クリスマス・イヴ

クリスマス・イヴ(Christmas Eve)とは、12月24日の夜のこと。
イヴ(eve)は evening(夜) の同義の古語 even の語末音が消失したもの。
なので、「クリスマスの夜」ということになる。
古代のユダヤ歴では、日没から日没までを1日とするので、
クリスマスの期間は12月24日の日没から、翌25日の日没までとなる。
なので、クリスマス・イヴは「クリスマス当日の夜」である。(前夜祭ではない)

英語の Christmas は、キリスト(Christ)のミサ(mass)に由来する。

クリスマスがキリストの誕生日と言われることがあるが、
キリストがいつ生まれたのかは定かではない。
キリストが生まれたとき、羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた
ことから、少なくとも、冬ではないらしい。
クリスマスは冬至の祭と結びついて、12月25日になったと言われている。

当教会では、キリストの誕生日を4月6日とする説がある。
教義と聖約20章1節の文章から、4月6日がキリストが降誕されて、ちょうど1830
年であるように読み取れるからである。
「この終わりの時におけるキリストの教会の起こり。それは、わたしたちの主
であり救い主であるイエス・キリストが肉体を取って来られてから1830年
であって、第4の月、4月と呼ばれる月の第6日に、神の御心と命令により、
わが国の法律にかなって正式に組織、設立された。」
なので、キリストの生まれた日が紀元前1年4月6日だと言われている。

しかし、これは当教会の公式見解ではない。
当教会でも、キリストの降誕を12月25日に祝う。

あと、モルモン書の記述から4月ごろと推測できる。
「さて、第34年1月4日に、全地でこれまでにまったく知られていないよう
な大きな嵐が起こった。」(3ニーファイ8:5)
ここで用いられている日付は、イエス様が生まれた日を第1年1月1日とした
日付である。第34年1月4日はイエス様が十字架に付けられて亡くなられた
日に当たる。イエス様が十字架に付けらたのは過越祭の時期である。過越祭は
春分の日の後の最初の満月の日に行われる。毎年かわるが、3月下旬から4月
中旬のどれかの日になる。このことから、イエス様の生まれた日は4月ごろと
推測できる。

ちなみに、紀元29年から36年までで過越祭が金曜日のものは下記の通り。
・紀元30年4月7日
・紀元33年4月3日
そこから逆算すると、イエス様の誕生日は次のようになる。
・紀元30年4月7日の場合、紀元前4年4月4日
・紀元33年4月3日の場合、紀元前1年3月31日

2020年の大管長会主催のクリスマス集会では、話者がイエス・キリストの
誕生が春であったことを次のようにほのめかしている。

ホランド長老
「早春の日が暮れたころの出来事です。・・・イエスという名の赤ん坊が
清潔な干し草の上で寝かされていました。」

ネルソン大管長
「神の子羊は過ぎ越しの祭のために動物が捧げられる季節にお生まれに
なりました。」

イエス・キリストの誕生と死亡が過ぎ越しの祭の時であったのは、重要な
象徴となっている。

「過ぎ越し」とは、出エジプト記12章に書かれている出来事である。
主がエジプトで奴隷になっているイスラエルの民を解放しようとしたとき、
イスラエルの民の家の入口に羊の血を塗るように命じた。
血を塗っていない家は、疫病が来て、その家の長男が死んだ。
血を塗った家は、疫病が過ぎ越して、誰も死ななかった。
エジプト人の全ての家に死者が出たが、
イスラエルの民の家には全く死者が出なかった。
この機をとらえて、イスラエルの民はエジプトから脱出することができた。
このことを記念して、ユダヤ教では、同じ時期に、過ぎ越しの祭を行う。
羊の血と、長男が死ぬことは、キリストの贖いの犠牲を表している。
過ぎ越しの祭と復活祭と同じ時期なのは偶然でなく、キリストの血によって、
私達の霊の死(神様から切り離されること)が過ぎ越すことを表している。
過ぎ越しの祭は、春分の後の最初の満月の日に行われる。
復活祭はその後の最初の日曜日に行われる。
春分、満月はそれぞれ、復活を連想させる。
神がその日に過ぎ越しの祭を定め、イエス・キリストの贖罪を行われた。

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