終りの時

新約聖書のヤコブの手紙を読んでいたら、5章3節に「終りの時」と
いう言葉が出ていた。これは当時の人々に向けたものだろうから、
彼らの時代の人々も、その時代を「終りの時」と捉えていたのだろう。
ヘブル人への手紙の1章2節にも「終りの時」という言葉が使われている。
同9章26節には、キリストが贖いのために世の終りに一度だけ現れたと
あるので、すぐに世の終りが来ると感じていたのかもしれない。

実際には2000年以上経った今でも、終りの時は来ていない。
ジョセフ・スミスの時代も「終りの時」と言われていた。
実際には200年経った今でも、終りの時は来ていない。
現在は末日の時代と言われている。世の終り、つまり、主の再臨は
間近なのだろうか。

聖句ガイドで「終わりの時;末日」を見てみると、次のようにある。
「わたしたちが生きている今の時代。主の再臨の直前の時代」
新約聖書の時代の人々は誤解していたのだろうか。

私が感じるのは、この現世は「終りの時」だということ。
我々は前世で何千年も暮らしてきたが、現世では何十年という時間しかない。

これを、受験勉強に例えよう。
何か月も受験勉強をしてきた。しかし、受験の日は1日しかない。
前世は受験勉強の期間、現世は受験日である。
これを考えると、現世は終りの時に感じる。
試験を受ける時には、教科書や参考書は持ち込めない。
これは、忘却の幕に相当する。

聖書がイザヤ書やヨハネの黙示録を除いて、当時の人々に向けて書かれたように、
モルモン書は我々の時代の人々に向けて書かれている。
彼らの時代が、彼らにとって、終りの時であるように、
我々の時代が、我々にとって、終りの時である。

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