鉄の棒

1ニーファイ8章に出てくる「鉄の棒」とは、神の言葉である。
それは次の3つを指す。

(1)聖文(昔の預言者)、(2)生ける預言者、(3)聖霊。

リアホナ2019年11月号、ニール・L・アンダーセン長老「実」より

  2007年1月上旬に、その年の3月4日に行われることになっていた
  ブリガム・ヤング大学のディボーショナルで、七十人会長会として
  の話を準備していました。そこで、同大学で同じ年の2月4日に話を
  予定していたデビッド・A・ベドナー長老に準備の内容を聞きました。
  彼の話の内容が、鉄の棒にしっかりとつかまることだと聞いて驚き
  ました。わたしもまったく同じ題名の話を用意していたからです。
  お互いの原稿を交換した後、わたしたちのアプローチは異なってい
  ることに気づきました。

  「生ける水の貯水池」と題したベドナー長老の話は、聖文を使い、
  鉄の棒つまり神の言葉を強調していました。その話の中でベドナー
  長老はこう尋ねました。「皆さんもわたしも、日々鉄の棒にしっかり
  とつかまることのできる方法で、聖文を読み、研究し、求めているで
  しょうか。」

  そしてベドナー長老との会話の1週間後、ボイド・K・パッカー会長が
  BYUのディボーショナルで「リーハイの夢とあなた」と題する話をし
  ました。パッカー会長は、鉄の棒は聖霊を通して来る個人的な啓示と
  霊感であると強調し、こう言いました。「鉄の棒につかまれば、聖
  霊の賜物により自分が前進していると感じることができます。鉄の
  棒を握り締め、手を離さないでください。聖霊の力を通して自分の
  人生で前進していることを感じます。」

  2007年のわたしの話の題名は「預言者の言葉にしっかりとつかまる」
  で、鉄の棒が生ける預言者を表していることについて話しました。

  これら3つの話のつながりは偶然ではありません。これら3つの話に
  対して主の御手が働かれ、鉄の棒、つまり神の言葉における3つの
  側面が同じ聴衆に対して準備されました。(1)聖文、あるいは古
  代の預言者の言葉、(2)生ける預言者の言葉、(3)聖霊の力。
  わたしにとって大切な学びの機会となりました。

この話が気になったのは、祝福師の祝福に「強い鉄の棒が与えられる」
とあったからだ。「鉄の棒」が神の言葉であることは分かっていたが、
聖典や預言者の言葉と思っていたので、それが「強い」とはどういう
ことかと疑問に思っていた。しかし、聖霊をも指すことを知って、
聖霊から強い導きを得られるということが分かった。自分には、その
才能が与えられていることを自覚しなければならないと思った。

ネルソン大管長が言う通り、これからの時代、聖霊の導きがなければ、
霊的に生きてはいけない。自身の清さを増さなければいけない。

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