョセフ・スミスはキング・フォレット G 説教として今日知られる説教を行い、このように述べています。 G 「わたしたちがこの世で神から受けている最も大きな責任は、死者を探し求めることです。」 G 福音を宣べ伝えることと死者を探し求めることの両方が、どちらもわたしたちに課せられ G ている一つの最も大きな務めであり責任であるのはなぜでしょうか。預言者ジョセフ・ス G ミスはこの二つの言葉の中で、権能を有する神権の儀式を通して交わされる聖約は、わた G したちを主イエス・キリストに結びつけるものであり、幕の両側の救いと昇栄の業の中心 G を成す、という基本的な真理を強調していたのだと思います。 G 伝道と神殿・家族歴史の業は、一つの大いなる業の側面であり、相互に補い関連している G ものです。この大いなる業は、わたしたちが生活の中で神性の力を受け、最終的には天の G 御父のみもとに戻ることを可能にする、神聖な聖約と儀式に焦点を当てています。このよ G うに、預言者のこの二つの言葉は、はじめは矛盾しているように見えますが、実際のとこ G ろ、この大いなる末日の業の中心を強調しているのです。 Y ラッセル・M・ネルソン大管長は、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長としての最初 Y のメッセージで、神聖な福音の聖約の大切さを強調しました。ネルソン大管長は次のよう Y に述べています。 Y 「教会の会員一人一人に申し上げます。どうぞ聖約の道にとどまってください。主と聖約 Y を交わして救い主に従う決意をし、それらの聖約を守るとき、世界中の男性、女性、子供 Y たちのために備えられた、あらゆる霊的な祝福と特権を享受する門戸が開かれるのです。」 Y 主イエス・キリストは、キリストの救いと、キリストの贖いの力にあずかるよう、わたし Y たち一人一人を招いておられます。わたしたちが主と交わす神聖な聖約に伴う約束と祝福 Y と力は、わたしたちの心を変化させ、霊的な導きと守りをもたらし、わたしたちが永続す Y る喜びを得ることを可能にしてくれます。 Y * 聖約とは? * Y 聖約とは、神と神の子供たちとの間で交わされる合意です。福音のすべての聖約において、 Y 条件を定められるのは主であり、皆さんやわたしではないことを、ぜひ覚えておく必要が Y あります。わたしたちは道徳的な選択の自由を行使して、神によって定められた聖約につ Y いて学び、それを受け入れ、尊びます。 Y 皆さんの多くは、バプテスマを受けたときに、すでに聖約を交わしています。そして、イ Y エス・キリストの福音の中で前進していきながら、皆さんはさらに多くの聖約を交わすこ Y とになります。最も神聖な聖約は、主の家である神殿でのみ受けられます。 Y ふさわしい状態で神と聖約を交わし、聖約を忠実に守ることにより、様々な祝福や約束が Y もたらされます。そうした祝福や約束の幾つかを明らかにしている4つの原則を見ていき Y ましょう。 G * 聖約と儀式を通して救い主に結ばれる * G 救い主は次のように言われました。 G 「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学 G びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 G わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 G わたしたちは、神聖な聖約と儀式について学び、それらをふさわしい状態で受け、尊ぶと G きに、救い主のくびきを負います。自分が受け入れた義務を忠実に覚え、それに従って生 G 活しようと最善を尽くすとき、わたしたちは救い主と固く結ばれます。そして、主とのそ G のきずなこそが、人生のあらゆる時季に霊的な力の源となるのです。 Y * 主のくびきを負う * Y 救い主は次のように言っておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし Y のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 Y わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学び Y なさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 Y わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 Y くびきとは、通常2頭の牛などの動物が一緒に荷を引けるようにするための横木です。く Y びきをつけられた動物は横に並ぶので、作業を達成するために一緒に動くことができるの Y です。 Y 神聖な聖約を交わして守ることで、わたしたちは主とくびきでつながり、結ばれます。つ Y まり、わたしたちは人生の旅において、主を信頼し、主に頼り、主とともに荷を引くとい Y うことです。わたしたちがどんなに努力しても、主の力とは比較になりません。しかし、 Y 救い主とくびきでつながるなら、わたしたちは主の贖いが持つ清めの力と、人に能力を授 Y ける力と、さらなる力を生活の中で受けることができます。 Y * 聖約は、自分がほんとうは何者であるかを知る助けとなる * Y 世の初めから、神は御自分の忠実な子供たちと聖約を交わしてこられました。例えば、ア Y ブラハムは義を望み、神の戒めにすべて従った偉大な預言者でした。アブラハムに与えら Y れた戒めには、大切な息子イサクを犠牲にささげなさいという命令も含まれていました。 Y アブラハムの確固とした従順さのゆえに、神はアブラハムと聖約を交わし、アブラハムは Y 多くの子孫を得るという輝かしい祝福を約束されました。そして、地上のもろもろの国民 Y がアブラハムの「子孫」によって祝福を受けるということも約束されました。 Y すべての国民は、アブラハムの子孫によって祝福を受けます。なぜならアブラハムの「子 Y 孫」には、イエス・キリストの福音を分かち合い、適切な神権の権能によって救いと昇栄 Y の儀式を受けるようすべての人を招くという責任が与えられているからです。主はその後、 Y この聖約をアブラハムの息子のイサクと、そして孫のヤコブと更新し、さらに今日、末日 Y の時満ちる神権時代に生活し、奉仕しているわたしたちを通して更新しておられます。 Y これらの約束や祝福は、皆さんにどのように関係しているでしょうか。文字どおりの血統 Y か、または養子縁組により、皆さんは神がアブラハムに与えられた約束の正当な相続人で Y す。皆さんには、イエス・キリストが神の御子であられることを証し、主の回復された福 Y 音のメッセージを宣言し、神聖な聖約と神権の儀式を受けるようすべての人を招くことに Y よって、神の息子たちと娘たちを祝福するという務めがあります。 Y わたしたちは神の息子と娘であり、アブラハムの「子孫」です。わたしたちは地上にやっ Y て来て、神がアブラハムと交わされた聖約と約束の成就を助けるように、前世で予任され Y ました。それがわたしたちであり、わたしたちがここにいる理由です。それは今だけでな Y く、いつまでも変わりません。 Y * 聖約はわたしたちを救い主に近づけてくれる * Y わたしたちの救い主イエス・キリストがおられなければ、聖約の約束と祝福は実現しなか Y ったでしょう。主の回復された福音の聖約と儀式を通して、主を仰ぎ見て、主のもとに来 Y て、主に学び、主と結ばれるよう、主はわたしたちを招いておられます。 Y 聖約と儀式は、わたしたちが贖い主の岩と主の贖いの上に人生を築くことを可能にする要 Y 素です。神聖な聖約を忠実に尊ぶことで、わたしたちは救い主にしっかりと結ばれます。 Y だからこそ、主はわたしたちの生活において、霊的な導きと強さの究極の源となられるの Y です。 Y わたしたちの救い主イエス・キリストがおられなければ、聖約の約束は実現しなかったで Y しょう。主を仰ぎ見て、主のもとに来て、主に学び、主と結ばれるよう、主はわたしたち Y を招いておられます。 Y * あなたは決して独りではない * Y 聖約を通して自分自身を救い主と結ぶことで得られるもう一つの大いなる約束と祝福は、 Y わたしたちが独りではなく、独りでいる必要も決してないということです。わたしたちは Y 日々、天の助けを受けながら、喜びをもって力強く進むことができます。救い主の贖いと Y 自分の聖約を通して強さを授かることで、わたしたちは現世における自分の限られた能力 Y だけに頼っていては絶対にできなかったことを行い、絶対になれなかった者になることが Y できます。 Y 神聖な聖約を通して主と結ばれるとき、わたしたちは計り知れないほどの祝福を受けられ Y ます。そして、わたしは主の次の宣言が真実であることを証します。「それゆえ、旅を続 Y け、心を喜ばせなさい。見よ、見よ、わたしは最後まであなたがたとともにいるからであ G * 主の聖約の民 * G 聖約を守る、イエス・キリストの弟子に約束されている祝福について考えてみてください。 G 例えば、ニーファイは末日聖徒における神の小羊の教会を見て言いました。「この教会に G 属している者の数は、少なかった。神の聖徒である小羊の教会の人々の占める場所は、小 G さかった。」 G また、「神の小羊の力が、地の全面に散っている小羊の教会の聖徒たち、すなわち主の聖 G 約の民のうえに下るのを見た。彼らは義と神の力とをもって、大いなる栄光のうちに武装 G していた。」 G 「義と神の力とをもって、大いなる栄光のうちに武装していた」という言葉は、単なる良 G いアイデアでもなければ、美しい響きの聖句の一例でもありません。これらの祝福はむし G ろ、末日における無数の主の弟子たちの生活によく見られるものです。 G 十二使徒の一員としての割り当てのために、わたしは世界中を巡り、皆さんの多くと会い、 G 記憶に残る教訓を学ぶという祝福に預かってきました。現代の主の聖約の民は、確かに義 G と神の力をもって、大いなる栄光のうちに武装していることを証します。わたしは、人の G 能力をはるかに超えた、そして神のみが与えることのおできになる、信仰や勇気、視点、 G 粘り強さ、喜びを目にしてきました。 G 恐ろしい自動車の事故で、体の一部がまひした若い教会員が、聖約と儀式に忠実であるこ G とを通して、大いなる栄光のうちに義と神の力を受けるのを目のあたりにしました。何か G 月にもわたるつらい快復期間と身体が自由に動かせない新たなライフスタイルへの順応期 G 間の後、わたしはこの堅固な人物と会って話をしました。会話の中でわたしは「この経験 G は何を学ぶ助けとなりましたか」と尋ねました。すぐにこのような返事が返ってきました。 G 「悲しくありませんし、怒ってもいません。すべては上手くいきます。」 G わたしはまた、最近バプテスマを受けて教会の会員に確認された人たちが、聖約と儀式に G 忠実であることを通して、大いなる栄光のうちに義と神の力を受けるのを目のあたりにし G ました。この改宗者たちは、学び、奉仕したいと強く望み、古い習慣や根強い伝統を脇に G やりたいと思いながらもどうすればよいか定かではないことがよくあります。それでも彼 G らは、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族になることを喜んでいます。 G さらにわたしは、病気の末期にある伴侶と親を優しく世話する家族が、聖約と儀式に忠実 G であることを通して、大いなる栄光のうちに義と神の力を受けるのを目のあたりにしまし G た。この雄々しい弟子たちは、家族として孤独を感じたこともあれば、主の御手に高めら G れ、強められていると感じることもあったと話してくれました。この家族は、現世での困 G 難な経験により、わたしたちが成長し、天の御父と贖い主、イエス・キリストにさらに似 G た者となれることに感謝を述べました。神はこの家族を助け、この家族が常に聖霊を伴侶 G とすることができるよう祝福し、この家庭を、神殿のような神聖な避け所としてください G ました。 G わたしはまた、離婚による心の痛みを経験した会員が、聖約と儀式に忠実であることを通 G して、大いなる栄光のうちに義と神の力を受けるのを目のあたりにしました。この姉妹の G 霊的、情緒的な苦痛は、伴侶が聖約を破り、離婚に至ったことにまつわる不公平感により G いっそう強まっていました。彼女は、正義と責任を望んでいたのです。 G この忠実な女性は、自分の身に起こった出来事に苦しみながら、それまでになく熱心かつ G 真剣に、救い主の贖罪について研究し、深く考えました。次第に、キリストの贖いの使命、 G すなわち、わたしたちの罪や苦しみ、弱さ、落胆、苦痛のために主が苦しまれたことに対 G するさらに深い理解が彼女の心に滴り始めました。そしてこの女性は、胸に刺さるこのよ G うな質問を自問するよう霊感を受けました。「これらの罪のための代価はすでに払われて G いるのに、自分は二度払うよう求めるのか。」そして、そのように求めることは、正義で G も憐れみでもないことに気づきました。 G 聖約と儀式を通して救い主に結びつくことで、ほかの人が道徳的な選択の自由を不義に用 G いることにより生じた傷は癒され、人を赦し、平安と憐れみと愛を受ける能力を見いだす G 能力が高められることを、この女性は学んだのです。 G * 約束と証 * G 聖約の約束と祝福は、救い主イエス・キリストによってのみ可能となります。主はわたし G たちに、主を仰ぎ見て、主のもとに来て、主に学び、主の回復された福音の聖約と儀式を G 通して主と結ばれるよう招いておられます。聖約を尊ぶことにより、わたしたちは義と神 G の力とをもって、大いなる栄光のうちに武装することができることを証し、約束します。 G また、生けるイエス・キリストが救い主であられることを証します。これらの真理を、イ G エス・キリストの聖なる御名によって、喜びをもって証します、アーメン。

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