教会と異星人

2109年4月25日のNHKのニュースによると、アメリカ海軍が、パイロットらがUFOを目撃
した際の報告手順を定めたガイドラインの作成を進めている。近年、正体が分からない
飛行物体を目撃したという報告が軍内部で相次いでいるため。

UFOと言えば、異星人の乗り物というイメージがある。
当教会にも、他の惑星に人が住んでいるということを語る指導者はいる。

ジョセフ・スミスは次のように語った。
月面上の住民は、地球上の住民よりも背丈が一様で、大体6フィート(約1.8m)くらいの
身長である。彼らは、一般的にクエーカー教徒のような装いである。また、大変長生きで、
大概は1000歳まで生きる。

ブリガム・ヤングは、次の説教をしている。
あの『月』とよばれる晩に輝く小さな天体に住民がいることを知っている者がいるだろうか。
私たちが月の面を眺めるとき、『月の住民』とよばれ、学者たちが山脈の影だと言っている
部分が見える。しかしそのような主張は非常に曖昧で無意味なものである。もしあの天体に
住民がいるかどうかを聞かれたら、最も教養のある者であっても無知を晒すしかないだろう。
太陽の住民についても同様である。太陽に住民がいると思うだろうか。私はいると思う。
あそこに生命体がいると思うか。何の疑問もない。目的なしに造られたのではないのだから。
太陽はそこに住む人々とほかの惑星たちに光を与えるために造られた。この地球も栄光を受
けると同じように、光を与える星となるであろう。

ハイラム・スミスも次の発言をした。
われわれが見る星々の一つ一つに、地球と同様に住民が住んでいる。太陽にも月にも星に
も住民がいるのである。

私たちのような肉体では、空気のない月や、灼熱の太陽には住めない。復活した死なない
体なら住むことができるかもしれない。地球にやってくる異星人たちは、他の星で生まれ
育った人たちで、既に復活した日の栄の住人で、地球を視察しに来ているのだろう。

聖典にも異星人はいるのではと思える記述がある。

モーセ書1:29,33
また、彼は多くの地を見た。それぞれの地は地球と呼ばれ、その面に住む者がいた。
無数の世界を、わたしは創造した。また、わたし自身に目的があってこれらを創造した。
子によって、わたしはこれらを創造した。子とは、わたしの独り子のことである。

このことについて、ブリガム・ヤング大管長はこう語っている。
地球は幾つあるのでしょうか。神の被造物は増え続け、わたしたちが経験しているのと
同じ経験を通じて変化を遂げ続けているのです。

教義と聖約76:24
彼によって、彼を通じて、彼から、もろもろの世界が現在創造され、また過去に創造された。
そして、それらに住む者は神のもとに生まれた息子や娘となる

教義と聖約88:51-61
見よ、わたしはこれらの王国を、畑を持っている一人の男にたとえよう。彼はその畑を耕
すために自分の僕たちをその畑に送り出した。
そして、彼は最初の僕に、「あなたは畑に行って働きなさい。第1の時に、わたしはあな
たのところに行こう。そして、あなたはわたしの喜ぶ顔を見るであろう」と言った。
また、彼は第2の僕に、「あなたも畑に行きなさい。第2の時に、わたしは喜ぶ顔をもっ
てあなたを訪れよう」と言った。
そしてまた、第3の僕にも、「わたしはあなたを訪れよう」と言った。
また第4の僕にも、というようにして第12の僕に至った。
そして、畑の主人は第1の時に最初の僕のところに行って、その時間いっぱい彼とともに
いた。そして、彼はその主人の顔の光によって喜びを得た。
その後、彼は最初の僕のもとを去って、第2の僕を訪れた。そして、第3の僕、また第4
の僕、というようにして第12の僕に至った。
このようにして、彼らは皆、その時間に、その時に、その時期に、一人一人彼らの主人の
顔の光を受けた。
すなわち、最初の僕から初めて最後に至るまで、そして最後から最初、また最初から最後
まで、すべての者がその順序で、彼の時間が終わるまで、その主人が彼に命じたとおりに
行った。それにより、その主人が彼によって栄光を受け、また彼もその主人によって栄光
を受けて、彼らが皆栄光を受けるためである。
それゆえ、このたとえに、わたしはこれらすべての王国とそこに住む者をなぞらえよう。
すなわち、神が出した定めのとおりに、あらゆる王国はその時間に、その時に、その時期
に訪れを受けるのである。

インスティテュートの生徒用資料「教義と聖約」では次のように解説している。
モーセは示現の中で、救い主がこの地球と同じような世界を数多く創造し、そこにも人々
が住んでいるのを見た。これらの世界に住む人々は皆、神の息子、娘であり、神の目から
見て大切な存在である。救い主は、そのすべてに対して責任があり、時と時期に応じて彼
らのもとを訪れられるのである。

オーソン・プラット長老は、次のように説いている。
主は、自ら教えたいと思われた事柄をわたしたちがよく理解できるように、これらの王国
について説き明かそうとされた。そして、わたしたちの限られた理解力を補うために、主
はたとえを用いられた。『主がある僕のところから別の僕のところへ行くという意味が分
からない』と言う人がいる。これを理解するために、話をこの地球に戻して考えてみよう。
わたしたちは、いつの日か主がわたしたちのもとを訪れて、およそ千年の間わたしたちと
ともにいてくださるのを心待ちにしてはいないだろうか。そのとおりである。そのときわ
たしたちは主の顔の輝きによって喜びを得るであろう。主はわたしたちの中にいて、わた
したちの王となられる。そして、王の王、主の主として統治されるのである。主はシオン
に一つの御座を設け、またエルサレムの神殿にもう一つの御座を設けられる。主のそばに
は、かつて主がエルサレムで教え導かれたときにともに働いた12人の弟子がいるであろう。
彼らは主と同じ食卓で飲食をされる。そして、シオン、すなわち心の清い者と呼ばれるに
ふさわしい、この地上のすべての人々は、地が休息する千年の間、主の顔を仰いで喜びを
得るのである。その後はどうなるのだろうか。主はこの地球を離れられる。何のためにそ
うされるのだろう。別の目的を果たされるためである。地球のほかにも創造された世界が
数々あって、そこにも地球に住む人々と同じようにすばらしい神の息子たちや娘たちがい
る。その人たちもまた主の訪れを受けて、主の顔を仰いで喜びを得ることであろう。この
ように、主は時と時期に応じて、王国から王国、一つの世界から別の世界へと巡って、そ
れらから選び出されたシオン、すなわち心の清い人々がみもとで喜びにあずかれるように
されるのである。ところで、もう一つ理解しておいていただきたいことがある。このよう
な時期は永遠には続かないということである。これはさらに偉大な事柄の準備にすぎない
のである。それは何だろうか。やがて定められた本分を果たし、現世の状態の時を終わる
と、それぞれの世界とそこに住むふさわしい人々はともに日の栄えの状態となり、栄光を
授けられるのである。それ以後、聖められ栄光を受けた人々と神との間を隔てる幕は永遠
に取り除かれる。そして、もはや主は一つの世界から別の世界に移り行く必要がなくなる。
彼らは皆、主のもとにいるからである。

教義と聖約93:10
もろもろの世界は彼によって造られた。人は彼によって造られた。万物は彼によって、彼
を通じて、彼から造られた。

インスティテュートの生徒用資料「教義と聖約」では次のように解説している。
第93章の啓示が教えているように、この地球をはじめとする数々の世界は、御父が直接に
ではなく、御父の指示の下に主イエス・キリストが創造された。この教えは『新約聖書』
のヨハネの記録の内容と一致している。ヨハネは「言」について次のように述べている。
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらない
ものはなかった。」ヘブル人への手紙には、神は、 「万物の相続者」イエス・キリスト
によって「もろもろの世界を造られた」と書かれている。イエスは「無数の世界」の創造
主である。ただし、それは人間にとっては数え切れないものであるが、神はその数を御存
じである。

NHKのニュースは他の惑星からの訪問者が増えていることを示しているかもしれない。
主の再臨が近いことと関連しているのかな?

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