聖霊=音楽、行い=ダンス

ウィルフォード・W・アンダーセン長老「福音の音楽」(リアホナ 2015年5月号 p54-56)から。

音楽があると、自然にダンスをすることができる。
音楽がないと、ダンスはしにくい。
聖霊=音楽、行い=ダンス に置き換えると、
聖霊による動機付けがあると、神様の戒めを実行する気持ちになる。
ただ、戒めを守りなさいと親や指導者に言われても、行いにくい。
いやになって、教会に行くのがつらくなってしまうのである。
しかし、神様の愛を感じ、感謝の気持ちがわいてくると、
教会に行って、神様の戒めを進んで守りたいという気持ちになる。

ヘンリー・B・アイリング管長「主の御霊がとどまる家庭」(リアホナ 2019年5月号 p22-25)
の次の文書も上のことを言っている。

「福音がもたらす完全な平安の中で200年の間生活していた人々が衰退したパ
ターンは次のとおりです。
 ・高慢が入り込む。
 ・所有物を分かち合わなくなる。
 ・階級に分けて人を見るようになる。
 ・イエス・キリストへの信仰が弱まる。
 ・憎しみが芽生える。
 ・あらゆる罪を犯すようになる。
賢明な両親は、これらの症状が自分の家族内に現れると、それに気づきます。
そしてもちろん心配します。しかし、根本的な原因は、善良な人々を罪に落とし入れ、
聖霊の影響を受けられなくするサタンの影響だと分かります。
そして賢明な両親は、「わたしのもとに来なさい」という主の招きをより強い決意で
受け入れるように、子供一人一人と自分自身を導く機会として捉えるのです。
例えば、高慢を悔い改めるよう子供に呼びかけても、成果は限られています。
子供たちに、自分の物をもっと寛大に分かち合うよう説得できるかもしれません。
家族のだれかよりも優れていると思うのをやめるように言うこともできます。
しかし、そのとき「イエス・キリストへの信仰が弱まり始める」という症状が現れて
くるのです。
ここに、家族と自分自身を望ましい霊的な状態に引き上げるよう、家族を導くため
の鍵があります。
イエス・キリストが愛深い救い主であられるという信仰を増すことができるように
家族を助けるとき、彼らは悔い改めたいと感じます。
そうすると、謙遜が高慢に取って代わります。
主が与えてくださったものに気づき始めると、
もっと寛大に分かち合いたいと思うようになります。
注目や脚光を浴びるために競争する気持ちがなくなっていきます。
愛によって、憎しみが消え去ります。
そして最終的に、ベニヤミン王によって改心した民に起こったように、
善を行おうとする望みが、罪の誘惑に対するとりでになるのです。」

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